杉田剛さんのキャリアの始まりと宮崎へのUターン
はい、今日も宮崎のお時間をやっていきたいなというふうに思います。
この番組は、宮崎で活躍している方に来ていただいて、いろんな話をお伺いする番組となっています。
こちら、街中にありますVOL.の中のポッドキャストルームから、美装空間大島がお届けさせていただきます。
本日のゲストでございますが、MOC総発本部長、杉田剛さんです。
よろしくお願いします。
総発本部長、総発もよくわからない言語ですし、本部長というのも、部長をまとめる、真の部長みたいな感じですかね。
本部長、固いイメージがありますが、今日、MOCのことについて、いろいろ聞きたいなというか、
僕なりになんとなく思っていることもあったりとかを、これ後で掘りながら聞いてもらえたらななんですけど、
とはいえ、僕、一番最初に杉田さんに銀行をつないでもらう、街づくりファンドの組成のタイミングで、
資金さんとか金融機関さんを一番最初につないでいただいたのが、たぶん一番スタートで、
あれ最初でしたっけ。
MOCができる前で、まだMOCの役所の中でワークしている時が一番最初だったんですよ。
なので、杉田さんって何の人なんやろうっていうのが、僕、ちゃんと何となく分かっているんですけど、
ちゃんと分かっていないので、今に至るまでを若干聞きたいなと思うんですけど、一番領域として長かったのは何になるんですか。
僕、4回転職してて、
地元宮崎?
地元宮崎です。
ちなみにどこですか。
宮崎市内の生まれて、宮崎西インターチェンジの近くってあるんですけど、
高校はどこなんですか。
宮崎西高っていう大塚にあるんですけど、ここまで宮崎にいて、そこから大学が東京に出たって感じですかね。
で、就職して、最初の就職は何だったんですか。
新卒はですね、NTTに入っているんですよ、僕。通信会社に入ってて、
英系ですか。
いや、超文系で、法人営業つって、
99年に入社してるんですけど、すぐ2000年問題って動かしちゃったんですけど。
聞くと何もなかった2000年問題だったんですけど。
パソコンがおかしいみたいな。
聞くと何もなかったんかいっていう。
で、ちょうどその時に、今で言うソフトバンクさんがADSLっていう、
メタルでめっちゃ速い回線を電車から、
電話回線の次のやつですね。
ISDの次ですね。
で、改札降りたらすぐモデルも配るってあの時代を、
多分知ってる人はあんまりいないかもしれないですけど。
僕の世代を皆さん知ってますから。
をやってて、今でこそあれで言っていいのかあれですけど、
ソフトバンクってNTTからしたらめちゃくちゃドベンチャーもドベンチャーも、
めちゃくちゃちっちゃくて、あんまりこう、うーんって感じだったんですけど。
頑張って寝るみたいな感じですよね、きっと。
まさか今こんなに大きくなって、
トランプさんと横に立って普通に喋ってるみたいな。
まさかまさかみたいな。
それが一番最初の就職。
そうですね。
東京ですよね。
東京です。
で、帰ってくるイメージは持っていたのか、持っていなかったのか。
もともと40代前半か30代後半ぐらいで戻ってこようと思ってたものの、
結婚のタイミングで20代の後半で宮崎に戻ってきて。
割と早く帰ってきた。
いやめっちゃ早かったんですよ。
もうその時に結婚して。
NTT辞めて宮崎に。
そうです。
無職で帰ってきて。
どうしたんですか、最初。
何もしないですよ、ぼーっとしてて。
ワイドショー見て、朝のワイドショー見て、気づいたら笑っていい友があって。
午後のワイドショーがあって、気づいたらニュースやってるでしょ。
やばいと思って。
だいぶやばいですね。
20代。
20代、27、8ですね。
でも怖くなって、で、就職活動をして。
結婚はして。
してですね。
それは宮崎の人。
そうです、宮崎の人ですね。
宮崎の人と東京で出会った。
なんでそこそんなホルムズを。
気になったね。
もっと言うと、今の嫁だったか、一人しかいないですけど、
嫁さんは高校の同級生です。
ああ、なるほど。
その時もちょっと付き合ってないんですけど、
24、25で、もう一回久しぶりに会って、
付き合って結婚した。
で、東京に来るわって言ったんですけど、
でも宮崎で学校の先生してたので、
なので僕の方が辞めて、宮崎に帰ってくるっていう感じだったんですね。
で、帰ってきて、
宮崎でのキャリア:歯医者、商工会議所での活動
じゃあ宮崎で4つ、こと3つ仕事をしてる。
1個目が何?
