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2025-10-04 12:17

junebokuさんとランチ、キリシタン遺物史料館

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こんにちは、ninjinkunです。
昨日は、声日記仲間であり、リッスンの開発チームで一緒にお仕事をしているjunebokuさんにお会いしてきて、
大阪の茨城市の奥のサイトというニュータウンのさらに奥にあるザファームという植物をたくさん扱っているおしゃれなお店がありまして、
ここのカフェスペースでランチをしてきました。
まず、このサイトというのは、名前は聞いたことがあったんですけど、結構新しいニュータウンで、まだ結構作っているところもある感じですかね。
大阪モノレールの半大病院の方に行く路線の端っこなんですけど、まずそこに降りて、車で迎えに来てもらってザファームに行って、
私はね、植物そんなに普段育ててないんで嫌いとかではないんですけど、でも結構おしゃれな感じで良かったんで、また来たいなという感じもありましたね。
色々植物売っていて、おしゃれな鉢とか、あとインテリアとか、そういう結構トータルでいろんな雑貨を扱っているお店だったんで、とても雰囲気も良くて、
正直山の中にこれが出現するっていうのは、普通にその辺の山を見るとよくある集落という感じに見えるんですけど、ここだけやたらおしゃれみたいなね、そういう面白い空間でした。
ここでパスタとピザをいただいて、食後にコーヒーも飲んで、かなりいろんなことをお話ししたんですけど、
でも主に純木さんがBMSGにハマっているというのがよくわかる内容だった気がしますね。
私も解像度が多少なくはないんで、ある程度話し、その後ですね、
これ私が行きたいって言って、茨城一律キリシタン遺物資料館に行ってきました。
これはたぶん聞いたことがある人はほとんどいない資料館だと思いますけど、
茨城市の山の奥の方に、さらにその彩都よりもっと奥ですね、
昔その隠れキリシタンが住んでいて、それの隠れキリシタンの遺物が大正の時代に入って出てきて、それを展示しているというところですね。
かなり小じんまりした資料館になっていて、ほぼほぼ玄関ホールと資料室一室という小じんまりしておりまして、
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入場無料と、結構駐車場3つしかなくて、でも我々が行ったら2台とも埋まっていて、
1台から落ちて空いていたんで、そこに頑張って純木さんに止めてもらって入ってですね。
これはですね、結構良かったです。
規模から想像するよりはとても面白かったし、
まずドキュメンタリービデオがね、30分強あるビデオがずっと回っていて、
ここでほぼほぼどういう経緯で、ここに隠れキリシタンが住んで、
どういう経緯で異物が出土したのか、発見されたのかが解説されているんで、
これを見れば全体像がバッと頭に入ると、30分強ありますけどね。
というのがあって、それもまず良かったですね。
簡単なストーリーとしては、1600年代かな、
フランシス・コザビエルがやってきて、日本にキリシタン教が連来し、
その流れでキリシタン大名が世の中に誕生するんですけど、
大阪には茨城城主が片山ウコンだったという流れがあるんで、
ここでもキリシタン文化がある程度浸透して、キリシタン教に回収する人がいたと。
ただ、豊臣秀吉の時代になると、キリシタン禁止令が出るんで、
そこで弾圧を受けるというので、どんどんみんな隠れていくようになると。
その時代から、結局キリシタン教の禁止令が解かれるのが明治6年なので、相当300年近く時が経ち、
さらに隠れていた人たちは、時代が変わってキリシタン禁止がなくなったことを知らないまま隠し通してきたと。
それが大正の時代に入って、近隣のお寺の住職さんが、
もともとは教代の研究で西の教から隠れキリシタンのお墓が出てきたという研究を見て、
なんかピンときたらしくて、これはこの近くにもあるんじゃないかと思って探して、
そうすると、その一帯の家の中でブラブラしているおじいさんを捕まえて案内させたら、
お墓に十字が入っているお墓が見つかったというのが経緯という感じですね。
この発展した人が後の資料館の初代館長になるんですけど、
そのおっさんが結構面白い語り口で、ブラブラしているおじいさんを捕まえてお願いしたんやとか言って、
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最初拒んどったけど、最後は俺で案内してくれたんやみたいな感じで、
