1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は3月27日、日曜日です。よろしくお願いします。
昨日はですね、放送の後、大学の方でオープンキャンパスがありまして、大学の方に出勤していました。ご参加いただいた方、もしいらっしゃったらありがとうございました。
というわけで、ぽちぽちと仕事は続いているんですが、今日は日曜日なので、あまり予定もなく。
一つだけありましたね。学生たちが、うちの学生が一人参加している、障害がある人の暮らしっていう映像制作、映像作品の上映会があって、それが今日午後予定されていますが、他特に予定がないので、ちょっといろいろ溜まっている仕事をやっていこうという感じですかね。
今日のニュースですが、土日、昨日はあまりニュースがなくて、大きいのは天候で風が吹いて、屋根が強風で飛ばされた建物があったっていうので、
恐怖の話題が出ていました。新潟県の上越が強かったんですがね。新潟市とかその周辺ではあまり風が強かったという印象はなかった。新潟、柴田ではそういうのなかったんですが、かなり上越の方が30メートルぐらい風が吹いたということですよね。
というのが、昨日はニュースとしては大きく出ていました。今日トピックとして取り上げましたのは、朝日山のネオン看板というのを取り上げました。これ既に数日前に、今週の頭ぐらいでしたっけ。
3月21日付で新潟日報が報じていましたが、読売新聞が昨日付で配信していたというもので、改めて紹介してみたいと思います。画像にもちょっと入れてみました。
新潟駅の万代口というところが、今、大きな建て替え工事、リニューアル工事ですね。高架化とともに行われているのは何年も行われていて、なかなか終わりが見えないんですけれども、でもだいぶ歴史の方もできてきているというのは何となく見てて感じるわけですけど、
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まだ全貌はよく見えてないですよね。これに伴ってですね、万代口と言われる、通常表側と見られる方ですね。表側の方の看板が、表側のビルもまたですね、結構古いビルが今回出てきているのは、
70年代に付けられた看板ですからね。建物としても結構古いんだと思います。このビルの建て替え工事、再開発に伴ってビルの建て替えというのが出ていまして、今見ている記事では、
この旭山の看板が付いているのが第5丸川ビル、それからその向かい側の丸竹ビルはもう壊しちゃったかな。丸竹ビルとか、新潟定石ビルディングと、駅前の通りにあるビルが続々と建て替えになっている。今見たら1958年、新潟駅が、場所が移転してタイミングでできたビルがそのまま残っている。
これが建て替えになるということで、建て替わって面目を一新するって言いますけど、面目を一新する新潟駅の様相とともに変わっていくということでしょうね。
旭山の看板というのは、駅前の看板として、75年に取り付けられたネオン看板なんですね。これ今、私の付けてる画像では昼間の画像ですけど、夜光ってる。確かに光ってますね。
だから新潟駅に降り立つと、この旭山ってバッと出てるというものでした。そうだね、確かに。旭山、旭酒造という会社が作っているお酒の銘柄なんですが、長岡の会社ですね。旭酒造はね。
です。長岡の会社ですが、新潟のお酒、看板、ブランド力を確立するべくここに看板を出し続けたということですよね。
旭酒造さんは微妙にブランドがいろいろありまして、実は旭山の看板がここに出ていますけど、一般に広く知られているのは久保田というお酒ですよね。久保田というお酒が広く知られているかと思います。
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ですが、ここに出ている看板はたぶんもっと前からあるブランドということでもあり、たぶん昔からあるというか、もともとある看板商品。ちょっとごめんなさい。旭山というブランドと久保田というブランドの関係というかタイミングみたいなのはちょっと分かりませんが、たぶん昔からあるブランド名ですよね、旭山。
というのが、駅前にバンと置かれていたということですね。
1975年の当時は、やはりここに看板を出して新潟駅といえばここになるというのが非常に重要だったし、今を生きる我々にとってもどうかというとちょっとよくわからないけど、でも確かに自然に目に入ってたものではありますよね。
ちょっと前、1、2年前でしたかね。もうちょっと先に行ったところに今、アパホテルが大きなホテルを最近開業しましたけど、そこのところに吉野川の看板があって、吉野川の看板も長岡ですね。
