1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 088直木三十五「大阪を歩く」
2024-12-19 58:54

088直木三十五「大阪を歩く」

088直木三十五「大阪を歩く」

ふるさとの大阪を語ります。芸人さんも売れると上京しますよね。それぞれに経済圏があるんだろなぁ。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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サマリー

このエピソードでは、直木三十五が「大阪を歩く」を通じて、大阪の生活や文化を深く掘り下げています。彼の視点から見る大阪の風景や、私生活における大阪の存在感が描かれています。また、彼は大阪の文化と経済の独自性を探求し、東京との比較を通じて大阪の発展の要素を考察しています。さらに、大阪の商業地域や料理の特徴についても言及されています。大阪の料理文化や料理人についての考察が繰り広げられ、歴史的な名所や市民の文化的態度についても触れ、地方文化の重要性が再認識されます。このエピソードでは、彼が大阪の街を歩きながら感じた思い出や文化について語り、大阪の酒場や女性、さらには美術館や動物園に対する考えを披露し、最終的に大阪の現状に失望を表明しています。また、大阪を歩くことや音声データをAIが文字起こしするサービスについても話し合われています。

直木三十五について
寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見、ご感想、ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、番組フォローもどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今日は直木三十五という方の
大阪を歩くというテキストを読もうと思います。
初めて読みますね、直木三十五。
日本の小説家、脚本家。
代表作、唯根源大作記。南国太平紀。
エンタメ系の作品に与えられる直木三十五章。
通称直木章は、彼に由来する。
昭和一桁の時代に関わらず、飛行機で大阪と往復していた。
当時は片道三十円、今の価値では七万五千円ぐらいをかけて大阪と行き来していたそうです。
芥川章のね、芥川龍之介、下の名前は有名ですけど、直木章は三十五って言うらしいですね。
なんか、軽く調べたところによると
三十一、三十一歳ぐらいから
自分の年齢を直木三十一、直木三十二、直木三十三
って付けてたらしいです。
没する、無くなるのが四十歳前後ですが、その時には三十五で固定したの。
してたように、してたいやに聞いておりますけども。
最初は歌の歌詞が出てきますけども、それも淡々と読んでいきます。
今回はかなり長丁場になりそうですので、お付き合いいただければと思います。
大阪の思い出
それでは参ります。
大大阪小歌
直木三十五作家
大君の
船つけましき
谷間崎
ダムは漆黒よ伊達姿
君に似たかよ冷たさは
黄昏時の水の色
大阪良いとこ水の都市
高き屋に登りてみれば煙立つ
都市のハートか陽光炉
燃ゆる炎は我が思い
君の手さじで御意のまま
大阪良いとこ富の都市
地下松の
昔話か色姿
バーの手くだはネオンサイン
青と赤とのこげティッシュ
断髪のエロも嬉しかろ
大阪良いとこ色の都市
大公の
何はの夢は夢なれど
タキシーの渦と人の波
大大阪のプロフィールに
そっと与えた投げキッス
大阪良いとこ都市の都市
大阪を歩く
大阪と私
私の父は今でも大阪に住んでいる
南区内
安藤寺町二丁目というところで
誰がどう探したってわからないくらいの小さいところ
四畳半と二畳との穴の中で
土蜘蛛のように目を打ち
たぶん六十年ないし
七十年くらいは住んでいるのであろう
私が母親のへその穴から
どんなところへ生まれるのだろうかしらと
覗いたときにも
そのくらいの小さな家に住んでいた
そして今と同じように
苦い顔をしている
親父の面というものは
だいたい苦くって
いつでも最近と同じ弱いをしている
しばしば父のお父さんの顔を見て
これくらい困難なことはない
私が東京へ来いと言っても
母親だけをよこしてどうしても動かない
あんなのみの家のようなところでも
住みなれるといいのかもしれない
もっとも私の生まれた
もう一つの小さい家は
谷町六丁目交差点の
電車線路になってしまっている
これは大層悲しい
しかし
私は
もっとよく考えると
父は家よりも大阪が好きなのらしい
東京はあかんと
東京へ来ると
私の家の前へ出て
5分ほどたってみて
あかんと言って帰ってしまう
なぜあかんのか
父の観察と
私の哲学とは
少し距離がありすぎるし
父の耳が遠いから
聞いたことがない
でも
私はその父のせがれであるが
5年前までは
未だ大阪が嫌いであった
大阪も父も
あかんと思うでいた
20年前私が
文学へ志を立てたとき
大阪の文化と私
大阪も父も
私に賛成してくれなかったからである
尋常小学校は桃園を
高等小学校は
桃園に住む
私は
大阪の
桃園を
高等小学校は
育英第一を
この3年自分から
先生に反抗するのを覚えた
中学は市岡を
ここで物理の
大砲というあだ名の先生が
私を社会主義者だと言った
その自分の社会主義者という名は
今の共産党員以上の
危険さを示していたから
よほど悪道であったに違いない
それから
大阪はあかんと
東京へ行った
今年は
私は35だから
去年も確か35だった
来年も多分そうだろうが
この算術は少しおかしい
15年
東京に住んでいるわけである
