00:07
こんにちは、お元気ですか?なんばるわんです。
自分らしく生きるためのラジオ、スタンドFM配信2周年ライブ、始めたいと思います。
えーと、時間が急にできたので、今ね、外出先の
某ショッピングモールの駐車場に車を停めて、 そこの車内で話しております。
はい、HROさんこんにちは。いつもありがとうございます。
はい、そばかさんこんにちは。 ありがとうございます。
なんか声は、あの
U線のピンマイクを使っているんですけども、 ちゃんと聞こえているでしょうか。
久しぶりにこのピンマイク使ったんですが、 いやなんかあっという間に
2年が経ちました。 まあ1回目の
あの放送は、もう本当に呪いをかけるような、 ひどいあの話し方で、
ひどい声でしたけども、 ね、やっとここまで
少しは改善されたのかなっていう気がしています。 本当にあのいつもね、聞いてくださっているあなたのおかげで、
はい、ここまで来られました。 白ちゃんこんにちは。
いつもあの聞かせていただいています。 ありがとうございます。
はい、HROさん綺麗に聞こえてますよ。 ありがとうございます。
2周年おめでとうございます。 ありがとうございます。
2周年でやっとね、あの365回を超えた。 どんだけマイペースなんだっていうね、
あれですけども、白ちゃん2周年おめでとう ございます。ありがとうございます。
あの聞いていただいている、何でしょうね、 層というか、あの方々のその、何ですかね、
コミュニティというか、 だんだんあの変わってきているんですね。
で、去年の3月後半でしたね、
農業系ウェブコミュニティ トマジョダオに参加をさせていただくようになってからは、
リスナーさんのおそらくあの半数以上は トマジョダオの方なのかなっていう感じがして、
とてもありがたく思っています。 で、その前までは
03:06
スタンドFMでね、交流を持たせていただいていた方を 中心に聞いていただいていたんですけども、
なんかその話す内容とかも、やっぱり自分の活動をね、
報告というか、 こんな
人間でもできることはあるよっていうのを、 報告というかね、そういうのをしたくて、
お話ししていて、
どれだけの方にね、共感していただいているのかっていうのは、
わからなくても楽しみにね、それを糧に生きて、
いけばいいのかなという感じもしています。 で、
1周年の時にも、
何を話そうかなっていうね、ことを半分ぐらい考えて、 もうライブ始めちゃったんですけど、
今回もですね、 特に決めてなくて、
この間まで温泉旅行に行っていて、 そのことはまた別にね、収録しようかなーって考えていたんですよね。
でも昨日も一昨日も、 ちょっと1日中時間がなくて、
時間が取れなくて、 夜になると、ひそひそ声でね、話さなくちゃいけなくなるので、
それはそれでどうかなーという感じがして、
でもこの2年間を振り返ってみるのも面白いですかね。
はい、こやぎ先輩、こんにちは。いつもありがとうございます。 おめでとうございます。ありがとうございます。
皆様お元気でしょうか。
ね、スタンドFMで、 本当今まで自分が生きてきた、
イスラムというコミュニティから飛び出して、
様々な環境で、いろいろな生活を送っていらっしゃる方々と、 交流を持たせていただくようになって、
本当新鮮なことばかりで、
スタンドFMのルールとかマナーとかも、 皆さんに教えていただくようになって、
とっても助かってますね。
で、このスタンドFMで経験したことを、
今度はね、他の、また他の人に伝えていくっていうこともできているので、
まあたった2年、368回目ですね、今日多分。
06:04
あのナンバリングはね。 まあたったそれだけの放送をしているものなんですけど、
こんな、ね、人間でも頼りにしてくださっている方もいるので、 それは本当に続けていて良かったなって思いますね。
opちゃん、こんにちは。 いつもありがとうございます。
そう2年前のね、2月22日。 なんかその前から、
アカウントはね、作っていたんですね。
で、当時は、産婦人会の高尾美穂先生。 よくNHKとかにもね、出ていらっしゃるんですけど、
その方のお話を、配信を聞いていて、 あとはね、ウェブライターの酒坂マスターさんという方も、スタンドFMから始まったんですよね。