1個目が、お兄さんのところに働かせてもらってて、
歯医者さんやってらっしゃるんですけど、
嫁さんのお兄さん。
義理の兄ちゃん。
そこでちょっとお手伝いさせてもらって。
今のところ、何て言うんですか。
なんか結構、僕すげえバリバリの感じの勝手なイメージあるんですけど、
結構今のところポンコツキャラが出てきてる。
全然です。営業も全然下手で、全然できなくて、
人前で喋るのも全然ダメで、
それこそ、その後商工会議所って、
宮崎商工会議所とかに入所するんですけど、
そこで、それこそ街中のラジオ番組があって、
そこで強制的に喋らないといけなかったんですね。
もう嫌でしょうがなかったんですけど、
それで無理矢理喋るようになって、
初めて人前で喋るようになったって感じ。
30後半ぐらいです。
30後半までは、
身内がやってる歯医者で働く?
2年間ですね。働かせていただいて、
その後商工会議所で12年間働く。
商工会がずっと?
結構長いですね。
そこで、青島でトゥクトゥクっていう三輪自動車を、
青島の、
今もありますよね。
神社のグージーと、
永田もグージーっているんですけど、
彼がアイデアを出して、
僕はちょっと補助金系で、
そこらへんの下働きをして、
3人雇用して、
さんざんパラ、
トゥクトゥクで青島の周辺を回すぜ、
みたいな授業をさせてもらって、
めっちゃ楽しかったんですけど。
商工会では何してたんですか?
観光と商店街支援と経営支援と創業支援、
いろいろやってたんですけど。
ちょっと話、それっちゃうかもなんですけど、
そもそも商工会って、
あれは何をする座組で、
団体としたら、
どういう組織なんですか?
大きく2つあって、
地域の活性化ということで、
街づくりとか、
お祭り、
宮崎で言うとジム様っていう、
ジム展のやつとか、
花火大会をやっているのが、
宮崎商工会議所がやっていると。
あともう1つが大きいのが、
経営支援ですね。
地元の中小零細企業と言われる、
地元にしっかり根付いた方々に、
ご支援をさせていただくっていうのがあって、
もともと確定申告とか、
帳簿とかそういったものを付けてたりとか、
手形を交換したりとか、
そういうのを昔やってたんですね。
それは行政の職員ではない?
そこで言うと完全に民間ではあるが、
行政から補助金をめちゃくちゃいただいてたりするのが半分。
半分は自分で稼いでいるのが半分。
何で稼いでいるんですか?
会館運営って言って、
こういう会議室の運営だったりとか、
あと保険とか教材を売っての、
手数料が入ってきたりとか、
あと純粋に普通の会員さんとして、
会費として収入を得たりとか、
いろいろそういったものでいただいている。
あとは事業で、市とか県からいただいたやつで、
委託収入を受けるとか、
いろいろ収入のポケット、
種類がたくさんあるんですよね。
会員さんは結構、
なんとなくイメージできるんですよ。
宮崎にある企業さんとか、
その地域にある企業さんが会員である。
組織としたら、宮崎の商工会で、
何人くらいメンバーがいているんですか?スタッフ?
スタッフは40弱くらいかな。
結構な組織なんですね。
結構大きいです。
その中で、
ちなみに、
なんでそこに行くことになったんですか?
