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#1 同級生と始めた学生起業から、IT企業の社長へ
2026-11-02 21:31

#1 同級生と始めた学生起業から、IT企業の社長へ

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記念すべき#1のゲストは、株式会社HIROKA代表取締役の山口譲司さん。大道銀天街にうずコワークを構え、この番組に収録スタジオを貸してくれている"恩人"です。

宮崎の大学時代、同級生と始めた学生起業。就活も研修も経験せず、在学中に作ったシステムは今も稼働中(…のはず!)。会社の売却と再出発を経て、HIROKA設立にたどり着くまでのエピソードを語っていただきました。

宮崎から東京、そして一度も訪れたことのなかった徳島・鳴門へ。山口さんの「Jターン」の物語は、#2へ続きます。


オープニング
ゲスト紹介・HIROKAってどんな会社?
「ゲームを作りたい」から始まった学生起業
就活ゼロ、学生のまま仕事を受ける
会社の売却、そして個人での再出発
2013年、HIROKA設立へ
エンディング


出演:河野伸児(MC)/山口譲司(株式会社HIROKA 代表取締役)

本番組は、鳴門市のインキュベーション施設UZULABで実施された「うずCo-creation」をきっかけに生まれました。
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なるとおおみち放送局
徳島県鳴門市・大道銀天街からお送りしています

▼ご感想・出演リクエスト
naruto.omichi.broadcasting.office@gmail.com
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サマリー

鳴門市大道商店街のIT企業、株式会社ひろかの山口社長を迎え、会社の事業内容と宮崎から鳴門へ至る経歴を聞く。山口さんは宮崎大学在学中、同級生とインターネット技術を使った事業を始め、ホームページ制作や業務用ソフト開発を手がけた。学生時代に受けた倉庫管理システムの仕事は、現在も稼働している可能性があるという。その会社を卒業後2〜3年で売却し、グループ企業のIT部門で働いた後、方向性の違いから円満解散して個人事業として再出発した。2013年、医療系フリーペーパー事業への補助金採択を機に法人化し、株式会社ひろかを設立した経緯が語られる。東京・鳴門への展開やJターンの詳細は後編に続く。

