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こんにちは、お元気ですか?なんばるわんです。
自分らしく生きるためのラジオを始めていきたいと思います。
この番組は、国際結婚23年目の私、なんばるわんが、
自分らしく生きるための挑戦や、日々の暮らしの中で気づいたことなどをお伝えしていくラジオです。
昨日、松藤やユミさんのコンサートに行ってきました。
だいたい30年ぶりぐらいになるかと思います。
最後に行ったコンサートが、どのアルバムのツアーで、どこの会場だったのかっていうのは、もう覚えてないですね。
私の手元にあったのが、その当時ツアーで買ったキーホルダーが、今でも残っています。
あとはもう全部ね、処分されちゃいましたね。
本当にガラクタなんでしょうね。他の人から見たらね。
でもコンサートの思い出とかは、私の頭の中にまだ残っていますけども、
本当に感動するコンサートでしたね。
今回のコンサートは、The Journeyというツアーの名前なんですけど、
セットが、毎回ユミンといえばね、シルク・ド・ソレイユとコラボしたり、
雪が降ったり、日が出たりとか、スケートだったりとか、いろいろやってますよね、仕掛けをね。
今回はパイレーツですね。海賊船というか船。
もうセット自体が船だったんですね。大きな船。
で、それを観客である私たちが、なんかまるでね、海の中からその船を見ているような感覚。
ライトとかもそうだし、あと多分ドローンとか使われているんだと思うんですが、
イルカのね、ビニールの風船というんですか、あれがふわふわ空を、
その代々木第一体育館だったんですが、その天井のあたりをふわふわふわふわ、
本当泳いでるようにね、浮かんで飛んでたんですよ。
で、あのライトの効果もあって、本当自分たちが、
その波の中にいるような、そんな感覚になりましたね。不思議な感覚。
すごい、あの大掛かりなセットだなあっていうのをね、感じました。
で、そのセットの様子が、某テレビ局で一度ね、特集されたんですね。
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で、その時には、ゆうみんはもう本当に何十秒しか出なくて、
ほとんどが浦形さんを取材したっていう、そういう番組だったんですよね。
で、その番組の中のアイドルの人と女優さんだったかな、
その二人が浦形さんたちの仕事を手伝って大変さを知るっていうか、
そういうレポートをするっていう番組だったんですよね。
で、それでだいたいセットの様子とかは拝見していたので、
ただね、いざ自分があの客席に座って、その眺めてみると、もう全然やっぱりスケールがね、違いますね。
テレビの中で見るのと、実際に自分の目で見るのと、
もう感じるという方が合っているのかな、表現が。そんな感じがしました。
で、座席は2階席だったんですけど、ステージがど真ん中だったんですね。
その船がセッティングされているのがど真ん中で、
まあ360度全部見えるかっていうと、ちょっと柱があったり、
船の構造ありますよね。
なんていうの、船尾とか、その頭とお尻のところ、尻尾のところ、
そこはやっぱり正面の人は、ちょっと見づらい部分もあったかもしれないんですけど、
なんかツアー中に、その座席の改善というか、その見え方の改善というのも工夫をされている、
そういうのもね、情報がありましたね。
ただね、私が座ったところにもちょっと障害物があったので、
もう完璧にユーミンが見えたかっていうと、ちょっと残念なところもあったんですが、
ほぼほぼユーミンの動きがちゃんと見ることができました。
意外と近いなっていうのもね、感じたんですよね。
あの、オペラグラスがないと見えないかなと思っていたんですが、
まあね、視力とかもあるし、そしたら結構見えましたね。
やっぱりライトもしっかり当たっていたりとかすると、ちゃんと見えましたし。
ユーミンがね、デビューから50周年を迎えたということで、ツアーをずっとされているんですけど、
もう昔ね、ファッションデザイナーを目指して勉強していた時期がありまして、
その時のお友達ですね、クラスメイトから松藤やユミさんを教えてもらって、
そこからもうハマってですね、いつもツアーの、アルバムが出る度にね、ツアーをされていて、
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それは全部ね、ツアー行きました、コンサートにね、友達と。
で、ファッションとか、特にね、私はヘアスタイルを真似しました。
