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みなさん、今日の調子はいかがですか?
私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
この番組は、40代に入って、中年の危機、ニットエイジッククライシスを感じている私が日々感じたことなどを話す番組です。
今日は前回に続いて、労働についてお話をしたいと思いまーす。
みなさん、前回聞いてくれましたか?
もし聞いていない方がいたら、ぜひ前回も聞いてもらって、それからこっちに戻ってきてくれたら嬉しいなーと思っています。
今回はですね、働きすぎてしまう、定期的に働きすぎてしまう私の労働について話したいという回なんですけれども、後半になっております。
私はですね、定期的に働きすぎてしまうということがですね、30代から続いているという感じでして、働きすぎてしまうと、私の場合は泣く。
仕事をしたくないよーって泣いたりとか、心臓の動機が出たりっていう、あとは遠景脱毛とかもちょっとなっちゃう体質なんですね。
なんかがあって、そうすると、働きすぎたっていう風に気が付いて働くのをやめるみたいなね。
やめるっていうのは退職するっていうことじゃないですね。
労働時間を緩めるっていうことを繰り返していると。
私自身はあんまり働くっていうことね、労働をするっていうことがあんま好きじゃないというか、過剰な労働が好きじゃないんですね、本当は。
なのに過剰に労働してしまうと。
そういう悩みを、このみいさんはお持ちなんですね。
急に自分を客観視してみました。
今回も働きすぎてしまっていて、どうして働きすぎているのかと。
働きすぎては緩め、そしてまた働きすぎて緩め。
でも、基本的にはそんなに過剰な労働をしたいと思っていない私がいるのに、そういった状況を作り出してしまっていますよというところまで前回お話をしたという形ですね。
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あとはその長時間過剰労働で、もちろん私の健康ですね。
そういった泣いたりとか、動機が起きたりとか、ハゲができたりとかね、そういう体への負担、心への負担っていうのもあるし、
あとは私のキャリアですね、キャリアにも犠牲が出ちゃっているし、
あとは私在宅ワークをしているので、健康だよねっていうのにも影響が出ちゃってるよと。
なんかそんな話を前回したという感じですが、
まあ定期的に緩めるってこともできているのだから、今回も緩めたらいいんじゃないんですかっていうお話ではないんですよ皆さん。
そうなんだけどそうじゃない。というのは結局緩めることはできているわけなんですよね、定期的に。
ってことは緩めることが実現できる状況にあるわけですよ。
なのに働きすぎちゃうっていう状態がまた起きちゃうってことなんですよ。
なので、ああもう緩める、働きすぎるの緩めようっていう対策は、やったとてもう一度働きすぎを生み出すっていうことなんですよ。
おそらく。
でももう私は本当に働きすぎたくないっていうふうに今回は強く思っているということで、
じゃあなぜ私はこんなに働いてしまうのかについて考えていこうということの後半戦です。
こんなに長時間過剰労働をしたくないのになぜこんなに働いてしまうかです。
前回も少しお話ししたんですが、私はクライアントワーク、俗に言うクライアントワークというのを日々やっております。
つまりですね、自社業務ではないということなんですね。
ちょっと前回聞いてない人のために。
自社の中途採用、例えばA社という会社があったとして、その会社の中で働く人を採用するA社の社員として私が言うわけではなくて、
A社で採用したいと思っているA社様をお客様として全く違う会社から私がやってきて、A社の会社の従業員の方を採用するという仕事をしているということですね。
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ご理解いただけたでしょうか。
あまり大きい会社に私は所属しているわけではないので、多くのプロジェクトが一人で特工をしていくような形で、
プロジェクトといってもお客様側のプロジェクトなので、私以外のメンバーはみんなお客様の会社の従業員様というような形で働いています。
なのでちょっと一般的な会社に勤めている人とはちょっと違うような勘どころで働いているというような感じかなと思っていますね。
そうするとどういうことが起きるかというとですね、例えば一緒に働いているメンバーも私たちの会社からするとお客様になりますので、