株式会社ひろかと山口社長の紹介
さあ、今日も始まりました。 徳島県は、なると市の大道商店街からお届けする、なるとおおみち放送局でございます。
この番組は、なると市、いや徳島県で活躍する、これから活躍したい老若男女が登場し、思いの丈を語りまくる番組でございます。
さあ、一体今日はどんなゲストが登場してくれるのか、楽しみでたまりません。 それでは最後までお聴きください。どうぞ!
はい、なるとおおみち放送局。改めまして、MCを務めさせていただきます。 ムーチャスカワノと申します。聞いていただきまして、大変ありがとうございます。
記念すべき第一回目のゲストは、やはりこの方しかおりますまい。 このなるとおおみち放送局のですね、発祥の地でもあります。
なると市大道商店街の株式会社ひろかさん。このスタジオをお借りして放送しているわけですが、株式会社ひろかさんと代表取締役、山口定司社長でございます。こんにちは。
こんにちは。よろしくお願いします。山口です。 ありがとうございます。こんにちはと申しましたが、この収録は大変夜でございまして、
しかも、御社がお休みの時、またこのですね、あのひろかさんとスタジオをお借りしているということで、もうこのスタジオがあったからですね、僕たち放送局は立ち上げることができたわけでございますけども、いつも多
大なご協力をありがとうございます。
これを放送室と曲と呼んでいいのか。 いや、もう僕たちにとってはもう心のふるさとでございます。
前置きが長くなりましたけども、第1回目のゲスト、山口定司さんでございますので、この放送局の方向性を決める重要な役目を果たしていただいております。
大変な重荷です。決まってしまうんです。 いやもう、第1回目のゲスト、誰にしようかな、誰にしようかなと思って、いろんなところにオファーをかけたんですが、手紙を書き、メールを送る。
もうあれですね、足を使い、あの方に断り、あの方に断り、いやそれは冗談でございまして、もう1回目は山口さんにお願いしたい、そんな気持ちで、もう一本振りで声をかけさせていただいたところ。
ありがとうございます。 心よく引き受けてくれました。 大変光栄なことです。 ありがとうございます。もう大好きでございます。
2人で、楽に。 そうですね、ちょっと緊張気味です。 いつも通りの定司さんが今日もここにいるなという感じで、私が知ってる定司さんでございます。
よかったです。あんまり喋る方ではないので、ぜひ引っ張っていってください。 いやもう、揉み替えでは定司さんが仕切って仕切って、もう帰らしてって言うのにもう一件もう一件みたいなことで、定司さんを誘ったら
もう御前様になるんで。
最近実はもう意識的に誘ってないんですが。 いやいやいや。 冗談でございます。山口社長の人となりを紐取りでいきたいわけでございますが、まずこの株式会社ひろかさんが、この鳴門市大道商店街に、
鳴門営業所、鳴門事務所を作っていただいてからの私お付き合いでございまして、商店街で私も理事長をさせていただいている手前ですね、ここに新しい会社ができますみたいに、もう事務所が完成する前からご紹介いただ
いて、大道でひろまねをお会いした時に、あの時から私も勝手にシンパシー感じてるんです。
そうなんですか。 メッサ好みのタイプだな。失礼しました。思ったりしたんですが、株式会社ひろかさん改めまして、どういう会社さんでしょうか。 そうですね、もうわかりやすく言うとITの会社ですね、システムを
開発するとかアプリを作るとか、ネットワークをつなぐとか、そういったわかりやすい説明だとそうなります。
だからジョージさんはあれですね、あのパソコン関係とかいろんなシステムのこととか、もう本当に熱に浮かされるように何を話しかけてももうシステムシステムシステム連呼されていますが、もうお仕事がそういうシステ
ム開発の会社ということですよね。
で、ナルト事務所ということですが、本社がまた別の県庁所在地に構えられているという。 そうですね、今は本社が東京にありまして、その後、ナルト市と宮崎市ですね、この3つの拠点でやらせてもらっています。
宮崎大学で始めた学生起業
宮崎市というのは、もう改めてお聞きしますが、ジョージさんの出身地ではないのかと思うんですが。 はい、おっしゃる通りですね。ありがとうございます。あの宮崎市ご出身で、どういういきさつで会社を立ち上げて
このナルトにやってきてくれたのかということをですね、幼い頃から思い出話を聞かせていただければ幸いなんですが。
