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2024-10-19 19:59

最初の海外一人旅の思い出

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学生の頃にタイに行った思い出について話します。

サマリー

大学生の時にタイへの初めての一人旅をした思い出が語られています。バックパッカーとしての経験や、現地のタイ人との出会い、観光地としてのスコータイやアユタヤの訪問について触れられています。最初の海外一人旅では、特にローカル食堂での食事や首長族との出会いが印象的でした。また、一緒に旅行した友人とのコミュニケーションやお金の問題も含まれ、この旅行がバックパッカーには向かないと感じさせる要因となったことが語られています。

初めての海外旅行
こんにちは、ninjinkunです。
河野さんが、初めての一人海外の海をですね、生えてたので、それに触発されて、私も初めて一人で海外旅行に行った思い出を話そうと思いますが、
私が初めて海外に一人で行ったのは、大学生の時にタイに旅行しに行きました。
で、これがね、大学何年生で行ったか全く記憶にないんですが、おそらく一年生の最後の春休みかなと思います。
はい、たぶん。もしかしたら二年生、関西では二回生と言いますけど、二回生だったかもしれないですが、とにかくタイに行きまして、
で、まずね、当時バックパッカーがですね、すごい流行ってたんですね。
もう、私は自転車でツーリングをするサークルに入ってたんですけど、先輩たちもですね、バックパックにね、バックパッカーをしまくっている先輩たちが何人かいて、
で、まあそういう人たちはやっぱり東南アジアとかそっちのところに行って、いかに安くいろんなものを、いかに安く旅行をし、いかにいろんなものを食べ、いかにいろんなものを見たかをですね、楽しそうに語る。
まあ今から思うと、まあ単純に人に自慢したかったから行ってるという人も多分結構いると思うんですけど、
まあなんかそういういろんな国にね、行ってるほど偉いっていうかですね、まあちょっと一目置かれるような状況がありました。
で、私もそれに触発され、まあやはり大学生になったからにはバックパッカーぐらいしてみないとあかんのではないかと考え、
まあまずはですね、その先輩に聞いてタイをおすすめよと、バックパッカー初心者には一番手が出しやすいのがタイでした。
これはまあ物価が安いのと比較的治安が当時はね、今はちょっとわかんないです。その後ね、あのクーデターとか確かあったはずですが、
安定していて、まあ渡航費もそんなにかからないという感じでしたね。
物価は当時で多分日本の3分の1ぐらいだったような気がします。まあ安かったですね。
なので100円あれば普通にご飯、お腹いっぱい食べれるような感じでした。
で、えっと先輩にじゃあね、タイってどうやって感じで旅行、バックパッカーしに行ったらいいですかって言ったら、
まあとりあえず航空店だけ買って、あとはあの現地で適当にやるんだよみたいな感じで、
そういうワイルドな感じなんやみたいな。
で、今から思うと最初のホテルぐらい予約しておけばよかったと思うんですが、
まあそんなこんなで、あのHISで航空券を買い、いくらだったんだろう?
まあ学生ですからね、多分3、4万ぐらいで買ったんじゃないかな。
当時まだLCCは、海外LCCは飛んでないですけど、
まあ、あのそんなに高くないですね。
今から思うと、まあ日本の円も強かったんですね。
で、まああと今みたいに戦争がそんなになかったので、サーチャージもそこまでなく、
なのでほどほどの値段で航空券を手にし、
で、まあ2034年ぐらいなんで、
まだねスマホがないので、
本当に地球の歩き方だけが頼りっていう旅行になりましたね。
で、こうだからね電池でググったりできないんですよね。
今から思うとスマホで本当に旅行って一気に変わっちゃったなと思いますけど、
