1. グッドモーニングボイス
  2. 頑張っていたライフハック時代..
2023-11-10 39:38

頑張っていたライフハック時代のこと【GMV 874】

タスクシュートで人生に「参加」していました。

サマリー

彼は、頑張っていたライフハック時代のことについて話しています。彼は頑張っていないと言いながらも、ライフハックを頑張っていた時期があり、その時の心情や読んでいた本について述べています。大学時代、彼はロレンスであることを自負し、専用区やアスクシュートなどの特別許可書やアクティビティを通じて自己肯定感を保っていました。これらは頑張っていたライフハック時代の話であり、自己分裂やニヒリズムと向き合う中での苦悩も最大の特徴だと言えます。彼はライフハック時代の参加感覚とは何かを考えています。彼はタスクシュートによって参加感覚が高まることに気づきました。タスクシュートは一番生産効率が高い方法であり、書くことによって参加感覚が引き出されます。彼はアウトライナーよりも前から順々に書くことが早いと思っています。しかし、アウトライナーがある場合でも前から書いていくと考えています。彼はひたすらスキャンスナップを使って書類を取り込んでいます。

頑張っていたライフハック時代の心情
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
はい、11月の9日、木曜日の20時14時19分ですね。もうすぐ夜9時です。
えー、まあこれをアップするのは明日10日のはずなんです。
なんで、まあ今夜ですけどね。
この辺がちょっとね、どういう風に今後していけばいいのかっていうのがまだ引っかかってるんですけど、
明日の朝はちょっともう、かなり厳しそうなんで寒いって言ってるし、
この寒いっていうのがもうね、癖もので、私はこう、やっぱ寒いのは基本嫌なんですよ。単純に。
まあまあ、別にね、まあ冬になってるわけじゃないんで。
えー、やろうと思えば、これを撮るぐらいはなんてことはないんですけど。
まあ、えー、明日になって全く、まあこれを考えてもしょうがないですけどね、
明日になって全く撮る気がなくなっても、まあ今日のうち撮っとこうと。
少し余裕がありますからね、今ね。
こんな感じで考えております。
またですね、さらにほんのちょっとずつ、11月19日。
まあ、告知を一生懸命させていただいておりますが、
あのー、倉園さんとのタスク修道対談。
もうなんかこういう言い方になっちゃってます。
2時間を自由に、時間を自由に使う2時間みたいな、そういうタイトルなんですけどね。
あのー、まあこれを、えー、19日にやります。
アーカイブ配信もありますので、あのー、よろしければ、
ぜひですね、あのー、よろしくお願いします。
はい。
で、えー、まあまあ、19日までまだちょっと1週間ぐらいなので、
えー、この辺、次の週にちょっと入ってくると期待したいところですね。
はい。
えーとー、これでいいか。
で、あのー、今回のお題はですね、えーと、あれなんですよ。
リクエストいただいているのがあるので、
これをちょっとしゃべろうと思っております。
えーとー、私がこう、まあGoodFives以前と言いますか、
ライフハック頑張っていた頃どうだったのかという話を、
えー、してみたらいいんじゃないかっていうお題をいただきまして、
ライフハック頑張っていたっていうのは非常に僕の中では、
えー、不思議な話で、えー、ということは、
あのー、前にお話、つい最近話したばっかりですけど、
やる気のなさをライフハックがカバーしてる。
これはもう僕にとってのライフハックの定義なん。
確実に僕はそうしてるんですよ。
だからライフハックを頑張ってるというのは、
そもそもおかしな話で、
頑張らないからライフハックなわけですね。
えーと、が、今頑張ってるわけですよ、私は。
今は、あのー、もう全然ライフハック抜きでも、
まあ抜きっていうのは、それはそれで微妙におかしいんで、
抜きってことはないんだけど、まあライフハックありで、
頑張ってるわけですね。
やる気はあるわけだから、今は。
えー、やる気がない時よりもはるかに、
まあ頑張りやすいわけですね。
で、当時は頑張ってないわけですよ。
まあ本人の中ではね。
普通にやや満ちていたけれども、頑張ってはいない。
頑張らないように頑張ってるから、
えー、苦痛に満ちてるわけですけどね。
だからあれなんですよ。
もうこれも先日お話した通りで、
ライフハックを通じた本の読み方
えー、私は学生時代がこう一番どん底でですね、
何にもやる気がしないのに、めちゃくちゃつらいというね。
おかしな話なんですけど、
ほぼ何にもしてませんでしたね、あの頃はね。