もっともその頃の文史は
全く赤なんだ
電話のあるのが
夏目漱石一人きりで
これも新聞社にいたからの
おかげであろう
夏目通るが初めて
一万四十銭の原稿料をもらって
踊り上がっている頃である
私の父が
文化へ入る
アホがいな
と言ったのももっともなことである
だがこの頃になって
だんだん大阪が良くなってきた
父のいるせいもあるが
月に一度は必ず来る
谷崎純一郎氏のように
自信が怖くて料理がうまいから
好きになったのではない
なんとなく
年のせいだと人は言うが
私は三十五じゃないか
大阪の料理は
大阪人の進出によって
東京で十分に食えるし
うまい精進料理と
すっぽんだけは食えぬ
誰ぞ東京へ来てやる人は
思へんやろか
自信は時々あったが
面白い
自信の面白さについては
そのうちに書くことがあろう
だから私のは谷崎氏のとは違う
だが大阪へ来ても
歩くところが決まっている
いつも震災橋だったか
私が十か十一の時分
東横堀の材木の間を
ストリートババアが出没していたが
そんなババアは
今どうしているか
私はその頃竹座を持って
材木の間をツツキに歩いた
確かに悪道であったに違いない
私は今のうちに
大阪の隅々を見ておかぬと
歳が歳である
いくつなんだかわからない
三十五である
ところで大阪を見たり
論じたりする場合
必ずその高的種である
東京と比較して
女が食い物がというが
およそこれぐらい上等手段はない
と思うが
どうもこれは
アメリカ人が木登り耐久までもして
世界一所有位比較を誇ろうとするごとく
文化の進歩上
良い現象なのか
もしれない
ただ私は大阪生まれの
東京住まいであるために
あるいは公平にも見えるし
あるいは偏派にも慣れもする
都合によっては
一方へ偏ったり
たぶん誰よりも
偏比になり得られる
歩くにはもう少し寒いが
一人でブラブラ
若い美しい女性の同伴希望者は
速やかに申し込むべし
明日から歩こうと思う
梅田と木津川
私はいつも
大阪へ来るとき
飛行機にしている
汽車のように退屈しないからである
退屈ということが
どんなに金儲けにならぬことかは
大阪人が一番よく知っているだろう
だから旅客飛行機の乗客で
登場回数のレコードホルダーは
大阪の電気器具屋のヤギ氏
それからもう一人大阪人があって
次に私である
それから
もう一人大阪人があって
次に私である
もっとも大阪から一人
女のために飛行機で通ってくる
という噂があるから
もしこの二人がそうだとしたなら
それはいよいよ尊敬してもいい
だが退屈によく似たもので
疎来というもののあるのは
大阪町人には分かるまい
これはおそらく
大阪のどっかの隅にあるべきはずで
私が大阪へ戻ってきたなら
きっとそうなるに決まっている
だが金儲けとは反対であるから
大阪人はきっと
キャッツ変わってまんな
で片付けるに違いない
そして飛行機は
木津川尻へ着くが
ここから大正橋までは退屈でもあるし
腹も立つし
大阪軽蔑心も湧き出してくる
水になったら荒らへんところである
文化は道路に沿って起こり
舗装道路の上に立つというが
誰が言ったのかは知らないが
こういう言葉があったように思う
なかったとしたら
僕の造語だがなかなかうまいことを言う
先端的な飛行機発着場への道として
それは道でなく
自然の土の上の軌道を
敷いただけのものである
ところで汽車の着く
梅田の駅頭も
その非文化的な上において
木津川よりも賑やかという以外に
何もない
大阪は
大阪梅田駅前の光景というものは
第三流都市の下品さである
豊橋とか岡山とか
泡起こしや
安物雑貨
バナナとみかんとしかない果物や
どこの三流都市よりも
劣った安寮堂
甘酸っぱい湯気を立てている
寿司や
この湯気は甘酸っぱくないかもしれんが
そうしておかんと気持ちが出ない
大阪は
甘酸っぱくない
甘酸っぱくない
これらの店の連続は
近代都市
経済都市の玄関ではなく
出販をした
白着布
断大客によって
その繁栄を保持している
街のステーション風景でもある
もし私の恋人が
初めて私を大阪に大人ってきて
この下級飲食店の羅列を見て
その街に住んでいる私を軽蔑しないなら
私はかえって
物を買って
物を軽蔑することを知らない
その恋人を軽蔑してしまうに違いない
物を軽蔑することのできぬ人間は
また物を尊敬することを知らない
僕の格言
だがこういう小浜近都はいい
彼らは
己の都市の美館よりも
金儲けに忙しい
ただけしからんのは
阪神という
阪急と共に
梅田の東西に番居している
大資本家である
電車は
プラットフォームさえあればいい
というような態度である
阪神のあの建物は
いかなる建築の様式にもない
バラック的建築物に過ぎない
もっとも重役は
こういう攻撃に応えて
いずれ梅田駅の移転ができあがってから
曽根崎省よりも
阪急よりも
立派なものを作りますぜ
と言うだろう
そしていつまでたっても
作らないのが重役だ
重役ぐらい
ズルくてズズしい奴はない
何を一番先に軽蔑していいかと
僕の恋人が聞いたら
重役と僕は答えるだろう
僕が市長なら
電車の市内乗り入れと交換条件にして
大気ビル程度のものを建てろ
と要求するだろう
だがまあいい
芸術に対しての軽蔑は
僕らが彼らを軽蔑することよりも
一般的なのだから
大阪人種のみの悪兵ではない
安嶋 吉原
両飛行家には銀牌を下資されるが
菊地館の技曲が
イギリスの一流作家より優れていても
木牌さえもらえないのが日本だ
時々いい種はないかと
外国の通俗物を読むが
日本の作家のほうがずっと上手い
そのうちノーベル賞でも
もらう人が出るだろう
そしたらハハンとでも
思ってもらえばいい
世界中で発明家と
グループの人が
人気をもらえばいい
世界中で発明家と
