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2025-09-29 17:06

Vol. 275 佐渡金山にいきた潜伏キリシタンの足跡


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サマリー

このエピソードでは、潜伏キリシタンと佐渡金山の関係について探求している。特に、島原の乱後に処刑されたキリシタンの歴史や、茶道に関連した技術の導入について語られている。また、現在のキリシタン図鑑の整備状況やカトリック教会の役割についても触れられている。

潜伏キリシタンの背景
新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は、2025年の9月30日、違う、29日、29日月曜日です。
記録を見たら、前回274が4月ということで、半年ね、ほんとの話ですいません、なかなかお話しするタイミングがつかめずにいました。
元気でやっております。今日はですね、9月29日、
大学の小読みで、後半戦の第1週目ということで、授業が始まっていろいろ
わざわざと、教員の方もいろいろ活動していますが、だんだん、私たちそれぞれの授業の顔ぶれも、だいたい固まってきたかなというような状況です。
大学によってやり方は違うと思うんですけど、まだ完全には覚醒していないというところです。
なので、時期的には、夏のいろんな活動が止まっている時期が終わって、ここに至るというところなんですが、
私のゼミの活動というのは、夏休みに結構いろんな取材活動とかを入れているので、
あっという間に夏休みは過ぎ去っていくんですけど、私は自分の原稿がその間書けないでいるので、
この2、3日、結構バタバタと頑張っています。自分の原稿を今書くのに頑張っています。
今日はですね、夏休みの活動の中で、9月の上旬に行ってきた里の話、これまでいろいろあったんですけど、
その中からキリシタンズカの話をしたいと思います。去年からちょっと話には聞いていて、去年も一度行っているんですが、
今年改めてこのテーマを取り上げてみようということで、いろいろ回ってきました。
キリシタンズカ、里にキリスト教徒がいたという話は、そんなには知られていないと思います。
だいたい里の話をすると仏教の話で、日蓮が流されたのかな。その話は結構知られていると思うんですけど、
そうでもないか。
キリシタンもいたという話ですね。キリシタン、クリスチャン。
キリシタンといえば、大体、戦国時代からエド時代、キリシタン教の時代の初期にかけての話ですよね。
この人たちがなぜ里にいたのかということで言うと、基本的には人目につかないところに流れ着いて、里に行ったんだと思います。
今残っているのは、中山峠という相川という里の町があるんですが、相川に今世界遺産になった金山がありますが、
この金山に至る道、最後相川の町に入ってくるまでの峠、一番の段所のような峠のところですね。
山東の峠のところにキリシタン使と言われる場所が残っています。
何があったかというと、島原の乱があった後で、里に潜伏していたキリシタンたちを処刑した場所だということなんですね。
なぜ処刑されたか、なぜそこに隠れていたかというのも、もちろんはっきりしたことは、必ずしもわかっていないんですけど、
大熊長康という人が、茶道仏業をしていたということと、
どうも関連性があるようで、大熊長康というのは徳川幕府にいた人で、
彼自身もキリシタンであったというふうに伝えられていますが、
彼は武将としてというよりも、
詳細のようなものを買われて、処刑していった人だと思うんですが、
彼がキリシタンであったというところから、おそらくは茶道の金の精錬の方法というのも、
海外から導入したのではないかと。海外からこの導入をするところに、
宣教師たちの力を借りていると。宣教師たちが茶道に入ってきていることは、わかっているんですね。
なので茶道に宣教師たちが入ってきて、彼らが自ら教えたのか、それとも技術のある
日本人を連れてきたのか。
茶道で聞いたのは岩見金山から連れてきたんじゃないか、みたいなこともいましたが、そこから人を連れてきて、
その人たちから精霊の方法を習ったんじゃないかと。
この辺も、私もそこまでちゃんとした根拠があるのかどうかまでは検証していないんですが、
そういう話が一つと。同時に島原の乱魔での間に、
徳川幕府がキリスト教を禁止したと言うと、その前、
金教になったキリスト教を徹底的に弾圧したと言うと、必ずしもそうではなかったようで、
茶道の金山で働くというのは、後に無宿任と言って、
今で言うホームレスのような人たちですよね。そういう人たちを半ば罪人のように連れてきて、
片道金服で厳しい環境の下で働かせたと。大体そういう話が出てくるわけですけど、
その無宿任が来る前、人手不足ですよね、働く人がいっぱい必要だみたいなところで、
キリスト教徒たちにも、あそこに行けば、信仰も守れるし、摘発も拒められるし、
というようなことを言ったんではないかという話なんですよね。なので、その技術を伝えた人もいるし、
それに伴って来た人もいるし、いろいろな形でキリスト教徒たちが身を隠す場所として茶道と、
