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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生です。
本日は、教えて❣️スタエフ・プロの人❣️9回目になります。
9回目のゲストさんは、子育てパパさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
この番組というか企画、初めてご登場いただいたので、聞いていただいたことはたくさんあるということで、ありがとうございます。
もうご存知だと思うんですけれども、こちらの企画では、
私がですね、自分ではない、自分にはないその道に精通していらっしゃるプロの方を、
プロ・アマ、それをご職業としているかしていないかに関わらず、読んでお呼びしてね、いろいろ聞いてしまおうという番組になっております。
本日は、子育てパパさんに来ていただきました。
パパさんといえばね、やっぱり読書、ご本の紹介ということなんですけれども、
まずパパさんの自己紹介、改めて言うほどでもないと思うんですけれども、
自己紹介と、あとご自身のチャンネルの紹介をしていただいてよろしいですか。
ありがとうございます。
子育て×読書体験ラジオという番組をしております。
子育てパパ×読書術研究家と申します。
今回はお招きいただきましてありがとうございます。
番組自体は2020年4月から配信をしていて、今月で34ヶ月目に入りました。
もう少しで3年間ということですけれども、今ご紹介いただいた通り読書番組ではあるんですけれども、
その書籍越しにね、私が私に投げかけをするという題材を取っているので、聞いた方がどう思うかは査定期だったりしますけれども、
少しでもね、書籍っていうものに洞察を向けてくださるように、私がお話をした内容から調べてみようかとか、
書籍を手に取ってみようかと思っていただければいいなと思ってですね、配信を続けております。
そうなんですね。スタンドFMをパパさんが始められたきっかけっていうのは何だったんですか?
きっかけですね。何度かお話したことあるかもしれませんけども、本当に知人に勧められたんですよ。
そうなんですね。
スタンドFMという音声アプリがサービスが2020年3月ぐらいですかね、
ローンチされて試してみたらっていうその程度だったんですけども。
その、勧めてくださった方はスタンドFMをされていたんですか?
してないんですよ。
関係者とかそういうわけでもないですよね。
でもなくて、たまたまそういうサービスができて、
話す練習になるんじゃないの?ということで教えてくださったんですね。
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本当にその程度で、その方は配信してないんですよ。
へー、不思議。
そうなんですね。
ということは、もともとパパさんは何か書籍に関することを発信するということをされていたんですか?
時々登壇したり、あとはSNSでつぶやく程度で、何か別に音声で配信するということもなかったですし、
そもそも音声発信って何だろうって思ってましたんで、
よくわからずにスタートしたというのが実情ですね。
なるほど、じゃあそのスタンドF自体がリリース、世の中にリリースされた翌月からスタートされているっていうことですね。
たまたま本当にそういうタイミングだったんですけど、その後なんとなく気まぐり続けているという、そんな番組ですね。
質問が前後しちゃうんですけれども、今は本当にほとんど毎日配信されてますよね?
そうですね。メンバーシップ向けにも含めてですけども、何か1回は1日つぶやこうかなと思ってですね。
配信を続けているので、もう何ヶ月毎日つぶやいているか分からないですけども、今のところおかげさまで続いているということですね。
それは34ヶ月というふうにおっしゃってましたけれども、4ヶ月間毎日なんですか?
最初は1日起きとか3日起きとか5日起きの時もあったんですよ。
なんかひままに押してて、毎日意識することもなかったんですけど、途中から習慣化したんですよね。
習慣化したら毎日押すことになったので、それからはあんまり何も思わずに毎日開くみたいなことになったんですけど。
そうなんですね。それも、ほら、パパさんの配信を聞かれている方はご存知だと思うんですけれども、
そんな今日、私みたいに朝起きて寝坊しちゃいました、みたいな感じじゃないじゃないですか、中身がね。
今日はネタがないぞ。しょうがない。子供たちでも引っ張り出してくるかとかね。
そういう気にくなさくような感じが全然しないので、毎日どのように。
変な話。やはり毎日配信されている方って、つまずくところがやっぱりネタを。
そうでしょうね。
だと思うんですよ。私もなんか気がついたら、毎日近く何かしらをするんですけれども、
私自身は全然毎日配信にはこだわっていなくて、むしろ毎日配信はしないって決めてたんですよね。
そうなんですか。
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毎日配信してしまうと、毎日配信できなかった時に落ち込んだりとか。
そうですよね。
あとは強迫観念にしなきゃってとらわれるとか、何日か間が空いちゃったら戻るのが嫌になっちゃったりとかね。
あるでしょうね。
あるでしょうね。
するのが、ちょっと自分的にはこれはあくまでも自分の趣味の一環として始めたものなので、
そこにとらわれてしまうのはちょっと違うかなって思っていたんですけど、
はい。
蓋を開けてみればほぼ毎日見てるみたいな。
そうですね。1日に配信されてらっしゃる方も時もありましたし、1日10配信されてる方時もありましたよね。
そうなんですよ。ただ、これは自分で思うことなんですけど、1日配信がちょっと長めなのでどちらかというとね、
1分とか2分とかっていうものではないので、15分のものを2回配信したら、
お一人の方のお耳時間を30分奪ってしまうことになりますので、
そうですね。
そうすると3分の方を10人聞けるわけじゃないですか。
はい。
それなんか申し訳ないなと思って、基本的には1日1配信と思ってるんですけど。
ぽぽさんはその辺、ネタ探しとかそういうのをどのように毎日されてるんですか?
