1. グッドモーニングボイス
  2. 【665GMV】ニードをニーズに変..
2022-09-05 50:39

【665GMV】ニードをニーズに変えられれば先送りしなくなる

本当の自分が本当にやりたいことをよく聞きましょう
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
土日にですね、夜、いい環境で撮りためておいたんだけれども、
それをアップする気が起きず、結局朝、下の階で若干貧弱な環境で撮っているやつを撮って出しすることになるといった状況です。
何ですかね、これは僕の気質なんだなというのが一つ分かってきました。
要するに、土日には満足いってないんだなと。
私、そういう人間じゃないと思っているし、思われているかもしれないんですけど、意外にそういう人間なんですよ。
私どうしても、倉園さんと比較して、そこまで突き詰められないなというのがあるから、
そういう人をまず考えた上で、すぐ自分は妥協的な人間だし、そこに一つの特徴を見ようとするんだけど、
こういうところで妥協できてないんですよね。
音質妥協してるじゃんと言われるとそうなんだけど、私はこういう場合、確かにそうだと思うんですよ。
必ずと言っていい、音質の方を妥協するタイプなんですよ。
ここがですね、世の中の主流と僕の気質の大きな違いだと思うことがありますね。
要するに、中身で勝負しちゃうんですよ。
わかるんですよ。私は持てなかったみたいな問題を抱えてきていたから、
中身で勝負するっていうのは、よっぽどであってもダメだという、
いきなり男女問題にしちゃってますけどね。
もっと服に気を付ければ何とでもなるだろうっていうのは大いにあるんですよ。
大いにあったのは僕は知ってるんだけど、何かできてないんですよね。
これは一つには、乳型も違うんですよね。
乳型はね、男女含めてみんなそうなんですよ。女性もなんですよ。
中身で勝負っていうわけじゃないのかもしれないんですけど、
とにかく外見に気を使うという方に意味をあんまり見出せない。
人みんなやたらいいんですよね、本当に。
そして母方は洋服屋という、非常に面白い組み合わせなんですよ。
私も子供心に、うちの両親のこの真逆ぶりはどうなんだろうな、
また話が盛大に違う方向にいっているんですけど、
要は今日の中身に賭けていると、何してるの?
中身ノープラント着てますから、なんとなく今日の方向性はあるんですよ。
03:02
でも今日取ったやつの方が土道に取ったやつよりいいとは限らないじゃないですか。
本質の件も含めてしまえばいいですね。
だからもしかすると、この今しゃべっているやつは、
少なくとも今月曜日にはアップせず、
土日の方をアップしていく可能性も今の段階ではありますね。
これを聞いている人は結果を知っているから、
何か愚かなことをしゃべっている感じに聞こえているかもしれないです。
昨日、かきあげ塾というのがありまして、
私、かきあげ塾に行くと一つ、電車に長く乗ると、
それによる身体的な疲労感というものがあります。
あるんだけれども、しかも今日朝が早いんですよね、月曜日だから。
娘を送り出すというのもあるからですね。
何か今日来るなみたいなのがありながら、
でもやっぱりこれ、多分今日のを出すような気がしておりますね。
だからこれはあまり関係ないんですよね。
質に疲労がどの程度左右するかは、
土日は全然疲れていませんでしたからね。
絶好調でいい環境で撮っていましたから、
それがいいとは限らないんですよ。
でですね、
昨日は私がしゃべってみて、
いろいろともっといいようがあると思ったことをここで言い直すわけですね。
多分この話は何度もすることになるはずだから、
この話を最初に考えたのは百日チャレンジだったんですよ。
百日チャレンジで初めて考えたようなことではもちろんないんですけども、
百日チャレンジでこの線は私が求められている線だと。
線っていうかラインね。
そんなラインはないんですけどね。
そういうふうに考えたんですね。
どういうことかというと先送りなんですよね、百日チャレンジだから。
で、先送りをしてしまうと。
昨日、重たいタスク。
重たいというのはですね、私は重いタスクでいいだろうと思うんですけど、
形容詞にたいをつける時っていうのは持ち運びに関わることだろうと思っているんだけれども、
それって重たいしか使わないだろうと思うんですね。
軽たいとかって言わないじゃないですか。
軽いですよね。
これはつまり持ち運ぶのに苦労がないからだと思うんですけどね。
たいをつけるのって他に形容詞であるからというとすごく少ないような気がするんですよ。
あとは願望形の動詞につけるこの食べたいとかね、あれは形容詞じゃないですから。
だから非常に食べたいは形容詞なのかな。
だからこれは今度は食べいとか言わないし、おいしいとか言わないんですよ。
で、重いと重たいは誰なんだって考え始めるとこの趣旨から外れるんでスルーしますけどね。
06:03
まあ、重いタスクですね。
これを先送りするわけですよ。
昨日は書き上げ塾だったから当然重いタスク、重たいタスクといえば願望を書くことなんですね。
これはもちろん言うまでもなくイリュージョンでして、
最近の倉園さんの使っている言葉で言うと心象でして、
重いも軽いも何もないんだけれども、我々はそういうふうに思うんですよね、心で。
意味をつける意味です。
重いタスクだと。
で、この時にもうそうですね、ある程度今日はベースから喋って時間かかりますけど、
