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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
それから番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて、今日は寺田寅彦さんの厄年とetc.というテキストを読もうと思います。
etc.た。
シャレてますね。1900。
大正時代にこれ書いてるんですよ。デートセトラですよ。
シャレてますね。
寺田寅彦さん、だいぶ久しぶりに読みますね。
寺田寅彦さん、物理学者、文学者。
物理学者としてはX線に関する研究、それから震災に関する研究の実績が残っており、
文学者としては科学者の眼差しで日常を切り取った随筆を多く残すということだそうです。
前回はたぶん子猫というのを読みましたね。シャープいくつかは忘れました。
40か50くらいでしょうか。
調べてきました。52でした。ずいぶん久しぶりの当番ですね。
それではまいります。厄年とetc.
気分にも頭脳の働きにも何の変わりもないと思われるにもかかわらず、運動ができず仕事をすることもできなかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに長く感じられた。
強いて空虚を満たそうとする自覚的努力の余生が、かえって空虚そのものを引き延ばすようにも思われた。
これに反して振り返ってみた月日の経過は、また自分ながら驚くほどに早いものに思われた。
空白な荒野の果てを見るように、何一つ著しい目標のないだけに、昨日歩いてきた道と今日との境がつかない。
たまたま記憶の目に触れる小さな出来事の森や小山も、どれという見分けのつかないただ一末の灰色の波線を描いているにすぎない。
その地平線の彼方には活動していた日の目立った出来事のみねみねが透明な空気を通して手に取るように見えた。
それがために最近の数ヶ月は思いの他に早く経ってしまった。
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衰えた体を九十度の暑さにもて余したのはつい数日前のことのように思われたのに。
もう血液の不十分な手足の末端は、生児や火鉢くらいで防ぎきれない寒さに凍えるような冬が来た。
そして私の失意や希望や意志とは全く無関係に、最末と正月が近づきやがて過ぎ去った。
そして私は世俗でいう厄年の境界線から外へ踏み出したことになったのである。
日本では昔から四十歳になるとすぐに老人の仲間には入れられないまでも、少なくも老人の候補者くらいには数えられたもののようである。
しかし自分はそう思わなかった。
四十が来ても四十一が来ても別に心持ちの若々しさを失われないのみならず、
肉体の方でもこれといって衰退の兆候らしいものは認めないつもりでいた。
それでもある若い人たちの団体の中では自分らの仲間は中老年などと名付けられていた。
あまり鏡というものを見る機会のない私は、ある朝偶然縁側の日向に誰かが放り出してやった手鏡を持て遊んでいるうちに、
私の額のあたりに銀色に光る数本の白顔を発見した。
十年ほど前にある人から私の頭の頂上に毛の薄くなったことを注意されて、今に剥げるだろうと予言されたことがあるが、
どうしたのかまだ特等と名の付くほどには信仰しない。
特等は父親から男の子に遺伝する性質だという説があるが、
それがもし本当だとすると、私の父は77歳まで完全に覆われた露腸を持っていたから、私も当分は剥げる見込みが少ないかもしれない。
しかしその代わりに、いつの間にか白髪が生えていた。
それから後に気をつけてみると、同年配の友人の中の誰彼の額や米髪にも、
三尺以上離れていてもよく見えるほどの白髪を発見した。
まだ自分らよりはずっと若い人で、自分より多くの白髪の所有者もあった。
ある時たまたま会った同僧と対話していた時に、
その人の背後の窓から来たる強い光線が頭髪に映っているのを注意してみると、
漆黒の色の上に浮かぶ紫色の表面色があるアニリン染料を思い出させたりした。
またある日、私の先輩の一人が老眼鏡をかけた見慣れぬ顔に出くわした。
そして試みにその眼鏡を借りてかけてみると、
視界が急に明るくなるようで、なんとなく爽やかな心持ちがした。
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しばらくかけていて外すと、目の前に雲の糸でもあるような気がして、
思わず目の上を指先でこすってみた。
それから気がついて考えてみると、近頃少し細かい樹を見るときには知らず知らず、