で、 酒坂さんの配信、このお二人の配信をね、よく聞いてたんですよね。
で、あの時には、スタンドFMから与えられた、あのアカウント名。
私ね、ビートっていうあれでしたね。 なんか音楽とか音に関係あるようなアカウント名が最初つくみたいですよね。
それを、今度自分で配信を始めようと決めて、 ナンバルワンに直したんですけども。
始めてからはいろんな出会いがありましたね。 配信内容も、
やっぱりね、自分が暮らしてきたパキスタンでのこと、 これが中心になっていましたね。
で、なんか教育番組っていうか、 その
言語をね、覚えられるような、パキスタンではウルドゥ語っていうね、言語が
母国語なんですが、 それをね、解説っていうか、エピソードと一緒にお話し
していけたらなっていう感じでやっていましたね。 だから最初はね、海外生活を語る人っていうね、
そういう肩書きでしたね。
それが、一年、
一年を前にしてだ。
自分らしく生きるためのラジオっていう風に変えましたね。 スタンドエフェイムの中で、その高尾美穂先生と、
あと酒坂マスターさん、 その後に
09:00
えっと、 NPO法人の
小沙田てるちかさんという 配信者さん
に出会いまして、 で、小沙田さんが自分らしく生きる
ためのヒントっていうか、 あのそういった話をしてくださっているんですよね。
で、毎日拝聴しているうちに、 その自分らしさって何だろうとか、
今なんか私自分らしくないなって感じたり、そういうことが増えたんですよね。 それで
海外生活を語る人を辞めて、 自分らしく生きるためのラジオっていう風に名前を変えました。
で、あの そうですね。
さまざまな出会いがあって、別れもありましたけども、 いずれにしても皆さんね、お元気でいてくださっているようなので、
本当に私は嬉しく思います。
で、このライブのね、背景、これはあの先日行った草津温泉。 これのね、湯畑の写真です。
まあ旅行のことはそうそう、別撮りをしようと思っていたんですけども 結構なんか
気づきとかもありましたね。
えんまいさん、こんにちは。 こんにちは。ありがとうございます。
私は配信者の立場で、あの どんな方が聞いてくださっているのかっていうのを見たときに、
もうほんとね、半分以上の方がね、
トマジョ島の皆さんなんですよね。 それがこの1年度の大きな変化ですね。
あとは自分のやっている活動、
あとはその、何だろう、居場所っていうかね、
あの Web3についての説明っていうのをね、
音声で伝えるようになって、
何でしょうね、そのウェブライターをやっている時以上に、
あの言葉に気をつけるっていうか、 難しいんですけど、そのね、
声で伝えるって言うことに、何だろう、チャレンジできるようになったっていうんですかね。
12:05
自分の中では、もうイメージとして頭に入っているので、
NFTの買い方とか、NFT何だろうとかね、 ディスコードではこういうことをやっているよとか、
そういうのを言っている、
それを言語化できている、私偉いって思っていいのかなと思って。
2年前ならもう全然考えられないですよ。
自分がいた環境を、なんかお話しするっていうかね、
そういうのしかできなかったので、
その実際にね、海外で生活していた時のことを、
思い出をね、話すっていう感じだったので、
今そのWeb3とか、結局手でつかめないものじゃないですか。
それを言語化するっていうのは、すごい私にとって大きなチャレンジでしたね。
でも手につかめないと思っていたのが、
トマチョダオの皆様と出会うことによって、
お会いできたりしてね、自分が行動を起こして、
それで人に会えるっていう、その新たな感動ですよね。
思い出もたくさんできましたし、
まだまだトマチョダオでの活動はね、
続けさせていただきたいとは思っていますけども、
本当にね、感謝ライブでございます。
りーちゃんこんにちは。ありがとうございます。
オペラさんもいつもありがとうございます。
はい、ご挨拶だけで、はい、お忙しいところありがとうございます。
はい、しらちゃん、アイコンも可愛くなりましたね。
これね、ウェブライターをやった時に、クラウドソーシングサイトに登録をして、
そこのプロフィールアイコンとしてね、プロフィール画像として、
