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2022-11-30 13:33

#96 【子宮全摘出手術から6年経過】死◯寸前・重度の貧血が発覚するまでのこと

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00:07
アッサラムアレイコーン、お元気ですか?なんばるわんです。 自分らしく生きるためのラジオ、この番組はあなたの優しさの提供でお送りします。
はい、今日は2022年11月30日。 今から6年前のね、2016年11月30日に私はパキスタンで大きな手術を受けました。
四肢をね、全部取るというね、摘出手術。 そして右の卵巣も取りました。
今までね、大きな問題もなく、ここまで来られたことに感謝をしたいと思います。
それで、この病気のこととかですね、
もしも悩まれている方がいたとしたら、何かね、参考になればいいかなぁと思いまして、この病気のこと、そして手術の後ね、パキスタンでどういった生活をしてきたのか、
その辺をですね、お伝えしていきたいと思います。 ちょっと長くなると思うので、よろしくお願いします。
私たち夫婦にはご存知の通り、一人娘がおりまして、先日20歳の誕生日を迎えることができました。
パキスタンでですね、2人以上子を持つのが当たり前で、
もう長年ね、2人目どうした、いつ来るんだ、 そういった言葉をね、
時にはの強い口調で言われたりとかして、親戚とかならね、まだわかるんですけど、 まあそれでも嫌だけどね、
初対面の全くの他人とか、 そういう人たちにね、そんなことを言われたこともあって、
パキスタンでの生活でね、ストレスが溜まった原因の一つにもなっていましたね。
今ね、娘が20歳になって、 結婚してから1年1ヶ月後に娘が誕生したんですね。
私たち夫婦の印象というかね、考えとしては、 子供って簡単にできるのかなっていうふうに思っていました。
2人目も当然ね、普通にできるんだろうと思っていたんですけども、
03:03
まあ親戚とかね、全くの他人からそういうことを言われるほど、 なかなか2人目がね、妊娠するってことはありませんでしたね。
そもそもですね、私たち夫婦っていうのが、
2人で過ごす時間っていうのが結婚生活の中でね、 結構短い方、少ない方だと思います。
初めてね、パキスタンに行った時も、母子だけで1年ちょっと、 約1年半暮らしていましたし、
移住ね、今回2年前に日本帰国をして、 それまでの間も1年に1回、
夫も私もお互いの国にね、一時帰国をする以外は、ずっと離れ離れだったので、
まあ通常のね、ご夫婦揃っての生活をされている方々からすると、 妊娠する確率っていうのは低かったのかもしれないですね。
そもそもが、そういう気もします。 ただパキスタンで何だかんだ言ってくる人たちには、そういった事情とか、
そんなのは関係なくて、すごくネガティブな言葉になっちゃうんですけど、
パキスタンの女性は、少なくとも私の周りの人たちはね、 医者に行って注射を打てば、簡単に妊娠ができる、
そういった認識でいるようです。 すごい嫌な言い方かもしれないんですけど、私はそういうふうに、
感じて生活してきました。
それが他人でも、自分の身内でも、誰にでも簡単にね、 医者行って注射打って、妊娠しろって、そういうふうにね、言う女性がすごく多かったですね。
そういったプレッシャーもあって、もしかするとストレスでね、
子供が来なかったのかもしれないんですけども、
結果的にですね、子宮を全部取るまでの病気になってしまって、 それがね、子宮菌種が原因でした。
で、
夫婦で過ごす時間がすごく少なかったから、 移住を決めた時、本格的にパキスタンにシフトするって決めた時に、
その前にね、また離れ離れになっちゃうので、 その前に何かできることはないかと思って調べて、
06:02
一応ね、婦人科を受診しておこうと思いました。 それで、何度か行っていた婦人科に行って、
調べてもらったら、特に問題はないということで、 妊娠するためにね、タイミング法というのと、
あと漢方を飲んでみましょうかという話になって、 3、4ヶ月ね、トライしましたね。
まあ、それでも2人目は来ませんでした。
注射も痛かったしね。 夫は治療っていうんですかね、そういうのには参加せずに、
見守っていてくれたという感じでね。 痛みに耐えて注射も受けたんですけども、できませんでしたね。
それから移住に至りまして、
その後は、夫もね、ずっと1年に1回は一時帰国をしていて、 私たち母子も、
