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おはようございます。
ニューコモン商会のラジオローカリアンズです。
音楽とかは入ります。
今日はちょっとね、三河屋に来ております。
出張してきました。
三河屋ってそもそもどこ?
浜松の中心ですね。
中心?中心のライフスタイルじゃない。
中心とは?
まあ、あれかな?
地下シーンとかランドマークみたいなところで言うと
まあ、秋葉海道じゃないですか。大森町の。
ああ、はい。
わかりやすく言うと、キルヘボンカルチャーと来たところ。
ああ、なるほどね。
そういう感じか。
そうだね。
8時半にちょっと集まっていただいてるんですけれども、
今日はちょっとゲスト回ということで、
お二人、スクー、お二人をちょっとね。
スクー?
来ていただいております。
グラムのマキさんと、プラスチックの鈴木陽一郎くん。
お願いします。
4人でちょっと喋っていきたいと思います。
お願いします。
じゃあまず最初にマキさんからちょっと簡単に自己紹介とか
どんなことやってるよっていうのをちょっと。
私はこの今いる三河屋から歩いて2分くらいのところに
グラムっていう河原をコンセプトにしたカフェがあるんですけど、
そちらで私の家業が投げ戻産業っていう河原屋なので、
河原の良さみたいなものを見直しつつ発信していくみたいな感じで
お店をやってます。
なんで河原?
なんで新しい可能性をセキュリティにしてるんですか?
なんかその自分がずっと違う業界にいて、
会議を手伝おうってなったのが5年前。
ちょうど5年前で、5年前に会議を入った時に
私はずっと生まれ育った家が会社と一緒だったから
ずっとそういう職人さんとかデイリーさんとか見て育ってたんだけど
めちゃめちゃ元気ないなと思って、会社というか業界が。
でもそんなもんなんだって最初思ってたんだけど、
だけど自分が何もできないから、会社で。
何も知らないし何もできなくって。
聞かれても答えられないし、
いろいろ調べていった時に全然河原ってまだ可能性あるじゃんと思って
03:00
それを伝えたいっていうか、
知ってもらうと面白くできるんじゃないかなと思ってた時に
それこそいろんな出会いがあって
なんか面白いじゃんって言ってくれる。
なんだろう、2割ぐらい面白いじゃんって言ってくれました。
2割ぐらいはちょっと無理なものは無理なんじゃない?
本当に2割ぐらい面白がってくれる人がいて
別に河原もいいと思っているかどうかは分からないけど
河原も面白いし牧さんも面白いから
なんか面白いことできたらいいよねって言ってくれる人たちがいて
それに励まされてお店を出しちゃったっていう感じですね。
カフェですね。
カフェとワークショップもできたりとか河原の施工型の体験。
今オープンして何ヶ月?
今ね、1年半ぐらい。
1年半?そんな早いですよね。
去年は3月。2023年3月にオープンしました。
どうですか?
でもなんか思った通りになってるなっていう感じ。
意外とARやってるように、勢いでやってるように見られがちなんだけど
結構計画する。
緻密な絵がイメージがあるんですね。
こういう風にしたいみたいなのが
なんか描けないと私は割と動けないので。
ビジュアルキャリアは?
キャリアは信用金庫。
そこらへんの性格がちょっとな。
そうかもしれない。
意外と硬い。
意外と硬い。
その描けるっていうのはビジュアルでってこと?
それとも事業的に?
事業的に。これをこうしたらこうなるんだよな。
こういう人が何人くらい来てっていうのが浮かぶってこと?
浮かばないとか、それをやった先にどうなるだろうみたいなのが
ある程度描けないとできないから
それでグラム始めるときとかは結構それが
その通りになっているなみたいな感じはありますね。
狙ったものはちゃんとそうなった。
でもそれがやっぱり1年半くらい経って
一段落しちゃってるから
どこからまたどうしていきたいんだろうみたいなのを
今考えてるところに落ちてます。
それはメニューとかのところもそうだし
来る人とかもこういう人に来てほしいなとか
だから席数はこのぐらいにして
どういう雰囲気の店内にして
出すものも、うち結構少ないんで
ランチとかもやってないから
こんなランチやったりしたらたくさん人来るだろう
とかも分かるんだけど
あえてそれやらなくても
ちゃんと自分の目的が達成されるかどうか
だから私はあそこで話をして
自分を知ってもらったりとか
単純に日々の売り上げがこれだけいけばいいとかではなくて
06:01
話をとにかくできることみたいな
会いに来てくれる場所であること
みたいなのをベースに作ってるから
そういう意味ではそれは達成されていて
かつでも会社の宣伝もしないといけないから
そういうのはさっきもチラッと
この収録前に話してたけど
メディアの人がわりと興味を持ってくれて
面白がってたくさん
取材に来てくれたので
そういう意味でも達成されたんじゃないかなと
本業の自中にもつながってるみたいな
一応はつながってる
素晴らしいですね
なるほど
続いて陽一郎さんお願いします
素晴らしい 鈴木陽一郎です
普段は店舗の設計
主にリノベーションが多いんですけども
店舗の設計であったりデザイン的な部分で
いろんな事業者の方と協力しながら
新しいお店づくりみたいなものをしております
今日のポッドキャストの会場の三河屋も
設計させていただいております
薪さんのお店も同様にやらせてもらっています
基本的には街中で
そういう新しくお店をやりたいよみたいな方から
声をかけてもらって
一緒に協働するっていう形が多いですね
あとは
その流れで今薪さんと
もう一人三河屋の管理人の大畑さんっていう
男の人がいるんですけど
その3人で
浜松ヤモリ社Qっていう
ヤモリ社?
