自分の頭で考える重要性
こんにちは、おはなし屋なおとです。今日は、自分の頭で考えるにも訓練が必要というテーマでお話をしていきます。
個人で生きるっていうことは、自分の頭で考えて生きるっていうことなんですよね。
会社の一員として働くには、もちろん頭は使いますが、誰かから何かこれをしなさい、これをこの手順でやりなさい、
あれはしてはいけない、何時にここに行きなさいというふうに言われて、そこから頭を使い始めるというのが一般的な社会人の頭の使い方だと思います。
与えられた課題をどういうふうに解いていこうかということですね。これが社会人に求められる頭の使い方なのだとしたら、
僕たち個人で生きるものは社会人ではないのかもしれない。だって社会で生きていくんじゃなくて、
自分で自分の解決するべき課題を探して、それに自分から取り組む。社会関係ないですからね。
こうしてくださいと言ってくれる社会がいるわけじゃないので、ただその社会的な問題に取り組むという意味では、社会に関わるので社会人かもしれませんが、
社会の定義が違うので、僕たちは一般的な社会人になるような教育を受けてきてます。小中高大、大学は行く人行かない人もいると思うけど、
僕たちは社会人になるように教育されてるんですけど、個人で生きて自分の頭で考えて生きていくっていうのは、その想定された社会との付き合い方ではないんですね。
言われたことをやる。言われたことを工夫してやる。言われたことをより効率よくやるっていうのと、何にも言われてない状態で、
自分ここだったら解決できますよとか、自分この菓子提供できますよっていうことは、こういうふうにしたらこういうふうなメリットが与えられて、
最初の自分が仕事を作るところからやるっていうのは、社会人じゃ社会人なんだけど、社会との関わり方が違うんですよね。
何て言ったらいいのかな。これが自分の頭で考えることの難しさだと思ってます。
社会との関わり
僕たちって課題が与えられたらものすごい頑張っていろいろできるように、そういうふうに教育されてるわけなんですけど、
自分から課題を見つけに行くとか、自分からこれが提供できるよっていうふうに提案していくっていうことを習ってきてないんですよね。
僕たち大人は免許持ってる方って多いじゃないですか。ペーパードライバーでという方もいらっしゃると思うんですけど、
身分証としての役割も大きいので、使いはしないけど運転する資格を持ってるよっていう方も多いと思うんですよね。
でもそれって何で運転できるようになったんですかって言われたら、多分ほとんどの人は教習所に行ったからじゃないですか。
別に普通に生きてたらなんとなく運転できるようになったりはしないですよね。
その感じと近いなぁと僕は思うんですね。自分の頭で考えるっていう行為ができるようになるのって、
普通にぼーっと生きてても身につかないんです。この社会で社会人として身につく能力っていうのは、
課題があってその課題に対して与えられた課題に対してより良い答えを出す、より合理的な答えを出す。
一般的には一般的にクリエイティブって言われるような文脈でも、その話が与えられて解決策として創造的な回答をする。
これがクリエイティブだと思っている人がほとんどなんですね。
本当のクリエイティブっていうのは僕が語るのもおこがましいけど、
個人で自分の頭を使って生きていくっていう文脈のクリエイティブって別に問題ないんですよ。
何かから与えられないんですよ。ただ自分からその社会というものを一歩引いた状態で見て、
その自分の顧客となりそうな状態の人のことを一歩引いてみて、そこであれこれだったら提供できるかもしれないぞ、
こういう歌詞だったら渡せるかもしれないぞということに気づいて自分からアプローチしていくっていうのが、
個人で生きていくために必要な自分の頭で考えるなんですね。
だから僕は企業のサポートをめちゃくちゃしてるんですけど、5年ぐらいかなやってきてるんですけど、
この自分の頭で考えるっていう個人として生きていく社会人の一員じゃなくて、
個人で社会と関わっていくという文脈の中での自分の頭で考えるができてる人っていうのはほとんどいないんですね。
