怪しさの意味
おはようございます。おはなし屋なおとです。今日は、「怪しい人でいこう」というテーマでお話をしていきます。
みなさん、「怪しい」と言われること、ライフコーチだったらないですか。
ほとんどの人は、怪しいと言われないようにしようと考えて、どうすれば自分の活動が伝わるんだろうとか、
何なら、人に自分の身分を明かさずに、はぐらかして、という戦法を取る人もいるかもしれませんが、
今日は、みなさんに、本当に怪しいことは良くないことなのか、
本当に怪しいということは良くないことなのか、という
質問をしたいと思います。 僕の考えです。別に、今日は怪しいということは良いことなのか、悪いことなのか、みたいなことに
結論というのはないんですが、僕の考えとしては、「怪しいと言われるのはチャンスだ」と思うからです。
なぜなら、怪しいと言われているとき、相手の目はどこを向いていますか。
そう、こちらを向いているんです。つまり、興味・関心を向けてきてくれているということなんですね。
もちろん、それは行為を寄せてもらうに越したことはないですが、よくインターネットの世界では、
悪名は無名に勝る、というような言葉を言われたりします。
愛の反対は無関心と言った通り、基本的に僕たちというのは、他人に興味を持ってもらうことが一番大変であり、
一番骨の折れる作業なんですね。
怪しいと言われているということは、確かにあなたにポジティブな印象は持っていないかもしれないけれど、
興味はあるということなんですよね。
だって、どうでもいい宗教団体も、こういう教えがありますので、怪しいって思いませんよね。
思いますか?僕はどうでもいいんですけどね。
本人がいいな、いいじゃん、楽しかったけどって感じなんですけど、
例えば、自分の奥さんとか、自分の旦那さんがすっげえハマってる宗教があって、
宗教ハマってるっていう時点で、えーってなる人も多いと思うんですけど、
もちろん宗教というのは日常にあるものだっていうふうな生活をされている人もいるのもわかるし、
例えばね、悪魔になった時に、すごい今までの考え方がガラッと変わるような、
そういう宗教に入ってて、宗教の言ってる人の教えがどうも理解できないってなったら、
どう思いますか?怪しいって思うんじゃないですか。
でもそれってつまり、その宗教に興味がある状態なんですよ。
なぜなら自分の妻が、自分の夫が、そこに強い興味を示していて、
自分の生活に支障が出ているから、その宗教がどういう立ち回りをするかによって、
自分の生活が変わってしまう可能性もあるんです。
なんか自分も仲良く入心させられるかもしれないし、
自分は絶対こういうのはやりたくないって言って、そこで夫婦で亀裂が入るかもしれないし、
つまり人事じゃないんですよ。
だからね、これは怪しいという言葉をかけられた時、
どういう構造がそこにあるかということが、今の話から僕はわかるんじゃないかなと思っていて、
つまりあなたが怪しいと言われた時、
あなたはその人にとって他人事ではなくなっているというのが、これが現状なんですね。
つまり怪しいとは希望なんですよ、皆さん。
怪しいって言われた時点で、あなたは興味を持たれているということです。
つまり怪しいは利用しないともったいないんですよ。
興味の変化
僕たち情報発信、インターネット芸人としましょう。
インターネット芸人は興味を持ってもらうために命を尽くした。
どうやって通りすがる人を1秒でもこちらに視線を向けさせようかと、
そういうことを考えて日々発信している人間です。