目を細くするような習慣が生じているのであった。
去年の夏、子供が縁日で松虫を買ってきた。
そして縁側の軒場に吊るしておいた。
酔いのうちは鈴を振るような音がよく聞こえたが、
しかしどうかすると、その音がまるで反対の方向から聞こえてくるように思われた。
不思議だと思って懐中時計の音で左右の耳の聴力を試験してみると、
左の耳が振動数の多い音波に対して著しく鈍感になっていることがわかった。
のみならず、雨戸を閉めて後に寝床へ入ると、鎮チロリンの声が聞こえなかった。
すぐ横に寝ている子供にはよく聞こえているのに。
私の方では年齢のことなどは構わないでいても、年齢の方では私を構わないでおかないのだろう。
ともかく白髪と視力聴力の垂長とこれだけの実証はどうすることもできない。
これだけの通行権を握って私は所漏の関所を通過した。
そしてすぐ目の前にある躍動史の坂を越えなければならなかった。
躍動史というものはいつの世から例え出したことか私は知らない。
どういう根拠によったものかもわからない。
多分は多くの動詞類の一切と同様に、
時と場所との限られた範囲内での経験的資料とある経史上的な思想との結合から生まれたものに過ぎないだろう。
例えば210日に台風を連想させたようなものかもしれない。
もっとも210日や八作の前後に渡る季節に南洋方面から来たら台風が一旦北西に向かって、
後に放物線系の線路を取って日本を通過する機会の比較的多いのは科学的な事実である。
そういう季節の目標としてみれば210日も意味のないことはない。
しかし薬土史の方は果たしてそれだけの意味さえあるものだろうか。
科学的知識の進歩した結果として、科学的根拠の明らかでない言い伝えは大概他の宗教的迷信と同格に取り扱われて、
少なくとも本当の意味での知識的階級の人からは知りづけられてしまった。
もちろん今でも未開時代そのままの模範的な迷信が至るところに行われて、
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それがそこにいわゆる知識階級のある一部まで蔓延していることは事実であるが、
それとは少し趣を異にした事柄で、
科学的に検証される可能性を備えた命題までが人から現して吐き捨てられたという恐れはないものだろうか。
そのようにして塵塚に埋もれた真珠はないだろうか。
根拠のないことを肯定するのが迷信ならば、
否定すべき反証の明らかでない命題を否定するのは少なくも軽率とは言われよう。
わからぬこととして竿の先に吊るしておくのは慎重であろうが忠実とは言われまい。
例えば薬土紙のごときものが全く無意味な命題であるか。
あるいは意味の付け方によっては多少の意味の付けられるものではあるまいか。
このような疑問を抱いて私は手近な書物から人間の各年齢における死亡率の曲線を探し出してみた。
すべての有限な統計的材料に免れ難い偶然的な変異のために、曲線は例のように不規則な脈動的な波を描いている。
しかし不幸にして特に、42歳の前後にまたがったえちじるしい突起を見出すことはできなかった。
これだけから見ると少なくともその曲線の示す範囲内では42歳における死亡の確率が特別に多くはないという漠然とした結論が得られそうに見える。
しかし統計ほど確かなものはないが、また統計ほど嘘をつくものはないということは争われないパラドックスである。
上の曲線は確かに一つの事実を示すが、これは必ずしも約年の無意味を断定する証拠にはならない。
科学者が自然現象の周期を発見しようとして費用材料を統計的に調査するときに、ある短い期間についてはえちじるしい周期を得るに関わらず、あまり期間を長くとるとそれが消失するようなことが往々ある。
そのような場合に、短期の材料から得た周期が単に偶然的なものである場合もあるが、またそうでない場合がある。
ある期間だけ継続する周期的現象の群が乱発的に錯綜して起こるときがそうである。
これはただ一つの類例に過ぎないが、約年の場合でも材料の選み方によってはあるいは意外な結果に到着することができないものであろうか。
例えば時代や季節や人間の階級や死因や、そういう標識に従って類別すれば、現れるべき曲線上の流気が各類によって位置を異にしたりするために、すべてを重ね合わすことによって消失するのではあるまいか。
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このような空想にふけてみたが、結局は統計学者にでも相談するほかはなかった。
しかし、そんな空想に耳を傾けてくれる学者が手近にあるかないか、見当がつかなかった。
