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2021-08-19 21:13

【GMV 441】被害妄想と引きこもること

お母さんによる福満悪い意味つけ
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
自分がグッドバイブスはともかくとしてですね、精神分析にやたらと興味を持ったのは、
私にはどうしても全く理解できなかったこととして、
美音かな?これも精神分析かなんですけど、機械な対象っていったものを現実に何回か直に見聞きしたんですね。
例えば、割とよくあるのがカセット。今で言えば音楽を聴くやつあるじゃないですか。
CDラジカセみたいな、ちょっと古いですね。
あったんですよね。私直に聞いたのは一つそれだったんですけど、音出るやつですよ。
要するに音楽を聴くやつ。が、自分を見張るとかって言うんですよね。
これは何なんだろうって思ったことがあったんですよ。
妄想と言えば、もちろん妄想に決まっていますけど、
私あれに関しては認知心理学でも行動科学読んでも全然説明になっている気がしなかったんですね。
ユング、深井早男先生とかいますけど、読んでも全然説明になっているような気がしなかったんですよ。
リアルにそういう話を聞くもんですから、直接ある人から、それも一人じゃないんですよ。
そういう話は東郷寺町では割と頻繁に出てくるんですよ。
例えば、被害妄想からは来るんですよ、もちろん。
換気扇に盗聴器が仕掛けられているとか。
あるんだけど、外に例えば行くじゃないですか。そういう人がみんな引きこもっているわけじゃないんで、
引きこもりがちにはなりますけどね。
そうすると、例えばATMが自分を攻撃するみたいな、そういうことがリアルな迫真性を持って怯えるんですよね。
普通に喋っている限りその人は普通だから、突然それを言い出されるんで驚きますよね。
ドキッとするわけですよ。
で、考えこまさせられる。これを可能にすると頭の働きってどういうことなんだろうと思うんですよ。
お母さんがあまりにも干渉的でとかってわかるじゃないですか。
あるいは人が私を迫害するっていうのもまあわかるじゃないですか。
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どうしてATMとかが突然、しかも明らかにその人はここがコンビニだということも、
そのATMが自宅と関係ないところにあることも、自分がさして重大人物でないことも知っているのに
ATMが自分を見張るっていうところにはめちゃくちゃ現実感を感じてしまうんだろうって。
不思議だったんです。今でも不思議です。
そういうことを一番私は分からせてくれたのが精神分析なんですよ。
いろいろ探って、少なくともこれについて言及をちゃんとしているのは精神分析を得てないなと思ったんですね。
ビオンなんですけど、後から分かったような話ですけどね。
どうしてこういうことが起こるんだろうっていうのを少なくとも分からせてくれた。
どうしてこういうことが起こるんだろうっていうのを少なくとも科学的とは言いませんが、
ロジカルにある程度こっちでも追えるロジックで説明する。
本人全然説明してくれないんですよ。そのATMがとかクーラーがとか言ってる人は、
いやだって俺には分かるみたいな、そういう言い方しかしてくれないんですよ。聞いても。
私は好奇心から聞いてたんですけど、人は自分を笑うとか言うのは分かるんですよ、私にも。
病気を映されるとかも分かるんですが、分からないのは、いきなり全然自分と関係のないATMが、
しかも見る機械じゃないじゃないですか、あれは別に。
でもなんかね、何かちょっとはあるんですよね。
それっぽいなっていう、例えばあんまり自動販売機とかって言わん、私は聞かなかったんですよね。
なんかちょっとあるんですよ。自動車とかもあんまり聞かないんですよね。
なんかですね、固定されていて、盗聴器とかは仕掛けられるような感じはする。
でも、例えばATMがその人だけ見張るっていうのは無理があるじゃないですか。
でもだいたいその人の主張によると、他の人のことは見てないみたいになるんですよ。
それをどうして可能で、その人が一般的に言うところの現実見当が完全に狂ってるってわけじゃないんですよ。
見張られないようにしながらコンビニで普通に買い物するとかできるんですよ。
それだけに余計分かりにくい。正直何を言ってるのかよく分からないっていう感じなんですね。
ある人はまたアパートの裏側に人が住んでるっていう、そういうのも私の分かりにくいやつの典型的だったんですね。
だからゴミが置いてあってそれは食べかけのものだみたいな。
行ってみると確かにゴミが一個だけ落ちてるんですけど、どこからどう見ても生活感は感じられないんですよ。
なんか汚いジャムパンの袋みたいなのがある。