あのー、まあ例えばですけども、
愛読書というと、アルベール・カミュとかね。
なんかね、こういうことを言ってるとか、
こういうことでも言ってるように聞こえるかもしんないんですけど、
あれなんですよね。
カミュの書いてることって、
あのー、要するに、なんつったっけあれ。
あのー、草津温泉とか行くと、いや積んであるやつですよ。
サイの変わらずみってやつね。
シジホスの神話とかっていう小説があるんですけども、
あれも小説とは言いがたくて、
要するにサイの変わらずみは崩れるよねって話をしてるだけなんですよ。
崩れるんですよ。
それは当然、石上に積んでいくだけなんで。
それにしては奇妙に、こうね、
あのー、ものすごく踏みに積む人もいますが、
踏みにいくら積もうと、いずれは崩れるわけですよ。
当たり前なんですよね。
シジホスの神話は、岩を山の上まで、
一生懸命のぼさらせていくと、
やがてゴロゴロと転げ落ちると。
人間のやってることというか、
人生ってそういうもんだよねっていう、
まあ一面そういう言い方はできるんだけど、
僕はこれを全面そういう風に覆ってたから、
もうなんかこう、シジホスの神話を読む以外、
やることがないわけですよね。
今でもよく覚えてるんですけど、
カミュの神話。
カミュってのは本当に、この辺の文学表現が、
僕はサルトルよりは好きで、
サルトルもいいなとよく思って、
読んではいたんですけど、
こういうことを言ってるから知的だとか、
言われるかもしれませんけど、
僕はこれは他に読むもんないんですよ。
なんかげんなりしすぎていて、
これも面白いですよね。
これ、動質の原理って言うんですけど、
暗い気分になってる時に、
明るい音楽って聞いてられないんですよね。
暗い気分になってる時は、
暗い気分のものが聞きたくなる。
これを動質の原理って言うんですけど、
音楽両方の世界で出てくる、
かの考え方なんですよ。
これに合わせるところから、
始めなきゃいけないっていうね。
だからもう、僕も読んでるものが全部、
絶望系に覆われていて、
しかも、絶望に効く薬とかって、
これ山田玲司さんのシリーズ漫画にあるんですけど、
効く薬とかは読みたくないんですよ。
これ非常に不思議なんですけどね。
何にも効かせて欲しくはないんです。
あえて言うならば、
カミュとかがそうであるように、
とにかく絶望する文学みたいな、
そういうのしか読む気がする。
なぜかしなかった。
精神状態とライフハックの関係
なぜかっていうのは山田説明した通りで、
私の、なんていうんですかね、
ストーリーですね、これはね。
原型は多分、
母に振られたことにあるんだけど、
まさかそれでずーっと19年もですね、
断続的に同じ気分でいるわけではないんですよ。
気分はどんどん悪くなっていくんだけど、
その物語、
家無き子の物語っていうのは童話だから、
これは自分の心の中でブラッシュアップしていきたくなるんですよね。
より世界全体を、
僕の経験に基づいた世界全体を巻き込んで、
つまりだからこう絶望だ、みたいな話にしたいわけですよ。
例えば戦争が起こるから。
この辺は三島由紀夫さんがね、
美しい星というので非常に独特の表現で、
いわゆる実存哲学のニヒリズムを書いているわけではないんだけど、
別の意味で統合室長になっていって、
古史書誌に手紙を書くんですよ。
原爆はいけませんよ、みたいな手紙を書くという、
不思議な一家揃って統合室長賞なんじゃないかっていう。
でもね、ああいう話って本当フィクションだよねって思うんだけど、
実はそんなことはなくて、
あれにそっくりの実話がですね、
そっくりではないけど実話がちゃんとアメリカの方にあってですね、
世の中やっぱ広いんですよね。
事実は小説より気なりなんですよ。
まあまあ、そんなわけで、
月下水木、同じように続く月下水木金。
独特の、
なんていうんですかね、
気を照らわないんだけど文学的に、
この失望感を。
失望なんですよね、絶望というよりは。
三島由紀夫のはもうちょっと違うんですね。
SFっぽくして上手いんですよ。
あのー、なんだっけな、
午後の栄光っていう小説もあるんですけど、
これは14歳になると刑事罰に問われてしまうから、
今もうちょっと年齢引き下げられてますけどね、
刑事罰に問われちゃうから、
その前に重大なものということを引き起こそうとする、
わけのわからん少年の話なんですけど、
お母さんと新しく登場する、
要するにあれですよ、
お母さんは未亡人に対象になっちゃうんだけれども、
新しい夫を捕まえてくる、
それを除く少年の話なんですよね。
そして非常にイライラっていると、
非常に上手いこと書いてるなって感じがします。
三島由紀夫の午後の栄光という小説ですね。
