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2024-06-18 19:31

一時期狭いコミュニティで有名人だった話

自分が昔一時期iOSアプリ開発者コミュニティとプロダクトマネージャーコミュニティで有名人だった話をします。

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こんにちは、ninjinkunです。
さて、今日も元気に自分語りをやっていこうと思いますが、
今日は、その自分語りの中でも最たるもの、過去の自分の栄光について話すという
飲み会で若い人の前でやると嫌われることを、ナンバーワンなことをやっていこうと思います。
自分の日記なんで何喋ってもよかろうという感じですけど、
なんでこういう話をしようかと思ったかというと、前回というか前のほうの回で
勉強会で発表するネタがないからのキャリアの話みたいな話を一回したことがあったんですけど、
そこにちょっとつながってくる話なので、自分の中で今までの自分のキャリアをどう考えているかを
一回総括というほどじゃないですけど、まとめておきたいなと思って今回はそういう話をします。
具体的に言うと非常に狭い界隈、具体的に言うと日本のiOSアプリ開発界隈で
自分は一時期有名だったことがあって、基本的にポジティブな意味で有名だと思うんですけど、
自分がウェブエンジニアとして最初は仕事を始めてからスマートフォンの波が来て、
iOS アプリとAndroid アプリの開発を専門にするようになっていくんですけど、
その過程で自分が2つきっかけがあるかな。
1つはCocoa勉強会関西という、Mac とか iOS とかのアプリ開発をするエンジニアたちがやっているコミュニティ、
かなり歴史は古いんですけど、コミュニティの主催を一時期していたので、
毎回発表していたので、スライドを上げてツイッターで流してみたいなことをしているうちに、
結構界隈で認知が高まっていったというのがあります。
その時は京都に住んでたんですけど、それでも例えば東京のコミュニティの人がそれをさらに広めてくれたり、
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遊びに来てくれたり、自分も東京のイベントに行ったりして、非常にアウトプットをいろいろしてたなと思います。
そしてその中で、タイミング的には東京に転職していく手前ぐらいに作った小さなライブラリーが、
なぜかやたらヒットして、インスタグラムとかフェイスブックとかヤフージャパンとか、
いろんな有名なアプリの中で使われるようになって、それがすごくストーリーが有名になって、
にんじんくんというやつが何かそういうオープンソースでヒットさせたらしいぞという話になって、
自分もそういうネタでしゃべったこともありますし、
やたらとその狭いiOSアプリ開発コミュニティの中で名前が売れて、
一時期は勉強会に顔を出すと、大体の人が会ったことなくても自分を知っているという状態になってました。
今から思うと、その時で多分28歳とか29歳とかなんですけど、
オープンソース活動とか特にしたことなかったと思うんですけど、
GitHubに自分が思いついたライブラリを上げて、後輩に言われて英語の説明をつけてみたいな感じで、
ここはBOTSの対応とかしてたかな、それも言われてやったんですけど、
そしたらやたらとヒットして、自分のソフトウェアが世界のいろんなところで使われて、
イシューとかルールリクエストもちょこちょこくるようになってみたいなことが起こって、
非常にびっくりしたというか、こういうことって起こるんだなというふうに思いました。
で、単純にそのライブラリは非常にシンプルというか、
何でしょうね、そんなすごいものではなくて、
WebViewっていうアプリの中にブラウザを組み込む仕組みがあるんですけど、
そのWebViewのウェブページの読み込みを取得する方法がなかったので、
自分はWebエンジニアだった経験があるので、
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JavaScriptをそのウェブサイトに注入して、
注入というとインジェクションみたいですけど、もっと単純な仕組みだったと思いますね。
で、それでウェブサイトのブラウザの中からそのページの読み込み状況を取って、
それをiOSアプリの方に、昔言うとObjective-C、今はZoomfitですけど、
そちらの世界にその読み込みの進捗を持ってきてあげるというライブラリで、
結構自分でも組み込みやすさとかを重視したインターフェースとかにしたので、
それも受けが良かったみたいで、
自分でも使いやすかったし、他の人も使いやすいと言ってくれたので、
