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2023-03-06 12:48

#56: 少なくとも最後まで喋り続けた

村上春樹が走っていることについて話しました。

走ることについて語るときに僕の語ること | 村上春樹 https://amzn.asia/d/1gIhh0N

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00:00
横山です。
大樹です。
ハルキいるじゃないですか。
村上ハルキ。
はい。
友達みたいに呼ぶけど。
彼の一つの趣味にあるのが、マラソンなんですね。
そうなんですね。
やべえマラソンなんですよ。
マラソンランナーなんですよ。
確かなんか3時間切るとか切らないとか、そういうレベルの感じの速さで走るし、
で、あと毎朝10キロ絶対走るみたいな。
へぇー。
何が何でも走るのはやめないっていう人なんですね。
うん。人生のかなりの部分走ってますね。
うん。
本業は作家なんですよ。
うん。
で、なんで走るのっていう話が結構されてて、そのことについてハルキもちゃんと言語化してるんですね。
うん。
ハルキ。
(笑)
ハルキ君みたいな。
ハルキ君。
うん。
で、ハルキ君が出してるその本の一つに、エッセイなんですけど、走ることについて語る時に僕の語ることっていう、ちょっとなんか言い回しがめんどくさいですけど。
走る時に僕が考えてることみたいな話。
そうですね。
うん。
なんかそう書けばいいのになんでこんな話してるんですか。
(笑)
うん。なんで走るかみたいな話ですね。だから。
うん。分かりづらくてウケるな。
うん。
で、それの一つの章に、少なくとも最後まで歩かなかったっていう章があるんですね。
おぉ。
この話がめちゃくちゃいい話。
一番最後に。
うん。
はい。一番最後にいい話で、ま、ある種ハルキがなぜ走るかっていうのがこの章に結構凝縮されてるんですよ。
うん。
で、ハルキがなぜ走るかっていうと、コンプレックスを少しでも薄めるためだけなんですね。
うん。
あるじゃないですか。やっぱ人間人それぞれコンプレックスっていっぱい。
うん。
で、ハルキがコンプレックスを抱いてたことのきっかけが、16歳の時に家にあるでかい鏡の前で、全乱になって自分の見にくい部分を点検しようっていうのをやったらしいんですね。
うん。
やりたくねーと思って。
わざわざそのコンプレックスを探しに行くみたいな作業ですね。
うん。で、そしたら27個目を書いた時点で、あの、これじゃやったら気が持たんっていう風になってやめちゃったらしいんですよ。
で、そんぐらい、あの自分の体にはコンプレックスが多すぎるってことに気づいちゃったんですよ。
うん。
で、そうなると、じゃあこのコンプレックスを一個一個潰さなきゃいけないっていう風な恐怖心に駆られちゃって、あんまりいい果敢状ではないっていう風になっちゃったんですね。
で、そこで解決したのが、ま、欠点はもう、かどれたらキリがねー。だからこれはもう受け入れるしかない。
けど何もしないと、欠点まみれの人間っていう自分に押しつぶされて精神がやられてしまう。
だから、少しでもそれを薄めるために、俺は走ろうっていう風に決めたらしいんですね。
うん。
だから走るらしいんですよ。
いつぐらいに決めたんですかね?
走り始めたのは、実際に30歳ぐらいからっていう風な話はあるんですけれども、
ま、だから何かしらのきっかけで、走ればこれは解決できそうっていうのに気づいて、ひたすら走ってみたいなんですね。
いやいや、はるきぃ、とにかく走るのをやめないっていうのを徹底するっていうことで、自分の作家人生を支えてるっていうのがあって、彼トライアスロモデルですね。
あー、そうなんですね。
うんうん。なんと、6回出場して初めて感想ができたっていう風に言ってるんですよ。
うん。
それまで、何度も何度も挫折して感想できないっていうのに苦しめられたんですね。
トライアスロンを。
トライアスロン。マラソンは得意みたいなんですけど、トライアスロンはね、頭おかしいっすよね。
頭おかしいって言ったら失礼ですけど。
いきなり我に帰った。
いやだって、作家ですよ。作家なのにトライアスロン出なきゃいけないっていう、その、なんだろ、強迫感に駆られて、毎年出てるっていう感じなんで。
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正直あれじゃないですか。6回目で初めて感想できるってまで、5回もやってるんですよ。
諦めないのすごいっすね。
だから、なんで諦めないかっていうのも、ここで諦めたら俺は欠点まみれに人間になるからだっていう風なことで、それを薄めなきゃいけない、そのためには走らなきゃいけないっていう。
こういう活動ってなかなかできないですよね。
そうですね。
だって、自分自身でもそのコンプレックスという部分は、僕自身もいっぱい抱えてるわけだし、それを薄めるために何か努力をできるかっていうと、