もともと、
NTTの時からそうだったんですけど、
中小企業診断士という資格があったんですよ。
それもちょっとあれなんですけど、
営業が下手で、
何とかお客さんに買ってもらわないといけないと。
まずはコストダウンして、
浮いた分で何か買ってもらおうと、
思うわけですね。
その時に通信費って、
いわゆるその、
固定費の中で7%くらいしかなくて、
7%を40%下げたところで大したことなかろうと。
もうちょっと大きくドラスティックに
コストダウンできるのないかなと調べていたら、
中小企業診断士というのが何かあって、
難しそうだけど面白そうだなと思って、
ちょっと好きだったんですね。
何かちょっと勉強しようと思って、
1回落ちたんですけど、
2回目奇跡的に受かって、
それで結構中小企業診断士の試験の中で、
商工会議所とか中小企業庁とか、
政府の補助金とか、
たくさん出てきたので、
商工会議所に入りたいなって、
自然に何かそう思ってたんですね。
ちなみにあれ、僕、
中小企業診断士の資格の名前、
絶対変えるべきだと思うんですけど、
めちゃくちゃ難しい試験じゃないですか。
範囲が大体に広いし、
僕それこそ昔、
建築士じゃなくて、
卓研の資格もあるじゃないですか。
その時に法規の先生が学校に行ったんですけど、
その法規の先生が弁護士で、
民法を教えてくれるんですけど、
弁護士試験より、
その先生、弁護士と中小企業診断士を持っているんですけど、
絶対中小企業診断士の方が難しいって言ってて、
広いからですね。
ですよね。
だけど、
ちょっとこれあれですけど、
名前ちょっとなんかしょっぽいじゃないですか。
君、中小企業、君、大企業って診断する、
ひよこのオスメス診断するような、
あれですかって結構揶揄されてますよね。
コンサルティングの最高峰の資格…
国が認めた経営コンサルティングだと、
一応言い方をしていて、
経済産業大臣が認めてるってやつですよね。
難しいですね。
難しいし、僕の時は一括で、
8科目あったんですけど、
8科目1回で受からないといけないですよ。
今は科目1学生で、
1個ずつ、
3個、4個一緒に取って、
また来年取れる。
溜めて受かるみたいな。
頭はいいですね。
そうなんですよね。
そんなことないです。
あれはですね、
記憶力との勝負で、
30で取ってんのかな。
あれもう無理ですね。
どんどん記憶力なくなっていくんで。
若い方が、
実績は社会人経験ないけど、
若い方が取りやすい。
テキストからほぼ50%ぐらいしか出ないし。
僕が勝手に見てる、
隋田さんって、
人と人をつないだりするとか、
顔が広いとか、
いろんな人を知ってる、
みたいな、
何となくそんな印象で、
バックヤードというか、
どこからそれって形成されたのかな、
でいくと、
その諸子会時代。
そうですね。
それがすごく大きくて、
今、モックの仕事をさせてもらってますけど、
ゼロワンでの経験と宮崎への帰還、そしてMOCへ
ほぼ9割以上は、
その時に知り合った方々、
県も市もそうですね。
その時にすごい目立った人たちが、
今ちょっと偉くなって、
僕もちょっと年取ってきたんで、
市とか県で、
今50です。
田島さんちょっと下ぐらい?
1個先輩。
1個先輩でしたっけ?
僕今年50になるんですよ。
じゃあ1個違いですね。
1個先輩ですよね。
僕1個、田島さんの方が上と思ってました。
先輩です。
すみません。
先輩です。
すみません。
こじらしてすみません。
なるほどね。
大体だから見てきたものとか、
それこそ大体同じものを見て、
感覚的にはなんとなく理解はできるんですけど、
そういうバックグラウンドの流れで、
モックに行くんですけど、
僕が始めましての時は、
もうモックがあったのか、
なかったのか、
多分そんなオギャぐらいやったのかなと思うんですけど。
そうですね。
それこそ先原さんに紹介していただいて、
すごい人がいると。
その時すでに、
多分公民連携推進室で、
田島さんイベント青島でされていて、
その話をすごい僕は聞いてたっていう感じですね。
モックは、
僕が放った時は、
もうできていた?