それはとにかくとして、最近の私の少数な10に足りない同窓の中で、3人までわずかの期間に相次いで亡くなった。
いずれも42を中心とする約年の範囲に含まれるべき有意な年齢に、病のために倒れてしまった。
性種ということが、単にどうかを投げて裏が出るか表が出るかというような簡単なことであれば、3辺続けて裏が出るのも、3辺続いて表が出るのも少しも不思議なことではない。
もう少し複雑な場合でも、全く偶然な暗号で特殊な事件が続発しても、プロバビリティの法則を知らない世人に起義の念を起こさせたり、超自然的な因果を思わせる例はいくらでもある。
それで私は、3人の同窓の死だけから、他の者の死の機会を推算するような不合理をあえてしようとは思わない。
そうかといって、私はまた、全くそういう推算の可能性を否定してしまうだけの証拠も持ち合わせない。
例えばある過程で、同じ益利のために2人の女の子を引き続いて失ったとする。
そして、死んだ年齢が2人ともに4歳で、月までもほぼ同じであり、その上に死んだ時期が同じように夏始めのある月であったとしたらどうであろう。
この場合にはもはや偶然、あるいは超自然的因果の境界から、自然科学的の範囲に一歩を踏み込んでいるように思われてくる。
そういう方面から考えていくと、同時代に生まれて、同様な趣味や目的を持って、同じ学校生活を果たした後に、また同じような雰囲気の中に働いてきた者が、
多少生理的にも共通な点を見えていて、そしてある同じ時期に死病に襲われるということは、全く偶然の処算としてしまうほどに偶然とも思われない。
このような種類の奇妙な混合がしばしば繰り返されて、そしてそのことが古代史された結果として、いわゆる百度死の説が生まれたと見るべき理由がないでもない。
ある柳の下にいつでも土壌がいるとは限らないが、ある柳の下に土壌の織りやすいような環境や条件の具備していることもまたしばしばである。
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そういう意味で、いわゆる百度死というものが提供する環境や条件を考えてみたらどうだろう。
思考の節約ということを旗印に押し立てて進んできたいわゆる精密科学は、自然界におけるあらゆるもの並びにその変化と推移を連続的なものとみなそうとする傾向を生じた。
そして事情の許す限りは物質を空撃のないコンチニウムとみなすことによって、その運動や変形を数学的に理論じることができた。
あらゆる現象はできるだけ簡単な数式や平滑な曲線によって代表されようとした。
その同じ傾向は生物に関する科学の方面へも浸透していった。
そして自然は簡単を愛す、といったような昔の経史上的な考えがまだ漠然とした形で、ある種の科学者の頭の奥底のどこかに生き残ってきた。
しかしそういう方法によって進歩してきた結果は、かえってその方法自身を裏切ることになった。
物質の不連続的構造はもはや仮説の域を出して、分子や原子、なおその上に電子の実在が動かすことのできないようになった。
その上にエネルギーの水位にまでもある不連続性を否めることができなくなった。
生物の進化でも連続的な変異は否定されて、飛躍的な変異を認めなければならないようになった。
水の流れや数の複納を見ても、それは決して簡単な一様な流動でなくて、必ずいくらかの立像的な主張がある。
これと同じように生物の発育でも、決して簡単な二次や三次の代数曲線などで表されるようなものではない。
例えば昆虫の生涯を考えても、卵から低級な幼虫になってそれがサナギになり、成長になるあの著しい変化は、昆虫の生涯における目立った立像のようなものではあるまいか。
人間の生涯には少なくとも母体を離れた後にこのような顕著な肉体的な変態があるとは思われない。
しかしある程度の不連続な生理的変化がある時期に起こることもよく知れ渡った事実である。
カイコやヘビが外皮を脱ぎ捨てるのに相当するほど目立った外見上の変化はないにしても、もっと内部の器官や系統に行われている変化が、やはり一種の立像的主張をしないという証拠はよもやあるまいと思われる。
そのような立像のある層が、人間肉体の生理的機器であって不安定な並行が些細な起源のために破れるや否や、加速的に壊滅の深淵に失墜するという機会に富んでいるのではあるまいか。
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このような難しい問題は私には到底わかりそうもない。あるいは専門の学者にもわからないほど難しいことかもしれない。
それにしても私は、今自分の体に起こりつつある些細な変態の兆候を見て、内部の生理的機能についてもある著しい変化を連想しないではいられない。