プロの人に描いてもらったんですよ、似顔絵を、イラストをね。
それをね、全体はやっぱりちょっと、
ちょっとね、これ可愛いので、
3年経った今の私はちょっと、あれなので、
実際にお会いした方をがっかりさせてしまうかもしれないので、
一部分だけをね、表示をさせていただいております。
はい、きよみさんこんにちは。いつもありがとうございます。
お久しぶりでございます。はい、今後も楽しみ。
あの、父から電話がありましたね。
後でしましょうか。
15:00
これって画面切り替えた話、声聞こえちゃうもんね。
あれですよね。そのアイコンずるいにゃん。
そう、ずるい。ずるい、ずるいですね、これね。
ほんと、あの、
アイコンね、あのピンクっていうね、この色も指定して、
あのこの色でね、背景はこの色でお願いしますって言ってね、
やってもらいました。あの画面ね、
これ電話出たら聞こえない。これマイクをミュートにしてからやればいいのかな。
ね、そっか、電話は聞こえないんですね。
あ、そっかそっか、こちらが無音になるんだ。ライブ会場がね。
大丈夫、聞こえてない。
うん、そうですね、マイクをミュートしちゃえばいいですよね。
まあでも、父との話は長くなっちゃうので、あのまた後で書き直します。
はい、ほんとに、ため息ついちゃダメですね。
ライブはね、やっぱり緊張しますね。あの先日、
トマジョダオを作られたトマ太郎さんと、
あのボイシーに呼んでいただきまして、
そこでね、生放送。
まあ、あのボイシーも本当に全く違う緊張感で。
そうですね、はい、清美さんありがとうございます。ボイシー出ました。
はい、お忙しいところありがとうございました。
あのまた聞いてくださると嬉しいです。はい、ありがとうございました。
そう、で本当ボイシーにね、あのまさか自分が出演ができるとは夢にも思わなくて、
ほんと1ミリも考えたことないですね。
インフルエンサーの方とかね、他の方々のお話を聞いていて、
審査制だっていうのはね、なんとなくわかっていたんですけども、
フリーランサーの方とかウェブライターの方とかが、審査に応募したけども落ちてしまったとかね、そういう話を聞いていて、
自分はそういう気持ちにはもう全くならなくて、
スタンダードFMで十分だなっていうか、ほんとマイペースにやりたいので、
やっぱりボイシーっていうのは毎日更新が基本ですよね。
で審査制ということで、自信も全くないし、
18:04
そもそも自分が伝えたいことがね、その話をするその内容が、
ボイシーにはきっと見合っていないんだろうなっていうね。
それよりかはスタンダードFMで肩の力を抜いてね、楽しみたいっていうのがありましたしね。
でもそれでもとても良い経験をね、させていただきました。
というところでしょうか。
2周年、あの2月22日っていう日付は、
もうたまたま自分がラジオをね、スタイフを配信者として始めようと、
配信を始めようと思った時、そのタイミングが多分2月だったんですよね。
それで一番最初はもう台本書きましたね。挨拶から始まって、全部で読んでました。
その台本を書くのも、ウェブライティングの仕事の合間にね、書いたりとかして、
それで2月22日って面白いなぁと思ってね。
2年前なので2022年だったんですよね。だから2が並んでいて、その日に配信を始めたっていう方がたくさんいらっしゃいましたね。
なんかあの俳優さんとかも中にはいらっしゃってて。
そう、にゃんにゃんにゃんね、なんか猫ちゃんの日だって今日。にゃんにゃんにゃんなんですよね。
前のね、アイコン、地球を持った猫ちゃん、これはリブライカーキャットというプロジェクトのNFTのデザインなんですが、
これを手にするとは、その時には考えてなかったはずですね。
そう、2022年の12月にこのNFTはリリースされたので、
それよりも、半年以上、もっと前、10ヶ月前か、
その時にね、2月22日って決めていて、特に猫ちゃんっていうのはね、意識してなかったんですよね。
そう、その後に、あれはね、2022年の6月にリブライカーキャットのディスコードコミュニティに入ったんですよね。
そう、にゃんだふる、はい。
21:02
トリプルでしょ。
なんか、あの、絵文字、この泣き笑いとか、リーちゃん今も読んでる?
