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2021-05-07 16:38

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.32 「無言館」新潟で巡回展


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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、昨日、新潟市美術館に行ってきてみたいなお話をしましたけど、
そのお話ですね、何を見てきたのかということをちょっと話そうかなと思って準備してきました。
無言館という施設があって、そのものズバリのタイトルの作品展が今、新潟市美術館で行われています。
これ多分、巡回展というか、全国で同じように作品が回っていっていろいろ展示しているんだと思うんですが、
今、新潟市で4月10日から6月6日まで、新潟市美術館で開催されているというものです。
無言館というのはもともとですね、長野県の上田市にあって、上田市だからあれですよね、
真田家のいろいろなものは残っているところですよね。
一回それを見に行ったことがあったような気がしますが、
真田丸の頃に一回行ったけど、それ以降ずっと上田の方には行っていなくて、
その後、無言館のことを知る機会があったので、一度行ってみようかなと思っていたんですけど、
ちょうどこの巡回展がやってきて、見てきました。
無言館ってどういうことかというと、
要するに戦争に行って亡くなった画家たちですね、
つまり焼酎されて戦争に行った人たちが、志半ばというかですね、
いろいろ作品を残しつつ、若くして亡くなっていたと。
その作品たちを集めて展示しているというのが、この上田の無言館というところなんですね。
その中の作品から今回選んだものを巡回展示しているんだと思いますが、
絵なんですけど、お一人お一人がどこでどのようにして亡くなっていったかというのが書かれていて、
これは戦争の兵士たちがどこでどのように亡くなっていったかという話を読んでいくと出てくるんだけど、
みんな花々しく戦争で死んでいったのかというと、そういうわけでもなく、いろいろな訓練中の事故で亡くなった人とか、
戦病死というのはやっぱり多いですよね。
いろいろなパターン、南方で上に苦しみながら亡くなっていった人もいるんだと思うし、
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その人たち一人一人の最後というのがあったんだなということも一緒に語られつつ、
同時にその人たちが日本にいる間に絵を学んで、そしてどのように絵を描いていったのかということが想像できるようなもので、
単純にこの作品を見て、単純に作品を見ればいいんだと思われるんですが、そこにその情報が加わってくると。
そういうようなものですよね。そういう作品展だったなと思います。
私も割とそういう見方をする方ですけど、今回は特にそういうふうなことですよね。
いろいろエピソードが書いてあるんですね。ここの背景に入れた、今回のチケットに入っている絵もそうなんですけど、
家族を描いているものとか、女性を描いているものをまとまっていて、いわゆるラフ像みたいなものもまとまっていたりして、
やっぱり人間を描いているものというのが、その人の性への気持ちというのを非常に強く感じさせるものであったりしますし、
当時の兵士は男性ですから、女性を描くということもまたその人の思いというのが、非常にリアルに感じられていて、
描いているのは妻だったり妹だったりするらしいんですけど、その姿を描いているというのもありました。
それからもちろん自画像というのもあってね。自画像というのも結構、写真というのも一瞬展示されたりするんですけど、写真とはまたちょっと違うようなものでしたね。
当然その人たちのエピソードもいろいろ描いてあったりしましたし、あとはあれですよね、わずかながらやっぱり戦地で描いた絵というのも残っていて、
これはどうやって描いてきたのかなとかいろいろ思ったんですけど、戦地で描いた南方でのいろんな風景が描かれているものもわずかに残っていて、
みんなこういうのを描きたかったし、描いた人もいるんだろうけど戻ってきたものはわずかなんだろうなみたいなことも少し想像させられるところですね。
あとエピソードとしては描きかけて出ていったみたいなのはすごいなと。
でも描きかけて出ていったというよりは多分最後の最後まで描き続けたかったんだというふうに解釈すべきなんでしょうけど、
そういう作品でしたね。
あといろいろ紹介されている中では家族断乱の家族というタイトルの、検索すると出てきますけど、
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伊沢博さんという人の家族というタイトルの絵が描いてあって、リビングでみんな椅子に座ってゆったり過ごしているみたいな絵があって、
これはなかなか面白くて、これ全部空想だっていうんですよね。
なので絵を見ているだけではなかなか気づかないんですが、やはり当時の日本で美大に送って絵を勉強させるなんていうのは、
田舎の人からすればとんでもない贅沢なことで、
伊沢さんは栃木で生まれたそうですが、農村から出て行って美術を勉強するというのは、家族をあげて送り出す、そのための学習を苦命するのがものすごく大変でみたいなことは本当にあったというか、そういうケースがほとんどなんでしょうかね。
で、そういう状況だったので、とてもじゃないけどそんな一家団乱でリビングで楽しく過ごしてみたいな、そういう家ではなかったんだけれど、いずれみんなでそういう風に暮らしたいなという思いを込めて描かれた絵だと。
まあそういう説明でしたね。お金ある人であれない人であれ、いずれにせよ美大に進学させるというのは、やっぱり当時の社会の中においては、今もそうですけどね、それなりに家庭環境に恵まれた人でないと難しいことであったし、