非常にそれは嬉しかったですね。
ですし、やっぱり自信になりましたね、すごく。
自分が京都で会社員をしてアプリを細々作っているエンジニアなわけですけど、
それでも世界中で使われるコードが書けるし、しかも設計とかが認められたのが嬉しくて、
あんまり自分に良いアプリを作る自信はそこそこあったんですけど、
ソフトウェアの設計みたいな方はあまり自信がなかったので、
何でしょうね、
そういうきれいな設計ができるというのはまた、
使いやすいものが作れるとは別の技能だと思っていたので、
そこも認められたようでとても嬉しかったのを覚えています。
そうやって一時期有名になったんですけど、
今から思うと単純にニッチなところにたまたま自分が出したアイデアがはまって、
しかもそのウェブサイトのロードを取るなんて非常に基本的な機能だったんですけど、
後にそれはiOS SDKの標準に組み込まれて、
自分のライブラリーはいらなくなっていくんですが、
それなりにみんなが欲しいところをアイデアで埋めたということがあって、
単純に時代と自分の知識がはまったというところがあると思います。
そういうふうにしてその時は正直、
自分の周りには技術コミュニティの中で有名な人が多かったので、
自分もその一角に入れたようで、当時は嬉しかった記憶があります。
単純に時代と自分の知識がはまったというところがあると思います。
そういうふうにしてその時は正直、
自分の周りには技術コミュニティの中で有名な人が多かったので、
その一角に入れたようで、当時は嬉しかった記憶があります。
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ただ一方で
これって自分のやりたいことなのかなと思う疑問も
あって、あの
なんかこれずっとやっていくのかなっていう感じもあったんですね
そうなんかオープンソースで作ったライブラリーが使われて嬉しいのはそうなんですけど
まあそれをあとねそのこれよくあるんですけどそこでいろんなリクエストが来て
それをさばくのも結構めんどくさくなってきて若干放置気味になってしまったとこもあって
まあその何か自分が埋められる部分があった時にオープンソースにして出すっていうのは非常に良い習慣だとは思うんですけど
なんかそれ自体が自分にやりかえたいことじゃ別にないよなと思って
単純にその時は手段として自分が欲しいところをやっただけだったんですけど
ですし正直言ってその勉強会とかイベントでチェアファーされるのは楽しくはあるんですが
それもなんとなくこう居心地がなんて言うんでしょうね
なんか自分ってこんなことに値するのかなみたいな
とか
あと単純にこれはなんかあの
なんでしょうね話半分で聞いてほしいんですけど
知らない人が自分のこと知ってるのちょっと気持ち悪いなっていうところもあって
気持ち悪いというとね言葉が強いですね戸惑いみたいなことですね
こういうのはあの人前に出る仕事をしている人でしたらとか何か作って発表する仕事をしている人は絶対
ぶつかる問題だと思いますけど
なんか自分がそういうのしたいのかなって思うとちょっと疑問があるっていうか
っていうのでなんとなく当時は天狗になりながらも
なんかこの先これやるのかなっていう不安というかですね
微妙な座りの悪さを感じていたように思います
でその後
ただそのそうですね
いくつか思うところがあって
自分はそういうふうにしてまぁそれなりに名前が売れて
例えば会社の採用とかにも多少の影響力があったと思うんですけど
そうは言ってもですね当時の自分の状況は
あの勤めているフリマアプリのフリルっていう会社を作る会社に勤めていたんですけど
フリルはですねフリマアプリのメルカリこれは皆さんご存知だと思いますが
とすごく競合してて
FEの方が先にリリースされたというのは強調しておきたいんですけど
先行していたのにメルカリに抜かされて
楽天に買収されて今はラクマというアプリになっているんですけど
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そういう感じでその自分の本来やってる本業の方ではあまりなんでしょうね
それなりに頑張っていたつもりだったけど
結果的に競合に負けるっていうかなり悔しい状態になって
そういう時に自分のそういう
世間的な知名度とかオープンソースの何がしとかは正直あんまり寄与しない関係ないなっていう
そこは本当になんか単純に時代とかタイミングとか
あとはどこに投資するかとかそういうもっとハイレベルな経営の判断の集積ではあるんですけど
一、エンジニアとしては結構無力だなっていうなんてそういうふうに当時は感じてしまっていましたね
なのでなんかこっちの方を掘ってもなんか自分のなりたい自分になれるのかなっていうふうに思ってて
その後 iOS アプリの方はだんだんやめて