それと同時に、私の心の方面にもある特別な状態を認め得るような気がする。
それが肉体の変化の直接の影響であるか、あるいは精神的変化が外界の刺激に誘発されてそれがある程度まで肉体に反応しているのだかわからない。
薬道師の薬とみなされているのは当人の病気や死とは限らない。
家庭の不祥事や事業の失敗や、時としては当人には何の責任もない災厄までも含まれているようである。
街を歩いている時に通り合わせた荷車の圧削ガス容器が破裂して、そのために負傷するといったような災厄が、42歳前後に特別に多かろうと思われる理由は容易には考えられない。
しかし、それほど偶然的でないいろいろな災難の源を奥へ奥へ探っていった時に、意外な事柄の契機によってそれが薬道師前後における当人の精神的危機と一部の関係を持っていることを発見するような場合はないものだろうか。
例えば、その人が従来続けてきた平静な生活から転じて、危険性を帯びたある興業に関係した倒座に前述のような災難に遭ったとしたらどうであろう。
少なくとも親戚の老人などの中には、この災難と薬道師の転業との間にある因果関係を思い浮かべる者も少なくないだろう。
しかしこれは、空風が吹いておケアが喜ぶというものと類似の奇弁に過ぎない。当面の問題には何の役にも立たない。
しかしともかくも、薬道師が多くの人の精神的危機でありやすいということは、かなりの多くの人の認めるところではあるまいか。
昔の聖人は、「四十歳にして惑わず。」と言ったそうである。
これが儒教道徳に養われてきた我々の祖先の標準となっていた。
現代の人間が四十歳くらいで得た人生観や心情を、どこまでも十年一日のごとく固守して安心しているのが良いか悪いか。
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それとも、死ぬまでも惑い悶えて、衰退した体を荒野に晒すのが偉大であるか愚であるか。
それは別問題として、私は、「四十にして惑わず。」という言葉の裏に、「四十は惑いやすい年齢である。」という隠れた意味を認めたい。
二十歳代の青年期に、辛気狼のような希望の幻影を追いながら、脇目も振らずに芸能の習得に努めてきた人々の群れが、
三十前後に実世界の格闘場の拉致内へ追い込まれ、そこで命名の取るべきコースや位置が割り当てられる。
競技の進行数に従って自然に優勝者と劣敗者の二つの群れができてくる。
勇者の進歩の速度は、始めには目覚ましいように速い。
しかし始めには正であった加速度は、だんだん減少してゼロになって次には負になる。
そうしてちょうど四十歳近くで全勤的に一つの極限に接近すると同時に、速度は減退してゼロに近づく。
そこでそのままに自然に任せておけばどうなるだろう。
辿り着いた全勤戦の水準を保っていかれるだろうか。
このような疑問の軌路に立って、ある人は何の躊躇もなく一つの道を取る。
そして、つま先下りのなだらかな道を下へ下へ下りて行く。
ある人はどこまでも同じ高さの峰伝いに安易な心を抱いて、
同じ麓の景色を眺めながら、思いがけない県外や深淵が道を遮ることの可能性などに心を騒がすようなことなしに、夜の宿駅へ急いで行く。
しかし少数のある人々は、この生涯の峠に立って青空を仰ぐ。
そして無限の天朝にいただく太陽をつかもうとして、県外から逆さまに死の谷に墜落する。
これらの不幸な人々のうちの極めて少数のある者だけは、みじんに砕けた残骸から再生することによって、初めて得た翼を虚空に羽ばたきする。
列車の道の谷底の前近線までの部分は、勇者の道の東映に似ている。
そして谷底まで降りた人の多数は、そのまま麓の平野を分けて行くだろうし、
少数の人はそこからまた新しい上り坂に取り付き、あるいは失脚して再び四字上る見込みのない信仰に落ちるのであろうが、
そのような別れ道がやはりほぼ四十四歳の厄年近辺にあるのではあるまいか。
このようなたわいもないことを考えながら、ともかくも三年にわたる厄年を過ごしてきた。
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厄年に入る前年に、私は家族の一人を失ったが、その後にはそれほど著しい不幸には遭わなかった。
もっとも四十二の暮れから、自分で病気にかかって今でもまだ前回しない。
この病気のために生じたいろいろな困難や不愉快なことがないではなかったが、
しかしそれは厄年ではなくても、普段に私につきまとっているものとあまり変わらない程度のものであった。
それでともかく生命に別情がなくて、今日までは過ぎてきた。
それで結局、これから私はどうしたらいいのだろう。
