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2025-08-18 18:58

【エモ回】#11亡くなった父との思い出【りぃちゃんソロ回#6】

今回は りぃちゃんソロ回🎤✨

お盆ということで、亡き父との思い出をお話ししました。


ちょっぴり切なくて🥺、でもどこか温かい気持ちになれる…💐

普段はにぎやかな恋こじですが、今回はすこし立ち止まって、家族や命について考える時間をお届けします🌸


大切な人を思い出しながら、ぜひ聴いていただけたら嬉しいです💖🎧

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サマリー

このエピソードでは、りぃちゃんが亡くなった父との思い出を語っています。お父さんの職業や性格、そして彼との関係の変化について詳しく述べられており、父の闘病生活や最期についても触れられています。また、故父に関する思い出や、彼から受け継いだ資格の重要性についても語られています。さらに、彼の生前の考えや影響を振り返りながら、日本の文化であるお盆を通じて感謝の気持ちが強調されています。

りぃちゃんの趣味と父の思い出
元情緒不安定系メンフィラで、いかみしのりぃちゃんです。
この番組は、恋と闇、時々こじらせ。大体人生脱線してる。
ということでね、今回もソロ回撮っていきたいと思います。
今はね、パンを作りながら、録音しようかなと思って、作業しながら録音しております。
なんかね、もはやもう私の趣味なんだけど、
うちはね、基本的にパンはね、米粉パンを子供には結構食べさせるようにしてて、
米粉パンってさ、なんかどこでも売ってないしさ、売っててもなんかそんなおいしくないんだよね。
なので、なんかいろいろたどり着いた結果は、自分で焼くっていうね、スタンスでしたね。
その米粉パンと麹、さかだね麹っていう、麹でね、今流行ってる塩麹とかの味ないバージョンの麹みたいなのがあるんだけど、
それがね、パンの発酵に使える麹で、それと米粉パンを合わせて焼くっていうやつの講座を受けて、
雰囲気的に焼いて、冷凍して、繰り返してます、うちは。
今日はちょっと新作を焼いておるんですが、うまくいくといいな。
そんな感じで本編にいってみましょう。
父との関係の変化
ということでね、今回のテーマは、最近ね、お盆前ということで、結構私はお父さんのことを最近思い出すことが多いので、
うちの父について語っていこうかなと思います。
うちのお父さんね、もう亡くなってるんですけど、3年前にね、がんで亡くなってるんですけど、
仕事は歯医者をやっていて、自分でクリニックを経営してて、
私結構ね、遅生まれだったんで、いつだろう、今生きてたら70歳ぐらいかな。
67で亡くなったんで、私が生まれた年に介護したんですよね。
それまでは大学病院で、準教授くらいまで行ったのかな。
準教授って言ったという感じでしたね。
私ね、父とめちゃくちゃ性格が似てて、もうね、めちゃくちゃ仲悪かったの。
仲悪かったっていうか、見つからんだよね。
高校生の時にさ、ヘラってさ、いろいろなんかこう、髪染めたりなんやりかんやり、いろいろしてた時期もあって、
もうほんと一時期ね、超賢悪で、私ももうなんか一緒にいるのしんどいし、
多分ね、今考えたらお父さんもしんどかったと思う。うざいし。
私は幼稚園、小学校、中高、大学、全部私立に行かせてもらってて、幼稚園の時に面接みたいな。
小学校の時、小学校受験して、中学校も中学校受験して、中高ストレートの女子高行ってたんだけど、
高校の途中で辞めて、編入みたいな感じかな。で、通信行って、そこでもう覚醒したよね。
遊びほうけました。遊びほうけて、大学も行っても遊びほうけて、なんやかんや歯医者になりました。
