2021-09-21 16:02

【私の人生遍歴後半❣️】やめる事、引くことは恥ずかしくない❗️留学から起業😘

誰に需要があるのか分からない
【人生遍歴~後半】です❣️

【前半】では、皆様にたくさんの共感や
コメント、イイネを頂いて本当にありがとうございました❣️

【後半】は、のらりくらりと生きてきた私が
「好きを仕事に」していく葛藤や挫折、

【モノ】ではなく【生命】を相手にすること
だからこその難しさ
現場人である事と、経営者であることの難しさ
結婚や出産と経仕事の両立の難しさ……

それでも【好きだから】
【🐶と人の架け橋でありたい】という希望から
紆余曲折を経て今に至るまでを
まあまあ赤裸々にお話しています😅

【好きなことを仕事にしているんだから
何があっても引いてはならない】というのは本当かな❓

好きなこと仕事にするからこその
葛藤や苦労は誰にもあるはず

「もう、辞めてしまおう」何度も思ったことです
けれどやっぱり
私は、好きなんだなぁ……

犬たちが、生き生きとしている姿が✨
飼い主さん達が、愛犬と交わす笑顔が✨

だから、自分なりにアレコレ、模索しながら
どうにかここまでやってきました😂

色んなことがあったし、
涙した事も沢山あったけれど、
過ぎてみれば全部が自分を磨くためのステップでした
だから私は【失敗した】とは言いません😘

アホで不器用なので、
色んなことは出来ないだけなんですけどね💦

支えて下さる皆様
ここまで聞いてくださった皆様
本当にありがとうございます🙇‍♀️❤️

サムネは、昔の施設です
ウッドデッキで犬達と
日向ぼっこするのが好きでした🥰

#犬#動物#ペット#起業#留学#人生遍歴#後半#挫折#経験#女性#ワーママ





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こんにちは、なおちゃん先生です。今回は、私の人生遍歴後半としてイギリス留学から現在に至るまでをお話ししたいと思います。
大学を卒業する少し前、私は世界一周の船旅に出て、完全に就活の時期を逃しました。
そして、船の上で出会った人たちに色々な影響を受け、自分の人生一回きりだから自分の好きなことをやってみようと決めました。
そして、私のやりたいことって何だろうと考えた時、やっぱり動物、そして犬のことを仕事にしたいなぁと思ったんです。
それでも、看護師やトリマーさんはちょっと違うなぁと思っていました。
そこで見つけたのが、あるペット事業者が行う犬について総合的にアドバイスができるスタッフを育てるという総合講座でした。
大学に通いながら、夜だけその専門講座に通いました。
その中で一番私が興味を持ったのは、犬のトレーニングと行動学の授業でした。
いつしか私は犬のトレーナーになりたいと思うようになりました。
家族や周囲に告げることで自然と情報は集まるものです。
知り合いの方が愛犬を預けているよという訓練士さんの訓練を見学したり、
訓練所や訓練の成果を披露する訓練競技会を見に行かせていただくこともありました。
それでも、訓練士になるために訓練所に入るということに全く心が動かなかったのは今でも不思議です。
今のようなトレーナーになるための専門学校などは当時まだなかったんですね。
その専門講座も終わりかけて、大学もいよいよ卒業という時、
専門講座のトレーニング担当の先生が自分の師匠をイギリスから呼んで、
セミナーを行うということを聞いたんです。
イギリス人の家庭犬トレーナーというのはどんなふうに犬たちに接しているんだろう、
どんなふうに教えているんだろうとセミナーに参加したのが、
私の運命の歯車が大きく動き出した瞬間でした。
イギリス人の先生はもちろん日本語を話せません。
そしてデモンストレーションに使われた犬たちはその時が先生と初対面でした。
それなのに犬と瞬時にコミュニケーションを取る先生の姿に私はすっかり見せられてしまい、
私がやりたいのはこれだと強く感じたんです。
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セミナーの最後に先生が私のイギリスの自宅で手伝いをしながら犬のことを勉強する研修生を募集しています。
興味のある方はいますかとおっしゃいました。
広い会場で会場が専門学校だったものでその生徒さんたちもたくさんいたので、
私はたくさんの人が手を挙げるんだろうなと思いどうせ当たらないだろうと
軽い気持ちで手を挙げたところ、なんと私しか手を挙げる人がいなかったんですね。
先生はすぐにはい、ではあなたいつから来られますかと聞いてきました。
当時3月、私はその年の7月にイギリスへと旅立ちました。
観光ビザでの入国ですから滞在期間はまず6ヶ月でした。
着いたその日のことをよく覚えています。