芸術家と虐待している
一等国というのは
日本だけだ
中津区大阪など
そのためにどんなに
文化的発育に
遅れているかわからないが
文化的進歩よりも
金儲けのほうが大事だろうから
せいぜいもがくがいい
そして金を儲けて
シュークリームを食いたいと思ったとき
銀座のコロンバンのような
文化的進歩とは
シュークリームの
うまいまずいくらいのものだが
大阪の文化と経済
金儲けもその程度のものに過ぎない
文化的ということ
文化
この言葉はもう少し
古くなっているが
大阪ではちょうど適当であろう
的に見て
大阪が東京に遅れているのは
誰も否定できますまい
遅れていたって
一向に差し支えはないが
とにかく昨日言ったように
金が食えぬ程度の不満さはある
円卓
酒場が東京へ侵入したが
これは野蛮人がローマへ攻め行ったのと
同じだと見たほうがいい
少なくとも
赤玉とか美人座とかいう
俗白な名称は
非文化的大阪人の頭から
出ないと生まれない
ズルズルしくて露骨で
控えめと礼儀等を知らない
文化とは女郎屋を公認する代わりに
洗浄機を持った女が
安ホテルにいるだけのこと
である
結局同じなら
そんなに気取らんかて
ええやないかと言えば
そうも言える
文化とは
ちょっと気取るだけのこと
つまり東京の女は
自分の洋装が
どうすれば板につくか
十分に研究しているが
大阪の女は
当ても洋服着たら
と人真似をするのが
文化非文化の相違で
無理をして
やなアホらしと思って家に戻ると
ちょっと真似をしてみるのが
批判無批判
自覚の違いである
だから大阪へ来て
マイミクスチュアを歌おうと思うと
道頓堀か
梅田まで行かなければならぬ
私はいつも用意してくるが
ちょうど田舎へ旅するようなものである
開放席のパイプなんて
大阪にはあるまい
つまりハイカラなものは
大阪より東京に多いということで
ごくつまらないことであるが
これをつまらそうと思うと
私は大阪生まれの
文化的職業家の一人として
一つ言いたいことがある
それは
大阪科学研究所の設立ということである
アメリカの富豪は
必ず自らの科学研究所を持っている
だが日本の富豪の金の使い道といえば
公会堂か
学校への寄付に決まっている
この金を科学研究に使ってほしい
とこういう話である
キートが下落した
また上がるかもしれんが
人工絹糸に圧迫されたまま
そう上がらないかもしれん
日本のキートは
家内手工の一つで
2000年来同じ手法で生産している
国立の洋産研究所は
ドイツなら設立されているだろうが
日本の政府は
寝が下がって
保証法を適用しろって
洋法そのものの根本的研究は
全然考えていない
だがキートが下落して
三段たる目にあった洋産化は
生産費の低減
生産額の増加によって
防止するほかにないと考えた
そしてここ1年余りの間に
クワでなくとも
小さである程度養えること
冬でも常俗できること
二代でも糸が取れること
そして
冬でも常俗できること
二代でも糸が取れることを
死に物狂いで試験的に成功させた
だがこんなことは
政府の手で
とっくにやっているべきことである
政府がダメなら
大阪人の手でやるべきことである
対戦前まで
商農は日本の特産だった
人工商農の生産は
不可能だとされていた
だがドイツは
見事に人工的に産出して
日本商農は暴落してしまった
製造工業の盛んな大阪
それ以外に
国を良くする方法のない日本において
個人または大都市の
科学研究所がないということは
どんなに損をしているかわからない
今日の科学の発達は
研究費の有無だけである
現実なんかどうだっていいから
私は大阪の人々に
せめて東京の理科学研究所程度の
科学研究所を設立してくれと
頼みたい
幾億円の富がそこから生まれた
天然ものの少ない日本は
科学的発明以外に
何も産出するものではないではないか
文化的心得があると
つまりこういうような立派なものの
考え方をすることができる
大衆ものの
や、えい、を書いたって
ちゃんと経済科学のことまで知っている
日本の経済学者
実業家なんて白者は
2年くらい前まで
来年になると経験値が
よくなる
経済は周期的に上下するもので
などと言っていたが
この頃こんなことは
言わなくなった
定めて恥ずかしいだろうが
私はその当時から
日本のような貧弱な国は
この不景気が状態だと言ってた
大阪人など
何を考えているか知らんが
この考えに基礎を置いて
科学的発達を志すほか
日本及び大阪の発達はない
この託説の
もっと具体的なことは
大阪市の顧問にでもなってから
発表する
文化とはこういう考え方も
することだ
単にシュークリームのみでもない
軽蔑すべからざるゆえんだ
震災橋の歩き方
震災橋
私は大阪へ来ると
実によく震災橋を歩く
あるいは震災橋以外は
歩かないと言ってもいい
だからといって
震災橋は決して好きではない
第一に
こう言うと少し女好きらしいが
それほどでもない
中くらいであろう
震災橋も梅田と同じように
田舎町であるに過ぎない
ありったけの時計を
モスリンを
ショールを
ごちゃごちゃに並べて
伝統を眩しくつけているだけである
飾り窓を飾り窓らしく
衣装を凝らしている店は
何軒あるだろう
安藤寺町角の天照堂
人属性の続悪さよ
大丸
四巻行がすでにごたごたし過ぎていて
一見して通行人の注意を引くという
飾り窓本来の意味をわきまえていない
表に面しているから
その中へ並べておいたら見るだろう
買いたいやつなら覗いて取るだろう
それ以上の注意をしていない
だから一枚1200円の
大きいガラス窓など
震災橋商人のしみったれには
おそらくその価値がわかる
大丸
飾り窓の意義と
窓ガラスの価値を知らないで