私の話はね、また今回はちょっといいかなって感じなんだけど。
そんなこんなで、父とはいつだろうね。
でも、小児さん、私がそれこそ金髪やって、高校辞めて、自由にやってるようになってからは意外と仲良かったかな。
で、大学行って、一緒の家じゃなくなるじゃん。
結構あれだね、夏休みとか春休みのために早く帰ってこいよとか、LINEくれてたなっていう感じ。
で、まあ大人になってからは割とあれだね、仲良い感じでやってたけど、やっぱり青春時代、春季っていうのかな、すごいね、揉めてたね。
でも、うちのお父さんね、酒癖も若干悪かったんで、酒飲むとね、DVしますとかそういう感じじゃないんだけど、
なんかこう、わざわざ寝てるのに、寝てないんだけどね、寝たふりしてるんだけど。
あの、私も減らってる時期にさ、電気バンって消して、でも自分の部屋で寝てんだよ。
なんだけど、酔っ払って、そもそも私の部屋3階で、お父さんの部屋1階なのに、
ダンダンダンって上がってきて、わざわざ入ってきて、なんでお前は学校に行かないんだ、みたいなのを言ってきたりとかする系だったんだけど。
でも大学行ってからは、一緒にお酒飲んだりとか、まあ普通に、父も出身大学が私の大学と一緒だったから、遊びに来たりとか。
まあやっぱりあれだよね、まあ夫婦でもそうだけど、離れて暮らすとね、嫌なとこあんま見えないから仲良くできるというか、そういうのはあったかな。
父の闘病生活と最期
で、まあ私が2年生の途中で、薬を飲んでODして、飛び降りたんですよ、3階から。
まあちょっとここフランクに行くね、ここライトに行くね、そう、飛び降りたんですけど。
知らなかったんですけど、うん。
その時とかもめっちゃ喧嘩したね。
うん。
当たり前か、当たり前だよ、もう。
で、まあもう今とりあえずあの、何だろう、歴史の流れとして話すけど、卒業して研修院になって、地元戻って、地元の大学病院で研修院してたんだけど、もう秋ぐらいかな。
本当にね、コロナがね、すごかった時期だったんだよね、私が研修院の時期って。
秋ぐらいに、なんか健康診断で引っかかったか血液検査かなんかで引っかかって、お父さんが。
で、精密検査するってやって、精密検査したら、まさかのガンで、もうステージ4だったんだよね、その時。
でも全然普通に自分の歯医者、バリバリ仕事してたし、バイクが趣味だったんだけど、バイクも乗ってたし、だったんだけど、それって分かって。
でも4ってさ、知り合いとか身近な人がガンになった方は分かるかもしれないけど、4ってもうね、手術じゃ取れないね。
取ったところで変異とかしてるから治んないから、基本的には化学療法とか放射線療法になるんだけど、で治療するってなって。
でも入院はしなくて、通院で治療してて、仕事もしてて。
なんかね、絶対入院してやんないってすごい言ってたんだよね。
で結局一回やっぱちっちゃくなって、ある程度普通に戻ったっていうか、ある程度あんまり今までと変わらない。
バイクも乗ってたし、生活をしてたんだけど、私が研修医が終わって、今の旦那と研修の時に知り合って、結婚するだ、なんだかんだってなって。
でその時まではでもね、元気じゃないけど別に普通には生活できてたんだよね。
で結婚して子供できて、いつぐらいかな。妹が研修医の時だったから冬かな。
私子供が4月予定日で、3月末ぐらいに生まれたんだけど、予定予定で3月末に生まれるってなってて。
でその入院するって、私がね入院するってなってた1週間前にハホれたわけじゃないけど、具合がめちゃくちゃ悪くなって、入院したんだよね救急車で運ばれて。
でもうその時に、もうね嫁だなんだかんだっていう話になって。
でもうね、1人目のね妊娠中から出産から、そうだね、生後半年ぐらいまで、結構なんかドラマかなっていう生活を私は送ってたんですけど。