それは会社員として優秀だった人でもそうで、やっぱり僕たちがそういう教育を受けてきていないからできないんですね。
自分の頭で考えたつもりになっても、それは何か与えられた答えとか、別にもう与えられてるわけじゃないんだけど、
ルーティーンの影響
与えられると思っているという課題に対しての試行錯誤がみんなできるんだけど、そうじゃない。
自分からこれってこういう使い方できるんじゃないか、これってこういう掛かり方できるんじゃないかっていうようなおせっかいを焼きに行くみたいな、
それが個人に求められるクリエイティブであって、自分の頭で考えるっていうことなんですね。
だから個人で生きていくためには自分の頭で考えなきゃいけないんだけれども、
それって難しいので訓練していこうねっていうのが今日の主張なんですが、
何の話してんの今日。
久しぶりに朝、ラジオ撮ろうと思って、
最近ちょっとね、いろいろ机の上でね、紙にいろいろ掛け殴りながら考えたりしてて、
ちょっとその整理をしたいなと思って喋り始めたんですけど、最近こんなことばっかり考えてんだよな。
なんか自分の頭で考えるということをみんなできてない。
なんかなんとなくそれは僕もそうですよ。僕もそう。
ルーティーンワークというか、やっぱり今は子供が幼稚園保育園行ってて、
妻が働きに出ててっていう状況で、今は子供たちを車に乗せるところまでサポートして、
そこから散歩をしていくわけなんだけれども、やっぱりある程度社会との接点が増えると、
それなりにルーティーンワークが増えますわな。
出勤時間とか、登園時間が決まっているので。
ってなるとやっぱりね、人間は頭使わなくなるなってめちゃくちゃ思うんですよね。
気づいたら朝だってなるわけですよ。朝の時間だってなって、
頭を使わなくても行動が始まるんですね。
これって一種の社会性なんですよ。
社会の時間割に合わせて生きていくっていうことね。
でもこの社会の時間割に合わせて生きていくとね、
なんかね、クリエイティブな部分が死んでいく気がする。
確かに今娘2人が幼稚園保育園に行って、妻が働き始めて、
僕1人の時間が増えたんですけど、
なんかね、机の上でA4の白い紙広げて、
物を書きながら考えるみたいな時間がね、
この半年くらいなかったなって思って。
なんか不思議ですよね。
あかりが幼稚園に行き始めたのが去年なんで。
あかりが幼稚園に行き始めたからかな。
なんかその社会、社会の流れに僕たちが参加したんですよ。
それまでマリちゃんは僕の仕事を手伝ってましたし、
あかりが長女なんで、あかりが幼稚園に行くまでは、
社会と僕らは何の関わりもなかった、何の接点もなかったので、
なんかこう自分の頭で考えるということを、
自分の頭で考えるしかなかったんでね、
時間の流れすら全部自分たちが決めてたので、
普通に朝、家族3人で10時とかまで寝てたし、その時は。
4人もおったか、葵もおったかってなった時に、
社会の流れに参加した途端になんか脳にもやがかかったような気がする。
なんかぼーっとしてても生活が回っちゃう感じ。
だってぼーっとしてても朝8時15分には家を出なきゃいけないから、
そのために準備しようと思ったらまだ7時前後から動き始めるじゃないですか。
7時前後から動き始めようと思うと夜は遅くても11時半とかには寝ないと。
7時間半寝れないから。
ってなってくると11時半に寝ようと思ったら、
夜9時以降は基本的に仕事はしないほうがいいよね、とか。
晩御飯の時間まで決まってくるじゃないですか。
なんかね、楽なんですよね。
この決まった時間に決まったことをやるというのは楽なんだけど、
この楽さがあるとなんか、
自分の頭で考えるのギアが1個軽くなった気がする。
軽くなってしまったような。
本当に今まで社会に参加してきてなかったんだね、僕は。
社会人として本当に社会に参加してたのは23歳まで。
23歳までかな。
そこからはずっと独立して生きてるし、
自分の頭で考える重要性
妻もちょこちょこ看護師とかしてたけど、
あの子は結構ね、夜勤とかしてたので出勤時間もバラバラで。
その日その日暮らしの時間割で生きてたけど、
なんか今が一番、
