特別な日の思い出
おはようございます。社会保険ラーム氏でキャリアコンサルタントのかなや なおこが送る【社労士ママのしごと×子育て交差点】ということで、タイトルには書いてないんですけれども、入職を挙げながらライブをしていこうかなと思います。
はい、今ですね、第一子3歳のですね、保育園を送っていって、ちょっと買い物に行きまして、ようやくお待ちかねのご飯でございます。大変お待たせいたしました。
はい、ということで、昨日はちょっとベラベラベラベラと、本題に入る前に7分ぐらい、8分ぐらい、全然関係の話をしてしまったんですが、本日はちょっと、本題というのか、テーマについてゆるゆると話していこうかなと思っています。
本日5月13日火曜日ですね。5月13日、今日は何の日かなっていうふうに調べるとですね、なんて書いてあったかな。なんかね、今日は何の日。カクテルの日だったりとか、13歳の日。
あとは竹酔い。竹酔い蓄水日。竹を植えるといい日と呼ばれたりとかね。なんか世界的にはこんな記念日があるんだなっていうふうに思ったんですけれども、私にとってはこの5月13日とっても特別な日で。
タイトルにもあるように、20年前の5月13日にですね、私の大好きだったおじいちゃんが亡くなったんですよね。どういうふうに亡くなったかっていうと、肺機種っていうね、肺の機能がどんどん低下していく病気で、それでも嫁もね、言われてたんですよね。
ちょうど、これもね、なんか因果なもんですけど、4月にね、福知山線の大きな脱線事故がちょうど20年前にあって、その日がおじいちゃんの最後の退院の日だったんですよね。
その事故を見て、なんだろう、大変なことが起こったなぁみたいな感じで、退院の時にね、うちの祖父が言ってたらしいんですけど。
その日、退院してきて、大体約3週間経たないぐらいですかね。
5月13日の本日、うちの祖父が亡くなって。亡くなった時間もね、はっきりとはわからないんですよね。
大体、私たちが見つけたのが朝の7時ごろだったんですけど、おそらく死亡推定時刻は朝の5時ぐらいだろうと。
倒れているのを発見して亡くなっていたっていうことだったので、救急車は来たけれども、多分病院にね、24時間以内にかかっている死亡ではないので、警察が来たりとかね。
事件性がないかどうか、しっかり調べられて。
どうしたの?おいしくない?
おいしくない?ちょっとあれかな、時間ですけど。
おちんできる?
そんな感じでね、すごく、私その時19歳だったんですけれども、人の生と死っていうのを肌で感じた1日だったんですよね。
その時、私ちょっと仕事を退職したのかな、休めたのかな。
実はアルバイト、フリーターしてたんですよね、その時に。
フリーターをしていて、ちょうど、確か辞めたばっかりだったのかな。
祖父の介護も少しだけしてたんですよね。
排気臭っていう病気がね、最近見かけないんですけど、結構酸素を吸って歩く方って、町で見かけたことってなかったですか?
