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おはようございます、グッドモーニングヴァイブスです。
お盆ですよね、今。
やっぱりグッド、視聴者数が減ってくるという、面白いなぁと思うんですよ。
つまりこれは、働いているということと、これを聞くということが関連させられているという方が少なからずいらっしゃるということを意味しますよね。
もちろん、この期間も大変だけど働くという、お疲れ様なんですが、暑いしね、体に気をつけて働いていただければと思いますが、
僕も働いてますけどね、これを聞きながら働いているとか、働きに行くときに聞かれるという方も結構いらっしゃるんだろうなと、いろんな意味でね。
明らかにガクッと減るんですよ。朝見ると再生数って今出るんですね。
頻繁にアンカーの仕様も微妙なレベルで変わるんですよ。
Facebookとかも割とそうですよね。微妙な、ちょっとだけ変えるというのがいろいろ出てきて、その時時々再生ができなくなるとか、記録が落ちるとかいうことも起こるんだけど、
その中で再生数がドーンと出るんですけど、大体ですね、30ぐらい減りますね。
だから朝この時間に見ると大体100前後、いい時で100いく、悪い時で90みたいなのが、今いい時で75ぐらい、悪い時で69とかそういう数字になるんで、
なるほどなと、今お盆なんだなってすごく感じます。連日少なめですね。
タスクシュートという文言をタイトルに入れると確実に上がるんで、それが入ってないのも大きいと。
順次でGTD、さらに仕事術、その他にライフハックみたいな。
つまりこれタイトルは間違いなくGood Vibesを意識したタイトルですが、Good Vibes的な話を盛り込んだ時ほど、
タイトルを中心に添えると伸びない。だからこれを伸ばしたいと思うと簡単で、毎回毎回タスクシュートタスクシュートって書いておいて、
喋っていることはGood Vibesにしておくというのが一番いいんでしょうけど、
あいにく僕はそういうのをしたくない口なんで、これですね、本当は真剣に考えて上手にやるべきなんですよねとは思ってます。
でもこれが終わるとすぐ祭司を起こすとか食事の支度をするとか間髪入れずという時間になっているので、
じっくり考えている余裕がない。じっくり考えていると今度アップするのを多分忘れるんですよ。
アップするのが夜になるとか翌日になるとか。
ちなみに翌日になるとアップする気が全くしなくなるんですよね、不思議と。
前の日に撮って上げてないやつ、僕そのままボスにして、削除しているのが結構あります。
それ上げとけよって言われると思うんですけど、気持ちの問題ってやつでして、何喋ったかもほぼ覚えてないんですよ。
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喋る前に何を喋る気であるかも全く意識していないってことは、喋った後も全く覚えてないことが多いんですね。
覚えていることもありますよ。
昨日こういうこと喋ったような気がするぐらいのものが漠然と覚えていることはあるんですけど、
これ上げないとほとんど完璧に忘れることが多くて、多分これは記憶がそういう作用を起こすんだなと。
これはまだしも覚えているんだけど、タイトルを付けてあげると。
タイトルも付けずに上げずに置くと完璧に忘れちゃうんですよ。
それを上げようという気にならないし、そもそもそれに何のタイトルを付ければいいか分からない。
ディスクリプションとタイトルが必須なんで、無駄に説明なしみたいなのをアップするわけにはいかないんですね。
その日の日付を入れときゃいいって感じもしなくもないんですけどね、はっきり言って。
タイトルにgood morning BIOS 434以上みたいなのでもいいかなと思うんですけど、
まあまあ何か入れようということでやってます。
昨日何の話をしたかというと、漠然と覚えてはいるんで、
その話の続きを、続きはないんですけど、しようかなと思ったんですけど、
このgood BIOSというのは昨日喋ってて思ったんですよ。