そんな僕たちは興味を集めたくてやってるんですよね。
でも怪しまれたくないと思っている人は、つまりこういうことを思っているということなんです。
ポジティブな興味だけ欲しい。ネガティブな興味はいらない。
でも考えてもみてください。
あなたのことをよく理解していない人からの興味なんて8割型ネガティブなものですよ。
いきなりあなたにポジティブな興味があって、あなたのサービスに興味があって、
あなたの商売にすごく強い興味があって、あなたみたいになりたくていった人は現れません。
何かしらで興味を持って最初は、
なにこいつ。
僕もそうですよ。
は?お話し合うときも。
は?何こいつめっちゃ鼻に触るな。鼻に触るって言いますかね。
何かイライラするなとか、
何かこの人の言ってることちょっと気持ち悪いとか、
最初はだいたいそんな感じです。ネガティブな興味から入る。
けどだんだん話を聞いてくるんですよね。
いや、でもまあ言ってること間違ってないしな。
んー、まあ大きくずれたことは言ってないよね。
で、だんだんだんだん
マイナスの興味がプラスの興味に変わってきて、
で、最終的に
あ、この人ちょっと信じてみてもいいかもなっていう風に
なっていくんですよね。
つまり、怪しいは使えるってことです。
わかりますか。
怪しいからといって、怪しまれることを排除していれば、
あなたに新規のお客さんも現れません。
新規のお客さんが現れなかったら、あなたどんな気持ちになりますか。
発信してもしても、誰からも何の問い合わせもない。
たまに問い合わせてきた人がいるかと思ったら、
なんかね、別に自分じゃなくてもいいようなことを聞いてくるし、
一生懸命質問に答えても、挨拶すらされない。
俺すら言われない。
そんな状態で、次の日もその次の日も発信活動していく。
これで合ってるのかな。
こんなことやって気になるのかな。
こんなことやってる暇あったら別の仕事した方がいいんじゃないのかな。
そんなことを考えているとですね、だんだんだんだん、
自分にはこれ向いてないんじゃないのかなって思い始めるんです。
それが人間というものです。
自分はこれ向いてないんじゃないのかな。
自分はこれやらない方が向いてないのかなって。
もう一回疑っちゃうとね、もう止まりません。
どんどん不安になってきます。
そうなったら不安だからって言って、
勉強したくなって、新しいスクールを探す人もいるかもしれませんね。
そうやって不安の中で一緒に勉強している人、
自分と同じような人たちと出会ったら、
この人たちと一緒にいれば寂しくないし不安もない。
今度はその人たちと一緒にいるためには、
ずっと勉強していかなきゃいけないし、
その人たちがね、
お金を稼ぐことはいいことだという価値観を持っていなければ、
あなたは永遠にその人たちと関わる限り、
稼ぐことも間もならない。
つまり本当に自分がやりたい稼いで生きていくという、
自立して生きていくという生活を取るか、
その人たちと楽しく一緒にいることを取るかという、
何故か意味不明な二択を迫られることになるんですね。
怪しさとの向き合い方
意味わかんないやろ、両方いいやん、両方取りたいやん。
取れなくなっちゃうんです。
いやーきついよ、そうなったら。
本当にあれですよね。
お金か友達か選べ、みたいな。
いや選べん選べん、みたいな感じになって、
来ちゃうんじゃないかな。
そうなったらどうですか、あなた。
嫌じゃない?
嫌じゃない?
何でそれを二択で選ばなきゃいけないの?