近代都市の小売商になるなど
田舎であればこそである
デパートに押されるのは当然で
宣伝もしなければ
陣列法の善悪もわからなくて
商売が繁盛したら
アメリカ商人は
とっくに破産しているだろう
四巻行から南には一軒もない
八幡筋を認識し
大丸
大丸
大丸
左へ曲がると
古本屋の荒木が
飾り窓を窓らしく扱っている
小大丸は
銀座の越後屋と同じ道を
踏むのではないかしら
品物に珍しいのがなくなってきた
それで私は
大丸と雑誌屋と
荒木と短編と
それだけ以外で
決して買い物をしたことはないが
また実際震災橋で
白狐の襟巻きも
気の利いたウォッチリングも
必要ではない
確かに恋人を持つなら
大阪の方が経済的である
38円のカラフト狐でも
狐で
80円のカムチャッカ狐も
狐なら
200円のシュル狐でも
狐である
東京の女は少し気が利いていると
あるいは生意気だと
ハンドバッグ一つ買うにも
鳥居屋へ行って
酒地から金具まで注文をするが
大阪の女は
大阪の男たちを喜ぶがいい
私の友人は
最近鳥居屋へ恋人と同行して
予算の3倍を費やした
そして実は
その2倍半の金しかなかったので
そっと私へ救済してくれと
電話をかけてきた
東京の女は
こんなにまで不経済になってきている
というよりも
ハンドバッグの注文に応じる店が
震災橋にはない
こういうことを言っていると
いかにも私はハイカラらしいが
震災橋を歩いていて
いつも羨ましいのは
昆布屋である
昆布の価値は東京人にはわからない
チューインガムという
アホなものより
昆布の用途の方がどんなにいいか
私の少年時代
まだ大阪の橋橋の上には
夏の夜店が許されていた
その自分のビワハ糖
甘酒
それらは昆布とともに
もう一度民間の飲み物になってもいい
カルピスなんかよりも
ビワハ糖は確かに薬効的であり
甘酒はずっと優れた栄養分を含んでいる
私は飾りまでの装飾を分けまいていると同時に
甘酒とビワハ糖の価値も知っている
昆布茶のうまさも知っている
つまり古今東西の価値を認め
御子知心の人間である
だから相当に公平であるが
昆布屋と飴屋と寿司屋のほか
神斎橋から道頓堀にかけて
何も感心するものはない
しかし大阪の女性は
こんなものに感心してはいけない
全く食べ物にばかり感心することになって
恋人に愛想をつかされるかもしれんから
というよりも実によく大阪の女は食べた
私の子供自分の芝居において
中津区旧文楽座において
そして昆布をしがんだ講習は
決してシックなものではない
どうもキス以前の匂いだ
キネマでチューインガムの引っ張り合いは
恋人同士によくあるが
私はキネマを3年くらい見たことはないが
多分あるだろうと思う
なかったらやってみればいい
昆布は少しネバネバしすぎる
とにかく昆布はいくらか
大阪人の健康を助けているだろう
私の母なんかも
昆布をしゃばるには人口において
私の母なんかも
昆布をしゃばるには人口に落ちたことがない
少ししゃぶりすぎたので
その子の頭が少し早く剥げるのだろう
用土は髪の毛を増やすというが
大阪料理の特徴
どうして私だけは剥げるのだろう
食べ物
大阪の料理はほとんど東京を征服した
東京料理の面影を伝えているのは
八王子くらいのものだろう
話に聞くと
大阪の居た前はすでに100人近く東京へ行ったというから
偉いものである
大体このくらいで料理論などは終わっていいのだが
どうも私の知識はたくさんあるので
もう少し話をしたい
その大阪の料理人も
いわゆる料理痛、食痛がある人々も
大阪料理はなるべく気のままの味を食わすんでと
自慢らしく言って
魚島が住んでもタイの刺身を食っている
自然のままの味
ということはいいことに違いない
しかしそれだけより
以外のことを研究していないということは
自慢に決してならない
例えば鶴原は
10種類の料理で年中大して変わりがない
鶴谷へ行くときっとタイの頭を出す
それを名物にするのはいいが
それ以上の変化を研究しているのかいないのか
一度料理人に聞いてみたい
フランス料理のオードブル
漬き出しや前菜は
冷たいのが160種
温かいのが200種ある
区内省市中省秋山市弾
日本料理の漬き出しを
何という料理人が100種こしらえたか
そんなものはこしらえんでもいいと考えるのか
作り得ないのか
作ろうとしないのか
よく胸へ手を当ててごらん
東京星川岡茶寮の北大寺氏は
この前菜を16種くらい出して
一名物をなし
日比谷の花の茶屋も10種くらいは作っている
つまりフランス料理の10分の1である
100種も前菜を作ったら
日本料理でなくなりもするか
それともそれが時代とともに変化する料理の道か
日本料理には材料がないのか
頭がないのか
大阪料理が東京へ入ったからとて
喜んでいるような根性ではどうもあかんと思う
この点北大寺も
花の茶屋も井上も同じことで
前菜20種だけ作っておいて
儲かったらのんきに陶器を焼いたり
別荘を建てたりしている
大阪から逃げ出して
東京で当てた浜作も
大阪料理の文化
そろそろ競馬へ行き出した
なぜ料理人の主人は
料理の研究に一生を捧げないのか
江戸風料理の第一人者である清さんでも
金儲けに忙しい
三玉の福丸も
親父が怠け出した
小金が貯まるとことごとく
これで文句を言えば
大阪料理は記事の料理や
で済ましている
なぜそれ以上にしてはいけないのか
どうして古今東西の料理を研究して
新味を出すに努力しないのか
僕の頭のごとき記事のままでは
食わせようもないからにもよるが
読みたいものを
読みたいものを
書きたいこと
研究したいことがあって
飽くことを知らない
僕は包丁は持てぬし
今から料理人にもなれぬが
もしなったなら
このうまい魚と
いい野菜等を控えている
