00:01
ネオ五条楽園のヤブタ公平です。今週も、陽一くん多忙につき、私の一人語り会となっております。
これまで、私の一人語り会では、恋愛相談を頼りであったりだとか、恩師の話、
幼少期の日記の音読や、ネオ五条楽園のスタンスについて、などなどお話ししてきたのですが、
今週は珍しく、好きな作品について一人でお話ししようかなと思います。
というわけで、今週もお付き合いください。ネオ五条楽園。
本題に入る前に、少し自分の話をしようと思うんですけれども、
私は京都の紫野という町の出身なんですけれども、ここが坂道の町なんですね。
学校に行くときは、自転車で下り坂を駆け下りて、帰り道は自転車を押しながら、
登り坂をとぼとぼ歩いて家に向かう。
この夕方から夜にかけての帰宅時間の雰囲気と、自転車を押して登り坂を上がっていくこの気だるさ、
みたいなものが、自分にとって、自分の日常はつまらないんだ、というような負の感情を体に流し込む装置みたいになってしまっていた時期がありまして、
ひねくれた10代ではあったものの、別に友達がいないわけでもなく、何なら彼女もいましたし、
部活でやってたバスケ部ではスターメンでしたし、ギターも弾けたし、勉強は全然できなかったんですけど、
相対的に見れば、割と充実した高校生活を送ってはいたんですね。
それでも、どこかで、今この瞬間は本来の自分が過ごすべき時間じゃないのかもしれない、といった、
まるで複数ある平行世界の間違った方を選択してしまったような、特に何か具体的に成し遂げたいことがあるわけでもないのに、空虚さをはらんだ日々を送っていました。
時は流れ、大学2年の時に、そんな自分自身の表層的には見えない部分を投影したかのような作品に出会ったんですね。
03:02
僕の実家の近所にあるビデオインアメリカ大特児展っていうレンタルビデオショップの洋画コーナーで見つけた映画、ゴーストワールドという作品でして、
いかにもサブカルっぽい、ナードっぽい女の子が二人並んだそのパッケージに魅力を感じたんですけれども、
この作品はダニエル・クローズによる1997年に出版されたオルタナティブコミックっていうジャンルなのかな。
それを元に2001年にテリーツ・ワイゴフ監督によって実写化されたアメリカの映画作品となっております。
簡単にちょっとあらすじを説明しますと、ロサンゼルス郊外の退屈な街に住む幼馴染のソーラ・バーチェ演じるイーニドとスカーレット・ヨハンソン演じるレベッカ。
二人はいわゆるはみ出し者同士で、共に高校生活や家庭に対して冷たい感情を抱いており、第二の仲良しだったんですけれども、
高校を卒業した後に彼女たちが二人で共同生活する計画を立てるものの、しばらくは進学も就職もせず、つまらない街でブラブラと時間を潰すというような日々が続いていたんですね。
そんなある日、二人はいたずらで出会い系広告に応募して、その広告主であるレコードコレクターの中年の男、シー・モアという人と出会うんですよ。
イーニドは自分と同じく世間に馴染めずに生きている彼にシンパシーを感じて徐々に親しくなっていくんですけど、
イーニドがシー・モアと仲を深めていく一方で、レベッカはコーヒーショップで働き始めます。
働きながら少しずつ自立しようとしだす彼女と、世間一般のシステムに馴染めないままのイーニドは、だんだんすれ違っていくというような過程を淡々と描いたストーリーなんですけれども、
大雑把に言うと、イーニドに共感した人たちが支持した作品なんですよね。ゴーストワールドっていう作品は。
大半の人がレベッカよりかはイーニドの方に肩入れをしている。
要は、生きづらさを感じる人たちが結構好んでいる傾向が強い作品なんですよね。
僕も先ほど述べたような、充実しているはずなのに、どこか心の底で退屈を感じながら高校生活を送っていたので、最初はイーニド派閥に近かったんですよね。
ただ、大人になってから25歳ぐらいの時かな、東京の奥渋谷にあるSPBSっていうセレクト系の本屋さん。そこが好きでよく行ってたんですけど、そこでこのゴーストワールドの原作の漫画の本、日本語翻訳版を見つけたんですよね。
06:06
たぶん探せば、大きめの本屋さんなら割とどこでも売ってるっぽいんですけど、せっかく東京まで来たならっていうので、たまたま見つけた、ずっと欲しいと思ってた横波治っていう写真家の写真集と合わせてゴーストワールドの漫画も買ったんですよ。
漫画をその時に読んで、久々に映画も見返したりして、最近もまた原作と映画、両方見たんですけど、やっぱり10代の頃とか学生の頃より感じ方が結構変わりまして、