これは14歳がテーマで、
14歳といえば連想が広がってるんですけど、
梅津和夫さんは全然違うテーマで、
14歳というあれはコミックですね、
長編コミック、
あれは自分たちの宇宙というものの
果てまでたどり着くという、
壮大なSFなんだけど、
その果てにたどり着くっておかしくないかっていうね、
宇宙船でどうして果てにたどり着けちゃうんでしょうっていうような、
梅津和夫さんらしい、
いかにも強引に話を展開するというところが面白いんですけど、
14歳という、あの辺多分あるんですよね、
刑事罰が14歳から、だから今引き下げられてるから、
梅津和夫さんはもう結構な5年配の方ですからね、
あの頃すごく意識したんでしょうね、
そういう14歳になっちまうとこうだみたいなことをね、
そういう精神情報構造という、
精神状態っていうべきでしょうね、
そういうのがあって、
その延長線のところに私のライフハックっていうのがあったわけだから、
当然ライフハックはですね、
私は本に書いたりしている中でも、
こうだったんですけど、
単純ですかね、非常に難しいんですよね、
僕の中で嘘を書いてるわけじゃないっていうのは、
よく時々僕言いますけど、
要するにEvernoteとかに出すじゃないか、
でもまさかEvernoteに、
おかしいわけですよ、Evernoteに、
例えば、生きることは無意味であり、
そうだね、
生きることは無意味であり、死ぬことも無意味であり、
人生は虎の情熱であるっていうサルトル、
オートに出てくる、オートだったと思うんですね、
割と有名なセリフがあるんですけど、
こういう文章ばっかり僕は実は溜め込んできているわけだけど、
サンプル例に出すのはおかしいじゃないですか、
明らかに、だって生きていくことには意味があると思って、
Evernoteにノートをクリップするわけじゃないですか、
だから僕の中に深いとこ、深くもないんですけどね、
要するに僕の心理には分裂があって、
前向きの部分ではライフワークやって、
何とか切り抜けてるんだけど、
ガンとして受け付けないそういうものをね、
後ろ向きの部分が、
後ろに置いてあるわけですよ。
Evernote使ってても必ずそういう失態が起こるわけですね。
ここを繋ぐためには、
やっぱり精神分析いるなっていうのは当時からあって、
でも読んでも意味がよくわかんないなっていうのが
ライフハック時代の特別許可書
ずっとやっぱり続いていて、
だから私は本当不思議なんですけど、
偶然なんですが、大学時代はロレンスだったわけですよ、
THロレンス。
ここを繋ぐためにロレンスっていうのは、
実にある意味上手い選択だなって思うんですよね。
もう預言者みたいに牛野先生がですね、
私の指導教官が、
いずれ君はそのニヒリズムをやめる時が来るから、
その時困ったことにならないように、
やっぱり何か就職しておいた方がいいよみたいな、
非常に独特の言い方をしてですね、
なんだかんだ私に就職を勧めて、
私はアホなんで就職はしませんとか言っているわけですよ。
大学4年にもなってね。
この辺のことが私のベースなんですね。
ライファー学時代もこれをベース以来学校に行ってたわけです。
私はただ、東海説王さんがいないと多分、
ホームレスになってたと当時は本気で信じていたので、
彼に頭が上がらないわけですよ。
だから結局、
大学に入ってから、
アスクシュートだけはちゃんとやるっていうことになるわけです。
あれは彼の発案したものだから。
他のライファー学はやる気のなさをカバーするためにやってるんだけど、
アスクシュートだけはやるわけですよ。
こうしてですね、
僕の心の中で、
ここだけは前向きでOKみたいな、
前向き、
何て言うんですかね、
前向き検閲みたいなのがあるんですよね。
基本は後ろ向きなんだけど、
ここだけは回廊ができてるじゃないですか、戦争になると。
なんとか回廊みたいな、人道回廊。
そういう感じで、前向き回廊みたいなのがあって、
ほとんどのところは閉鎖されてるんだけど、
ここのところはOKみたいなのがあって、
そのうちの一つが専用区で、そのうちの一つがアスクシュートなんですよ。
話聞いてると意味がわけわかんないと思うんですけど、
僕の心の中でガンとして決まってたんですね。
タスクシュートをするっていうのはOKが出てるんですよ。
それをやっていいぞと。
Evernoteをするっていうのは特別許可書みたいなのがいるわけですよ。
今はまだやる気が十分ではないから、
Evernoteにはあんまりやりすぎてはいけないみたいなんですね。
なんでこういう風になってんのかというと、
分裂があるからなんですね。
分裂があるからなんですね。
