1. 寝落ちの本ポッドキャスト
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2024-12-17 25:21

087坂口安吾「明日は天気になれ(アンコウのドブ煮、相撲とフグ、冬の怪談、年賀状、日本犬の話し、コンニャク論)」

087坂口安吾「明日は天気になれ(アンコウのドブ煮、相撲とフグ、冬の怪談、年賀状、日本犬の話し、コンニャク論)」

市場が豊洲に移っても、築地の周りで頑張ってるお店に数年来通っています。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は坂口安吾さんの
明日は天気になれという
西日本新聞での連載のテキストをね、
かいつまんで読もうかなと思います。
何回かやってるんですけども。
坂口安吾さん、説明何度も読んでるからいらない?
一応入れときますか。
日本の小説家、評論家、随筆家、戦後発表の堕落論、
白痴、らが評価され、
堕胎、おさむらと並んで、
無礼派と呼ばれるというところです。
この連載のね、タイトルがいいんでね。
明日は天気になれっていうね。
それでは読んでまいります。
明日は天気になれ。
あんこうのどぶに。
冬になると東京の居酒屋では、
あんこう鍋が江戸前の魚として鎮長されるが、
だいたい居酒屋で食べさせる江戸前の魚は、
湯豆腐、刺身、すだこ等というものだから、
その中では確かにあんこう鍋は抜群だ。
だから私もよく食った。
私の名があんごだから。
またとも食えしやがるな、
謎と言われながら食ったものだ。
けれども現代のように、
ふぐちり、秋田のしょっつる鍋、
広島の柿鍋というような諸国の珍味が
居ながらに食べられるようになると、
あんこう鍋はさして精細あるものではない。
ところが、ここにあんこうのどぶにという
機械な食べ物があって、
これは日本の食べ物の中の
絶品という気がするのである。
ちょうど去年の今頃、
長子の船長からこのあんこうのどぶにをもらった。
長子港で船と言えば漁船のことで、
船長とは漁師の頭以外の何者でもない。
あんこうのどぶにとは長子の漁師の食べ物なんだ。
あんこうは普通長さ1メートル余り、
幅1尺余、
ひらたく丸く、
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のっぺら棒の化け物のような大魚であるが、
こいつを一匹丸々全部食ってしまう。
何物も残さずに食い上げてしまうのだから、
とても一般家庭で食べるわけにいかない食べ方である。
あんこうの実のうまいところと
雑物のうまいところだけまず取り分ける。
残ったものを、骨も皮も肉も、
雑物も頭も一緒くたにたたきつぶし、すりつぶし、
つぶしにつぶし、しぼりにしぼって汁をとる。
この汁に味噌を入れ、
先に取り分けておいた実と雑物のうまいところを
ぐつぐつ煮て食うのである。
野菜を入れるならネギがよい。
つまり汁も実も全部あんこうで、
他に味噌を使う以外には
一滴の水すらも使用することがない。
こってりと複雑微妙、実にうまい食べ物だ。
ちょっとしつこいけれども、
食っているときにはそのしつこさがまたよい。
翌日になるとしつこさが鼻について
二日続けて食う気にならない。
もっとも私が初対面に食べすぎたせいもあった。
初対面の食べ物にのぼせるほど
夢中になってもりもり食ったのである。
いくら食っても一匹まるまる潰したあんこうは
減り目が見えやしない。
そこがたまに傷である。
漁師とか相撲の食べ物にふさわしい荒っぽい料理だが、
味はこってりと微妙である。
天ぷらやフグチリを食っているときにその淡白さにあいて、
ああ、あんこうのどむにが食いたいな、
と思うことがあるが、
とても家庭料理というわけにはいかないし、
どこの料理屋でも知らない食べ物だから
どうにもならない。
マンボウという直径一軒もある
まんまるい大きな魚があるが、
あの肉と骨と皮を絞って汁をとり、
雑物を味噌煮にして食うと
あんこう以上にうまいかもしれん。
不良的に海賊的な食べ物のようだが、
マンボウの透明無味な肉は
絞って汁とするにふさわしく
すごい美味が得られるかもしれないと思うのである。
スモとフグ
スモが手料理のフグを食ってあたり、
名力士が落名した例はそう多くはないが、
彼らが手料理のフグを食っているのは
しょっちゅうのことで、
中毒程度の被害なら
大概の上位力士が体験しているようである。
ミネ山は、
はなはだしく温厚、金言、
気まじめのはにかみ屋で、
かりそめにも大言壮語などすることのない人である。
ミネの後輩の新川なども
一緒に酒を飲んでいるときに、
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あなた方が手料理のフグで
時々中毒なさるって本当ですか?