そもそもなんか1週間後に孫生まれつってんのに倒れてるしさ、なんかでも別に会話できるとかそういうことじゃ全然なかったんだけど。
まあ倒れたーって聞いて行って、こっちも妊婦よ、顔見たら大丈夫孫の顔見るからって超言ってて、まあ泣いたよね。
でまあ孫生まれて、まあ私の子供ね、生まれて無事あって、その1ヶ月後ぐらいになくなったのかな。
結局最後はね、まあ家で買うわけやって感じかな。
まあなんか本人がね、家がすごい好きな人だったから、もともと家でねのんびりするのが好きなタイプだったから、まあ家連れて帰ろうってなって、まあ家で過ごしたっていう感じですね。
まあ流れとしてはそんな感じだったかな。
まあ今考えると当時のメンタルって感じだったけど本当。
まあうち私含めね、家族全員。
でもまあなんかなんだろうな、やっぱりこう人間死に際になると、こう感じるものがあるというか、なのかなーと思ったのは、
まあ家に帰ってきて、まあ顔負けやみたいな感じになってて、
でもうちの父、肺にもがんがあったから、結構ね、呼吸が苦しいと人間しんどいんだよね。
で、でもまあギリギリ喋れるみたいなときに、なんかね急にね、
あの、お母さん呼んでこいとかね、今ここにいない妹呼んでこいとかね、なんか全員家族を急に集め始めて、
で集まったら、なんかありがとうって、ボソッて言って、
何言ってんの?みたいな、まあみんな泣いてんだけどね、何言ってんの?みたいな感じになった。
次の日ぐらいに結局、しんどすぎて、まあ薬を使ってちょっと半分眠ってるみたいな感じになっちゃったんだよね。
で、そうなってからはもうすぐ亡くなった感じなんだけど、
でも別にね、そうなるってわからんかったし、なんだろうな、
まあでもなんかそうなる前にちゃんとこう、いろいろ言いたいことは言ったんかなーと思ったりとか、
あんまりね、お酒飲んだら喋るんだけど、あんまりこう、なんていうのかな、私と似てるんだけど、
こう、自分の心の奥の奥を常にさらけ出してるタイプじゃないから、
まああんまりこう、そこらへんは語んないタイプだったんだけど、
まあ今自分が親になって、まあ子供の教育だったりとかもそういうのいろいろ考えて、
それと同時にやっぱりさ、お金のことも考えたりするじゃん。
まあそういうの考えたら、まあすごい良い生活させてもらってたなーって思うのと、
まあもう父が言ってた、もうその病気とかになる前からずっと言ってた言葉で、
いやもう本当に感謝だなーって思うのは、
まあ俺はね、お前らに遺産は残さないって。
お母さんには残すかもしれないけど、お前ら兄弟にはもう残さないって。
これねずっと10年ぐらい言い続けて、もっとかな、ずっと言ってたの。
父との思い出と影響
もう全員大学入った時かな、入ってからだと思うんだけど、
まあでも10年近くずっと言ってて、もうお前らにはもう遺産は残さない。
ただまあ俺はお前らに資格を残せたから、
それがもう俺の成分増量だと思ってるよ、みたいな。
まあよく語ってて、当時はさ、なんか言ってんなーって思ってたんだけど、
いやもう本当にその通りで。
やっぱりこう会社として働いて、大変なこともあるけど、
でもやっぱりそのお金っていう面で見たら、
本当に優遇されてるし、なんだろうな。
やっぱりこう仕事もない、どこも働くところがないとかってなることって絶対にないから。
妹もね、司会師と看護師一人ずついるんだけど、
それぞれ資格を持ってて、みんなうちは兄弟は全員国家資格を持ってるっていう感じなんだけど、
やっぱり、例えばまあ旦那がいなくなったりしたりとか、
別れたりとかしても、
でも私は頑張れば絶対子供養えるし、
絶対にそこらへんの生活は守れるなって自信を持てるのは、
まあ父がくれたこの国家資格のおかげだなーと思うわけです。
まあ子供に絶対資格を取らせたいとは思わないけど、
やりたいことがあるならやればいいと思うけど、
