1. 生き方アップデート
  2. ジョージさんとコラボ✨俳優さ..
2022-05-20 1:07:21

ジョージさんとコラボ✨俳優さんや声優さんを目指す人は、独特な感性を持っている⁈


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00:03
はい、みなさんこんにちは。今日は情熱カフェをオープンさせていただきます。
この情熱カフェは、私が今気になるあの人をゲストに呼んで楽しくお話をしていく、そんな番組になっております。
基本的にはコラボ相手の方の情熱について触れていくというか、今夢中になっていること、好きなことをメインに
いろいろお話を聞きたいなという目的で呼んでいるんですけど、今日は声優のジョージさんにお越しいただきまして、お話をしていきたいなと思います。
あ、早速来ていただいてありがとうございます。こんにちは。あ、なんかあれですね、アイコン変わりましたね。
アイコンかわいい。ありがとうございます。今日はどんな話になるでしょうか。多分まだ到着されてないので少し待ちたいと思います。
あっという間に5月ももう3分の2終わりましたよね。なんかゴールデンウィークがあったから結構お子さんいると早いですよね、きっと。
あ、でもあれか、小学生とかじゃないと関係ないですかね。なんかあっという間でした。5月本当に早い。
早かった。私はあれですね、あのちょっと、ゴールデンウィークは基本的に休みを取らないので、
6月に長期休みをいただく予定なので、まだあの休んではないんですけど。
長期では休んでないんですけどね。さあどうでしょうか。あ、ジョージさん来たかな。ちょっと招待
どうかな。招待します。はい。
これでいけるかな。どうでしょう。
あれ、上がれないですね。どうですかね。
あ、できた。ジョージさん、いらっしゃいませ。おはようございます。
はーい、情熱カフェようこそ。いえいえいえいえ。
ありがとうございます。いえいえいえ。ありがとうございます。
はい、2回かな。こうやってお話しするのは初めてですけど、直接声が届くところで話すのは2回目ですよね。
あ、2回目でしたっけ。
あのラジオトークのほうで、スミヤさんの枠で、真夜中に。
スミヤさん?
あれ?違う。
え、誰だっけ。誰だっけ誰だっけ。
スミヤさんの奥で、ご一緒になった気がします。
あれスミヤさん、スミヤさんってどなたでしたっけ。え、ちょっと待って。これ覚えてないのかな。
あれ?ちょっと後で。それはじゃあ後でいきますよ。
わかりました。すいません。
03:01
今日のトークテーマは、基本的に情熱カフェっていうことで、
ゲストの方の情熱に触れていくっていう感じのコンセプトではあるんですけど、
特に原稿も何も用意していないので、自由に楽しくお話できたらなと思います。
はい、わかりました。
ジョージさんとは、私どういう出会いだったか覚えてますか。
えーっと、なんだろう最初は。
なるみさんがラジオトークでライブをしているときか、スタエフじゃないか、ラジオトークかなやっぱり。
そうですよね。
一人でライブをされてるときか、あるいは山中さんとコラボライブしてるときか、どっちかだと思うんですよね。
そうですよね。なんか気づいたらジョージさん、あ、ジョージさんだ、またジョージさんだって感じで。
どこってわりとね、そのきっかけってほとんど僕は覚えてなくて。
そうですよね。
だいたいラジオトークだと今までだと、どこへでも行って、挨拶コメントを入れて、
いろんなとこを聞きに回ってたっていうのがわりと多かったんですよ、僕は。
そうなんですね。
声を聞いて、話してる内容を聞いて、それになんとなく自然に反応して、コメントを入れてたっていうのが今までじゃないですかね、僕は。
なるほど、そうなんですね。
ラムさん来てくださってます。初めてなんですね。ありがとうございます。
こんにちは。
かわいい猫ちゃん。
ジョージさんは、私ラジオトークで出会ってるので、スタイフでどんな活動をされてるのかとか、
あんまり知らなくて、スタイフでも配信はされてるんですか?
スタイフはね、ラジオトークが先に始めてたんですけど、
その後、去年の6月とか7月とかそのぐらいのときに、
おそらく僕、スタンドFMっていうのを見つけて、
なんだろうと思って登録をしたのが最初だと思うんですよ。
それで、コメントをちょこちょこ落としてたかもしれないけど、
それでライブもなんとなくスタイフでも朗読をやったことがあるんだけど、
ちょっとなんとなくしっくりこなくて。
ああ、そうなんですね。
で、それはアーカイブは残してないと思うんです。
それで、その後収録であげるようになったんですよ。
本の対策と言われる小説の本を、一応長編なんですけど、
06:04
それを今、途中まで収録であげてある状態です。
あ、そうなんですね。
じゃあ、朗読はスタイフでやるより、ラジオトークのほうが合ってるなって感じられてたんですか?