どう思うでもそのおじいさんは隠れキリシタンの異物を引き継いでいるということを知ってたっぽいんですよね。
最初だから渋々案内したり、裏に変な石があるとか言って、
それでこれが発見やってなって、まだ隠している風な素振りを見せてしまったらしくて、
後の館長に迫られて、もうあかんわと思って息子にあれ持ってこいって言って、
アカズノヒツってやつを柱に針にかきつけてあったらしいんですけど、
持ってくると、なんと中から一番有名なフランシス・コザビエル像が教科書に載っているやつが出てきたというのがストーリーなんですよね。
というわけで、この辺りの一帯の家、いくつかはその異物を、
基本的に長男だけが実体を知っている状態で引き継いできたという感じで、
他の兄弟とか、特に女性とか子供がそれを知らないまま引き継いできたという流れがあって、
300年間いろんな品物がそこに蓄えられていたという流れらしいです。
ただ、その一番有名なザビエルの絵とか、他にもかっこいい絵がいくつかあるんですけど、
これは神戸一律博物館の方に行ってしまっていて、
どう売り払ったのではないかという噂もある…いや、そこは詳細定かじゃないんですけど、
今は大阪にはなくて神戸にあるということですね。
この資料館では、発見された母妃ですね、元の発見の最初の起点になったお墓、
十字が入っていて、下に洗礼名が書いてある。
その仏教風のお墓なんだけど、実はキリスト教の印が入っているという、なかなか面白い品で、
これが3つ展示されていて、あとは出土した、
長餅みたいに入っていたキリストの排出でなった像とか、
あとはその有名な絵の複製品が置いてあると、そんな感じでしたね。
本当に小じんまりして見ても、我々は結構熱心にブルーレイDVDを見たので、
たぶん1時間くらいいたんですけど、さっと見たら10分くらいで出てくるようなところではあるんですけど、
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結構ね、私は満足しましたし、同行した純木さんも面白かったと言ってくれたので、良かったかなと思います。
そんな感じで、大阪の非常にマイナーなキリシタン遺物資料館に行ってきました。
でも、本当に山の中で棚田がいくつかあるようなところを、今は道路がありますので、
それでも結構まだこの奥まで行くのかみたいなところまで入っていって、
本当に隠れるのにはピッタリみたいな感じなんですけど、
ここで300年間もずっと信仰を守ってきたというのはやっぱりすごいことだなと思いますし、
なんとなく明言されてなかったんですけど、最後に隠れキリシタンみたいな人たちに
の逸話みたいなのが残っていて、その人たちがずっと唱えているお祈りの文句があったので、
これはキリスト教だってわかったんですけど、
たぶんそういう人たちもキリスト教をずっとやっているという意識はなかったかもしれないですね。
親から教えられてきたことをずっとそのまま受け継いできたという感じなんじゃないかなというふうに思います。
その最後に残った隠れキリシタンのお祖母さんが3人いたんですけど、
その中の1人は、
ローマ教皇の施設が日本に来たときに面会することができたということで、
このニュースがヨーロッパに伝わって、一大センセーションだったらしくて、
そういう施設もわざわざ来たという感じで、
ようやくキリスト教がちゃんと認められる時代が来て、
そういう人たちが日の目を浴びることができて、
よかったなと思う反面、その300年間大死のんだ人たちもすごいなっていう。
おばあさんのその逸話でフミエをやらされたみたいな。
多分その大正時代のインタビューみたいなところなんで、
たぶんそのおばあさんがさせられたのは江戸時代のマッキーでしょうね。
なんでフミエって本当にあったんだっていう。
でもそのキリストの絵を踏まされるのがちょっともったいないって言ったんですよ。
もったいないから直前でコテたんやって言ってね。
コテたらそれで許してもらえたみたいな。
ヌルって。
おそらく今更キリシタン見つかっても面倒くさいから
みんなナーナーで済ましたんじゃないかなっていう風に私は思ったんですけど、
それは何も語られてなかったですけど、そんなことを思いました。
なんでおそらくあの辺にキリシタンっぽい人たちいるなってことは
なんとなく共有されてたんじゃないかなっていう風に推測しますね。
という感じで私はもうね、
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実はここ前から名前知っててちょっと行ってみたかったんで、
行けてとても感無量でございました。
ご視聴ありがとうございました。
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