腰までのソバージュって覚えてますか?覚えてますか?とか言って、
50代、60代の方がきっとど真ん中の世代だと思うんですが、
ソバージュをね、真似して、私はもともと髪が多かったので、ほんとわっさわさしてましたね。
でね、パーマかけんのも結構お金かかるし、当時学生だったので、
バイト代だけじゃなかなかきつかったっていうのもあったんですが、
そこで友達に、安いね、今で言うと格安。
格安チケットじゃないけど、すごい安くパーマをかけられる、
池袋の雑居ビルみたいなところにある美容院を教えてもらって、
何人かで行きましたね。政策を握りしめて。
今だったらもう2万、3万かかると思いますけど、
当時はね、2、3千円でかけられたんですよ。
シャンプーとか、乾かすの、ドライヤーとかも全部、
鏡の前に椅子が置いてあって、そこのカウンターのところにドライヤーがあるんですよ。
全部自分でやるんですね。だから安いんですよね。
スタッフさんはパーマをかけるだけっていうね。すごくないですか、システムが。
そういった安いところに行って、ユーミンの真似をしていましたね。
もう青春ですね、ユーミンは。私の青春という感じで。
やっぱりラブソングが多くてね。
20代の時、いろいろあってね。
ユーミンの歌を聴きながら涙を流すっていうね。
そういう、もうなりきっちゃってるっていうか、その世界にどっぷり使っちゃってるっていう感じもしますけども。
そういった時代があってね。
そんな50年なんか経つんだと思って、自分も年を取るわけだなっていう感じがしました。
観客の人たち、やはり年齢層は高めでしたね。
それが本当、今年も1回コンサート出かけたんですけど、その時はもうちょっとお姉さんたち多かったんですよね、年代的に。
その時も安心だなっていう、ほっとした感じをしていましたけども。
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今回のコンサートも、ユーミンのコンサートも、やっぱり年齢層もほぼ同じ世代だと思います。
隣り合わせになったご夫婦がいて、ちょっと面白い話色々聞かせてもらってたんですけど、ユーミンに関するね。
彼らも、もうほぼ同い年だなっていう感覚があって、パッと周りを見渡しても、ほぼ同じ年齢だろうなっていう人たちばかりでしたね。
中にはね、小さなお子さんもいて、小学校、高学年ぐらいの男の子でしたかね。
たぶんお母さんとおばあちゃんと一緒に来てたのかなと思って。
どっちかっていうと、私はおばあちゃんに近い年齢だと思います。
いや、そういう時代になったんだなと思ってね。時代の流れ、そういうところでも感じましたし。
あとはですね、今日お伝えしたいこと、ユーミンの今回のツアー、ザ・ジャーニーっていうツアーの裏方さんを取材したテレビ番組っていうのが、
夏ぐらいでしたか、放映されたんですね。民放局で。
それで、その番組は本当に完全にスタッフの動きを取材するというか、時間の管理とか、セットの大移動とか、そういうのを取材していたんですね。
ユーミン自体は何十秒しか出てこなくて、ほぼスタッフさんだけ。
その番組から派遣されたアイドルの人と、女優さんかな、女性が、その2人がユーミンのツアーのスタッフさんのお手伝いをするっていうね、そういった番組だったんですね。
最新の技術、最新の機器を扱っているはずなので、そういったものを1回1回、ワンステージごとに組み上げて、あと解体して、それを搬入したり搬出したり、
もう全部時間も完璧にこなさなくてはいけない、そういったすごい責任感、重い責任を持って、その番組で感じたのは、スタッフさん1人1人が細かく仕事が分けられていて、
もう1人1人、100%の責任で動いている。みんな同じ方向を向いて、そっちの方にみんなで進んでいこうっていう、その一体感っていうのがすごかったですね。チームプレーっていうのが。
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時代の流れなんだなと思ったのが、その番組もね、時々ね、空港の裏側とかってそういう番組ありますよね。なかなかね、コンサートツアーの裏側っていうのは、
ましてやね、公共の場でそれを発信するっていうのは、なかなか今までなかったんじゃないかなって思うんですね。
例えば、ユーミンだったら、ユーミンのコンサートのDVD、その特典でNG集とかスタッフの活躍とか、その限られた媒体で発信というかね、披露されていたんじゃないかなと思うんですね、今までは。