私が、いわゆるGood Vibes以前で、
ライフハック頑張っていた頃の話なんですけど、
これを頑張ってたと言うべきなのか。
これは非常に苦痛に満ちた時代のある意味。
当時はもうあんまり苦痛に満ちてなかったんですけどね。
特別許可書がですね、
結婚とかOKなんですよ。
あと娘にいくらエネルギーをかけてもOKなんですよ。
娘可愛かったから。
非常に単純なんですよ。
タスクシュートとか娘とか、
そういう風にいくらか回廊が開かれてくるわけですね。
でもそれは本当にごくごく限られているわけです。
大橋先生が言ったことは、
原則的に全面的にOKなんですよ。
他のことは基本的に全面的に禁止されているわけです。
食事をするとか、お風呂に入るとか、
一部例外を除いては、
本気でやっちゃいけないということに決まっているわけです。
非常に難しいんですね。
本を書くのはOKだったんですよ。
これやっぱりあれですよね、きっと間違いないと思うんですけど、
カミュとかが本を書いていたから。
だってあんなに実存哲学でニヒリズムを言っている人たちが、
本を書いているってことは、
本はニヒリストでも書いてもいいだろう的な何かがあるわけですよ。
僕がこの中で一番分裂気味だなって思っていたのが、
ドステフスキーですね、小説家としては。
この人はもうめちゃくちゃ前向きなキャラクターと、
めちゃくちゃ後ろ向きなキャラクターを、
カラマゾフの兄弟がそうですよね。
ドミートリーとアレクセイはものすごい前向きなんですよね。
長男と三男ですね。
次男のイワン・カラマゾフはもうほとんどカミュなんですよ。
ほとんどサルトルみたいな。
イワンの言っているのが理論的には一番筋が通っているんですよ、残念ながら。
ドステフスキーがいかにニヒリズム側に近いかってことなんだけど、
でもかなりのところまで前向きでもあるんですよね。
ものすごい分裂した作家ですよね。
両極に割れている。
もう生きることは最高から、
生きることは全く無意味みたいな。
中間が全然ないみたいなね。
すごいリアルな人生は大変だったでしょうねっていう感じがします。
これは余談なんですけどね。
こういうふうにニヒリストっぽい人はみんな物を描いているから、
物を描くのはOK、ただ僕が描くのは荒いファクトなんですけどね。
結局エヴァノートとか他のことは全部
タスクシュートの上に乗っけることによって
なんとか回っていくんですね。
だから本当はやる気をサポートするためにライファクトやっているようなんだけど、
実際にやる気をサポートできているのはタスクシュートオンリーで、
他のものはむしろそれに引きずられるような格好で
なんとか実行されていく。
僕はああいうの好きだから、面白いからいいんですけど、
原則趣味に限りなく近いわけですよ。
なんかこうあれですね、
手帳買いまくっちゃう人と変わらなくて、
ただ手帳よりエヴァノートの方がある意味可能性を感じるじゃないですか。
結局は手帳っていうのは書いたり切ったり貼ったりすることしかできないから、
エヴァノートの方ができることは遥かに広いんで、
そういう意味で私はあっという間にデジタルで、
もともとそれによってどうこうしようっていう気があんまりないわけだから、
可能性を感じる方、
そしてよりお金的な意味でもデジタルの方がトータルで見ると結局安くつくんで、
結局お金的に持つ方っていうことを考えると、
デジタルっていうことになるんですね。
だから昔から言うアナログを使わないと思考がとかいうのは、
私、本質的に興味を持ってなかった議論なんですよ。
それはどっちでもいいことだった。
私の思考はもともとめちゃくちゃだと思ってたから、
思考のためにアナログの方がいいとかデジタルの方がダメだとかは、
もともと僕にとってあまり意味のない議論で、
そんなことは別にどっちでもいいんだよ、自分にとってはという感じで。
ただ、
そんなに紙派の人の方が、
トータルで見て全員賢明な考えを持っていて、
トータルで見てデジタルの方がそんなに、
はちゃめちゃな思考に陥ってるっていうふうには、
私には見えませんでしたから、
あまりあの種のことを外目から見ても信じるっていう感じではなかったっていうのはあります。
でも究極的にあの時代には、
私はそれに関しては信じる信じない以前だったっていうことはあります。
タスクシュートの意義
タスクシュートは、
なんでタスクシュートがやる気になれるかというと、
それは大橋さんが発案したからっていうのが第一にあったんですけど、
第二に、
これは私最近になって思うことなんですけど、
あれはですね、コミットって言葉は僕は難しいなって思ってるんですよね。
その当時の私に使うのは。
今なら使えるんだけど。