やりたいことないなら資格取んなっていうかな、私は。
別に高校生の時に司会師の免許が欲しいと思って、
大学に行ったわけなんだけど、
その時から、なんていうのかな、
司会師として沢山の人を救いたいとか、
困ってる人のためになるようにっていう、
そういう公衆の考えはなくて、
ただまあやっぱり手に食じゃないけど、
将来的に自分があまり困らない仕事に就きたいなっていうのはあったから、
それで行ったって感じなんだけど、
なんか本当そういう面ではね、本当に良かったなって思うかな。
私はさ、なんだろうな、あんまりこう、
どうでもいいとかそういうことは思わないんだけど、
なんだろうな、敗者としてすごくプライドを高く持ってて、
信念が強い、強い信念があるって、
あんまり私自身はないんだけど、
でも父はね、すごいそういう信念をね、しっかり持ってて、
まあね、当時はね、なんかいろいろさ、語られてもさ、
なんか言ってるわって思ってたけど、
今となっては、やっぱりこう、敗者になって、
何年?6年目になるのかな?
やばいよね、敗者になって6年目ですよ。
うん、になった今、当時はまあわかんなかったけど、
敗者としていろいろ語りたいかなと思ったりもするかな。
ね、元気にしてんのかしらね。
だからね、まあでも、なんだろうな、
うちの父のすごいなと思うところは、
一番下の妹、大学最後まで行ってた妹、
兄弟の中で、私ともう一人の妹はもう社会人なんだけど、
末の妹だけ、最後の年、大学の。
で、まあ大学行ってて、
で、まあそのままストレートで資格は取れたんだけど、
結局、末の妹が大学卒業して、社会人になったっていうタイミングで、
本当に亡くなって、何て言うのかな、
本当なんか自分の仕事を全うしてじゃないけど、
やることやっていっちゃった感じだったね。
まあでも、親になって3年経って、
下の子2人目も生まれて、
まあ良かったなと思うのはね、
上の子だけだけど、抱っこもさせてあげれたし、
顔も見せれたからさ、
それは本当にね、どうにかこうにか良かったかなと思うんだけど、
うちの父は何を考え生きて、何を考え亡くなったのかなと、
今になってはすごい考えたりもしてますが、
まあでも幸せだったんじゃないかなとは勝手に思っております。
感謝と今後の人生
結構旅行とか好きだったんだよね。
だからいろいろ行ったし、バイクも好きだったしね、バイクもいろいろ乗ってたし、
毎年やっぱりね、お盆が来ると思い出しちゃいますね。
まあ忘れることはないんだけどさ、もともとどうしてんのかなって思います。
今日はちょっとね、暗めの話にはなってしまったんだけど、
そんなにね、もう忘れはしないし、ずっと感謝はしてるし、
どうしてんのかなって話してるなって思うこともあるんだけど、
でもやっぱりこういうお盆の時期っていうのにね、
亡くなった身近な人のことを思い出すのは、
いいことじゃないのかなと私は思います。
まあでも親になってやっぱり思うよね。
自分の親への感謝とか、今まですごいよくしてくれてたなって思ったりとか、
それはご存命のね、母にも思うんですけど、
あとやっぱり日本のね、お盆という文化はとてもいいものだなと、
大人になって思ったりもします。
思い出せるっていうのはすごい大事なことだよね。
まあまあこれからもね、私の人生は続いていくので、
程よくゆるゆると楽しく生きていければいいかなと思っております。
そんな感じでね、今日はちょっとお盆の話をしたいなって思って、
すごいね、暗い話になりましたが、私はまあ元気です。
おいこじでは、悩み相談や追憶暴露や感想のお便りお待ちしてます。
よかったらマシュマロから送ってみてください。
また次回お会いしましょう。バイバイ。
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