いや、そんなことはないと思います。
あ、違うんだ。
そんなことはないけど、
ただスタイフはあんまりちょっと慣れてないっていうのがあったんですけど、最初の頃は。
それで、それを聞きに入ってくれるのは収録で残してあるから、
たまたま、たまにちょこちょこっといろんなとこ行ってコメントを入れたときに、
あ、はじめましてっていう感じで僕をフォローしてくれて、
そこの収録であげたやつを聞いてくれて、
それでフォローしてくれてた人の数があったこともあったんですよ。
それで、その後に、去年の5月だったかな。
クラブハウスってあるじゃないですか。
ありますね。
そうそう。クラブハウスっていうのは、友人がクラブハウスに入ってて、
それまでは、iPhoneの人しか入れなかったんですよ、クラブハウスって。
あー、ありましたね、一時期。
そうそう。それで、去年の5月の18日だったかな。
だから、アンドロイドの人も使えるようになったってことで。
ただ、そこへ入るのには、クラブハウスに入っている人の知り合いで、
友人で、紹介がないと入れなかったんですよ。
それで、その友人から誘われて、その友人の紹介で僕クラブハウスに入ったんですけど、
そことの連携もあって、
割と今度、スタイフのほうでもフォローしてくれる人が出てきたんですね。
あ、スタイフもなんかやられてるんですね。
あ、違うか。
ツイッターとインスタグラムのリンクだけは貼り付けてあったから、
そこから入ってくる人が多かったんですけど、
スタイフもやってますよっていうクラブハウスの人もいたんですよ、何人か。
そこの部屋に参加してるときに、じゃあスタンダードFMでもですねって言って、
その人たちがスタンダードFMでもやってるときに、
僕が気に入って、それでフォロー同士になって、
そういう人たちが入ってきてくれてた人数もあったんですけど、
最初ね、つい最近まで160名ぐらいのフォロワー数しかなかったんです、僕ね、スタンダードFMは。
そしたら、今年の何月ぐらいかな、1月?2月?ぐらいから、
なんとなくスタンダードFMのほうもコメント上がったり、
それからフォローしてくれる人がだんだん増えてきて、
09:04
今倍以上になってるんですけど。
あ、そうなんですね。
今で335とか6とかって最近、ここ2か月から3か月でそのぐらいになったんですよ。
えー、そうなんですね。
でもそんなに急激にスタンダードFMばっかりで活動してるってことはほとんどないんですけど、
だからフォローしてくれる人が増えたのと、コラボしましょうって言ってくれる人が増えたのと、
そうそう。共通の話題であったり、共通の話の内容であったりすると、
そこでまた気が合って、それで話が進んだってことはあると思いますね。
うーん、なるほど。
そんな感じです、今のところ僕は。
だから今、スタンダードFMのフォロワー数とピッタリラジオトークのフォロワー数と、
今は同じになったんですよ。
あー、そうなんですね。
そう、スタイフが急にぐわーっと数字を上げてきたみたいな。
えー、ピッタリってすごいですね。
そうそうそうそう。後から来たくせに、もう追いついてきたのかっていう感じなんですね。
そうかー、そうなんですね。
そうですそうですそうです。
ジョージさんがSNS、特に音声メディアをする理由というか、面白さとか、
どういう気持ちで最初始めたんですか?
えーとね、それも友人から勧められたんですよ、最初。
クラブハウスに招待してくれた友人なんですけど、
その方が、僕は声の仕事をしてるっていうのを知ってたから、
僕は下の名前がジョージ松本なんで、ツイッターでも同じ名前出してるからいいんですけど、
松本くんね、ラジオ配信っていうアプリがあるの知ってる?って言われたんですよ。
それで声の仕事してるんだから、そこでやってみたら?って言われたんです、僕ね。
え、何それって言ったら。ネットラジオか何かかなって最初僕思ってたんですよ。
ああそういうのがあるんだ、自分でできるんだと思って、
Googleでいろいろ検索をしてみたら、
ボイシーとかラジオ日本とか、いろんなのが出てきたんですよ。
あれじゃあこれのこと言ってるのかなと思って。
最初に検索して出てきたのがそれかなと思ったのが、
ラジオ日本とかなんか地方のローカル放送のやつを配信してるようなやつだったんですけど、
これかなと思ってみたら、でもこれじゃないのかなと思ってみたり、いろいろ探ってて。
最初はボイシーをダウンロードしてたんですよ。
そしたらそれは収録だけだってことがわかって、
12:01
収録しかやらないんだ、でもこれはちょっと違うのかなとか思いながら。
ただそのうちにラジオトークのアプリのアイコンが目について、
あ、これは何だろう、これのことかなと思って、
一応アイコンだけダウンロードしてたんですね、僕。
しばらく1ヶ月かそのくらいかな、でもほっといたんですよ。
そんなにやる気がなかったんで、僕は。
そうなんですね、最初は。
そしたら去年のちょうど3月の20何日ぐらいだったと思うんですけど、
じゃあちょっと覗き込んでみようと思ってタップしてたら、
わりと簡単に登録ができたんで、
登録をして、初めて番組をパッとタップして見てみたら、
コメントがザーッと流れていってて、それを読み上げてるのを聞いたんですよ。
えーそう、こういうもんなんだと思って見てて、
おそろおそろ、初めまして、ジョージと申しますとか入れたと思うんですけど。
そしたら、だんだんだんだん自分の順番が来るのがドキドキドキドキしてやるんですね。
えーこれ上から全部読んでくるのかな、読んでくれるのかなと思ってたんですよ、最初ね。
それはすっごい新鮮な緊張感があったんですけど、
それで、読んでくれた、ジョージさん初めてなんですねっていうことになって、
あ、そうですかって言われたんですよ、僕そのときね。
へー、こういうものなんだって思ってたんです、僕は。
それが初めて、最初ですね、ラジオトークの。
えーそうなんですね。そのときの方って覚えてます?