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でもここで誰かがジャムパンを食べたという感じは全くしないし、
大地ちょっと隙間的にようやく下水道一個があるギリギリかなみたいな。
排水溝ギリギリかな。
だからもうピタッとして寝ることだけならできるけど、他のことは一切できそうにないくらい狭いんですよ。
入って行きたくもないような。
あえてでもそこを一緒に僕見に行ったことがあるんですよね。
その人があまり言うから。
どう考えてもここで生活はできないでしょうって言うと、
見えるかもしれないけどしているのは確かだって言われるんですよ。
こんな感じなんですよね。
これについて確実にわかるような話は全然出てきてないなっていうのが正直なところで。
病理学読んでもよくわからん。
原因についてはもうほとんど原因は諦めましょう的なノリもなくもないんで。
症例主義的になっていくと。
アメリカで勉強したのはそうは言ってませんけど、でも原因なんてわかんないんだよみたいな感じで。
治ればいいではないですかっていうところから薬理みたいな話になってくるんですけど。
気になるじゃないですか。
この発想の不思議さというのかな。
その人が何についても知りめずれなことを言うとかならわからなくもないんだけど、そうでは決してないから。
そこのところだけ急にって感じが非常にするんでですね。
わからない。全然わからないなっていうのが正直なところだったんですね。
そのわからなさに僕として一番わからせてくれたのがクラインっていうところからウィニコットっていうところからビヨンっていう人たちの書いたもので。
その人たちはみんなフロイト参照してるんですけど、フロイトっていう漢字なんですよね。
それでようやくなんとなくなんですけれども、わからなくもないかなみたいなところまで来たっていう感じで、
分析というものに非常に興味が湧くようになったんですよね。
別に分析がしたいわけじゃないんですよ、だから。
ある意味これさえわかればよかったみたいなところもあって、
それでこう長らく読んできたっていうような経緯もあるんです。
やっぱり見せるだけじゃなくて、読むだけじゃなくて、
それでこう長らく読んできたっていうような経緯もあるんです。
身近な人がこれを言い出すとですね、非常に気になりますよね。
で、とはいえですよ。
じゃあそういうことって明らかにおかしくてどう考えても変かっていうと、決してそんなこともないんですよね。
例えば私たちはセミとかが、今朝もあったんですけどセミとかがいきなり自分にぶつかってくると、
ちょっとパニックになったりしますよね。
虫嫌いな人は絶対なると思うんですね。
でもぶつかってきたところが若干痛いかもしれないけど、ほぼほぼ無害じゃないですか。
あのパニックとセミがぶつかってきたことの釣り合いってまるで取れてないですよね。
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で、セミに悪意はないですが、間違いなくですね、ぶつかられた瞬間はセミに殺意を覚えると思うんですよ、人の側は。
これって忌み付けなんですが、つまり私たちは状況次第では自由自在に結構忌み付けて何でもできるんですよね。
この文脈で考えてみると、ATMに忌み付けをするのは多分浅見芝居だろうな、人の脳だったら。
夢見ている時にATMが何かに化ける、あり得ますよね。絶対あり得ると思うんですよ、いきなり人になっちゃうとかね。
そんな夢を見ることは脳なら十分可能ということを考えてみると、そういった妄想を抱くということはですね、
実はそんなに不思議なことではない。ある意味私たちにとって物が見えるというのは一つの危険なんだなというふうにやっぱり思います。
見えなきゃ困るから見えればいいに決まっていますけど、これがどのような意味を持ち、どういうものとして自分にとって、
自分にとってどういうものとして登場してくるかというのは結構脳まかせじゃないですか。
だから危なくもなんともないものが非常に危険だと、蝉とかね、危なくもなんともないものがなめくじとか、
ものすごい邪悪でとんでもないものだというふうに見ることは十分可能ですよね。
よく考えたって無駄なところってあるじゃないですか、地位とかですよね。
よく考えてもやっぱりめちゃくちゃダメだという人がいっぱいいると思うんですよ。
ということはどういうことかというと、さっき言った通りこの排水溝に人が生活できるかよく考えてみましょう。
多分通じないと思うんですよね。
このATMがあなただけを見張るということに意味があるかよく考えてみよう。
多分ダメだと思うんですよ。
結局そこには何かあるんですよね。
だから引きこもりなんですけれども、
なんで私がこういうのがなんとなく分かるようになったかというと、