と、女房が聞いたところが、
新川は威勢よく、
えーそうですと、
あんなものは腐ったわらじを食うとなおります。
ミネ山は子供が悪事を白状するように
しょんぼりしながらとつとつと語る。
うちの部屋では、
くそ、じんぷんですが、
あれを無理に食うのがよろしいと言ってまして、
私もしびれかけてしまったときに、
無理にあれを押し込んでもらって、
幸い吐き下して命拾いしたことがあります。
女房のやつ、
ぎょっと目を丸くして、
思わず尻込みしたものである。
私もこのときは驚いたな。
新川は、
当時日本橋で料理店をやってたが、
相撲と申しても疲労御残す。
私のふぐ料理は、
燃料は念を入れて、
日本一に安全ですから、
いっぺん賞味してください、
と言っていたが、
ある日ちょうど材料がそろって、
特別のちゃんこ鍋を作りますから、
食べに来てください、
と言ってきたから、
女房を連れて出かけた。
するとやつめ、
もみてしながら私にだけそっと冷蔵庫を開けてみせた。
中にキラキラと赤く光沢を放っている、
美しいひと山のまこがある。
奥さんに言うと、
気絶するといけませんから、
食べるまで黙ってますが、
本日の特別料理は、
実はあれです。
私もぞくぞくと寒気がした。
そもそも新川が、
なぜ相撲を廃棄をしたかというと、
空襲で顔と手に大やけどを負ったせいもあるが、
不動眼と顎器と、
四つに組んだときに、
不動眼の葉が、
新川の眉間深く食い込んだ。
この二つが重なって、
視力がはなはだしく減退し、
夜道は一人で歩けないほどの
弱視となったせいなのである。
こういう目の悪い六尺の大男が、
野球のグローブをはめたような手に、
まこを握って光に透かしながら、
ピンセットで血管を抜くのであるが、
この血管が一本でも残っていると、
食ったものは死んでしまう。
いや、女房に限らず、
拙者も本日の特別料理は危険いたそう。
じょ、冗談じゃないですよ。
よその料理人の一時間の仕事を、
私は三時間の手間をかけて、
念には念を入れてやってますわ。
私の服が危ないなんてとんでもない。
いや、東京には腐ったわらじもないし、
君の店は推薦式で人品もないから、
残念ながら事態いたそう。
平屋あまりに謝って、
ここを脱したことがあった。
冬の怪談
今年の雑誌の新年号に、
雪女の絵や話を三、四見かけたが、
新潟という名台の雪国に生まれた私が、
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雪女の話も噂も聞いたことがなく、
要するに雪女の怖さを知らないのである。
田舎の人というものは、
夜間に子供が外へ出ようとすると、
幽霊が出るぞ、狐にバカされるな、
謎とさも恐ろしげに言い立てて、
面白がっているものであるが、
私も驚かされた経験は大いにあるけれど、
雪女が出るぞと言って驚かされた記憶がない。
私の少年時代といえば、
明治末期から大正の、
まだランプをつけていた時代であるが、
それですらそうである。
一体雪女が精神的に実在しているのは、
どこの国なのだろう。
あんまり雪の降らない地方の伝説であろう。
東京の探偵諸説家が、
雪の何尺も降り積もった晩の屋外の殺人事件を、
真っ暗闇で起こったように書いた。
それが雪が降りしきっている最中でなく、
振り編んだ途端に行われた事件として書いたから、
なおひどい。
雪の晩というものは、たいそ明るいものだ。
小田野の光はとにかくとして、
大雪の振り編んだ後なら、
昔の和書は読めるかもしれないぐらい明るい。
だから雪の夜道は、
子供の一人歩きにもそう恐ろしいものではない。
雪国の夜の凄みといえば、
大雪の降り積もりつつある時には、
あらゆる音がなくなってしまうもので、
夜の屋内でこたつにあたりながら、
そこの知れない無音状態を知覚しつつある時は、
やや不気味である。