喋るとこれも心象ですけどね。
子宮の中のお母さん、子供を考えましょう。
子宮の中の胎児ですね、胎児。
胎児はお母さんの存在を知ってはいません、感じてはいます。
知ってはいません、感じてはいます。
自分がその中にいるお母さんというものの、それが環境そのものを見ることはできません。
知ることもありえない。
コミュニケーションもしていないでしょう。
でも感じてはいます。
ここから外に出ます。
今日は修正会社の話とかにせなしで、ここから外に出ます。
でもしばらくは中に入れた時とほとんど変わらない状態を維持しないとダメですね。
これを万能感の保持という意味から、ウィニコットという人は言ったんだと思います。
私万能だからと。
この赤ちゃんは愚かなという人がいるとすれば、自分はどうなんだと考える必要があるんですよ。
もう一つは、そんな万能の数がない、あんたは何もできないんじゃないかと。
でも生きてきましたね。
生きてこられました。
そんなのは偶然だろうと。
お母さんがやってくれたんじゃないかというのは100%そうなんだけど、
そのことを疑う意義ってありますかって話なんですね。
子宮はちなみにマトリックスで。
疑うことにお母さんは私のお腹の中にいる私のことをちゃんと考えてくれてるだろうか。
アルコールを控えてくれてるだろうか。
あるいはカフェインを控えてくれてるだろうかと。
そんなこと考えられるわけじゃない。絶対いないと思いますが。
あるいはうつになって死んじゃったりしたら私もオロトも死んじゃうよね。
考えてくれているんだろうかと疑うことが、
彼彼女なりの生存に何か役に立ちますかということなんですよ。
僕は全然役に立たないと思うんですね。
いくら疑っていくら心配しても無意味だと思うんですね。
だから安心しきって信頼しきっているのが絶対いいはずなんです。
私たちに飛躍しますが、ここで置かれている現状においても全く変わらないと思うんですよ。
今すぐ空気がなくなったらどうしようとか、そういう子供向けの話がありますが、
09:01
そんなことを心配することに何か意味があるだろうかと。
でも私たちはこれをやり始めちゃうわけです。
やるってことは何とか自分ならできると思っているところがあるわけですね。
とりあえずまず外に出ましたと。
出たばっかりの中じゃん、やっぱり同じですよ。
出た時にちょっとショックを受けたかもしれないけど、やっぱり私は万能だと。
全てのケアはなされるものだし、そういう事情の行き先すら一切知りません。
という状態ですよね。
この時にお腹の中にいたところのお母さんというのは環境としてのお母さんで、
外側からケアしてくれるんだけど、同じですよ、状況的に見ると。
このお母さんが一番最初にすることは何かというと、
名前つけるとかじゃないんですよ。
こんにちはいうとかでもない。
解釈するということなんですね。
赤ちゃんが泣く。
泣いたらそれに対して何か解釈をします。
赤ちゃんにとってニーズというのはないので、妙性がないんですね。
お腹が空いたとは言えない。
お腹が空いたという自覚もない。
眠いとか眠たいとかどう違うんですかね。
眠いとか眠たいとか言うこともできないし、
眠たいとか眠るとかという概念もない。
だからニードしかないんですよ。
泣く、泣くあるいは不快になる。
全部ニードです。
自覚もないです。
多少はあるかもしれないけどね。
それに対してお母さんが解釈を与えます。
まず解釈をするの。
まず解釈をするの。
この子は眠いのかな。
この解釈が途絶えるということは赤ちゃんにとって生存の危機ですよね。
この解釈が途絶えたということはもうやばいわけですよ。
しばらく解釈が途絶えたまま放置されるということになって
本当にいよいよまずいわけですよね。
あるいはこの解釈が間違っているということも赤ちゃんにとっては
たぶん実際そんなことはないけれども非常に危機的だと考える。
考える力はないかもしれませんがそう感じるでしょう。
眠たいのに食べたいことにされてしまい
だからこれは欲望が絡んでいるのかね。
眠たいのに食べたいにされてミルクを与えられる。
泣き止まない。
でも赤ちゃんのお母さんは何らかの事情があってこれをやめない。
これが解釈のずれですね。
この解釈のずれって絶対あります。
赤ちゃんは自分の願望が完全に理解できていない。
だからずれることは当然です。
完全に当たるということは滅多にないはずです。
しょっちゅうずれます。
これがちょっとまた飛躍しますけど
戸畑さんがカウンセラーやってたとき
あなたは人の心がわからない。
私がこう言ったときはそうじゃないと言っているのに
あなたはそのことに気づいてもいなかった。
人の心がわからないからカウンセラーなんかやめちゃえ
みたいな感じのことを言われるんだけど
こういうずれはあるっていうことがすごい大事なことなんですよ。
12:02
絶対ずれるはずだから。
この場合カウンセラーがやっているのは解釈ですね。
解釈が途絶えることはあるんですよ。
当然。
この解釈が途絶えたときに何が起こるかというと
ニードはニードにできないんです。
放置されてしまう。
不愉快なものを放置されてしまう。
暑いまま寒いまま。
時々ありますよね。
痛ましい事件が。
まだ夏ですから赤ちゃんが
急性熱中症みたいな感じ。
猛烈熱になりますからね。
暑い暑い暑いというニードがですね。
どこからも解釈されないということは
本当に存亡の危機なわけですね。
我々の解釈がなされないときに何が起こるかというと