でもタスクシュートっていうのは当事者にするんですよね。
たとえば、
この時代のタスクシュートは、
フロイトの言葉に原稿形っていうのがあるんですよ。
非常に単純に言ってお父さんとお母さんのセックスを見ちゃうってこと。
午後の栄光はこれがテーマなんですね、基本は。
そうじゃないような書き方をしてるけど間違いなくそうだと思うんですよ。
ちなみに言うとお母さんはめっちゃ美人って立て付けになってんすよ。
大事なポイントだろうなって思います この現光景っていうのはつまり
悲しみなんですよね フロイトも そのこと書いてますよね 寝室から
4歳の時 本当か分かりませんが 締め出されると お父さんとお母さん
がイチャイチャしていて 僕は締め 出される この時 僕っていうのは
第三者として立ち現れるんですよ この表現は誰かが使ってたと思
んですけどね 私は孤児になった と思い知らされるんですよ ヨーロッパ
って怖いなって思うんですけどね つまり子供ってとは 自他がまだ
未分化ってよく言いますよね お母さんと私は一体みたいな 最初
って間違いなくそうですよね 自分がここから この皮膚から自分
始まってますなんて決して赤ちゃん は考えない 長女的にはしばらく
その状態続くと思うんですよ 3歳になってもまだ僕とはここに
いて こういう動物ってそういうことを 意識完全にはしないじゃないですか
よくそのことを実験するのとして チンパンジーのおでこにバッテン
印をつけて鏡見せても チンパンジー はこれが俺なのかみたいな顔を
しているので だいたいチンパンジー がギリギリそれが認識できるらしい
んだけど 犬は全然できないんですね だからこの肉体を持って私なんだ
っていう認識を持っているのは 実は人間ぐらいなんですよ 明瞭
な意味では それも生まれてすぐに そういうことができるわけではないん
ですね そのエディフスコンプレックス にはそういう意味もあって お父さん
とお母さんというものが実は仲良し なのだ 結果として自分が生まれたん
だってことを知るってことは 私が 第三者として立ち現れるわけですね
自己分裂とニヒリズム
実は幸せな母と私の二者関係っていう のは ここで終わりを告げるんです
ここに悲しみがあるんですね 当然 怒りもあるでしょうけど この感じ
っていうのがエディフスのスタート だとすると 傍観者になるっていう
状態と この世界から占め出されて いて やる気が出ないっていう状態
多分僕はすっごく深く関わってる だろうなって思うんですよ 私が
母親との関係が切断されていった っていうストーリーの中で 基本
的にはニヒリスティックになって いったように 世界の中に 最初から
世界の中にいて 自分自身と世界 とはほとんど一体になってる 自
他の身分化状態では やる気がない っていうことがあり得ないですよ
ね 世界が動くってことは 私が 動くってことと一致してるから
これですね 一旦大人になってしまう と この話がややこしく見えるんですけ
れども 子供見てるとそれはよく わかりますね 子供っていうのは
何とか取ってきてって はいって バタバタバタって行きますよね
それは世界と自分がまだ完全に 結びついている状態で 何ていう
んですかね 世界からの呼びかけ に応えないってことはあり得ない
んですよ そういう意味では何か がしたくなるっていうことと 人
から何かを頼まれるってことは 多分 ほぼ一致する ある意味幸せな
時代なんですね だから逆に言う と ちょっとでも自分の気分が悪く
参加感覚の喚起
なる 世界全体が悪くなるみたいな 感じで それで単位のないことが
起きても 火がついたように泣く ってこともあるし 何事も超全力
なわけですね このままになると ああはならないんですよね ちょっと
嫌なことがあるってことでも 例えば 誰かがちょっと遠くのほうで怒
ってるっていうのを駅とかで見て もですね それは自分とは別の出来事
っていうふうに捉えますよね 子供 というのはそれに対して 全て全方位
的に一緒に反応してしまいます よね 多分 動物ってそうだと思うん
ですよ 切断されるっていう出来事 が起こると つまり第三者としての
自分っていうのが立ち現れると どうしても世界に対して傍観的な
目線で出てくると思うんですよ これの最初 第一番目の光景が現光景
っていう言い方をフロイドはしたん ですね お父さんとお母さんの
この時 自分はそこに参加できていない ということを思い知らされて 第三者
的な悲しみみたいなのを覚える これが僕は多分自分のやる気の
無さに深く関与していると思うん です 僕はそういう光景見たことない
ですよ きっと 誤解のないように 言っておきますけど この現光景
