小石川後楽園の紹介
こんにちは、ninjinkunです。
今は、東京和文京区にある 小石川後楽園に来ています。
ここは、もともと
水戸徳川県の
庭園だった場所を、 その後も
庭園として開放したところで、 東京都が管理しているのかな。
はい、その都が管理している いくつかの
などで、アマリキューとか
学校のもとで
陸議園か、とか、はい。 ああいうものとかのうちの一つで
東京ドームの真横にあります。
まああの、いわゆる海遊式庭園というやつで、 真ん中に池があって、周りを
ぐるぐる回ったり、あとは今は多分桜が 植えてあるあたりとか、さっきは正部とかも見えましたね。
歴史的背景
はい、で、あと多分モミジが結構綺麗なんじゃないかな と思うんですけど、まだ10月の
段階では、モミジはちょっとだけ色づいているぐらいで、 まあこれからかなんですね。
多分どうも10月末、 まあでも今か、もうちょっとしたら
深夜のね、深夜とか夜の
その 快感もするらしいんで、そういう時に来ても面白いかもしれませんね。
はい、ここもグルッと見えちゃうパスで、 本来300円かかるところが
パスを持っていれば、1回行ったら入れるというので、 来てみました。
いやーでもやっぱこうね、 代名屋敷のお庭っていうのは
基本的に あの東京に
あるのは多いですけど、やっぱりその京都の お庭とはやっぱ結構違うなって思いますね。
そういう場所でこういう階屋敷だと、 天竜寺とか、
あとは 桂利宮とかになるのかな。
ですけど、あんまりこういうふうに池をね、真ん中にバーンみたいなやつは、 そんなに主流じゃないと思うから、
これはやっぱその江戸時代のものだなっていう 感じがしますね。
歩いて細かいところに登ってきたんですけど、 何かの跡である、
ここだけが分かり、看板が立っています。 八景堂跡。
二代美津君が七歳の時、将軍家美津に一見したおりに、 文章製像を頂戴した。
美津君は文学本能になり、文章製を思い起こし、 八景堂を作りその像を暗記したという。
この像は大将軍家の関東大震災で消失した。
文章製が何か全くわからないけど、 おそらく何か文学者なのか、
作家なのか、多分その程度のものでしょう。
二代美津君は、公文様ですよね。
ここは三戸徳川家の家なんで、 二代美津君もここにいたようです。
徳川御三家と確か、三戸徳川、 終わり徳川、中徳川ですよね。
かなり江戸にいる大名の中でも、一番位が高い。
この中から将軍家の 跡継ぎを排出したりしますから、
位が高い人たちですけど、 そういう人たちの庭が今でも
残っていて、 こういうふうにね、我々が遊べるっていうのも、
観賞と訪問の提案
なかなかありがたいことだと思いますね。 やっぱり東京はこういう
江戸レガシーというか、 そういうもので
遊ぶっていうのが結構私は好きですね。
はい、という感じでもうちょっと ウロウロをぐるっとして
出ようかなと思います。多分ここ1時間ぐらいかな。 時間を潰すとしても、お弁当とか持ってきたらね、
もうちょっといてもいいと思うんですけど。
そんな感じのボリュームでございました。 ありがとうございました。