例えばめんどくさいとかって言うじゃないですか。
めんどくさいというのは要望かというと
全く要望になっていませんよね。
全く要望になっていませんよね。
例えば昨日の書き上げ宿で
グラゾーさんかけません。
かけませんは要望ですかという話なんですよ。
かけませんはニードです。
めんどくさいもニードです。
そうですよね。不快です。
不快ですは要望になっていません。
赤ちゃんが泣いているのとは一見違って
恰好がついてはいるようだけど
何の要望にもなっていないんですよ。
お医者さんに言って調子が悪いです。
お医者さんに言って調子が悪いです。
かかりつけてよっぽど気心が知れていれば
でもやっぱりここでもそうです。
つまりお医者さんの環境としてのお母さんとして
完璧に機能するならば
それに対してあなたの不調もね
というふうに解釈は出てくれるでしょう。
でも何の解釈もしないと
ニードはニードのままでニーズにならないんですよ
とミニコットって人が言っているんですね。
プラゾーの産かけませんとか言った場合
あるいは掃除するのがめんどくさいとか言った場合
これ解釈を加えない限りニーズにならないんです。
多分身近にこれを聞かれている方は
身近にお母さんはいないと思うし
いたとしてももはや環境としてのお母さんとして
そんなものを一時全部解釈してはくれないんでしょう。
からこの時環境としてのお母さんは
もう自分の中にいるはずなんですよ。
ここでなんですよ。
その環境としてのお母さんは
どうやって作ればいいですかという質問をいただいたので
これはもともといるものなんですね。
私たちにとって。
だって生まれる前からいたんだから。
私たちが生まれようとしているその環境は環境としてのお母さん。
出てきた時には環境としてのお母さんが当然いる。
ミニコットが言った通りなんですよ。
一人でいいお母さんというものはいない。
ということはそういうことなんです。
もう同時に言えることは一人でいるお母さんというものもいないんですよ。
もしは一体で環境としてのお母さんがいないということになってしまったら
15:04
もう我々は生きていくのを危機なんですね。
だから象徴的なんですよ。
車の中に一人でいるというのはね。
迷子というのもそういうことですね。
私たちは迷子になるんですが大人になるとね。
環境としてのお母さんは横にはいないから。
でも私たちの心の中にそれはすでに備わっているんです。
備わっていないという人はこれを作り出さなければならないと
本当に言う話になるとすればですね。
その人は自分のニードは全部ニードに変えられないから
生きていくのはものすごい大変なものなはずです。
ただしそんなことはあり得ないと思います。
まずこれ聞いている段階であり得ないです。
これを聞きたいと思ったわけじゃないですか。
聞きたいと思わなかったらこれ聞けないですよね。
ただ不調ですとかめんどくさいです。
だからめんどくさいというのは解釈が途絶えているわけです。
解釈はしばしば途絶えます。
お母さんは忙しいからね。
常に赤ちゃんが解釈ばっかりになっていられない。
我々大きくなりについて母親からどんどん離れていくので
解釈がどんどん途絶えるんですよ。
その都度その都度混乱します。
ここでHSPを出すのはちょっと間違いかもしれませんが
先生さんと言われている人はつまり
この混乱に耐えられないと言っているように
私には聞こえるんですね。
だから傷つくだけではないはずですよ。
めんどくさいというのは頻繁にさらされていると思います。
傷つくんですよ。解釈が途絶えると。
傷つくでしょう。当然。
赤ちゃんは熱い熱い熱いと言っているのに
誰もやってきてくれない。
何の解釈も施されない。
傷つくんですよ赤ちゃんは。
ある程度傷つくことは避けられないので
この傷つきが過剰になってしまってはいけないんです。
過剰になるということは
やっぱり命に関わります。
命に関わらないとしても
非常に情緒的に問題ですよね。
だから解釈が途絶える。
対して解釈が間違うと。
避けられないんですよ。
グッドになって。
パーフェクトはありえない。
パーフェクトはありえない。
グッド、ベリーグッドということはないんですが
グッドになると少し必ずずれるから
途絶えもするし間違いもする。
その時に私たちは
自分で解釈をするという能力を
身につけられているのが理想です。
つまり書けませんというものをですね
書けませんという殻には書きたいんですよ。
そうですね。書きたくも全くないのに
書けないということで悩まないじゃないですか。
つまりこのニードというものは
必ずニーズに代わり得る可能性を決めていて
適切にリッスンすれば
必ずニーズになる。
傾聴するんです。
カウンセラーが傾聴するように
自分の声というものに傾聴する必要があるんですよ。
18:03
ニードのままにしておかない。
ニードのままにして放置する。
私たちは2つのことをまずやることが1つ。
偽りの事故というものを発達させる。
ここで出てくるんですよ。
フォールズセリフというもの。
偽りというだけあって
この偽りの事故のやることは嘘をつくんです。
嘘をつくんですよ。
例えばある程度大きくなった幼児が
お母さんお腹空いてないからと嘘をつくんですよ。
こうしてケアする対象というものが
つまり環境だったんですね。
母親が対象になってしまって
この対象というものの顔色をうかがったり
ご機嫌をうかがうことで
自分へのニードを満たしやすいような形を整える。
じゃあその偽りの事故ってない方がいいの?