そういう感じで、うちの祖父はね、外出する時に酸素を吸わないとちょっと大変な状態だったんですね。
なので、自分の肺で吸う量ではとてもじゃないけど、動くための酸素が足りない。
なおちゃん先生、おはようございます。ご無沙汰しております。
なおちゃん先生のオープンチャットをいろいろチェックしておりました。
なんてお声掛けしたらいいのかなって思いながら、結局お声掛けできなかったんですけれども、いかがでしょうか。
今日はね、5月13日って、私のおじいちゃんが20年前に亡くなったんですよね。
排気臭っていう病気で亡くなったんですけれども、ちょうど自宅で亡くなったので、病院にはかかっていたんですけれども、病院にかかって24時間以内の死亡というわけではなかったので、
この日はちょうど今ぐらいの時は警察がバタバタ来てたりとかして、
おばあちゃんは呆然、うちの母は悲しむ間もなく警察の対応とかに追われてた感じですかね。
なおちゃん先生、ありがとうございます。今週です。
そうだったんですね。本当にお子さんの気丈な姿に私もちょっとびっくりしたいね。同じく。
なおちゃん先生、排気臭苦しいですね。そうなんですよ。
結局排気臭の最後って、二酸化炭素、酸素を自分の力で必要量吸えるっていうだけじゃなくて、
二酸化炭素を排出できなくなってしまうんですよね。
なので、うちのおじいちゃんは最終的には、もちろん酸素を取り込むという機械も借りてたんですけれども、
結局二酸化炭素を体から出すことができないので、二酸化炭素を出す機械もお借りして自宅で療養している状態でしたね。
家族の反応と学び
結局、本当に最後の退院したのがちょうど福知山線の脱線事故があった日に退院したんですよね。
その時は玄関をただいまって言って、うちのおじいちゃんが元気な姿で立ってたんですけども、
本当にそれも、ヨーグルト嫌?今ね、子供にヨーグルトあげてるんですけど、めっちゃ嫌な顔してます。
口閉じ切り、ごめんごめん。ティッシュで拭いたらティッシュ食べそうになっちゃった。
なつ先生、福知山線の脱線事故覚えてます。
そうなんですよね。ちょうどあんなね、脱線事故の時にうちの祖父が退院してきて、やっぱりもうすごい事故だったので、
あのテレビ、多分病院のテレビで見て、大変やなーっていうのをポソッと言ったっていうのは母から聞いてるんですけどね。
本当、排気手ってすごく大変なんですよね。二酸化炭素を自分の力で排出することも結局できなくなっちゃって。
出してはいるんですけど、酸素も自分の力で取り込めない。二酸化炭素も自分の肺の機能で出すことができない。
なってくると何が起こるかっていうと、自分の力で立つことができなくなったりとか歩くことができなくなってくるんですよね。
で、もう最終的には本当に座ることもままならない状態。
今、0、3、7ヶ月、椅子に座らせて臨床あげてるんですけど、この子も今軸ができてないから、あちこち倒れそうになりながら固定してご飯あげてるんですけど、
もう座っててもだんだん傾いてきちゃって食べられなくなっちゃう。
でもそれでも亡くなる前ですとか、お刺身食べたから、全然咀嚼機能までは全然そこは問題なかったので、
本当にそういう状態。
そうなんです、座ることまで。
で、やっぱりお手洗いとかは行こうとはするんですけど、行く途中で廊下で倒れてたりとか、帰る途中に廊下で倒れてたりとかね。
本当にそういう状態で。
退院からほんと3週間経たない状態で亡くなったんですけど、
これが介護で、例えば半年とか1年とかって考えると、家族も残ったかなって正直実感としてはありましたね。
家族で介護をする。
しかもその時は私も母も20年前からまだちょっと元気ですし、祖母も今は2日症入ってだいぶ大変ですけど、その時は元気だったんで。
大人3人で女性で介護してましたけど、これを一人で介護するってなかなか一気に気力、体力、いろんなものが削られるなっていうのはすごく実感として。
あったんですよね。
そんな風におじいちゃんが倒れた時に私も支えて、うちの母も支えて、いろいろ介護してたんですけど、
本日の20年前に、うちのおじいちゃんがちょうど朝7時ぐらいですかね、亡くなっているとこが発見されて、そこから警察が来たりとかいろいろしてたんですけど、
最初見つけた時に、私免許取ったばっかりだったんですよ。免許取った時って、教習所帰ってたことはわかると思うんですけど、
心配疎成すると思うんですよ、心配疎成。それやったばっかりなんで、私は今わかってると思って、何とかおじいちゃんを追ってするんですよ。
したんですけどね。