番組を軸を3軸に決めてるっていうのが一つ大きいでしょうし、
あとは私は結構皆さんと違って楽をさせてもらってるのは、書籍って読書を通じて語ってるので、
そんなに負荷がかかってなくてですね、ネタといったら全部がネタといってしまっても過言ではないですよね。
例えばその表紙に書かれてる言葉だったり、タイトルだけでももしかしたら配信できるかもしれませんし、
何かこう本当にネタといったらもう本当にネタの方向ですけれども、
だからだいぶ楽をさせていただいてるので、ネタにこと書かないといえばこと書かないですし、
あとはインプットもね、当然ミニから皆さんのご配信聞いてみたり、
あとはポッドキャストとかボイシーも聞いてるので、ネタは本当にたくさんあるかもしれないですね。
そんなに困ったことはないんですけど。
なんかこうパパさんの、私もずっと毎日聞けてるってこともなくて、
たまにマフィンギキさせていただくこともあるんですけれども、
お話を伺ってたりすると、だいたい午前中ぐらいに配信されてることが多いじゃないですか。
そうですね。本当はもうちょっと早く配信したいんですけどね。
あれは、毎日のルーティーンになってらっしゃる、もう習慣化されてるというふうにおっしゃったんですけど。
そうですそうです。もうちょっと早く配信したいんですけどね。
案内がまとまらなかったりするので、少し深めてからと思うんですけど、
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とはいえ、100%納得のいくものができてるかというと、全然そんなこともなくて、
まだまだだなぁと思いながら日々続けています。
朝起きて、今日はこれについて話そうとかっていうふうに思われるんですか?
そうですね。先ほど申し上げた通り、番組の軸が3軸でメインは切ってるので、
この前ブリクラージュ配信してからしばらくブリクラージュ配信してないなぁみたいなときに、
何かブリクラージュしたものが昨日あったかなぁみたいなことを振り返ったときに、
たまたまその言葉だったり、地名だったり、法則だったりっていうことがあって、
拡覧中程度仮説みたいな話を少し前にしましたけれども、
そんな単語を拾ったので、そこから少し膨らませたらどんなこと言えるかなぁみたいなことで、
前回ブリクラージュ配信で、変化ですよね。変化しすぎても滅びてしまいますし、
変化しなさすぎても滅びてしまいますよっていう話をさせていただいたんですが、
そんな感じで作ってはおります。
そうするとですね、パパさんは何かこれについて話そうって思ったときに、
一発撮りなんですか?
一発撮りですね。だいたいほぼ一発撮りで、
どちらかというと話す内容を脳内で黙々と調整させる時間を作りたいんですけど、
だから試作するってことですけども、
試作の時間がやっぱり午前中いっぱいかかるんですよね。
ですので午後1時ぐらいの配信が多いんですけど、
まとまらないと夕方とかになっちゃうんですけどね。
それは文字起こしなんかはされたりすることあるんですか?
ノートに記事を時々書いてて、先日ようやく書いたんですけど、
音声の文字起こしプラスアルファみたいなことで記事にはするんですけども、
文字起こしっていうのは、その記事に書くときに文字起こしを始めてしますけども、
普段は何か気のももくももに思ったことを、
だいたい私の番組聞いてくださると冒頭で何か一言言って、
その後番組のご紹介コールとコメントくださった方のご紹介と、
その後つぶやくというような、こういうふうに切っておりますので、
そんなに大変じゃないんですよ。切ってるので、
ここでこれ話して、ここで話して、話してっていうことで終わるので、
本当に負荷はそんなにかかってなくてですね。
このスタイルになったのも高校1年、2年ぐらいですかね、になってからですけれども、
やっていく中で番組っていうふうにもし捉えたら、
ずっと同じ聞き方が安心して聞いていただくためには、
ある程度フォーマット化した方がいいんではないかなと思ってですね。
私自身そういうフォーマット化して聞くのが、割と耳に負荷がかからないなと思っているので、
そういう形でですね、番組を切ってるということです。
なるほど、なるほど。そうなんですよ。
パパさんの配信で、やっぱり安定感が抜群なんですよね。
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ほとんど同じフォーマットで流してるんで、安定はもちろんしてるのかなって思います。
とてつもない安定感を、これだけ長い間リスナーさんに提供されてらっしゃる方ってほんとそんなにいないんじゃないかなっていうふうに。
ありがとうございます。そう言っていただけると本当に嬉しいですね。
パパさんが34ヶ月前に、気なしにお知り合いから始められたスタイルなんですけれども、
音声配信を通して伝えたいことということで、先ほどもこの座席に触れるっていうお話をしていただきましたけれども、
やっぱり当初と今とまたちょっと伝えたいことっていうのは変わってきたんじゃないかなと思うんですが。
そうですね。本当にだから進められたときは書評のような形で、読んだ本について語るというようなことをしていたんですけれども、
途中からコメントが入ったりレターが入ったりして不思議なことが想定をしていないことが起きて、