…になってくる。
だから今日の話の問題というのは、
怪しいことから逃げるのもったいないんですよ、
っていうことなんですね。
いきなり全服の信頼をあなたに寄せる人がいません。
だからあなたはこう言ってるんですよ。
私のことは信じてほしい。
ただネガティブには思わないでほしい。
もうほとんどいませんね。
はじまりから100%純粋に僕のことを信じていた人なんて
一人もいないことは分かってます、僕は。
だから怪しくていいよって言ってるんです。
昨日ノートにも書いたんですが、
たまにというか結構来る問い合わせの上位に
多い話なんですけど、
コーチングスクールからやってます。
お話しアナウンスを見るとめちゃくちゃ分かります。
ただ僕は周りの人にお話しアナウンスを見ているとは言いません。
お話しアナウンスを見ていると言うことでですね、
コミュニティで微妙な空気になるのが嫌だから。
だから僕はお話しアナウンスのことを見ていることは誰にも言いません。
それでも見てます。
僕はそういう人たちのことを隠れキリシタンと呼んでいるんですが、
いいですよ。
みんなの前でお前はお話しアナウンスと関係があるのかみたいな
踏み入れさせるようなことはしません。
しませんよ。
怪しくていいんですよ。
なんなら怪しいぐらいがちょうどいいと思っていますし、
僕は最近個人的に怪しくなくなっちゃったんじゃないかなということを憂いています。
皆さん、自分が怪しくならないように一生懸命立ち回っているあなた、
僕は逆のことを考えています。
9年間足を続けて、ずっと言語化を続けて、
言葉にし続けてし続けて、
僕は怪しくなくなってしまったかもしれません。
最近の悩みです。
もっと怪しくなりたい。
もっと得体の知れない何かでいたいと、
僕はそう思っています。
なぜなら、これはもうはっきり言います。
怪しさが消えた今の僕よりも、
怪しさが消えて熟練度が増した今の僕よりも、
怪しさ満点の何か意味、言ってること正直意味わかんないでけえ奴が
喋っていることの方が、
熱心に僕のことを追いかけてくれる人がたくさんいたがられます。
噛み応えがね、最近、
クライアントさんたちとはもう本当に、
ワンツーマンの情報発信以外と関係をもう完全に結べているから、
クライアントさんたちに対しては、
ぶっちゃけ今が一番仕上がってるんだよなっていう感じではあるんだが、
これから関わる人ですよね。
発信しかまだ見てない、僕はその人を知らないっていう人たちの熱量が、
弱え。
噛み応えがね、本当に。
問い寄せがしょべえ。
もっとおもろい奴いねえの?って思うんですけど、
もっとおもろい奴いねえの?って僕が思うってことは、
それは僕が怪しくなくなっちゃったんですよ。
なんか、こいつ怪しいなあ。
うわあ、なんかこいつリスクあるなあ。
けど、飛び込もうって、
思えるような人っておもろい人なんですよ。
ただなあ、最近はなあ、
それが減ってきた気がする。
なんか、僕もね、
高校3、4年で一気に父親になりまして、
子供がいまして、
でね、今日も朝、
娘2人がですね、
それぞれ職場、幼稚園、小育園に
家を出たので、朝のご飯の手羽をしてですね、
今日、
昨日の晩ご飯の残りだから、
結局俺が作ったのが、ご飯を食べさせてですね、
いつも化粧している間に、
子供たちを面倒見てですね、
で、子供たちの準備が終わったら、
子供たちを僕が着替えさせてですね、
着替えさせながら、
僕のぽっちゃかったね、
残飯とかをね、処理してですね、
で、「行ってらっしゃーい!」って。
そしたらもう、あの、
次女が、もうパパに抱っこされないと嫌だって言うからですね、
そのまま一緒に下まで降りて、
あの、マンションの下に停めてある車に、
僕がジャルシーズを乗せたら、
もう、パパパパパパーって叫ぶんです。
で、
「ほらマニちゃん、もう行きなさい!」って。
で、もうその、家族さん、僕以外を乗せたね、
NBOXがね、
パパパパーっていうこう、
叫び声をね、散らしながらね、
駐車場から出てきてね、
それを見届けて、
あの、僕は部屋に戻ってですね、
あの、ダンパーを処理して、
植栓機にセットして植栓機を回し、
ね、グラム式乾燥機、
ね、もうあったボタンを押すだけでいいから、
もう洗剤入れてるから寝ちゃうね!
って出て行ったんですけどね、
乾燥フィルター見たらホコリびっしりでね、
日常の準備と悩み
これボタンを押すだけじゃダメじゃねえかと思いながらね、
乾燥フィルターを掃除してね、
で、そのままあの、ホムットのゴミ箱の、
袋とかね、そういうのをまとめて、
ゴミ捨てに行って準備をして、
もうこういうことをね、風を吹いて、
机を吹いて、植石を回して、
とか、いろいろやったらもう9時ですね、
あ、今日散歩行かねえと!
って、この灼熱の時に、
本来だったら、朝6時半とか7時とかの
涼しい時間帯に歩けばいいものをですね、
結局こういう時間に向けて歩いております。
はい。
まともになっちまったなあ。
いつの間にか、
最近ね、もう、
これちょっと僕の話聞いてもらっていいですか?