まず一つはクラインが分けるということについてすごく念入りに考えてくれていたからですよね。
良いおっぱい悪いおっぱいって言えば良いお母さん悪いお母さんって言えばいいじゃんって思われるかもしれないけどやっぱりダメなんですよ。
おっぱいって言っているところにめちゃくちゃ意味があるわけですよね。
切り出されていますよね、それだけ。
まずこれが一つですね。
他の動物にできるかどうかわからないですけど、
大小一つ切り出すということを私たちの頭は容易にできますよね。
おっぱいだけ意識する。男の人もみんなやってますよね。
この何かだけ取り出すということができるということは、
あらゆるものについてそれができるということになりますよね。
私たちあまりにもそれをごく自然にやっているものだから、
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分かっていないんですよ、これのすごさが。
例えばガーデニングしていてトマトの実だけ意識の中で切り出すということができますよね。
あのトマトとかって言って赤くなったトマトが1個だけあるとかっていう言い方をすれば、
そこで聞いている人全員がそれをできますよね。
切り出すというその心理操作ですよね。
それは意識操作でもいいや、そういうことができますよね。
これが暴走したらどうなるかっていうのは非常にあるじゃないですか。
何か一つだけ取り出してきておいて、いやそもそも虫とかがそうですよね。
虫だけ取り出しちゃいますよね、意識の中で。
その虫にだけ何か意味をつけますよね。
邪悪みたいな、気持ち悪いとかね、何でもいいんですけど、
そういうものとして自分の心の中で働かせてしまうわけですよね。
そういうことがまずクラインが言ったことだと思うんですよね。
分けると、切り出すということですよね。
そしていいだ悪いだ言うと、
しかもそれを自分の心の中の力を持ったものとして扱うと。
そういうことがまず起こると思うんですよ。
例のあれですね。
考えられなくなるモードに入る時があると。
つまりパニック来るわけですよ。
蝉がぶつかってくるやつですよね。
ちょっとした外傷という言い方をしてもトラウマみたいな感じ。
多分そのトラウマの元がもっと別のところにあったはずなんですけど、
何でもいいんですよ。
とにかくあったということがあるわけです。
そうするとその時はその人は何も考えられなくなるので、
ATMが自分を見張る意味があるだろうかとか考えられなくなるので、
考えなくなってしまう。
そうすると悪いものが自分に向かって迫ってくるとか、
悪いものが自分に向かってとんでもないことをするとか、
虫に対して人が勝手に投影することってだいたい全部そういうことですよね。
だいたい全部悪意も何も持ってないものが、
多分向こうが持っているのはただの恐怖感であって、
恐怖感も持ってないですよね。
本能的な恐怖であって、
思考攻撃意図も全くないですが、
私たちが全部それを向こうに与えるという能力をこっちが持っているんですよね。
これがすっげえ飛躍するようなんですけど、
友達とか同僚とかに向くんですよ。
間違いなく。
そういうものが向きやすいということであるとですね、
ウィニコットという人がややこしい言葉を使うんですけど、
親衆とかって言うんですよね。
親衆っておかす、お孫みたいなやつですよ。
何て言うんですかね。
メスとか入れると親衆とかって言うんですよね。
メスとか入れると親衆的だって言うんですよね。
その治療は。
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そういう言い方をするんですよ。
この親衆って、
いんなんとかかんとか英語ではですね、
とにかく親衆的としか訳しようがないような言葉を使うんですが、
何を言わんとしているかというと、
お母さんが子供に親衆的だって言うんですよ。
家保護みたいな、家管省みたいな感じなんですけどね。
もっと違うんですよね。
アナルド・チルドレンっていう概念が、
多分僕はこの親衆的な部分をパクってきていると思っているんですけど、
そういうことを言うと怒られるかもしれないんで、
こんだけにしておきますけど。
とにかく親衆的という、
つまりお母さんが、
お母さんは環境供給をミニコットに寄せれば、
子供にしなきゃいけないから、
ホールディングして保護すると。
ホールディングっていうのは落ちないようにグッと離さないぞみたいな感じなんですよね。
この場合、抱っこするって感じでは。
抱っこするもそこに含まれるんですけど、
あの人はいちいちそういうことを考えるんですよ。
グッとやって離さないと。
もちろん精神分析の話をしてますよ。
これは患者を絶やすくは離さないぞというような意図があるんだと思うんですよ。
患者さん、来覧者さん、クライアントさんは、
嫌になって来なくなっちゃう。
十分あり得るんで。