覚えてる、覚えてる。
覚えてますよね。
覚えてます、覚えてます。
ラジオトークのユイさんっていう女性のラジオトーカーと、
それからヒーロ君っていうのがいるんですけど、
ヒーロさんっていうのと、その頃ラジオトークってコラボ機能ついてなかったんですよ。
多分ズームかなんかでつなげて、それを短枠でもって流してたみたいな。
2人の声をそのまま。
パソコンから届けるみたいな感じですね。
いう感じだったんじゃないですかね、その。
そうなんだ、なんかそんな感じで、
ポロッと友人に言われたことをきっかけに、
ちょっとアプリダウンロードしてみるかなっていう感じで始めたんですね。
でもジョージさんとしては、声のお仕事をされてるから、
割と抵抗なくって感じだったんですかね。
いや、それがね。
友人はね、ライブをやってみたらって言われてたんですよ、僕。
15:01
だけどライブは絶対できないなと思って。
なんでかって言ったら、
1人で枠を開けてコメントを拾って、
1人で何か考えて話さなきゃいけないってことじゃないですか。
そうですよね。
例えば地上波のラジオ局みたいに、
調整室があってそこにディレクターがいて、
構成作家、放送作家もいて、プロデューサーもいて、
MCもそこにいて、
はい、じゃあ話してくださいって言ってインタビュー形式でやるんだったら、
楽なんですよ。
確かに。
お膳立てがあるから。
その役を全部1人でやらなくちゃいけないってことじゃないですか。
そうですよね。ネタも考えて。
地上波のラジオとは違うとはいいけどね。
それは絶対僕はできないと思ってたから、
嫌だなと思ってた。
電話が飛んで、できないできないって思ってたから、
やらなかったんです、ライブは絶対に。
おー、そうなんですね。
妙なプロのプライドっていうのがあって、
失敗したくないと思ったんですよ。
あーなるほど、プロのプライド。
絶対失敗はできないと思ってた。
そのプレッシャーはあるわけですよ。
そっか、確かに。
でも考えたら、お金もらってやってるわけじゃないし、
仕事でやるわけじゃないから、制約されてやるわけじゃないから、
今だったらもっと自由に、もっと勝手にやれるなって思ってるんですよ。
そのときはそういうふうには思わなかったから、
イコール声の仕事と同じに考えちゃってたんですよ。
確かに、今すっごいジョージさん、リラックスっていうか肩の力抜いて、
本当に自然体でどこにいてもお話しされてるような気がして。
そうかもしれない。
そうですよね。
ただ声だけだからって言って、油断しちゃいけないとは思うけど、
油断してはいけないと思うし、
スタジオなんかでやるときはね、
スタッフがみんな周りがいるから、
それはそれなり仕事だと思えば緊張感もあるんですけど、
こういうのって、一人でやって一人で声出すだけで声だから、
姿を見てるわけじゃないじゃないですか、相手が。
だからそういう意味では油断はあるんですけど、
リラックスすると同時に油断もあるんですけど、
でもそこは、そこで済ませることができるかなっていうのが、
こういうアプリの良さかなというふうには思うんだけど。
なるほど。
いやー、そうですよね。
確かにな。
最初はそんな感じでしたよ、だから僕。
そうか、はじめは、じゃあそんな声の仕事をしてるジョージさんでも、
やっぱSNSとなると、なんかちょっと違うステージって感じなんですね。
18:03
いや違う違う、全然違いますよ。
確かに、確かにそうですよね。
だからね、最初そんな感じだったら、
ライブはもう絶対やらないと思ってて、
どうしようかなって、
それを友人に話したんです、今度僕ね。
それがプロの落とし穴だよって言われたんですよ。
その友人、めっちゃキーパーソンですね。
そう。それで、失敗したっていいじゃんって言うんですよ。
アプリなんだからと。
いやいやいやって感じ。それでもそういう気にはなれなくて、
じゃあどうしようかな。
じゃあ収録っていうのがあるんだなって気がついて、
収録だったら取り直しができるから、いいかなと思ったんです。
それで初めて去年の5月に、5月3日に収録で配信したのかな。
そのときに、じゃあ収録だったらと思って、
じゃあ何の話をしようかなと思ってたら、
その前から友人のお仕事の手伝いとかして一緒に飲みに行ってるときに、
レミゼラブルの話をしたんですね、友人の僕は。
僕がレミゼラブルの世界が好きなんだなってことは、
友人が認識してくれたんです。
そしたらレミゼの話でもしてみたなって言われたんですよ。
しかもライブでって、ライブにこだわったんです、友人はね。
いやーライブはできないなと思って、
じゃあ収録で何を話そうかと思ったときに、
じゃあレミゼラブルの話をしようと思ったんです。
そこで、たしか5分か6分ぐらい最初に、
それアーカイブに今でも残してありますけど、それだけは。
それでじゃあどうしようかと思って、別端末で、
スーザンボイルさんっていう女性のアーティストがいるんですけど、
この方が歌ってる、レミゼのMG曲で、
夢破れてっていう、I have a dream streamっていう歌、有名な歌ですけど、
このスーザンボイルさんが歌ってるやつを入手して、
別端末からBGMとしてそれを流しながら、レミゼの話を収録で撮ったんですよ。
めちゃめちゃアナログで撮ったんですけど、
それでレミゼの何の話をしたんだろう。
エポニーヌとファンテーヌとコゼットの話をしたのかな、僕。
聴けばわかりますけど、それを5分か6分前後ぐらいにまとめたというか、
自分なりに考察的に話をして、初めて収録を撮ったんです。
21:03
それをちょうど去年の5月の3日に配信をそのまましたんです。
それが声の音声で配信をした最初です。
そうなんですね。それはどうだったんですか?手応え的には。
それでね、夜中近くに配信をして、ポチッとして、
次の日の朝起きたら、リアクション数が750ぐらいだったんですよ。
本当に夜中に収録配信をして、
次の日朝起きて見たら、リアクション数って何なんだろうって思ったんです、最初僕ね。
それがわからなくて、750に1人1個したってことなのかなって一瞬思ってもみたんですけど、
それはそうじゃないってことがもう今わかってるんですけどね。
750ぐらいリアクション数が上がっていて、
これってどうなんだろうと思って、他の人に配信の中で聞いたら、
ジョージさん、それすごいことですよってことになって、
あ、そうなの?っていう感じで、僕はちょっと鈍いタイプなんで、そういうことについては。
直接生の舞台でお客さんが目の前にいてって言うとリアルに実感できるけど、
数字だけって言われても、中身がどうなってるのかってわからないんで。
そうですよね。
最初そういう感じでした。
へー、そうなんですか。
自分では認識できてなかったけど、周りから見たらすごい手応えがあって。
そのフィードバックを聞いて、ちょっと続けてみようかなっていう感じになったんですか。
それで収録で、エミズを2回か3回あげたんですよ。
2回目3回目のやつは残してないかもしれないけど、最初のやつは残してある。
それで、それでも収録しかやらなかったんですよ。
その収録をあげた後に、やっぱり収録で小説の映画の原作本のやつを一冊読んで、収録であげてましたね。
友人は何かされてるんですか。
僕の友人はね、やっぱり芸能関係なんですけど。
あ、そうなんですね。
踊りの団体に所属してたんです。
そこは有名な国際公演とか、いろんな国に招かれていくような団体でもあったんですけど。
その団体の踊りの公演も、僕は2回ぐらい招待で見に行ったことがあるんですけどね。
24:00
なかなかすごく良くて。
今は彼はそこをやめて、今一人でもって団体を主催してるんですけど。
そうなんですね。すごい。
踊りではなくて、和の着物の所作を教える団体なんですよ。
日本人っていうとやっぱり着物じゃないですか。
着物を着たときの体の動き。
所作って言われるものなんですけど、それは所作って言われる形式的なものじゃなくて、
昔から日本人が着てた和の着物を着たときの、最もナチュラルな自然な動き。
自然な体型、自然な動きっていうのを生活の中に取り込まれていたものを、
洗練されたっていうより、自然な動きを忘れてる人が多いので。
そうですよね。
それを教える団体なんです。
そこには、着物モデルっていう着物を着た女性が何かポージングモデルであるとか、
それを基本にベースにしたね、方たちもいらっしゃるんですよ。
あー、なるほど。
で、そういう撮影会とかの、僕は実際に2回か3回ぐらいお手伝いしに行ったことがあるんですけど。
そうか、そういう関係なんですね。
そうです、そうです。
ジョージさんの今までの経歴ってどんな感じなんですか?