そうね、社会の時間割に沿って生きてる気がする。
なんかそうなった時に、
自分の頭で考えなくても、
ちゃんと次の日が来るというか、
なんか適度に忙しいから、
なんかね、なんつったらいいんだろう。
何か考えよくやらないですか。
自分の頭で考える。
だから個人事業主としては必要な、
まあ余計なおせっかいじゃないけど、
自分の何かしらの提案をしていくみたいな、
未来を作っていくみたいな、
自分の頭で考えるかな。
なんか与えられたことをこなすんじゃなくて、
未来を作っていくみたいな頭の使い方をしてる時に、
なんかもう一、二段階じっくり入りたいところで、
もう次の幼稚園の準備が来ちゃうみたいな。
それで幼稚園の準備に送り出して、
ふーって一息ついて散歩してってなったら、
僕は大体朝一にスナーポイントとかセッションの予定入れてるので、
入れて終わったら昼過ぎ、
昼過ぎちょっとご飯食べてゴロンってしたら、
もう妻帰ってくる。
妻帰ってきたら子供たちが腹減って、
パパ、お腹空いたって言ってくる。
なんか作る。
食べさせる。
そっから散歩行く。
でしたらもう夜ご飯の時間だから、
夜ご飯食べさせる。
お風呂入れるってなったらもう寝るなんですよ。
あら、なんか、
自分でコントロールしてないぞ。
っていうのはすごい思いましたね。
家族4人のうち3人が社会に出て、
その3人の世話をしてるのは僕なので、
自然的に自分のペースじゃなくなる。
社会のペースで生きるようにはなる。
僕自身は社会人じゃないけど、
社会には参加してないけど、
自分のお仕事をしてるので。
ってなった時に僕の仕事ってどこまで行ってもクリエイティブなんですよ。
自分で作ってるので、
その価値観、世界観作って、
自分でこういう未来がいいよねっていうことを提示して、
ほんとこうゼロから作ってるものなので、
なんか頭の使い方がね、
おやおやおやと、
なんかこう、社会のリズムに
なんかこう適応していきながら、
全く新しいもの作るのは難しいなって思った時に、
あ、そっか、個人で、
自分の頭で考えるって難しいんだって。
僕のクリエイティブさんとかはね、
やっぱもう既に企業を持った人もいるけど、
そうじゃない、今ゼロ一頑張ってるって人もいらっしゃる中で、
やっぱ自分の頭で考えることができてないなって思うんですよね。
時間割の影響
それがなぜなのかっていう話だと、
やっぱり社会に参加しているから、
ほとんどの人は自分の頭でもっと考えてないわけです。
課題が与えられて、初めて基礎展開な発想ができた。
これをクリエイティブと呼んでるわけですよ。
そういうもんじゃないんですよ。
本当のクリエイティブ。
本当のクリエイティブを自分が語るのはおこがましいけど、
誰にも何も求められていないところから、
新しい未来を提示する。
これが僕の中でのクリエイティブなんですよね。
誰も期待していない輝かしい未来を、
あなたの手で、想像力で出現させることが、
僕の中のクリエイティブ。
想像力ですよね。
想像力。
社会人って想像力いらないね。
社会のリズムに合わせて生きると、
すごいちっちゃくなる。
旅行とか行かなくなるし、
最近そういうことをめちゃくちゃ考えてますね。
あれ?なんか俺思考浅い!
みたいなことを思ったときに、
あ、時間割か!っていうふうに思ってます。
確かに時間割ってあったよね。
学校にね。
学校って社会姿勢を立てるところだからね。
だから学校にあるものって大概、
企業家にとって邪魔なものだからね。
時間割か。
決まった時間に決まった服装で来て、
それはあれですよね。
会社の業務用の制服を着て、
すごいスピードでベンツが走っていくが、
それだけすごいスピードを出しても
信号には引っかかるからな。
危ないぜ。
だからこの時間割という概念ですよね。
時間割という概念は、
遅刻せずに会社に参加するための練習だと
僕は思ってますね。
そう考えると、
ここ1年ぐらいで
僕の人生に時間割という概念が発生したな。
みんなが社会に出るようになって。
すごいな。
時間割はこんなにクリエイティブ感を奪うのか。
ということを考えております。
最近はそんな感じです。
以上。