読んでくれてるよね。
なんかその配信者さんによって、目がハートなのに目が充血とか言ってたり、大丈夫ですかとかね、言ってたりね。
そう、うん、そうですよね。
あの、このスタンダードFMのこのコメント欄はね、とってもね、優しくゆったりと流れていくように感じますよ。
ディスコードのコミュニティだと、もう瞬きしている間にバババって流れていっちゃうので、
自分のコメントも発見されにくいし、
自分がこう入力をしている間にも話題が毎秒変わっちゃうみたいなね。
そういうところで、あのマイペースなのもちょっとどうかなっていうね。
マイペースすぎて自分が。
ねえ、リーちゃん目が充血って言ってたけど、最近は目がハートって言ってる。
そう、私は目がハートだと思ってね、打ってたら、
他の方が、目が充血、大丈夫?って言って、充血じゃないの。
まあそのね、2月22日で、猫ちゃんで、その10ヶ月後にね、猫ちゃんのNFTを手にするとは、
NFTとはいえ、ただのイラストじゃなくて、あれはデジタル資産なので、
専業主婦の私でもね、この資産を持っているっていう、
自信というか、手にできるんだなっていうのをね、
感じさせてくれた、そのWEB3の世界で、だから入ってよかったなと思っていますね。
じゃああれですね、WEB3の世界にどうして飛び込んだのかっていう話をしましょうか。
NFTのその存在ですよね。
ビットコインとかは、パキスタンに暮らしているときに、パキスタン人のインフルエンサーの人がいて、
その人がよくアメリカとかに行ってね、そのビットコインについてスピーチしたり、
パキスタン代表みたいな感じで、英語でねスピーチをされていたり、そういうのをね、見ていたんですね。
24:06
そのインフルエンサーさんが、月5,000ルピー、日本円で言うと
2,500円ぐらいですかね。
当時ね、2019年とか2020年とか、月5,000ルピーで、
投資のアドバイスではないけども、コミュニティっていうのをね、有料のコミュニティっていうのを作られていたんですよね。
私も、ウルドゥ語でね、聞いていて、
なんとなくは理解していたので、そっか月5,000ルピーかと思って、
生活費はね、日本から夫に送ってもらっていたので、
でも向こうだとほとんどね、消費しないんですよね。
食費だけで、なのでお金はね、少し余裕があったので、
5,000ルピーぐらいだったらいいかななんて、思っていたんですよね。
ただ、やっぱりコミュニティの中にもし入ったとしても、私が外国人と分かった時点で、
なんかやからとかがね、絡んでくる可能性が非常に高かったんですね。
インスタグラム、インフルエンサーさんのインスタグラムを見ていると、特にね、ライブをその方はやっていたので、
視聴しているメンバーわかるじゃないですか。それでね、
ちょっとナンバルワンって書いてあるので行くと、
なんか外国人だなっていうのがバレてしまって、
そこでね、絡まれたりとかしていて、
ちょっとね、嫌な感じだったので、そのコミュニティには入らなかったんですね。
で、流行り病が発生して、
で、それから自宅待機っていうかね、もう
学校も即座に休みになってしまって、
学年が上がる際のその重要なテストもね、すっ飛ばして、全員が申求できるっていうね。
パキスタンは義務教育ではないので、テストを受けて、それをパスしないと申求ができないんですよね。
それなのに、あの流行り病の影響で、もう最後のその大事なテストの期間にいきなり休校になってしまったので、
27:02
そのまま数ヶ月経って、じゃあ申求はどうするんだってなった時に、
では全員がね、
分け隔てなく申求できるようにします、みたいなねことを政府は言ったんですよね。
そう、あれは本当にはちゃめちゃでしたね。
それで自宅にいる時間が多くなって、
そういうのでインフルエンサーさんの発信をよく追いかけてたんですね。
で、あと半年ぐらい経って、2020年の5月ぐらいですね、もうこの国は脱出をしなきゃいけないと考えて、
飛行機のチケットを取ったりして、でもその飛行機がね、2回もキャンセルになったんですよ。
で、あの1回はね、実は飛んでいたっていうね、
その飛ばないっていうあれでキャンセルされたのに、あの飛んでたんですよ。
そういうこともあって、まあ命からがら、なんとか日本に戻ってきたっていう感じなんですけど、
