00:03
こんにちは、新潟のへラジオの一戸信哉です。今日は8月19日ですね、金曜日です。
昨日の放送でもお話しした通り、今日は飛行機に乗ってですね、朝から北海道に来ていまして、
えべつ太という、越後村入植の地というところに来ています。結構ね、迷いました。
この場所は越後、越後じゃないや、北越植民社、北越植民社っていう会社なんだけど、この会社が明治19年に新潟から北海道のえべつに来てですね、
入植した場所なんですよね。今日走っててずいぶん迷ったんですけど、ずっとえべつ太、えべつ太って呼んでたんだけど、えべつ太が正しいんじゃないか。
えべつ太って書いてたんだな、えべつ太が正しいのかなという気がいたしました。
ここの場所はですね、開祭何年でしょうね、昭和60年に建てられたこの地区の皆さんの石碑が建っていたり、
越後神社という、多分入植した時に作ったであろう神社が建っていたり、
それから越後海館という村の集会所みたいなのが建っていたり、
あちこち越後館もあるところなんですけど、場所が分かりにくくて、ここ来たの2回目なんですけど、
1回目来た時はこんなに迷わなかったんですけど、1回目、花火がちゃんと見つけてくれませんで、
レンタカーなんでね、前の記録も残ってないしね、ちょっと時間がかかっちゃいまして、
もう結構夕暮れ時という感じになっています。
ここね、越後なんとかが結構いっぱいあって、さっき越後沼っていう沼があるところにちょっと先に行っちゃったんだよね。
03:00
そこも前に行ったんだけど、こんなに離れてると思わなくて、結構離れてました。
そういう感じでですね、ちっちゃい越後海館のところまで来ています。
ここをね、前にお話ししたと思います。
ここにあの北越食店舎を作って入植した人は、最初にやったのは大橋一蔵という人で、
那覇岡藩の人だったかな、だったと思いますが、その人が聞いて、書いてあるのを見ますと明治19年に越後10戸の農民が入ってきて、
いろいろ苦労して今に至るという話なんですが、途中であれですよね、大橋一蔵は結構早い段階で亡くなって、その後関山御座山という人が入ってくるという話になっていまして、
この辺のストーリーもいろいろあり、いろいろ苦労しながら開拓をしてきたよという話で、
ごめんなさい、昭和60年の恵別市長の書いたこの文章で、これが100年ですね、回帰100年の記念碑というのが建てられていると、だから昭和60年ということは計算できない、
85年ですか、85年、だから1885年、1885年に入職したということになりますね、1985年で回帰100年ということになるということになります。
この字に神社が建てられていますし、それから、この漢文で書いてあるやつ、これ読めないんだけど、でもこれ回帰記念碑ですね、明治28年、明治28年で書いてますね、
北越、高橋、三寺って書いてある、これだからちょっと読み取るのに時間かかりそうです、それから開祖50年というのも置いてありますね、開祖50年の碑というのもあります、
ここは昭和10年、そうだね、昭和10年に建てられたものがありますね、という感じです。
06:01
えらく迷いました、ここ面白いですよね、別市やっぱり住宅街がありまして、そこが本当にベッドタウン的な雰囲気で静かな住宅地という感じのところが結構あるんですけど、
この界隈は、この辺はまたちょっと雰囲気が違っていて、トウモロコシ畑とかですね、畑がいっぱい広がってて、特徴がないんだよね、迷っちゃいました、結構迷ってしまいましたけど、というような場所ですね。
これなんだろうな、大きい石碑が立ってますね、という感じです。
こたじまくんぺいせん、昭和47年、これまた別の、やっぱり折々にこの石碑が建てられているというところからも、やっぱりこの凱旋というかな、村の歴史をつくってきた、
ここの人たちの歴史というのを感じさせるものがあります。
道沿いにはちょっと出てた、越後神社って結構看板出てたんで、近くまで来ればわかるんですけどね、何分道がわかりづらかったですね。
今日はですね、ここ2回目なんで、ここは来なくてもよかったんですけど、前回来れなかった博物館の方に来ようと思って、それで来たんですよ。
来たんですけど、ちょっと軽い気持ちで足を伸ばしたつもりで、えらい時間かかっちゃいましたね、疲れました。
はい、ということです。ありがとうございました。