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2020-07-20 27:30

【GMV 190】根拠のある自信は不安

弱いという思い込みと強いと思うという発想
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おはようございます、グッドモーニングワイプスです。
そろそろ190回ぐらいでしたっけ?
うーんと200近づいてきてるんですね。
それにしてもこれ、毎日毎日何も考えずに喋りだしてるだけあって、結構大変だなと思うようになってきました。
で、今日はですね、なってきたことのついでに、
弱いという思い込みについてなんですが、
これって厄介なテーマだなと思うんですね。
自分が弱いということについてはですね、
グッドワイプスというのはかなり斬新な考え方を持っていると思うんですね。
グッドワイプスは言ってみればこういう言い方をするんですよ。
多分厳密に少し違うんじゃないかなと思いながらよく聞いてるんですけど、
自分がこう、自分は最強なんだと。
で、それはもう結論として先にあるんですね。
で、なんならば、自分が弱いと思い込むのに比べて強いと思い込んだらどうなのかを考えてみましょうというような言い方も聞いたことがあるんですね。
グッドワイプスのグラゾン・フェイソンさんから。
正確にこうじゃないんですけれども、受け手のニュアンスとしてはこれに近い。
何が正しいかは誰も知らないというのがありますからね。
この強いと思い込むということについて激しく抵抗されるケースが多分あるんですよね。
激しく抵抗というのは少し表現が強かったかもわからないんですけど、
臨床心理とか宗教とかでもいいんですけど、自分が強いという存在だと言っているところは、
言っている宗派なり、臨床心理の学説なりはそう多くないと思うんですよ。
弱さを克服しようみたいなのはあるわけですよ。
この弱さを克服するというのは多分受け入れやすいと思うんですね、表現として。
弱さを克服するということは弱いということですよね。
ところが強いということに最初からなっているという宗教ってあまり効かないなと思うんですね。
強い弱いはあまり問題にしないところが仏教かなと思うんですけれども、
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とにかく弱いという思い込みというのは結構いろんなところにじわっとある。
もともと強さは問題になっていない界隈でも、今私はライフハックを念頭に置いたんですけど、
やっぱり弱いという思い込みはふんわりとかなり広がっているんですよ。
そういうところで弱いと言っても自分は弱いんですっていうぐらいイリュージョンが濃い人は、
それもいるんだけどもう少し多いところで自信がないし自己肯定感が低いという表現を取るんですね。
でも私はこれは全部ざっくりと弱いという思い込みというふうに最近は捉えるようにしているんです。
これがいかに強いと思い込むのとは違った結果を招くかということについて考えるんですよ。
この文脈で読んでいくと臨床心理とか宗教の本とか自己啓発書は大変面白い読み物に
大変面白い展開が改めて見えてくるんですね。
つまり問題となっているのは弱い人なのか、それとも弱いという思い込みなのか、
弱さは克服するべきものなのか、弱いという思い込みを払拭しようとしているのか、ちょっと違うんですよね。
最終的には同じようなところに行き着きますよ。
最終的には自分は大変な弱者であるという結論で終わるというのは結局のところ良いことではないので、
何らかの形で克服するなり強さを身につけるなり自己肯定感を高めるとかそういう話になっていくわけですよ。
低いままでもいいですみたいな話もなくはないんですけれども、
でもそれだって結局かなり同じようなことを言うことにはなるんですよね。
ただ前提として強いのかそうでないのかというのは違いとしてあるなと思うんです。
ここで必ず弱いと思い込んでいるという人が強いとは思い込めないじゃないですか。
自分の自然の心情として弱いと思い込んでいるわけだから。
ここで問題になってくるのがつまりは根拠なんですね一つ。
自信は持ちたいけど根拠のない自信は嫌だということは僕は何度も聞いているんですよ。
つまり根拠がなきゃいけないんです。
ただ自信というのはマインドなんで、つまり根拠が手に入った瞬間に手に入らなくなる部分があるじゃないですか。
自信というのはある意味では根拠なく自分に信用を置くわけだから、