Web Front End っていうブラウザで動くユーザーインターフェースを作る方向へ
これはいろんな経緯があってシフトしていくんですけどそれはどこかでまた話そうと思いますが
ちょっと専門を変えてた時にだんだんそっちの方の技術的な発信はしないようになっていきましたね
したくないとかではないんですけど
なんかそういうのは誰かに任せてもいいかなっていう
自分が埋めるニッチがあんまりないっていうのもあるんですけど
なんか例えばそういうのが見つかってもそこに自分の時間を割くっていうことをあんまりしなくなっていったっていう経緯があります
でその後やってたことはプロダクトマネージャーっていう製品の責任を負う人たちが食料があるんですけど
そのコミュニティを一時期運営していてそれはいろんな経緯があるんですけど
たまたま行った飲み会でちょっと盛り上がって立ち上げて
立ち上げに一緒にやろうとした人がいなくなったんで僕がそのままやってたみたいなところがあるんですけど
それもイベントを結構確率ぐらいでやって
プロダクトその時は自分はモードとしてはコードよりはもう少し上位で何を作るかに関わっていきたいし
自分が今までユーザーインターフェースとかをずっとやってきて
そこの過程でユーザーに意見を聞くみたいな聞いたりユーザー利益テストをしたり
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いわゆるそのUX的な文脈ができた時にそこのその責任を負う人がデザイナーとプロダクトマネージャーみたいな感じで出てきて
結局そのユーザー体験みたいなものを突き詰めていくと
そのプロダクトの企画さらに言うとそのプロダクトを成立させるビジネス的な要件であるとか収益性とか
そういうものいろんなことにどんどん責任が広がっていって
最終的には会社の経営者になると思うんですけど
その手前にあるプロダクトにだけ責任を負う会社全体ではなくて
プロダクトのユーザー体験ビジネス仕様とか実際のエンジニアリングの持続可能性
その辺りは専門家と分担していくんですけど
プロダクトマネージャーという仕事が認知されてきて
当時はでもそうは言ってもそこまで20…何年だったかな
15、6年ぐらいですかね
それは広まっていない概念だったんでコミュニティをやって
それを人を集めて仲間を探そうみたいな感じで
そういうコミュニティを一時期やってて
そのコミュニティの中では多少は
そのコミュニティに来る人は自分の絶対見るので
そのコミュニティの中では有名っていう風になってました
なので iOS 開発コミュニティから
プロダクトマネージャーコミュニティに軸足を移してやってたんですけど
そこも自分がですね最初はプロダクトマネージャーを少しやってたり
すごい興味が強かったりしたんですけど
だんだん自分の役割がもうちょっと技術的な方とか
エンジニアリングマネージャー的なものになってて
プロダクトマネジメント自体をがっつりやるってことが少なくなってたので
コミュニティをやりつつ
自分の仕事は若干違ってるみたいなそういう違和さが出てきて
そうは言ってもやってたんですけど
そうですね コミュニティは人に1回バトンタッチした感じだったんですけど
その人もちょっと忙しくなっちゃって
あんま続かなくなって
そこにコロナが来てイベントはできなくなってっていう感じで
なんとなくそういうコミュニティ活動をしなくなって
今に至るという経緯があります
はい なんか結構やたらいっぱい喋っちゃいましたけど
なので今日話したのは
一時期 iOS アプリ開発コミュニティと
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プロダクトマネージャーコミュニティで多少有名だったけど
なんかそういうものとは
今は若干距離を置いて
次に何をしようか考えてますという感じですかね
コミュニティ活動は面白いし
人と話すのは好きなので
また何かやりたいなと思うんですけど
なんか多分何かやるとしたら
それこそ昔1回有名になったような時とは
違うモチベーションでやるような気がしますね
自分がやりたいことって結局
いいユーザー体験を作るっていうことでありますし
自分の作ったプロダクトが
多くの人に使われるということだし
その使ってくれる人の声を聞く
コミュニケーションするっていうことかなと思うので
何かしらそこにリンクするようなことを
今までの活動も基本的にリンクしてきたはずなんですけど
なんかもっとそこにダイレクトに
リンクするようなことができないかなっていうふうに
なんとなくもやもや考えてます
では今日は一時期狭いコミュニティで有名だった話でした
ありがとうございました
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