組織としてはあったが、
場所はなかった。
なんであそこをするの?
アクションの中の3回か。
この間、宮台のネギ先生と話しする、
擦り合わせみたいな打ち合わせをしている中で、
僕に、
時代に来たなと。
ほんま役所の中では、
虐げられている時代があってな、みたいな。
街づくりとか、
そんな何かするってなったら、
相当どやされてやな、みたいな。
そんな話をね、
昔話ってされていらっしゃって、
その中で、
ようやくモックみたいなもんができてな、みたいな。
多分モックの企画構想の前提って、
14、5年前くらいに、
何かあったみたいな。
それこそネギ先生が、
ずっと古今奮闘、
15、6年前からおっしゃっていて、
それから高島通りの活性化をずっとおっしゃっていて、
1階、2階は商業スペースで、
3、4階は店舗スペースで、
2階、3階が商業スペース。
その上が、
またテナントリーシングみたいなところで、
ずっとおっしゃっていて、
駅から来て、
仮のところで曲がって、
1番階に行って、みたいな。
そういう人の流れを含めて、
言ってたんですよね。
その時はどの時代ですか?
商店街の担当だったので、
もろに一緒に仕事してたんです。
先生の大変さも、
じゅじゅ横ですごく見てて、
その時に村岡さんとか、
商店街の方々と一緒に仕事をさせてもらって、
宮崎の街中って、
中小企業長が認める、
がんばる商店街77線、
2階実は選ばれていて、
実は全国の中で4つぐらいしかないのかな。
結構宮崎って目立った商店街だったんですね。
その時は結構村岡さんが、
年間300本ぐらいイベントをして、
土日に10本ぐらいやりまくるみたいな。
大変ですね。
やってたって感じですね。
その延長で、
商工会からモックにどうなるんですか?
行かなくて、
商工会議所の時に、
それこそ創業支援やってる中で、
スタートアップで存在を知ってしまって、
なんじゃこらって思って、
面白いなと思って、
東京のゼロオンブースターという会社があるんですけど、
有楽町にあるんですけど、
大手企業さんとスタートアップをマッチングさせて、
新しい事業を作るぜ、
みたいなところだったりとか、
地方で企業学生プログラムやってる、
みたいなところの会社に入って、
2年間修行というか働いて、
それがだから、今僕が見てる、
割と杉田さんっぽいって言ったら、
そういう感じなんですよ。
分かんないです。
昔から杉田さんのことを知ってるじゃない人は、
多分みんなそのイメージなんじゃないですか。
僕はもうめっちゃそのイメージです。
なので商工会のその感じとも違うなと思って。
言うて4,5,6年前ですよ、それって。
2019年に転職して、
まだ子供が小学校2年生だったんで、
娘なんでちょっと後ろ指、
後ろ指じゃないや。
後ろ髪引かれながら、後ろ指じゃないや。
東京に単身したんですか。
僕だけ単身9人で出て、
嫁さんと子供は宮崎にいて、みたいな。
それが2019年。
2019年、19,20と。
コロナになって、世界中がコロナになっちゃって、
自分で出たものの寂しくなっちゃって、
帰りたくなって、帰りたいってなって。
もう1年以上帰れなくて、
東京から宮崎に来たらあの時すごかったんですよ。
絶対来るなみたいになった。
帰れなくて、でもなったら帰りたくなるじゃないですか。
帰りたいなと思って。
でもそのおかげで帰ったけど、
宮崎でオンラインでそのままずっとゼロの仕事ができたっていうのがあって、
それはすごく良かったですね。
2年間しかいなかった。
1年間が東京で、1年間がオンラインで、宮崎で。
2年間東京で、戻ってきてまたずっと1年。
去年ぐらいまでずっとオンラインで、
スポットでお仕事はさせてもらってました。ゼロワンでは。
まだもっくり繋がっていかないですけど、
起業に対する考え方と地方での活動
どこでもっくりになりましたか?