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そこで根拠を持ち出してしまうとすでに自信の無さというものが残ってしまいますよね。
私は何とかができないから自信がないんですという人。
例えば留学中よく言ったんですけど、私は英語に自信がないんです。
その人はだいたい英語にやっぱり自信がないんです。
その人はだいたい英語をやたらできたりするんですよ。
で、自信がないわけですね。
つまり根拠ってそういうふうにスキルをアップすることには役に立っても、
自信を高めること自体には役に立たないケースがすごく多いですよね。
根拠なく自信を持ちたくないというのは、実際にはスキルの問題というよりは周知心の問題に限りなく近いので、
根拠なく自信を持ちたくないけれども自信が持ちたいというのは、
はなはな無理があるとよくこれは聞いてて思うんですね。
ライフハックはちょっと違うんだけれども、マインドには手をつけないというのが出だしにあったと思います。
私はマインドハックとか言ってるからすごく怪しいんですけども、
ライフハックというのはまず間違いなくマインドに手をつけるのを良しておこうという精神性があったと思うんですね。
どういうことかというと、自信なんかなくてもいいから生理術できるようになりましょうというのがライフハックじゃないですか。
自信なんかなくてもいいから忘れ物はしないようになりましょうと。
そのうち自信もついてくるんじゃないぐらいのニュアンスがあるわけですよ。
ここには当然最初から自信満々の人がいても何にも不思議はないわけですよね。
自信満々であっても自信が全くなくてもタスクシュートは使えるじゃないですか。
ここにライフハックらしさがあったんですよ。
そうですね、そういうことはあったと思います。
ところがですね、やっぱり広がってくれば来るほど、例えばライフハックという言葉が伝わっても
仕事術とかタスク管理とかいう形でいろんな広がり方をしますよね。
広がってくれば来るほど自信がないんですっていう問題が際立ってくる部分があるわけですね。
自信満々でどんどんやっていく人はそれで済んじゃうわけですけれども
自信がない人はさっき言った通り根拠を見出しても自信が持てるわけではないので
ライフハックをやっていますが自信がありませんという問題が出てくるわけですよね。
残ってくる、むしろ際立ってくる部分があるわけです。
そうなった時に問題になっているのは弱いという思い込みなんだよなと思ったんですよ。
思ったことが何度もあったんです。
根拠というものを求めるということは弱いと思い込んでいるということになりますよね。
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結局根拠がなければ自信を持ってはいけないというのは
棘のまま、生のまま、極端に言うとあるままの自分ではいけないと言っているのと同じことなので
当然自信はないということを繰り返しているに過ぎない。
この話って、例えばアメリカに行ってLとRの使い分けができない以上しゃべってはいけない
なぜなら恥ずかしいからと思っている人が5万と言うんですよ実は。
今はどうか知りませんけどね。私が行っていた2000年の時代でもそういう人はいましたよ。
人がLとRを使い分けられずにアメリカ人の兵器で話しているのを見ると不愉快になるわけですよ。
これは弱いという思い込みと、これはただ英語のスキルだけの話ですけど
これを自分の人生全域に当てはめると弱いという思い込みになるわけですね。
ここには何らかの形で強くなった自分でなければ
実人生を歩み出してはいけないというニュアンスがきっとあるんです。
つまり資格を取れって話なんですね。
私は何度か書かれたことがあるんですよ。
連載とか書いてるじゃないですか。社会心理学の話とか。
こいつは一体何の心理学の資格を持っているんだというコメントがしばしば飛ぶんですよね。
僕何にも持ってないんですよ。
何にも持ってないんですよ。
ご推察の通りってやつで。
何にもないんです。臨床心理士もないし、そもそも日本では心理学士すらないですからね。
大学出てないですから、日本の心理学の。
僕が出てるのは英語学ですからね。
その、ないんですよ。
よくこんなことで恥ずかしくもなくやっているなっていうコメントもありました。
かなり辛辣な方だなと思うんですけどね。
で、これも同じだと思うんですね。
資格がなければやっていけないと思うということは、逆に言うと資格があれば自信がなくてもいいわけじゃないですか。
