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こんにちは、ほうりです。今日はですね、自分の萌えは他人のないとか、嫌なら見るなっていう言葉を実際に実行できてる人って、ここを抑えてるからじゃないかなってことについてお話ししていきます。
今年も一年、いろいろとお世話になったんですけども、私も今年一年、いろいろと学び終えて、こうしてラジオとかツイッターとかでアウトプットしてるんですけども、その中で一番腑に落ちたっていうのが、自分の感情に蓋をしないってことなんですよね。
自分の感情に蓋をしないっていうのはどういうことかっていうと、嬉しいとか楽しいとかワクワクするっていう感じはもちろんのこと、あいつこの野郎くすむかつくるとか、あいつマジでぶち殺してやるみたいなそういう感情を持ったとしても、それを否定しないで、とことん自分に味合わせてあげるってことを心がけていけば、自然と同人活動とか二次創作で、
天下の宝塔っていうか名言ですよね。嫌なら見るなとか、自分の思いは他人のない、他人のないは自分の思いっていう言葉ありますけども、それが心から理解できるようになるんですよ。
つまり、自分に甘くなるってことなんですよね。自分に甘くなるっていうことは、浮かんだ感情に蓋をしない。こんなこと思っちゃダメだとか、こんなこと思ったら私はまだまだだとか未熟だとか、そういうの一切関係なくて、まずその感情が浮かんだらそれは浮かんだんだなっていうふうに認めてあげるんですよ。浮かんだ感情を認めてあげて、くっそあの野郎みたいな感じで、
時段で踏んだり、クッションとか枕とかでもぼかすかぼかすかぶん殴ったりとか、あといらないお皿とかあるんだったらそれを結局叩き割ったりとか、ビール瓶とかワイン瓶とかあったら後片付けするの覚悟で思いっきり叩き割るとか、そんな感じで怒りとかそういった感情を味わわせて発散することは悪いと思わないことですね。
なんでみんなそういった怒りとか憎しみとか妬みとかその笑みとかをね、持つこと自体悪いのかって思うと、人にぶつけることが前提になっちゃってると思うんですよ。
そういった感情を自分で持ったとしても発散できる場所がないっていうか、発散するにはそういった怒りを私たちに、私に怒りを持たせたあいつにぶつけなきゃ気が済まないとか、私にその笑みの感情を抱かせたあいつにギャフンと言わせてやらなきゃ気が済まないとか、そういうふうに重宝人に対してそういった方向先を向けなきゃならないっていう思い込みがあるからなんですよね。
だってね、やっぱり漫画とかドラマとかだってそうですよね。怒りとか憎しみとか持ったとしても、あいつにぶつけたいけどもそんなことやっちゃダメだから、こんな感情を持つ自分は醜いんだとか、こんな感情を持つこと自体が間違いだとかっつって、怒りとか憎しみとか妬みとかをバネにして努力するっていうのは間違いじゃないと思うんですけども、それを味わい尽くす前にみんな蓋しちゃってるから。
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だからみんなそんなにしんどくなって、嫌なら見るとか自分の思いは他人のないっていう言葉に対して、内心に納得してないけどそれで無理やり納得しようとするんですよね。
昔の私もそうだったからすごい気持ちよくわかりますけど、でもそういった感情を持たせられた超本人に別にそんなもんって言ったら失礼だけども、怒りとか妬みとか妬みとかをぶつけなくたって、自分の中でもう手穴ばろちくしょうみたいな感じで、とことん味わい尽くして感じさせてあげて、一人でも発散させたりとかしたら自然と収まってくるんですよ。
これね、一番わかりやすい例えで言うと、あ、お食事中の方はここから先聞くのやめてくださいね。
私たちは成長する過程でトイレトレーニングって受けてきましたよね。
最初はもう垂れ流しの状態だったのが、おむつにしておむつで排泄して、だんだんおまるとか、あとトイレとか行ってやりなさいって言われて生きてきたわけなんですけども、別に排尿とか排泄の感情を持つなとは一切知られてないんですよ。
どうしても漏れちゃうよってなった時に、ちょっともうちょっと我慢してねっていうのはあるけども、別にそれを持っちゃダメだって誰も教わってきてないわけなんですよね。
よくちょっとこれ本当に私、これは法律で禁止した方がいいなと思うんですけども、学校でうんちしたらバカにされるってやつ。
あれね、本当にね、今やってるのかどうか知らないけども、あれ早打ちから法律で取り締まった方がいいなって私マジで思うんですよね。
そういう馬鹿げた風潮があるから、今出すもの出せないでね、便秘的な意味でもやっぱり苦しんでる人っているんじゃないかなって割と真面目に思うんですよ。
やっぱり便秘気味だっていう人結構私の周りにもいますけども、それと同じで負の感情も持っちゃいけないとか出しちゃいけないとか、そういうふうに抑えつけてるから結局自分に厳しくなって、
嫌なら見るなとか、他人の萌えは自分のないっていう言葉自体にも上っ面だけで納得したふりして、それでだんだんしんどくなっていくって感じなんですよね。
だからそういった意味で自分をね、やっぱり甘くするっていうことがやっぱり大事なんですよ。自分に甘い人は他人にもずっと甘くなりますから。
これは私も実践してみて本当に思います。
前回の放送の自己犠牲の話でもそうなんですけども、自己犠牲でたっ飛ばれるのっていうのはテレビやアニメの世界だけなんです。
自分に厳しくって他人に甘いっていうのもフィクションの世界だけなんですよ。自分に甘くて、それで余裕を持てるから他人にも甘くなれるんですよ。
まず満たすべきは自分です。甘くするべきは自分です。甘くするにはどうしたらいいのかっていったらその手っ取り早い方法は、どんな感情も蓋をしないで味わい尽くすっていうことなんですよ。
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不満とか不平とか怒りとか妬みとか嫉妬とかその意味とか、そういった感情に浮かんできたら、あ、ダメだっていうふうに思い込むんじゃなくて、まずそのままもう吹き出すままに味わわせてあげてください。
そして別にそれは人にぶつけなくてもいいんです。分かってよっていうふうに発散しなくても、自分が分かってればいいじゃないですかって感じなんですよ。
分かってくれっていうふうに言って、発散するのはするので止めませんけども、実際にそれで人が分かってくれるかどうかっていうのは、自分以外の人の感情っていうのはコントロールできないから、その辺は自己責任でやりましょうねって感じですね。
というわけで、今年最後、2024年最後の放送は、「嫌なら見るな。自分の萌えは他人の萌え。他人の萌えは自分の萌え。」っていう言葉を実践し、本当に腹落ちして実践できるってことは、
とことん自分に甘い人、そして自分に甘くするっていうのはどういうことかといったら、自分の感情に蓋をしないで、とにかく味合わせてあげる人だっていうことについてお話ししました。
このチャンネルでは、理事創作や同人活動の悩みを、脳科学や心理学、量子力学に基づいて、それを手放したり解放したりするヒントを発信しています。
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では皆様、良いお年をお過ごしください。