34ヶ月前ってスタイフさんのアップデートなんて半年に1回入るかどうかぐらいな感じで、
配信する人もリスナーも少なかったんですよね。
そうですよね。
私が1回配信すると半日間ぐらい私のアイコンずっとトップページに載ってるっていうそんな日も珍しくなくてですね。
今だと配信するとすぐ消えてしまうんじゃないですか。泡のように次の方がいらっしゃるので席を譲ることになるんですけども、
34ヶ月前ですと配信する人はいないのでずっと私のアイコンが載ってるっていう不思議な状況があって、
当然聞かれないですし当然コメント入らないですしレターもないので、
なんて言うんでしょうね、本当に配信をして終わるっていう感じだったんですけれども、
いつの間にかレターコメントくださるようになってですね、
はてどうしたのかってその辺りからまた考えるようになったんですよね。
ただただアウトプットの場だったものが今度双方向に少しずつなり始めたということですね。
一方通行でしたけども途中からインタラクションに広がりを見せたので、
刺激が多いんですね、フィードバックいただきますのでまたそのフィードバックから考える問いが立つということで、
すごくいい循環にここ2年以上続いてるなという感じがします。
そうですよね。先ほど実はこのパパさんと収録をさせていただく前には、
ナンバー8のアロマリン・エチェゴさんとお話をさせていただいてたんですけれども、
自分の気づきがある、自分の世界が、
SNSってリアル、自分の日常に広がっているような広がってないようなっていう、
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曖昧な誰かの暮らしを覗き見るみたいな感じだったものが、
やりとりが始まることで突然自分の日常の中に入ってくる感覚が、
私はスタンドFMをやって、そういう感覚があったんですね、他のSNSも。
なので、パパさんにとっても多分そういう日常生活の広がりというか、
今までと同じというよりはそこから発見があったり学びがあったり、
リアルの場ではやっぱり出会えないような方と出会えるわけじゃないですか。
そうですね。
なおちゃん先生にもなかなか、私犬も飼ってないですし、動物とか生物については興味がありますけれども、
では犬の先生に出会うかというと、多分出会わないと思うんですよね。
出会わないですね。
ですので、それはすごい奇跡的ですよね。このSNSの広大な宇宙の中で出会うって、
しかも今話までして、何か一つのコンテンツを作っているって、これ本当に奇跡的でして、
お互いこれ利害関係がないので、やれちゃうんですよね。
趣味で作れるっていうここがすごくポイントじゃないかなと思っていて、
例えばお仕事でビジネスなんかだと分かりやすいですよね。利害関係、ステークホルダーっていうのが存在するから、
どうしても駆け引きがあるんだけど、駆け引きなしの楽しんでるっていうこの感覚は本当に魔薬ですね。
やめられないような感じでして、その魔薬をどういうふうに使うかっていうのは使う方次第ですけれども、
今のところいいように使ってますので、進撃が多いですけれども。
すみません、途中でポーズを入れさせていただいたんですけれども、質問の方を続けさせていただこうと思います。
まず、パパさんのご自身のご紹介の中で、この読書術研究家さんというのを初めてお耳にしたというか、
だったので、この読書術研究家というのは、これはオリジナルのものなんですか?それともこの世の中に?
読書研究家さんという人に会ったことがありますけど、読書術研究家さんはいないかなと思ってますけど、
何か読書術を研究してるのかというと、研究してなくもないんですけれども、
未知や研究してるかというとそんなこともなくて、これは本当に私のネーミングセンスがないなということに納得をつけるだけなんですけど、
そんなにいいネーミングが浮かばなかったんですね。番組名もそんなに浮かばなくて、
子育てをしていて読書もしているぐらいな感じで、センスのなさを絶望的に感じているわけなんですけども、
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そんな。
番組名を変えたこともないですし、
ずっとこのままなんですね。
ずっと最初からこのままで変えてなくてですね、もういいやっていう感じなんですけども、
実情はですね、そんなに浮かばなかったのでこの名前にしましたっていう、それぐらいなものでして。
そうなんだ。
でもパパさんの配信を伺っていると、読書の研究というわけでもなさそうだし、
読書術、例えばこうやって読むのがいいよとか、ああやって読むのがいいよっていうことでもないじゃないですか。
そうですね。
すごく不思議なスタンスだなって思いながら聞いているとはまっちゃうチャンネルだと思うんですけど。
読書術っていうのも世の中にあるし、読書論っていうのも世の中にあって、
それは古今東西洋に問わず、
ありますね。
偶然で前からあって、そういうのも一通り書籍を読んでみたり、
比較をしてみたり、この人のこの聖読という言い方はこの人の神読に当たるなとかっていうその比較もしたりして、
語っていた時期ももちろんあって、掘り起こしてまた配信しようかなと思ってますけど、
確かに皆さんそれぞれの言葉でそれぞれおっしゃるんですけども、
そこの中に通定している根底の部分っていうのはあって、