これもなぜ昨日喋っててそんなことを思うんだと言われても説明できないんですが、
喋ってて思ったんですけど、時代にすげえ逆行している面があるなと思ってまして、
これは割と最初の頃から思ってて、今でもそういう感じの側面は否めないと思うんですね。
だからいいと思っています。思っていてばっかりなんですけど、
今の時代というのはジゾイド的だと思うんです。
メインとしては。精神分析用語で言えばジゾイド。
ジゾイド人間というのをお好みさんという方も書いていますし、
同じようなことを和田秀樹さんという、どちらかというと私にとっては数学アンキダドで有名な人なんですけど、
あの人はすごい人で、ベストセラーやだら出していて、
私も人のことは全然言えないんですけど、ベストセラーの話じゃないですよ。
職業不詳な観音のある人。今多分精神科医なのかな。
数学はアンキダの人です。
彼も書いている。
僕が思うに精神分析って別に人タイプ分けほぼしないんですよ。
そういう意味でもちょっとグッドバイブスと相性悪くないと思うんですが、
でもあえて意識に入っているものに、やっぱりヒステリー的な、
ヒステリーという言葉は今ないけど、多分でも内心ではこの人はヒステリーっぽいぐらいは意識している方は結構精神分析の人では少なくないと思っていて、
それがタイプ1として絶対僕はあると思うんですね。
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タイプ2として今主流と言ったらあれかもですが、
あのがジゾイドかな、スキゾイドとも言います。分裂タイプというやつですね。
分裂タイプとヒステリータイプって多分パッと見全く違って、こういう分類がいかんのですけど、
意味付けですからね、これ。
でも二刀裏っていうのは僕はいいと思うんですよね。二刀裏ってえらい少ないじゃないですか。
この分類でカテゴライズはできないということを強く自覚させるに十分な少なさだと思うんですよ。
9とかあるから9ならいけそうだとか人は思っちゃうんですけど、
1億2千万人9で分けるのはナンセンスじゃないですか本当は。9少なすぎるわけですよね。
そしてなんとかダイナミクス20とかにすれば良さそうですけど、いくらいくつにしてもダメだと思うんですね。
ところが2ならダメなのはもう自明じゃないですか。だから帰っていいと思うんですよ。
2ってのはつまりヒステリー。これはもう精神分析の最初の歴史から来てるから。
あの時代には多かったからですね。
もう一つが今多くなってると僕は感じるジゾイド。この二刀裏がメインかなと思うんです。
ヒステリーは古典的で昔から扱われているし、分裂の方、ジゾイドの方は多分ミニコットあたりが
主にすごく見るようになったのかなという感じが少しあります。
まあこれはすごいいい加減なんで、本当のことは何も喋ってませんからね。
ただ僕の気分を喋ってるくらいな感じなんで、このまんまを喋ると正しくない恐れが多々あります。
こういうことを喋ってるとフェイクニュースみたいですよね。
ジゾイドというのは要は分裂気味なんですけれども、一言で言うと本当の自分というか
本当の自分が後ろに隠れちゃっているんですね。
ある意味僕もなんかもそうなんですよ。なぜ今のような時代にっていうかというと
ジゾイド的な方向のことがすごく良しとされている。これが時代の方向性だと思うんですよ。
レッドワイブスが逆行しているっていうのは反ジゾイド的だからなんですよ。
まず分裂というものを良しとしないですよね。分裂は分離そのものなので。
分離を良しとするんですよ、ジゾイドというのは。
心の中でも対人関係、現実の対人関係でも面倒臭い人とは距離を置くっていうのって今の時代では当然とされてるじゃないですか。
その延長線上じゃないですけど、むしろそういう流れを形作るものとして、
例えばナイフスタイルにAmazonみたいな非常に便利なものがある。
これがどうして結びつくかというと、家から一本も出なくても生きていけるじゃないですか。
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ナイフスタイルに対する批判って良くないと思うので、それはそれで良いと思うんですけれども、