私もそのことについてホールディングっていうのは、
考えさせられるなとつくづく思うことがあるんですよ。
タスクカフェとかでもいきなり話飛んでるようなんですけど、
タスク管理とかでもそうですよ。
タスクシュートやるの嫌になっちゃうんですけどみたいに言われたとき、
ホールディングっていうのは頭をよぎるんですよね。
ここまでここで、
いやあなたは絶対やるべきだって言うべきなのか、
いやもう嫌になったらやんなくてもいいんですよって言うのか、
後者の方がいい感じなんですよね。
これをマイルドに言うと後者の方がはるかにいい感じがするんですよ。
前者を言うのは踏み込むんですよね。
どうしてもお金も取ることになるし、
あなた結局私から巻き上げたくてやりたくもないことをやらせるんでしょうって
言われたくないじゃないですか。
ホールディングって難しいんですよ。
でもお母さんは子供が暴れたくらいじゃ
ホールディングを諦めたりしませんね。
落ちますからね。
私も思うんですよ。
この人ここでタスクシュートやめると落ちるんだよなと思いながらも
優しそうなことを言っとくわけですよね。
そういうことはありました。
もう大丈夫です。
やらなくても大丈夫なんですよとか言って
実に無責任になるわけですよ。
そういう時。
でもここは難しいなって思うんですよね。
毎度毎度。
新種は逆なんだと思うんですよ。
そこでこう
責任を取りすぎるというのかな。
だから過保護みたいな話になっていくんだけど
僕あれはですね
意味づけなんだと思うんですよ。
子供がのびのびと何かをすることに対して
どちらかというと
負の意味をつけてしまう。
これが僕は新種なんだなと。
今すごくグッドバイブス的な表現を使って
ウィニコットを説明するという
とんでもないことをやったんですけど
とんでもなくはないんですけどね。
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アクロバティックなことをやってるんですけど
要するに
例えば
子供が
思春期くらいでもいいですよ。
性について
興味を持つと
これ自体はいわゆる
ごく自然の
成り行きなんですね。
これに対してでも
お母さんが
負の意味をつけると
あからさまに言わないにしても
無意識の中で負の意味をつけてしまう
ということをやると
子供はそれを素早く察知してですね
偽りの事故ってやつを
ウィニコットの表現を借りると
フォルスセルフってのを作り出すと
つまり
それは偽りなんだということを
素早く察知して
それについてのモニタリングを始めて
お母さんのいるところでは
それを話題にしなくなると
こういうふうにして何が起こるかというと
引きこもりが起こるんですよ
ウィニコットによると
本当の事故がそこから消えていってしまって
お母さんは
少なくとも
その分
本当のその子には会えなくなる
みたいな現象が起こる
なぜこれを子供がやるかというと
お母さんが親習的だから
ということになるんですよ
だからウィニコットが言うところの
一人でいられる能力というのは
常に二人以上の中で起こっていることなんですね
非常にあの辺も
分かりやすいようで
わけわかんないことを言っているんですけど
複数人の中で一人でいられる能力というものが
一人で
彼が言う一人でいられる能力なんですよ
ある意味
自分の部屋に自分しかいないんだったら
一人でいられる能力が
いらないですよね
一人でいるんだから
あの辺のことはオグレンという人が
すごく分かりやすい
例を出してきてくれているんですけれども
ガレージの掃除をする夫っていうのがいて
だけどその夫は
奥さんがいないと
ガレージの掃除ができないんですよ
ただし奥さんが家にいないと
ガレージの掃除ができないんですね
奥さんが家にいると
安心してガレージの掃除をすると
でも奥さんが出かけてしまうと
その人はガレージの掃除ができなくなって
なんかソワソワして奥さんが帰ってくるのを待つと
でもその人は奥さんがガレージに来ると怒ると
僕はこれすっごい引きこもりの説明として
完璧だなと思うんですね
まさにその人は
お母さんの心臭というものが
かつてあったんでしょうね
晒されているということがあって
偽りの事故を作っちゃう
本当の事故は
多分ガレージの掃除がしていたい
本当の自分というのは
人と一緒にいる時に
一人でいられる人の時に
特によく現れるという
言い方をするんですよね
この辺のことがですね
心臭的である時に
多分あまりに心臭されている
というふうに思っている人は
さっきのですね
ATMに見張られているとか
何か非常に奇妙なことを考え出すんだろうな
21:00
というのが
私の頭の中には
ちょっとまとまってきたかなというには
そういうところなんです
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