吉野川も看板は、あれはネオン看板じゃなかったと思いますが、長らくついていて、なんて言うんでしょうね、御狭路って言うんですけど、ちょっと複雑な交差点になっているところがあって、そこに置かれていた看板もこのニュースと同じように押しまれつつ消えていった。
今はもう跡形もないですよね。この看板はですね、2007年に新潟市屋外広告条例というのが改正されて、こういう大型の看板の設置が難しくなったということですかね。
読売新聞の解説では高さ制限に引っかかるって書いてますけど、高さ制限に引っかかるって書いてますけど、とにかく同じものを立て替わった新しいビルにはつけられないということなんですね。なので、こういう看板は消えていくということですよね。
それはつまりは、屋外広告物条例というのは、警官の保持という意味から、こういう大型の看板、さらに言ったらネオン看板もなんでしょうか。こういう大きい広告物そのものが規制されていく、規制するということになったわけで、そこにある種の正当性というのがあるんだと。
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警官の保持という意味からでしょうね。というのがあるということでしょう。
そういう意味で言うと、だからあれですよね。香港のネオンサインが折り重なっているみたいなやつは、イギリス植民地であるがゆえの無法化みたいなことなんでしょうかね。
ちょっといろいろ考えさせられるところがありますが、いずれにせよ新潟駅前は、駅の開発に伴ってこの辺の警官も思い切り変わっていくということなんではないかなと思います。
はい。記事の中では、この広告をずっと担当してきたという平沢聡さんという取締役の方のことが書いてあって、平沢さんは要するに誇りを大事な仕事として、ずっと看板の維持管理に取り組んできたということで非常に残念に思っているという。
記事なんですけど、平沢さんは取引先の飲み会でカラオケを歌う場合には、もうあまりなくなっちゃいましたけどね、おそらく。飲み会でカラオケを歌う場合には三河健一さんの新潟ブルースを歌った。この番組でも何度か取り上げたと思いますけど、新潟ブルースを歌う。
新潟ブルースを歌うと、新潟ブルースの映像には大きくこの朝日山の看板がドーンと出てきて、新潟の象徴として多くの人に愛されていると感じていた。そうなんですね。新潟ブルースと、新潟ブルースのところにここで繋がってきたということです。
そうやって考えてみると、朝日山であれ、吉野川であれ、日本酒のブランド名が看板に出ているっていうのが、ある種、新潟駅前の風景の象徴であったということなんでしょうね。
言われてみればそうなっているという感じで、私はそんなに気にして見てないんですけど、気にしないくなっちゃったのかもしれないですよね。
という時代の変化の中で、看板のこういう駅前看板のあり方みたいなのも変わっていくんでしょうね。
終わるっていうことになると、こうやって押しまれるっていうのが出てくるということは、さっき言ったように、駅前っていうか目立つところに電色のネオンサインのギラギラギラみたいな看板が出ているのは、
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一般的には好ましくないというふうに多くの人は考えているんだが、好ましくないと思いつつも日々日常の中に紛れ込むようにずっと継続して経時されていくと、いずれ看板というのは風景の一部となって人々に愛されるようになっていくと。
それが狙いで作られているんだと思いますけど、そういうふうになっていくっていうことなんでしょうか。
そこをそういうふうに時間をかけて定着させていく前に、そういうものはなくしましょうというのが、これからの時代の街の景観のあり方ということになってくるのかなと思います。
看板というか広告そのものもこういうふうに物理でみんなが必ず見えるところに看板を設置するっていうことが今後どのようになっていくのか。
そこもいろいろ変化していくと思いますし、それはもう少し別の要素、例えばARみたいなものがうまく使われていくようになっていくのかもしれないし、やはりそうではなく、しかしもう少し洗練された形で出てくるのかもしれないし、
いろいろ考えるところはありますけど、いずれにせよ、こういう形の広告の出し方っていうのは消えていくのかなというふうなことは思いました。
今日はここまでにしましょう。皆さん今日はどうもありがとうございました。
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