でも逆に努力したらこのコンプレックスが薄まる可能性があるってことは、走る走らないにせよ、何かにやっぱ打ち込むっていうことを本業以外でしないと人間は持たない可能性があるっていうのを、ちょっとハルキが教えてくれて、
なんかよく言うじゃないですか、山になぜ登るかみたいなとか話、そこに山があるのさって片付けないで、ちゃんと走る理由を明確に定義してくれたのは、なんかすげえ、譜に落ちたというか、
それは走るねっていうのを初めて納得できた人なんで、素直にハルキの文章が上手いっていうのもあるし、なんかちょっと勇気づけられました。
逆に言うと、ハルキ、コンプレックスそんな強いんだみたいな、そっちのことを思いましたね。
自分とかもコンプレックス、特に10代とかの頃って感じがちだと思うんですけど、10代、20代とかって結構あったと思うんですけど、
なんか大人になるにつれ、結構どうでもよくなってくる部分があって、なんかコンプレックスいろいろある気もするけど、もうなんか麻痺しちゃってよくわかんないなみたいな感じで、日常を送ってるんですけど、
ハルキはそれじゃあ日常を送れないぐらいにコンプレックスが強いのか、それともわずかなコンプレックスすらも、もう徹底的に抑えておきたいっていう思想が強いのか、どうなんだろうなって思いましたね。
それでいうと書いてあることそのまま引用すると、こんなこと大して意味を持たない、儚く無益なものとして、あるいはひどく効率の悪いものと移ったとしても、それでも仕方ないじゃないかと考える。
そこに小さな穴の開いた、古鍋に水を注いでる虚しい書業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力をしたという事実が残る。
効能があろうがなかろうが、結局のところ、僕らにとって最も大事なことはほとんどの場合、目には見えない。そして価値のある物事は往々にして効率が悪い。って言ってるんですね。
だから、あれでしょうね、ひねくれもんだとは思うんで、最短距離を狙って解決できることって、解決できるような問題じゃないんだと思うんですよ、そのコンプレックスというものが。
だから、一番効率の悪い方法で自分を努力させるっていうことで解決してるっていう感じだと見受けられますね。
なんか今の原彦の文章を感じると、なんていうんですかね、まあよくわかんないですけど、コンプレックスを解決することっていうのは、なんかもはやどうでもよくなっているような気が、どうでもよくなっているのかなっていう風に思えてきましたね。
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そのなんか、コンプレックスがあって、それを解消したくて必死で走ってるっていうよりは、まあ最初はもしかしたらそうだったのかもしれないですけど、なんかだんだんコンプレックス解消ゲームがめっちゃ面白くなってきてるんじゃない?っていうようにちょっと感じましたね。
でもそれに対して価値があるっていう風に言っているのは、確かにその通りかもしれないですね。
なんかちょっとそれで思ったのが、最近あの電車の広告で見たのが、ティーン二重手術みたいな感じで、高校生でも二重手術できます。3万9000円みたいな感じで広告がいっぱいあったんですよ。
これってまあある種コンプレックスを刺激することで、あの商売にしてるっていうような。
結構批判されてる気しますね、その広告。
うんうんうん。で俺もなんか、いやこれいいの?みたいな感じで思ってたんですけど、まあだからはるき的に言うと、一重でコンプレックスだっていうのが仮にあったとして、それを手術で直したっていう風にしたら、そのコンプレックスが解消されるかっていうと、解消はされないってことだと思うんですよ。
仮にその二重にしたら、次はじゃあ顔の形も変えなきゃ、鼻も高くしなきゃとか、髪もサラサラにしなきゃみたいな感じで、やることいっぱい出てくるから、一生解決しない問題だと思うんですね。
で、解決できないことがわかったっていうんであれば、それを一番効率の悪い方法で解消しに行くっていう風に舵を切ったってことで走る。
これなんか結構確かに腑に落ちるなって思って。だってどうしようもないじゃないですか。いっぱいコンプレックスあるんだよ、ほんとそんな。
だから、これはやってるから少なくとも俺はこのコンプレックスについて考えなくていいんだ。そしてこれは大変なことだっていう風に、自分の中でそのコンプレックス解消ゲームを始めちゃえば、コンプレックスがなくなるっていうことですね。
うーん、まあどうなんですかね。人とコンプレックスによるのかなって。まあ、はるきはもはやわかんないですけど、コンプレックスないんじゃないの?なんか、はるきくんさ、実はみたいな。
コンプレックス解消すること楽しくてさ、それ楽しくてやってるんでしょっていう気が僕はしちゃうんで、まあ別にそれ自体はすごく肯定するんですけど、コンプレックスを抱く人に対して、
いや、コンプレックス、二重手術なんてしてもあなたのお悩みは解決されないから、するべきじゃないわっていう方がちょっと逆に呪いをかけちゃってるような気がして。
あの、はるきはそれ楽しいんでしょうねみたいな気はしてるんですけど、それをコンプレックスを持つ人に向けていいのかなっていうのは、ちょっと悩ましいところはあるなと思いますね。