方向性としてこれが面倒臭いからとか、手に負えないからという理由で分離を繰り返していくとですね、
何て言うんですかね、分離しちゃうんですよ。
分離しちゃうだけじゃ十分じゃないですね。
トラウマがあるって感じになっていくんですよ。
トラウマが現実化するっていうのかな。リアライズするっていうんですかね。
要するに面倒臭い人がトラウマなんですよね。薄いトラウマですよ。
いきなり後ろから襲われたとかそういうレベルでは全くないと思うんですよ。
でも例えば仕事を始めてすぐに何か恐ろしいクレームをもらった。
結構トラウマじゃないですか。長らくやっている人から見れば何てことないかもしれないけど、
来卒すぐの人がしかもそういう少し調子が狂ったようなのをいきなり受け取らないですよね、避難として。
受け取ることもあるかもしれないですけど。そういうことがトラウマになって、
面倒臭い人とは距離を置かなければいけないっていう風に考えて、みんなもそうだそうだと言うので、
一つ突いた手を立てるわけですよね。
ユニコットが言うのはそういうことです。突いた手を立てる。
距離を置くっていうのはやっぱりそういうことだと思うんですよね。
そして距離を置いていく。その過程の中で距離を置くということは、
ダイレクトの関わりというものはできなくなりますから、こっちも突いた手があるんでね。
物を買ったりするとか、物を売ったりするとかいうときに、できればダイレクトには関わらずにやりたい。
そうすると今の時代っていうのはいいわけですよ。
まずオンラインで繋がってる。でも繋がってるだけではダメですよね。
決済なんとかシステムみたいなのがないとやり取りができない。
で、あるわけですよ。あれ昔ネット初期の頃はなかったですからね、あんな便利なもの。
そうするとだんだん人と直に接しなくて済むじゃないですか。
そうすると何をここで起こってるかというと、分析的な話をすればですけども、
いいお客さん悪いお客さんなわけじゃないですか。
で、いいお客も悪いお客もそこから依頼と供給がくる。
つまりお客さんはお母さんなわけですよ。依頼と供給がくるわけですが、
嫌な依頼とか、あるいはクレームとか。クレームって嫌な依頼ですよね。
シャットアウトすると。そうするといい依頼にも実はアクセスが難しくなるし、
お金をもらうという供給もアクセスが難しくなる。
そこで間接的な方法、つまりオンラインを使うわけですね。
そうすると悪いお客さんの方はシャットアウトしやすくなりますよね。
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非常に理にかなっているんだけど、これはすっごくジゾイド的な方向に向かうんですよ。
で、これ何がいけないんだろうって思うじゃないですか。
うまくいけばね、家に一部屋だけ作って、絶対その家のありかは知られないようにして、
なんならですね、今まだ無理ですけど、あの昔ドラえもんのにあったと思うんですよ。
遠くから見るとその家ないみたいなね、風景になっちゃうとかそういう風にすれば完璧ですよね。
その家は住人はいるんだけど、その住人はオンラインでつながっているから、
必要なものはアマゾンが届けてくれるし、なんならヤマトとかでもいいんですけど届けてくれるし、
そのためのお金はオンラインでつながっているお客さんに売ればいいんですよ。
このライフスタイルを例えばデイトレードとかで実現している人は今の世の中にはいると思います。
そういう方は例外なくとは言いませんが、少なからず強くジゾイド傾向を持っていると思うんですよ。
だって関わりたくないからそうしているということは、関わるということは嫌な目にあうということを意味するじゃないですか。
ここに何の疑問もたれないと思うんですよ。人と関われば嫌な目にあいますと。
だってこないだのような事件もあったじゃないですかと。最悪の場合ね。
そういうところまでいかないにしても嫌なことって絶対ありますよねと。
僕も全くそう思っていたんですよ。
だからそういうビジネスの方向性というのは非常に僕には素晴らしい考えだと思っていたんですね。
