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2025-04-27 12:54

東京最悪な街の最悪な中学校で生き延びた話⑤ #053


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第五回目、最終回を配信したいと思いますが、
話の中でですね、冒頭、何度か、段階、ジュニア世代のことをですね、段階世代というふうに、何度も何度も段階世代というふうに言ってしまっておりますが、
それはですね、段階ジュニア世代の誤りでございますので、そのあたりをですね、読み換えて
聞いていただければと思います。はい、では最終回、ぜひどうぞ最後までお聞きください。
というわけで、続きですが、段階世代がですね、1971年生まれ、
昭和46年からですね、1974年、昭和49年までというふうに定義するとすればですね、
我がですね、最悪中学校は、校内暴力という意味ではですね、
その5年から10年ぐらい前がピークでして、
段階世代がですね、中学に入る頃にはですね、その前にあれですね、やはりその
校内暴力等にですね、危機感を持った
この国はですね、おそらくこの後に続くですね、段階世代の波がですね、このまま今の流れと一緒に、
今の状況と一緒にですね、暴力化していったら偉いことになるぞという危機感がかなりあったのではないかというふうに
想像します。で、その段階世代が入ってくる
中学に入学する前にですね、
我が中学においてはですね、暴力教師陣アベンジャーズを配置することによってですね、
鉄壁な防御というかですね、ディフェンスを
整備した上で、我々を迎え入れたというふうに想像することは堅くないですね。
なので、段階世代が入った頃にはですね、その暴力教師アベンジャーズたちがですね、
の勢力の方がですね、上回りというか、表面的には上回って整備されていって、
目に見える暴力という意味ではですね、教師陣の方がむしろ暴力的であったということじゃないかというふうに思われます。
で、まあそれに影響してというかですね、
その生徒たちの暴力は表面化はすることなくですね、
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盗んだバイクで走ったりですね、夜の校舎窓ガラス壊して回るという表面化するようなことは
むしろ減っていってですね、より隠室にですね、教室、先生、学校からですね、見えないように見えないように隠れて
暴力が進行していったというのが自然な見方かなと、今解釈するとそのように
考える次第です。
で、自分としてはですね、どのようにディフェンスをしていったかというとですね、これはもうバスケットの世界ではですね、他を圧倒的に凌駕するような
スポーツ能力もないわけで、ここはもうですね、
教師に一方的にやられるしかないわけで、ここはもう
波風立たずにですね、と言っても波風立っちゃうんですけど、
まあなんとか、
おとなしくですね、目立たないように、目立たないようにしていくということとですね、
かたやですね、自分にとって得意分野というのはですね、文章を書いたりですね、絵を書いたり、
ものを作ったりという点においては、他より優れているという認識はあったので、
第1話で申し上げたようなですね、あざとい作文をですね、書いたりですね、
京都の思い出は京都に残していって、我々は去っていくわけだが、
この京都に自分が戻ってくる時には、どのような自分になって戻ってきて、
京都に置いてきたタイムカプセルを開けるのだろう、みたいなですね、そんな臭い臭いですね、
あざとらしい作文を書いてですね、先生に一目置かれるようなですね、
立場を取ってきたりですね、
割と絵を書くのが得意で、美術得意だったんですよね。なので、
美術は本当に得意で、
一時期ですね、いろんな校内イベントの冊子というのをですね、
いろいろ作りますよね、なんかしおり、旅のしおりみたいな、
修学旅行のしおりだったり、連続のしおりだったり、音楽発表会、
伝統文化見学会とか、そういうのいろんなイベントがあると思いますが、
それをですね、学校側で公式のシナリオを作ったりして、冊子を作るんですけれども、
一時期ですね、その冊子の表紙はですね、全て自分が書いてたという時期がありましたね。
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どんなイベントの冊子も、教師からですね、私に発注が来るというですね、
そういったことをやっていたりしまして、
