「自立」の一般的な意味と筆者の経験
おはようございます。社会保険労務士でキャリアコンサルタントのかなや なおこです。 社労士なおこの働き方・多様性研究ラジオでは、働き方、ジェンダー、お茶でお手間にこうするしかないなという考え方を、こういう考え方もあるかもしれへんなと思えるような小さなきっかけをお届けする番組です。
これってなんでこんなんなんやろとか、えーこれおかしないというばかりの出発点に、歴史や制度、統計や海外の事例もたどりながら考えていきたいと思います。
はい、それでは本日のタイトルです。
自立の意味が変わった日、エド・ロバーツの言葉と広辞苑の間で考える、です。
はい、ではタイトルの自立という言葉なんですが、皆さんはこの言葉にどんなイメージを持っていますか?
私ね、この広辞苑で自立という言葉を調べました。
そうするとこんな意味がありました。
他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること、独り立ちという意味が広辞苑の中での自立だそうです。
はい、この自立なんですけども、私も小さい頃よく親から言われていました。
自立してくれたらそれでいいよーって。
ほんとね、小さい頃っていうか、10代?20代前半?20代前半ぐらいまで言われていましたね。
私がそれまで思っていた自立なんですけれども、精神的にも経済的にも自分一人の足で立って生活する。
それが大人になるということでもあり、自立するという意味だと私は思っていたんですよね。
でも最近この言葉の意味が少し変わりました。
エド・ロバーツの言葉との出会い
私、コテンラジオさんの生涯の歴史というエピソードを最近まで聞いていたんですよね。
このエピソードを聞いていたときに、すごい素敵な言葉に出会ったんですよね。
アメリカで自立生活運動をされているエドロバーツさんという方の言葉です。紹介しますね。
人の助けを借りて15分かかって衣服を着、仕事にも出かけられる人間は、
自分で衣服を着るのに2時間かかるため家にいるほかない人間よりも自立している。
もう一回言いますね。
人の助けを借りて15分かかって衣服を着、仕事にも出かけられる人間は、
自分で衣服を着るのに2時間かかるため家にいるほかない人間よりも自立している。
私ね、この箇所だけね、何度も何度も繰り返し聞いていました。
最初ね、私通勤の時に長らで聞いているので、ぼーっとした時に、
ん?ん?ちょっとどういう意味?みたいな感じで、そういう意味で何回も聞き直した部分もあるんですけど、
でもようやく意味を理解して、何度も聞いてたんですよ。
この言葉を聞くたびにね、なんかね、胸の奥で温かいものが流れるっていうか、
ああ、そうやなっていう納得?っていうんですかね、感銘を受けたんですよね。
自立って何も一人で全部やり遂げることじゃない。
そう思ったんですよ。
自分にきちんと意思決定を持って、必要な時に人の力を借りて、
行きたい場所に行くこと、したいことができること、
ほんまはそれが自立なんちゃうかなって思ったんですよね。
エド・ロバーツの人物像と障害者支援
このエド・ロバーツさんどういった方か少し説明させていただきますと、
自立生活の父と呼ばれるような人物でして、
このエド・ロバーツさんご自身も障害をお持ちなんですよね。
ご自身の体験をもとに障害者の自立だったりとか、
自己決定の重要性を世界に広めた方、有名なんですよね。
確かね、世界で初めてかな、障害を持っている方の自立生活センターを創設して、
初代の所長を務めた方ということでも有名だそうです。
ちょっと記事に戻っていくんですが、この自立の概念、
障害をお持ちの方に関してのところで書かれてはいるんですけれども、
「自立」の概念の普遍性
なんか私これって障害を持っている方だけの話じゃないなって感じるんですよね。
障害を持っていなかったとしても今ね、
ある日突然交通事故や病気で障害を持つことになるかもしれません。
障害でなかったとしても、風邪ひいたっていうこともあれば、
いろんな病気って本当にいっぱいあるじゃないですか、
その病気に罹患することもあります。
自分自身が元気であったとしても、必ず人間って老いていきますよね。
ずっと20歳並みの体力があればいいですけど、
まあまあそれもなかなか難しいですよね。
やっぱり40歳になったりとか、60歳になったりとか、80歳になったりとかすると、
ずっとやっぱり20歳の体力でやっていけるわけでもない。
あとは小さい子どもがいたり、家族が病気や障害を抱えていれば、
介護などのケアもしなければいけない場面も出てきますよね。
少し私の話もさせていただければと思うんですが、
筆者自身の経験と「頼る」ことの意味
私は4月に育児休業を明けて、職場復帰をしました。4月22日かな。
職場復帰をする前の部署から移動しまして、
その移動先で今、新しい業務の知識を身につけたりとか、
あとは人間関係を今積み上げていっている途中です。
なおかつですね、今4歳の子どもが自閉スペクトラム症で発達もゆっくりなんですよね。
その子の子育てと、あと1歳の子育てがあります。
そして先日、私の母がガンという診断も受けました。
でですね、さすがにちょっと、これちょっと重なりすぎてて、
しんどいなって思ったんですよね。
もしこれで私が無理して倒れてしまうと、
たぶん起き上がるのにめっちゃ時間かかりそうだなって直感的に感じました。
なので今は本当にいろんな人の力をお借りしています。
「依存先を増やす」こととしての自立
先ほどね、ちょっと冒頭の話に戻るんですが、
工事園の自立では他の援助や支配を受けずっていう言葉がまず初めに入ります。
でも誰かの援助を受けたりとか、誰かに頼ることは自立から遠ざかっていくんでしょうか。
誰かに助けてもらうこと。
それって、自分のこの部分は弱いなぁだったりとか、
この部分はちょっと自分では背負い切られへんなぁって、
ちゃんと自分自身を冷静に判断して、その上で助けを依頼している。
このプロセスこそ私は意思決定のプロセスだと思っているんですよね。
なんで助けを依頼するんですか。
それは自分自身のこうありたいなっていう実現したい目的があって、
確実に行動したい現れだからだと私は思うんですよね。
頼れる場所をたくさん持つことで、自分の意思決定をより自由に実行できるようになる。
私、以前ですね、5月19日のノート記事かな。
そこでもですね、自立と依存の話をちょっと書いたんですよね。
東京大学の教授であり、小2階の熊谷慎一郎さんの言葉なんですが、
自立とは依存先を増やすことだ、というふうにおっしゃっているんですよね。
江戸ロバーツさんの言葉では、ちょっともう一回言いますけども、
人の助けを借りて15分かかって衣服を着、仕事にも出かけられる人間は、
自分で衣服を着るのに2時間かかるため、家にいる他ない人間よりも自立している。
この言葉と、言葉の奥に流れている感情っていうのかな、
それがすごく同じなんじゃないかな、っていうふうに私は感じているんですよね。
もし、自立という言葉に縛られて、しんどくなっている人がいるとしたら、
自分らしい生き方としての「自立」
まず一度、ご自身にとって、自立ってなんなんかな、
って、一度ちょっと胸に手を当てて考えてみてください。
もちろん、一人でやり抜くこともめっちゃすごいと思います。
すごい。私にはできない。
でも、人の手を借りたら、もっと自分が自分らしく生きていけるのやったら、
自分の人生をもっと自分で動かしていけるなら、
私はそれも十分、自立って言えるんちゃうかな、って思うんですよね。
さて、皆さんはどう思いますか?
はい、それでは最後までお聞きくださりありがとうございます。
本日もご機嫌な一日となりますように、金谷菜穂子でした。