結局あの学校のことがね、中途半端のままで来てしまったので、
まあその休校の状態っていうのはずっとね、ロックダウンですよね。あれが続いていたので、
保護者たちがこの教育はね、学業はどうするんだっていうことになって、ちょっとザワザワし始めたんですよね。
それでツイッターとか、フェイスブックもそうですし、インスタグラムもそうだけども、
WhatsAppっていうのをね、向こう使ってるんですよ。
日本ではLINEですけども、向こうはね、WhatsAppっていうアプリをね、使っていて、
そこでグループを作ってですね、政府と対峙するっていうね、あのすごい構図だったんですよ。
国民が政府に何だろう、苦情を申し付けるみたいな、そういうグループがたくさんできたんですね。
いろんな媒体で、いろんなアプリで。
で、私もインスタグラムとか、あとツイッターですね、それからWhatsApp、全部ですね、アカウント、別のアカウントを作って、
パキスタン人っていうか、パキスタンにいる外国人風にして、英語でね、ツイッターでもずっとツイートしてました。
もう一個アカウントあるんですよ。
で、みなさんはちゃんと英語で答えてくれたり、時々私がウルドゥ語の英語表記で発言をツイートしていたので、
あなたの考えはとても素晴らしいですとか、他の保護者の方に賛同してもらえたりとか、
30:02
やっぱりただ文句言ってるだけでもね、何にも前進しないので、
イギリスかな、そこの、何て言うんですかね、
情報部員じゃないけど、衛星を使って、例えば、某国のミサイルの発射状況とか、そういうのを調べるグループあるんですよ。
なんか秘密裏に動いている、そういう人のツイッターにDMしたりして、
で、本当政府がロックダウンをどんどんやっているんだけども、その中でも重要なテストを受けさせるために、
本当に感染状況がひどかったんですよ、パキスタンは。
それなのに、もう今年はね、1年経って、ハイアルMIが出始めてから1年経って、
もうあれですよ、テストを受けろっていうふうに言ってきたんですね。
で、それが言っていたのが、パキスタンだけだったんですね。
他の国の同じ勉強ですね、ケンブリッジっていう勉強をしてたんですけど、
それをやっている国、他の国は、やはり前の年と同じで、全員が無条件でパスをするっていう、そういう提示をしてくれてたんですよね。
で、パキスタンも当然ね、他の国真似するだろうと思って、待っていたら、
いやいや、私たちの国は、もう子供に試験を受けさせるって言ったんですよ。
で、えっ、なんで他の国はね、もう全員がパスできるようにしてくれたのに、
去年と同じことをやればいいのに、なんでパキスタンそんなことを言ってんだろうって、
国民がザワザワしたんですよね。
それでいろんなグループを作って、反発っていうかね、そういうことをやっていたんですけど、
いろんなところから情報が出てきて、どうやらね、国がやっぱり政府がお金を欲しいんだっていう考えになったんですよね。
試験を受けるのは、やはりお金が発生して、ケンブリッジを運営しているイングランド、
その組織にお金が行って、パキスタン政府にも入ってくるんですよね、お金が。
試験が受けてないってことは、お金が入ってこない。
それで、政府は無理やりに学生たちを外に出して、
33:00
もうね、流行り病に感染している学生もたくさんいたのに、
いやー、それがね、本当にずざんな管理で、
で、その国民と、国民対政府っていうその戦いっていうのを、私は日本から見ていて、あとは参戦してたんですよね。
そのパキスタンに住んでいる風の外国人として、
ツイッターを通じてね、そういう情報部員というか、情報部員というか、そういう人とも連絡して、もちろん返事はなかったですけども、
あとはね、他の国にいるパキスタン人のドクターに連絡しました。
で、その人はYouTubeでね、発信をされていて、流行り病のことについて、あとはその学校、学業、
スクール、ユニバーシティ、それについてね、発信されてたんですね。
だから今の時期に外に出るのはとても危険な行為だし、
パキスタンでは、もう何世代に渡って、
もう30人か、20人か30人ぐらいで同居するっていうのが普通なので、
やっぱり高齢者の人もいるわけですよね、おじいちゃんおばあちゃん、あるいは非おじいちゃん非おばあちゃんとかね。