したっていうか、しようと思ったんですけど、怖くて正直できなかったですね。
すごいやっぱり、すごい力でするじゃないですか。
それで、本当は私がしなければおじいちゃん助かるかもしれないのに、私がやって、余計大変なことになったらどうしようって思って、怖くて押すことができなかったんですよね。
でもしないと、でもできないってなっちゃって、本当に自分の無力さというか、そんな感じでしたね。
なおちゃん先生、お母様も大変でしたね、自宅で亡くなると。
そうなんですよ、そうそう。
一応うちのおじいちゃんの状態って、最後の退院をするときに、
普通に食べてくれたらいいよ。
うちのおじいちゃんの状態って、一応余命宣告されて最後の退院をしてきたわけなんですけど、
それでもやっぱりね、24時間以内にお医者さんにかかってないっていうことで、
ママの膝で落ち着いて食べましょうか。
そうなんですよ。
でもやっぱり24時間以内に病院にかかってないっていうことで、
警察が来て、自検性がないかしっかり確認してから、ご愁傷様でしたっていう感じ。
で、やっぱりそのときに、心臓マッサージしようかなと思って触ったときとかも、
すごい冷たかったんですよ、おじいちゃん。
そういう人の冷たさっていうのも初めて知ったんですけど、
その後とかもね、やっぱりおつやしたりとか、いろいろあると思うんですけど、
最後、冷たくも温かくもなく歯になっちゃうんだなっていうのをね、
一例の流れをね、おじいちゃんがすごく20年前に教えてくれたのかなっていうのをね、
すごくこの日はいつも思い出します。
そう教えてくれたんですよね、そうなんですよね。
本当に近しい人の死って、
もちろん全くなかったわけじゃないんですけど、
今まで普通に、それこそ12時間ぐらい前は、
12時間ぐらい前っていうかな、
普通におじいちゃんを支えてて、
その時は温かかった、体がこんなに冷たくなるんかとか固くなるんかとかね、
それが何だろう、歯になっちゃうっていう。
あ、なおさん先生貴重なお話ありがとうございました。
こちらこそ朝からありがとうございます。
お気をつけていってらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
そうなんですよね、そういうのをしんみり思い出す日っていう感じ。
思い出す日なんですけど、
子供が生まれてきてからは、
本当ここ数年とかは、
おじいちゃんこの日亡くなってんなだけじゃなくて、
私ちゃんと人生生きてるんかなって、
結構振り返る日にもなってるんですよね。
本当にうちのおじいちゃんは、
定年までしっかり同じ会社で働いてて、
家族支えてみたいなね。
本当そんな感じの実直な人だったんですけど。
うちのおじいちゃん20年前に亡くなってるんで、
別におじいちゃんの身の絵話しても、
個人情報とか言われないと思うので。
うちのおじいちゃんって、お母さん二人いてるんですよね。
本当のお母さんは、
37か6歳ぐらいのときに亡くなっちゃって、
そこからすぐにママ母ができたのかな。
ちょっと私もそんなに詳しいところはわかんないんですけど。
戦争の時に生まれてるというか、
小さい頃に戦争体験してる人なので、大阪でね。
なので、チラッと聞いた感じだと、
大丈夫?もういらんかい?
なかなか落ち着いて話せないですね。
眠たい?眠たいかい?
眠たいかい?
37歳、6歳ぐらいのときに、
産後の日立ちが悪くて亡くなったっていうふうには聞いてるんですけど。
なので、本当はうちのおじいちゃんね、
下に二人兄弟いるはずだったんですよ。
でも生まれて数ヶ月ぐらい?3ヶ月とか。
ちょうど今、うちの子抱っこしてるぐらいの、7ヶ月ぐらいの子だったかな。
そう、二人ね、亡くしてて。
最後の子供を産み張って数ヶ月ぐらいで、
亡くなりはったみたいで。
また多分おじいちゃんもね、
小学校1年生とか、そんなもんですかね。
そのときにお母さん亡くすってどんな気持ちだったんだろうとか。
空襲があったときとかでも、
当時って着物なんですけど、
その家の中からね、お母さんの着物を取って、
かたみとかね、っていうのを子供のときに聞いたことがあって。
やっぱり自分が今母なんで、
今この子たちがね、
この子たちの前から私がいなくなっちゃったら、
この子たちはどうなっちゃうんだろうかっていうのは、
すごく考えるようにもなりましたし、
なんか、この子たちがね、
お母さんがいなくなっちゃったら、
この子たちがね、
私が生きるか死ぬかとかそういうわけでもなくて、
なんだろう、この子たちがね、
幸せに生きるために…
ミルク欲しい?