携帯もなし、インターネットもなしで行くと。
で、まあ当然ね初海外、
まああの別で海外行ったことはあったんですけど、一人海外でめちゃめちゃビビってたので、
当時はデジタル一眼レフを持ってたんですけど、
こんなの盗まれたらなくなったと思って、
アナログの一眼レフを安く中古で買ってきて、
なのでフィルムカメラでね撮影をしてましたね。
そんな感じでタイに行ってですね。
1週間ちょっといた気がしますね。10日間ぐらいかな。
1週間で終わったのかな。
でも多分2週間はいなかったと思います。10日間ぐらいでしたね。
現地での経験
で、これがですね。
うーん。
結論というかですね。
まずこれ何が起こったかというとですね。
まず現地に着きまして空港で、
あれは空港であったんだったかな。
あのですね。
タイ人の学生かな。
同い年ぐらいの人とですね。
なんかでつるむようになって、
で彼と旅行してましたね。
確かエイ君っていう名前なんですけど。
彼と旅行してたんですが、
これはね非常に言いづらいんですけど、
あの彼からですね。
結構なんですか。
あのお金を無視されてた。
無視されてたって言うとちょっと違うんですけど。
あの要するに彼がくっついていろいろ案内してくれる代わりに
宿題とかご飯代は自分が出すっていう状態。
なんか自然となったっていう感じですね。
でまあこれね。
なんか私としては彼がこういうついてきてくれていろいろ案内してくれる。
まあ実際多分そうだったと思うんですけど。
なんかそんなに自分としては。
宿題ぐらいは出してもいいけどご飯代ぐらいは。
たまにね彼も自分で出すこともあったんですけど。
基本私今たかってくるわけですよね。
なんで多分彼としては日本から来た。
まあ相対的に見れば私の方が裕福なわけですよね。
まあ裕福な学生についていくことで。
まあただで旅行しようと。
まあその代わり大語とかは。
食べ物とかそういうのは自分が助けるという感じの。
強制関係を築いたという認識なのではないかなと思うんですけど。
私としてはなんかまあガイドしてくれるのはいいんだけど。
なんかお金ぼられてて台頭じゃなくて嫌だなって思ってました。
ということが起こってですね。
このことはですね帰ってからもですね。
ちょっと恥ずかしくて人に言えなかったんですよね。
旅行してきたけど。
サマをね一人でバックパッカーしてきたかのように。
喋ってたんですが。
実際は現地の人がいて。
しかも私が色々怒っていたと。
こういうことが起こりまして。
で彼とは空港で会ったのかな。
空港かそのバンコクの市内に出て会ったのかちょっと記憶は定かではないですが。
まあなのでもしかして彼もそういう機会を求めてたのかもしれないですね。
はい。
でまあでも実際ですねガイドしてもらったらすごい助かって。
まず台語あの文字がね全然読めないので。
しかも今みたいに翻訳なんかないので。
あのまずどこに例えば観光地あの交代っていうね。
あの現地語と数交代かな。
これもね発音が地球のわき方にはそのカタカナしか書いてないから。
あの言っても通じないんですよ。
で文字見せるとあ数交代ねみたいな感じだって。
あそうか発音はそうなんだみたいな感じで。
一々ねその地球の歩き方の現地の文字を見せて一掃するみたいな感じになるので。
看板も読めないし。
あの英語ね書いてあればいいんですけど。
現地の看板まだ当時英語書いてない看板とか結構あって。
特に路上のあの交通系のやつとかは。
なので実際台語が読める人がいたのがめちゃめちゃ助かりました。
なんで非常に助かったのはG2です。
スコータイとチェンマイの旅
はい。
でそうそうそうそう。
でバンコック。
バンコックでもねそんなになかったですね。
たぶん一泊ぐらいしかしてないと思う。
なんで飛行機で着いてね、
そうそうそうそうそう。
でランキング。
ランキングでランキングの話をしたんですけどね。
ランキングはランキングの話が1つありますね。
ランキングはランキングの話が1つあります。