僕は、最初お芝居をやるきっかけとしては、高校時代に遡るんですけど、
高校時代に、いろんな文化活動とか生徒会活動が大好きで、いろんなことをやってたんですね。
その中に、例えば放送局とか放送部とかってあるんですけど、
そこの部長、放送局長やったのかな、僕そのとき。
それで部員が4,5人いて、男性部員ばっかりだったんですけど、
そこで、いわゆる毎日のDJのパーソナリティのスケジュールを決めて、
今日は君ね、月曜日はあなたね、火曜日はあなたねって感じで決めてたんですよ。
今度僕だったら、そのときに好きなレコードを持ってきて、音楽をかけたり、
そこでDJを放送室でやったりってことをやってたんです。
そういうことをやったり、生徒会活動もやってたし、
例えば文化祭があるって言うと、文化祭のいろんなことをやったり。
そこで一番最初はね、生徒会活動をやるきっかけだったのが、
27:03
そのとき当時生徒会の会長をやってた人の、
高校で文化祭といえば演劇が好きものだったんですよ。
そこでその会長が、じゃあ演劇はやらなきゃって、演劇部はなかったんだよね。
そしたらその生徒会長が一人でいろんな準備をして、
そのときにシェイクスピアのリア王っていう作品をやろうとしてたんですよ。
それで自分で大道具で必要な材料だとかっていうのを買ってきて、体育館に持ってきて、
一人で準備していろいろやってたんですね。
その会長と僕は仲良くなって、先輩と仲良くなって、
授業終わった後に体育館に行って、家の稽古を見てたりしてたんですよ。
そしたら僕もいろいろ準備をするのを頼まれて、
じゃあ松本くんね、女監督やってくれない?って言われて、
僕はね、舞台の女監督をやったんですよ。
へー、そうなんですね。
なんか高校生で今考えたらクソ生意気だなと思うんですけど、
で、やって、そしたらだんだんだんだんいろんな人が手伝うようになって、
いろんな役をいろんな先輩たちがやるようになったんですね。
そこへ僕、練習見に行くじゃないですか、女監督としてね。
ものすっごい偉そうなこと言ってましたから、僕一人。
何やってんだよ、もうそんなんじゃダメだよ、とか。
準備もできてなかった。セリフも覚えてきてねえのかよ、とか言われて。
一声のある男の先輩が、その僕の言葉に切れちゃって、
それならお前やってみろよ、お前。どれだけ大変だと思ってんだよ、とか言って。
熱くやりあってました、僕は。
まあほんと今考えたら生意気でしたね。
そういうことをやったっていうのもきっかけにあって、
そのうちに生徒会活動もいろいろやるようになって、
生徒会の役員でやったことのない役はないんじゃないかっていうぐらい全部やったんですよ。
へー、そうなんですね。
生徒会の副会長もやったし。
そんなにいろいろ生徒会って回れるんですか?
いや、やれるんじゃないですかね。わかんないけど。
そうなんですね。
ほんとにそのやってる人たちとも本当に友達で仲が良くて、
本当にグループ交際してる人間同士がそういう活動をやってたっていう感じでした。
へー、ジョージさんって子供の頃から、交流が好きなんですね。今もすごい顔が気持ちいいというか。
僕ね、高校に入ってから人生が変わったんですよ。
あ、そうなんですね。それまでは違ったんですか?
小中学校までは。
ただね、中学校の中盤、本当に3年生になった後半あたりからはだいぶ変わったんですけど、
30:04
本当にお友達が僕はいなくて、人と話すことも苦手、人前で話すことができない、声を発するってことができなかったんです。
それで、小学校1年生に上がるときも、一時期ちょっと保育園卒園して病気になっちゃって、僕が。
あ、そうなんですね。
それで半年ぐらい遅れて入学したんですよ。
そういうこともあったりして、勉強も追いついていけないってこともあったし、
ものすごいいじめられっぽかったんです、僕。
あー、そうなんですね。
で、変なのは小学校1年生のときは、女の担任の先生だったんですけど、
もう要するに授業始まっていると、昔だから木の机に木の椅子なんですね。
で、緊張して座って授業してるときに、おトイレに行きたくなっちゃうときってあるじゃないですか。
はい、ありますね。
おトイレに行かせてくださいとも言えないんですよ。
だからね、そのとき僕1回ぐらい、1回は完璧に覚えてるんですけど、
お漏らししちゃったんです、そこで。
えー、そうなんですか。小学生のときに。
1年生のときに。
もうそれは恥ずかしいなんて。
まあそういうのもいろいろきっかけにあったんでしょうね、おそらくね。
それからも人前で一言もしゃべれなくなっちゃったんです。
えー、そうなんだ。
で、2年生に上がったときに、
あじょいさん、これ国語の2行、たった2行だったんですけど、
読んでって言われたんだけど、声が発せられなかったんです、そのとき。
それで休憩時間になって、
まあ友達が心配したのかからかったのかわからないけど、
僕が座ってる机の周りをぐるっと囲んだんです、何人かが。
で、囲っといて誰にも聞こえないようにしてやるから、もう1回これ読んでみなって言われたんですよ。
えー、そんなこと言ってくれるんですか、小学校2年生で。
そう。でもそれは、なんか言ってくれたって感じには僕は思えてないんだけど。
あー、なるほど。
なんか、なんかもう要するに牢屋に入れられて、
いいから喋ってみなって、拷問にかけられてるから。
そんな感じはあったから、今でもその場面は覚えてるけど。
本当に人の前でそれでも言わせないんですよ。
うーん、そうなんですね。
全然今とは違います。
そうですね、全然今とは考えられないような職業に置かれてますね。
真逆って言われれば真逆ですね。
33:03
なるほど、でも私もわかります、それ。
なんか私も小学校1年生のときに、ずっと全足持ちで入院してるんですよね。
で、体すごい弱かったし、言葉を発するのが本当に苦手で、
だから国語の教科書の丸読みとかあるじゃないですか、順番に回ってくる。