幼い頃から。長くなりそうですね。もう十分時間とってください。逆に言うとこの逆にって意味がわからないですけど、この大道放送局、伸ばし放題でもあるし、切り放題でもあります。好きなように語っていただいて
いいんですが。そうですね、いっぱい喋っていいところだけとってという。もちろんです。もう優秀な編集者がおりますので、もう何なら私の声がすべてカットされている可能性もありますので。まあそんな感じで2人で行
くわけですけども。
宮崎市出身。生まれも育ちも宮崎市。そうですね。厳密に言うと生まれは宮古城というところで。小学1年の時に宮崎市に親の転勤というか都合で引っ越してきてずっとそこから宮崎市ですね。じゃあもう宮崎市の方が宮崎
県の中でも長いという。
じゃあもう小学校1年の時に県内状況を果たされたわけですね。そうですね。宮崎市というとやはり県庁所在地で一番その町も大きく人口も多いところですよね。そこで小学校1年生からずっとおいくつまで。
そうですね。40前後ぐらいですかね。そのあたりで、母が退会したので実家みたいなのがなくなったので、そのあたりまでが宮崎にずっといたというような感じですかね。
そうなんですね。なんかジョージさんすごくバリバリ10代から県外に出てお仕事しまくってたイメージを勝手に持ってるんですが、40歳までは地元でお仕事されてたという。そうですね。主に宮崎ですね。
株式会社ヒロカをその時から宮崎県でやっていたという。そうです。ヒロカが2013年の設立なんですね。2013年設立。そうなんですね。ジョージさんがおいくつと。35、6ですかね。そうなんですね。もう高校
も行かずにヒロカ立ち上げたみたいなイメージを勝手に持ってましたけども。実は結構成人されて社会人になられてからの立ち上げ。
ヒロカで見るとそうなんですけど、私個人で見ると会社を作ったのは大学在学中というところで。やはりやってるんですね。大学在学中に会社を立ち上げることになったいきさつというのは。
そうですね。大学2年か3年ぐらい。2年生だったかな。大学の同級生と会社したいよねというか。インターネットの技術が出始めたばかりだったので、この技術を使ったら今までにないものが作れると。その業界で仕事を
作って会社を作りたいなと。
というところで、友達同士に集まって会社やろうぜというのからスタートしてますね。
そういうパソコンを駆使するというか、そういうIT関係の大学だったんですか。
そうです。学部、学科がそうですね。私は地元の宮崎大学というところに入ったんですけど、その中の情報工学科というところがありまして、そこはもう本当にパソコンでプログラミングをする、勉強をするんですね。
その中で開発するという基礎知識が身についたというところがあります。
じゃあ結局そういうシステム開発とか、そういったご仕事が好きな、その世界に行きたい若者が集まっているような学科と言ってもよかったんですかね。
そうですね。でもまあマッチマッチでしたけど、本当にオタクのような人たちと、なんかこうパソコン使えていいなっていう人たちと。別にそうでもないけど、今からパソコンだみたいなダサんで入っていくみたいな。
はいはいはいはい、中に入ってきたみたいな方もいらっしゃったんですけど、ではその広かの原型となる大学生の時に立ち上げたジョージさんの山口社長の仲間たちはオタクというか、もうパソコンが好きでたまらない、パ
ソコン抱いて眠るような人たちだったわけですか。
それがですね、全く違ってですね、一人はオタクというよりも、もうなんというか、オタクというよりもなんかプロ感があって、変態だったんです、なんかね。
早速、早速、もう何ならパソコン学ぶというか、自分でパソコン作っちゃうよぐらいに。
そうですね、私から見ても天才肌だと思ってたので、多分何か作ろうと思ったら彼に頼めば作れるだろうと。それぐらい安心感というか頼りになる能力があったので。
えー、もうこのメンバー揃ったな、ちょっとじゃあ会社立ち上げてみようかみたいな、自然にそんな話になっていったっていう。
ゲームの夢から業務システム開発へ
そうですね、まあもともとみんなそういう気持ちがあったんだと思うんですけど、なんか会社でやりたいよねとか、もともとのもっとわかりやすい動機は、ゲームを作りたいみたいな気持ちのゲームたちだったんです
よね。
あれですか、その今ファミリーゲームで有名な色々な商品がありますが、そういったソフトを作りたいみたいな。
そうですね。