今でもこれ素晴らしいと思われていると思いますね。
一つにはこれをやり続けるとごく単純にビジネスの規模はおおむね縮小していきます。
それはうまくやればあんまりそうならずに済むかもしれませんけど、やっぱり良いお客と悪いお客を分けているのでここが大事なんですよね。
良いおっぱいと悪いおっぱいは同じところから来ていますね。でも赤ちゃんはそうは考えない。
つまり分裂という言葉はよくできているんですよね。分ける。分けると自分も分かれるんですよ。
良いおっぱい用の自分と悪いおっぱい用の自分に分かれるんですよ。
原図に対してみんなそうするじゃないですか。
良い虫と悪い虫みたいな。鬼はやっていれば絶対そういう風になりますよ。
良い虫には良い自分がいて、悪い虫には悪い自分がいて、悪い虫用自分がいて殺虫剤ガンガンまくんですよ。
でもそういうことをしていると土壌が荒れるとかそういうことが起こるんですけどね。
この辺はまたどういうシチュエーションでも必ずこれが起きるというところが面白いんですけど。
つまり必ずそこにエディフスが登場しちゃうんですよ。
お父さんがやってきて良いのも悪いのも同じだぞという教えを垂れていくんですよ。
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垂れる人間がそこにいなくったってそういう現実に直面するんですね。
これを現実原則って言うんでしょうね多分。
良いお客さんと悪いお客さんを分けて悪いお客さんをどんどん排除していくと良いお客さんだけが残るということになるじゃないですか。
でもこの段階ですでに規模は縮小せざるを得ないわけですよね。
もしかすると悪いお客さんは倍はいないかもしれないけど少なくともいるわけですよね。
減らすことになるじゃないですか。
もちろんそれでもいいんだという話だと思うんですよ。
収益が減るけれどもそれはもうそういうものとして受け入れると。
面倒な人と関わるぐらいならもう少し収益が少なくなってもつつましくやっていけばいい。
なんか良心的な感じすらあるじゃないですか。
だからこの地蔵入土というのは歯止めが効かなくなるんですね。
最初に申し上げたグッドバイブスはこの時代の傾向に逆行しているというのは
分け隔てなくしようという意識がどうしても働かざるを得ないから。
なぜなら一つ意識だから。
で一つじゃないですか。
良いおっぱいも悪いおっぱいも一つじゃないですか。
二つはないんですよね。
いやでも良いお客と悪いお客は二つでしょうと思われるかもしれませんけど
そうとは限りないですよね。
良いお客は悪いお客になり得るし
悪いお客はいいお客になり得ますよね。
ここを意味付けてはいけないわけですよね。
グッドバイブス的にはですね。
でもビジネス的に言うならば
じゃあ悪いお客になったのとどんどん切っていけばいいじゃないかってなると
縮小傾向に向かうんですよね。
この縮小傾向というのは
すいません。
何て言うんですかね。
どこで歯止めを効かせるんだという問題が常につきまとうと思います。
結局最初に起こっていることは何かというか
一番の問題は悪いお客には対応できないという恐怖感なんですね。
悪いおっぱいだと自分は死んでしまうと思っている赤ちゃんとほぼ同じなんですよね。
エディフスには必ずそれに対するケアがあって
いいのと悪いのは同じなんだぞという教えの中には
悪いとあなたが思っているそれがやってきても
死んだりすることはないんだよという
そういうケアでもあるわけです。
だからエディフスは理想というものと関係があるんですけれども
それが非常にグッドバイブス的に言うと
現実なら何とかなるというのと
僕はこうしているなという感じがするんです。
こう分けるといいのと悪いのと分けると
悪いのは排除するという風にしていくと
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自分の中の悪いのに対応する対応部分も排除していくことになるんですね。
あるいは悪いのが来た時は本当の自分を引っ込んで
対応する自分を外に出すと
これがウィニコットが言ったことなんですよね。