一番あざとかったのはですね、美術の授業、美術のテストですね。
美術も何かペーパーテストあったんですよね。デザインの試験科なんかがあって、
A4の紙科なんかが渡されて、四角と三角と丸でコンポジションを作るというような課題が
確か出たんですよね。その時にですね、もう
その画面いっぱいのA4の中にコンポジションを作るというおそらく課題なんだと思うんですけど、
そこの中央、A4の紙のですね、中央にですね、ちっちゃい、
本当にちっちゃいですね。四角、三角、丸、円と円錐と円柱を立体的に描いてですね、本当にちっちゃく描くんですけど、
そこに影を落としてですね、本当に画面で言うともう画面の中に
画面の中の10分、20分の1ぐらいのものをですね、そこに配置して
四角と三角と丸の立体をですね、中央に配置してですね、影を落とすというようなものをですね、ふざけて出しましたよね。
確か満点だったような気がするんですけど、それぐらいですね、なんていうか、
そこの試験の結果というのは、そこの試験に表せているものって、そこだけじゃないんですよね。
その膨大な歴史というかですね、積み重ね積み上げ、こいつはどういう能力があるんだっていうのを
分かった上での判断で、そういったですね、ちょっとふざけた作品をですね、
書いて高評価を得るとかですね、やってましたね。
技術、技能の技術、技術ではですね、なんか
ちょっと忘れたんですけど、なんか自動車エンジンの解体をして、それを絵に起こすというような
授業があって、それなぜか僕出れなかったんですよね。 なんか、追思というか、追思じゃないですね。
個別に授業を
授業じゃないです、課題か、エンジンの解体のですね、絵を
書いてですね、
非常に楽しい解体でした、みたいなことを書いてですね、できればこれをもうずっと
追求したいぐらいエンジンが面白いです、みたいなことをですね、書いてですね、
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提出して、なんか帰ってきたのが、なんかそうだったら、毎回付き合うから、いつでも
課外でいいので、
また、エンジンの解体の
授業を 個別にやってもいいです、みたいに言われてですね、
なんか、そんなこと本当に思ってねえわ、みたいに思ってですね、それっきりにしちゃったりですね。
まあそういったですね、なんというか、
あざとくですね、あざとく生きるってことが当時の自分のディフェンスだったのかな、と
いうふうに、その得意分野を
生かしてですね、まああざとく生きてきたなぁと、大人たちの中をですね、
飼いくぐってきたなぁというような
思い出が今思い出しましたね。
はい、まあ
そんな学校、そんな 史上最悪中学校なんですけれども、その数年後にはですね、
本当に日本中を震撼させるようなですね、史上恐悪事件を起こすことになります。
それについてはちょっとここで語るのを控えたいなというふうに思います。 まあそんな感じでですね、
ダンカイジュニアはそのまま、 ダンカイジュニアの我々というのはですね、
その10歳、20歳、30歳上の人たちによってですね、
その当時、中学校時代にはそこで一度殺されてですね、 次はですね、
就職氷河期というもので、また10歳、20歳、30歳上の人間に殺されて、 2度殺されていくわけですね。
で、次はですね、おそらく社会保障費を、
次はその10歳、20歳、30歳の下の世代、いわゆる子供世代によってですね、 削られていくんじゃないかというふうに想像します。
まあ、いわば子供たちに今度殺されると、親世代に2度殺されてですね、
子供世代によって1度殺されるというような身分、 世代になるのかなというふうに思いますね。
ちょっと長々と語ってきましたが、
史上最悪の街の、史上最悪の中学校を生き延びた話を、 5回に分けて話してきました。
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これでですね、このシリーズは終わりたいというふうに思います。 長々とですね、すべて聞いていただいた方、本当にありがとうございました。
はい、このですね、私自身のですね、極度の学校不振というかですね、教師不振というものはですね、
そのまま高校に入学して、高校でも引き継がれることになるんですけれども、 まあまた機会があればですね、話してみたいなと思いますし、
話さなくてもいいかなと思います。 はい、どうもありがとうございました。はい、ではまた。
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