それが何かなっていうのは知りたくてですね。
ずっと調べているところではありますけれども、
なんかやっぱり読書っていう行為が、ただ本を読む、ただ独自するというだけではなくて、
自分にない資材みたいなものをやっぱり自分の中に持ってくるっていうことで、
還元するっていう言い方になるかもしれませんけれども、
自分のある、つまりこれ自分の中に答えがあるだろうっていうふうに、
内向きに捉えられるための一つの装置だと思ってますので、
なんかどうしても答えとか刺激っていうのは外にあって、
意識が引っ張られやすいんですけれども、
実は完成された事故っていうのは自分の中にあって、
自分の中を巡らない限りは完結しないよっていうことが分かってきたので、
そのことを読書を通じてお伝えできないだろうかっていうことで、
少し分かりづらい体裁を取ってますけれども、
不思議な言葉やら法則を並べて、
少し皆さんの金銭に触れてみるということをやっております。
あれですね、なんと今のお話聞いてたの。
青い鳥みたいなね。
真実というか、幸せを外に求めていったけど、
実は一番欲しいものはお家に、自宅に、
自分の元にいる場所にあったっていうようなお話。
結構、それこそ世の東西を問わずね、ありますけれども、
それはやっぱり読書を通して伝えるっていうのが、
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すごい新しいなっていうふうに、改めてお伺いして思いましたね。
たまたまですけど、私はあまり読書ぐらいしか語ることがなくてですね、
私は読書だったっていうことで、
それをなおたの先生であれば、ワンちゃんを通して語るっていうことなんですけども、
私は読書だったっていうぐらいでして、
読書はいろんな本があって、日々新しい進化も出るので、
ことごかないに書かないんですけれども、やっぱり通定しているところっていうんですか、
これスタイフでも同じこと言いますけど、
皆さん一人一人は本のようなものであって、
一つのコンテンツは一つのページのようなものですね。
ですので、そこにいるのは人間なので、
人間がいかにどしがたくて、
いかに矛盾をはらんでいる生き物であるかっていうことを、
私自身が勉強したくて、配信を通して私自身が学んでいるというような、
そういう体裁、パラドクスを内包したような番組なので、
分かりづらさは100%分かりづらいだろうというふうに思って、
バンニング系は絶対にしないと思って配信しているので、
全く気にはしていないんですけれども、
私自身が反省的に試みると、反省的に変えりみているというような番組なんですよね。
なんかあれですよね、今は年間500冊以上読まれるパパさんですけれども、
それこそ幼少時代はそんなに読書というよりはスポーツ少年だったとおっしゃっていましたね。
そうですね。サッカーボールが友達という時期が長かったので、
サッカーボールが本に変わったぐらいな熱量のかけ方なので、
そうなんですね。
私自身は変わった印象はなくてですね、今は本ですけれども、
サッカーに熱中していた時期もあったなと。
なるほど。今多分これを聞いてくださっている方はですね、
この情熱をサッカーに傾けていたら、
ワールドカップ行けてたんじゃないの?って多分思っている方が大数だと思うんですけれども。
そういうことはないですけどね。
そうだったんですね。
そんなパパさんがですね、ご自身の読書術と言っていいのか、読書をする上で、
こだわっていることっていうのはありますか?
これは本当に選書ですね。本を選ぶ選書のところには時間と労力をかけてますけれども、
時間というかけがえのないものと、そしてお金ですね。
買いますので私は借りたりもしますけれども、
基本的に買ったものを投稿したりしてますので、お金も投稿しますので、
ここにいかにフィットしたものが選べるかっていうことがものすごく重要。
私にとっては重要ですけれども、
テーマの確認とそしてその選書をする書籍のジャンルがこれでいいんだろうかっていうことを何週も巡りますね。
これってね気分の問題だと思ってて。
気分ですか?
気分っていうと結構その軽い印象あるかもしれませんけど、
私のときは結構深い問いでございまして、
どんな気分なのか、どんな気持ちで今いるのかっていうことをよくよく向き合って、
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それでもって選書をするようにしてますけれども、
例えば明確な方向性を求めたい気分なのか、方向性はさておきなんだけれども少し方を先に進めたいだけなのか、
それとも広大な黒コスモスへの航海の準備段階として書籍を複数冊揃えたいのかっていう、
いくつかレイヤーがあるんですけれども、
どのレイヤーに自分の気持ちがあるんだろうかっていうことを向き合わないと、
これは本当に何百冊とね、
これは失敗だって以前は思ってたんですけども、
最近は失敗だって思わなくなりましたけれども、
フィットしない書籍も正直あるんですよね。
書いてるといい課題に対して、購入したものの全く刺さらないなんてことはよくよくあって、
それを以前は失敗だと思ってたんですけども、
最近は失敗だと思わなくなったので、気持ちも楽になりましたけれども、
それは何で失敗だと思わなくなったんですか?