日々私が働いているプロジェクトの中で誰かがミスをするとですね、お客様がミスをしているということになります。
もしくは私と同じような立場のほかベンダーの方ですね。
なので、お客様から依頼されている業務の一つにもなるわけなんですよ。お客様のミスなので。
なので、自社の従業員、私のメンバーとかがミスをしましたと言っても、その方がミスを自分で修正することができない場合は、私の仕事になってしまうという形ですね。
なので、メンバーがミスをする、自分のメンバーがミスをしても私の仕事になるし、お客様がミスをされても私の仕事になるというようなケースが多々ありまして、
ミスという一例をとって話すとそういう形になりますので、なかなかですね、タスクを話すことができないような環境にあるというふうに私が思っているんですね。
わかりにくいわっていうね、ことなんですよ。つまり今私が言ったのは、私が見ている世界であって、これは絶対的な正解ではないっていうことなんですね。
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つまり、どんなミスが起きても私がどうにかしなくちゃいけないっていうふうに私が思い込んでるってことなんですよ。
で、それを証拠に、例えばそのミスを、いやー例えば今みたいに労働したくないっていう端部になった時にね、いやーちょっとねーやってあげたいんだけど、マジちょっと今過剰労働してるからごめん、ちょっとこれ無理だわってなった時に、あ、いいですよーって言ってもらったりできるんですよ、お客様に。
ですよね、ちょっと最近Bさん働きすぎですよね、みたいな。大丈夫です、こっちでやっておきます、みたいにお客様に言ってくださったりもするんですよ。一緒にプロジェクトをやってるチームなんでね。
そういう人間関係を日頃から作れているのに、それをやらないんですよね。やらないで私がどうにかしなきゃいけないっていうふうに思ってしまっていて、過剰労働になっちゃってるというところはね、正直あるなぁと思ってます。
自分のこの責任感といえば簡単だけど、この責任感がめっちゃ狂気的だなぁっていうのをなんか最近すごくね、思ったりしていますね。はい。
で、なんでこの責任感がこんなことになるの?ってなると、この責任感はね、多分劣等感と、あともう一つね、人を悲しませたくない、がっかりさせたくないっていう気持ちが過剰にあるっていうようなことのような気がしていまして
で、劣等感についてはね、割と長く向き合ってきているので、正直少しずつね、この劣等感は下ろしやすくなってるかなーっていうふうに思っていて、例えばまあ私昨日からその労働時間をね、少し
和らげているんだけれども、それをやる時も、私は別にこの仕事で優秀じゃなくて、無能だって言われても全然いいなっていうふうに思ってるよねっていう自分と会話をして、それよりも今自分の体を守ることが優先じゃないっていうことで、その劣等感というところとは折り合いをつけることができるんですよ。
本当に心から思うのは、仕事で今ね、私の場合ですよ、全員にそう思うけど、仕事で優秀である必要っていうのは、私の人生にそんな大きな意味はないんですよ。
過去にはあったんですよ。仕事ができなかった頃はね。
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だけどもうある程度できるようになってしまっていて、これ以上この仕事でそんなに優秀でいたいと思ってないので、そう思うとその過去の成功に今もしがみついている必要はないよねっていう感じで自分と会話をすることができるんだけれども、
2つ目の人を悲しませたくないとか、がっかりさせたくないっていうのはね、結構子供の時の記憶とひも付いていて、なかなか意識的に直せないっていうのがありますね。
例えばなんだけど、結構いろんなエピソードがある中で一番多分大きいものは、私の両親というのは父方の両親と同居していて、なので私はおじいちゃんおばあちゃんといつも一緒にいるっていう感じの生活だったんだけれども、
ちょっと父方のおじいちゃんおばあちゃん結構荒々しい、たけたけしいというかですね、とっくみ合いの喧嘩をするような、ちょっと江戸っ子だったっていうのもあったんですけども、
ちょっと血あんが良くない、血あんが良くないっていうとちょっとあれなんだけど、ちょっと血の毛の多い方々だったんですね。