その後、宮崎に戻ってきて起業して、
自分は今も個人事業主なんです。
何やってるんですか?
今、宮崎の仕事やってます。
個人事業主で、
任してゼロワンの仕事を業務委託で受けてたっていう体位にしたんですね。
今まで雇用だったんですけど、業務委託にして。
ゼロワンは何をやってるんですか?
ゼロワンはさっき言った大手企業とスタートアップのマッチングをしたりとか、
宇都宮とか岡山とか仙台とか、
いろんなところの企業規制プログラムとか、
大手企業の中で、
大手企業はだいたい3万人とか10万人とか結構いたりするので、
その中で鼻っ端が強い人がいて、
俺は起業してあるぞ!みたいな。
そういう人のメンタリングをさせてもらってて、
それを全部オンラインでやるんですよ。
回しをやるって感じですね。
これちょっと怒らんときたいんですけど、
なんとなく一個すっげえ違和感があるのが、
僕がモックの話に繋がっちゃうのが、
そもそも論やんけ、それみたいな話なんかなって思うんですけど、
ちょっと言葉を選びながら。
いいですよ、全然いいですよ。
企業がすげえ僕ファッションみたいな風潮をすごく感じるところがあって、
僕過去にもう1回も、学生で起業してるんですけど、
起業したいって思ったことは1回もなくて、
でも最近特に学生さんとかと喋ってると、
なんか僕絶対起業したいんですよねっていう会話をよく聞くんですよ。
すればいいじゃんってことですよね。
たぶん起業したいっていうのが動機になってて、
何か例えば、よくある社会課題があって、
僕はこういう問題があるから、
これを解決するためにこの手法を使って起業するんだ、
これめっちゃわかるんですけど、
なぜ起業したくて、何したらいいですかねみたいな、
何したらいいですかね、
じゃあ起業せんかったらいいじゃんみたいなとか、
そういうのをよくよく見て、
なんかそれってもやもやするんですけど。
そこで言うと、さっき大島さんがおっしゃったように、
起業したいけど社会課題があって、
こういうツールを使って起業したいという人が圧倒的に多くて、
起業したいんだけど何したらいいですかねってあんまりないですね。
起業相談相当もう十数年やってますけど、
基本そういう人はいないから起業しないですね、
そもそも論として。
就職してて辞める辞める詐欺と一緒で、
俺もこの会社辞めたるわーって辞めないと一緒、
辞めないですね、辞める勇気がないっていう感じですね。
辞める人も辞めるんで、
起業する人もするんで、
もっと言うと起業スクール行かなくても起業する人はするし、
補助金がなくても起業するし、
何だってする人はするんですよね。
もう一つちょっと話それって言っちゃうんですけど、
僕地方が面白いって、
地方に今すごくコミットしてやっているで、
地方の何が面白いってよく聞かれるんですよね。
で、都会で多分東京なんか特にそうやって思うんですけど、
そういう起業イベントとかなんかあるじゃないですか。
そしたらそういうピッチコンテストみたいなのがあって、
そこで僕はこんなんでこんなんで、
こういう未来を作ってこうやってやろうと思ってて、
こうなんですよって、
すげえいいイベントいい意見みたいなのを、
なんかすげえこうやっている人たちが評価をされてて、
スピーチコンテストでとかピッチ大会でみたいな、
でも何もやってないんですよね。
でもこれ東京での出来事、大阪、首都圏での出来事、
でも宮崎に来たら、
もう別にとりあえず来たんですよねみたいな、
もう辞めてあれをやろうかなとかじゃなくて、
そもそもここに来てる時点でその会社を辞めて、
自分で何かわからんけど宮崎で何かやろうと思っててとか、
いや実は農業でこんなことやろうかなと思っててみたいな、
地方に来たらもうすでにやってる人がいてて、
でも首都圏でそういうイベントをやってるのって、
なんか僕はすごく言語がむずいですけど、
滑稽に見えるというか、
なんかそういうのを感じるんですけど、
あれはあれで必要なもんなんですかね。
あれは一つの名詞があるって使ってらっしゃる方もいて、
全くその金も名前も実績も全然知られていないが、
そこで出て、皆さんPRタイムとか出てたりとか、
無料で広告してくれるわけですよね。
とかその投資家さんと出会えたりとか、
あとその一般の参加者とか聞いてる人が、
普通のおっちゃんおばちゃんじゃなくて、
消費者の事業部長とか、
決済権者がたくさん来てる中で、
その後の名詞交換もめちゃくちゃ繋がったりとか、
そういうのが一定する効果があるのかなというふうに思います。
お金を集める手段みたいな。
ピッチってそもそも、
自分はこれですって言うだけじゃなくて、
言った後に聞いてる人が、
じゃあ私は何をすればあなたに貢献すればいいの?