トラウマに対してトラウマと遭遇しちゃった時
私たちは何をするのかと
自分を分裂させるんだと
だから分裂型なんですよ。
ジゾイド型なんです。
自分を分裂させるんだと。
悪いのが来ましたと
すみませんすみませんと言っているんだけど
それは悪い相手対応用の私であって
本当の私は後ろに引っ込む
この本当の私という表現はやめといたほうがいいと思うんですけど
ウィニコットがトゥルースセルフとかって言っちゃってるから
しゃあないんですが
敬意を表してこの語を使うんですけど
この語はね、そうでなくても混乱しがちな
この分野にますます混乱を増やしている感じが
僕なんかしちゃうんですけどね
とにかくフォールズセルフみたいな
偽りの事故というものを出すと
やりますよ、これは
現代社会ならみんなやりますね。
例えばちょっと親しくしている著者の人から
本を出しましたって
私がダイレクトメッセージに受けるとするじゃないですか
本当の自分が読んで本当に思ったことを
本当にそのまま書けるかといったら
微妙ですよね
いや素晴らしいと思いますとかは
言わないかもしれませんが
でも言わなきゃならないケースだって
あるわけじゃないですか
偽りの事故はしょうがないですよね
そして相手の作ったものが常によく見えるとは
確かに限らないと思うんですよ
悪い作品、良い作品ではないですけれども
分裂はある程度はしょうがないと思うんです
だけどこれが止めどもなく進行していく
もうなんか反自動的にね
相手が喜びそうなことをコピペで出すと
そして本当の自分は
チッと思っているんだけど
それはもう全然ずっと後ろに引っ込んでいるから
そういう嫌な思いすらせずにする
これが理想的な生き方だって今はされているんですよ
そして来ると
どんどん自分に分裂をしていくほど
むしろいいんだぐらいのノリになるじゃないですか
これが本人の苦しみを少しずつ増していくはずなんですよね
ていうか僕はそうなったんです
この話は
継続してちょっと
継続できるかな
でもなるべく継続させたいんですけど
要するに
悪いという相手は
怖い相手なわけですから
その怖い相手と対応したくないから
こういう戦略に打って出ているわけですよね
その怖い相手というものと
対峙できない自分というものが
そのために
偽りというものをどんどん増やしていく
ていうやり方というのかな
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ライフスタイルが
しかも今気づけつつあるという感じがするんです
縮小していくっていうのも問題だとは思うんです
ビジネスだから
もうけられなくなっていく方向へ
られなくなっていく方向へ出ていくと
だんだんだんだん
出すものがうそくさくなっていきますからね
ある意味では
一方で言うと自分じゃない方がいいわけですから
この考え方って
でも一番僕がよろしくないと思うのはですね
儲からないことももちろんよろしくないんですけれども
本当は
出したくないものばっかり
出すことに
そうで
自分が
出すことに
そうで間が空いておりまして
二宮町からの熱中症の
あれがなってしまって
アップする前に
いろいろなことが起きちゃったからなんですけど
要するに
いいお客
悪いお客
いい会社悪い会社
でも何でもいいんですが
悪い方の自分というものを
こう
悪い方に対応する自分というものを
言う時に
本体を出したくない
そういう分裂の癖があるとですね
シュリンクしちゃう
ビジネスが縮んじゃうということ以上に
僕がやっぱり一番
気になったのは
やりにくくなるんだなってことなんです
面倒な人を避けると
やりやすくしかならないと
思われると思うんですけれども
現実には
これを気にするっていうことが
まず一つ出てくるのと同時にですね
グッドワイブズというところの
依頼には本気で答える
というのがありますが
できなくなってしまうんですよ
ある種の非常にグレーなもの
100%クレーム以外の
何物でもないのはまだしも
何とも言えないものもあって
そういうのも
面倒くさいんですよね
避けて当然ではないかっていう意見は
結構あると思うんですよね
普通に
そういうのを当然のように避けていると