それも失敗だって思ってたんですけども、
途中から遠回りとか道草っていうことが私の中でだいぶ腑に落ちてきたんですよね。
っていうのが、以前もお話した通り、
人生を見つけるためには人生を浪費しなければならないっていう、
これはアンモロ・リンドバーグの言葉ですけども、
浪費とか無駄使いとかね、無駄っていうのが失敗だっていうふうに捉えがちですけれども、
それは良いとか悪いとかっていう優劣をつけてはいけないなっていうことに気づいたんです。
というのが、購入した書籍が例えば1週間後ですよ。
わずか1週間後に突然刺さり出すなんてことはよくよくあって、
そういう時まで書籍は本棚に戻して塩漬けにしておくっていう、
塩漬けの手法という読書法がございますけども、
書籍に戻しておくなんてことはするんですけれども、
もう全然後悔することがなくなったということで、
これ極論言っちゃうと、どんな書籍からも資産抽出は可能であるっていうことが言えますし、
それは良い意味でも悪い意味でも、両方反面教師としても捉えられるので、
どんな書籍からも、あるいはどんな人からも資産は得られるだろうと思うようになったので、
そこからあまり優劣というか上下の区別みたいなのをつけることなくて、
横に並べておくっていう感じですかね。
本当に今のお話を聞くと、やっぱり人とのお付き合いというかね、
人との出会いと一緒ですね。
読書というか本は人であるというふうに捉えると、分かりやすいんじゃないですかね。
そういった意味も含めてなんですね。
なるほど、すごく分かりました。
確かにこの人とこの人のお話を聞いても、
なんか自分とはちょっと違うなとか、
これはそういうふうに思わないなっていうようなことを思っていたとしても、
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それこそ自分のライフスタイルやそれこそステージや考え方が変わった時に、
そういえばあの人が前に言ってたことってこのことだったんだ、
その時に分かることありますもんね。
そんなことばっかりだと思います。
経験していないことはなかなか腑に落ちないっていうのは当然あるでしょうから、
それが状況が変わったら急に刺さってくるっていうことはよくよくあって、
本も同様でございまして、たまたまそのタイミングになかったっていうことに過ぎなくって、
そのタイミングが来るとね、ぐっとこう深く入っていけるような書籍もたくさんあるので、
そういう書籍は捨てずに塩漬けにしておくということです。
なるほど、今ちょうど私も大学生の時に挫折をした、
レイチェルカーソンの沈黙の春を読み直しているんですけれど、
やっぱり自分が変わったんだなっていうことがさらに実感ができますね。
大学1,2年生の頃だったかな、本を一番最初に手に取ったのがね、
その頃って全然刺さらなかったんですよ。
だけどいろんな経験を経て、やっぱりその時には20代の自分には、
20代もいってないか、18くらいの自分には刺さらなかったものが、
何年か経つと刺さるようになるっていうことがやっぱりあるので、
ありますね。
書籍はね、そのものは変化をしたりするわけじゃないじゃないですか。
去年だったかな、夏目漱石の心の読解に参加をさせていただいたんですけど、
ありがとうございました。
あれもやっぱり挫折をした本で。
そうですね、あれは割と長くてね、そして結構深い重い話ですから。
それこそ女子高生にはあんまり面白いと思わなかったんですけど、
年月を減ることでね。
ただ書籍自体は何が変わってるわけじゃないじゃないですか。
それこそ人対人はね、その相手の人も変わる場合もあるので、
変わった結果会うこともあるっていうこともあると思うんですけど、
書籍は変わらないですから。
そうですね、物質としての書籍は変わらない。
実感が本当に本を通して、自分が変わったことを実感ができるっていうのを学びましたね。
そういった点ではすごく面白いですし、先ほどおっしゃられた先書、
時間も有限ですし、
それはすごく面白いですね。
そうですね、そういったことを学びましたね。
そういった点ではすごく面白いですし、先ほどおっしゃられた先書、
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時間も有限ですし、
それはすごく大切だなっていうのと、
でも、これはちょっと失敗だったかなと思うものでも
しさがあるっていうのもどちらもね、とてもすごく理解ができるなと思います。
例えば、どのような点で今まで書籍選びですとかね、
挫折した本とかもパワーさんもあるっておっしゃってたので、
読書の体験のどのような点でご苦労されたこととかってありますか?
例えば、読書を広げたいっていう、そういった活動の通してでもいいと思うんですけど。
ちょうどね、挫折っていうお話があったときに、すごくいいお題だなと思ったんですよね。
先ほどの先章の失敗っていうふうに捉えがちだ、挫折って失敗だっていうふうに捉えて
ずっと私も来たんですけども、挫折についてね、
ハリル・ジブランというレバンの詩人がね、すごく素晴らしいことを書いていて、
挫折っていうのは光る刃と盾だっていうふうに言ってて、
王座につけられるとは礼獣されるに過ぎず、理解されることは平らになることに過ぎず、
把握されることは自分が売れた果物のように摘まれ食べされ、食べ尽くされるに過ぎないことだっていうふうに挫折っていう詩の中でね、書いてるんですけども、
王座ってみんな一生懸命、シークスピアでもいいですけれども、王座を巡って姫を奪ったりとか戦ったり、あるいは裏切ったりしていくわけですけども、
これ王座につくと何が起こるかっていうとね、礼獣されるっていうことになるっていうことですから、
そして他人に理解されるっていうことは平らにならされるに過ぎない、結構激しい詩ではあるんですけれども、
そして他者に把握されるっていうことは自分が売れた果物のように摘まれて食べ尽くされるに過ぎないことだっていうことが書いてあってですね、
挫折っていうのはずっと私も失敗だなって思ってたんですけども、そうではなくて魂の上昇の箱舟だっていうふうに捉えると、
勇ましい同志であって不信なる勇気を与えてくれるものだっていうふうに解釈を変えていくと、挫折の悪いものじゃなくて、
むしろ挫折がないと魂の上昇ありえないっていうふうに捉えると、すごく怖いことであって辛いことではありますけれども、
このジブラーの言うように危険を払う存在になるべしみたいなことですね。
ですので挫折っていうこの挫折本っていうのは確かに私の人生の中でもたくさんあるんですけれども、
挫折本があるからこそ他の書籍に手が伸びるわけですから、またその挫折本に戻っていったりしますので、
挫折というものは決して悪いものじゃないなっていうふうに捉えるようになった素晴らしい詩なんですけれども、