薪を使っていく会社
っていう株式会社を立ち上げて
去年から活動しています
Q
なんでQ?
聞かれるよね
Qは聞かれるんですけど
もともとから浜松ヤモリ社コーンがあるじゃないですか
サランクロス
あれはお祈りさんがあるから
キツネの鳴き声でコーンだよって言ってて
ヤモリ社作る時に
ゆめ子さんにもヤモリ社作っていいですか?
って聞きに行って
その経緯を示して
私たちも動物の鳴き声にしよう
それで何がいいかなって言って
ペンギンが好きだって大畑さんが言うから
ペンギン好きだ
白と黒だから
ペンギンが好きだって言うから
ペンギンの鳴き声調べるって言って
調べたらQって出てきたから
Qにしようって言ってQにしたんだけど
だけどその後調べたら出てこない
ペンギンの鳴き声
空間が消え去った
ペンギンの鳴き声は
会社作ろうってなったのは
名前決めた時も
飲んでる時に決めて
飲みながら会社にしようよみたいな感じになって
その時に検索した時はQ
多分開かないの
扉が開いたんだよ
先生の話?
09:00
ペンギンの赤ちゃんがQって鳴く
みたいな話もあったりなかったり
鳴きそうだもんね
鳴きそうですよね
でももっと可愛くない?
ギューみたいな感じの鳴き声らしいんだけど
全然可愛い鳴き声じゃないけど
そこからとって
でもペンギンって
ハドルを組んで
子供を守る
ペンギンが寒いから
丸になって
風から防いで
火を守るみたいなのがあって
そういう街に対して
空き家とか
そういうのに対して
いろんなスキルがある人たちが集まって
守っていくみたいな会社にしよう
後付けです
後付けストーリー結構しっかりしてるパターンね
そういうの得意だから
こじつけていく
そういう話をうまきさんと大畑さんがしてて
株式会社つくろうと思ってる
3人で飲んでた?
2人で3人で飲んでた
もう1人いて
他にもいないけど
2人でつくって
盛り上がって
僕も株式会社立ち上げるの
ちょっと面白そうだなと思ったから
ちょっとまず出てきて
そういう感じなんだ
4つのさんいなかったら無理だと思う
今の無理だしやってなかったと思う
2人だったらたぶんやってなかったとは思うけど
大畑君とまきさん漫才みたいな
確かに英語ね
でも私も大畑さんもそれぞれやりたいことあって
そのために会社にしたらいいよねって言ってたけど
私は専門性があるわけじゃないかな
本当に四条さんの設計っていう技術もそうだし
発想力とか企画力とかすごいですよ
だからそれが
グラムもぶっちゃけ四条さんいなかったら
できてなかっただろうなと思うぐらい
結構一番最初四条さんに私は
イベント銃器をつくってもらったんですよね
その時に面白がってくれて
淡路島まで一緒に行ってくれたもんね
川原の産地
見に行きたいって言って
大畑さんとかもいたけど
何人かで淡路島見に行って
結構面白いねって言ってくれて
それでお店の設計もお願いしますみたいになって
基本的にはお任せなんだけど
そういう発想力とか
そういうのはすごい
本当に次世代の
日本を代表する
日本を代表する
日本を代表するを
はるかに代表したくない
だから四条さんが設計したお店が
一つ一つの箇所にいくつかあった
数は何個ぐらいある?