あれはもう声が出なくて、ずっと黙ってると先生にもういいよ、みたいな感じでパスされるっていう感じだったので、
人と目を見て話すこともできないし、ちょっと話しかけられるとドキドキしちゃって、
もうなんかダメでしたね。息が止まりそうみたいな。
昔を知ってる人からしたら、音声で配信してるとか、YouTubeとかやってるとかも、
本当に激変というか別人ですよね。
そうですよね。
そういう方多いですよね、でもSNSとか。
多いです、多いです。
声で配信されてる方って、もともとそういうタイプじゃないっていう方多いですね。
そうかもしれないです。
だから僕は本当に小学校そんな感じでいじめられる子で、勉強もできない、人前でしゃべれないっていうのが小学校の3年生かな、4年生になるまで続いたんです、一回。
それで小学校3年から4年に上がったときに、新しい女の担任の先生が他から入ってきたんですよ。
新しい担任の先生になって、その人が。
で、今日は、みなさん私と会うの初めてだから、一人一人自己紹介してくださいって言われたんですよ。
で、そのときに、みなさんククノ団をもう覚えたでしょって言われてて、ククノ団の得意な団を一人ずつ行って、自己紹介してくださいってことになったんですよ。
へー、それ面白い自己紹介ですね。
それで、これはでも俺、やばいと思ったんです。
これ完璧に僕のところにも回ってくるわけだから、だんだんだんだん左端の机の人からだんだんだんだん順番が回っていくわけですよ。
これやばいなーって。
ただ当時僕、ククノ団が得意だったんですけど、で、僕の順番がくるわけですね。
そしたらまあ、立って、ククノ団を言って、自己紹介する声を出すことができたんですよ。
今でも覚えてます。顔真っ赤にしてたと思います。
そしたら、みんなびっくりしたんですよ。
なんだかんすら、あの松本が声を出したよって。
36:05
あいつの声聞いたの初めてだよっていうのは、みんな大半だったんですね。
そしたら、休憩時間になってから、学校中の噂になったんです。
そんなにですか。
そんなにだった。そのぐらいだったんです。
そのぐらい逆に目立つ人だったんです、僕。
それから、その先生との出会いのおかげで、しゃべるようになってきたんです。
そうなんですね。そこからなんですね。
そこから。それでも勉強に追いついていけなかったし、
ソロ版とか、今で言えば電卓ですよね、の授業になっても、それがわからなかったり、
悔しくて悔しくて、泣きながら泣いたのもちょっと覚えてますけど、
泣いて鼻水を垂らして、悔し泣きをしたのがあったかな。
そんなこともありましたね。
わー、そうなんですね。
小学生があって、高校生で劇の助官総合を頑張させてやって、
大学は進まれたんですか?
いや、大学は行ってないんです、僕。
そうなんですか。
高校は定時制の高校だったんですよ、僕。
まあこれいろいろ話すと長いんで、それはいろいろ話すんですけど、
定時制高校行って、定時制って4年間なんですよ。
3年生から4年生に上がるときに、大事なテストで、
数学と英語を0点取っちゃったんですよ、僕。
このとき。
そしたら単位取れないじゃないですか。
そうですね。
それで、数学の先生から、
お前もう一回追試をやって、
もし追試で0点を取っても追試をやったということで、
最低の単位は上げるよって言われたんですよ。
言われたんだけど、
夕方学校に行って教室に入って行って、
追試の用紙が裏返して置いてあって、
数学の先生が入ってきて、
じゃあやるぞって言われて、
そしたらなぜかね、
周りに見てる人たちがいたっていうのもあるんだと思うんですけど、
めちゃめちゃプライドが高くて生意気だったんで、
とにかくその問題用紙を裏返しをしたまんま、
パーンと上に投げ捨てて、
教室を出て、それっきりになっちゃったんです。
39:00
反発したんですね。
それで、下宿先の部屋に一人で帰って、
なんか音楽かなんか聴きながら、
悔し泣きしたのを覚えてますね。
そうなんですね。
それで数学は単位は取れないじゃないですか。
英語も追試をやってあげるわよっていう女の先生がいたんですけどね。
それもたぶん受けなかったんじゃないかと思うんですけど、
2教科赤手になっちゃったんですよ。
それで春の修了式の前に、
みんなが体育館に行ってる間に教室で一人呼ばれて、
担任の先生に通信本を見せられて、
お前これ見てみ?ここ赤手んだよ。
留年するか、
留年するか、辞めるかどっちかだけど、お前どうする?って言われたんですよ。
でも、1個学年したの、後輩たちと、
みんな知ってるわけじゃないですか、人数少ないし。
そうですね。
もう絶対留年はしたくなかったんです、僕。
辞めますって一言言って、
それもまたそのまま教室を出て帰って、
近くの下宿先へまた部屋へ帰って、
このときに、松山千春の窓っていう歌があるんですけど、
それを聴きながら、部屋の小窓の先にある曇った空を見ながら、
その曲を歌を聴きながら、
なぜか涙が出てきて悔しくなってきて、
それで泣いた覚えがあります。
まあ一応こんなとこですかね。
それで、高校ですか、今の。
そう、高校です。
高校を卒業してることに?
中退したんです、一回だから。
一回中退して、
それで昼間のアルバイトっていうのが、モスバーガーでアルバイトしてたんです、僕。
それで、「すいません店長、僕、高校辞めちゃいました。」って言って、
分かっていいよって、じゃあバイト頑張れって言われて。
で、その後一時期、そのハンバーガーのお店の社員になって、
半年ぐらい社員やって、それでそれも辞めて、
一人になっちゃったんですけど、僕はね。
それで、だんだん精神的にもう病んできて、
脳炎症状態になって、
対人恐怖症になって、
人と話すのを嫌、人と会うのを嫌、部屋から出るのを嫌って感じでした。
42:04
そんな時期が、半年ぐらいってことですね。
いや、まだね、十何歳だろうね。
18歳?19歳?
