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2024-04-25 15:05

023夏目漱石「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」

023夏目漱石「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」

50歳で亡くなる漱石の41歳時の思い。現代人よりもっと濃厚に人生を勘案していたようです。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は夏目漱石のですね、
文芸は男子一生の事業とするに足らざるか、というエッセイを読んでいこうと思います。
書質が1908年の新調ということなので、
11月号。
年表によりますと、
サンシュロを描いている頃と被っていそうということになるそうです。
漱石マニアの皆様的には、何か思うところがあるかもしれません。
僕は分かりませんが。
それでは参りましょう。
文芸は男子一生の事業とするに足らざるか。
文芸が果たして男子一生の事業とするに足るかどうかということに答える前に、
まず文芸とはいかなるものであるかということを明らかにしなければならぬ。
文芸も見ようによっていろいろに見られるから、
足るか足らぬかと争う前に、
まず相互の間に文芸とは格の如きものであると定めてかからねばなるまい。
自分の言う文芸とはこういうものである。
あなたの言う文芸とはそういうものか。
では男子一生の事業とするに足るとか足らないとか論ずべきであって、
もし相互の間に文芸とはこういうものであるということを決めてかからない以上、
その論はいつまでたっても終わることはない。
それでは文芸とはいかなるものぞと文芸の定義を下すということは、
またちっと難しいことで、
とてもおいそれとはそんな手早くできることではない。
とにかくこういう問題は答えるにちっと答えにくい。
文芸そのものを明らかにしてから言わねばならぬ。
それなら私は明らかであるかどうかといえば、
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私はこう答える。
何人も満足せしめうるほどに明らかに自分は考えてはいないかもしれない。
けれども自分を満足せしむるだけには相当の考えを持っているつもりである。
その考えによってこの問題を判断するとどうかというと、
例のごとく面倒くさくなる。
こうこうこうであるからして、
私は文芸をもって男子一生の事業とするに至る。
その理由をいちいち挙げてこなければならぬから、
ちっと手軽くは話されない。
なかなか難しくなる。
しかしその理由は抜きにして、
結論だけいいえと言うならわけはなくなる。
自分の文芸に対する考えに基づいて、
文芸というその職業を判断してみると、
世間に存在している、
いかなる立派なる職業を持ってきて比較してみても、
それに劣るとは言えない。
勝るとは言えないかもしれないが、
劣るとは言えない。
文芸も一種の職業であってみれば、
文芸が男子一生の事業とするに足らなくて、
政治が男子の事業であるとか、
宗教が男子一生の事業でなくて、
豆腐屋が男子一生の事業であるとか、
第一、職業の優劣ということが、
どういう標準を持ってつけられるか、
はなはな漠然たるもので、
その標準を一つに限らない以上は、
お互いにある標準を打ち立てた上でなくては、
優劣はつくものでない。
一般から標準を立てないで、
職業と職業とを比較するならば、
すべての職業は皆同じで、
その間に決して優劣はない。
職業ということは、
それを手段として生活の目的を得るということである。
世の中に存在するところのあらゆる職業は、
その職業によって、
その職業の主が食っていかれるということを証明している。
すなわち、食っていかれないものなら、
それは職業として存在し得られない。
食っていければこそ、
世の中に職業として存在しているのである。
食って行き得る職業ならば、
その職業は職業としての目的を達し得たものと認めなければならぬ。
職業としての目的を達し得た点において、
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あらゆる職業は平等で、
優劣などのある通りはない。
そういう意味で言えば、
社婦も大工も同じく優劣はないわけである。
そのごとく、大工と文学者にもまた同じく優劣はない。
また、文学者も政治家も優劣はない。
だからもし、文学者の職業が
男子一生の事業とするに足らぬというならば、
政治家の職業もまた男子一生の事業とするに足らないとも言えるし、
軍人の職業も男子一生の事業とするに足らぬとも言える。
それをまた逆にして、
もし文学者の職業を男子一生の事業とするに足るというならば、
大工も豆腐屋も下駄のはいれ屋も
男子一生の事業とするに至ると言っても差し支えない。
けれどもある標準を立てると、その間にすぐ優劣はついてくる。