先生の家には先生と旦那さん、猫1匹、羊5頭、鶏6羽と犬が7頭いました。
翌朝から先生について7頭の犬たちと森に入り、朝の散歩とトレーニングの仕方を学びました。
3日目から朝の散歩と動物たちへのご飯、食器洗いとグルーミング、
犬小屋、鶏小屋の掃除は私の仕事になりました。
今のようにネット環境は整っていなくて、家庭の電話回線を使うので、
頻繁に日本に連絡を取ることはありませんでした。
先生や旦那さんはとてもよくしてくれましたが、
日本語も同年代もない環境で時々寂しいなと思ったこともありましたね。
でもいつも犬たちが寄り添ってくれました。
6ヶ月がたち、一時帰国してまた6ヶ月、それを3回ほど繰り返したと思います。
気がつけばイギリスでもたくさんの人々に支えてもらい、
日本にいたら絶対できないような貴重な経験をたくさん積むことができました。
何より学んだことは、犬と共に暮らすということの素晴らしさ、
そして犬の持つ可能性と魅力の広さ、犬との生活の楽しみ方でした。
イギリス人独トレーナーさんと言っても一通りではありません。
私はたくさんのプロフェッショナルに出会えたことも幸せでした。
イギリス滞在中のお話をしていたらきりがないので、
それはまたちょこちょこと配信をしていこうと思います。
最後に帰国するときに先生に本格的に就労ビザを取って、
私のアシスタントとして住み込みで働かないかと言われました。
とてもうれしかったのですが、当時師匠の家庭内は少しゴタゴタしていて、
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正直巻き込まれたくないなと私は思っていたので帰国するということを決めました。
イギリスから戻る直前に、
日本で当時お世話になっていた専門講座のトレーナーの先生が
同業者とお友達をイギリスに連れて行きたいので、
旅や滞在先の手配、ガイド、通訳をしてくれないかとお声をいただきました。
そのときに知り合った女性トレーナーの所属する犬のトレーニングの会社に
私は契約社員として宿ってもらえることになったのです。
その犬の預かりトレーニングの施設でトレーナーとして2年間近く働きました。
憧れの犬の仕事に日本でつけたことに大きな喜びを感じ、
貴重な経験を積むことができてはいましたが、何せ大変でした。
通常のトレーニング業に加えて、就労時刻、後や休日にミーティング、
営業、引き継ぎレッスンの家庭訪問、先輩のアシスタント、事務処理、そして夜勤もありました。
終電で帰り、朝早く出ていくということはザラでしたね。
それでも好きなことを仕事にできているという喜び、そして若さで乗り切っていました。
でも、みるみるうちに消水して精霊も止まってしまった私を親は心配していましたが、
あなたが選んでいるんだら、と特に口出しをすることはなかったです。
ですが、張りすぎた糸はいつか切れるものですね。
ある時、大切なことに気づいてしまったんです。
犬たちのトレーニングが楽しくない。犬たちを可愛いと思えなくなってしまったんですね。
ここでのトレーニングは常に時間に追われ、業務に追われ、売上達成のノルマに追われました。
海水によって達成すべきトレーニングのノルマもあり、担当犬のテストで落とされてしまうと、
もらえるお給料が下がってしまいました。
私は犬が好きで、犬の仕事が好きで、犬と暮らすことの素晴らしさを日本の皆さんに伝えたいと思って帰国したんじゃないのか、
ここではそれはできないと思ってしまったんですね。
厳しい環境に逃げていたのかもしれません。
お嬢様育ちだった私は甘えだったのかもしれませんね。
それでもある日、会社を辞めると告げた私に、両親はほっとした顔で、
いつお前がそういうかと思っていたよ、と声をかけました。
その顔を見て私は、ああ、これでよかったのかもしれないなと思ったんです。
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会社を辞めても、それでも犬のことはあきらめたくない。
しばらくは一人で知り合いなどを頼りに細々とやりながら、
介助犬育成のボランティアや、しつけ教室を担当していました。
その頃、私が辞めた会社に残っていた大好きな先輩たちが、
同僚と独立をして会社を設立しました。
彼女たちがちょうど私の自宅にすぐそばにできた犬の総合ショップに、
専属トレーナーとして入るということから、横浜在住の私に声がかけられました。
私はここでまた、新しい活躍の場を得ることができたんですね。
残念ながら、そのショップさんは2年足らずで潰れてしまったのですが、
私は先輩トレーナーさんたちと一緒に出張トレーニングをする傍ら、
派遣会社に登録をして、東京でアテンド業務を一般企業ですることになりました。