大阪の料理人として
西洋品をも研究して
少しは珍しいものも作ってみせる
伊勢谷が
大市派のすっぽんを食わせるだけで
あれだけ繁盛するではないか
それも50種の前菜と
30種の漬物とだけに
立派に一名物はできる
30種のうまい漬物で
茶漬けを食わせるだけでも
優位に名物になり得る
国境の原料を持っていて
この心がけが出ない以上
大阪の料理人が
千人東京へ行ったって
それはネズミの移動と同じことで
料理の発達とは無関係だ
歴史的名所の価値
発達とは
料理と関係のないことを
どうして褒められるか
大阪人が東京へ行って
儲けたって
何が日本の得になる
つまりこういう
やかましい理屈が生じてくる
私はさ
理屈っぽすぎるが
大阪料理のために
こう言いたい
苦労とよりも料理が好きで
板前になっている
素人料理の人に
しっかりやんなはれ
天皇寺にいたとき
その2階から塔を眺めては
天皇寺は未だ健在だな
と思ったことがあった
しかしお寺は
酒場ほど面白くないから
相手も見なかった
今日も薄曇りの日に
寺の前まで行ったが
境内の冷漠さを見ると
ええ寺やなとだけ感じておいて
戻ってしまった
寺田の大臣だのは
この程度に眺めておいたら
いいものであって
石の鳥居の左側に
高橋親子の墓地案内の石が
建っているが
大阪人は
少しこうした私責に
冷淡すぎるようである
私責に熱心だったって
金はもうからないが
大阪城の天守を再築するくらいなら
もう少し私責の保存と
障害とに力を入れても
いいだろう
高橋親子って何者だか
ほとんど知っている人はあるまい
一心地で惨敬して
大阪城の大きな墓を見たって
忠友がどういう人か
おまわりさんに聞いたって
おまわりさんは養成所の
試験問題になかったから
知らんと答えるだろう
安居の天神は
真田幸村の内地にしたところだが
そんな火を立てる話も聞かない
私は天守を建てるなら
幸村最後の地へ
石一つくらい建ててもいいと思うが
どうだろう市長さん
もっともここには
私の思い出が一つある
中学の頃だった
夕日が丘の女学校が
この丘の下へ初めて出来たが
誰かが家高塚へ行くと
人目に見えるぞと言い出した
どうも当時から
女は嫌いでなかったでしょうと見えて
私も同行した
証弁したろかと
そして一人が学校を見下ろして叫んだら
だいぶ賛成者があった
私は確か賛成しなかったと覚えている
それから3,4編証弁しに行くと
一日校長が
近頃本校の生徒で
夕日が丘へ行くものがあると行動で言い出した
校長は大抵紳士だから証弁のことは口にしなかったが
真田幸村は戦士の父であるとともに
私には忘れられることのできないところである
大阪の駅というと
後藤又部屋に真田幸村が活躍するが
赤市全島
毛利勝長の二人をもう少し紹介してもいいだろう
赤士が十字架の旗をひるがえして
行方不明に終わったこと
毛利が徳川の本陣近くまで肉迫したために
家康の旗が旗で乗ってから取り残され
槍武行の大久保彦左衛門が
その旗を守って退却したなど
世人にあまり知られぬいい話が残っている
一度大阪のまちまちのこうした史跡と
詩話等を書いて
保存法と紹介法等を考えてはどうだろう
そのくらいの愛史的観念と財力があっても
市民の文化的態度
金儲けの邪魔にはなるまいと思うが
実際私ら大阪育ちの相当そういうことを
心得ている者が
歩いていてもつい見逃してしまうことが多い
天王寺を出てタクシーに乗った
小雨が降ってきた
こらと怒鳴るので見ると
助手を叱る巡査だ
少しばかり大阪・京都のほうが
叱るお巡りさんが多いらしい
ということは叱られる市民の多いことで
これは非文明・非公徳の反映であろう
わざわざ危ないくぐり抜けをする町の勇士が
大阪の小僧さんにはずいぶんいる
京都には田中、あだ名雷というお巡りさんがいて
叱るので名物だそうだ
およそこれくらい人をバカにした話はないが
署長があまり叱るのは決して巡査のためにも
市民のためにも
名誉なことではないことを言ったという話も聞かない
日本の巡査は明治初年
私族の喰いっぱくれがことごとく採用されて
喰や人民アーンといった自分から
伝統的に威張るようにできている
その人々が円卓のくもすけと取り組むのだから
気の荒くなるのは当然だが
バカ止まれと怒鳴っているのを見ると
巡査市民共に一度ロンドンへ見学にやってやりたい
私はロンドンへ行ったことはないが
確信を持って大阪ぐらい
怒鳴る巡査と交通道徳を心得ない市民の多いところはない
と断言し
大阪人の非文化床は一人シュークリームのみではない
ここに至っては彼の生命をも脅かしていると論じでいい
実際驚くべき無節制さを持って街路を横断している
私がお巡りさんならしかし決して怒鳴りはしない
殴る
滅んだもの起こり得ないもの
私の少年時代にはほうぜんじに一軒
そらぼりに一軒
てんまてんじんうらに一軒
公釈場があった
だがいつの間にか大阪から公断はなくなってしまった
玉川およし
長袖おときち
きずかんすけ
なんばせんき
いわみじゅうたろう
ひごこまげた
しゅうぜんじばば
といったような大阪公断種のものはそのうちに忘れ去られてしまうであろう
別に惜しくもないが
公断というものは新形式においてもっと盛んになってもいい
かげつていくりまるは
私の小さい時分
彼の親父と一緒に
一本一本歩いていたのを覚えている
彼らのグループは私らの家のあったところの崖下
俗称のむぎと称したところにいたらしいが
木があったら私は彼と一緒に鉱山へあがって
荒木またえもんでも弁じてみようと思っている
こういうことは私は好きらしい
だから東京では10年以上も寄せへはいかぬが
大阪へ来ると時々春断種を聞きに行く
渡辺ひとしくんから紹介されて
小春断種のも聞く