ない方がいいんだけど
ないというわけにはいかないものです。
なぜならばお母さんは常に完璧な母親ではないから
グッといられるしかないから
ずれることもあればミスることもあります。
ただどうこしちゃまずい。
どうこすと何が起こりますかと言うと
この偽りの事故がどんどん発達していってしまうんです。
これが多分ある種のシフェストポールかな。
行き点を超えてしまうと
振ってるみたいなのもいいですけど
シンニュアリティみたいな
とにかくあるポイントを超えると
あるポイントを超えると
多分スピドイドとあるいはジゾイドといった
ちょっと病的な性格というものが発達しちゃうんですね。
偽りの事故は必要ですよ。
偽りの事故は別の言い方をすると
世話役の事故という言い方をします。
管理します。管理。
例えば掻き上げ塾なんか全く行きたくなくなったと
あれに行ってても何にもならないと思っているんだけど
でも解禁症を目指そうと
これが偽りの事故がやりがちなことです。
何かですね
ラジオ体操のスタンプを集めるみたいなことを得意とするんですね。
これをやることにより
外的にはうまくやっているという形式を整えられるんですよ。
偽りの事故というのは
能力を伸ばせば伸ばすことが非常にできるものであって
ほとんど偽りの事故だけで仕事をやっちゃっているという人だって
世の中には結構いるんですよ。
時間管理、お金の管理
これだけでも仕事できそうじゃないですか。
そしてですね
偽りの事故でライティングもしちゃう
ライターにもなれちゃう
ほとんどの部分はうまくコピペをしたり
いろんな技を使って掻き上げてしまう。
そして脳筋にもピタッと間に合わせる。
何が問題なのかと
掻きたくないということが問題です。
掻きたいとは欠片ほども思っていない。
これが偽りの事故です。
21:01
だから偽りの事故が発達している人にとっての口癖が面倒臭いになる。
当然なんです。
偽りの事故というものは面倒臭いんですよ。
それをしたくないのになるという能力を身につけているから
一番最初にやったのは
お母さんの環境、供給、ニーズ、解釈が間違っていたときに
偽りの事故が私自身の世話をした。
この世話は稚拙なものでした。
対象はミルクが飲みたいのに
寝かしつけに走ってしまうお母さんの時間がないでしょう。
そこで偽りの事故を発達させます。
僕ミルクなんか飲みたくないからと静かにしている。
これが偽りの事故の得意とする技です。
何の解決にも大抵なっていないんだけれども
でもこの場合、すやすやの寝ている素直な良い子という
像をお母さんに提供することができます。
そして環境供給の不備というものを
何かうまくここでまとめ上げたような
結末を迎えることができるんですよ。
当然偽りの事故をやっていることというものは
好きでやっているはずがないよね、こんなことを。
良い子であるとか見た目は整っているというのも
ちっともここに誰の要求も満たし得ていないという
実は現実があるんですよ。
忙しいお母さんにとって助かったぐらいの結果がある。
ところがこれが結構馬鹿にならないから
偽りの事故というものはすごく発展しがちなんです。
いろんな社会の難しさの中で
これはどんどん力を伸ばしていくんですね。
不登校、不登校じゃないな。
つまり学校に行くみたいなところが
偽りの事故でやっている子どもというのは
残念ながらたくさんいますよね。
だから夏休みだけとかも問題になるわけですよ。
我がっこめんどくせえってなるわけですよ。
だって偽りの事故なんだよね。
偽りの事故によって
本当は学校行きたくない私というのがいるんだけど
まあまあそれはいいからあんた引っ込んどいて
引きこもりですね。
引きこもりというのは心の中で起こることなんです。
ミニコットに合わせると。
元気に入ってきますが
楽しいよとかっていう偽りの事故がいてくれるんですよ。
だけれども結局行くのは自分ですからね。
めんどくさいわけです。
ずっとそういうのに頼って生きていると
ふと私何のために仕事しているんだか分かりませんと
言ったことになるわけです。
あるいは生きるのがめんどくさくなりました。
ニードですよねこれ。
カウンセラーのところに行って
生きるのがめんどくさくなりました。
何を言うのか全然分からないです。
生きるのがめんどくさい。
死にたいのかと
死ぬのは怖いですとかってなってくると
もう完全にニードじゃないですか。
この人は何がしたいのか分からない。
で、気をこなすときにすごくベーシックにですね
特に精神分析がどうのこうの言わず
24:02
特に知識がどうのこうのないという
場合でもあっても
必ずカウンセリング的に
人が必ずこの人に聞きたくなることがあるはずです。
あなたは何がしたいんですか。
ですよね。
あなたはどうしたいですか。
カウンセラーも聞くことがもちろんあります。
お母さんだって聞くじゃないですか。
あなたは一体どうしたいの。
何がやりたいの。
これが環境としての母親の
一番最初の問いなんだと思いますね。
出てきた赤ちゃんに対して
あなたどうしたい。
これがなかったら
解釈なんていらないですよね。
これこそがまさに
私たちがニードにぶつかったときに
聞きたい、リッスンしたいことなんですよ。
したくなるはずのことなんですね。
あなたは何をしたいのか。
書くのめんどくさいです。
あなたは何がしたいですか。
グラゾンさんが聞くと
このときにやっていることが
つまり環境としての母親を
グラゾンさんがやってくれている
ということなんです。
自分でできなくなったんで。
これを自分でやりましょうねというのが
昨日私が言ったことだったわけですね。
書き上げ塾の話です。
書き上げ塾ってこういう話をしているんですよ。
書く話と全然関係ないじゃんと思われるかもしれませんが
書くということを本を本というね
真剣に取り組めば
この種の問題は必ず起こるはずで
私はライフハックとか
ライフハックシュートとか
スクール管理とか
認知行動療法とか
カウンセリング心理学とか
いろんな話を見てきて
一番やっぱり根っこに
当てようと思ったら
ここに行き着くより他に
あなたは何がしたいですかと
なぜカウンセラーを引くんだろうと
フロイトはインビジブル
ウィニコットとかもそうですね
不可視の母親ということを
すごく意識したので
見えないところからこの問いをはずす
カウンセリングでは対面で
見えるところでこれをはずしています
この差は私は長期的には
大きくなるだろうかもしれないと思うけど
まあでもとにかく
根本的にやっていることは
究極的に問えば
同じなのかもしれないですね
あなたは何がしたい?