逆にもうちょっと言うと資格さえあれば自信がつくという意味でもあると思うんですね。
つまり、気のまま、生のままじゃダメなんですよ。僕は生のままだからダメなんですよ。
という話になってると思うんですね。
生のままでダメだと自信って持ちようがないと思うんですけれども、
生のままでダメっていうのはそもそも弱いってことだと思うんですね。
生まれたままの赤ん坊ではいけないってことだと思うんですよ。
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価値がないし弱者であるし、物心つくまではしょうがないとしても、
物心ついたら自分は無価値で弱いと自覚せよってことだと思うんですよ。
だから私のような、これは違う理由で腹が立って批判するってこともあるんでしょうけれども、
資格もないのに連載書いていて、それはつまり物心ついているくせに自覚が足りないっていう言い分だと思うんですね。
でもこれを私に投げかけてしまうと、私じゃない誰か他の人にでもいいんですけど投げかけてしまうと、
当然自分はいろんなことをやるために常に先に資格を取らなきゃならなくて、
つまり閉塞感が強まると思うんですよね。
昔私大学時代によく親に言われました。資格だけは取っておけと。
結局親には悪かったんだけれども、ほぼ一つも何の資格も取らずに生きてきているんですけれども、
つまり閉塞感があると思うんですよ、ああいうふうに言われてみるとですね。
生のままのあんたじゃダメなんだからねってことになっているわけですよね、あれは。
こう思っているわけですよ、私たちは。そこからいろんなものを必要とする、つまり弱いから。
弱いというのはつまりどういうことかというと、不安だということになると思うんですね。
例えば、昨日面白いことに思い当たったんですけど、私雨が続いていたせいもあるんですが運動をしなくなったんですよ、ほぼ全然。
これは非常に面白いんですけれども、ライフハックの人たちでも頭のいい人たちがやっぱり多いんですけど、
みんな何らかの運動を私がしていたということに対してすごく手放しで肯定的な目線だったんですね。
私もそうだったんですよ、4,5年間ずっとどんな日でも散歩とかしていたんですね。
そこに意味があると思っていたんですよ。
どんな日でもというのは台風のような雨の中でもみたいなところがあったんですよ。
今思うととても不思議なんですけど、だから自分は健康なんだと思っていたんですよ。
つまり、運動という根拠がないと自分が健康だという自信を持ってはいけないんですよ。
そういう思考であるときはそういう思考になるんですね。
必ず月に2度は整体行っていたし、知っている人は知っていると思うんですけど、
私はすごく糖質制限をきつくやっていたんですよ。
全部過去形で喋っているのは、今コロナのこともあって整体に行けなくなったんですよ。
やっぱり一瞬すごく恐ろしくなるんですよね。
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これですごいよ、どうしようとかって思っていたんですけど、
よくよく考えてみると、これはグッドバイブス的じゃないなということもあったんだけど、
そもそも私が一体整体に定期的に通い出したようになったのは、いつだと思ったことがあるんですね。
そんなもん昔ではないんですよ。
その前に腰痛はなかったのかというと、そんなことはないんですよ。
あったんですよね。
なんで定期的に通っているんだろうと思ったんですよ。
どう考えても定期的に通っているのは、定期的に通っていれば大丈夫という気持ちのためなんですよね。
これは、だって定期的に通っていたときに腰痛がなくなっていたから、完全になくなっていたからというとそんなことは絶対ないじゃないですか。
だって完全に腰痛なくなっていて定期的に整体に通わないじゃないですか。
定期的に通っている間もずっと腰痛があったわけですよね。
ずっと腰痛がある中で定期的に通うことに意味があると思っていたわけです。
これは私の視覚とよく似ているんですよね。
視覚とよく似ているんですよね。
だって視覚を取っていても取っていなくても私の心理学の知識って増えも減りもしないですよ。
でも視覚を取っていないのによく書けるというふうに書くんですよ。
コメントが批判的に飛ぶときは。
そのときに、この人の例えばアドラーの考え方はフロイトの考え方といろいろ比較してなっていないというコメントはほぼ飛ばない。