だったんですね、それでゲームが好きで皆さん。
そうですね、ゲーム好きでしたし、やっぱり作ってみたい、やっぱり作る側に行きたいという気持ちがみんなありましたね。
あー、なるほど。有名なゲームメーカーありますが、もうそこに例えばこうシステムをソフトを作って売り込もうぜとか、何なら自分たちでゲームメーカーになってやろうぜみたいなイメージですかね。
ただ結構現実的に見てて、ゲームを作るのは大変だぞと。もう寝るまま推しんでやってるイメージがあって、しかももうその頃本当にプレステが出て、2が出てとかそれぐらいのタイミングだったので。
それぐらいなんですね。
そのゲームを見てると、このゲーム作るのは無理じゃないかと。簡単じゃないぞと。
ましてや大学生数人で。
やったらゲーム会社に入った方がいいんじゃないというような世界だったので、ちょっと現実的に今あるインターネットの技術を使った何かをやろうよというところでスタートしたんです。
大学の仲間たちと立ち上げた株式会社に早速されたんですか。
その時はですね、学生中はまだ個人事業の中でやれて、卒業と同時にもう有限会社にしたんですね。
それは主に何を打って収益を上げるような。
その時はですね、まだまだホームページがない世界だったので、ホームページを作るっていうのが一つと、もう一つがやっぱりこうパソコン、Windowsのソフトを開発するというのが、それも本当に業務用のアプリだ
ったんですね。
在庫をどう見るだったりとか、入出庫するみたいな、本当に業務の。
なるほど、いろんな会社さんの事務員さんが使うような。
そうですね、総合業務で使うやつが最初だった。
経営の方が使うであるとかっていうような会社が必要とするシステムの開発にもそこから入ったということですね。
そうですね、入りましたね。
どうですか、もうその仲間たちがすることなんで、ジョージさんが天才と認めるメンバーもっとことだし、当然飛ぶように売れたという。
いやそういうことはなかったですね。紹介でそのお仕事させてもらって、そこにフィットするようにオーダーメイドで作ったやつだったので、そこから横展開っていうふうにはならなかったですね。
なるほど、もうピンポイントでお知り合いの会社さんから求められたソフトを作ったりとかっていうことで。
そうですね、それがですね、面白かったのが、大学、在学中に開発してたので先生が紹介してくれたんですよ。
大学の先生がですね、君たちは本当に優秀な私の学科を出席に卒業してくれてありがとうみたいな、こんな仕事があるよみたいな会社立ち上げたんだったらみたいな。
いやそれだったらよかったんですけどね。
逆に君たち立ち上げたものの仕事なくて困ってたと思う。
心配をしてくれて。
こういう仕事よかったのでやってみるかみたいな。
お知り合いのね、ご社長がいるからとか、それで紹介してもらって。
それでもちゃんとそれを仕事として受け入れるというところまで立ち上げたメンバーで言ってたわけですから。
そうですね、そこもね、なんとか作れるだろうというのを我々は思ったんですけど、もう仕事出す側は本当に作ってくれるのかって心配があったと思うんです。もう学生ですからね。
大学の教授の紹介と、この若者たちに本当にやってもらえるのかというところを。
今思えばよく仕事くれた。
いやいいですね。でもそういう経験も絶対今のイシスエというかですね、糧になっているはずですしですね。
なってますし多分今でも動いていると思います。
そのシステムは。
その仲間たちで立ち上げた会社のシステムは今でもその会社の重要な。
そうですね、その倉庫のやつっていうのが多分動いているはずですね。
いいですね。もう振り返ればあの時が俺たちの出発点だったんだみたいなところですよね。
本当に多分それが一番最初の18中の仕事かもしれない。
それから30歳ぐらいまでその会社を続けられたんですか。
会社売却と個人事業での再出発
それはですね、大学を出て2年か3年ぐらいでバイアウトしたんですよ。
今でいうM&Aという形で自分の会社を売却して。
で、売却した先はグループ企業だったんですけど、その中にIT系の企業がなくて、グループ内のIT企業として上位したと。
さすがでもM&Aできるぐらいまでの魅力があったってことですよね逆に言うと。
どうでしょうね。やる気はあったし、若かったから向こうも新人取るよりも勝手にこいつら動くからいいだろうって気持ちはあったと思います。
仲間たちと在学中に立ち上げた会社がM&Aできるところまで行ったということで会社を譲渡されたわけです。