親だってそう聞きますよね
あなたは何がしたいのか
この問いは根源的だということですね
だから先送りにしたくなった時に
先送りにするということは
別のことをするということになるんだけど
別のことをするということは
もっと解釈しやすい別のことをするんですよ
だから環境としての母親は
ちゃんとそこでちょっと微妙なんだけど
機能はしているんですよ
つまり本を書こうと思った時に
面倒くさいとニードのままだったと
その時自分の中の環境としての母親というのは
27:00
解釈力が発揮できなかった
そこで代わりに小説を読む
そんなにレベルが低下していませんから
私は小説が読みたかったんだという風に
しちゃうんですよ
環境としての母親のニードを
ニードのままだとつらいので
ニーズに変換するんです
小説が読みたかったんだということにしようと
赤ちゃんは本当は眠いの
本当は本当の問題です
どの程度本当かと
眠くてお腹が空いているということはあるわけですよね
まず空腹を満たしたいのかもしれないけど
ここで母親は寝たいのに
ということにしちゃうんですよ
時間もないしね
先送りと時間の中ってすごい関係があります
だから本当は書きたいんだけれども
小説を読みたいことにしちゃう
これが僕は思うに先送り
だからここで自問をやめちゃいけないんですよ
つらくても
つらいというのは
心象ですからね
イリュージョンですから
つらいはずがないんですよ
赤ちゃんにお母さんがリッスンするときに
つらいと思うとすれば
それはやっぱり時間に追われている
忙しい
とにかくリッスンするのがつらいんじゃないはずなんですね
何がしたいのかと問うのが
つらいってことは本当はあり得ない
だけども我々は忙しいと思っていて
時間がないと思っていて
そんなのめんどくさいと思っている
つまりすごく偽りの事故が進歩してしまっているので
これをつらいと考える
そうしてもっと分かりやすいニーズに変換して
そこでニーズを満たして誤魔化してしまう
二つの誤魔化しがあります
一つは偽りの事故があんやくしている
偽りの事故というのは
つまりやりたくもないことをやりたいことにしちゃう
もう一つが同時にそれによって
やりたかったかもしれない
2番目3番目4番目を
一番やりたいことにしてしまう
という誤魔化しがあります
だからいかにも偽りなんですね
嘘なんですよねここにある
私はプラゾーさんの話を伺っていると
この偽りの事故に任せるというのは
非常にこう
なんて言うんですかね
彼自身の気質に多分
プラゾーさんご自身の気質として
まずこの偽りの事故で生きていくというのは
嫌なんだろうと
嫌なんですよみんな
私だって好きでやっているというわけではない
偽りの事故でやるということは
やりたくもないことをやりたいことにしてやる
当然誰だって嫌なんですけれども
プラゾーさんはここのところが徹底しているんですね
私が思うに
全く使っていないということは決してないです
30:00
そんな人はいません
だいたい服を着て歩いている段階で
偽りの事故ってある程度は機能しているはずなんですが
すっごい服を着たいと思っているかどうかは
疑わしいでしょう
と思うんですよね私は
だからといって裸で歩きたいかというと
それもまた違うと思うんですけど
いつでもどこでも絶対服が着たいです
というわけじゃないじゃないですか
でも我々人間はいつでもどこでも服を着ていますよね
偽りの事故はあるんですよ
人間である以上は
少なくとも現代社会においては絶対に
例えば時間だって
プラゾーさんはすごくルーズじゃないので
割ときちんと守る
でもすっごい時間を守りたい人かというと
そういうわけではないと思う
でも時間は大分守るということは
偽りの事故はちゃんと機能しているはずなんですよね
でもプラゾーさんはそれをミニマムにしようという意識が
私には非常に強いように見えるんですよ
多分かなり偽りの事故で生きていくというのも
試してこられたんだろうし
決してそんなに苦手だとは思わない
あの人よりも得意だという人は
私は知っているんだけど
得意でやることはこの場合自慢にはなりませんからね
要するにこういうことですから
偽りの事故というのは
今日も素晴らしいお仕事でしたと誰かに言う偽りでね
偽りの事故ですよね
現代社会であっちこっちで多用されている偽りの一つとしてはこれです
局所にするべきだとは何となくやっぱり私も思います
私の方がやっぱり使っちゃってますけど
私はやっぱりこれを使うというのが怖いんですよ
恐れの不安の中でも偽りの事故というのは
ほとんど使われることはなくなるはず
ちょっと遅れただけのメールでも
お返事が大変遅れましたという偽りを出すでしょう私たちは
じゃあお返事大変遅れましたって
心の底から言いたいのかというと
そんなことはないはずです
だから偽りの事故というのはあちらこちらで使われていて
しかもライフハックの対象にもなりやすい
やりたくないことですからね
多分お返事が大変遅れましたというのは
スラッシュ折って打つと
エキスパンダがパッと出してくれるという偽りの事故を
セットで持っている人もいらっしゃるでしょう
しかもこれは素晴らしいことだということにもなっているじゃないですか
つまり偽りの事故というのは