もっと言ったら茶道の金山というのが、一時期存在していたのだろうというふうに見られています。
ただ、この人たちも1928年、しまばらの乱の後に摘発を受けて、
見栄を増されたのかどうだったのか、聞き取ったというふうにされた方は処刑されたというふうにされていて、
その処刑された場所と思われる場所に、記念公園というようなものが建っているということですね。
当然、その後も近況の時代が長く続くので、その間、
キリスト教信仰がどのようにあったのかというのは、よく分かっていないですね。
長崎では、潜伏キリシタンというのが大浦天主堂に来て、
実は私たちはアクレッジ神父を守ってきたんだということを、
サトリックの神父に告白するという話がありますが、そういうことはないわけですね。
今度また改めてお話ししますが、長崎で出てくるようなマリア観音といわれる、
マリアのような観音様のようなものがあるんですね。
何らか継承されている可能性はあるのですが、公式には一旦途絶えているわけですね。
サトリックのキリスト教信仰の歴史を伝える場所として、
キリスタンス化を整備しようというふうになったのは、ずっと後の話で、
明治期だったのですが、新潟にも再びキリスト教が入ってくる時期ですよね。
明治期に説教師が入ってきて、布教を始めるのですが、
この布教の結果、キリスト教に改修したとされる人物で、
佐渡金山の役割
新潟の大江武さんという人がいるのですが、この人が後に佐渡に行って、
キリスタン弾圧の歴史を聞いた結果、記録を留めなければいけないということで、
中山峠の処刑される場所を買ったんだという話を聞きました。
大江さんが買った土地も、その後そこで整備されていったということもないのですが、
今確認中なんですが、1980年代ぐらいに大江さんという人が買った場所というのが、
キリスタン弾圧の場所というのが残っているということを、
カトリックの関係者が発見したというか、それが知られていたんだけど、
あまり整備されない状態でそのままになっていたようで、
今この佐渡のキリスタン図鑑をきちんと整備しようというのは、
カトリック教会の人たちの間で広がった時期があったそうです。
その結果出来上がったのは、今のキリスタン図鑑ということになります。
非常に綺麗に公園というか、その場所自体は整備されていて、
マリアさんがキリスト像があり、
それから昔の愛川に教会があった時代の神道の墓みたいなのが残っていたりして、
結構綺麗に整備されています。
今回、両津にまだカトリックの教会が残っていて、
そこでお話を伺ったところでは、
どうやら佐渡の方で、
佐渡のカトリックの関係者が整備しているというよりは、
東京の方、東京の教会の関係者がお金を出してくださっているのかな、
とにかくそういう形でカトリック関係者の支援のもとに、
ここは整備されているということだと、
今のところ聞いた話はそんな感じです。
カトリックの関係者は年に1回入れに訪れているという話も聞きました。
同時に佐渡では、
佐渡市民の選ぶ佐渡百選という名称の百選に選ばれているんだそうで、
佐渡島民にも認識はされているんだとは思いますが、
道路も舗装されていなかったりして、
なかなか昔の峠道なので、
今はトンネルも通って、
愛海道という別のルートもちゃんと整備されているので、
宮道ですよね。
宮道は普通に人々の生活用のため、
今の人々の暮らしに関わる道路として整備するということにはならないということで、
正直あまり良い状態ではないですね。
車も年高で入っていこうと思ったんですが、
前の日が雨だったりして、
これ無理だろうということで歩いて登りましたけど、
そういうことでなかなか整備されているとは言い難いという状況ですよね。
ただ、
最近は遊歩道というか、
歩く道の整備って結構いろんなところで行われていて、
山ですからね、山を越えて愛川に行く道を辿ってみようと、
なんかね、付近に極門の塔みたいなのがありますね。
だいぶ驚きしいものもあったりして、
遊歩道としてっていう風にはなかなかならないですね。
ダークな歴史も込みなんで。
そういう場所ではあるんですけど、
でも道としてはちょっとしたハイキングコースになるんじゃないかなという気はしますけど、
そこまでは佐渡百選とはいえ、
佐渡の皆さんの関心が高まっているとは言えないという感じで、
公園はカトリックの関係者によってきれいに整備されているけど、
というようなところですね。
そういう場所でした。
そんなに知られていないとは言うもののですね、
ちゃんと幹線道路から、ここからキリシタン図鑑に入ってきますっていう、
看板は出てます。
そうですね、標識は出てます。
出てますが、ちょっと道路を見て、
これ入っていけるかなみたいな感じに見えると思いますね。
というわけで、今日は佐渡のキリシタン図鑑の紹介をいたしました。
今回9月の上旬に行ってきて、
このキリシタン図鑑についてはもう少し調べた上で、
造作にまとめていくというつもりです。
キリシタン図鑑の整備
どうもありがとうございました。
17:06

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