確かにその挫折というかね、つまづきっていうもので自分を知ることができたりとか、
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そうなんですよ。
そこからじゃあ逆にどうやったらそれをクリアできるのかとか、
なぜこれが今の自分には刺さらないというか難しく思えるんだろうとか、
こういったその順風満帆でさらさらっと読み終えてしまう書籍ももちろんたくさんあると思うんですけど、
ああ面白かったっていうだけの本っていうのもあると思うんですけど、
それとは違う資差をやっぱり与えてくれるものですよね。
そうですね、単に知識というものがなくて読み進められない書籍って確かにあるんだと思うんですけれども、
そうじゃなくて、どちらかというと一番最初の話に戻っちゃう、先章のところに戻ってしまうんですけど、
悔いの打ち方が甘いんじゃないかなって思うんです。
それは自分に対する問いの悔いの打ち方が甘いので悔いが抜けちゃうんじゃないかなと思うんです。
だからまだまだ深く惚れてないっていうことかなと思うんですけど、悔いが深く埋め込まれていればなかなか抜けませんので、
その書籍と向き合えるのかなと思うんですけど、私が挫折体験としてわかりやすい書籍で言えば、
マルセル・プルーストの失われた時を求めてなんかは長すぎるんですよね。
そうですね。
長すぎて、確かギミスで認定されてるんですけど、長すぎて全部読み終えないっていうか、単調な感じがずっと続くじゃないですか。
続きますね。
あのマインドに今私はあまりなくて、
確かにその紅茶に浸したマドレーヌの味から無理的な記憶っていうか追体験が蘇ってくるのはわかるんですけど、
そこからが長くてですね、とてもちょっとあの世界にしばらくはおりましたけれども、
独りょうまでに至ってなかったりとかしてですね、他の本も読みたくなってしまって、なかなか独りょう的に実にはおりますけれども、
そんな書籍ですよね。長すぎるっていうのも一つあるなって思いますし、
まだまだ私がその世界にそこまで入り込めてないなっていう本もあって、
あとはあの何回の哲学書なんかもやっぱり読んでみても何回過ぎますし、
日本語訳がね、戦前のものですと漢字もなんかこう旧語って言うんですか、ちょっと読みにくくて読み進みにくいという書籍があるんですね。
何が何が一体のかがどうもリーチできないっていうような書籍が。
ありますね。
今目の前に存在と時間っていう、これマルティン・ハイディガーの未完の書ですけども、こんな書籍はやっぱり上下、上中下間あるんですけど、やっぱりわからないですね。
なんとなくその人が不安であって、自分ではない、
現存在が世人って世の中の人って書きますけど、人に支配されてしまってるっていうところは読み解けるんですけれども、
これが全体としてどういうふうに自分に知性を与えてくれるのかみたいなところまでまだまだ深く掘れてないので、
こういう本はおそらく一生涯を通じて読むことになるんだろうなと思ってですね、
放っておきます。
塩漬けに、
干しにして、時々3ページぐらい読んでもう一回しまうみたいなね。
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そうですね。
でもなんかこう、
それはそう、書物は人っていう話で、やっぱり世の中にもいろんな方がいらっしゃるので、
楽しみ方っていうのとか付き合い方は、
その本なりに違う付き合い方があってもいいと思うんですよね。
こういった時には、
これをちょっと開いてみたいとかね、こういった時にはこれを開いてみようとかっていう考え方が、
そういった付き合い方が本当の向き合い方があっていいんじゃないかなっていうのは、
私はパパさんの配信を聞くようになってからそういうふうに思ったんですね。
なんかね、福沢諭吉がね、社会のこと、社会ですね、人間交際であるっていうふうに、
当時ね、社会って言葉がある前はね、人間交際、人間の交際であるっていうふうに言ったそうなんですけれども、
なんか書籍っていうのも、
他者との関係を築く上でも、
交際に近いなっていう、だからお付き合いに近いなというふうに思います。
それは自己を読み、他者を読み、未来を読むということですけれども、
交際っていうことにすごく私も納得しますね。
著者が師匠なのか、読者が師匠なのか、もはやわからなくなる。
もしかしたら読者自身が読者の師匠なのかもしれませんけれども、
やはりこう内側にしかないんですよね。
自分が求めているものって、他者とか外にある、
キラキラ光る物質の中には実は存在していなくてですね。
自分にしかないというふうに捉えると、
あまり外に引っ張られる必要もないですしね。
自分の中を巡るっていうことの一つのきっかけが読者だというふうに思ってますので、
そういう書物と付き合い方ができれば、
深く深く物事に向き合えるし、
ある人は本質だとかコナツスだというかもしれないですけれども、
そういったものにリーチできるのではないかなという一つのきっかけを、
自分で自分自身にきっかけを作って、
作り替えたいがために読書を毎日続けているみたいな、そんなことでしょうか。
読書を通して自分を知るっていう、
読み方、読み方とか、読み方というか付き合い方というか向き合い方ですかね。
っていうのは若い頃はなかなかわからなかったんですよね。
そうですね。
私はスポーツが全然ダメなので、
小さい頃から本ばっかり読んでいる感じだったんですけど、
そうみたいですね。
特にね、私の小さい頃はまだいろいろね、
YouTubeだとかAmazonプライムだとかってなかったですし、
39:05
漫画も今ほどたくさんあるわけじゃなかったから、
やっぱり図書館が一番魅惑的な、
秘密の花園に行くかのようにね、
毎週のように図書館に行っては新しい本を借りてっていう風にやってたんですけど、
その頃はね、やっぱり書籍を通して自分を知るっていうようなことはあまりなかったんですけど、
やっぱり大きくなって、文字を読む習慣っていうのを小さい頃につけておいてよかったなというふうには今思うんですよね。
文字を読む長い文字がずらっと並んでいるだけで頭が痛くなるみたいな、
うちの旦那さんとかはそういうふうに言うんですけど、
でもこう、私はね、逆に数字がそういうふうに並んでいると、
そこを通してその数字で何を訴えたいのかっていうことを読み取る前に、数字だってなっちゃう人なんですけど、
でもこう、多分文字でもね、同じように考えられる方っていうのはいらっしゃるんだろうなっていうふうに思うんですよね。
で、パパさんも子育てをされていて、娘さんお二人いらっしゃるじゃないですか。
で、お子さんに読み聞かせをよくされていらっしゃると思うんですけれども、
はい。お子さんを見ていて、読書との向き合い方って大人と違うなとか、そういうふうに感じるところってありますか?