最近ね、
悩みなんだよ。
最近、なんか俺まともになっちまったよ。
きちいよ。
悩みなんですよ。
子育てとエネルギーの分配
自分がすごく小さくまとまってる気がする。
確かに役割は果たしてる気がするよ。
役割は果たしてる気がするし、
えっと、
ものすごい地に足がついた商売をしている。
ただなあ、最近すげえ重い。
すっげえ重い。
すっげえ重い。
俺これでいいんだっけ?って。
すごい思うなあ。
なんか、
完全に雑談。
余談なんですけど、
なんかさあ、
子供を育てると自信なくなっていかない?
なんかね、
自信という財産があって、
それをなんか、せっせっせっせと、
子供に渡しているような気がしてですね、
なんか、
自信とか、
体力とか、
気持ちとか、
こうしたい、ああしたいって、
なんか、
有限の資産だったんじゃないかなって、
すごい思うんですよね。
今も完全にシャイになって。
子供をね、
一生懸命、
育てているんですけど、
やっぱり子供、
どんどん元気になるじゃないですか。
なった時に、
なんて言ったらいいのかな、
子供の言うことを聞くことが、
仕事みたいに、
なってくるというか、
そりゃそうですよね。
子供はどんどん自己主張をしていくわけだし、
元気なのが、
自分がちゃんと育てられている証拠でもあるわけじゃないですか。
せっせっせっせと子供にエネルギーをね、
蓄え、
ご飯を食べさせ、寝かせ、
あれが食べたいって言ったらあれを食べさせ、
これがしたいって言ったらこれをさせ、
ということをしているとですね、
なんかこう、
自分が使える側の人間みたいな、
なんかこう、
今まで僕は、
結構自分でわがままな人間だと思ってるんで、
自分のわがままを聞くために、
自分で一生懸命、
いろんなことをやって、
生きてきたし、
それを叶えてきて、
かなり充実度高い人生を送ってきた。
そして子供を育てるというプロジェクトだって、
それはもちろん僕はめちゃくちゃ楽しいし、
あと3人ぐらい走って思ってるから、
正直何の不満もないんですけど、
ただ、
自分が、
生命体としての自分が、
変わっていってるというのを最近すごく感じていて、
なんか、
なんていうのかな、
子供の、
子供の意思を尊重したら、
自分の意思を尊重するエネルギーが残ってね、
うん、
やっぱりこんだけ、
家庭のこととか、
育児とか、
いろいろこう、
一個一個丁寧にやってきたのに、
俺のエネルギーって、
こんなもんだっけ?
って思うことが、
すごく増えましたね。
だからなんか、
何でもできるんだけど、
何もできねえぜ。
なんか正直、
こんなはずじゃなかったって思った時もいますね。
なんかなあ、
なんて言ったらいいんだ?
こんなことラジオでしゃべるつもりなかったんだけど、
あのあれよ、
僕は結構、
23ぐらいの時から、
いやもう絶対自分は将来、
結婚して子供を持つから、
今のうちにやりたいことをやっとかないと、
そして今のうちに、
稼ぐ力を身につけておかないと、
後々になって思い始めたら、
今はやるより大変だなっていう発想が、
22、23からあったんですよね。
だから、
僕は、20前半で、
お金を稼ぐことに一回振り切るっていうことは、
もう前の会社辞めた時点で決めてたんです。
最初はお金に振り切るって言って、
だって子供とか、
絶対大事やん。
結婚した時、結婚してなかったから、
奥さんおったら動けんに決まっとるやん。
だから今のうちにやるって言って、
先にバーってやって、
何があっても、
何も諦めなくていいように、
してたわけですよ。
つまり、20前半の僕が、
いつか死ぬほど頑張ったのは、
今のためなんですよね。
子供ができて、家族ができても、
自分のやりたいことは諦めなくていいように、
選択肢がちゃんと残っているように、
家のローンもあって、
子供もいるから、今の仕事マジできついんだけど、
辞められないんだよねって言って、
体ぶっ壊すまで働く人とかって、
普通にいっぱいいるから、
親父がそんな感じだったんで、
別に続けたいとか続けたくないじゃない、
辞められない、辞める選択肢がない、
辞める自由がない、
辞める経済力がないっていう感じだったので、
少なくとも、
ガキの俺にはそう見えたから、
だからそうならないように、
常に何歳からでも、
何でもできるようにしておこうということで、
今32歳、
子供2人いて、
下の子が、
もうすぐ2歳ですわ。
保育園にも入れたしね、
妻も今パートですけど、
働きに出てて、
僕はこういう仕事しててね、
費用は3LDKだし、
僕は、
東京と中野区の1DKに、
4人で暮らしてた人間なんでね、
一軒家だとか、
綺麗なマンションだとかじゃなくて、
間取りでどやれるんですよ。
3LDKっていう単語をね、
なるべく死ぬまでに、
いっぱい言いたいと思ってるんですよ。
だって1DKで4人で住んでたから、
3LDKに住んでるんですよ、僕は。
死んじゃられない家賃で。
3LDKに住んでるし、
で、車も2台持ってる。
でしょ?