そうなんですね。
もうそれで、でもやっぱり食べることをしないと人間って死んじゃうから、
毎日じゃないけど、近所のスーパーにだけは出かけて行って、
食べるものを買って、食べて、毎日過ごしてました。
そうなんだ。
そんな時期があったんです。
それで二十歳になって、実家に戻って、二十歳になったときに、
もう一回高校ぐらいは行っておきたいなって思い始めたんです、自分で。
もう一回行こうと思って、辞めた高校の職員室に電話したんですよ、なぜか。
そしたら知ってる男の科学の先生が出て、松本が、
いやもう一回僕ね、高校に行きたいんです。
もしやるんだったら勉強しなおしたいんで、
一年生からでも入り直してもいいと思ってるんですって言ったんですよ。
その先生が、お前二年生までは隊員を持ってるんだから、
三年生から編入試験を受けて入って、早く卒業しちゃえって言われたんですよ。
辞めた高校、もう一回編入試験を受けて、二十歳で入り直して、
それで二年間通って、二十二歳で高校を卒業したんです。
へー、そうなんですね。
そうなんです。
そこからどうやって声優の道になっていくんですか、二十二歳で。
そこはね、そのときはそんなに役者になろうと思ってなかったんです。
ただ、精神疾患を抱えて部屋に毎日いるときに、
ある新聞の広告欄に、劇団員の募集が載ってたんですよ。
某有名な子役の劇団なんですけど、今でもね。
それを見て、じゃあ一回出してみようかなって、
そういう苦しい精神的に追い詰められてる状態であるのに、
なぜか自分が舞台で演じて、人に感動を与えられるような舞台に自分が立てたらいいなっていう想像だけはできたんです。
へー、すごい。そうなんですね。
そのときに、そのタイミングで劇団の募集を見たときに、応募してみようと思ったんですよ。
それで、慣れるかもしれないし、ちょっと試しにって思ったんですね。
45:03
なぜかその書類をちゃんと全部揃えて、郵送で送ったんです、僕ね。
そしたら、2次オーディションに受けにいらっしゃいというはがきが届いたんですよ。
その頃って本当に生活も大変だったし、精神的にもそういう状態だったから、
まあいいやと思ってて、一回実家に戻ったりなんかもして果たしたときにね。
それで毎月それでも送ってくるんだけど、オーディション料っていうのがあって、
いくらか何千円か払って、それでオーディションを受けるやつだったんですよ。
でも本当に役者になろうと思ってるわけでもないし、
一応試してみようと思って応募しただけだったから、
まあいいやと思ってずっとほっといたんです、僕。
そしたら毎月のようにオーディション来なさい来なさいってはがきが届くんですよ。
へー、そうなんですね。
それで実家に戻って二十歳だったんだけど、
そのうち何かコンマーケするかのように、まあいいかと思って、
ちょっとじゃあ試しに東京へ出て、受け行ってみようって思ったんです、二十歳のとき。
で、ちょうど秋ぐらいでちょっと寒い時期でもあったんですけど、
そのときに実家に戻ってからも、
部屋取りの派遣登録みたいなアルバイトもちょっとやり始めてたんで、
そのお金もあったから、じゃあちょっと行ってみようと思って電車に乗って、
東京まで行って、オーディション受け行ったんですよ。
そして一人当たり1時間近くのオーディションだったんですけど、
で、いろんな部屋に入っていくと、いろんな先生がいるわけですね。
で、有名な俳優さんや女優さんや映画監督さんが教えてるとこだったんですけど、
今亡くなっちゃった大泉彰さんっていう俳優さんであったり、
田原純さんって人であったり、長谷川マチ子さんって言われる人であったり、
おばあちゃん役で有名な女優さんだとか、
映画監督の足田俊夫さんだとかって人たちがいるわけです、そこに。
で、一人一人テキストを渡されてるので、そのテキストを持って、
じゃあ今度あの先生のとこ行ってください、この先生のとこ行ってくださいって言って、
スタッフに言われて、いろいろ試験されるんですけどね。
そのときに初めて行ったのは大泉彰さんだったんですね。
大泉彰さんというと、トンボの黒いサングラスをしてるのがトレードマークの人だったんですよ。
やっぱりそのときもサングラスをしてたんですけど、
ただ君ね、ここのセリフを目読して心の中で読んでから、
48:01
ちょっと口で喋って言ってみてって言われて、それを喋ったんです、僕ね。
大泉彰は顔を下に向けてずっと聞いてるわけですよ。
で、パッと読み終わったときに、顔をパッと上げて、
君、いいね、いいね、なんかやってたの?って聞かれたんです。
たぶん高校で定時戦のときだったから、なんかやってたっちゃやってたことになるのかもしれないけど、
そんなような話をしたと思うんですけど、
そう、いいよ、いいね、これで終わっちゃったんですけど。
あとは、いろんな有名な監督さんだとか、俳優さんだとかいって、いろいろやって、
作曲家の先生のとこ行って、好きな歌を歌いなさいって言われて歌を歌ったりして、
最後にカメラテストをやって終わって帰ってきたんですね。
で、1週間後ぐらいに合格者には、合格証状と通知を出しますので、
ご自宅でお待ちくださいって言われたんですよ。
ただ、1週間後ぐらいに実家に大きな封筒が送られてきて、
その中に合格証状と、要するに入団案内等がいっぱい入ってるわけですね。
ただやっぱりそういうときって嬉しいもんで、一人でなんとなくニヤッとしながら喜んでたんですよ。
嬉しいですよね、それは。
それを見た家族は、家族中で反対。
え?
家族中で反対されたんです。
反対ですか?