それは屋内においてのことで、
屋外は雪降りで明るくて察したら凄みはないのである。
雪の夜のこたつは、
階段の栄えるにふさわしい場であるが、
雪そのものは階段の種には向かないものである。
日本人は階段が好きである。
階段というものの真打ちは幽霊で、
狐、たぬき、雪女等の妖怪変化の類は全座に過ぎない。
そして雪女の貝が、
雪国生まれの私にすらそらざらしいように、
妖怪変化の類は所詮人知に及ばず、
どことなく間が抜けていて愛嬌があるものだ。
ところが幽霊という黄身打ちはそうはいかない。
要するに幽霊の凄みは、
人に恨みがあるものかないものか、という凄みで、
我々の血肉に響いて通じるものがある。
そして日本にこれほど階段がはびこり、
ひさかえたというのも、
泣くこと受騎には勝てない庶民が、
権力に抵抗する最後のものとして、
これしか武器がなかったせいかもしれない。
ところがこの幽霊に震えているのが、
自分も幽霊になる必要のある弱くて正直な庶民の方で。
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悪党や権力者は幽霊をせせら笑っていられる快力を持っているから始末が悪い。
現代は、階段を通り越して幽霊妖怪の実在する時代である。
広島には石に移ったまま消えない人間の影が実在しているし、
原子爆弾というものは、
その爆発の姿の華々しく美しいものではあるが、
人はそれを見た瞬間に死ななければならない。
ロールライの歌声を聞いた人が死ぬまでの時間よりも、
遥かに短い一瞬のうちに、
自らの影を血に残して消え去っているのである。
年賀状
私の住む町の一人の郵便集配人が、
年賀状は人々が待っているものだからと高熱をして配達に出て倒れた。
あいつべき実在のサンタクロース氏である。
年賀状は無駄だ。
巨霊廃止だ、などと昔から言われていることであるが、
人生に無駄や遊びが許されなかったら、
生きるせいがありゃしない。
正月だのお祭りなどは、
それを楽しく暮らす人にとっては大切な生活で、
決して無駄でも巨霊でもない。
キリスト教国でもない日本人が、
クリスマスを祝うのはけしからん、
などと野暮なことは言わない方が良い。
すべて、交流する民族は、
聖諾合わせ飲むものであり、
また、聖諾合わせ飲みつつあるときに交流しているものである。
純潔主だの、
ユダヤ追放だのと、
旗手印を掲げたドイツや日本は、
戦争に負けるタイプであった。
実際上にあらゆる民族を入れ、
自由に長所を取り入れたアメリカとロシアは、
まさに民族交流のときで勝つタイプであった。
この2つの民族が戦って、
どちらが勝つかと言えば、
先に純潔だの遺族追放などと言い出した方が、
負けると私は考える。
日本人も、
クリスマスだ、
メーデーだと、
よその祭りを取り入れて、
盛大に無邪気にやっているのは、
むしろ頼もしい。
こういう庶民生活は健全で、
むしろ民族交流の趣旨を損するものと見ても良い。
私のように、
何十年も年賀状一本書いたことがなく、
特に新年を楽しむ気持ちもなく、
人からの年賀状を待つ気持ちなども持ち合わせがないというのは、
不健全で、
決してがすべきことではない。
年賀状は人々が待っているからというので、
高熱を犯して排達に出て倒れたという生き方には、
民族交流の健全な庶民生活の裏付けを暗示するものがある。
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そして、こういう庶民が代表する日本というものは、
まだまだこれから成長する民族であろう。
法隆時代の古い伝統などと言っているのは、
日本人中の別種族で、
日本庶民はまさに12歳くらいの
未来の民族かもしれないと私は思う。
私のように年賀状も書かないニヒリズムからは、
何も生まれてくるものはないのである。