違うところですか。
なんだろう、子どもだろうの視点ですね。
率直にやっぱりこれってなんでっていうふうに思う、そのなんでっていうのが大人だともう自明なことすぎてあまりなんでって思わないような、
英語って何っていうことかもしれませんけども、大人になってしまうとあまり疑問に思わないことに対してなんでっていうふうにストレートに聞いてくるのが、
やっぱりこの純粋な直感としてそこが働くんだなというときにはハッとさせられますね。
あまりこう私がなんでって思わないところのタイトルが、もしかしたらなんでこういうタイトルなんだっていうことかもしれませんし、
なんでそんなこと言うんだっていうことですし、あるいはその文脈がわからずに純粋にこれどういう意味っていうことを聞いてきたりするので、そこを一緒に考えたりすると、
読み聞かせというものもただの読み聞かせじゃ全然ないし、読み聞かせって言うんだけど読み聞かせっていうことも実はしっくりじゃなくて、
別に読んで聞かせるというようなその上からのスタンスで、一緒に横になって私読むんで。
一緒に読んでるっていう。
一緒に読んでる感じですね。
読んでるときに質問が来るんですよね。
長者の時にこれどういうことだっていうことを言ってくるので、どちらかというとその本について一緒に話してるっていうことなんで、なかなか寝なかったりするんですけど。
42:09
詳しくその時間の共有ですよね。
そうですね。
ですので、私が読み聞かせで伝えたい究極的なところは、やっぱり人間が矛盾をはらんでる生き物で、そしてシークスピアじゃないんだけれど、すごく愛憎がはらんでるっていうことです。
例えば先ほど申し上げたとおり、王座につけばっていう話があるかもしれないけど、みんな王座を目指して一生懸命頑張るんだけれども、王座についた瞬間に奴隷になってるっていう。
こういう矛盾がはらんでるんだよっていう、矛盾の中に生きてるっていうことをいずれ分かってくることかもしれませんけども、伝えたいがために本は我が家にたくさんあるので、
それはその、絵本であったり、奥さんに読まれるものっていうものは、小さな頃からたぶん大人に読まれてると思うんですけども、
そうですね、図書館に行って一緒に選ぶこともありますけれども、なんかこうビジュアルでこう選んだりとか、あるいはクリスマスの時期だったらクリスマスの本をたくさん取って、
まあなんかこうちょっとこれがいいかなっていうときに選称するんですけれども、やっぱり文字に触れてるっていうのは、
すごく大きいですし、まあこれこの調査が本当に合ってるかどうかわかりませんけれども、父親が読み聞かせをした時の場合ですよね、
その絵本の中に書いてるというか、その絵本の中に書いてるというか、その絵本の中に書いてるというか、
子育てに対する参画によって、その子供がどういう風に育っていくかみたいな、これ本当に統計的なことだから一概には言えないと思うんですけれども、
そういう調査もあったりしますし、
まあこれひとつの文字とか、言葉っていうものにたくさん触れてるかどうかっていうことの違いなんですけれども、
読み聞かせをして、その子供を育てていくというか、
まあ読み聞かせをした時の場合ですね、その子がどういうふうに情緒が育つのかみたいな調査もあるみたいですけれども、
なんかちょっと父親の子育てに対する参画によってその子どもがどういうふうに育っていくかみたいな、
これ本当に統計的なことだから一概には言えないと思うんですけれども、
っていうものにこうたくさん触れてるかどうかっていうことの違いなんじゃないかなと思って 触れるとやはりその内側にその言葉みたいなのが入ってくるので
自分にない視座とか視野とか視点を持てるのかなっていうふうに思うので あまり一面的に断定的に捉えなくなってくるんじゃないかなっていうふうに
思うようにしているので 読めばいいという問題でもないんですけれども ある時期にある量の文字というものに触れておくのは
後々のアウトプットとか生きる過程みたいなところが粘りですよね レジリエンスみたいなところにつながってくるんじゃないかなと思っているので
45:06
一緒に読んでみたり購入してみたり選んでみたりということを日々してます
なるほどです いやー面白いですよね
やっぱり子どもたちの視点で私も自分の子どもを見ていてね 自分はこうだったかなと思ったりとか
こういうふうに捉えるんだっていうふうに そこでまた気づかされることなんかもあってね
自分が小さい頃に好きだった本を自分の子どもが読んで感想を聞いたら全然違うこと言ってるとかね
そうですね そういう楽しみもありますね
それがやっぱり書籍・文章というものとした楽しみ方
そうですね だから分析的に文字と数字で捉える世界と
一方でそういう数字とか文字では表せないような直感としての世界がある
2つが同時にあるんだよということを後々知ってもらいたいなと思っているので
そうですね 絵本なんかは文字があって絵があるので
比較的映像としてもちろん文字もそうですけど入って覚え記憶したりしやすいものですけど
文字がだんだん少なくなるにつれ文字だけで書かれていることを想像するようになっていくわけじゃないですか