結構あるよね
なんだかんだ増えました
それこそ高林さんが前職時代に
12:01
一緒に四条さんと話してもらったり
その時は僕は四条君に頼んで
プロプラスチックの二人に頼んで
あれもすごい楽しい経験だった
一緒にやるのが楽しい
三井が一個あったね
そうなんだ
赤ちゃんのチャンスがあるから
ぜひよろしくお願いします
10とかはある?
10ぐらいあるんですかね
あとは店舗を作りたいってなった人に
でも店舗はまだ場所も決まってないんだけど
とりあえずイベント出店とか
そういうのでまずはチャレンジしてみたい
みたいな人が結構いて
そういう人に頼まれて
屋台みたいなものを
結構作っていることもあります
エピナさんとか
そうそう
街中で言うとエピナさんとか
ダンさんとかミハルとか
その辺の屋台みたいなものを作ってるのが
多分キャラ的にはそれが一番分かりやすく
モバイル感あるよね
何にでもタイヤを付けたい
それがこういう街中で
いくつもそういう幼少さんの設計さんがあると
どれも雰囲気
リノベーションが多いよね
リノベーションが多いから
そこのもともとの雰囲気に合わせているんだけど
結構幼児ろうそくありません?
あるあるある
ありますよね
僕もね
それがすごい面白いなと思って
あと一緒に作ってる段階が
すごい気楽っていうか
でも大事だよね
ペンチファン先生と
やらないといけないじゃないですか
そうだね
私はすごい気楽で
スピード感とかもね
そんな早くない?
遅い?
遅い
両方遅けば
別にストレスになんないからね
どっちか早い
ギリギリでちゃんとやってくれるだろうみたいな
お尻だけ決まってるやつだけは言っとくみたいな
いつまでにやらなきゃいけないからね
みたいなだけ言っとくと
それまでは言ってくれるね
三河屋も多分そういう感じで
もともとは自分たちで
全部セルフリノベーションするみたいな話で
ずっとソウジからやっていた場所なんですけど
結局複数人でやってると
共通のビジョンというか
絵がない状態なんで
だんだんみんなの気持ちがバラバラになっちゃって
スピード感とかも違うし
ってなった時に
それを調整する役割として
具体的な絵を描いてっていう形で
頼まれたのがスタートですね
最低限やればいいっていう話で動いてたけど
その最低限っていうのを
どういうところに落とし込むかっていう
それはすごいと思う
絵で見せるのもそうだし
文章とか作って
言葉でまとめるっていうのも
そんな褒めなくていいんですよ
ごめんね
本当に褒めて
写真もね
15:00
写真もできるしね
コーヒーも入れられるしね
でも脱力してるじゃないですか
すごい張り切ってないかな
アーバン百姓
いい編集
アーバン百姓
脱力してるから
それがすごいバランスいいなと思って
それはQの中でも
タッチとしてめちゃくちゃ大きいと思う
太田さんと私だけだと
たぶん口でこういうことやりたいよねって言ってても
それこそ形にできないのを
たぶんやりたいんだよねって話してると
絵描いてきてくれたりするから
Qは具体的な物件みたいなのはあるんですか
Qとしては今はロビーかな
北田町ロビーっていう
グラムから歩いて1分くらいのところの
L字型の建物
新川沿いの
一応7月に2回は入居者さんが入ってくれて
大杉さん
大杉さんと宮下さんが
デザイナーの
事務所として2回使ってくれてて
1回が幼児楼の広報になっているのを
シェア広報にした
だんだんみんなが使う広報に
街中で
何か作業を聞いて
それを時にはイベント的に使ったりとか
できるような場所に整っていきたい
素敵っていうか地道に素敵な感じになってきてる
三河屋がでもできてから
3年?今4年で
増えたよね
三河屋が良かったのは
ここ2面道路に面してて中もよく見えるんで
分かりやすく何か変わったんだなって
元々は日用品店で
4,7,8年ぐらいずっとシャッターが閉まってたところが
開くだけで街にとってインパクトがでかい
これを見て今回も新しいお店ができて
あれとかもここができて
だったらうちも何かできるかも
それはすごい良かったなって
割と人類の人がいい
終わり町とか不言文くらいの人
感じるのは元々ここって
二股まで商店街だったんですよね
ずっとここがあって
店がたくさん並んでて
一番メイン街道だもんね
フライバスとかできるまで
そういう時代を知ってる人がまだいて
この辺のエリアは
にぎやかにしていくことに対して
あんまり抵抗感がない人が多いなっていう印象が
