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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。今回も、世界一周の船旅にお付き合いいただき、ありがとうございます。
前回は、出港より99日目、最後の寄港時、ロシアのペトロパブロフスクカムチャツキの前編をお届けいたしました。
今回は、8月9日、出港より100日目、寄港地での最後の1日をお伝えします。
ついに、104日間世界一周も100日目を迎えた。4日後の日本は真夏で暑いにもかかわらず、ここロシアの極冬の朝は寒くて震えるほどだ。
幸い、雨は降っておらず、どんよりとした空と冷たい空気の中、最後の自由時間を堪能すべく、友達と連れ立って船を出た。
出港は午後1時。長い時間の滞在はできない。私たちの目的は自由市場だった。
船が停泊している港から歩いて30分から40分のところにある、という。
途中の町は町と言えるのかどうかといったもので、商店や看板はほとんど見られない。
質素なアパートのような建物がいくつか立ち並ぶだけだった。
商店園らしくものが見えるものの、何を飽きているのか、外から見ただけでは全く見当がつかない。
そして、ところどころに見えるゴミの山、ゴミ箱というものはないのだろうか。
ソビエト連邦とともに社会主義国家が崩壊してから10年。
さすがに社会主義国家の頂点だっただけはあって、生活、経済の面では私たちの想像とこの地は全然違っていた。
この旅ではリビアやキューバ、中国、ベトナムと社会主義の国をいくつか訪れてきた。
物が少なく、商店や宣伝広告がほとんどないということにかけては、このロシアが一番であるような気がする。
デパートらしき建物があって、その1階のウィンドウ内は色あせ、タオルかけた下物や傾いたマネキンが煩雑にただ置かれている。
隣には郵便局があったが、外から見るとまるで郵便局だとはわからず、古くて暗く、お世辞にもきれいな建物とは言えなかった。
唯一、町の中心にある集約所と霊人像は立派だったけれど、周辺はがらんとしてどことなく物悲しい。
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重苦しく暗い、この曇り空のせいだろうか。
霊人像の前では兵隊さんたちが整戦と行進をしていた。
何かの記念日なのか、練習なのか、中にはまだあどけない顔の少年たちもいた。
自由市場は小さな屋台のような商店がより集まったような市場で、
野菜や果物を売る店、チョコやキャンディーなどのはかり売りの店、コーヒーやタバコを飽きない店、
ソースやマヨネーズ、油、パンやピロシキなどを売る店が軒を連ねていた。
その中で多く目についたのは、やっぱり鮭、鮭、鮭の切り身や丸ごと一匹を売る店。
そしてキラキラ輝く宝石のようにきらめくイクラの山々。
これはとっても美味しそうだった。
ただ、日持ちがしないし、食べきれそうにもないので、
イクラと鮭の生物はあきらめて、缶詰を買って我慢することにした。
旅の終わりになってやっと鮭缶をゲットすることができたのだった。
名物だけどあんまりおいしくないという噂が流れていたが、
それでもここはこれを買うしかないと試しに一つ買ってみた。
大きな缶詰は一つ90ルーブル、約2ドルということだった。
さてどんな味なのか、それは日本に帰ってからのお楽しみだ。
鮭は生身もだけれど、燻製商品もたくさん売られていた。
日本で食べられるようなスモークサーモンというのとは全く印象が違って、
どちらかというと着物のような感覚。
友達が驚異本意で買って一口くれたけど、
塩辛くてとてもそのまま食べられたものではなかった。
お酒を飲む人には酒とばのような感覚でいいのかもしれないな。
商店の奥には簡単なプレハブ作りの食堂や
スナック類を売る売店もいくつか並んでいた。
安くて大量のクッキーやビスケットを売っている店でクッキーを買ってみた。
お母さんたちが家庭で作るような素朴な味だった。
体を温めようと小さな食堂に入って、
名物のボルシチを注文。
やっぱりピロシキとボルシチはロシア名物、外せないよね。
前の食卓に座っていた地元の人たちが、
私を見てにっこりと笑顔を見せてくれた。
そのうちの一人が自分が食べているものの
スプーンに乗せて、これうまいぞというようにジェスチャーをしてくれる。
もちろんロシア語はさっぱりわからないのだったけれど、
こういうものは雰囲気で伝わるものだ。
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そこで私たちも値段も商品名も味もわからない、
