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みなさんこんにちは、新潟のへラジオの信哉です。
今日は、12月7日ですね。
昼間、ちょっと暑い時間が来たので、この間、内閣座にお話をしていきたいと思います。
今日はですね、高井寅吉さんという人のことを発見したので、ちょっとだけご紹介したいと思います。
今月ですね、新庄公益、あるいは太平洋戦争というかな、
太平洋戦争の開戦から80年、新庄公益12月8日なんて、だから明日だけどね、が太平洋戦争の開戦ということで、
開戦に伴って、どんなことが起きてきたかというのをNHKが復習して、かなりいろんな角度から新聞報道をやっていました。
その中で一つのシリーズとして、この間から始まったのが、新ドキュメント太平洋戦争ということで、
エゴドキュメントを解析をしていくっていう、どういうことかというと、
当然ツイッターとかも大事ですけど、ツイッターのような意味合いで当時のエゴドキュメントが書いていた日記集、
この紙で書かれているやつを集めて、それを解析していくっていうのを番組の軸に進めていくというパターンですね。
ある種のバイアスは避けられない。どんな手帳を集めたか、どんな日記を集めたかによって結果が変わってきますからね。
避けられないですけど、結構面白いことがある。つまり、みんなが1941年太平洋戦争の時に、みんながどう思っていたか、これはわからないところなんだけれども、
40年、41年の間の世論の動きみたいなのを、全国のいろんな人が解説して、情報をテキストから探していくということなんですよね。
前編が太平洋戦争の慎重な行為になったところで、後編、日曜日かな、日曜日になったところでマレー戦の話が出てくるんですよね。
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太平洋戦争というと慎重な行為の方が一応注目されますが、その一方で陸軍の方はマレー半国に協力して、
シンガポール、カンタクトまで持って行って、バンザイすると。この辺も世論が盛り上がっていって、いろいろ心配だったけど大丈夫かな、みたいな、世論も出来上がっていくという場面ですね。
このマレー戦というのも、私もマレーシアにしばらくいる間にいろいろ調べてきたんですが、あんまりないんですね。
あまりこのマレー戦とか、マレーの占領政策みたいなものはあまり研究はされていない。
悲惨な戦いというのはそんなに出てこないわけですね。ガダムカナンとか、その後の南東米の戦いに比べるとマレー半島に関して言えば、
イギリスを揺らした後は激しい戦争が行われていなかったというのはない。実は中華圏の人たちをかなり威圧して殺したりしてるんですけど、
日本では注目されていない。
マレー半島をシンガポールまで狙い込んでいく途中で、やはりかなり南東の地方にみんなが悩まされているとか、
実際にはイギリス軍はそんなに楽勝だったわけではないんだと思うんですけど、
後年語られるところで、この時は少々良かったみたいな感じでゆったりと出てくるんですね。
その時に南東の戦いで苦労している、マレー半島の戦いで苦労している人々を国民に記述しつつ、その当時の可能な限界まで迫るという形でマレー選挙を書いていた人。
この番組の面白いところは山本一郎君の所にも書いていて、出身地が書いてあって、山本一郎君の所にもギリガタって書いてあるんですけど、
山本一郎君の所にギリガタって書いてあったんですね。山本一郎君は全然知らないなと思って調べてみたんですが、一般的な住民時代の情報では長岡の出身で、
早稲田大学を経て、朝日新聞の特派員として、戦後の応援審議に参加したというような方ですね。後に戦中に登録されてますね。
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戦後はですね、いろんなところに行って、時事新聞、関係新聞、東京新聞、いろんなところに行っていて、東京新聞ではコラム、社説の100人が書いてあります。
戦後活躍したジャーナリストなんですね。ただ我々の時点で、シンガポールまで宇宙文記者としてついて行動した内容はほとんど知られていないと思います。もっと言ったら、新潟の人は全然知らないと思います。
長岡高校の坂井さんのことについては、タイニーで見ていて、昔の論文のこともほとんどパブリカンスティックなものがないです。
新聞学評論という、日本マスコミュニケーション学会が出している、1957年に坂井さんがジャーナリストというのが紹介されていて、この書評を見ていくと、
従業務記者として悲惨な戦場の様子を見ていくんだけど、ただただそのまま語ることができなくて、公演記者として喋っているのが目に留まっていたんですね。
というようなことは、微妙に公演に合わせて書いてある、当時、上智大学教授の家室屋さんが書いた書評が出ています。わずかに今、ネット上で確認できる坂井さんの働きというのはこれぐらいで、まだこれ以上細かいところは、いろいろなことはわかりません。
坂井トラキスさんのマレー戦記自体は、結構固書として、そんなに高い値段はついていないので、頑張って回っていますね。
というわけで、たまたま見つけた田舎研修院で、戦前従業記者として、申し訳ありませんでしたが、
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途中なんかね、期日とか。はい、どうも。