バンコクでもねそんなにいなかったですね 多分一泊ぐらいしかしてないと思う なんで飛行機で着いて
で そういえば最初に空港で夜を明かしたような気がするなぁ
もう夜遅くに着いて なんかあのホテルもとってないしどうしていいかわかんないからとりあえず空港で寝ようと思って
寝たような気がしますね で
で起きて で市内まで行って彼と会ったのかな
そんな感じだと思いますね多分ねバスを待っている時に その彼に会ったんだと思いますそれでその
バンコクからスコータイまで行って えっとなんだっけなぁ
何見たんだっけ 観光
何を見たか なんかねいろいろ
寺院とかをね見た記憶はあるんですけど
いやー アユタヤは行った気がするなぁ
はい スコータイとアユタヤは多分両方行ってると思いますね
はいスコータイはえっともうあの廃墟というかボロボロになっているかつての あの王朝があったところですけどかなりあの
もう遺跡っぽい遺跡 なところで
アユタヤはえっとまだ結構綺麗なものが残ったんじゃなかったかな はい
というところに 行きまして
移動は基本バスだったかな 電車に乗ったことも1回あった気がする
バスかな基本は でスコータイアユタヤと行って
で最後にチェンマイに行きましたね チェンマイはバンコクからかなり離れているので
ただ当時は国内線とか今だったらね国内線 あの取ると思うんですけどそんなにあの
カジュアルにまあまあお金がかかるものだったので えっと
これ鉄道で行った気がするなぁ 違ったかなぁバスだったかなぁ
とにかくなんだかんだでチェンマイには行きましたね チェンマイはねあのちょっとこじんまりとした都市ででもまぁ
あのタイ第二の都市ではあるんですけど あのなかなかいいとこだった記憶がありますね
首長族とローカルの食文化
あとなんかあの首長族がえっと近くにの集落があって これもね完全に観光地化されてて
まあ首長族にお金を払って一緒の写真を撮るみたいな感じですね そう
ロングネックいるから見てこようって言われて言ってお金払って写真撮るみたい なんか
これなんだつまり彼ら見せ物になっているわけですけどなんていうかなこういうのって いいんかなと当時思いながら写真を撮った記憶がありますね
はい首長族はあの首にいろんなあの 輪っかを入れて
首を長く伸ばしてるんでしょうね おそらく肯定的に
はいっていう習慣がある人たちなんでまぁ本当に首が長いんですけど はい
っていうのを見た記憶はなんかそれは強烈に覚えてますね チェンマイではスクーターを借りてあの
まあ彼に運転してもらって私は後ろに乗ってぐるぐるした記憶があります スクーターはパスポートと交換で
お金を払ってさらにパスポートを預けてレンタルするっていう 怖いですよねこの仕組みの場合たまにありますけどあの
ねパスポートは出せるのいつも怖いんだよな その間に何か事故でも起こしたら俺はどうやってまぁ一応コピー持ってましたけど
身分を証明したらいいんだろうって言っていつも怖かったです はい
まあこんな感じでね タイ旅行
あとご飯はね美味しいんですけどお腹はね めっちゃ壊しましたね
まあしかもそのやっぱ彼とね旅行しているとローカルのあの食堂に入ってこれ食べ なよこれ食べないという感じで食べるんですけど
まあだからあのガパオとかねあのそういうものを食べてるんですけど やっぱりローカルのものを食べてるんで観光地向けレストランとかじゃないから
お腹はしょっちゅうこう壊しましたね はい
バックパッカーの結論
まああとはあの向こうのねビールねあの氷を入れてビールを注いで飲むや飲み方 まああれであのビールを結構飲んだりしていました
そうね一緒に旅行した a 君とはもう私も英語対して喋れないし彼も別に対して喋れないんで もうめちゃめちゃ適当なコミュニケーションですよね
でも彼は常にああいうハッピーて聞いてくるからもうこっちがアイムハッピーか アイムノットハッピーかで答えるっていう
それでこうなんかいろんなことが決まっていくっていうね あとはもうガイドブックを見てあのここに行きたいとか