だから僕は、
もう何でもできるんですよ。
何でもできるはず。
自分で商売する力があって、
しかもそれもたまたま波に乗れたとかじゃなくて、
酸いも甘いも乗り越えてきた、
9年選手なわけですよ。
何でもできるよ。
何でもできるのに、
何でもやる体力が、
残ってねぇ。
なんでだぁ。
なんでだぁ。
あの子供がね、
2人いる、
パパさん。
聞いてるか?
別に2人じゃなくてもいいよ。
3人いる人、1人いる人、
パパさん。
多分あなたたちと比べ物にならないぐらい、
私は自由です。
自由です。
自由に使える。
時間もまあまあまあ。
時間もまあまあまあ。
自由に使える。
まあまあまあ。
授業に関連すること。
そういう縛りは出てくるが、
普通にね、
自分はお小遣いで、
1ヶ月3万円しか使えませんみたいな、
そんな生活じゃない。
自由ですよ。
ものすごく自由。
だから、
人にもエネルギーがいるんだなぁ。
これは最近とてもね、
感じるんです。
世話って別にエネルギー
使わずにできるんですよ。
だってそれは自分がやるべきことだから。
役割だから。やるんですよ。
ただ、ただ、
世話をすることに関して
エネルギーを使わないわけではないので、
気づいたら、
時間あるんですよ。
お金もあるんですよ。
力もあるんですよ。
エネルギーがない。
悪い。
こんなはずじゃなかった。
ってなるし、
じゃあ別にエネルギー切れでも、
ゆっくりゆっくりやっていこうよと。
言えるほどの経済的余裕が
僕になるかと言われると、
多分あるんだろうけど、
自分が積み重ねてきたもの的には、
まあもうちょっと欲しいよね。
って言うから、
僕はすごい昔から悩んでいることでは
あったんですけど、
大雲みたいな資産はないので、
走り切ってるわけでもないし、
経済から本当に切り離して、
山元で一年暮らせるようなお金はないんですね。
さすがに。
そう考えると、
こんな道半ばで、
こんなちょっと経済上がったみたいな
気持ちになってて、
いいのかなみたいな悩みは正直、
正直あり。
正直めちゃくちゃある。
エネルギーが。
エネルギーが。
エネルギーが子供と家族に
輝いている。
僕は最近思って、
エネルギーって有限だったんだ。
無限にあると思ってた。
時間と体力さえ
自己の変化と体力の低下
確保できれば、
やりたいことなんて
いくらでも出てくると思ってたし、
何ならやりたいことをやる
という行為に、
MPがかかってるとは思わなかったな。
だから例えば、
今皆さんがですね、
お金のための仕事をしていたりとか、
やらなくてはいけない義務が
たくさんあって、
その義務から解放されたいというのも
一種のエネルギーなんですね。
反発するエネルギーなんですよ。
それもなくなったとしたら、
もう完全に
自分の中の魔力だけで
生きていかなきゃいけない
ことがあるんですよ。
僕はもう立てる中指がなくなってしまった。
見返したやつもいねえ。
ああ。
でなると、完全に
自分の奥からエネルギーを生み出さないといけないから
回ってるんですよ。
自分の中のエネルギーというのが
全部子供に行くんですよ。
ああ。
ない。
ない。
20代の頃には
計算になかった
なんていうのかな。
やりたいことをやるのも体力がいる。
イメージ、夏、
アウトドアに行ける車もある。
ああ。
で、アウトドアに行くだけのお金もある。
アウトドアに休みはある。
ただアウトドアに行く気力がねえって言って
冷たい部屋、エアコンの利いた部屋で