ちょっと待って、ミルク作ってくるわ。
眠たい?行ってやろう。
眠たいかな。抱っこしとこうか。
そうなんですよね、広いろ考えますね。
何言ってるか私も全然わからなくなってきましたけど。
本当、とりあえずこの日は、
よく振り返ることが多くなったなっていう感じですかね。
そんな感じです。
本当なんか、自分のこれからの生き方どうしようかなとか、
そんな感じかな。
生きざまは死にざま、死にざまは生きざまっていう言葉が
確かあると思うんですけど、
本当なんか、それを実感したのは祖父のお葬式。
そのお葬式がね、お葬式ですごくいろんな人がね、
集まってたんですよね。
おじいちゃんの働いた元同僚だったりとか、
あとは父方の祖母とかも、足悪いんですけど、
来てくれたりとかね。
もう自分、もうだいぶ前に亡くなってますけど。
なんか本当に、私の知らないおじいちゃんの
人間関係をね、すごく見た時間というか見た期間というかね。
別に私、お葬式あげたいとは思わないですけれども、
たぶんおじいちゃんみたいに慕われる人生は
たぶんないだろうなって思ってはいるんですよ、自分みたいにね。
なかなか人間関係うまくいかないですけどね。
でも、すごく大切な人たちに囲まれるような、
そういう生き様というか、
死の時にそういうふうに迎えることができたらいいなっていうのはすごく感じましたね。
なんかそこなことも、子供たちにも、
ママ大丈夫とかお母さん大丈夫って言ってもらえないような
関係性はちょっと嫌だなっていうのは、今思うと。
そういう関係性があったりとか、
そういう関係性があったりとか、
そういう関係性があったりとか、
そういう関係性はちょっと嫌だなっていうのは、今思うと感じますね。
なんかねんねしたいわけじゃないの?
ねんねしたいわけじゃないんですか?
そうなんですよね、今日はそんな重めの話をしましたが、
すごく私にとっては大事な、思い出のある日というかね。
なので、ちょっとお話させていただきました。
うん、ほんとね、おじいちゃんね、ほんと大好きやったなーっていうのは思いますね
うん、そう、あの今日のね、おはラーメンはちょっとカップラーメンを食べてる女の子を見てるおじいちゃんっていう図にしたんですよね
それは、私が、私と結構ね、妹がカップラーメン食べたりとかね、ラーメン食べたりとかすると
一緒に住んでたんですよ、おじいちゃんと、その時に匂いさしてんなーって来るんですよね、おじいちゃん
で、おじいちゃんね、あの結構シャイというかね、恥ずかしがり屋さんで、なんていうのかな
と話はしたいんですけど、めっちゃグイグイグイグイ自分から話しかけてくるタイプでもないんですよ
きっとそのおじいちゃんの中では、あのカップラーメンを食べてる私たちをね、と話すきっかけとして
あー、なんかいい匂いさしてんなーっていう感じで来てくれたんだろうなと思うんですけど
なんかそんなことをね、結構思い出すんですよね
なんか、あのシャイながらも、なんとか話しかけるきっかけを作ろうと
で、いろいろ観察してくれた結果、私たちが今ラーメンを食べてるから
じゃあ、なんかちょっとこれをきっかけに話しかけてみようかなって思って言ってくれたんかなっていうのをね、今やったら思うんですけど
そんなことをね思い出して、今日はちょっとスーパーでカップラーメンを買ってきました
日清のシーフードヌードルです
日清のカップラーメン、何が一番好きですか?
私はもうシーフードヌードル一択なんですけど
今日のお昼はちょっとおじいちゃんのことを思い出しながらね、カップラーメンを食べようかなーって思います
なんか、どうしたの?
まだなんか食べたいんかな?
でも、あれやん、お粥あんまりじゃなかった
はい、なんかちょっといろいろやろうかなと思ったんですけど
お腹寝ないね
ミルクあげないと寝なさそうな感じもするので、ちょっとミルクあげたりとかしようかなと思います
はい、それではちょっと20年前の今日大好きな祖父が亡くなりましたということで
学びと振り返り
ちょっとうるうるしてた場面もありましたけれども、お話しさせていただきました
それでは、素敵な午後をお過ごしください
金谷菜子でした