いやこっちはとかそういう感じでコミュニケーションするっていうね いやー
今から思うと結構強烈なんですかね 最初の一人海外がああいう感じだったのは
うーんラッキーだったのかアンラッキーだったのかわかんないですけど少なくとも強烈な体験 にはなりましたね
でそうですね このこの後ですねあの
自分が 一人で海外にねあのバックパッカーしようと思ったことはもうなかったですね
これで これで俺のバックパッカー終わりって言いました
もう一人で海外とか行きたくないなって思いましたね まあやっぱりちょっとまあそうですねその彼にやっぱお金をね
こういろいろ払わされる羽目になったしかも帰りに最後に別れる前に家まで帰る 金がないから金貸してくれとか言って絶対返すとか言って
お前絶対返せないやろうと思ってたんですけどもう諦めてお金渡しましたね はい
多分最後に渡したの日本円だと 34000円分ぐらいかな
結構ちょっとしたまとまったお金だと思いますけど いやーもうね断るの面倒くさくなったんでもうこれで
まあ俺も帰るしああ帰れも納得してあの 別れられるならばいいかと思って
っていうね体験でしたね いや
でそうですね まあやっぱりね自分一人旅ねそんな好きじゃないなっていうのもわかったんですよね
途中からその一緒の彼いましたけどやっぱり一緒に誰かで取るその旅行してワイワイ 言い合ったりとかあのする方が好きですし
まあと一人でご飯食べるのとかもねあんま好きじゃないので なんとなく一人旅って自分はちょっと緊張しちゃう方であのいまいち
一人旅で多分解放される人っていう人もね結構いると思うんですよね おそらく
一人旅平気な人ってそういうパターンもあると思うんですけど私の場合はそうではなかった し心細いし最初にだから空港寝てた時もめちゃめちゃ心細かった気がしますね
あの多分最初はそうやって過ごしたらいいよって多分先輩に言われたからそういう ふうにしたと思うんですよ空港はまあね安全ですしね
まあと空港で寝てる人ってまあいっぱいいるんですよ はいなんでやったけどやっぱ心細かったし
いやー嫌だったしなぁと思って うーん
そう なんで
そうあとはボロ宿にねだから1泊500円とかで泊まっているわけですけど まあそういうとこも別に虫とかいっぱい出るし
うーん あのやっぱね
学生としてはお金をかけて旅行するんじゃなくていかに安く旅行したかっていうところ にですね
こういった先輩たちは自慢話をしてくるんで なんでやっぱりお金をかけるのはダサいというねあの観念が自分にも
植え捨てられてまして やっぱ貧乏旅行っしょみたいな感じで実際ね貧乏旅行って言っても
日本の音学生ですんでお金は持ってるわけですけど まあそれと言ってもまあそうなんかちゃんとした方であるよりはあの
ボロいゲストハウスみたいな まあそういう方をねあの
好まれている感じだったのでそういうところに泊まってましたが まあ今からも普通にホテルとら良かったなっていう感じがしますね
はい というわけで私の初海外旅行は
2003年海外に行ったタイでした そして
その旅行で 現地の
人にと一緒に旅行をし まあいろいろお金を
ボラレって言うとねちょっと言葉が悪いけどまぁ強制関係であったというかね 私のあの
定理になりますかねはいお金を出した代わりにガイドをしてもらい そしてトータルとしてはバックパッカーは自分に向かないと結論し
なんで日本に帰ってきたときはめちゃめちゃホッとした記憶があります というなかなか
頃に外大学 1回生か2回生のはい
休みでした はい以上が私の初海外旅行
タイへに行った旅行でした ありがとうございました
19:59

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コメント

なかなかだったんですね…無事でよかったですね。ソロに限らず自発的じゃない旅行は僕もあまり楽しめないです

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