っていうのに答えてあげるのがピッチ。
そもそもそうなんですね。
なので、人を集める、
提携パートナーを募集する、
お金が欲しい、
CXO人材という社長補佐が欲しい、
財務系が欲しいみたいなことを、
いろんな足りないリソースをそこで発表して、
一緒に夢をつかみましょうみたいなことを言うのが、
そもそもピッチなんですね。
だからPRでコマーシャルして終わりではないって感じですね。
そこが一つ大きなあれかなって、
田下さんがおっしゃってることはすっげーわかってて、
嫌なこと言ってますよね。
言葉の裏にいろんなことが思っていて、
そこはすっげーわかるから、
それはそれでその通りだなというふうに思います。
ただ、そういうコンテンツがたくさんあるので、
そこを一つのオーディションとして使うと、
使っている方ももちろんいらっしゃる。
コンテンツ化して、メディア化して、
あの大会でこうなった俺みたいなのが、
たぶん僕みたいな実務じゃないですか、実業というか、
そういう方からすると、
わかんないんですかね。
全く違うアレなんですかね。
世の中にあんまりないものをどうやってわかってもらうのかとか、
例えば美容師をやるとか、
ネイルアートでラーメンをやるというところが、
ピッチをされることってあんまりないですよね。
だってみんな知ってるから。
だいたいわかるし。
この積数だったらこんだけ売り上げはわかるから、
逆に融資は売り切れやすいと。
でも例えば肺を使ってどうのこうのとか、
この虫でこの石油になりますとか、
いうのを言われてもちょっとわからないので、
そこはちょっとそういう世界観を伝えて、
これで世の中変わるかもしれないと。
例えば日本が世界にこうして戦えるだけの力、
だからこの人にかけてみようみたいなのが、
そういう勢いはあるかもしれないですね。
だからそれはすごい分けて、
田島さんがおっしゃっているのがすごくわかって、
僕ももちろんそっちだったんですけど。
両方あるなと思ってます。
だからそっちの田島さんがおっしゃっている感想、
いやそっちがいますというわけでは全然なくて、
もちろん全然それありですねと思います。
なるほど。
めちゃくちゃ風に落ちて、
MOCでの役割と今後の展望
もちろんツツキやそんなんていっぱい出てくるんですけど、
なるほど確かにみたいな。
ただ一部それをファッション的に扱っている人は、
ほんと一部いるはいてるけど、
それが一部じゃなくて、
これが悪目立ちして。
だからニュースになるのは、
結局血液一滴で全部の体の中が分かるって言って、
全部詐欺だったとか、
ビットコイン全部なくしましたとか、
そういう結構ダイナミックな核取引でした、
そういうのがセンシュレーターに取り上げられるので、
それは見たことかと。
やっぱり何も実績虚業じゃないかと。
虚業はそれこそソフトバンクの孫さんがずっと昔から言われていることで、
堀江門さんも言われていたりすると思うんですけど、
表で言われているのは結構そうかもしれないが、
例えば堀江門さんもめちゃくちゃホームページ昔作っていて、
サーバーでめちゃくちゃ稼いでいて、
ちゃんと着実なキャッシュを生む事業をやりつつ、
結構派手めなこともやりつつみたいな、
ちゃんとバランスをとっていらっしゃるんですよね。
ただウェイウェイというのだけ取り上げて、
ニュースとしてはそっちの方が面白いので、
みんな行っちゃうみたいな。
そこだけ真似するとみんなうまくいかないんですよ。