ずっと漫画読んじゃうみたいな。
でもその、漫画読むことがやりたいときは
それは幸せなことなんだけど
海行くのめんどくさくて
家にある、もう読み飽きた漫画
読んじゃうみたいなことって
ないですか。
だから僕はすごいねえ。
自分の乙女をめちゃくちゃ感じます。
自分にならなきゃだめだなって思う。
だから僕もやっぱり
30歳に入ってきて今年からなんだけど
体力的な衰えを感じてきました。
特に僕は本当に
10代後半から死ぬほど体を鍛えてきたので
エネルギーは有り余ってるタイプだったんですね。
です。
自信があったんです、体力が。
ただやっぱ、その体力に自信があるということ
その分上限も知ってるということなので
こんなに体力あったけど
今ちょっとなあ
っていうのが
出てき始めて
一生懸命
今もウォーキングしてますし
歩きながら
なんとかそこに抗ってはいるんだけど
親としてのエネルギーの消耗
だんだんだんだんね
後から身に付けた健康習慣とかでは
どうにもならない
生命エネルギーみたいなものが
あるんですね。
そしてそれを子供に捧げて
子供を
子供に捧げば子供のエネルギーが
どんどん満ちていく
そのエネルギーの
扱いというのは
子供はまだ自分で扱えませんから
子供が腹を減ったと言われれば
なんか僕じゃないと思う
僕の中にある
子孫を反映させるという
人間の遺伝子が
子供を一秒で植えさせてはいけないという
本能のスイッチを押してる気がするんだよな
自分じゃないなと思いますもん
子供に飯を食わしてるときとか
お腹空いたって言ってる子供に対しての
使命感みたいなものが
なんか自分じゃないなと思う
本当に
誰だお前って思うぐらい
やっぱその子供の
欲求を叶えるということに
エネルギーをものすごく
使ってる気がして
僕は自分でやってきたことに
自信もあるし確信もあるから
今この瞬間って
過去の自分が
欲しくて欲しくてたまらなかったものを
未来の自分に託して
手に入れた
最高の
32歳ライフのはずなのに
この蓄えたエネルギーが
全部子供に
なんなら子供のフリして
俺のエネルギー吸ってる
でっかい長女がいますからね
なんで赤身と同じような
扱いをしてくれないの
ってこの間言ってましたね
喧嘩した時にねうちの妻がね
いやなんでじゃねえよ
お前はこっち側だから
なんでそっち側に立とうとするの
なんで自分もらえる側だと
思ってんのって
与える側だよ一緒に与えようよ
って感じではあったんですが
なんかやばい
結構ね最近本気で悩んでます
世話をすることに
僕の生命エネルギーが
生命エネルギーが
取られてしまって
感じがありますね
どうなんだろうなぁ
もう何かをしたいと思う
イメージなくなったのかなぁ
それか自分の中で
やりたいということを
やるというね
自由というものを謳歌してきたので
なんかそこが満足しちゃったのかなぁ
ちょっとわかんない
だけど一つだけ言えるのは
僕のこのエネルギーも
必要ですよね
オーラの色が
変わったからどうなんだろう
もう怪しい怪しくて
力たっぷりなビジネスもできないのかなぁ
わかんねぇ
そこは自信がなくなったとかじゃなくて
自分のオーラの性質が
変わったのか
そういう年齢なのか生命的に
ちょっとここは謎が多い
今日の話をまとめるとね
まとめると
怪しいって武器だよ
っていう話ではあったんですが
どうなんだろうね
喋りながら考えてたらちょっとわかんなくなっちゃった
みんなどう思う?