ジョニーさんもそこでしばらく働いていたという。
そうですね。そこでも代表としてずっと居続けましたけど。
じゃあ今度も現場叩き上げのシステム開発者のわけじゃないですか。
下積みがそういった学生時代のものだったかもしれないですけど、ずっとちゃんと対価を得る仕事をし続けてきているので。
研修機関とか就活をしたとかないです。
もう開発者としてのキャリアが大学生の時から始まってたということですが。
その会社を譲渡されてそこで代表として仕事はされてたということでしたが、広川を立ち上げることになったのは。
そこは色々と今の話の空白でいくとバイアウトしました。
そこでもやっぱり3年ぐらいやったんですね。
社内のITをしながら他にもいろいろチャレンジをしたんですけど、どうしてもグループ全体の方向性と合わなくなってきて。
せっかく高間内でやりたいことをやろうと立ち上げてきたのに、やりたいことをやれなくなってきた。
それでどうも仕事として続けづらいなというところがあって。
買ってくださったところと円満にだったら解散するということで解散をしましたと。
解散をして私はずっと代表で来てたので今までいるお客さんをそのまま引き継いで個人事業で再スタートをして。
他の仲間はそれぞれ地元のそれなりのIT企業に入っていって。
やはり今でもそのITの仕事をされてるわけですね。
してますね。テレビ局系のIT会社に入ったりとか。知ってるような会社に入れたので。
宮崎を本社に。
2013年の株式会社ひろか設立
そうですね。私はそのまま個人事業で数年走って、それで2013年までは個人事業だった。
2013年の個人事業から広がり法人化するんですけど、きっかけはそれまでずっとITの仕事をしてたんですね。
開発をしたりとかサーバーの管理をしたりとか。
その中でずっとITでKOEの仕事ばかりっていうのをそれはそれで役に立ててよかったんですけど、
やっぱり自分のプロダクトを作りたいなというので、
ちょっとその個人事業の間に携わってた病院とかの電話帳を作るっていう仕事があったんです。
それがもちろんウェブ上のものもあったし、ただその時やってたのがフリーペーパーで病院を紹介するっていう企画を手伝ってたことがあるんです。
そのフリーペーパーを作るって言ってた方がちょっと体調も崩されて続けることができないっていうことになって、
じゃあちょっと私が引き継いでやれませんかっていうところでフリーペーパーを作るっていう、
ずっとデジタルだったのを紙媒体をちょっとそこでやってみるというタイミングと、
あともう一つ別のタイミングで宮崎県の補助金がありまして、
雇用を生んで社会に役立つ事業をされるっていうところに補助金がついたんですね。
そこにこういう医療のフリーペーパーを作りますというので応募したら採択されて、
補助金が1000万円くらい出ることになって、
医療の方に作るってことになるので、これは確かな母体がないと病院に怪しまれる。
私もまた法人でしっかりやっていきたいというのがあったので、そのタイミングで法人化しようと。
法人したのが2013年。
そうなんですね。
いろいろあって、結局法人化するべきだというところまで来たわけですよね。
東京・鳴門への展開は後編へ
そこから東京事務所とか、そしてNARUTOにNARUTO営業所を構えていただいた話とかも、
どんどんジョージ社長、山口社長を丸裸にしていきたいということでございますので、
その辺はぜひ後編に続いていくということで、これを前編とさせていただきました。
今、広川を立てるところまで来ましたよね。
そうですね。ようやくそこまで来ました。
これから東京に行ってNARUTOに組むという話も、後半でぜひ聞かせていただけたらなと思っておりますので。
ありがとうございます。第1回のゲストに山口社長に来ていただきました株式会社広川さんのNARUTOにアイターンしてくれた。
Jターンですね。
Jターンですね。一旦関東に行ってから。
Jターンという言葉が今日初めて思いました。
Jターンの山口ジョージさんをもっともっと裸にしていくのが後編ということで、
前編が1回目の前編はこの辺で山口社長、これからも後半もお付き合いよろしくお願いいたします。
聞いていただきましてありがとうございます。
それでは後編もお楽しみください。
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