派遣社員さんと雇用企業さんとの初顔合わせ、いわゆる面接の日に、
企業さんの面接官だったのが、なんと今の旦那さんです。
人生は本当にどう転ぶかわかりませんね。
2年が過ぎたとき、突然父から、
お前、自分で犬の会社を起こすとしたら何ができるか、と図面を持ってこられました。
父の友人が、ある場所で犬のことをやる人を探している、という話を持ってきたんです。
結局はその場所はNGだったのですが、
父に言われて、自分なら何をしたいのか、何ができるのかを書き出してみたときに初めて、
ああ、こんなことをやってみたいんだ、という気持ちがあらわになりました。
父も簡単な事業計画書を見て、本気でやるならやってみろ、と場所探しから再スタート、
ですが犬を預かるということでまあ、貸してくれないんですね。
資金や家賃も跳ね上がりました。
最終的には母の貸してくれないなら作っちゃえばいいじゃない、という案で、
父の会社の資材置き場になっていた途中にプレハブの2階へを建て、
その正面に人工芝とウッドテッキを使ったドックランを作りました。
発案が5月、法人登記をしたのが9月、
そこから準備を整え会議をしたのが12年前の11月でした。
当時の私は経営というものがどんなものだかさっぱりわかっていませんでした。
そもそもお金や数字に疎く、ど文系人間でしたのでね、
今考えれば当初の計画からして無理があったなと反省するばかりですが、
人間、何事もやってみないとわからないし、失敗しないと学ばないものなんですね。
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施設は室内外のドックラン付き犬の幼稚園と24時間人のいるペットホテルがサービスの2本柱でした。
私の最大の失敗は自分がいつまでも若く独り身で第一線でやるという考えでスタートしたことですね。
実際この12年間の間に結婚して2度の出産をしています。
男性にとっては嫁さんをもらおうが、子供が生まれようが、自分の仕事やキャリアには何にも関係ない人も多いでしょう。
けれど女性は同じ立場になった時、やむを得ず第一線から引かねばならない時期がどうしてもあるんです。
そして産後、全く産前と変わらないように仕事をするということは、
はかり知れないリスクと身体的、精神的苦痛を伴います。
また保育園や特別な保育のケアのために経済的な負担もかかります。
まあ人によっても違うんでしょうけれどもね。
大企業ならサポートや福利構成の手厚いところもあるんでしょうが、
私は何も考えないまま始めてしまったので、自分が働けない時期の会社の不利益は本当に痛手でした。
自分がいなくても現場が回るようなシステム、経営、そして経理をしてこなかった自分が悪かったんですね。
その他にも本当にいろいろありました。
事故、怪我、東日本大震災、正直もう何度もやめようと思ったことを覚えています。
それでも法人として十機持ったのは人へに愛してくれるお客様、笑顔で来てくれるワンちゃんたち、
そして賃金で過酷な労働条件でも働いてくれる優秀なスタッフ、そして家族のサポートがあったからです。
私の第二子出産の直前、長年働いてきてくれたスタッフ2名から離職の願いがありました。
私自身も2人目が生まれてベテランスタッフに辞められたらもうこれ以上は続けられない。
必要としてくださるお客様がたくさんいることにとても罪悪感を抱きましたが、赤ちゃんが母親を必要としてくれるせめて3年はなるべく一緒にいてあげたい。
母親の代わりになる存在は他にどこにもいない。
仕事はその後からでも辞めてしまわなければ、またいつか広げられるはずだと思い、思い切って法人を求民し、施設を解体しました。
それが3年前の5月。
7月からは規模を縮小して、個人事業主として犬の保育園をメインに細々と行っています。
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個人事業に切り替えて、私はより自分らしさを発揮できたような気がします。
人生は、引くとき、やめるとき、切り替えて方向転換するとき、思い切った決断が必要になるときもあると思います。
ぐずぐず悩む、どっちつかずの判断で引き伸ばすというのは周りに迷惑がかかるだけですね。
大丈夫。命があれば、いくらでもまたやり直せます。
失敗してやり直すことは恥ずかしいことじゃない。
そう思って、今も開き直って続けています。
さてさて、後半も長くなってしまいましたね。
この私の独白が誰かの心に響いたら嬉しいのですが、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
また次回もよろしくお願いいたします。
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