その料理を注文することにした。
ウェイターが来ると前のテーブルを指差した。
そのテーブルにいたおじさんたちがウェイターのお姉さんたちに
何かを話しかける。
おそらくあの子たちこれを注文したいんだよ。
おいしいよって教えてあげたからさ。
一つ注文してやってくれとでも言ったのだろう。
ボルシチとともに湯気を立てたお皿が
ほとなくして私たちの前に現れた。
見た目は完全に水餃子や小籠包、
もしくはネパールの餃子、ももに見える。
食べてみるとうん、味も全くもって水餃子。
付け合わせはケチャップと
ロシア人大好きなマヨネーズが出てきたけれど、
これは絶対醤油が合うに違いない。
と思ったらなんとテーブルの隅に置いてあるではないか
きっこうまんの醤油が。
かけてみるともうただの餃子。
だけどそこはかとなく異国を感じた。
美味しいな。
ロシア人は水餃子を食べるのか。
ロシアといってもこの地は首都モスツクワからは遥か遠く、
中国や韓国、アジア圏の方が近い。
食文化に中国の影響が入っていてもおかしくはない。
小麦粉を練ったものに肉や野菜を詰めて
焼いたり蒸したり茹でたりするという食べ方が
日本、中国、韓国辺りから
シルクロード文化圏、インドやネパール、
西アジアの一部、中央アジアにも見られる食文化だ。
国や人種、文化が違っていても
同じような調理法や食べ方があるということは不思議で面白い。
ロシアなんて遠い遠い異国だと思っていたけれど
こんなに似たようなものを食べて美味しくなった。
言葉が通じるなら、進めてくれたおじさんたちに
私たちの国でも同じようなものを食べるんだよ
と話をしてみたかった。
ボルシチはたっぷりの野菜、牛肉、たくさんのハーブと
これにもマヨネーズが添えられていて
マイルドに仕上がっていた。
船でも時々船に乗って来たり、
船に乗って来たりして
船に乗って来たりして
船でも時々出てくるスープだったが
こちらのものはとても美味しく
熱々で冷えた体が温まっていくのがわかった。
付け合わせの少し乾いたパンをスープにつけて食べると
さらに美味しく感じられた。
食後は自由市場をみんなで散策した。
食品売り場の奥には
医療品や生活用品を飽きない屋台がずらり
私が探していたものは
あった!
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ロシアの人のイメージといえば毛皮の帽子
ということで探してみたら
あるある巨大なもふもふ帽子たち
大きさや色、形はいろいろなタイプのものがあって
それらのラインナップを見ているだけでも爽快だった。
しばらく見とれていると
店のおじさんが
かぶってみるか?とジェスチャーをしてくれた。
あまりお金がないから買えないよ
ということを片言の英語で言ったけど
わかっているのか?わかっていないのか?
いいよいいよ!と手招きをされた。
大きなもふもふの帽子をかぶせてくれて
それに合う手袋もはめてくれて
写真まで撮ってくれました。
おじさん、どうもありがとう。
かわいかったけれど
日本の冬はここまでごっかんではありません。
ということで買わないでごめんねと言って
その場を後にした。
パン屋の屋台でロールケーキとピロシキを買った。
ロシア語は全くわからないので
中身はわからず適当に指をさす。
買った後に2つに割ってみると
ピロシキの中身はポテトだった。
やった!おいしい!
早めに市場を切り上げて
港に戻りながら
小さなコンビニのようなところに最後立ち寄った。
フレーバーコーヒーを6パックと
ん?あれは何だろう?
サキヒカ?サキヒカ発見!
ロシア人はサキヒカも食べる。
すい餃子も食べる。
醤油も使う。
いくらも食べる。
一気に親近感が湧いた。
出港は1時間遅れて
16時となった。
最後の帰港地ということもあり
デッキではオレンジジュースとスパークリングワインが加わられ
出港局とともに最後の帰港地に
みんなで別れを告げた。
本当に最後なんだな。
長かったような
短かったような
あとは日本に帰るのみ。
全部の帰港地を無事に
巡ることができて本当に良かった。
どこの国も
町にも思い出がいっぱいで
それらが出港局とともに
頭の中を駆け巡る。
ゆっくりと船は沖へ出て行き
カムチャッカの山並みが少しずつ遠くなる。
さよならロシア
さよなら最後の帰港地
さてこちらで最後の帰港地のお話はおしまいです。
次回はロシア東京間の船内の様子と
旅の終わり
とうとう
この長かった
104日間世界一周の船旅配信の
最終回となります。
また次回配信の最後には
皆様にお知らせがあります。
それまでぜひ楽しみにお待ちください。
最後まで聞いていただき
ありがとうございました。