愉快でもあり上手でもある
この冊子絵を描いている小出松茂くんは
私と同じ中学であるが少し先輩だ
随筆を描くと私よりも上手い
都会人らしい幽謀が心よく流れていて
聡明で謙遜で
イギリス風のエッセイとはまた別の味がある
大阪人は庭歌、漫才、喜劇などを随筆に
随分生んでいるが
国境の才能は確かに江戸のシャレよりも
優れていると思う
ただそれは完全に発達をしないのは料理と同じで
一程度以上の研究をしないからであろう
荘賀の矢五郎は唯一の喜劇であるが
五郎の見識以外へ出ないから
新しい時代とは没交渉で
10年後にはあるいはいい喜劇が出たなら
たちまち圧倒されるだけの古臭さを含んでいる
私が最近朝日グラフに書いた短編などは
新しい落語でもあり喜劇でもある
大衆文学全集などにも落語も書いているが
こういう方面へは彼らは全然注目していないらしい
私は暇さえあると彼らを聞き見るが
彼らは我々がこうしたことにも注意していることを
全く考えていない
これが漫談などが出てくる現象の一原因で
我がの上手さにおいて漫談の比でないに関わらず
落語は日に日に古臭くなっていき
漫談はもう一転換したなら
遥かに落語を圧倒するだけの廃画を含んできた
私は大阪のこうした人々がいい素質を持ちながら
それをリードするいい人のないために
しばしば歪められてしまっているのを見ると
もう一度大阪の非文化性の
罪悪さを言わなくてはならなくなってくる
時として文化はくだらないことであるが
時として文化的指導者のいないことは
起こりうべきものを怒らしめないで終わってしまう
私は大阪人の方が東京人よりも遥かに穏やかな
得意的な文化を生み出していると信じているが
大阪の文化人である池崎忠義氏とか
岡田半葉氏とか新聞社関係の人々は決して親切ではない
また例えば北新錬銀氏の義大夫研究にしても
成長していく大阪には何の利益もない
こうした超人文化は都市にはいつもどこにもある
ゴイラン州とかニューラ道祭とか
インベミチタリとか村田春亭とか
その街の将来のことは何も貢献しないが
金と暇があるからコツコツかきためたというような
そんな文化人は大阪には必要ではない
どうも私は歩かないで理屈ばかり言っている
だが10回ぐらいで終わるべきこの記事を書くのに
歩いてまた書いたならそれは100回になるかもしれないし
一軒の飲食店を書いても3日くらいかかるであろう
どうも歩かないでも良さそうである
第一にめきめき寒くなってきたではありませんか皆さん
有利と酒場
いつかの文芸春秋に私が酒場で10円のチップを置くと書いてあったが
その代わり一文も置かぬときもあるとも書いてあった
嘘である
環状は3円何がしだから四五人集まってきたレディ達に
10円出して釣りはいらないよというだけで
3円が6円になってもやはり10円しか出さない
だから私にサービスしてくれるレディは
なるべく酒を飲まさないようにする
その方が私の健康のためにも良いし
彼女の収入のためにも良い
それから美人座へ時々行く他
多分美人座では私が千早雅子を好きだと考えているであろうが
酒場では好きでなくとも好きな一人を仮定していくことは
酒場交際法の第一課である
誰も好きでないと言いながら
たびたび行く奴はバカ野郎でしかありえない
ほとんど私は他の酒場へ行ったことがない
それから行っても私はやはり10円しか出せない
どうも私は昔からこの10円の悠久が好きであるらしい
今でも新橋へ年に一度ぐらい遊びに行くが
9時から行って女一人でやはり10円である
プラトン社在勤当時
黒門町の福田屋へよく行ったが
10時ごろから1時ごろまで三代を呼んで
どうもこの人に惚れていたらしいが
はっきりした記憶がない
うどんを食べてやはり10円であった
それで時々この3つのうちの何の10円が一番安いかを考えてみると
どうも酒場よりもお茶屋の方が私にはいい
人々は酒場はたくさんの女が集まってくるからというが
私の趣味だと女は惚れた一人以外にいない方がいい
ジップの関係もある
川口松太郎は10人くどいて一人が当たれば1割の背倒だという主張をするし
菊池寛は一言言って嫌だという奴は二度と口を聞かないから
俺の獲得率は100%だというが人各々である
私は自分の好きな人を前にしてただ眺めているばかりであるから
菊池寛は直樹は黙っていて女を落とそうとする
大阪の酒場と文化
だから人の20倍も時と金がかかるというが
私の恋はいつも神聖なのである
どうもお茶屋で差し向かいの方がいい
そして同じお茶屋の10円で新橋と大阪とどっちがいいかといえば断然大阪がいい
東京は12時になると水店以外は帰ってしまうが
大阪は時として夜が更けると雑魚寝があるし
赤菓子へ行って夜更かしもするし
つまり飽きるところまで行き尽くすことができる
もっともそうなると10円では済まない
この点は酒場や東京の真似のできないところで
神方ゆりの忘れられない味である
私は東京へ行った大阪の酒場がエロであるという表を聞くが
ああいった取り持ちがエロならエロは危険すべきものであるし
大阪の女性を軽蔑こそすれ褒める気にはなれない
無強要のゆえにくだらぬことをしゃべって
慣れ慣れしくするだけの女を喜ぶくらい
また男自身の価値を下げることもない
私の気ぐらいの高さどんなもんや
もっとも女と遊ぶときには男の価値を少し下げると面白くないが
それは差し向かいのときに限ったもので
そういうときにはもっともかなりだらしがなくなって
チューインガムの引っ張りっこをしないでもない
これは過程や
酒場では困る
友人の浅ましさを見ていると
下手なダンスをいい歳をして
背の低いダンサーと踊っているのを見ているように憂鬱になってくる