現代社会がそれだけ情報が慣れていて
活躍しているわけで
ただしこれを例えばなんですが
原稿を書くときには使わないほうがいいと
多分倉澤さんもおっしゃるんじゃないかと
使ってはならないとまで言うかどうかは
私には分からないですけど
私もやっぱりこれを使うのは文章を書くときは
極力やめておいたほうがいいと思います
何よりも文章を書くというのは
絵を描くみたいな話もそうですけれども
そう、倉澤さん音楽されてますけど
33:01
私は音楽をしている人が
偽りの事故で音楽をしまくるというのは
なかなか信じられないですよ
それだったらしなくてもいいと思うじゃないですか
これがちょっと文章はそこまでは言えないかもしれないけど
それと同じなんだと思うんですね
違うことをしたらいいじゃんってことになるんですよ
偽りの事故でやるぐらいだったら
偽りの事故で音楽をするというぐらい
音楽において私には分からないですけど
テクニックが圧倒的に優れてるんだけど
全く演奏なんて少しもしたくないし
歌も歌いたくないんだけど
人前で演奏して歌を歌ってますから
なんか相当変な感じがします
偽りの事故というのは
当作なのでひっくり返ってしまっているんです
もちろん目的と手段
手段の目的との差異があるものです
それでこの偽りの事故というものが
文章を書いているのを見つけたら
基本的にそれはやめてですね
あるいはそうしないとですね
偽りの事故に任せて文章をどんどん書いていると
必ずいつか先送りの連続になっていくでしょう
書くのめんどくさいですという話になります
当然めんどくさいわけです
書きたくないんですから
だからここで三つ出てくるわけです
あなたは何がしたいかというと
細かく解釈が提供されます
読者のために書くという話を
昨日プラゾロさんされていたし
この話の続きがですね
今朝一番フォトキャストで上がっていたので
気になる方はこっちを聞いていただければと思います
スポーティファイとかでも聞けます
これですねつまり
あなた何がしたいのと何が書きたいのといった時に
読者のためというのが出てくるはずなんです
書き上げ塾ではここをすごく
特にプラゾロさんが一回目から
強くおっしゃっているところなんだけれども
結局これがないと
偽りで書くことになってしまうのがですね
読み手のいない文章って変なんで
読み手が全くいない文章だったら
書かなくていいじゃないですか
書かなくていいというのが
さっきの話に戻ってくるわけです
つまり書かなくていいということは
偽りの自分で書かせときゃいいわけです
書かせときゃいいということは
その文章は何ていうんだろう
体裁さえ整っていれば
何であっても同じだという意味になります
服を着るというのが
偽りになっているんです
おおむね偽りの事故でやります
例えば運転もそうです
偽りの事故でやっているから
運転やばくないとか
言うことはないんですよ
偽りの事故というものは
そこに根本的な欲求がないという意味で
しかなくて
下手だという意味にはなりません
しばしば偽りの事故のほうが
上手いということすらあります
36:01
ここで小柄があるんだと思うんですよね
だったら偽りの事故に
何とか立たせてたほうがいいんじゃないか
それはおかしいんですよ
例えば奥さんとセックスの偽りの事故です
これはやっぱり私は非常に変だと思うんですよね
何とか立たせてますとかね
おかしいと思うんですよ
倒作そのものになってしまう
多分だからここで倒作という問題が
出てくるはずですね
めんどくさくてという話になるじゃないですか
したくなきゃしなきゃいいでしょう
ということになります
だから生きていくのがめんどくさい
めんどくさいという話にすら
なりかねないわけですよ
学校行くのももちろんめんどくさい
会社に行くのもめんどくさい
めんどくさいし先送りたいし
嘘をつくことになります
学校楽しいよというやつです
親を安心させたい
親を不安にさせるのが不安なんです
こういうところには必ず恐怖と不安がありまして
そして嘘があるわけです
そして何よりも存在していないのは
やりたいという気持ちがないということ
根本的にはここから話は始まったんですよ
環境としての把握
解釈のミスか
あるいは解釈の提供の停止
どっちかがあるはずです
それは自分の心の中の環境としての把握です
これを作り出せるかというと作り出せないです
お母さんというものを作り出せないように作り出せないです
もう既に機能しているのは100%の確実です
機能していないというケースが全然ないわけではないけれども
機能しています
ただ難しいというケースはあるんです
カウンセリングにかかっていなくても
精神分析とか関係なくても
難しいというケースはあります
例えば私はこういう話を聞いたことがあるんですけれども
絵を描きたいというニードがあったとしますね
もうニーズですよねほぼ
だけどお母さんが解釈をする
優秀な成績が取れる絵を描きたい
切り替えてしまう
人によってはこういう話を聞いたことがあると
代わりにお母さんが描いちゃう
子供のニーズは絵を描きたいなんだけれども
それを非常に独特の解釈を加え
子供は先生に褒められたいに切り替え
何ならコンクールに入選したいに描く