反対、反対なんです。
それで、隣に住む親戚のおばさんがタタタタってたまたま入ってきて、
おばさんが、あんたね、スターになれるなんていうのは、
万人に一人だよって言われたんですよ、一言。
2回言われたんです。
王子、王子じゃないけど、大事なことは3回言うじゃないですか。
2回言われたんですよ、それを。
それでさーっと出てったんです、そのおばさん。
そしたらもうムカムカムカムカきちゃって、僕は。
家族中で反対、親戚のおばさんにも言われ、
なんでなれないって決めつけるんだって思ったわけです、僕は。
そしたら余計意地になったんですね、僕は。
もう絶対やってやるって思って。
で翌年には高校も入り直し、昼間アルバイトもしなきゃいけない。
週末の土日祭日の休みを、劇団に当てるつもりでいたんです、僕。
そしたらそれを、地域に住む先輩に相談をしたんです、僕ね。
51:05
相談というか話をしたのかな。
そしたら、三族のわらじは無理だからやめなって言われたんですよ。
君は学校に高校を卒業したいんだから、
高校を卒業してからでも遅くないよって言われたんです。
で、わかりましたって言われて、劇団を諦めて、
昼間アルバイトしながら高校にもう一回行き直して、22で卒業して。
卒業したばっかのときは、そういえば俺役者になるんだったってことを忘れてたんですよ。
それから普通の会社に勤めちゃって。
そういう時期もあったんですね。
あったんです。
それで24歳のときに卒校をやってて、26歳、2年間ぐらいかな。
2年間ぐらいであることを聞いたときに、その会社はやめたんですよ、僕ね。
で、やめた瞬間に、そういえば俺役者になりたかったんだよなって思い始めて。
ただこの年でもう一回やるのは遅いんじゃないかって勝手に思ってたんですよ。
で、今度それを、そしたら裏方か何かで、マネージャーとか。
で、なんか影で支えられるような立場でやれたらいいなって思ったんですよ、僕ね。
それを芸能関係の仕事をしてる先輩のとこへ行って、相談しに行ったんですよ。
マネージャーとかそういう影のスタッフ的な仕事をしたいんですって言ったんです。
そしたらその先輩は見抜いてたんでしょうね、僕の気持ちを。
見抜いてたというか、感じ取ったというか。
ただその先輩は、君はまだね、役者になりたいんじゃないの?って言われたんですよ。
マネージャーなんかヤクザの商売だし、お給料なんか出ないからやめときなって言われたんですよ。
へー、そうなんですか。
それでそういうふうに言われて、そしたら君にその気があるんだったら僕が演出家を紹介してあげるよって言われたんですよ。
そうですか、わかりましたって。まだ素直だから、僕一人なんか言われるとすぐはいって言っちゃうタイプなんで。
それでわかりましたって言って、あるときに、喫茶店で約束をしてその演出家の人が来たんですよ。
僕は先輩の隣に一緒に横たなびいて座ってて、その先輩はその演出家の人とベラベラベラベラベラベラベラ喋ってるわけですね。
僕がポツンとただ一人横に座ってるだけなんですけど、全然俺のこと構ってくれないし、俺の話はしないし、何なんだろうと思ってたんですよ。
そしたら話がさっと終わって、実はこいつがねって話になったときに、
間髪入れずにその演出家の人は僕を見て感じ取ってたんでしょうね、話しながら。
54:04
いきなり君は役者になりたいの?はいそうですって言ったら、君には輝くものがないねって言われたんですよ。
演出家の人に。
言われた瞬間もずっと気持ちが落ち込んで、あれだけ生意気で、あれだけ突っ張っていた全てのプライドが崩された瞬間でしたね。
君には輝くものがないねっていきなり言われて、えーって落ち込んだんだけど、次の瞬間にその演出家の人が、
それでも役者になりたいという情熱が君にあるんであれば、僕は面倒を見るよって言ったんですよ。
今度僕が教えている劇団に遊びにいらっしゃいって言われて、もちろんそれは東京だったんですけど、
定期的にその稽古を見に行ったり、練習を見に行ったり、公演を見に行ったりして、よくそこへ通ってたんですね。
それであるときに、一応形だけオーディションは受けることにはなるけど、
入団できるようにしてあげるから、がんばんなさいって言われて、それで入ったのが最初そのプロの劇団でした。
そうなんですね。
そうなんです。
なるほど。
いろいろあったんですね、声優さんになるまで。
いやもうね、小さいときからいろんなこと言ったら、家庭のことやりいろんなこと言ったら、もういろんなことありましたよ。
もうなんで小学校からこんな波乱万丈な人生を送らなきゃいけないのかっていうぐらいだったかもしれないですね。
そうかそうか、なるほど。
すごい、あっという間にもう1時間近く経ってるんですけど。
あ、経ちましたね。
ですね。ジョージさんの声優としての、その時点でもう20代半ばですよね。
それでその後に劇団に入ってやめたんですね、一回。
一回これをけじめつけなきゃいけないなと。
でも役者になるのを諦めようと思ったんです、そのとき。
もう趣味でやろうと思ったんです。
まあいろんなことあって、何でしょう細かいことは省きますけど、
いろんなことあってやめて、「わかりました、わかったよ。」って言われて、
その後普通の仕事にマスコミの、高校大体の営業がなんかやったんですけど、1年間ぐらい。
で、それもやめて、しばらくブランクがあって、そのうちに、
いや、やっぱり俺は役者になる芸能文化の世界に生きる人間だなって思い始めて、
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それでやりたいと思ってたけど、その手立てが何も自分では思いつかないというか考えられなくて、
で、そのうちにその遭難した先輩とのいろんな縁があって、
で、やっぱりその飲んだ席で初めてお会いした方が、僕の師匠になるんですけど、
テレビ業界の人だったんですね。
で、その先輩に、僕はもう一回役者になりたいってことが耳に入ったというか、
誰かがバラしちゃったという感じだったんですけど、
え、君が?っていう思われた瞬間から、またその人は僕に対する見方が変わったんですね。
もとテレビ局でやって、演出もプロデュースもやってて、
役者も育て、今でいう有名な役者さんとのいろんな出会いもあり、
もう業界の重鎮だったわけですよ。
それで、それからその人が師匠に自然となっていくんですけど、
で、君は声がいいから、役者になるのもいいけど、声で勝負をしてみたらって言われたんですよ、最初。
それで、そんな今度はね、いろんな出会いがあって、
その人ともそれからいろんなお酒を飲むようになったり、いろんな付き合いがあって、
それであるときに、銀河鉄道3・9の声をやった、メーテルの声をやった池田雅子さんという有名な声優さんがいるんですけど、
ローマの九十一で踊りヘップバーの声もやった人なんですね。
その方があるショーに来るから、お前ね、この人と共演しろって言われて、
それを一週間前に言われたんです、僕がね。
で、じゃあ別れましたって言って当日行って、その池田雅子さんという方がいて、