本当に住宅街で
何か変な奴が来たとかじゃない
じゃなくてにぎやかになっていく
ちょうどよく無関心って
若い世代とかいるんです
18:01
高齢化してて
おじいちゃんおばあちゃんが
そういう関与だよねみたいな感じなのか
良い感じに入り混じってるイメージが
このエリアがちょうどいいのは
微妙に商業エリアも工業エリアも
住居エリアも混じっている感じ
ちょっと向こうに行けば色んな工場があるし
ちょっと南に行けばお店がもっと増えて
いわゆる街中みたいな感じになるし
でも集合住宅もいいし
住んでる人もたくさんいて
会社とかもあるから
働きに来てる人もいたり学校もあったり
中心部ですよね
駅とかができてぎゅーんって
中心が南に行く前は
寄り抜きというか東海道が一番目抜き通りだから
その松城一応ジョッコン松城
ジョッコン松城
考えると結構
もともとの人事ぐらいというか
高い中心部だったよねっていうのは
あるんですよね
終わり町だから終わりの関連が何かある
松山を呼んできたっていうので
松山町をつくって
でももともとは下垂れって言ってたってことだよね
下垂れっていう町
でもそれが下垂れだから
その終わりから職人さん達が来たから
終わり町に変えた
でももともとの地域住人との交流で言うと
やっぱり大畑さんの安心感みたいなのが
本気
防災屋さんやって
あそこで防災の手入れしたりしてて
結構地域の人と関わったり
接点がある
そう接点があって
いるの大事ですよね
なんかプロデュースしても
誰かに任せちゃってやるよりも
その本人がその辺でちょこちょこやってるみたいなのは
結構でかいです
きちんと穏やかだから
そういうお年寄りからも好かれるっていう
そういうバランスはいいんじゃないかな
最近の町の様子とかはどうですか
新しい人がすごい増えたなって思います
僕が2009年に静岡文化芸術大学に入学して
2012年に卒業して
その後ずっと町中にいるんですけど
やっぱあの当2012年ぐらい
それこそ町中の鳴蕎場とかができた頃にいた人が
やっぱちょっと世代が上がるにつれて
自分の家庭を持って郊外に移住したり
県外に移住したりっていう風に
あの面白い活動をしてた人がいなくなっちゃったなって思うのと
一緒ぐらい新しい面白いことやってるなって思うような人が
町中に住んでるな
移住してきたなっていうのが結構感じます
確かに八百代くんはもうずっと見てるんですよ
21:03
結構みんないなくなっちゃったんですよね
それこそ鍵屋ビルとか403の活動とかを見て
この町の神奈川に来て
移住してきたくちだから
いつ帰ってきたんですか?何年ですか?
2017
僕は2015
第2世代がやってて
みんながやってて
行って帰ってきて
やっぱ建築側でいると403のインパクトは大きかったですね
彼らがいたから僕も浜松でやろうと思ったし
もうちょっと解像度を上げていくと
どういう風な人が入ってきているのか?
やっぱり東京から戻ってきた人とか
海外から戻ってきた人が目立ってるなと思います
三河屋にいる竹山さんもずっとロンドンにいて戻ってきて
今三河屋でホットキャストやってるし
最初の頃に10年前と比べて
人も入れ替わってるけど
なんとなく街で何かやろうとしてる人の頭数とか
総数もちょっと増えてるなみたいなイメージはありますね
そもそもマックさんとか
そういう人も
あと地に足ついてる人がすごい増えたなと思います
地に足ついてる人
10年くらい前はもうちょっと
それ授業として成立しないよねみたいな
けどやってることはめちゃめちゃ面白いみたいな人が
もっと懐かしい
僕が若かったからそういう世代の人が
よく見えてたっていうのもあると思うんですけど
そういうふわふわした人も
逆に今はそういう人が少なくなった気がしますね
世代もあるのかもね
あとはやっぱりそういう双方じゃないですけど
最初はそういうアーティストというか
ちょっとよくわからない人たちが
けどめちゃくちゃかっこいいことやってる人たちが入ってきて
場の空気感を調整しつつ
二世代みたいなのが入ってきて
徐々に地に足をついた人が始まって
街が作られて新しい道が作られていくっていう
パターン的にありそうな
確かに
あと意外とあれもあるのかな
リノベーションスクールも関係してるのかもしれないですね
意外とリノベーションスクールのインパクトは
すごい街にとって大きかったんだなっていう
2014年くらいですもんね始まったのね
それはどういう意味で大きかったの?