たまんないわけじゃないですけどね。かなりマニアックなのが。
それよりは遥かに視覚があっている方が飛ぶんですよ。
そういうもんだと思うんですよね。
で、えっと。
つまり、
生態炎がそうだし運動もそうなんですけど、今私運動してないし糖質制限もすごいいい加減なんですが、
全然皮膚に出ないんですよね。皮膚病のためだったんですけど。
で、腰痛はないんですよ。
こういうことだろうと思うんですね。
自信がないということの意味。
自分が弱いと思っているから何かが必要。
別に雷発光するのも運動するのも生態に行くのも何にも問題ないと思うんですよね。
問題なのは全部自分が弱いと思っていることだと思うんですよ。
果たして自分が絶対的に健康で腰痛も全然なくて生態に行くかというと大変微妙だとは思いますが、
行くのはもう自由じゃないですか。
弱いと思うということは根拠を要するということだと思うんですよね。
根拠がなければ自信、根拠のない自信は欲しくないというのは、
つまりそれほど無理があることだと思うんですよね。
簡単に言うと腰痛は感知したいけどずっと生態に行っていたいみたいな、そういう感じになっちゃうんですよね。
そんな人いないと思うんですよ。
ライフハックもそういうふうに機能しちゃうんですよね。
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自信がある人も強い人もライフハックするということは多々あるので、
弱い人の御用足しみたいなものではないんですけれども、
そういうふうな機能の仕方をするんですよね。
私は例えば全然仕事ができなくて容量も最低なんだけど、
ライフハックをしているんですってなるじゃないですか。
それが悪いとは言いませんけれども、私この考え方はなんて言うんだろうな。
やっぱり不健康だろうなと思うんですよね。
自分のこれまでのやってきたことを考えてみると。
それなりに糖質制限がアトピーに有効だったりしているので、
自分は今でもアルコールと砂糖は入れませんし、
この種の因果関係が全く無効だとは思わないんですけれども、
ただ弱いという思い込みはそれを全く無効にするぐらい
力強く有害だということはある気がします。
ここから先はあれなんですよね。
その弱さというのは克服対象なのか、
腹にのけるイリュージョンとして捉える方法が
本当に個人個人でちょっとした違いがあると思うんですよね。
ものすごいイリュージョンが濃いと、
多分強いと自分は最強なんだと思うとか、
もともと一つ意識だったという話が
全く伝わらないケースはあろうかと思います。
ただ自分がすごい弱いという思い込みのイリュージョンが
あまりに濃い、濃いイリュージョンを持っていると
思い込みのイリュージョンがあまりに濃い、
ほぼ確実に現実になってしまっているというケースだと、
ほとんどのケースでは、この話は専門的になっちゃってますけど、
精神障害に入っていると思うので、
多分グッドバイオスの話をそもそも聞くとか読むとかいう
状況にないかなって気はします。
弱いという思い込みはそれぐらい過酷なところがあります。
だってあれですよ、グッドモーニングバイオスでもしましたね。
ハードヒューズみたいなものであって、
ここの中の細菌の一つでもあれば自分は犯されて死ぬって思い込んでいたら、
やっぱりこれはもう正気とは言い難いので、
それとはやっぱり違いますよね。
グッドバイオスの話が対象になっている人々というのは
どっちかのイリュージョンを選べるレベルにあると思うんです。
特に私がそうなんです。
私は子供の頃から横たわっていたという記憶ばかりなんですよ。
病弱だというのはここがポイントなんですけど、
確信を持ってもおかしくはないし、
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例えば親に聞いてもお前は病弱だったってすぐ受け合ってくれるんですよ。
これはイリュージョンなのか現実なのかという話になった時に、
イリュージョンだとしておくということのメリットでもあるわけですね。
現に私は今それがイリュージョンだということにしてみたら、
健康になっちゃったわけですよ。
それは健康だと思い込んでいるだけじゃないのかというと、
果たしてここでも出てくるわけですね。
健康だと思い込んでいるだけなのか、健康であるという現実なのかという。
これ結局わからないんですよね。
わからないとしか言いようがないんです。
ここ6ヶ月くらい、ここ4ヶ月くらいかな、運動はすごくいい加減になって、