人の正月にケーキを添える一助になるなら、
筆武将をしても年賀状は大いに書くべきで、
私も来年はそうしてみようかなどと考えたりしたが、
この考えが来年の正月まで持つかどうか怪しいものだ。
私のところへは未知の人からの賀状の方が多い。
したがって、たびたび転居癖のある私の現住所へ届くには
日数がかかって、
松飾りを取ってから連日舞い込んでくるのである。
遠方のどこかで、
未知の人々が私の新年を祝ってくれているなどとは
身に余ることで、
それに対して私も来年は年賀状を出そう。
気楽に12歳のこれから成長する日本人の一員になりたい
というふうに考えるのだが、
ニヒリズムとセンチメンタリズムは仲がいいようで、
いざとなるとダメらしい。
私自身の私生活は成長しない人種の方に決めてしまうべきかもしれない。
日本犬の話
私は一昨年秋田犬を訪ねて秋田へ行った。
秋田市には秋田犬が見当たらず、
青森県境に近い山間の大立市で秋田犬にお目にかかった。
この大立市が秋田犬の本場であるが、
そこに秋田犬保存会長の平泉さんという犬好きの人がいて、
秋田犬の内幕を語ってくれた。
大立にも純粋の秋田犬は270匹ぐらいしかおらない。
秋田犬はテンパーに弱くて死にやすいように近親結婚の結果、
繁殖率が低くなって絶滅をたどるのみであるという。
そこで大立でも秋田犬と称して大概雑種を製造、販売しており、
また三河秋田と称して三河県と秋田犬との後輩種が
全国に秋田犬と称するものの主流を成しているのだそうだ。
本当の秋田犬というものはそんなに賃金なのかと驚いて、
そっくりこのことを書いたところが雑種秋田の製造を本業にしている人々の
総攻撃をくらって並行したことがあった。
しかし私は一番正直なところを一つだけ書かなかったのであるが、
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純粋の秋田犬というものは実は近年完成したばかりの雑種なのである。
明治時代にはあんな大きな日本犬は存在しなかった。
日本犬に西洋の大型種を加えて体型が大きくできており、
そしてそれが当然の結果として、日本犬の形態を主にしたのと西洋犬に近いのと
二種類できた。
この日本犬的なのが秋田犬で、西洋的なのがとさ犬である。
だから大立市や弘前市の近所にはとさ犬の産地があるのである。
秋田犬、とさ犬の産地があるというと、いかにもインチキのようだが、
実際はどの純粋種だってそう古い歴史があるわけではなく、
いろいろ手を加えて改良したり、より良い新種を作り出したりするところに面白みもあるし、
犬好きの告知もそこに至って極まるのじゃないかと思う。
シートンの説によると、あらゆる種類の犬を掛け合わせて雑種を作った場合、
つまり犬の最大公約数がどういう形をとるかというと、
だいたい小型日本犬に似た形のものが生ずるようである。
この島国ではいろいろ種類の犬がいるが、
結局最大公約数的に雑種化したであろうから、
シートンのとくものが日本犬の形に似ているのは偶然でないように思う。
犬やは純潔紙に似せることを目的にしているから、
私が本当のことを書くと困るのだけれども、
企画とか標準以上の改良書や新種を作ることを目的にし、
商法の上でもそれを明らかにしておけば迷惑するはずもなく、
その方が本当に面白みもありやりがいもあり、
儲けにもなる仕事のはずなのだ。
あるはずのない企画などを作って、
それに似せよう合わせようとする方が滑稽なのだ。
今日の飽きた犬も土佐犬も、明治時代までは存在しなかったように、
今後より以上の日本犬が現れても不思議ではない。
愛犬家も純潔紙の企画などにとらわれずに自分で改良を志し、
自分の好みの雑種を考案されたら、むしろ楽しみじゃないかと私は思っている。
こんにゃく論
先日、友人のところへ群馬県下荷田というところから女中が来た。