堀江門さんはバランスをとっていらっしゃるので、
ちゃんとキャッシュを生むところと、
跳ねるところと意気揚があるところで分けていらっしゃる。
分けていらっしゃるというか、そこもちゃんとやっていらっしゃるので。
それを繋げたり企画したりサポートする仕事が、
ゼロワンという会社で、
今後ろ10分くらい喋っていた内容を、
ゼロワン時代にされていて、
単身で向こうに行って、
宮崎に帰ってきたようになって、
コロナがきっかけだったのかちょっと分からないですけど、
宮崎に帰ってくる時は、
じゃあ自分でそういうのを受け負ってやろう。
宮崎では、
もうちょっとこの世界を宮崎で展開できたらいいな、
みたいなイメージを持って帰ってきたところですね。
そうです。
しっかりゼロワンからまたお仕事をいただきながら、
自分独自のやつもちょっとやってみよう、
みたいなところをやっていった中で、
その後また事業承継センターという後継ですね。
事業にも行かせてもらった後に、
モックに誘われたという順番ですね。
後継は、
事業承継ですね。
宮崎で。
そうです。
そこに行って、
そういうのもやって、
モックに。
そうです。
個人事業の人としてゼロワンもやりながら、
事業承継もやりながら、
結構積み重ねで、
何個もやりながら、
生活費稼がないといけないので、
やりながらやっていると。
だからモックも、
僕は業務委託ですね。
個人事業の人として業務委託を受けて、
他の仕事もちょこちょこですけど、
やらせてもらっている。
ほぼほぼモックですけど、
やらせてもらっているという感じですね。
今こうしたら、
さっき僕、
読み上げさせてもらった、
この創発本部長というのは、
だからモックの中の役割で、
たちいち個人としたら、
個人事業主、
そうです。
その業務を受け用意している、
という感じなんですね。
そうです。
みんなモックの人だと思って。
まあまあいいんですけど。
それで別に。
なるほど。
ゼロワンでいろいろやってきた、
大企業の中での、
スタートアップとか、
スタートアップをやりたいなとか、
その世界観を宮崎で再現していこう、
というのがモック。
そうですね。
当然うまくいかないわけですよ。
東京とかでやったり、
シリコンバレーでやったり、
そのままやっても全然うまくいかないので、
じゃあどうするべきか、
もがいているのが今という感じですね。
なるほどね。
そのモックに行くところと、
それからモックの中身の話は、
じゃあちょっとこの後、
次回のところで、
新しいね、
モックのメンバーを入れながら、
ちょっと話をさせてもらえればな、
というふうに思います。
杉田さんの人物像と次回の予告
多分杉田さんのこと、
意外と多分そんなあれがあったんだという、
ワイドショーというワイドショーの、
多分あんまりイメージない人多かったんじゃ
なと思うんですけどね。
あんな社会に席がないのは怖いことかという、
思い知らされたことはないですね。
行くところがないという。
怖いですよね、だから言うと。
あとはその通常企業、
だから多分、
頭が強い、
人を好きですよね。
そうですね。
ですよね。
そこをここ3人の共通項じゃなくて、
基本的には人が好き。
なんとなくそんな話が伺いました。
じゃあ次回、
MOCについてというところの話を、
分かりました。
いよいよ本題に掘り下げたいなと思いますので、
一旦今日はこれで終わりにします。
ありがとうございました。