みんなどう思う俺の話聞いて
俺についてどう思う?
わかんなくなってきたけど
なんかでも
自分の現状として子供に
生命エネルギーを
とても吸われている気がして
本能的に
自分もそれを望んでいる気も
するんだが
ただ
こんなはずじゃなかったと騒いでいる僕
自分自身も
いますね
子供育てるって大変だよねっていう話になってきました
怪しいという概念
俺が子供いなかったら
どうなってたんだろうな
もっとエネルギーを自分に
蓄えちゃうのかな
ひとつだけ言えることは
エネルギーって有限なんですね
無限じゃない
その辺から湧き出てくるものじゃなくて
自分の中で練り上げていくものだから
今日の話
何でしたかっていうと
子育ててる人に
あなた頑張れないのはあなたのせいじゃないんじゃないっていう
提案をした提案というか
ひとつの解釈を広げてほしくて
喋ってるっていうのは正直あるんですよ
やっぱり僕のクライアントさんも
子育てしてる方多いです
しかも子育てに参加してる比率が
高ければ高いほど
例えば旦那さんがほとんど
家事しないみたいな家の人
の奥さんであればあるほど
家事への参加率
家事への参加率が高ければ高いほど
あと子供がちっちゃければちっちゃいほど
っていうのはあると思います
人によっては家事めちゃくちゃやってるけど
子供が大きいから
結構自分にフォーカスを見とれるよっていう人も
いらっしゃるでしょうし
別に家事は半々ぐらいでやってるよってなっても
子供がちっちゃいから
子供に対するフォーカスがいける
なんか
すげー話変わるんですけど
稼ぐ男って子供いるのに
子供っぽかったりしませんか
それは
次世代を育むということに
無意を使わないで
住んでいる
いい歳になって
稼ぐ男で
家庭的な男って
あんまりいない気がするんだよな
なんか子供みたいな
感じの立ち回りをする人に
稼ぐ男って多いなと思って
それはシンプルに
自分の役割が
親として
自分として次世代を育むことではなく
経済的に成功して
つまり自分にエネルギーを蓄えて
狩りをすることなので
子供の世話より
自分の
武器を磨くことにエネルギーを使えてる
人なんじゃないかな
だから昭和のおっさんとかって
偉そうな顔して社会で成功してる割に
クソガキじゃないなんかイメージ
家のこと全然できないし
一人で何にもできないんで
うちの親父とかその典型だけど
自分の作る飯一食さえ作れないから
あんだけ偉そうにしても
子供も全然育ててないし
っていうのはやっぱり
エネルギーの穂先を
子供に向けてない
家族に向けてないから
自分の活動に向けれるんだろう
っていう風に思ったな
だからたぶん
有限ないんだよエネルギー
有限なの有限
限りあるのよ
っていうのは最近
まあうち
子育て中ではありますが
子供ちっちゃいので
子供にエネルギーを
吸われているような
そんな気は
しました
だからな
たぶん僕
ちょっと普通じゃないんですよ
子先をね
自分を輝かせることに向けちゃったからね
自分を輝かせるエネルギー
そんなに持ってないんだよな
そんな気がする
そんな気がするし
これでいいのかっていう自分も
いけますね
どうしよっかな
もうちょっと愛しくなりたいけどな
個人的には
なんかこう
自分のパワーが
どんどんやっぱり
一時期より下がってるのを
パワーが下がってるというか
総量度変わってないんだけど
注ぐ方法がね
多分キッズたちにつくんだろうね
まあだからまあ
生き物として正しい
気がするけどな
1個体としてはな
俺まだ自分輝きたいんだよな
まだちょっと裏手に回るの早いな
と思ってますね
どうしよっかな
クッソ怪しくなろうかな
意見聞かせて
以上