前、運動していなければアトピーになると思い込んでいたのとかは、
何だったんだろうって思うくらいいい加減なんですけれども、
健康になるってことは、どこまでがイリュージョンで、
どこからが現実かということをそもそも考えなくなるってことなんですね。
今まで私は不健康であることは現実だったわけです、私の中では。
これが多分イリュージョンってものなんだと思うんですよ。
非常に説明しがたいんですけどね。
わからないっていうほうがイリュージョンじゃない感じが強いんですよ。
確かにわかってるっていうときほどイリュージョンの感じが強い気がしますね。
なぜなら確かにわかってはいないからですね。
不思議なんですよ、確かに。
例えば私は果物を食べれば絶対出たんですが、
出ないということはなかったんですね、アトピーが。
そのときは現実じゃないですか、出るんだから。
因果関係があるわけですよね、そこには。
因果関係というのは、イリュージョンによってあったりなかったりはしないはずなんですよ。
確かにあるはずなんです。
ところが、これはイリュージョンかもしれないと思ってから果物を食べたんですよ。
出ないんですよ。
あれは因果律なのか、そうじゃないのか。
プラシーボみたいな話になるんですけれども、
プラシーボに違いはないんですが、プラシーボというものをこうまで体験してみると、
イリュージョンってすごいなって思うんですよね。
現実を作っちゃうんですよ。
この話は、昔池谷雄二さんという農科学者がやってたんですけれども、
同じような話だけど、同じ話じゃないんですけれども、
テストステロンという言葉があるじゃないですか。
言葉には意味があるんですけれども、
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テストステロンというのは男性ホルモンというような規定というか、
言ってみれば常識ですよね。
みんなが知っているとは言いませんが、
テストステロンは男性ホルモンで、男らしくあったり、
乱暴になったりするとか、攻撃的になったりするとか、
そういうことと関与しているとされているんですよね。
非常に不思議な実験なんですけど、
これがあらゆるケースで当てはまるかわかんないんですけれども、
確かテストステロンだと偽って水を注射するでしょう。
そうすると攻撃的になるんだ、そうなんですよ。
ここまではプラシーボ効果で十分わかると思うんですよね。
対象実験として、テストステロンではないという風に、
ただの水、栄養剤かな、ということにしてテストステロンを投与すると。
するとですね、その人は非攻撃的になっちゃうんですよ。
テストステロンを投与されたにもかかわらず。
非攻撃的になってしまうというのは、
それはテストステロンというものがテストステロンだと知らされずに
投与された場合、みんなこれを科学的だと思うじゃないですか。
プラシーボ効果がないと。
その場合はテストステロンらしい働きをしないんだけど、
そのテストステロンもテストステロンですよと。
事実そうですよね。
すると攻撃性が増すっていう実験があった。
これは一体何なんだろうと。
プラシーボだけでは全部は説明つかないと僕は思うんですよ。
例えばですよ、何かの風薬みたいなのがあるとするじゃないですか。
これは風薬で効用も確かにあるとするじゃないですか。
この風薬、ただの水ですよと言って風薬を打った場合、
一番科学的に風薬の効果が出そうなもんだけど、
機能しないと。
風薬だよと言って風薬を打てば機能すると。
これが正しいんですかねって話なんですよ。
私たちは風薬は風薬だという風に聞いてからもらってますよね。
つまりこの話、科学的な効能だけを取り出すことは
事実不可能であるってことを語っているような気がしてしょうがないんですよね。
思い込みが全てだっていうのとはまた違う気がするんです。
思理めずれずに近いですよね、これ。
何かあるんだとは思うんですけれども、
ただ私が思うことはイリュージョンということについて
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根拠のない自信ということについてもそうですけれども、
つまり因果律って世の中にはきっとこの宇宙空間というのがあると思うんですけど、
それは多分私たちには捉えきれないんだということなんですよ。
だから根拠がある自信とかを手に入れるっていうのはむちゃくちゃだと思うんですよね。
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