を見るというのは あくまでも比喩 ですから ただフロイドは本当に見
ちゃったのかもしれないし もしか すると三島幸男もあれほどあれ
にこだわってるっていうのはそういう ことなのかも でも三島幸男は多分
フロイド的な話を先に読むことによって なんだと僕は思うんですけどね
いずれにしてもそれを見てしまう 少年 ただしそれも13歳付近で見て
しまうっていうところで 彼は非常 にフィクションを上手にめちゃ
くちゃ名人芸で描いてるなって 感じがしました 私は見たこと
ないです ただ 現光景というのは そういう意味ではなくて 締め出し
を食らうという悲しさを最初に 覚えたときの体験 エクスペリエンス
についておそらく言ってるんだ と思うんですね 私はそこから考えて
みたとき やっぱり世界から締め 出される 結局自分は世界に参加
できてないんだという 参加しよう とするとビシッてやられると お父さん
お前はあっちへ行けという この悲しみですよね もういいや
私はいいんだっていうふうになって 世界を非常に傍観的に眺めるよう
になると 何がそこで起きても当事者 意識持てなくなるわけですよ もう
別に何が起ころうと自分にとって 重要なことはないんだなっていう
そういう感じを育むようになる タスクショーと逆なんですよ 私の
考えで あれは乗っけてあることは 全部記録の対象にしていくから
完全に当事者感覚というものを じわりじわりと作り出されていく
というか 再参加させられる ちょっと サルトルっぽい表現を使うとアンガージュ
させられるわけですよ あれによって 特に僕はそこをだから強調する
ことになるんだけど プランにやり もしないことを書いちゃだめです
っていうのはそういう意味なんですね あそこにやりもしないことを書く
と それがやりたいことだろうと 理想の自分になる方法だろうと
何だろうと やりもしないことを 書くと 自分の傍観者的な立場に
それをもしやらないままでいると 傍観者的な立場に立っちゃうんで
そういうことを認めないためにも あそこにはもうやること全部書く
そうすると ここにあることを あそこにある限り自分は世界の中に
入ってるってことになっちゃう ので 自動的になってしまうので
そうやってるうちに参加意識という 参加っていうのは いわゆる参加
なんですけれども 当事者意識っていう ものがだんだん高くなっていくんですね
多分 僕はそれがライフハック の中で一番タスクシュートの独特
なところで これをその方向にはっきり と焦点付けて そこにフォーカス
を当てて タスクシュートを使いまくる ことによって すごく単純に言って
やる気が高まるわけですよ 不思議 なことにね 他のツールでは僕 こういう
ことは全く起きなかったという 感じがしているので 当事者意識
が自動的に高まるような 自動的には 高まらないんですけど 結局これを
実行するから高まるんだけど そういう ある種の仕掛けではないんだけ
れども でも仕掛けのように見え 始めるというのが あのツールの
独特なところ まだ第一義的に私は 大橋さんが作ったツールだから
使ったっていう部分からスタート したのは確かですね 使ってるうちに
この参加感覚というものをずっと 喚起されるのしか言いようがあん
まりないんですけれども そういうこと が起きたわけですね 私は傍観者
じゃないんだなっていう感じを 抱くことになった 娘が生まれた
のも当然大きいです だけどタスク シュート自体はそれ以前から使って
ました 娘が生まれて 一気に娘関係 のがわーっと増えていくと ますます
これは参加している現実という ものが何であるかを反映する意味
で強く思い知らせてくるという のかな 思い知らせるとしか割と
言いようがない 変なんですよね ツール が思い知らせるっていうのは
おかしいんですけれども でも僕の 実感としてはそれが一番近かった
と言えます つまりこれが私のビフォア におけるライフハック時代 頑張って
いたライフハックとは何かっていう ことを意味しているんですね 他の
ところで言うと ちゅえばいいん ですかね あんまり僕はやってない
というのが正直なところですね 本当に 例えば文章を書いていた
わけだから マインドマップなり アウトライナーなり これについて
ほぼほぼ言及したいと思うことは ないんですね なぜならこれが有効
だという方は有効だと思って使って いただきたいと思うので 私はこれを
使って有効に使えたことがない という でもそれは私が使えた
ことがないというだけであって 別に このツールが有効でないことは
意味しないので 私にとっては文章 書くのもタスクシュードオンリー