厄年の峠を越えようとして、私は人並みに過去の半生涯を振り返って見ている。
もう昼過ぎた午後の太陽の光に照らされた過去を眺めている。
そして人並みに恥じたり悔やんだり惜しんだりしている。
あったことはあったのだと幾百万人の繰り返した言葉をさらに繰り返している。
過去というものは本当にどうすることもできないものだろうか。
私の過去を自分だけは知っていると思っていたが、それは嘘らしい。
現在を知らない私に過去がわかるはずはない。
原因があって結果があると思っていたが、それも誤りだし、結果が起こらなくてどこに原因があるだろう。
重力があって天体が運行してリンゴが落ちるとばかり思っていたが、これは逆さまであった。
英国の田舎である一つのリンゴが落ちてから、後に万有引力が生まれたのであった。
その引力がつい近頃になって、ドイツのあるユダヤ人の鉛筆の先で新しく改造された。
過去を定めるものは現在であって、現在を定めるものが未来ではあるまいか。
それともまた現在で未来を支配することができるものだろうか。
これは私にはわからない。おそらく誰にもわからないかもしれない。
このわからない問題を解く試みの方法として、私は今一つの実験を行ってみようとしている。
それには私の過去の道筋で拾い集めてきたあらゆる宝石や、土の塊や草花や昆虫や、
たとえそれやミミズやウジ虫であろうとも、一切のものを現在の鍋にぶち込んで煮詰めてみようと思っている。
それには個人が残してくれたいろいろな香料や私薬も注いでみようと思っている。
その鍋を火山の火にかけて一晩置いた後に、一番鳥が鳴いたら蓋をとってみようと思っている。
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蓋をとったら何が出るだろう。おそらく何も変わったものは出ないだろう。
はじめに入れておいただけのものが煮ただれ、煮固まっているに過ぎないだろうとしか思われない。
しかし私はその鍋の底に溜まった煎汁を目をつむって飲み干そうと思う。
そして自分の内部の機能にどのような変化が起こるかを試験してみようと思っている。
もし私の目や手に何らかの変化が起こったらその新しい目と手で私の過去を見直し作り直してみよう。
そしてその上に未来の足場を立ててみよう。
もしそれができたら薬土酒というものの意義が新しい巧妙に照らされて私の前に現れはしまいか。
こう思って私は過去の旅行カバンの中から手探りにいろいろなものを取り出して並べてみている。
まずいろいろな書物が出てくる。
大概は汚れたり蝕んだりしてもう読めなくなっている。
さまざまな神や仏の偶像も出てくるが一つとして欠け損じて似合いのはない。
茶化粧に変わった原芸や薔薇の花束や半分食いかいだリンゴもあった。
修学章書や辞令書のようなものの束ねたのを投げ出すとカビ臭いチリが小さな渦を巻いて立ち上った。
定規のようなものが一羽ほどあるがそれがみんな曲りくねっている。
マスや測りの種類もあるが使えそうなものは一つもない。
鏡が幾枚かあるがそれらに映る晩章はみんな歪みねじれた形を見せる。
ものさしのようで半分赤く半分を白く塗り分けたものがある。
私はこの簡単なものさしですべてのものを無造作に可否のいずれかに欠するように教えられてきたのであった。
カルタのような筆の片側には字反対の側にはたと書いてある。
私は時と場合とに応じてこの筆の裏表を使い分けることを教えられた。
見ているうちに私はこの雑多な品物のほとんど大部分がみんな貰い物や借り物であることに気がついた。
自分の手で作るか自分の労力の正当な報酬として得たもののあまりに少ないのに驚いた。
これだけの不細を弁際することが生涯にできるかどうか疑わしい。
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しかし幸か不幸か、再見者の大部分はもうどこにいるかわからない。
ひと巻の絵巻物が出てきたのをひも解いて見ていく。
はじめの方はもうぼろぼろに朽ちているが、それでもところどころに比較的鮮明な部分はある。
生まれて間もない私が竜紋の恋を染め出したチリメンのうぶぎに包まれ、
まだ若々しい母の腕に抱かれて三能のヤシロの石段を登っているところがあるかと思うと、
馬蹄に手を引かれて長屋の大須観音の広庭で玩具を買っている場面もある。
寂しい田舎の古い家の台所の板まで袖なしを着て館畜の甲の皮を剥いているかと思うと、
その次には遠い西国のある学校の前の菓子屋の二階で同居の学友と人生を論じている。
下屋のある町の金菓子の婆さんの二階に曲がりして裏若い妻と
七輪で飯を炊いて暮らしている光景のすぐ後には、
