それが4日。
これと同時並行で各社が各マスコミが国会議員とか都道府県連に前倒し賛成するんですかっていうのは随時アンケートを取っててその結果もパラパラと出始めて
やっぱり態度表明をしない人も多かったんですけど、やっぱり態度明らかにしてる中ではダントツで前倒しを求める声の方が大きかったっていうのも状況としてはあったんですよね。
翌日がだから5日。
5日は何があったんですか。古川さん。
こっち行くじゃん。
5日ははい。
5日は閣僚の中からも初めて鈴木法務大臣が前倒しに賛成するという態度を表明して、これまで副大臣だったり政務官だったり確かに
閣内からもあったんですけれども、大臣としてそういう抵抗が表明されたのが初めてということでやっぱり永田町ではそういう衝撃というかですね。
各社を大きく取り扱ったという状況で。
ちなみに鈴木さんは麻生派ではあるので、その3日の麻生さんの鍵合礼に自由だよとは言われながらも、従った面もおそらくはあるんだろうとはいえ、なかなか閣内不一致的な様相がちょっと金曜日大きくなって
その時には副大臣政務官が2桁になってましたし。
そうでしたね。各社のまとめでちょっと数字のばらつきはありましたけども、20人とか超えるって言ってた報道もありますし
そうするともうその石破さんがいくらやる気でも政策遂行っていうようなところで、全然総理がこうだって言っても動かなくなってしまうということが。
それで我々も金曜日に内輪の反戒をして、いろんなパターンがあり得るねと、石破さんはやる気なんだけども心が折れちゃうケースとか、もっともっと大臣圧力が強まるケースとか、いろんな想定をしてて土曜日を迎えた。
この時土曜日さらにもう一個注目の動きとしては、関税交渉で岩谷さんちょっと大きな伏し目が来たから、それも影響?
そうですね。石破さんの即勤中の即勤の赤澤良政大臣が訪米して、いわゆるトランプ関税のアメリカ大統領例の発出を取り付けてくると。
これは石破政権としてとてつもなく大きい仕事だというふうに政権として捉えていたものではあるので、この報告を6日にすると。
証明自体はいつかなんです。報告は6日帰国して官邸に入ると。この時にどうも即勤で集まって、いわゆる総裁選前倒しの票読みも前後でやるのではないかと。
このような話は石破さんの周辺からも漏れ伝わってはいました。
そうですね。振り返ってみると、石破さんが参院選に退廃した後に古川さんが続投をするとした時に大きな理由に挙げたのが、この日米関税交渉がまだその時は続いていると。
決着してないから、それをやっぱりやらなきゃいかんというのもかなり言ってましたよね。
総理周辺だったりも、まだそちらが動いているので、すぐすぐはやっぱりやめられないんだということを取材にも話していました。
話していたんですね。当然日本経済にも大きな影響があるので、そりゃそうだろうと受け止めた人も多かったんですけれども。
だから大統領令にきっちり文書でまとまるというのは大きな成果であると同時に、石破さんとしては続ける、逆に言うと理由の大きな一つが区切りがついたということにも皮肉にもなるんですよね。
で、迎えた土曜日、我々ももちろん出勤してきまして、フォーメーションを組んで、皇帝官邸でどんな出入りがあって、誰に会ってみたいなのを警戒したんですけども、
結果的に土曜日は岡澤さんが入って、おそらく報告をされ、そのあと表読みもほかの側近を交えてして、出て行って、そこから動きがあれでしたよね。
一時止まりましたね。
今日はもう取材でも官邸からの何か発表をめいたものはもうないんじゃないかっていう感触をこちらも得て。
得ました。
日曜日、月曜日は総裁選前倒しの確認でね、大忙しの日だし、帰ろっかみたいな、もう疲れたねみたいになって、帰ろうとするや否や、大物が動いたということで、岩谷さんどういう愛がありましたか。
先ほど私が間違えた、菅元総理大臣、大塞と小泉慎二郎の梨水さん大臣ですね、この2人が皇帝に入ったと。