何かやったら
何かやりたいんだけど何していいかわからない
っていう人が大量に生まれたと思う
ボラトリアの生産装置になっちゃう
というよりは
かきつけられて面白いことをやりたいみたいな感じで
三河屋とかに来てくれる人がすごい増えたなっていう印象があります
何かやりたいわ
でも私もそこからだからね
24:01
一番最初はね
みんなそうだよね
でも何かやりたいから何かやれる人って本当に
一部なんだなっていうのは
でも自分ではやらないけど
共感してたりとか何かあったら来てくれたりとか
っていう人がいるのもまたいいもんね
だいぶ層が本当に厚くなってるっていう
それは感じますね
それは功績なんだ
関係づくりとかですよね
そういうマインドの情勢的な部分では
すごい役に立ってると思う
確かに三河屋みたいなものが
そういう地ならしなしでポンってある日で来ても
使う人が5人も10人も増えたりとか
周りに店が増えてくとか
空き家を出す人が出てくると
面白いなって思ったのは
三河屋はリノベーションスクールの功績として
グラムだったり三河屋は言われるんだけど
中にいる人は実はリノベーションスクール出てる人だね
私は出てるけど
いないみたいなのも
よく作用してるんじゃないかなって思う
なんとなく
もともとここはね
事業ある人たちが集まってきてるから
三河屋を作る上で一番良かったのは
すごい時間がかかっちゃったってこと
結果的にね
結果的に多分最初に動き始めてから
ここをスタートするぐらいの時まで
2年ぐらいかかったと思う
その間にすごい何人もの人が関わってるから
結果的に色んな人が
自分ごととしてここを捉えてくれることによって
いざ開いた後で
色んな種類の人が来てくれるようになったっていうのが
結果論としてはすごい良かったなって思います
どうしてもお店作るってなったら
僕の立場から言うと
お施設さんの巻さんと設計で
施工者みたいな
3社4社ぐらいな関係性の中で作っちゃうから
お店をできてから広報っていう感じになるけど
ここの場合はそれ以前に
プロセスの段階から色んな人が
加わってくれるのは
良かったことだなと思います
ちょっと公共性みたいなのを
作ってる段階からあった
そこは大畑くんが
家賃として借りてるけど
のんびりやろうやみたいなのがあったから
できたと思います
バチバチでしたけど
バチバチだった
全然進まないじゃんみたいな
浜松の人と
のんびりやろうやみたいな
私はそれ後から
本当に出来上がってるから知った
後から色んな人の色んな立場から聞くと
みんな同じ話してるんだけど
やっぱ目線で全然違うのは
すごい面白かった
みんな変わり口が
ある
27:01
でも別にやっぱりそれを
2年かけたことによって
よく浅見さんが言うんだけど
人と違うのが前提で
やってるっていうか
それを別に良いでも悪いでもないっていうか
どっちが正しいでもないっていうのを
学んだっていうか
みたいな話をする
2年という時間が
作ってくるのに
すごい大きかったんだなっていうのは
だから今もたぶんやれてるっていうのはある
いい話や
やっぱり
街づくりも関わらずしてるとか
ゆっくりやってくるのもやっぱいいよね
それを寛容性みたいに
育みながら
お金と時間が許せば
っていうことですよね
事業計画はなかなか掛けられない
掛けられないね
でも大事ですよね
その感覚はね
ついついね
締め切りに
設定してしまう
せっかちだから
それも重要なんですけど
仕事見るのも重要だし
ライブ宣伝
ツアー出てくるのも重要だし
でもやっぱみんなが
好きになる場所だなっていうのを
近くに来ていろいろやってても
本当に思う
ここ来てこういう場所作りたいな
自分が持ちたいなと思って
グラム作ろうってなったけど
でも私は
いろいろ自分が進んでいく中で
一人じゃないと
できないなってなって
単体で出したら
グラムは複数人では
ちょっと私は無理だな
みたいに思って
外側から中に関わる
みたいな立ち位置になりたい
と思って
こうやってお話聞いてても
僕はやっぱり
それこそ二股大学に
だいぶ北の方に
参上した
物理的に距離が離れてる
やっぱりコミュニティとしての
距離も多少
あるっていうのもあるから
初めて聞いた話ってすごい多かった
面白いね
二股の広がり方とは
全く違う
違うし
それこそ一人一人の
さっき語り口が違う
一つの物事に対しても
いろんな捉え方が
あったりだとか
アウトプットの仕方があるんだな
そういうものを
さらに聞いていきたいな
って思うとか
改めて感じますね
三河屋の空間自体と
そこに入ってる人たち
いいバランスで
似合ってる感じません?
あとは今
三河屋が4年目
2020年オープン
そろそろでも
とはいえ
コミュニティみたいなものが
30:00
出来上がっちゃってくるタイプ
そっかそっか
出来上がってきてしまうと
途端に閉鎖的になっちゃう
そうなんだよね
二人とも場所運営してるから
そういうフェーズって来るよね