そういう背景もあると。で、その人たち、つまりその家族をあげて送り出されていった美大出身の人たちが、その後結局その筆を折るわけじゃないけど、筆を半ばにして戦争に連れて行かれるっていうことの無念さというか、不条理さみたいなのも同時に感じられるという作品ですよね。
で、この頃の社会情勢みたいなのをいろいろ見ていくと、226事件の話とかでもよく出てきますけど、お金がないから一方でね、お金がないから軍隊に行くみたいなのがあるわけですよね。
で、だからその職業軍人の人たちっていうのは、結構農村の貧困問題なんかに対しては、対して非常に思いが強いわけですよね。
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で、それが226事件に繋がっていく政治の腐敗とか、中央にいる権力を持っている人たちの腐敗に対する意気通りみたいに繋がっていくわけですし、戦地で中国戦線で戦争を仕掛けていく人たちの思いの中にもあるわけですよね。
農村の貧困問題を解決する、満州移民なんかもそうですからね。
なので、貧しくて娘を売りに出さなきゃいけないとかっていう、そういう状況が改善しない日本社会という中で、日本が戦争に突き進んでいくというのは一つの背景としてあるんでしょうし、
その動きの中に純粋に美術を学んで絵を描き続けたかった人たちが巻き込まれていったと。
そこの二つの間にどういう関係を見出せばいいのか、私も色々考えて、まだ答えはないんですけど、ある意味絵を描き続けることができたという人たちが突然それを奪われたという状況と、
それどころではなく貧しさから抜け出すために軍隊に入って職業軍人になるしかなかったみたいな人たちもいるんだろうし、というようなことを色々考えさせられるような内容ですね。
あ、ドラちゃんさんおはようございます。長野にも行かれたんですね。私も一度行きたいなと思ってるんですけど、今なかなか長野に行くのもちょっとね、なんとなくためらうような状況ですよね。
そういう意味で新潟市で見ることができてよかったなと思っています。
でもそうじて言うと、つまりこの人たちはやっぱり絵を描き続けたかったし、描き続けたかったという思いが残ったものをなんとか残すことができたんだなというふうにも見えましたね。
これは館長の方ですね。館長の方の講演が何曜日だっけな。5日の日にあったんですよね。久保島誠一郎さんの講演会が5日にあって、まだYouTubeに上がってるみたいですね。私もまだ見てないんですが、期間限定でいつまでだったかな。
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今日明日ぐらいで消えちゃうみたいですけど、講演があって、久保島さんという人が一生懸命集めたんだろうなというふうには思います。
あ、なるほど。現地で見るとまた違います。なんかね、異常に雰囲気のある場所なんだそうですね。私もまだそこ行ってないので、今度行ってみたいと思ってます。ドラちゃんさんからコメントいただきました。ありがとうございます。
ほとんどは上だから持ってきたものなんですけど、ただ今回の作品で印象に残ったのは作品としてということもそうですけど、実は新潟市の美術館もこの同じような戦没作家の作品を所蔵しているということで、過去にも展示をやったことがあるんだそうですが、
今回も新潟市出身の加藤一也さんと佐藤勢三郎さんと金子孝信さん、この3人の方の作品が展示されていました。
それが無言感の作品と比べてどうだこうだっていうところまで私もそこまでコメントする力はないんですけど、
ただ思うのは新潟市美術館もやはりきちんとこういうものを抑えてあったなということと、この3人のうち金子さんの作品は何年前かな?
新潟市美術館で展示をしたという話だったんですけど、ちょっとはっきり覚えてないんですけど、ここの展示のあたりで見たときに、この3人のどなたかの作品が寄贈されたタイミングで、この人たちの単体の展示をやったのが1987年って書いてあったっていう記憶がしてるんですよね。
87年ですかね。私は生きてましたけど、もう結構な年数が経っているなと。
そう考えると、やっぱり美術館っていうのの背後にはね、背後というかバックヤードには、やっぱりいろいろ年の蓄積の中で、いろいろ時の流れの中で蓄積されている作品群というのがあって、これを美術館の学園員たちが小出しにしてきていると。
小出しにしながら作品展をやっていて、やっぱり美術館の所蔵しているっていうところの役割というのも改めて感じさせるもので、やっぱりこの今の世知辛い世の中の中で、なかなか美術館というのも短期的に利益を出すじゃないけど、利益なり効果なりを出せということを言われがちだけど、
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なんとかそういうアーカイブしていく場所としての役割というのをもう少し社会的に正当に評価していく必要もあるよなと思いましたし。
でもそれはそうと、1987年からもしこの作品群が一度も外に出てくることがなかった、いや出てきてもってことはないと思うんですけど、なかなかまとまって出てくることがなかったということなのであれば、それはそれでまた何か良い方法はないものかと。
無言館ってずっとこういうものをずっと作品展示しているわけですからね。そういうことはできないものかなということも少し思いました。というわけで少し美術館の役割というものもいろいろと考えたところです。
ドラチャンさん、非常におすすめ。無言館の雰囲気がまた独特なんです。そうみたいですね。なんで上田に作ったのかというのもちょっとまだ勉強してないんですけど、どういう意味があったのかなというのもわからないんですが、一度行ってみたいなと思っておりました。
というわけで今日は新潟市美術館で開催されている無言館の展示について少しお話をしてみました。朝からお付き合いいただきましてどうもありがとうございました。
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