だったんですよ いう意義だった ここに参加券というものがマンガージュ
したので タスクシュードによって ここに原稿を書くと書いてしまった
以上は 原稿を書くという方向に 参加しないことにはならない感じ
がしたんですね だって他の活動 は全部タスクシュードに書いた
ようなことはやってるわけだから 食事をするとか お風呂に入るとか
娘の相手をするとかね 全部書いて あることはやってるわけだから
そしてやらないことは決して書かなかったんで ここに原稿を書くだけを例外
扱いして書かないけれども 原稿を書くというのはタスクシュード
に置くって そうする意味がどこにもないんですよ
しかも私のメインの収入源だということ もありましたし ニヒリズムでも
書いていたという証拠がありました から 本当のところサルトルが何
考えてたのかは知りませんけれども フランスカフとかね ああいう人たち
がやっぱり物はなぜか書く 以上 自分もやっぱり書く 別に彼らと
自分を同列扱いしてたわけではない ですよ ただそういうふうに思え
たということですね そう考えてみた ときにじゃあアウトライナーで
よく言われるんですけども 承立 とかしなかったんですかと して
たんですよ だってしてるのが流行 ってたし したものを出すと ある
意味やっぱり出版社さん向けは 僕の思い込みかもしれませんが
良かった気がしたんで 出してたん ですよ でも書くと書き始めると
書き始めるわけじゃないですか やっぱり1章の最初のところを書き
始めると もうピクミンというゲーム で 資材を使いながらピクミンという
ちっちゃなよくわからない不思議 生物さんたちが足をかけてくれるん
ですね 彼らは足をかけながら足 を伸ばして 伸ばして伸ばして伸ばして
最後に足が完成するわけです つまり 足をひたすらひたすら根元の
方から伸ばしていって 向こう岸 に渡すというふうに足作るんですね
ゲームですからね 僕は小説じゃなくて 文書ってああいうものだという感じ
がしていまして 書きやすいところ から書かないですかとかって不思議
なことを言われるんだけど それは 空中に足がいきなり出来上がるように
そんなことはできないんですよ 単純に できなかったんですね
なんかここら辺書きやすそうだから 先に書くと早いとかって 僕大体
それが理屈に合ってないと思うん ですよね 仮にそういうことをした
としても 書きやすいところを最初に 書けば 書きにくいところが後に
残るじゃないですか 結局そこで 時間を食う気がするんですよ だったら
っていうのか そして実際書き始める と次の行を書くのが一番書きやすいん
ですよ だからずっと私は最初に 書いた次の行 次の行と書くこと
になっていく いきなり5章目を書く とか6章目を書くと 後でそこにどう
接続するかで悩むことになると思 うんですよ すっごくシンプルに
どうしてこの方法が効率的なのか 当時は私はもう生産効率はすごい
重視してましたから 一番生産効率 が高いのは前から書いていくこと
だとしか私には思えなかったんです 何度やってもそうなるんですよ
先に下手に最終章から書くなって ことをやると逆算的に そこに繋
がるように次の章を書かなきゃ なんて なんか知恵の輪みたいにな
っちゃうんですよね 本当に かなり複雑に どうしてそれが生産効率
を高めることになるのかが私には 分からないんです やる気もこれ
だと出ないし 効率も悪いし どう 考えてもいいことはないなという
感じで だから 強調は結構やっぱり 苦労があるわけですよ 私は奇数
書くことの効果
章 もう一人の方は偶数章みたいな ことを書くとなると ここは繋が
らなくなるんですよね ある意味 で 僕 繋がらないというのはもの
すごく気になる方だったんで だって 本読んでて繋がらないと気持ち
良くないんで やっぱり書く方として も繋げたくなるんですよ だから
僕は前後は繋げるようなことを 書いていったような記憶がなんと
なくあるんですよ 強調であった としても クラゾノ先生との最近
の一番新しい強調はクラゾノ先生 となんですが 非常に良かったんですよ
ね 彼も順に書いていく人なんで こうじゃないと書けないだろう
なっていう感じが私は原則的には しました もちろん 先に後ろの
ほうを書いて あとから無理に繋げる っていうこの無理繰り作業はやるん
ですが どうしてもってときは めっちゃ余計な時間かかった気が
しますね エネルギーも どうして 僕にはいいのかが分かんないですね
正直 どう考えても分かんないですよ ね だからマインドマップを使う
とか いわゆる構成を先に考える ってですね 青写真を先に描くみたいな
それが良ければいいと思います それが楽だというか 私はそれを