だからだったら私が描いたほうがいいという話になる
そうすれば子供自身は描かずに済むから
あるいは子供の手をお母さんが持って
で描いちゃう
ということをずっとされていると
自分のニードをニーズに変換しようとしたとき
まず物凄く面倒くさくなります
お母さんがそういう風にしてしまう以上
39:01
子供はもう偽りの軸をそこに
徹底的に動員するしかなくなる
これに激励のところ
強くは逆らえないじゃないですか
これで私はそうだ
人に褒められたいんだということに
してしまうので
いやいやそんなことはないと言って
本当の事故の子は
あなたはそこに休んでなさいと
偽りの事故になって休まされてしまう
これが引きこもりなんです
これが社会的に目につくようになると
社会的引きこもりということになる
とにかくあなた休んでなさいと
もう大丈夫だと
お母さんとうまくやる
うまくやれているかどうか分かりませんが
うまくやる偽りの事故がどんどん発展してくる
このまま大人になってしまうと
この偽りの事故を発展させた人は
偽りの事故って
その偽りの事故って何ができるかというと
お母さんの危険を取ることしかできないんですよ
だからすごくいろんなことができるようで
お母さんと一緒にいるときには
実際に離れてみると
お母さんのことが大好きなわけでもないのに
お母さんがいないと何もできないという
不思議な状況に置かれる
こういう話はでも現にいくらか聞きます
つまり解釈はできるんだけど
このニードルを解釈するのにしては
随分外れた解釈しか
自分の中からも出てこないというのが
いわゆるこの解釈をする上での難しさなんですね
でもそれはいないってことにはならないです
もう少しそのお母さんの機能を修正したり
補強してあげる必要はありますが
作り出す必要はないんですね
一からやり直すとか
そんなことをする必要はないんですよ
のはずなんですね
多くの場合私たちは面倒くさいとか言っているのも
いわゆる重たいタスクだけですから
重たいタスクを前にして
面倒くさいというのは当然なんですよ
つまりそれは解釈をうまくする
環境都市のお母さんが
うまく機能できていない場面に
遭遇したときに面倒くさい
実は私書くときはそうは思わないんですよ
書き屋弊職の方が話を合わせますから
なるべく面倒くさいケースを
面倒くさいケースを
イメージしながらしゃべりますけれども
私にとっての面倒くさいタスク
重たいタスクというのは
そういう意味では本当はないんですよ
私にとって今面倒くさくて重たいなと思うのは
整理書類の整理とか
例えば私のパートナーの大橋裕三さんとか
あれのどこが面倒くさいんだということに
困難になるわけですよ
なぜなら彼は
整理書類の処理に関して
いわゆるそういうものを整理する
なんとかすることは
専用の偽りに自分は猛烈に発展しているか
ないしは環境接種での母親の解釈が
非常に適切であるかのどっちかがあるか
42:02
そもそもそのタスクは
重たくてなんともないんです
つまりここのところで
倉園さんの言う通り
これはイリュージョンなんですよ
重いとか重たいというのは
私にとっての重いと
大橋さんにとっての重いと
倉園さんにとっての重いは
どれも違うんです
どれも違うというのが
客観的じゃないということですよ
ところが多くの人は
ここでそもそも
非常に不思議な発想を持っていて
重いタスクというのは
客観的に重いんだって
思っているのが結構いらっしゃるんですよ
誰も彼もがそれらに出たくないな
そんなことは絶対ないんです
私にとって原稿
特に書籍原稿を書くのは
少なくとも重くはないですし
大橋さんにとっては
確定申告の書類を揃えるというのは
重くも何ともないです
一番軽い可能性が
これ信じられない人には
何かそれはおかしいんじゃないか
って話になっちゃうじゃないですか
そういう人いっぱいいますよね
あのタスクが重くないはずはないと
確定申告は最悪だって思っている人
いっぱいいますね
私の知っている中に
でもみんな全部幻想ですよ
それは何か見てます
多分もう全然違うものを見てる
そしてそもそも解釈ができてないんですよ
あなたは何がしたいんだ
多分ゼロに関してしたいことが
何もないから面倒くさい
面倒くさいってこれだけが
泣いている子供のように出てくる
しかも偽りの事故というものも
発達していない
日本はやっぱり給料が
転引される形式を取っているので
服を着るぐらいあるいは歯を磨くぐらい
偽りの事故が発達する
というのがないんですよね
お母さんの顔色を伺ったというのも
税務関係の書類では多分ないでしょう
そういう意味で
結局何も発展しているものがないんですよ
そのために一番やりそうなことは
そうか私は今
税務書類の整理をしたいんじゃなくて
YouTubeが見たかったんだという
解釈を大幅に変えることで逃れる
これは先送りです
この話を私は百地荒れで
しなければいけないと
ずっと思っていたわけです
この話ってファクトリーのところでも
やり直さなければいけないところがあったし
書き上げ塾でもそのままの問題として
出てくるなと思ったんですよ
なぜなら原稿が重たいという問題は
後を絶たないところがありますから
偽りの事故で書いちゃダメだし
偽りの事故では書けますよ