ジャーンってガーンって。
いやーもうその麻生さんは今、最高顧問とはいえ石場さんと近いわけではない。でも菅さんといえば、昨年の総裁選の決戦投票の時には、あれですよね、石場さん支援に回ったと。
小泉さんももちろん閣内でいて、いろんな小石川連合とか昔やって、連携したぐらい石場さんと一定改革姿勢とかでは共鳴する部分もあると言われており、同じ2人は神奈川ですね、菅さんと小泉さんは。
なのでその2人が入ったってことは、退陣を促したか、実はもう一つ憶測としては。
そうですね、解散、禁止手が。
衆院解散を石場さんにやっちゃえと、やろうということになるんじゃないかと、どっちか、多分前者の確率の方が高いんだろうとは見てましたけど、そういう会合があって、相当小泉さんの方が残って長く話されたみたいなことがあり、でも決定打は土曜日なかったんですよね。
あったのはあったけど、すぐその場でこれが決定打っていうのはなくて、マスコミの中でもまだちょっと最後の最後どっちか、石場さんの腹の内はというところで迎えた日曜日、古川さんが日曜日、午前中から官邸に出勤されて、まずどんな動きでした。
そうですね、報道各社、官邸というか諸公邸の出入りを見てて。
チェックして、土曜日から引き続き誰が入るか。
車だったり見て、おそらく即勤と言われている赤澤さんだったり、あと岩屋外務大臣、近しい方たちはですね、官邸に入っていっているというところまで見てて、何か最後の話がされているのかなというのは見て取れました。
実際、午後3時過ぎに各社報道が出て、辞任の意向を固めたというような内容でしたね。
続々と官邸に報道スタッフだったり、秘書官だったりが続々と官邸に集まってきて、会見をするということになったという。
午後6時から会見でしたね。
石破さんが相当こういう局面ですから、疲れてるんじゃないかなという顔つきも会見の層でしたけど、何か赤澤さん見てて感じるエピソードがあったと。
会見の約1時間前に、官邸から官邸に総理は来られたんですけど、出邸されたんですけれども、距離といったらもう100メートルぐらいしか離れてなくて、通常ですと党で行ったり帰ったりするんですけど、
この日は法廷から車に乗って、官邸の前で卸してもらった。そこから入ってこられた。
少し前から足を痛めていらっしゃっていて、実際に病院にも行かれているというのは動きとしては報じられているところではあるんですけれども、
100メートルぐらいの距離も歩くのがしんどいというのも、やっぱり体の痛みだけじゃなくて精神的な負荷も含めていろいろあるのかなというふうに見て取れた。
1年間、古川さん去年の夏から、夏はまだ石破さんじゃなかったですけど、去年の10月から見てくれてましたけど、車で出勤なんてありました?
基本的には、官邸に引っ越したのは今年になってからなんですけど、基本的にはもう官邸に帰るときは歩くというのが近いので。
近いからね。要はお隣さんだもんね。
隣の建物に行って、徒歩を2分で。
やっぱり相当辛労というか疲れてて、今の総理番、首相番をしてくれている山口慎太郎記者によると、9月1日が防災の日でしたよね。
あの日、埼玉で視察訓練を行った時も、離すために延大に登る時も、ちょっと辛そうな感じだったと言ってたんで。
相当あの頃からも、連日連絶、いつ辞めるのかって言われて。
なるほど。
表情自体はですね、当日はそこまで深刻な表情ではなくて、報道陣にお疲れ様ですって声をかけられたら手を挙げて答えたりとかっていうのも、いつも通りでした、その時は。
そうなんですね。なるほど。足から見える、芝さんの心痛。
大事ですね。
大事、総理番として。
6時から開かれた会見、もちろん我々も取材をして、新聞にも会見の模様もお伝えしましたけど、古川さんどうでした?会見の内容、名残惜しいというか、感満々だったような気がしたんですけど、どう見ましたか?
