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どうも、なにがしかのラジオです。今日もあまり役に立たない話をしようと思います。
この前、というか最近、子供が寒くなってきたので、保育園の送り迎えの時とかに上着を着せようとすると、すごい嫌がって。
ジャンパー着るの嫌だ、つって。毎日毎日着ろ、嫌だの繰り返しで、それも大変ストレスだったという話なんですけど。
着たくない理由は、あまり寒い。
部屋から外に出た瞬間はあまり寒いと感じてないんだろうな。自転車乗ってしばらく走っている間に寒くなってきたとは思うんだろうけど。
まあ我慢できるというか、そんな深刻に感じていないんだと思います。
実際深刻なんかとか分かんないけど、寒くても別に風邪ひかなきゃいいし、寒いからって風邪ひくわけじゃないとは思うけど。
でも寒かったら暖かい服着たらいいんだよっていう常識的なものを教えたくて。
一応外出たら上着着なさいと言ってはいます。
それが嫌だってなって毎回言い争いになるので、なんとか解決しようと思っていて。
なんでこれ着るの嫌なのって聞いたら、色が嫌だとか、これを着たら中の服が見えなくなるのが嫌だというようなことを言うので。
中の服を着に行っていて、これを着ていきたいのに上着を着ると見えなくなるのが嫌なのかなと思って。
じゃあ好きな上着を買おうよということで、どんな上着がいいか。
服屋さんに行って一緒に選ぼうよって言って、その服屋さんに行ったわけですね。
行く途中に何色がいいのって言ったら、赤って言うから赤い上着探して。
あんまり真っ赤っ赤の服ってないけど、一個だけあったから、これでいいね、これなら着るねって言って。
鏡の前に着せて立たせてみて、これでいいねって言って買ったんですけど。
次の日からまた、これを着ない?って言って。
赤じゃなくて紫が良かった?って言って。
いやいや、あんた昨日赤が良かったって言ったでしょ?みたいな感じで、それはそれはまた喧嘩になって。
とことん付き合ってやろうじゃないかということで、じゃあ紫の上着買うからねって言って。
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紫の上着を買ってきて、これなら着る?って言って。
それでも嫌だって言って。
でもそこまでやるとさすがに、自分が筋の通らないことを言っていることに気づいたというか、自覚したようで、もともと持ってた上着を着るようになりました。
だから買ってきた赤の上着と紫の上着は無駄になったんだけど、
まあ、こんだけやり取りし、
しかも一応自分からこれなら着るという風に言ったものを着せているので、
着たくないものを無理やり着せて、なんか嫌な思い出にするのも嫌だなと思って。
なので結果としては一応収まったというか、
満足できるところに収まったような気がします。
この話なんですけど、今ちょっとある本を読んでいて、
心はこうして作られる。即興する脳の心理学。ニック・チェイターという結構難しめの、ヤバめの本を読んでいるんですけど、
めちゃくちゃ面白くて、
自分の好きなものとか、こういうのが好き嫌いとか、
さらに言うと心情とか、
主義とか、好き嫌いとか、
自分の意思、
そういうものって実は無くて、
心の中にそういう括弧としたものがあるわけじゃなくて、
これが好きとかあれしたいとか、
いう主張を人はその瞬間瞬間に即興で作っている。
過去の発言、過去の記憶とか、
周りの期待とかと、
一定の整合性があるように即興して作っている。
心の中に答えがあって、それを探しに行けば出てくるみたいなものは間違いだという主張をした本です。
かなり画期的な、ドラスティックな主張をしているんだが、
でも納得できるっちゃできるなという気がして。
子供の話ですけど、
上着を着るのが嫌だというのが先にあって、
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その理由を後から後から作っている感じはしますよね。
嫌だって言って、何でだっけ、色が嫌とか、
中の服が見えなくなるのが嫌だとか、
別にこの色が好き、これが着たいとかいうのがあるわけじゃなくて、
上着を着るのが単純に面倒くさいから、
あるいは暑いとかあるのかもしれないけど、
あって、その瞬間に即興して理由をでっち上げている。
まだでっち上げる材料も上手じゃないから、
色が嫌だとかいうことになって、
じゃあ好きな色の服を買ったら着るのって言って買いに行ったら、
やっぱりそれが嫌だってことになってしまって、
即興するのがまだ下手くそだからこういう事態に陥っているとも言えるのかなと思ったりしました。
まだちょっとこの本を読んでいる途中で、
あらゆるものが脳が即興で作り出して、
例えば感情だってその場所まで創作している。
例えば吊り橋効果みたいなのがあって、
吊り橋を渡ってちょっと怖いからアドレナリンが出て心臓がドキドキしたというのと、
隣の異性が魅力的だという感情を人はよく取り違える。
それは先にその心体感覚、心臓がドキドキするという心体感覚があって、
それに理由をつける時に、本当は吊り橋を渡ったせいでドキドキしているんだが、
隣にいる異性が素敵だからドキドキしているという風に間違える。
そういうこともあるよねと。
感情も思考も頭の中にあるわけじゃなくて、
心の中にあるわけじゃなくてその場所まで作っている。
なるべく辻褄が合うように作っているので、
一貫性のあるものが心の中にあると人は錯覚しているということなのかもしれないと思いました。
もうちょっと読んで考えることがあればまた録音しようと思います。
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大変面白い本です。
では今日はこの辺で。