なので割と私が幼稚園の頃とかね、生まれた時からそうなんだけど、自分の認識があるうちは幼稚園とか小学生の頃も、父とおじいちゃんがときめいの喧嘩するとか、おじいちゃんとおばあちゃんが幼稚園をかけた喧嘩するみたいなね、マジで。
そんな環境だったんです。
それを見てやっぱり私のね、お花畑にいるようなお母さんもやっぱりとっても苦しんだので、時折父と喧嘩をしたりとかすることもあったんですよね。
父の兄弟ですね、おばさんも少し特徴的な方だったので、そういったところもあってですね、ちょっと家族が結構その幼少期、エモーショナルが過ぎる状況が結構ありまして、
私は子供ながらに争ってほしくないっていうね、もちろん悲しんでる姿、やっぱり母が悲しんでる姿を見たくないっていうのが結構ありまして、
それがおそらくね、私の一つの性格を作ったとは思うんだけど、争ってるのが嫌いなんですよ。
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誰かが例えばミスをしたとか何かが起きたっていう時に、誰がやったのかみたいなね、原因追及をせざるを得ないわけですよね、仕事をする上では。
でも嫌なんですよ。
とか、あとはエモーショナルなことが大丈夫な人たちっていうのは議論をするわけなんですけども、これは議論であるってことは理解しているのだが、やっぱり嫌なんですよ。
私はもちろん議論はするんですけど、言葉を最大限に選んだりだとか、私もたまにはね、ありますけれども、
でもやっぱり荒ぶってる状況とかね、対立してるとかあんまり嫌で、とにかく喧嘩してほしくない。
だからディスカッションは喧嘩じゃねえよって言われるとそうだよねって思うし、全然それは頭でもわかってるんです。大人だから。
頭ではわかってるんだけど、精神がね、無理なんですよ。
今でも喧嘩されたり荒ぶるぐらいなら、自分が損した方が楽だなって思っちゃうところがありまして、
徐々にね、緩んできてはいるんですけれども、
ネガティブで大事になりそうだなって思った種は早めに積みたいし、早めに私がどうにかしたいっていうのが結構あって、
それでね、やっぱり過剰に自分の仕事のタスクを増やしてるな。
まあ結果ね、私のアウトプットの、いやみんな笑うかもしれないけど、仕事上のアウトプットは性格に近いものが出せる可能性は高いんだけど、
でもね、こんなに言い間違えとかして適当なのにさ、仕事ではそんな感じな時の方が多分多いかな、どうだろうね、わかんないけど。
でもまあ、場が荒ぶるぐらいだったら私がちょっと働きすぎるぐらいでもいいっていうね、
いうところが結構無意識的になっちゃっていて、これが結構ね、過剰労働を生んでいるところだなっていうふうに、今のところ私はね思ってたりします。
でじゃあこれをね、どう改善していきますかっていうところなんだけど、正直今はこれの改善点っていうのは、
あの荒治療があるのは知ってるんだけど、なぜなら私も心理学を勉強したから。
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でもね、なんかあんまりそういうの好きじゃなくて、
今すぐこの、自分の人を悲しませたくない、がっかりさせたくない、人が喧嘩してたり、ディスカッション、対立してる構造が好きじゃない、
だったら自分が損してでも平和にしておきたいっていう、この資質を、
なんというのかな、今すぐパッとね、直せるっていうふうには思ってない。
ただ徐々にね、良くなってきているし、これからも良くなっていくだろうなっていうふうに思っているのは、そういう自分がいるっていうふうに認識できてるからなんですよね。
なので今回もこうやって働きすぎたなーってなったときに、また私、
人を悲しませたくない、がっかりさせたくない、対立させたくないっていう気持ちがめっちゃ出てたなっていう。
でその上に、劣等感もあったなっていうのに気が付くんですよね。
この繰り返しは本当にやめたいし、いつかは止まると思ってるけど、止まるという、いつかは止まると思っているんだけど、もう、
えっとね、期間が短くなってきてるんですよ。だから過剰に、
働きすぎて、っていうふうになる前に、あ、働きすぎてるって気が付けるようになってきてる?
これがまあ一個改善されている傾向の現象かなっていうふうに思っているので、
私が人を悲しませたくない、がっかりさせたくない、だったら自分を犠牲にした方が楽だっていうふうに思ってしまうタイプだねっていうのに
気が付く頻度が増えているというところがあるので、もう少しこういう自分と付き合っていきながら
働きすぎてしまうということを緩めていきたいなっていうふうに今は思っているという感じです。
聞きにくい話だったかな?