東京風の酒場ではこの感じがやや少ないが
大阪風は敵わん
私の趣味または私の文化賞に合わないのであろうが
私の望むエロチックはもう少し強要が気取りがあってほしい
流し目の一つさえ満足に表現しえないエロなどというものがのさばることは
男女お互いに地熟である
インドの愛嬌によると
唇のキスのみで8種あるが
少なくもウェイトレスはそれくらいのことを心得ていてもらいたい
Aのときには第一種のキスで
美術館と動物園の議論
つおりか靴を軽く踏むとか
Bのときには第二種で足を押し付けるとか
Cのときには第三種で手を回して首を抱くとか
それくらいの包容の区別はちゃんとしてもらいたい
この包容の形式は
罪のないものから深刻を極めるものに至るまで約20種ある
女のほうには特別に享受してもいい
一種5円ぐらいで
多幸を増しちゃろか
露骨ならエロよ1930年とともに消えてくれ
美術館と動物園
私はもっと歩かなくてはならないが
さあ理屈を言い過ぎた
そうだ私は天皇寺から参景してから理屈ばかり言っているのだ
ウブユイナリの抜け穴はどうしたかしら
私の少年時代その穴は真田の抜け穴だと信じて
たびたび入ったものである
七八犬も行くと行き詰まりになっていてちょっと失望したが
その頃は柵が設けてある
あの前真田の抜け穴と札を建てるといいと思うが
それからもう一つ
この辺には池の近くから人骨が転がり出したのを覚えている
小橋の墓地といえば
私ら上町の悪道には懐かしい思い出のところである
しゃれこべ出るやろが
そりゃ首が出るくらいでやさかい
掘ったら出てくると
私たちは棒と竹とで墓地
石碑ひとつない墓地を掘っていて
怒鳴られたことがあった
三高神社から鷹津の宮跡へかけて
大阪古の神の激戦地であった
私ら少年時代には
いまだその大阪神の記憶が
人首だの抜け穴だので結びついていて
真田山でゆきむらを解雇したものであるが
もう今日のこの辺の少年は何も感じないである
不敬も懲戒も感じさせるような墓標さえ立てていないであろう
どんどる大使はどうしたか
義太夫に残っているから近くの人々は知っているであろうが
阿波の十六兵衛の事跡が残っていて
真田ゆきむら終焉の地に一本の標高さえなく
そして天守閣を建てて
たぶん天守閣は見せ物として考えられている
しかし
天守閣を建てて
たぶん天守閣は見せ物として金が取れるが
ゆきむらの日では金儲けにならんというのであろうか
名古屋の近くにコンクリートの大仏が建った
毎日再生がよって遊んでくれるそうである
子孫のために残すならこれはいい財産で
ちょっと売れないだけに子供の食いはぐれがない
大阪の中蔵への金持ちどもは
郊外へ大仏棚観音棚をいろいろ建てて
暮らすがいい
天守閣などもこの意味で一番経済的であって
一番くだらない金の使い道である
もう少しはっきりとしていたなら
当然大阪の史跡の整理と保存等を始めなくてはならない
少し論が前へ戻ったが
これは私が同じ道を戻っていくからであろう
天皇寺から一新寺の方へ
なんという甘みのない名だろう一新寺
それから公園の方へ
ここには市民から馬鹿にされている美術館が建っている
何の首相の時に誰が賛成して建てたのか知らぬが
このくらい市民と没交渉の美術館もない
一番いい方法は水を満たして水族館にすることだが
文学にさえ冷淡な大阪市民に美術館を与え
与えっぱなしで食い込もしないところが役人の役人たるゆえんであろう
年度末になって予算が余ると不要な品を買い込んで
一文も残らず使ってしまうのが日本の役所である
そうしないと来年の予算を同額だけもらえぬというのであるが
およそこのくらい人民を踏みつきにした考え方はない
礼を言えというならいくらでもあげてやる
朝10時に出て昼食に休み
4時に退室して15年勤めると恩給である
東京市の市課長は30年勤めて年額7700円の恩給を取って
いる
日本の条約とか管理とかはみなこういう人間である
美術館など本当に首都市民のことを考えるなら
そんな金の首都はいくらでもあるはずである
東京にはこんなのが威張っているからシャクであるが
大阪はいくらかその色が薄いのでだんだん好きになってきた
都市の面目を考えるなら美術館を建てる金で
梅田駅前を清潔にするがいいし
市民に美術教育を与えているつもりなら
矢野君の美術学校へ援助するでもするがいい
何かことがあったらいちいち私のところへ相談に来てもらえないか
それから私は山を下って動物園へ出るのである
動物園の園長東大森
速攻所の人々などというくらい真面目で熱心な人はない
林市にしても上野の黒川市にしても
本当に仕事への情熱と愛と思っている
症状が死にかけたらきっと園長は徹夜するだろう
そして症状を抱くだろう
美術館の予算なんてものは動物園へみんなやるがいい
そして公園中を動物園にして
ヒツジとウサギとコトリとを開放して子供と遊ばせるがいい
大阪の経済と未来
私が子供であった時には遊ぶところがなくて
山梯で貝を掘ったり
横掘りのストリートババアを竹で突き出したりした
だからこういうろくでなしになったのだ
私はとうとう大阪を歩かなかった
これは大目にも背くし
私自身の意思にも背くわけであるが
歩こうとすると
今日9日の日が雨になった
そして翌日には私は東京へ戻らなくてはならぬようがある
11日には放送があるからだ
どうも私は女より雨の方が少しばかり嫌いだ
愛人と温泉ヤードにでもいる時には
そうした雨も決して悪くないであろうが
ここであろうがと疑問を残しておいたのは
そうした経験が一遍も私にはないからである
あればきっと私の小説に出てくるだろう
傘という少し風が強いと何のために刺しているのかわからないようなものを刺して
高下駄を履いてこの寒いのに
実際私は五尺五寸六七秒あるから