その時女中が就職条件として、
どうかこんにゃくだけは食べさせないでくださいと頼んだそうである。
下荷田は日本一のこんにゃくの名産地だそうで、
こんにゃくは下荷田と相場が決まったものだそうだ。
それで下荷田自身こんにゃくを産するばかりでなく、
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全国からこんにゃくの原料が集まり、そこで加工を煮作りして、
下荷田こんにゃくと名を改めて全国へ売りさばかれるのだそうだ。
下荷田はこんにゃくのほかにネギも名産地で。
全村、こんにゃくとネギ以外、何もないそうだ。
友人宅の女中となった娘は、米の代わりにこんにゃくを食べる村の生活に絶望し、
こんにゃくから逃れた一心で女中になったのだそうである。
しかしまた下荷田周辺は、天下名大の神津牧場をはじめ大牧場地帯で、
見張る笠山も平野も、牛とこんにゃくとネギだというからそっくりすき焼地帯でもある。
20年ほど昔になるが、高原療養所でこんにゃくストライキという騒動があった。
食事にこんにゃくばかり食べさせるのはけしからんと患者が半ストを起したのである。
ところが病院側でこんにゃくの栄養分析というものを見せた。
こんにゃくはほとんど100%カルシウムで、
血管患者の栄養食として至極適当なものであることが処方の一致して解くところであった。
患者の方はこんにゃくのほかにもその他何々の対偶改善要求があったのだが、
こんにゃくはカルシウムなりという一撃によって全敵に投資を失い、
もろくも敗北したという戦死があるのである。
つまり患者の方ではこんにゃくこそは論より証拠、
敵の最大弱点であると一途に思い込んでいたところに敗因があったらしい。
かようにこんにゃくというものは見るからに、また見れば見るほど、
単芸すべからざる怪物で、
こういうものを食いこなすようにしてしまったのは何者の力であるかと考えると、
人生は不可解の感を深めざるを得ないのである。
古事記を読むと、我々の祖先は神話の昔から生子を愛食している。
磯の国々から朝廷への勢として生子を干した入子というものを大昔から欠かさず建祭っている。
中原忠也という養成した詩人が、
陸のこんにゃく、海の生子と呪文を唱えて大層恐れていたが、
私も生子がどうしても食べられない。
しかるに磯の漁界も数ある中で、
神代の昔から生子を愛食していた我々の祖先というのは、
無類の食通なのか悪食なのか、
単芸すべからざる祖先である。
時間に強力な暴君といえども、
新民にこんにゃくと生子を強制することは不可能であろう。
しかるに多くの人々は自らこんにゃくと生子を食べこなしている。
24:00
人間は単芸すべからざる者である。
1999年発行 筑波書房 坂口安吾全集 13
より一部独了読み終わりです。
一番最初、あんこう鍋の話がありましたが、
僕もね、年に二回、春先と秋口に、
わざわざ築地へ出かけていって、
普段出かけないところへ出かけていって、
あんこう鍋を食うというね、
同い年だけの回をね、やってます。
すごくいいです。
年に二回の贅沢という感じでね。
築地でお鍋を食べて、
銀物?銀だら?の最強焼きも食べて、
で、東京駅まで歩くんですよ。お散歩で。
それでね、なんかこうちょっと酔いをさましながら、
腹をこなしながら、こう電車乗って帰ってくるっていうのをね、やってます。
ひれ酒が最高でね。
ちょっとそんな贅沢も皆さんなぞってみてはいかがでしょうか。
いいですよ、あんこう鍋。また食べたい。
はい、といったところで、今日のところはこのへんで、
また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
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