で、踊りヘップバーの声の人なんですけどね。
あなたなのって、頑張りましょうねって、すっごい優しい方だったんですけど、
頑張りましょうねって言ってリハーサルに入って、一回本番前にステージでね。
そしたら僕ね、声が出なくなっちゃって、緊張して。
当時そのときに来てたある映画監督さんが、演出家やってくれたんですけど、
お前松本、声出てないよ、声が。って言われて怒られて、めちゃめちゃ怒られたんですよ、僕。
そしたら余計喉が萎縮しちゃって声が出なくなっちゃって。
なりますよね。
で、リハーサルは全然リハーサルにならなかったですね。
で、リハーサル終わって、また池田雅子さんに励まされて、
大丈夫よ、大丈夫よって言われるんですね。
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優しい。
そう。それでそんなときに、本番前の休憩に、僕トイレに行くんですけど、
そしたらその演出家の師匠が、すっと入ってきたんですね。
2人並んだんですよ、横にね。
そしたら、松本お前ね、自信持て。自信持てよ。
今まで人生いろいろ苦労してきただろう。小さいときから。
自信持て。お前に大事なのは自信だからな。自信持ってやるよ。
一言優しく言って、すっと出てったんですよ。
で、僕それ言われた瞬間、それでも緊張してるんですけどまだ。
何だろうな。今のは何だったんだろうなと思いながら手を洗ってトイレに出たんですけど。
それで本番が始まって、ステージに挙げられて、池田雅子さんも挙げられて、
36ルミの一番でかいサイズで、ローマの休日の映画のワンシーンを流したんですよ。
それがトルビの泉で、オードリー・ヘップバーンがジェラートを食べるシーンだったんです。
それが大体10分か15分ぐらいのシーンだったと思うんですけど、
そこのシーンの相手役はグレゴリーペックなんですね。新聞記者の役。
その声をやったんです、僕は。
これはもともとジョー・タツヤさんという方がやってたんですけど、
僕がそれをやって、そしたら本番になったら声が出ちゃったんですよ、僕。
本番になったらいきなり声が出て、自分でもびっくりするぐらいだったんですけど、
声を張ることができたんで。
そしたら演出家である司会役をやってた師匠が、終わった後にびっくりしてたぐらいだったんですけど、
お前どうしたんだよって感じだったんだけど。
で、終わって僕はステージをはけて、そのシーンが終わってね。
で、お客さんも帰った後に、友人とか先輩たちもみんな見に来てたんで、
声出てたよお前、どうしたんだ、いいよ声出てるよ、大丈夫だよって言われまされてまた、
で先輩たちと何人か一緒に帰った覚えがあります。
それが最初の声優ということなんですね。
そうですね。仕事というか、何というかね、やらせてもらったことがありました。
じゃあ最初は、今となっては声優とナレーションをされていますけど、
最初は劇団に入られて、本当は何を目指すかって言うんだろう。
やっぱり自分の生き方が、生きる世界が、居場所が、この世界しかないと思ったんですよ。
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それもすごいですよね。
もう今更サラリーマンにはなれないし。
そっかそっか、たしかにな。
決まった時間に行って、決まった時間に帰ってきて、まあそれは決まった給料もらえるからいいでしょう。
一時期その、役者になるのを諦めようと思って行ったのが、
やっぱり普通の生活をしたいって思いもあったから。
そうか、なんか芸術系のことが向いてる方って、
やっぱりサラリーマンとかOLさんとかは、できないって言いますもんね。
できないですね、僕は。
ちょっと人と違う感性を持ってるから、
なかなか社会に混じるっていうのができないって言いますよ。
その中でいろんな人間関係が出てくるじゃないですか。
うーん、そうですよね。
嫌な人がいたり。
結構割と僕は、自分にとって嫌だなって思う人って多いんですよ、そういう世界に。
まあ広告代理店の演技やってるときは、マスコミ関係の関連する仕事だから楽しかったんですけどね、まだね。
あーなるほど。
演技を出して、一人で出歩いて自由に自分で自由に時間使って直近して、そのまま帰ったりすることもできてたから。
うーん、そっかそっか。
割とそれはそれで楽しかったんですよ。
なるほど、いやー、なんかすごいここまで、やっと声優への道っていう感じで。
まず今日はあれですね、そろそろ1時間経ちましたので締めていこうかなと思うんですけど、
俳優としてのジョージさん、俳優を目指すジョージさんのストーリーが聞けたので、
またここから声優としてどんな活動されていったのかっていうお話になってくるかなと思うので、
よかったらラジオトークのほうとかでもコラボしていただければなと思います。
この続きをやるんですね。
そうですね。
続編ですね。
声優としてのジョージさんはまた別の機会で、ぜひぜひ聞かせてください。
ありがとうございます。
いえいえ、とんでもない。ありがとうございます。
なんか本当に、いろんな人生経験をされてるんだなっていうのを。
いや、そんなことないんですよ。
まだまだ子供なんですよ、僕は。
話には聞いてましたけど、俳優さんだったり、
そういう芸能、舞台に入る人って、ちょっと人と感性が違うっていう。
聞いたことあったんですけど、
もちろん違うと思います。
私の知り合いでも舞台に出てた方とかいらっしゃるんですけど、
やっぱり普通に働けないというか、独立起業されてて、
企業関係の仕事されてる方もいるので、
やっぱり自分色というか、自分の魂を表現するっていうのが、
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お好きな方が多いというか、そうなんだなっていうのを。
みんな自分が好きですよ。
自分が好き。確かに。じゃないとやれないですね。
よく自尊心が高いねって僕は言われるんで。
自尊心は高くないと、自分では全然意識したことはないんですけど。
そうなんですね。
独特だよね、個性があるよねって言われることはあります。
確かに。
今日はありがとうございました。
いえいえ、どうもありがとうございます。本当に。
はい。ではでは、これで今日は締めていこうかなと思います。
皆さんもありがとうございます。
まずモトコさんも有子さんも来てくださってありがとうございます。
というわけで今日のコジョネツ・カフェはこれにて閉店していこうとおもいます。
ありがとうございました。
皆さん、今日もありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ぁ楽しい一日をお過ごしください。
ありがとうございます。
はい。ジョージさんまたラジオトークでもよろしくお願いします。
はい、ではでは、失礼します。
失礼します。
01:07:21

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