三寸の高下駄を履くと五尺八寸以上になる
こんなに高い風景はビルディングのほかしょうがんに値しない
大阪の女の背の低い限りにおいては
それに私は大阪のどこを歩けばいいか
私がエトラン勢なら天王寺から天満天神
大阪城文楽座と歩くであろうが
私はもう少し得意な大阪を
大阪のクロートとしての大阪を知っている
例えば清水橋筋には小泉と書いた金庵丼のかかった一軒の旧家がある
たぶんこの家は主人とともに古い大阪を語るに違いない
また唐物町の鳥生は
鳥屋から長崎料理になるまで8年間考えていた
それは料理の研究ではなく
古い鳥屋が長崎料理に化ける花費ということについて
親族も考えてくれていたからである
それからまた私は堀江のスマンダーへ行ってみてもいいし
新町橋の四つ目屋へ買い物をしに行ってもいい
かっここれはいい土産になる
あるいはまた京都の彦津域より
大阪のそれの方がどんなに文化的であるか
私がこういうことを書いたからとて
すぐに私の品性を評されては困る
エロ時代だから
大衆作家らしくこうした品物まで研究していると
ちょっと工学審を広告したまでで
決して私が机の袖出しで入れているわけではない
第一私は机を持っていないのだから
あるいはまた芝居裏の女郎がいかに洋食弁当をすくか
そしてそれがどんな特殊なものであるかとか
つまり美に入り才に入り大阪の文化性を論じ
たちまち女郎の弁当に移り千変万化
きょきょじつじつ上段下段と三次結ぶつもりであったが
雨である
雨であっても洋食弁当を論じにはいけるが
多分女は私を話すまいから
私は放送に遅れたり
三日も弁当のみを論じて読者から叱られるに違いない
それで私は今日図書館へ行って
大阪の史跡を調べようとも思ったが
人口二百幾十万と誇っている大都市に図書館は一つしかない
私がしばしば通っていた自分からいつも満員であったが
大阪の富豪が南の方へ立てたという話を聞かないから
未だ中野島だけであろう
二百何十万の空虚な頭が集合しているだけで
大阪よロシアの大ダンピングさ
大阪人等は想像できるか?
いわゆる資本主義の第二期現象的としての
小一体午前は何を考えることができる?
私は大衆作家であるが
金貨本位の経済組織の危機を知っている
5カ年計画完成後における生産と消費との大ギャップ問題を
この非文化的頭脳で判断できるか?
大阪町にの大多数は
せいぜいここ2,3年の経済界のことしか分かっていない
経済作とかダグラスの経済論とか
ロシアの新経済論とか
そうしたすぐに金儲けにならぬ論に対しては
何の興味も持っていないが
これが大阪町人をして
中富豪をたらしめたと同時に
三井三菱になり得ない原因である
経済も思想も激変していくであろう
赤テロは何段ねと言っている間に
ロシアはすでに材木と小麦のダンピングによって
世界市場を拡乱させ始めた
こんなことは畑違いの僕にさえ常識として分かっているが
大阪町人の幾人がこの事実に対して何をどう考えているか
私は大阪を歩き
大阪の人と会ってもう少し大阪のために語りたいが
多分私は大阪にまた失望するものと思っている
私ごとき一回の小説家にして
なお最新の経済理論を心得ているに関わらず
大阪町人は己の良分の経済思想をさえ持っていないのが多いのである
憐れむべき大阪及び大阪人よ
私はまだ故郷へ戻りたくない
もう二年
そうだ二年ぐらいで分かるだろう
私はこれで一度東京へ戻ろう
そしてもう一度また気があったなら歩きに来ることにしよう
1989年発行
文芸春秋
直樹三十五作品集より一部独りを読み終わりです
この後同じボリュームぐらいの
俗大阪を歩くという続編が
実はテキストとして用意してあったのですが
書いた本人が
俗って面白くないよねって書いてて
大阪と音声データ
大阪物語も俗は面白くないよねみたいな
前編は良かったでしょうみたいに言っているので
ここで一回切りましょうかね
だいたい1時間近くなってますし
これ2時間の対策になったら大変だなと思うので
ここで読み終わりたいと思います
大阪は大阪行ってましたね
大阪は歩くだからしょうがないか
そういえば最近他の人の
ポッドキャストをちょこちょこ聞くようになってるんですけど
知ってるというか
どんぐりFMという
子さんのポッドキャストを聞いてて
そこで知ったんですけど
Listen.styleというドメインのサービスを知り
それがね
音声データを
AIが自動で文字起こししてくれる
してくれるっていうサービスなんですけど
つまり僕は
作家さんが大昔に書き残し
誰かが編集して青空文庫に
編集構成して青空文庫に上げたものを
僕は印刷してきて読み上げ
それをAIが文字起こしし
僕の読み方が悪いのか
AIの文字変換が変なことになってたりみたいな
変なリレーが繋がってますね
どうなっていくんですかね
Google翻訳に日本語を投げて
英語にしてもらって
その英語をまた日本語に直すと変な文章になってるみたいな
ちょっとみおちくりんな感じになってますけど
僕結構長めのが多いんでね
青空文庫というインターネットの中から持ってきたものが
またインターネットに戻っていく
しかも少し形が変になって
変なリサイクルしてるなっていう
おかしみがありますね
何が言いたいのか分かんなくなっちゃった
とりあえず新しいリッスンというのを
でも聞けますよというのをお知らせ
お知らせ?
何でもないですけど
といったところで
今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう
おやすみなさい
58:54

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