マリア観音の発見
おはようございます。新潟のへラジオ一戸信哉です。今日は10月2日になります。
前回ですね、久しぶりに配信をして、半年ぶりだなあというふうに言っていたんですが、その時に
キリシタンスカという、今年の先月、9月ですね、佐渡に行った際に取材してきた話をしました。
キリシタンスカは、江戸時代の金教時代にですね、キリスト教徒たちが佐渡に潜伏していたんだけれども、
金山で働きながら隠れて暮らしていた、信仰を守っていたんだけれども、敵発にあってみんなね、処刑されてしまったという、そういう話なんですが、その話を調べているときに、
学生たちと一緒に見つけたのが、そのマリア観音というのが、佐渡にあるらしいという話で、そのことも合わせて見てきていたので、
今日はその話をしたいと思います。マリア観音って、どういうことかというと、マリア様のような観音様のような、どっちなんだ、みたいな、そういうものですよね。
いわゆるマリア像のイエス様を抱いたマリア様っていう、
カトリックの信仰でよく出てくる像がありますよね、マリア像。このマリア像の形に似ているんだけど、赤子を抱いている人が、赤子を抱いているのがマリア様というよりは観音様だよね、という感じのものですね。
これはマリア観音というふうに言われています。なんでそういうものが売られたのかということを、ちゃんと調べたことはないですし、
なぜそれを作ったのか、ちゃんと根拠をつけられているのか、わからないんですが、長崎に行くと、各地の隠れ信仰とか、今旋復キリシタンと言うんですよね。
そういう展示の中ではよく見つかるですね。私も何か所か、長崎市内だったと思います。長崎市内で、いろんな展示物とかを見に行くと、よく出てくる、何か所かで見た記憶があります。
この隠れ信仰の象徴たるマリア観音が、佐渡にもあるらしい。
というので、佐渡で所蔵している、伊藤さんという相川方のお宅に、撮影に伺いました。
この伊藤さんのお宅では、千と大体、仏壇の中に、木の箱に入った何かが、仏壇の中に置かれていて、これは開けてはならない。
たたりがあるじゃないけど、絶対開けちゃならないというふうに言い伝えられているものがあって、これを1952年に開けてみたら、今回アイコンに入れたような観音様が出てきた。
隠れ信仰の背景
そういう話なんですね。
なぜ開けたかというと、多分研究者の方が来たと、本土側、新潟側の学院のような方だったと記憶していますが、そういう方がいらっしゃって、開けてみましょうと。
開けるべきだというのがあって、開けてみたら、そういうのが出てきたという話なんですね。
以来、マリア観音として、自宅に所蔵されていたんですが、結構早いタイミングで、相川の郷土資料館の方から、貸してほしいというか、
博物館に、資料館に帰宅してほしいということかな、というので、郷土資料館の方で展示されていたということなんですね。
前回、昨年佐渡に行った時に、ちょうど切り替わっていたんですが、相川の郷土資料館は、佐渡の佐渡鉱山の世界遺産登録ということと連動していて、
いわゆる徴用航ですよね。佐渡で働いていた朝鮮人の人たちのことを含めて、歴史的な経緯をちゃんと展示するという話になったので、
そこで相川の郷土資料館が、そのために展示をリニューアルするということになりまして、結果、相川の地域の文化とか歴史に関わる、その他の展示というのが全部なくなっちゃったみたいなことを、昨年も聞いていたんです。
でも、その時は、朝鮮人労働者のことを追いかけていたので、あまり気にも止めていなかったんですが、確かにこのファリア観音とかですね、あと先織りとかも展示していたのかな。
ただの郷土文化みたいなものが、すっかりまるっとなくなっちゃったみたいな状態になっていて、それもいろいろ問題あるなというふうに今回聞いて思いました。
まあちょっと今回郷土博物館行けなかったんですけど。
で、このファリア観音は、伊藤さんのご宅がキリスト教の信仰をずっと守っていたということなのかということで言うと、それは現在の伊藤さんももうわからないと言っちゃっていて、
そうなのかもっていう話でしたね。箱に入れて出すなんて言ってたので、もうわからない。
で、代々キリスト教信仰を守ってきたというような意味合いは、少なくともはっきりとは読み取れなかったということなんですね。
ただ、だからといって、里の旋復キリシタンが島原乱の後の摘発で完全にいなくなってしまったのかっていうと、そこはちょっとよくわからないんですね。
どっちとも言えると。
で、里のこのマリア観音は、この写真に入れた伊藤さんのお宅にある、割と顔がシンプルに作られていて、造形的か形から見て子供が描かれていて、子供を抱いているお母さん、マリア様のように見えるという感じのものですけども、
それ以外にも、いくつか、ハモチの方に、ハモチの方のお寺に所蔵されているのが一つと、それから、なんか読んでるともう一つ出てきたっていう記録もあるっていうのも読みましたが、
ハモチの方は今も所蔵されていて、結構、佐渡市内のいろんな博物館展示とかを見ると、その写真はあるんですけど、写真はあって、もうちょっとこの写真よりは、マリア様というよりは観音様に近いのかな、ちょっとそういう顔をしているものがありますが、
これは今、公開されていないということですし、もう一つの方の所材もちょっと私も追い切れていないということで、今のところ、わりとお願いすれば見せていただけるような状態にあるのは、この写真にある伊藤さんのところのもの。
文化財としての意義
伊藤さんのところのものは、ひなびらきみたいなのをやっているときも、合わせて公開しているというふうに言いました。
というので、謎が多いと。
これも、どういうふうに言っていいのか、なかなか難しいんですけど、
とりわけこれがあったからといって、隠れてキリスト教を信仰していた人たちがいるとかいたとかっていうのはわかりません。
それから、伊藤さんのやつは家の仏壇から出てきたんですけど、
葉持ちのお寺のものは、伝聞ですけど、畑から出てきた。
畑を耕してたら出てきたとか、もう一個も土の中にあったのが出てきたと言ってたような気がしますね。
信仰していたというよりは、信仰して土深く埋めてあったものが出てきたのか。
いろいろ謎が多いですよね。
あと、マリア様のような、観音様のような、
つまり仏教徒用のものであるかのように見せて、キリスト教を信仰するという手法がどこから入ってきたのか。
長崎で確立されて茶道に入ってきたのか、
茶道からのものがはたまた長崎に行っているのか、それとも全然違うところなのか。
同時多発的に起きたものなのか、どこかに源があってその手法が確立されてきたのか。
ここはわからないわけです。
というようなところもあって、いろいろ謎が多いところであります。
もちろんこれは、キリスト教の潜伏キリシタンの話で言っているから、この話だけが取り出されているので、
おそらく茶道等内でいろいろ残されているものの中で、
なんでここにこれがあっているのか、多分他にもあるとは思うのですが、
あるようですが、ひとまずキリスト教に関連するところでは、
このマリア観音というのが一つの象徴かなと思います。
残念ながら世界遺産の絡みに比べると、
世界遺産で人がやってくるということの文脈の中では、
このキリスト教の話は地味ではあるんですけど、
ただ、世界遺産になって海外からも人がやってきて、
というような文脈で考えると、
そういうキリスト教の信仰というのも実はという話は、
そういう話が茶道の観光の文脈の中にうまくはまってやると、
派手なものではないけど、でも関心持つ方がいらっしゃるんじゃないかなとは思いますよね。
だからそういうのも、もうちょっと注目して整備していくといいのではないかというふうには思いました。
はい、というわけで今日は茶道のマリア観音についてお話ししました。ありがとうございました。