移住をした次の年からは、毎年ね、 夏に一時帰国をしていて、
生理ですよね、生理の状態が、 私はもう結構最初から、なんか若い時から多めで、
そして痛みも結構あったんですよね。
で、それがパキスタンで生活していって、
結構なんか、多くなってきたなーっていう感じはしていったんですね。 移住の最初の年、
移住して最初の年に、 やはりストレスがね、いろいろあって、
だと思うんですけども、 食欲が湧かなくなりまして、
うん。 年末近くでしたかね。
で、体重がどんどん減っていって、 あのガリガリに痩せちゃいました。
うん。 で、ストレスもあったので、親戚との付き合いとかも自分で考えて、
少し間隔を空けるようにしていて、 で、ご近所さんとかも、
すごい私たちの生活に、 ぐいぐい食い込んでくるような人たちが多かったので、
それもやっぱりちょっとストレスだったんですね。 で、近所の人との付き合いも、ある程度、距離を置くようにとかしていて、
それで文句言われたりとかね、本人たちにね、近所の人たちに。
うん。それをこう日本にいる夫に言われて、 夫にも電話で文句を言われるというね。
うん。すごくね、悪いループにはまっていたっていうんですかね。
ストレス満タンの状態で、 ガリガリになって、
で、親戚に呼ばれることがあって、お邪魔したんですよね。
09:05
そしたら、親戚のメンバーが、一人が、 ちょっと顔色悪いね。
なんか、もうげっそりしてるじゃないって言われてね。
その親戚が住んでいたのが下町で、 下町の診療所にね、すぐに連れて行ってくれました。
そしたら、油血が必要だって言われたんですね。
覚えているのが、その診療所の先生がね、 私の下まぶたを下ろして、見た時に真っ白だったんですって。
うん。
それであの、血液検査その日にしたのか、 ちょっと後だったのか覚えてないんですけど、
もう油血が必要だって言われて、 その親戚のうちにもね、2泊3日ぐらい泊めさせてもらって、
うん、あの、
ね、その下町の診療所に毎日通うみたいなことを やっていたんですけどもね。
親戚が日本にいる夫に連絡をしたら、 あの油血でね、その針が使い回ししてるから、
もう病気が怖いからちょっと油血しないでっていう風に、 あのお願いをしていました。
で、その意見には私も賛成で、 うん、あの針にね、よるこの感染症、
病気がね、怖かったので、 あの
錠剤、薬でね、 何とかやり過ごそうかなと思って、
まあ、お医者さんにね、
鉄剤を処方してもらって、 それがね、日本の赤い錠剤でしたね。
日本のものなので安心できるかなと思ってね、 それを飲み続けて、
で、翌年にね、夏に一時帰国をしました。
で、えーと、そのパキスタンに移住する前に通っていた イチョウカノ先生のとこにね、真っ先に行きましたね。
うん、その時に住んでいた市町村のね、
なんか無料で健康診断が受けられるっていう、 そういう紙が来ていたので、
それを持ってね、あの、なじみのお医者さんに行ったんですけども、 そのイチョウカでですね、
ヘモゴロビンの検査ね、してもらったら、 6って言われたんですね。
正常は12から14、ね。 10以上が正常だと思うんですけども、
6だったんですね。
本当にあなたの、 命の危険がありましたよって言われました。イチョウカノ先生に。
ただし、その輸血を断ったのは、間違ってなかったと思います。って言ってもらってね。
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やはりその先生も、その、 医療の、医療針、なんて言うんですか、
その針の使い回しをね、 あの、その危険性をお話しされていましたけども。
それで、そこのイチョウカで、 週に1回注射を打ってもらって、
何度か一時帰国の間に、ヘモゴロビンを12までにね、 戻すことができました。
ちょっとね、長くなっちゃうので、 一旦ここで終わりにしたいと思います。
その血液、ヘモゴロビンが戻ってからね、 その後の話はまた次回にしたいと思います。
ちょっと、ドギツイ内容となってしまうかもしれないんですけど、
本当に子宮菌種を根持っている方は、 多いのかなぁと思っていて、
後悔とかね、されないように情報をね、 情報としてお伝えできればなぁと思っています。
はい、では最後まで聞いてくださって、 本当にありがとうございます。
また次のラジオでお会いしましょう。 ナンバルワンでした。
アラハフィース。 元気でいてくださいね。
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