偽りの事故では何でもできるんです
この辺も誤解されているんですけど
偽りの事故でも書けますが
偽りの事故では書かないと
解釈をずらしてもいけないと
起こることはできるものなんですよ
自分で自分に聞くしかないんですよ
ミスするとか
月に一回の講義で
倉園さんのところに行って
倉園さんからのお話を伺うことで
解釈を与えられて
45:01
昨日完全に解釈を与えられたんですよ
私たちは
読者のために書くということを
したかったんでしょうと
これをもちろん一言で言ったら
大事じゃないですよ
だからポッドキャストを
引いてくださいという話なんだけど
これをですね
倉園さんの思い立ちの話から始まって
だからみんな読者のために
書きたいということなんだというか
そういう気持ちがあるんだというものを
思い出して
思い出させてもらうわけですよ
それは私が一番やりたかったのは
ここで眠ることなんだ
ニーズに変換することができれば
あとは
話が早いと言いますか
確実に
その時は少なくとも
書きたいと
書けないじゃなくて
書けないのは書きたい
成立する
この機能解釈というものは
海づけと言っていたから
海づけでもあるんですけどね
わかりにくかったなと思います
グッドバイブスで使う海づけとは
しかも微妙にニュアンスが変わるから
これも同じ部分もあるんですけどね
解釈
ニーズに変えるということです
ニーズに変わってしまえば
あとは簡単じゃないですか
ニーズに変わっているけど先送りしちゃいます
というのは
全くこの話がスルーされているんですよ
偽りの事故でこの話を聞いていた
ということですよね
ニーズというのは
食べたいということですよ
食べたいとか寝る
寝たいとかそういうことですよ
そうなったら簡単じゃないですか
トイレに行きたい
行けばいいわけですよ
それはニードです
どこにも用語がないですから
自問をするということですね
私はその最後のところで
親と話をするという話をしたのと
これは多分わかりにくかったと思います
個人的な事情も多々入っているので
編集さんと話をするということは
私の中では聞き目があります
編集さんと話をすると
やっぱり私のニーズというニードは
あなたは何で書きたいのか
ということをスパッと
思い出させてくれるんですね
偽りの事故じゃなくて
やっぱり上手い人は上手いんですよ
上手くない人も上手いことを
やってくれちゃうんですよね
例えばちょっと小儀礼な若い女の編集さんとか
上手くはないのかもしれないけど
佐々木さんはやっぱりいいんですよね
とか言ってくれれば
何で書きたかったのか
一発で思い出せるんですよ全部
私はどっちかというと
どっちかというとじゃなくて
私に対する女性の批評としては
キモいか生理的に受け付けないか
絶対無理なその辺だったので
これ読んでいると癒されるとか
絶対なかったので
48:00
スパッとこうへーへーと思って
すぐそうかこれは
どっちのために書こうという
気持ちにさせてもらえば
実に上手いわけじゃないのかもしれないね
男性の編集さんの場合はですね
やっぱりこう
違ったところがあるんですみたいなことを
上手いことですね
最後の最後の
打ち合わせの最後の最後の方で
ポロッとしゃべるんですね
あれもわざとやっているのか
スキルでやっているのかは知らないですけど
上手いんですよその辺は
年配の方っていうのは
なんか別れになるように
ポロッとやるんですよね
あってた時がね
そうするとその日はもう一生分ぐらい
進んじゃうんですよ
ここで最初の話を
思い出してほしいんですよ
万能感というやつですね
私たちは至急の中にいて
ほぼ確実に万能感を持っていました
これは絶対もう疑いようはないと思います
疑う能力がないから
彼はバカですかって話なんですよ
クレバーな人はそういうのに騙されずに
いやいや編集さんはただお金が欲しい
というかノルマを達成したいから
ここで上手いこと言ったんだよという
疑う能力は僕に何をもたらすのかと
そのニードをニーズに変換してもらった上で
さらにそこに疑いを差し挟んで
そういう言葉には踊らされずに書こう
みたいに思う
その猜疑心という能力は
私に何をもたらすんだろうと
それはやっぱりですね
赤ちゃんがお母さんのことを疑うことによって
なんかうまく自分に有利に
ことを囲めるんだろうかという問いと
僕は本質的に変わらないと思うんですよね
結局本が出せると
出せるケースの方がある意味では
私にとってはですけど
集さんさえ信頼しておけば
それだけでも出せるケースっていうのは
多いわけですから圧倒的に
編集さんというのが他人ですよね
第一の読者でもあるけど
この上で読者さんと環境というのは
つまり運命みたいな話になっちゃいますけども
この現実を信頼しておくと言った
これはプラズマさんのお話ですよね
マイクスの
そうしておくことで書けるんですよ
書きたいというニーズが成立する
現実を信頼できなかったら
書きたいというニーズは成立しないじゃないですか
書いているうちに核戦争が起こりました
ダメですよね
だけれどもそのように疑うことが
私に何をもたらすのかと
書けなくなるわけですよね
どうもありがとうございました
50:39

コメント

スクロール