そうですね、最初に始まって冒頭で退陣するということを言われて、その理由として先ほど挙げた米国との関税交渉の中で、トランプ大統領が大統領令に署名したということで、これで一つの区切りがついたと。
2日に参政総括総理が叱るべきタイミングで、というご発言をされていて、これが叱るべきタイミングであると。
判断したと。
おっしゃられてたんですけど、会見が進むにつれてですね。
最初の成果を強調、11ヶ月の政権でこんなことやった、あんなことやったって、後半あれあれって感じましたよね。
そして、看板政策の地方創生も道半ばであると。
あと、賃上げもまだまだだと。
あと、政治と金の問題もですね、大きな心残りであると。
かなり未練というかですね、悔しさが続いている中身だったなというふうに思ってますね。
そうですね。私が印象的だったのは文川さんも書いてくれましたけど、結果としてらしさを失うことになった。
らしさってのは石破らしさですね。
どうしたらよかったのかなという思いはあるっていう。
なんかもう、一刻の総理の会見としてはなかなか聞けない心の内というか、ぼやきみたいなのが。
石破さんらしいじゃらしい。
らしい?逆に。
ぼやきは。
あれが本音ですか、岩谷さん。
よく本人と私何回か話したことがありますけど、心開けば開くほどぼやくとでは正直あるの。
やっぱり石破さんらしいなと。変な話、一番らしさが見えた会見では正直ありました。
最後の最後に。
つらい。
やっぱり会見の中でですね、それまでどうしてこのタイミングなんだっていろんなマスコミから質問を受けてたんですけど、
この時出たのがですね、やっぱり地元の鳥取の新聞社の質問で、県民に対してどう思うかっていう質問の中でこういう回答があったんでですね、
やっぱり地元のことだったりとか、実際就任1回しか地元に帰れなかったっていう話をされててですね、
やっぱり地元のことを考えるといろんな本音もちょっと漏れ出てしまったのかなって。
拒愛するものがあるんでしょうね。
じゃあ未練たっぷりの石破さんらしい会見になったということは、やっぱり岩谷さんやめたくなかった。
それは間違いないです。
間違いない。
最後の最後まで抵抗しようとは考えてたみたいですね。
なので先ほどもお伝えしたように土日の票読みに最後の望みをかけてたとは周辺の取材でも聞いています。
厳しいけどもしかしたらっていう本当にもう一流のワンチャンっていうやつですね。
あったんですけどどうも土曜日もそうなんですが、上がってくる情報がどれもこれもかんばしくない。
あそこの県連も賛成しましたよとか、あの人も賛成みたいですよっていう情報がどんどん石破さんに入ってきて
少しずつ心が折れていったと。
最後の最後に菅さんと信二郎さんの面会もあったので、そういうものが積み重なっていよいよ折れたのかなとは思っています。
実質本人が自発的に辞任というふうには会見でも言ってましたけど、実態としては岩谷さんが一面でピシャッと書いたように追い込まれた形。
よく言う外掘りが埋められていると言わざるを得ないですよね。
本人は、私も本人から途中聞いたこともあるんですが、やっぱまだまだやりたいことが正直ある。
自分にしかできないこともあるし、少数与党の国会運営も自分だからうまくいっているという自負がやっぱり強い。
ので他にじゃあ誰ができるんですかと。やっぱり自分でしょうっていうような気持ちが本人は相当強かったみたいですね。
なんだけどやっぱりね、記事でもだし、さっきの本人のカギカッコ回りましたけど、この11ヶ月間らしさっていうのが発揮できない政治環境だって言い訳をするのはやっぱり簡単ですけど、
それは一国の最初としてダメでしょっていうね、我々も見てて何度か書きましたけど、それを打破するというか工夫する力、政治力。
本人の基盤の弱さっていうところにもありましたけど、なかなかそれが出せないまま11ヶ月終わっちゃったなという。
よく言われるのが他人の意見を聞きすぎてるというのはよくよく言われていました。
それで右往左往する。でブレると。
そうですね。私に対してもじゃあどうすればいいんだいって。どうすればいいんだいと言われましてもと。
いい意味で言うと、他人の意見に耳を傾ける方ではあるんですけど、ちょっと聞きすぎてるかなと。
僕なんかはあれなんですが、政策決定の中でも野党の意見を飲み込みすぎたり、自民党の中でもいろんな人が言ってくるこの意見を全て受け入れようとしてしまった結果。
結局何がしたいんだいと言われた。
何がしたいんだいと。
もっとやりたいと。
思いましたね。
だって古川さんもずっと取材してくれてる防災庁とかもやりたいんだったらもっと前に進めてこういう絵図でこういうやつでってどんどん示していけばよかったのに、結局進まないまま。