こういう話うまく話せるようになりたいんだけどね、なかなかこう情景とか
そういう意味でエモーショナルさを伝えようと思うと、なかなか難しいというかですね
端的に説明できないっていうのがあるよね。なんでちょっと聞きにくかったら申し訳ないんですけども
結局ここまで話して思うのは、今すぐパタッと働きすぎるというね
この働きすぎては働きすぎを緩めるという
この繰り返しというのは、今すぐ止まるかどうか、止まるじゃない、今すぐ止まるかどうかはわからないけれども
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その頻度っていう
その深刻さは変わってきている、薄まってきている
なぜならばそういう自分がいるってことに気がつけているから
気がつけているということは、その気がつくという頻度が上がってきているということなので
頻度が上がってくれば慣れていく
自分はそういう資質を持っているよね、それが生み出すものはこういうことだよね
っていうものを予測することができるようになっていくので
おそらく自然にね、少しずつなくなっていくというふうには思っているんだけど
っていう話かな
だけど、次はないように心をかけていきたいね
っていうのが、今日のお話ですかね
改善の兆しがね、見えてくる時っていうのは
あの、例えば今日とかも、あ、そういえばスケジュール帳書くのやめてたなぁとか
思うんですよね
で、スケジュール帳を書くのをやめてると、どんな不具合があるかというと
私がいつも今年通して言っている、やると決めたことをやるっていうのを忘れるんですよ
私はその手帳にやると決めたことをやるを書いていて
なぜそれをやるのかっていうことを手帳に書いているからなんだけど
忙しすぎてしまって、労働をすることを過剰に選択すると
スケジュール帳を書くってことをやめてしまうんだよね
そうなると、なぜ私は日々をこのように使っていこうと思っていたのかっていう
自分の方向性を忘れてしまって、その場の強い影響のあるもの
今回で言うと、周囲を荒立てたくない、平和な状況にしておきたいって思う気持ちに
乗っ取られて、そっちの方向に自分の人生をコミットさせていこうとしちゃうんだよね
なので、ちょっと今は労働することを緩めるっていうことを昨日からやっているんだけど
やっぱり何よりもしばらくは意識的に自分のスケジュール帳を見る
見るということをやろうっていうふうに今日は思いました
話したって感じ
では本編は終了いたします
いやーうっかりこの話が前編後編の2つのお話になってしまう
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長編のお話になってしまいました
聞きにくかったらごめんなさい
ただちょっとね、私の働きすぎ、労働のしすぎっていうのは
私の健康と私の未来と私の日々の生活をね、奪っていくというものなので
まぁ少しずつ緩めていきたいなって
そのために自分が今気づいていることってこういうことだよねっていう話をさせていただきました
なんかふとね、今日思ったんです
日々を楽しむっていうことをね
なんか日頃気軽に使ってる?
例えば今日も良い1日をとかいう言葉をとっても気軽に使っているけど
良い1日をお過ごしくださいって
結構大変なことだなって
まぁ今の私にはね
良い1日を過ごすために
自分には
まぁだから自分にとっての良い1日って何なのかなって思ったんですよね
それは多分
日ごとに違う?
と思うんです
私はもう毎日家族と仲良く暮らしていければ
それで幸せとも思わないし
仕事ですごい成果をあげて
そういう日々は続けば幸せとも思わなくて
おそらく私の場合は
その時折で
良い1日っていうのは違ってくるだろうと思います
だからね
何をしたら自分がその日幸せなのかっていうことじゃない?
ただ良い1日にしようっていう風に思うことが
良い1日に導いてくれる始まりのことかなと思ったし
良い1日にしようと思う自分が
私が思う良い1日ってどんなことなのかを知っているってことが
やっぱり一番大事なんだろうなって思ったので
まぁなんか
人はさ
深く考えるコストを払うのを嫌がるっていう風に
古典ラジオの深井さんがどっかで言っていたなって思うんですけど
本当にそうで
やっぱり深く考えて追求するっていうことから
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逃げてしまうと
私はですね
良い1日を過ごせる割合は減るなっていうのはなんか今日思いましたね
だから自分のことを知るっていうコストは
適度に払っていきたいなと思いました
そのためにはこの番組は私にとってはとってもね
良い時間になっていますが
聞いてる方にはちょっとおい何言ったんじゃいっていうね
時もあると思いますが
今日も聞いていただいて本当にありがとうございました
えっとですね
今月の目標はこういったSNS、ポッドキャストを頑張るぞということで
思った以上に頑張れていないんですけれども忘れていません
今月にはならないんですけれども
実はやっとこの番組にもゲストをお呼びすることができそうですっていうね
なので来月は多分ね
とても素敵なゲストの方をお呼びできると思いますので
しかも1回じゃないよみんな
私が一番楽しみにしているんですけれども
そんなことも今後やっていけるということで
ぜひまた聞いていただけたら嬉しいなと思っておりますので
また次回もよろしくお願いいたします
では今日も聞いてくれてありがとうございました
バイバーイ