幼い子と並んで生々しい土饅頭の前にぬかずく寂しい後姿を見出す。
ティアガルテンの冬子たちや、オペラの春の夜の人の群れや、
あるいは地球の北の果ての寂しい港の布団や、
そうした背景の前に立つわびしげな旅客の絵姿に自分のある日の肩影を見出す。
このような切れ切れの絵と絵をつなぐ言葉書きがなかったら、
これがただ一人の自分のことだとは自分自身にさえわからないかもしれない。
巻物の中にはところどころに真っ黒な墨で塗りつぶしたところがある。
しかし、そこにあるべきはずの絵は、実際絵に描いてあるよりも幾倍も明瞭に墨の下にすいて見える。
不思議なことには、巻物の始めの方に朽ち残った絵の色彩は、
目の覚めるほど美しく保存されているのに、後ろの方になるほど絵の具の色は混濁して、
次第に鈍い灰色を帯びている。
絵巻物の最後にある絵はよほど奇妙なものである。
そこには一つの大きなガラスのハエ取り瓶がある。
その中に閉じ込められた多数のハエを点検していくと、
その中に混じって小さな人間がいる。
それがこの私である。
瓶から逃れ出る穴を上の方にのみ求めて、
幾度か目玉ばかりの頭をガラスの壁に打ち当てているらしい。
まだ幸いに器底の巣の中に溺れてはいない。
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自由な空へ出るのには一度瓶の底をくぐらなければならないということが、
ハエにも小さな私にもわからないと見える。
もっとも瓶を逃れたとしたところで、
外界にはいろんなハエ打ちやハエ取りグモがうかがっている。
それを逃れたとしても必然に襲うてくるハルサムの脅威は避けがたいだろう。
そうすると瓶を出るのも考えものかもしれない。
過去の漁道から取り出される品物にはほとんど限りがない。
これだけの品数を一度に入れ売る鍋を自分は持っているだろうか。
鍋はあるとした上でもこれだけのものを沸騰させ煮詰めるだけの燃料を自分は蓄えてあるだろうか。
この点に感慨を呼ぶと私は少し心細くなる。
薬土師の席を過ぎた私は立ち止まってこんなことを考えてみた。
しかし結局何にもならなかった。
薬土師というものの科学的解釈を得ようと思ったが失敗した。
主観的な意味を求めてみたが得たものはただ取り留めのつかぬ妄想に過ぎなかった。
しかし誰か薬土師の本当の意味を私に教えてくれる人はないものだろうか。
誰かこの影の薄くなった言葉を生かして始終の惑いを解いてくれる人はないだろうか。
大正10年4月中央口論
1997年発行 岩波書店
寺田虎彦全集 第3巻
より独了 読み終わりです。
薬土師ね、統計論だと思うんですよ。
男の人はこの年齢ぐらいにいろいろ体調が変わるよねみたいな。
女の人は30代にいろいろあるよね。
女の人性差の性別の差の話をするのもなんかあれですが。
昔の時代に照らし合わせてみれば女の人は多分20代30代で子供を産んで
例えば産んだ後体が大きくなってちょっとふっくらしたまんまとかで体調崩すっていうかホルモンバランス変わるとかね。
男の人も40過ぎると。
20代に1回会って40代でしたっけ男の人は。
僕もそろそろ薬土師に突入していくんですけど。
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おならが増えたなって思いますね。
プンスコプンスコなんかお腹ぐるぐるしてるなっていう感じです。
穴がち間違ってないような気がしますよね薬土師ってね。
薬土と飲むヨーグルトを毎日摂るようにしてます。
あ、そうそう。他の人のポッドゲストを最近聞いてるんですけど。
ゆとたわっていう女性の2人組の方がこの前話したんですが。
今ジャパンポッドキャストアワードというショーがあるらしく。
それにぜひ投票してねっていう呼びかけをリスナーさんたちにしてらっしゃいました。
それを見かけて僕も自分に一票入れてみたんですが。
もしかしたら僕のは対象じゃないかもしれないな。
先行対象じゃないかもしれない。
5本以上配信されているコンテンツであること。
日本語研向けコンテンツであること。
この2つはバッチリなんですけどね。
1個目の項目にオリジナルの音声コンテンツであることって書いてあって。
どうですかね。文学だからな。エッセイを読んでるからな。
僕の言葉じゃないんだよな。
ということで一応1票僕が入れてみたけど。
投票先が3つまで選べたので。
3つ目どうしようと思った時に僕のポッドキャストの名前を入れてくれたら嬉しいです。
といったところで今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。