使うのが苦しかったっていうのが 単純な話ですよ だからライフハック
にならんのですよね 苦しいから そして余計にエネルギーが必要
だというのが 全然ライフハック らしいとも思えない だからそういう
ことはだんだん だんだんという か急速にさたやみになっていった
アウトライナーよりも前から書く
という感じですね 今ではアウトライナー は 今はもういいと思うんですよね
これを言って 事実上 人との打ち合わせ のときのやりとりのため以外の目的
では使ってないという感じですね 文章を書くときはどうしてるのか
というと 前から順々にただただ 書いていきます それを後で読んで
いって おかしいなと思ったところ を修正する これが一番早いと思います
けどね 楽だし これではできない から違う方法をするっていう その
違う方法のほうが 私には難しく 感じられるというのが一番単純
に言って言えることですね 本も そうで 基本僕は前からしか読まない
本ですね 本を後ろから読むっていう のは 推理小説とか 分からなくはない
ですよ 分からなくは でも それは 書いてあるものが固定して動かない
から それでいいのであって 自分が それを書く順番なのに 後ろから
書いていってしまうと 前に書く ことが固定しているわけでも何
でもないわけだから それによって 大幅にイメージするものが狂わ
される気がして 訳が分かんなく なってしまいそうな日もちょっと
しますね っていうか 結構します だからアウトライナーがあるって
んでしょうけど それだったら前から 書いていけばいいんじゃないか
と思うんですよね そうすれば書いた ものは残るから そこに固定された
ものが登っていくじゃないですか この端を作りながら端の先に伸ば
していくというのがピクミン流 にやるのが一番 ピクミンもそう
スキャンスナップを使って書類を取り込む
やってるし 妥当なんじゃないか という感じが僕はしますけど 本物
の端は分かんないですよね 両眼 から伸ばしていって でもやっぱ
これすっげえ計算しなきゃできない ような気がしますよね こういう
やり方をした場合は 上でクレーン からずって下ろすっていうのは
すげえいいと思うんですよ あれは もし完成した端を上のクレーン
からずって下ろすっていう そういう 書き それができるんだったら
物書きっていうのは全てを同時に 書けるっていう意味になっちゃ
いますもんね それは無理ですよね 物理的に全てを同時に書くっていう
のが そういう感じで 他に何か あるのかな Lifehackって他に 文書
を書くとかEvernoteやるとか ダスク 管理やるとか あと何かありますかね
ちょっと思い浮かばないんですよ ね 細かい工夫みたいな あれですよ
私 書類はひたすらスキャンスナップ に取ります でもこれLifehackじゃない
ですからね これは富士通さんが 素晴らしいんで 2枚一緒に取り込ん
でしまいそうなのに ちゃんと1枚 ずつビシビシ取り込んで 全部PDF
にしてくれるという これは私は ちょっとでも書類で困惑している
ご家庭ではみんなやったらいい と思うんですけど これLifehackじゃない
ですからね 日本の技術万歳って やつで 素晴らしいですよ 僕は結構
これであれです 妻との関係が 難しかったときなんかは家にある
紙はとにかくこれで取り込んで おくと 数秒でできますから そして
少なくとも無くなることは無くなる と 絶対に何らかの形で取り込ま
れてる ただしもうのほうずってん のかな 何の判断もせずに とにかく
紙が家に入ってきたらまずスキャンスナップ で取り込むと これも言えることは
こうしたからって夫婦なんてよく はならないということですね この
件で揉めることが減るというだけで あって よくするにはRed Vibesのほう
が 謎のけいぞうさんに聞いてみて ほしいんですよね 罪悪感を抱かない
とか 恐れと不安を持たないとか そういうのが圧倒的に有効です
これはもう私のライフハック時代 以降の話になっていくんで完全に
今日はまた違う話だったということ ですけれども あれです 家庭内不安
Red Vibesが一番いいんじゃないかな って思いますね 私は ちょっと勇気
がいります 何が勇気がいるかって 罪悪感を持たないということには
勇気がいるんだなっていう気がします 自分がこの人怖いなって思いながら
1階に降りていくとき 怖さを一切 取って降りるほうが 怖いと思い
ながら降りるよりも怖いんですよね ここを乗り越える勇気みたいな
のは 僕は結局必要だったような 気はします 今日はそんな感じで
39:38

コメント

スクロール