ただそれがもう一つの番組にもなっていましたし、今回ユーミンがね、コンサートの最後にダンサーの人たち、アクターの人たちをまず一人一人名前を呼ばれて紹介をして、もちろんバンドの人たちも紹介をされて、
その後にですね、スタッフ、クルーのみんなって言ったかな、紹介しますって言ってね、お名前は一人一人は呼ばれなかったんですけど、あのテレビ番組で有名になった人たちですって言ったらみんな笑っててね、皆さん見てるんでしょうね。
ああ、あの番組に出てた人たちかっていうので、もう拍手がより大きくなったんですよね。それは、バブルの時代ね、ユーミンは走ってきましたから、自分のお話の中でも、昔から来てくれている人たち、ごめんなさい、あの時はすごく私尖ってたよねって。
50周年迎えてだいぶ柔らかくなってきましたなんてね、いう感じで笑って話をされていたんですけど、本当バブルの時代で、もう金さえあれば人の時間なんか関係ないっていう、そういう時代だったんじゃないかなと思うんですよ。
そういう時代を走ってきたユーミンだからこそ、今の時代でね、もうスタッフさんがいてこその自分、裏方さんがいてくれるから自分が発信をね、その音楽というもので発信活動ができているっていうのを言ってはいないですけど、それを感じ取ることができたんですね。
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その番組を取材をね、承諾したのもそうだと思いますし、やっぱり裏方さんを裏じゃなくて表に出していく。
そうすることで、この作品がね、ツアーという作品がどういうふうにしてできているのかっていうのも、消費者とか観客の人たち、ファンの人たちに知ってもらうことで、より応援してもらえるっていう、なんかそういう考えに、そういう発想になっているのかなと思いました。
それが時代の流れなのかなっていうね。やっぱり自分だけ、そのアーティストね、例えばユーミンだったら、私だけが有名になればいいとかね、そういうことじゃなくて、もう彼らがいるからこそ、今の自分がいるんですよっていうのを堂々と言っていく。
なんかそれをね、感じました。
スタッフの人たち、少し恥ずかしそうに手を振っていましたね。
観客としては、ファンとしては、ユーミンの発信活動でね、インスタグラムのオフィシャルのアカウントがあるんですよね。そこでですね、マネージャーの慶子さんという人が、スタッフの動画を撮って、そこにはお顔も出てますし、お名前も紹介してくださったりとかして、
音響チームですとか、照明チームですとか、そういうのね、いつもこのツアー中もしょっちゅうね、紹介してくれていたんですよね。
そういうのも、観客も見ていますし、チェックしているので、ああ、あの人たちだ、あのテレビ番組で取材されたあの人たちだとか、インスタに出てた人たちだとかっていうので、より拍手も大きくなったんじゃないかなと。
私ももう手がね、あのほんとカサカサになってましたけど、もう夢中で拍手をね、していましたね。
裏方さんが恥ずかしそうに見えたっていうのは、私も少し前までね、裏方としてあるインスタグラムのアカウントをね、お手伝いをさせていただいていたので、そのお気持ちがね、なんかちょっとわかるというような感覚があったんですね。
で、インスタグラムのお手伝いを始めたときは、もう裏方に徹したいので、絶対表には出たくないって言ったんですよ、経営者さんにね。
人の前に出たり外に出たりっていうのがすごく苦手で、なのでもう完璧に黒子でいいみたいな感じで言ったんですけど、それを結果的にはお手伝いは終わっちゃったんですが、
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ご自身のショップのホームページで私の名前も出してくれて、私が運用しているインスタのアカウントもリンクも貼ってくださったんですよね。
で、やっぱり表に出ていくべきだっていうのをその経営者さんが言ってくれたことがあって、私はもう本当汗かいちゃいましたけど、話聞いてるだけで。
ただ、何かその先、ユーミンのスタッフの人たち、ネツアーのスタッフの人たちを見ても、やっぱり名前は出したり出さなかったりですけど、皆さん有名になりたくて照明とかを勉強したりセッティングしたりしてるんじゃないんですよね。
みんな、やっぱりユーミンという一つの作品、ユーミンを盛り上げるっていうのか、自分たちが一生懸命責任を持ってその照明とかセットを完成させることによって、ユーミンがより輝く、そうすると観客も喜びますよね。
で、私もそういう気持ちだったんですよ。
そのインスタグラムで、経営者さんのことをより詳しく、そして経営者さんの言葉、気持ちになって、表意してね、経営者さんに表意してたつもりで発信というのを、その投稿というのを考えて作っていたんですけど、