それはレベッカの気持ちもわかるようになったっていう点ももちろんあるんですけど、単純に肩入れ具合が変わったんじゃなく、学生時代の自分がイーニードだったとすると、大学を出て一般企業に就職をした自分はレベッカだったんじゃないかなっていうふうに思いまして。
原作と映画で少し設定は違うんですけど、レベッカはイーニードとすれ違っていく時、地元を離れようとするイーニードへの劣等感であったりだとか、
自分は働くことを選んで地元に根付いてしまう自分自身の生き方への疑問を抱えたと思うんですけど、
おそらくレベッカは本当はイーニードみたいになりたくて、イーニードも本当はどっかレベッカみたいになりたかったんじゃないかなっていう。
ゴーストワールドが好きな女の子はみんなイーニードになりたかったり、自分の生きづらさをイーニードに重ねることによって肯定してきた人が多いと思うんですけど、
僕の場合はレベッカになってしまったところからもう一度イーニードに帰りたいみたいな気持ちから、実際に今自分の社会人生活をまた歩み直すことになったんですよね。
僕はストレートで地元の金融機関に就職したものの、本当はもっと自分の可能性を試したり、自分の興味関心の中で働いていろんな世界を知りたいみたいな欲求から、
転職先を決めずに金融機関を退職して、たまたまであった今の印刷会社でシルクスクリーンをお客さんに教えながら、いろんなアートに触れるみたいな生活をしているんですね。
ただ、もちろん前職に比べてお給料もいいわけじゃないし、コロナ禍に突入した時は本気で今の会社を倒産するかと思ったくらい、生活は不安定なわけなんですよ。
今の生活を端的に表すと、楽しさの中でただ死んでないだけみたいな状態でしょうかね。
09:01
それでも前職の時のような、逆に心の死んだ裕福みたいな状態もゴリゴリだったんですよね。
でも、いざ僕が結婚して子供ができたり、どうしてもまとまったお金が必要になったその時は、またレベッカに戻らないといけないかなっていうふうにも思ったりしているわけなんですよ。
金融で働いていただけにも、人生そこまで甘くないっていうのもわかってますからね。
そういうふうに、将来どうしたもんかなっていうふうにぼんやりしている時に、レベッカの状態と良い人の状態、どっちも胸に抱えて揺れている今の自分の感情を描写するように、
決して明るくはない画面の中で、リーニットとレベッカが横並びでテクテク歩いていくシーンが脳裏に浮かぶんですよ。
本当に女の子2人がただ歩いているだけなんですけど、あの映画の中では割と印象的なシーンで。
僕にとっては、ゴーストワールドをただのひねくれサブカル女子たちの友情物語じゃなくて、
誰しもの心の中に揺れる葛藤、それに投影できる文字通り化けることのできるストーリーだなっていうふうに思ったわけなんですよね。
正直、映画やら原作自体の魅力については今まったく触れなかったんですけれども、
映画に関してはとにかくオシャレなんですよ。ファッションやBGMで流れる音楽とかも時代を感じられてとにかく最高なので。
ゴーストワールドはネットフリーとかアマプラにはあるのかな?
どっちにしろこの作品は、ぜひDVDをデッキに突っ込んでテレビで見るっていうフィジカルな体験を通して鑑賞するのもまた一興かなというふうに思います。
サントラは確かサブスクにあるので、よかったらぜひ聴いてみてください。
余談なんですが、僕が去年の6月くらいにゆとりっ子たちのタワーごとの花梨ちゃんと炎ちゃんをモチーフに描いたイラストもゴーストワールドのオマージュになっています。
ゆとタワーを聴いた瞬間に、別世界のゴーストワールドだっていうふうに思った記憶があったんですけれども、
これもまた一つのこの作品の捉え方っていう感じかな。
今回はあまりダラダラ喋らずに、ラジオトークの一人語りみたいに何かについて語るっていうのをやってみたんですけど、いかがでしたでしょうか。
私も自分自身と社会っていう対比やそれによる葛藤を投影した作品があるよって方は、ぜひまたお便りで教えていただければと思います。
12:03
そんな全ての宛先はneo.gojo.paraiso.gmail.com。5条の5は数字の5でございます。
他にもお便りいただいているんですけれども、それはまた次回、洋一と2人で収録の時に読ませていただきます。
というわけで、ネオ五条楽園は週1回か2回どっかのタイミングで配信といつも言っておりますが、今回も一人語りにつきアフタートークはございませんので、今週はここまで。
他のエピソードもさかのぼってぜひ聞いていただければと思います。
それでは、see you!