そうですね そうするともうたとえ親子であろうと兄弟であろうとね
おそらく頭の中で描いているものは全然違うんだろうなって思うとね
それは面白いですね
そうですね
ありがとうございます
いつもですね その文字 その書籍を読んでいて
読んでいてというかずっと
年間500冊以上読まれていてそれを何年も続けられている中で
どのような点で喜びを感じることがありますか
喜びですか
そうですね やっぱり自分の選書したものと自分の課題がある程度マッチしたときはやっぱり嬉しいなって思います
それをね成功だというふうには捉えないようにしてますけども
なんか紐づいた瞬間っていうのがあって
それは明確に解決できたっていうことでもないんですけれども
この辺りが知りたかったんだよねっていうことが書いてあったりすると
すごくねそれが自分では言語化できないですから
言語化できないことを他の方が言語化してくださっているので
その知見を借りると
自分の今の経験と混ぜ合わせてどんなことが言えるのかっていうふうに
転換できた時がすごく気持ちいい感じがしますね
解っていうことですね 褪落っていうことにつながってきますけども
そういうときは嬉しいなって思います
面白いですね
この辺りもねぜひこれ聞いてくださっている方
48:03
読書好きな方はぜひどのような点で喜びを感じるか
聞いてみたいですね他の方にもね
おそらくお一人お一人解釈が違くて
みんなそれぞれね
怪異不快があると思うんですけども
聞いてみたいですね
面白そうですよね
答えはなさそうですから
確かに面白い
はいということでちょっとね
だいぶお時間過ぎてしまってすみませんですけど
最後に今後の展望や何か告知などございましたら
はいあの展望も告知もございません
私の一言でございます
引き続きねスタイフは続けようと思ってますし
ライブもね時々入れますので
見かけたらお立ち寄りいただければと思います
はいありがとうございました
今日は長い時間にちょっと寝てしまいましたけれども
普段はなかなか聞けないようなお話をね
読書術研究家さんの裏側としてのお話をね
いろいろいただいて楽しかったです
ありがとうございました
私もねあのパパさんのおかげで
というか影響でというかですね
あの本当にね読書からずっと離れていたんですよね
あのなかなかそのための時間を取るということをね
していなかったんですけど
やっぱりパパさんの話を伺ったり
パパさんのね
界隈には読書が好きな方がお集まりになるので
そういった方の話を聞いたりして
やっぱりこれも読んでみよう
あれも読んでみようっていう形になって
実はその小学校
私低学年の時にこの町に引っ越してきたんですけど
それからねずっと同じとこに住んでるんですよ
大体それで近くにね
あの図書館があるので
といっても大人になってから
もう何十年も図書館に立ち寄ることしていなかったんですよ
なんですけど偶然ね
うちの息子の習い事が
そこの図書館の隣に地域のセンターみたいなのがね
空手ですね
そうです空手です
あってそこに行くようになったので
毎週そこに草芸に行くことになったので
息子と一緒にね
始まる前とか後に図書館に行くようになったんですね
何十年ぶりかに手出したら
図書カードがあったんですよね
それで本を借りましたね
本当素晴らしい
息子は自分のカード作って借りるってことは
たまにしていたんですけど
私はあんまりしていなかったんですけど
そしたら今このカード使えませんとか言われて
何年も前なんですみたいな
51:03
新しく内容を書き換えていただいたりとかして
いいですね図書館ってすごく懐かしさもあるし
静かなんだけども
何か静かな情熱が燃えているような
そうなんですよね
熱心に本を選んでる人たくさんいるじゃないですか
あれ見るの結構私好きで
煮えたぎって一生懸命考えて
どれにしようかなって考えてるっていう姿がいいんですよ
なんかこの人は何を選んで何を選びたいんだろうとかね
そういう見方もありますよね
本当にすぐ時間が経ってしまって
選書するだけでもね
そうですね
本当に昔の図書館に入り浸っていた頃の楽しさを思い出しましたね
それも踏まえてパパさんとね
出会いに感謝しないといけないなと思ってます
ありがとうございます
これからも引き続きお付き合いいただければと思います
よろしくお願いします
ということで第9回目
教えて!スタイフプロの人のお話はここまでで
おしまいにしたいと思います
はいパパさん本当に長いお時間ありがとうございました
ありがとうございます
そして次回のね
教えて!スタイフプロの人は10回目になりますね
ちょっとね何人かの方にお声をかけさせていただいているんですけれども
ご都合の合う方からね
収録ともしくはライブスケジュールを立てて
皆様にいろんな方とのお話をお届けできたらなと思います
引き続きよろしくお願いいたします
最後まで聞いていただいた皆さん
ベストに来てくださった子育てパパさん
本当にありがとうございました
それではこちらで失礼いたします
パパさんありがとうございました
ありがとうございました