そうすることによって、やっぱりその経営者さんの人柄に惹かれて、ショップを利用してくださる方が増えるんじゃないか。
あとは、そのお仕事、ビジネスをされていて、そのビジネスに関することに関心を持ってくれる人が増えるんじゃないか。
そういった気持ちでやってたんですよね。
自分がね、これをステップにして、踏み台にして有名になりたいとか、バンバン稼ぎたいとか、そういうことは全然思ってなかったので、
それが、勘違いかもしれないけど、ユーミンのツアーのスタッフさんたちが恥ずかしげに手を振っていたっていうのが、ちょっと気持ちがわかったっていうのかな。
私だったら、ユーミンのコンサートツアーの裏方だとしたら、取材とか言っても私は帽子を深くかぶって絶対顔は見せたくないし、名前も言ってほしくないって思うかもしれないけど、
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でもやっていることは、やっぱりユーミンのコンサートツアーを成功させたい。
もうそれですよね。
で、やっぱりその先ですよね。ファンの人たち、観客の人たちを喜ばせたい。
で、ユーミンも嬉しいし、ユーミンが嬉しければ自分たちも嬉しい。
そういうのを感じました。
やっぱり私は裏方が好きだし、そういう人を支えるっていうことを、本当何ができるかわかんないんですけど、いつも考えてるんですよね。
だから自分に正直になってもいいのかなって思いました。
また熱くなってしまって、声がユーミンボイスになっていると思います。
そうそう、なんか気がつけばね、ユーミンだなと思って、声が。
本当。
で、ユーミンのオールナイトニッポン、昔聞いていたときにちょっとしたエピソードがあって、松戸屋ユミンさんを教えてくれた友達がラジオも教えてくれたんですよ。
夜中に聞いてて、番組の最後に今日の当選者発表みたいなのになってて、何がもらえるのかなと思ってたら、
握手券付き紙石券って言ったんですね、ユーミンがね。
紙石券の当選者は何々さんとか言って、3人ぐらい発表されて。
本当に握手券っていうのが入っていて、それをラジオ、あれは日本放送ですかね。
オールナイトニッポンはね、そうそう日本だから。
日本放送のスタジオの出待ちって言うんですかね。
芸能人が出てくるのを待っている、そこの場でその握手券を見せればユーミンと握手ができるっていうね。
そういう景品だったんですよ。
で、私も軽い気持ちで、当時はハガキでしたね。
あれでね、応募したんです。
そしたら、今日の当選者はって言って、私のペンネームが読まれました。
当たっちゃったの。
それでね、びっくりして。
で、私は教えてくれた友達に譲りました。
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行ってきていいよって言って。
その子は本当に命懸けっていうかね、人生をユーミンに捧げるぐらいな感じだったので、行ってきなって言ってね、渡したんですよ。
そしたら彼女行ってね、泣いてましたね。
もう泣いてましたね。
こんな細い手だったよって言って。
いや、本当そういったことも思い出しましたね。
懐かしい。
本当今思えばね、ラジオって聴いてましたよね。
本当、夜更かしして中学の時も聴いてましたね。
勉強しないでね。
ファッションデザイナーを目指して勉強していた時も、
スーツのスパンコールの飾りをつけて、チクチク縫い物をしながら、
ユーミンのね、深夜のラジオを聴いていたそういうこともありましたね。
本当に懐かしいですね。
はい、というわけでね、
なんかその時代の流れ。
裏方さんが表に出ていいんだなっていうね、
そんな感じがしました。
かといって、
なかなか苦手なものは苦手なので、
人前に出るっていうのはね、
ちょっと怖い気もしますけども、
やっぱり自分の好きなことをやっていけたらいいなと思いますね。
はい。
というわけで、今日はこの辺で。
最後まで聴いていただきありがとうございます。
また次のラジオでお会いしましょう。
ナンバルワンでした。
元気でいてくださいね。
アンコールの曲目とか、
そういうのを覚えていたかったんですけど、
全然覚えてなくて、
帰りの電車でね、ちょっと調べてみたら、
今セトリって言うんですね、セットリスト。
どういうセットで、
曲目とか、
あとMCの内容、
で、アンコール。
今回はダブルアンコールだったんですけど、
そのリストがね、
昨日の昨日ですよ。
もう帰りの電車でね、出てたんです。
すごいね。