しかして、その優劣を定める標準は千差万別で、いくらでもできる。
例えば最も特技にかなったものが最も良い職業であると、こういう標準もできる。
その特技というものは、どういう傾向を持ったものが特技だとか、
どういう時代にはどういう傾向を持ったものが特技だとか、
ただ特技というものを割っただけでもいくらでもできてくるし、その他いくらでもある。
また健康ということを標準として、体に合ったものが良い職業であるとも言える。
それならば労働者の方が文学者より偉い。
最も危険に近いものが高尚な職業であるという標準を立てるならば、
軍人とか探検家とかいうものが一番偉くなるわけだ。
あるいは最も多い報酬を得るものが一番良い職業だという標準も立つ。
そうすると実業家が一番偉い職業になってしまう。
あるいは金以外、評判というものが得られるのが一番良い職業だとも言われる。
そうすれば芸人とか芸者とか相撲取りとかいうものが一番良い職業である。
その他その通りのことを列挙すればいくらでも出てくる。
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再現のない話である。
したがって文学は男子一生の授業とするに足るとか足らないとかいう問題も、
男子一生の授業とするに標準の立て方で、
古今未曾有、無類とびきり上等の職業ともなるし、
天下最下等の愚劣な馬鹿げた職業となるかもしれない。
だから標準の取り方でもってどうにでもなる。
ではあなたの標準はどこにあるかと言われると、
大体の標準は決まっているにしたところで、
ある場合によってその標準が変わり得る。
例えば大晦日が来て金が一文もなく、
最も通節に金の利用を感じる場合に、
金の収入の少ない文学者を職業としていれば、
文学者ほど愚劣な職業はないと思うかもしれない。
あるいは私が体の健康を害して座っておってはどうしても健全になれない。
そして私が非常に健康ということに重きを置く場合に遭遇する。
そうするとどうしても座っていなければならぬ文学者というものほど、
つまらない職業はなくなってしまう。
そういうふうに標準は始終変わっているが、
それでももっと大きな大体の標準をどこに置くかということを話すことになると。
前にも言ったように、文学の定義を定めてかからねばならず、
文学とライフとの交渉を研究し、
ライフの意味や価値を定めた上で、
他の複雑した事業と比較して話さねばならぬ。
それではなかなか難しくなってくるからそこのところは言えない。
結論だけを言うならばそれはごく簡単で、
ただ我々が生涯従事し得る立派な職業であると私は考えているのだ。
なんだか逃げ腰のようなふわふわした答弁で、
中までずっと突き入ってないので、
なんとなく物足らない感じがあるかもしれない。
それは中へ入って急所をついた答えも、
すればできないではないが、
それではかえって局部局部を挙げて論ずることになって不本意であるから、
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こういう全体を覆ったような答えをしておく。
で、今まで言ったようなわけだから、
文学は男子一生と授業とするに足らぬとかいう人が出てきても、
ちっとも驚くことはない。
また文学は無類とびきりの良い職業で、
人生にとってこれほど意味があり、
価値ある職業はないという人があっても、
また決して喜ぶには当たらない。
文学に大きな価値があるとかないとか、
深い意味があるとかないとか、
両方で争ってみたところで、
それは要するに水かけ議論たるに過ぎない。
本当に意味ある根底の論争ではない。
各々の標準の立て方で、
どちらも異なった根拠によっての議論であるから、
いつ果てるときはない。
一見矛盾のごとくにして、
実は矛盾ではないのだ。
例えば一方は橋の先端を見て、
橋は細いといい。
一方は橋の真ん中を見て、
橋は太いと言っているのと同じことで、
矛盾のようで実は矛盾でない。
どちらにも根拠はある。
まずそれを争う前に、
二人とも橋の真ん中を見て、
太い細いを論ずるのが本当の議論である。
今日の文学の価値に関しての議論が、
その辺の微細な点まで極められた上での議論であるかどうか、
あるいはまだいい加減に価値があるとかないとか言っていて、
両方とも矛盾していないような気で、
橋の真ん中と取端の辺りをさまよっているのか、
それはちょっと考えてみねばならぬ問題である。
おそらくこうしたであろう。
1972年発行 筑磨書房
筑磨全集 累積版 夏目漱石全集 10
より読み終わりです。
ちょっとあれですね。
例えばが多くて、
もう大丈夫だよ、わかったよって言いたくなる感じですね。
漱石くん。
あ、えっと、漱石きゅん。
と言ったところで、今日はこの辺でお別れしたいと思います。
また次回お会いしましょう。
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それでは皆様、おやすみなさい。
15:05

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