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おはようございます、かなやなおこです。
本日は土曜日ということで、ペットの話をしようかなと思います。
皆さん、ペット、何か飼われていますか?
何か飼われていましたか?
私はね、今はヒョウモントカゲモドキっていう爬虫類を2匹飼ってます。
ヒョウモントカゲモドキなので、トカゲではないんですね。
ヤモリの一種なんですけれども、一番先にお迎えしたのがレオちゃん。
2人目にお迎えしたのがフーちゃん。
カゼって書いてフーちゃんですね。
レオちゃんとフーちゃんのこの2匹を飼っております。
なんかね、フーちゃん毎年なんですけど、
このね、ちょっと春が終わって初夏に入ってくるぐらいね、
ご飯はあんま食べなくなってきてて、
毎年なんですけど、ちょっとこの時期に胃腸を壊す女の子なんですね。
ちょっと食べてはくれてるんですけれども、
ちょっと心配ではあるので、ぼちぼちお医者さんに行ってまた胃腸薬をもらってきた方がいいかなというふうには思っております。
本日私が話をしようと思っているペットなんですけれども、
もうね、だいぶ前に虹の橋を渡ってしまいました。
よくね、虹の橋って言われるんですけれども、なくなっちゃったんですね。
だいぶ前になくなったペットの話をしようかなと思います。
私、何歳ぐらいだったかな。
20歳を超えていたかと思うんですけれども、ジャンガリアンハムスターのね、男の子を飼ってました。
ジャンガリアンってどんなのかわかります?
なんかね、結構目がうるうるっとしてて、
結構手のひらサイズかな、ゴールデンハムスター、金クマちゃんとかよりはね、ちょっとちっちゃめのサイズの子なんですけれども、
ほんとね、かわいいんですよね。
ウルっていう男の子だったんですけど、
ウルがね、このみかんの、みかんが大好きだったんですよ。
みかんのツボをね、シャリシャリシャリシャリして、シャリシャリシャリして、
おいしそうに食べてる姿がね、ほんとにかわいくて、
あとに人参も好きでしたね。私は人参も好きじゃないんですけど。
結構ね、ハムちゃんとかね、人参好きやなーっていう風に思いますね。
ウルがね、私の家にやってきたのは、
まあ多分生後ね、1ヶ月ぐらいの時やったかなー。
ほんとまだね、ちっちゃくて赤ちゃんみたいで、
あのー、19グラムだったんですよね。ほんとちっちゃくて、
そう、もふもふしててね。
ただね、すごいあの神経質で、結構ね、神経質な子で、
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まあまあでも、まああのぐらいのね、赤ちゃんとかやったらまあしゃあないかなと思うんですけど、
1ヶ月、2ヶ月ぐらいだったかな、私のとこ来た時は。
まあまだまだ赤ちゃん、少年、そんな感じやったかな。
で、お迎えしてからね、1ヶ月ぐらいでね、亡くなってしまったんですよね。
で、私がまあちょっと後悔していることがあって、
うーん、まあ小さい生き物なんでね、
やっぱり環境の変化とか、そういったストレスにすごく弱くて、
亡くなってしまうっていうのは、私も事前に勉強していたりはしてたんですけれども、
もっとこうしていたら良かったんじゃないか。
もしかしたらね、少し長生きできたんじゃないだろうか。
っていうね、悔いは残ってます。
まあおちのびなんですけれども、ジャンガリアンハムスターのだいたい寿命というのは、
2年から2年半、まあ3年までいったらもうね、だいぶご長寿、長生きですね。
私のハムちゃんは、まあウルはね、2ヶ月、まあ2ヶ月かな、お迎えしてから1ヶ月、
たぶん1ヶ月か2ヶ月ぐらいだったかな、亡くなっちゃって。
私が旅行中だったんですよね。
それで旅行中の時にね、お世話は実家の母とね、父にお願いしていました。
でね、あの旅行中に母からね、連絡が来て、
あの、突然ですがウル亡くなりましたっていう風に連絡が来てました。
で写真も載ってました。
でね、なんか、やっぱり突然のことでびっくりしたし、
先ほどまあ寿命ね、だいたい2年から2年半、まあ3年生きたら長生きってお話しましたけれども、
ウルはね、全然そこまでいかなかったんですよね。
で私の中ですごく心残りがあったのは、
あの、母とね、まあ父が、私のウルをね、預かってくれるって言ってくれた時に、
あの、置いておく場所がないからって言われて、
テレビのすぐ近くにね、置かれてたんですよね。
私すごくね、なんかテレビのとこじゃなくてもう少し、
あの、まあ電磁波とかやっぱりいろいろあるかな、テレビの音量とかね、
そういったところの近くじゃなくて、もう少し静かなところに置いてほしいっていうのはすごく思ってたんですよ。
でもね、それがね、言えなかったんですよ、やっぱり預かってもらってるし。
で、まあ2日ぐらいのことやから、2日3日ぐらいのことやから、
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もうそこでごめんね、我慢してねっていう風に思ってしまったんですよね。
で、あの時ね、私がちゃんと言ってたら、
あの子はもう少し長生きできたのかな、
っていうことはね、すごく思います。
まあ本当にウルが亡くなって、もうだいぶね、
10年以上は経っているので、
まあその、母への気持ちとか、
私が言えなかった後悔の念とかね、だいぶやっぱり薄らいではいます。
薄らいではいますけど、
で、なんかその後にね、妹もハムスター飼ってて、
妹の方がウルより先にハムスター飼ってたんですよね。
で、それで妹の時はね、なんかちゃんとしてくれたところに置いてたんですね。
ちょっとテレビから遠ざかって。
だからね、なんかすごくウルはあんなところに置かれて亡くなったのに、
妹のハムスターだけはちゃんと置いてくれてるんだな。
まあ、もしかしたら父と母もなんか思うところがあって、
テレビのすぐ近くじゃなくて、今度はちょっと離れたところに置こうっていう何か教訓ができて、
ちゃんとハムスターに置いたのかもしれないですけれども、
なんでウルの時にそうしてくれへんかったんやろって思うこととか、
やっぱりでもなんで私も強く言えなかったんだろうか。
あの時本当に強くね、言っていればっていうことは結構長いことね、
後悔していたことがありますね。
両親に対しても許せなかった部分でもあったし、
それ以上になんでもう少し強く言えなかったんやろっていうね、
そういうのもありましたね。
一応ね、それでも亡くなってしまったものは仕方がないので、
私ができることは大切にウルを伴うことしかできなかったから、
お葬式してね。
ウルの命日がね、11月16日なんですよね。
11月16日になったら、あくまでも自分の心の中ですけど、
本当にね、あの日の懺悔じゃないけど、
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あの時はごめんねっていう気持ちだったりとか、
ちょっとウルのことを思い出したりとか、
そういうふうに忍ぶ時間にはしてますね。
やっぱりね、10年経っても思い出しますね。
思い出しますね。11月16日が来たら、
ああ、ウルが亡くなった日やなって。
私あの時旅行してて、それで亡くなりましたっていうお知らせが届いて。
あの時の情景とかね、やっぱり感情ってまだまだ風化せえへんもんやなっていうふうに思いました。
それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌のいい一日になりますように。金谷菜穂でした。