本気で仕事をするっていうことは
僕の感じではですね
ほぼ不可能になるなっていう
印象があるんです
本気で仕事をするのは
面倒なことなんですよ
ある意味では
だって
例えばタスクシュートなんかでも
そうですけれども
グッドワイブズと言わずとも
タスクシュートでもそうですが
分かってくれる人にだけ出せばいい
っていうことになると
ある意味では
一番届ける価値が高そうな人には
相手にしないってことになりかねないですよね
24:01
実際にはそうはならないですけどね
そんなに単純な図式を
成立させるのは不可能だし
単純なフィルタリングを
作り出すのも難しいので
ただ
人と一緒にやっている仕事は
様々な方針があって
当然なんですけど
主に自分だけで
やっているような場合はですね
クレームと依頼と
つまり
良いお客さんと悪いお客さんを
区別するなんて
無理なんだなっていう風に
思います
言い方次第だと思うんですけども
あるじゃないですか
一元産を断りみたいなやつですよね
本当に分かってくれる人だけが
来てくれればいいと
私は
それは一面真理だと思うんですが
ある意味逆だなと思いもするんですね
一番分かってくれない人が
一番分からせる価値が
高いと思うんですよ
ある意味では
この言い方乱暴ですけどね
分かってもらいがいが
一番あるところを
避けちゃうことになってしまう
そういう意味で
避けちゃうことになってしまう
避けた方が
100%楽ならば
まだしも僕なら
僕でも避けると思うんです
やっぱり
ただ僕はそうじゃないんですよ
こうやっていると
だんだん
一見自分の力を
温存できるような感じが
あるにもかかわらず
実際にはそうもならない
何かひどく警戒しつつ
とっても大変な
ある意味大変な
不思議なんですけど
大変な力の節約の仕方を
する感じになっていて
自分は
そういう方針であるところと
一緒にやるケースは
別として
自分がやる場合には
いいと悪いを分けないというのが
一番やっぱり
自分の
自分の
統一感を妨げない
という感じがしますね
今であれば
この考え方をやっぱり
悪いというものを避けるという
距離を置くという考え方を
採用していくと
どうしてもですね
例えば本当に思うのは
家族を後悔させるしかないな
と思うんですよね
妻が常にいい奥さんであるとか
子供が常にいい子である
ということは
ナンセンス極みなんだよ
本当に
そう考えてみると
仕事を一緒にやる人だって
常にいいパートナーであるとか
不可能なんですよ
本質的に
27:00
いつもいつも全く
自分にとって都合のいい面だけを
出してくれる人なんて
嫌しませんから
そう考えてみると
相手の調子が悪い時の方が
お客さんなんて
ましてはそういうもんだと
思うんですよ
虫歯の治療で
最近私が行ってて思うんですよね
自分の歯が治しやすい歯の時だけ
このお医者さんは良くしてくれて
難しいところが虫歯になったら
なんか放置されるとかだと
困りますよね
こういうことって
でもサービス業だと
微妙なところが
出てくるわけですよ
お医者さんとは違いますからね
そういう感じのことを考えて
良いと悪いというものを
分けるということが
いろんな形で
自分を一番単純に言うと
分裂させていくんだけれども
分裂させた上に
本体の
現実との接触を
機械を奪うと
本体って言い方になっちゃうんですけど
本当の自分っていうんですか
これが自分の中の
インナーチャイルドだっていうのが
例えばアダルトチルドレンとかでの
言い回しなんだと思うんですけど
僕はこれが小さな子供だとは
思わないんですよ
そういうイメージでは全くないです
自分の本体というのは
確かにある感じはあるんだけれども
何よりも分裂しないってことかな
というふうに思います
その分裂していない自分が
出ていくということが
多分実は面倒だと
言われていることなんだと
思うんですよね
つまり本当の自分が
現実と関わるということ自体が面倒だと
ジゾイド的な時代では
言われちゃうんだと思うんです
これがやっぱり
生きていくうえで
ひどく厄介な状態になってしまっているのは
間違いないような気がします