はるき自身も、僕は走るけどあなたたちは別の方法があるよっていうのは言ってるんですよ。
うん、ああ、なるほど。
コンプレックス、まあ確かにこれコンプレックス論になってきましたけど。
確かに。
別にでも、二重を手術することで救われる人もいるわけだし、僕もあれですよ、メガネやめるためにレシックして、それで救われたっていうのもあるから、
解決できるコンプレックスと解決できないコンプレックスがあった場合に、解決できるなら解決できる手段は取ってもいいと。
二重してなんか気が落ち着くんなら、まあやられるべきだし、まあかといって、キリがないようであれば、他の戦略を取らなきゃいけないってことで、
まあマラソンするなりなんなりの別の手段を取る必要があるということか。
そうですね、まあそれが結構個人の判断の話というか、ちょっと二重手術の場合は、それが10代のティーン向けの広告だから、
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10代を自分で物事は判断できない、まだ幼い脳みそだっていうふうに言ってしまうと確かに難しいんですけど、
まあ成熟した大人の自分で自分のことが判断できるって意味だと、あのもう好きにすればみたいな感じなのかなと思いますね。
いやコンプレックス、まあだからあれですね、ハルキみたいに一回前卵なって鏡の前で自分を点検して、
27個ぐらい自分の欠点っていうのを、自分が思う欠点っていうのをあげてみて、解決できそうなものはもうガンガン解決しきりましょうと。
これ痩せないとまずいなとか、腹周りの肉困るなっていうのがあったら、ちょっとダイエットしようみたいな感じでカジが切れるし、
どうしようもない部分とか、そもそも身長がとかっていう話とかってあるじゃないですか、もう伸ばせないものとか、そういうのはもう飲み込んで、
どうしてもそれが解決できないっていうのであれば、走れ!ですね。
これが一番建設的なコンプレックスの向き合い方ですね。
そうかもしれないですね。まあハルキはその一例として走ることを示してくれたみたいな感じなのかな。
何しようかな、そしたら。走ると同等の努力が必要な活動ですよね。
まだからみんななんだかんだで仕事以外でやっぱなんか活動やってる人が多いんですかね。
このポッドキャストもあるしそうなんかもしれないですね。
喋れ!っていう。
少なくとも私たちはポッドキャストをやったっていうことで、コンプレックスを解消してると。
でもそれ結構あるかもしれないですね。
はいはいはい。
わかんないですけど、趣味は何ですかみたいな話ってあるじゃないですか。
で、まあ別に僕ポッドキャストやってる以外にもまあこれも趣味かなみたいな話もあったりしますけど、
まあポッドキャストやってますって言えば、なんかやってるじゃないですか結構。
なんかそれだけでなんだろうな、ある程度人生充足したことになってるみたいな趣味があると。
なんかそういう要素はある気がしますね。
確かになんか、昔の哲学者兼数学者のバードランド・ラッセルって人がいるんですけれども、
その人が幸福論って本で言ってるのは、利益を伴わないような興味を何かしらに持てっていう風に言ってるんですね。
それが幸福につながるっていう。
へー。
あの、興味が何にも示せないっていう状態はやっぱ不幸だっていう風に言ってて、だから趣味がない状態ですよね。
趣味は人生を幸福にするっていうのは、なんか100年ぐらい前から言われてるんで、
まあハルキーにとっては、だから走ること努力してるって言いつつも多分趣味なんですよ。
僕たちもあのポッドキャストで喋るのは、まあある種の努力ではあるけど、
まあ普通に楽しくやってるし、それを趣味として肯定的に捉えてるから、
これはコンプレックスを潰すためにやっている一つの営みとして、なんかかなり有益ですね。
なのでちょっと今回のタイトル、喋ることについて語るときに僕の喋ることにしましょうか。
いやー。
訳わかんねーんだけど。
いいですけど、僕らの。
このあれですよ、あの、ポッドキャストで喋り始めてから、なんか精神状態が良くなった気もしますよね。
おお、すごい。
うん。じゃあハルキーだった、俺ら。
ああ、確かに。ハルキー、ハルキーだったのかな。
でも本当にハルキーの走ることっていうのと、僕らのポッドキャストっていうのは結構近い感じしますし、
その幸福論の話もしっくりきますね。
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うん。全部踏み落ちました、これ。だから少なくとも最後まで喋り続けたっていうことで。
うん、確かに。確かにな、それだな、めっちゃ。
いいですね。だから最後、ハルキーが言ってるのが、この章の最後なんですけど、
僕の墓にはこう刻んどいてくれ。村上ハルキー(そしてランナー)
少なくとも最後まで歩かなかった。
これですね、我々の墓にもこれを刻みましょう。
少なくとも最後まで喋り続けた。
(♪ BGM)
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