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はい、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
また少し間が空きましたが、今日は村上津波温泉のお話をしたいと思います。
と言っても温泉の話じゃないんですけども。
昨日ですね、岩船というところ、村上市の岩船というところで講演がありまして、仕事があって中学校の方に行ってたんですが、
その帰りに津波温泉の、この今アイコンを入れているところにちょっと行ってきました。
で、津波温泉というのは村上という町を代表する観光地で、温泉なんですけど、海沿いにある温泉で夕日が見える宿なんてあったりして、
日本海側に沈む夕日を眺めながら温泉に入るっていうようなところですよね。
私もよく通るんですけど、温泉に泊まったことはない、温泉ホテルに泊まったことはないです。
昨日通ったところは、そうですね、あんまりこう、なんかやっぱりこう、今のコロナの問題なのかその前からなのか、
やっぱりいくつかのホテルが閉館しちゃってる様子も見えたりして、なかなか大変そうな様子が見えました。
以前から行ってみようと思ってた頃ですね、昨日は米国新中軍上陸の地というところを探してですね、津波温泉の会話をぐるぐるぐる回ってました。
津波温泉っていうのは、高速道路じゃなくて、海岸線沿いの一般道で新潟県北上していくと通るところで、よく通ったことのある、よく通る道ではあるんですが、
ただ津波温泉って、ちゃんと通り沿いに大きいホテルがどんどん並んで、いわゆる温泉街みたいになっているので、
その界隈にこの米国新中軍上陸の地があるのかなと思ってたんですが、実は違っていて、
その界隈道路からちょっと脇の方に入っていって、ずっとマリーナとかあるところに、ずっと脇の方に入っていく道があって、ずっと外れていきながら、この辺かな、この辺かな、みたいな探していっていきました。
で、最終的には本当に一般の住宅街みたいなところに入っていっちゃって、どこなんだろう、みたいなね。住所でいうと、瀬波神殿って書いてましたので、神殿なのでね、やはり田んぼとして、海沿いでしたけど、田んぼとして開拓した、開拓したっていうか、多分観察の結果できていったようなところなのかなと思いますけど、
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そういう水田が広がってましたね。という辺りでぐるぐるぐるぐる回っていて、探した挙句にようやくたどり着いたというのがここになります。
周辺は住宅街の端っこのヘリみたいなところで、海に面したところですね、上陸の地なので。ですが、釣りをしている人がいたりして、港湾設備みたいなのがそんなにがっつりある感じではなかったですけど、防波堤みたいなのがあったような気がしますね。
非常に天気も良かったんですが、そこにポツッと置いてあるんですね。米国新中軍上陸の地という日があって、下に碑があって、隣に怒りがですね、地元の人が建てた建物の中に怒りが置いてあるというだけの施設で、なかなか知らないとたどり着けない。
私は瀬波温泉に泊まったことはなかったので、瀬波温泉に泊まった人は漏れなくチラチラと見るような場所に立っているのかなと思ったが、どうもそうではないですね。瀬波温泉の瀬波の集落の中に入っていくような感じでないと訪ねていけないようなところにあります。
ウェブ上の説明もほとんどないですよね。村上の地域振興局が1つページを設けていて、村上岩船陳百景というところで1個紹介しているのと、あと、瀬波町づくり推進協議会、ここが多分記念碑を建てたりしている地域の団体の人、またはその関わりの方なんではないかなと思います。
その2つぐらいのページしかほとんどなくて、まだほとんど注目されていないという感じですね。何があったのかというと私は読む限りではあまりよくわからないですが、1945年の10月ですので、
もちろん無条件降伏して、ポツラム宣言を受諾して、東京に米軍もやってきてというタイミングだと思いますけど、こちらが新潟側に多分海側から新中軍が入ってくるときに上陸する場所として、新潟市内じゃなくてどうして瀬波に入ってきたのかちょっとわからないですが、瀬波のところに上陸したということなんだと思います。
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この日文の中では温泉地の温泉の旅館に米軍兵たちがドーッとやってきて泊まっていたみたいなことが書いてありましたけれども、ここに置いてある怒りは今度は何かというと、怒りは上陸しようとしたときに大しけがやってきて、
それで米軍の船は上陸用酒艇は波に飲まれてしまいそうになったので、ワイヤーを切って怒りを海底に置いたまま淡島の方へ逃げたという話なんだそうで、
その時に切って海底に沈んだ怒りがずっと沈んでいたのを地元の人が引き上げてここにアメリカ軍が上陸してきたということを示すものとして、保存はしてあったみたいですけどね。
ずっと雨晒しになっていたのを最近屋根をつけて、ここに米軍が上陸してきたんだよということで保管してあったということですね。
その上陸した後どうしたかというと、要するに新潟にも米軍が侵略していたわけですから、そこに連なる第一歩が津波から始まったというところだと理解しています。
という歴史の1ページを津波温泉に行った時にちょっと見てくるというような感じのところでしょうかね。
昨日ちょっと行った感じでは津波温泉の界隈も、単なる温泉街で終わりじゃないなという感じを受けました。
さっきの津波町づくり推進協議会のページを見ても、津波は歴史の古い町で、町並みもはじめ自社物価や工事など歴史を伝えるものがたくさんありますと書いてあります。
そこは私はまだ見てませんが、そういうエリアで津波なんとか町って実は結構いっぱいあって、単なる温泉町ということで終わらずもうちょっといろいろ深掘りしたら面白いんじゃないかなという気はいたしました。
というのが今日のお話でした。
最近ね、なかなかネタいろいろだからこんな風に出かけていた先で仕込んだりとかですね、いろいろ本借りてきたりとかして、新しいネタをいろいろお話ししようと思っているんですけど、
少しずつ間が空いてくるようになりましたけれども、また次回お話をしたいと思います。
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今日もお付き合いありがとうございました。
今日は日曜日、良い休日をお過ごしください。