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2022-07-01 12:21

Vol.154 「日本近代郵便の父」上越出身前島密の献碑祭100周年


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おはようございます。新潟のへラジオ一戸信哉です。今日は7月1日。いよいよ7月に入りまして、2022年もいつの間にやら半分終わったということですが、
今日から7月ということになりました。 外もね、だいぶ昨日も今日もちょっと暑くなるみたいですね。新潟市内も。
本当に夏の気配が一気にやってきたなという、気配じゃないね。夏が一気にやってきたという感じになっています。
今日もいつも通り授業があるんですが、その前に、もう9時になっちゃいましたね。お話ししたいと思いますが、今日のテーマ、
前島秘書家の記事が出てましたので、ちょっと前島秘書家のことを復習していたので、時間がかかりました。
前島秘書家という人は、郵便の父と、日本近代郵便の父と、フルで言うとそんな感じの、
郵便事業を立ち上げた人として、知られている人ですが、この人はですね、実は、上越市の出身で、
今ちょっと読めない字がありました。上越市津有村、旧津有村というところの出身ですよね。
前島記念館というのが、下池部というところ、今の地名で言うと下池部というところにあるんですが、そこの辺りまで行ったんですけど、立ち寄る時間がなくて、行けなかったんですが、
前島秘書家、前島記念館というのがあります。今回記事に出ていたのは、今日7月1日が憲否祭
7月1日に毎年憲否祭というのを行っているんだそうで、前島の功績を称えると。前島さん亡くなったのが1919年だそうですが、
それから2年後の1921年から、憲否祭というのを行って、毎年100年間行われてきているということです。憲否祭というのは何をやっているかというと、地元の中学校の生徒たちが大功を披露したり、有志大功を披露するということですね。
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あと、日本郵便の日本郵便新越支社、支社長が祝辞を述べに来るとかですね。というような取り組みがあるよということです。
パンフレット、100周年を記念して前島の生涯や功績をまとめたパンフレットを、市からの支援を受けて3全部作成しているということで、これを配布するということだそうです。
前島ひそかさんですね。名前は知っているけど、どの人だっけ?みたいな感じはありますよね。とりあえず、今、新潟日報の記事の中で言っているところをざっと紹介すると、この下池部というところに生まれて、江戸で弾楽を学んでいたんですよね。
そしたら、ペリーがやってきたことから、西洋との国力差を痛感したと。その後、渋沢栄一らと明治政府に、新政府に参加をして、近代国家の建設に尽力していると。
郵便、金融、運送の仕組みを整えたほかに、早稲田大学の前身である東京専門学校、ここにも支えたというので、2代目の校長も勤めているということですね。というのが新潟日報の紹介で、日本郵政のほうを見るともっと、やっぱり前島ひとかは郵便の父として知られているので、郵便のほかにいろんな功績がありましたのがいろいろ出ていて、漢字の廃止、漢字の廃止、
漢字の廃止ってのは難しい漢字を廃止するとかですね、鉄道の不設とかですね、新聞事業の育成、新聞事業もこれ知らなかったですが、新聞事業の育成に、これはどういうふうにしたのかな、ああ、なるほど、第三子郵便か、新聞雑誌の定量送達の道を開きましたって書いてますね。
で、自ら出版社を勧誘して郵便放置新聞というのを総括させたと。この郵便放置新聞が後に放置新聞になる、今の放置新聞になるということですね。そのほか、陸運会社、海運政策の権威、郵便為替、郵便貯金、いろんなことをやった人は、いろんなやった成果が必ずしもすべて知られている。
わけではなくて、いろいろやった人みたいになっちゃうと、渋沢栄一もそんな感じですけどね、前島ひそさんもそんな方なのかなと思いますね。で、郵便の話はですね、ちょっと復習しようと思って、過去の、過去のっていうか、去年の整点をつくがまだ残ってないかなと思って探したら残ってたんで、で、ちょっとそれを確認したらちょっと時間がかかりました。
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ドラマの中では渋沢栄一と前島ひそかが、あともう一人、杉浦愛憎、杉浦ゆずる、この杉浦さん、杉浦さんと3人から主にこの3人が話をしていて、で、その郵便というのを前島が提案をして、で、いじはやられたんですけども、
で、それを大熊さんに、大熊シンゲルムにぜひやってくれみたいなのを持ってて、で、実現させるというようなストーリーになっていました。で、その話の中で出てくるのはどういう話かというと、
東京大阪かな、大阪か京都かな、わからないですけど、政府がいろいろ書類とかのやり取りをするのに、秘客を使って、すごい金がかかる、いちいち、要するに都度発注して秘客に荷物を運ばせるみたいなことをやった結果、1ヶ月にものすごい金がかかっているみたいなやつが、
わかった。で、そんなにことをするぐらいだったら、そんな風に、要するに輸送コストがかかってしまうんであれば、もう国自身が秘客の役割を自分たちで、国営の事業として行ってはどうかと。その時は駅邸って言ってましたよね。駅邸の事業をやろうみたいなことになり、
前島のアイディアで、つまり駅邸そのものを国営で自分でやると同時に、行っているこの事業に民間の郵便も、その時は郵便という言葉はないんですよね。民間のものも運んであげるという風にすれば、そこからお金も得られて、
要するに自前で収入も得ながら、要するに通信のシステムを確立し、それをさらに拡張していって日本全国に広げていこうと。それはだから、近代国家の西洋列強はみんなそういうのを持ってるんですよ、みたいなところを調べているとこから始まるんですけど。
ドラマの中では、東京と大阪の間でそれが行き来するところまでを描いていました。前島さんはその前にどっか海外に行くように言われてしまって、最後直接的には前島氏とか、それを開通するところの現場にはいなくて、最後それを成し遂げるのは杉浦ゆずるの方で、杉浦さんの方が最後、東京と大阪の間で手紙が届きました。
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そういうシーンが出てくるんですけど、だから前島さんは最後のところは見れていないんだと思うんですけど、でも結局その仕組みは非常にうまくいって、非常に早く日本全国にこの郵便の仕組みというのが確立されていくということですよね。
この仕組みを成し遂げた人として前島氏とかという人は知られているということですね。とはいえ、郵便のことに関心を持っている人でなければ、あんまりいろんなことをやっている人ってなかなか、何をやっていた人なのかっていうのがなかなか認知されていないということで、
新潟県内でもこのような形で記事は出ているし、前島氏とか知る人と知るぐらいにはなっていると思いますけど、上越市の人たちにとってどうかは分かりませんが、下越の人たちはそんなに前島氏とかっていうのは新潟の人でっていうところは認知してないかもしれないですよね。
ということで、なかなか皆さんが前島氏とかのことを調べる機会もないんですけど、100周年ということですので、これを機会に新潟出身の前島氏とかという人が日本の近代社会をつくる上で果たした役割というのも改めて勉強してみるというのもいいかなと。
いいふうに思いました。前島氏とかさんのこの憲章碑っていうのかな、銅像が建っているんですよね。この上越市の旧津有村のところには銅像が建っているんですが、あんまりみんな言ってる感じはないよね。ないと思いますけど。
ぜひ高田公園に桜を見に行くときにでもそうです。今もちろん上越市内に住んでる方はもちろんですけど、住んでない遠方の県民の皆さんも高田公園に桜を見に行った折にでも前島氏とかさんのところをちょっと訪ねてみるのもいいんじゃないかなと思います。
今日は前島氏とかさんの県備祭100年というニュースが出ていましたので、日本近代郵便の知事と呼ばれる前島氏とかについてお話をいたしました。ありがとうございました。
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