そうなると子供が学校に行って、流行り病を持ってきてしまうと、
これは高齢の方には打撃があるっていうことで、
ドクターの立場から流行り病とか、あと学校の在り方とかね、そういうのを解説してくれてる人がいたんですよね。
その人に私はメールを書きました。
その人はね、ちゃんと返事をくれて、あなたの保護者としての考えはよくわかりましたって。
ただ、やっぱりできることは外に出ないことですねっていうことになってね。
あとはね、パキスタンの裁判所にもメールをしました。
これも本当に残ってますけど、もう全く意味のないことでしたね。
裁判官に賄賂を渡して、国がね、政治家が。
なので、学校を休校にせよっていうのも、全く叶いませんでしたね。
あの時は本当に、翻訳ソフトにね、アプリにお世話になりながら、英語でいろんなことをやってましたね。
はい、えーと、夢中で話をしてしまいましたが、
ハンサーさんって言うのかな、これは。
36:00
はい、えー、コインありがとうございます。青い鳥。
そしてサラダさん、こんにちは。
はい、ありがとうございます。
ね、2年経ちまして、
はい、あの、そのWEB3にね、
そうそう、入っていったそのきっかけをね、話そうと思ったら、もうずいぶん喋ってますね。
そういうね、あの、ネット上で抗議活動みたいのをやっていて、
その中でもね、そのビットコインに関わっていたインフルエンサーさんが、その国民の抗議活動に入ってきたんですね。参加してくれたんですよ。
やっぱりインフルエンサーだけあって、影響力が非常に高いので、
あの、デモ行進とかもね、実際に国民たちは外に出てやったんですよ。
で、まあ有名な都市でね、カラチとかラホール、イスラムアバードとかそういうところで、
各地でね、もう村に住んでいる人たちもどんどん出てきて、みんなで抗議活動っていうのをね、していたんですよね。
で、そこにインフルエンサーさんが入っていったり、あとはちょっとね、著名な、なんですよね、弁護士。
で、その弁護士グループが、あの、若い学生たちのために無料で僕たちが、あの、なんか訴えますよ、みたいな。
そういうのもやってくれたんですよね。ただ、
あの、やっぱりね、政府とか、
その裁判官とか、その繋がりですよね。
そっちの方がね、やっぱりお金でがっちりと手を組んでいるので、
国民はもう本当に歯が立たないっていうんですかね。そういう現実がありました。
それで、もうパキスタンにね、戻って、娘は学業途中で抜け出してきたので、
またできればね、パキスタンの学校を卒業したいっていう希望があったので、
なので、日本にいてはね、試験も受けられないので、やっぱり前の年と同じように、試験をなしで全員が進級できる、
進学できる、そういうふうにしてくれないかなっていうのをずっと訴え続けていたんですよね。
でもそれが、やっぱりみんなの力が及ばないっていうか、もう歯が立たないっていうのがわかって、
じゃあ日本でね、あの高校を編入しようっていうことになったんですよね。
まあそれでも、すっぱり私は、あの、娘とも夫ともよく話し合ってね、パキスタンの学業をもう辞めるっていうのを決めて、
39:08
で、どうにかすごく大変だったんですけど、日本の高校に編入をさせてもらって、
その時にね、ビットコインの話、そのインフルエンサーさんから聞いていて、
で、日本で今度ウェブライター、ウェブライティングの仕事を始めていたら、
まあ副業とかね、ビジネスとか、そういうのを情報を集めていたらね、
WEB3とかNFTとか、そういう言葉が入ってくるようになったんですね。
で、そういえば、あのパキスタン人のインフルエンサーさんのビットコインの話もあったなぁと思って、
で、まあ記憶にはね、もう全部は、あのウルドゥ語もね、理解できていなかったろうし、
あと英語もね、そんなにもう全然わかんないので、
もう部分部分にね、覚えていて、
で、まあその改ざんとか、嘘がつけない、
そのパキスタンでは、もう全部嘘なんですよね、デタラメ、そして偽物、
そういう世界だったので、だからこそ、そのいじれない資産っていうのがすごいなぁと思ったんですよね。
で、パキスタンでの資産といったら、やっぱり土地とか、家とか、車とか、
で、土地の権利書とか、そういうのも、まあ夫の名義ではありますけども、
夫は自分の親戚、いとこたちを信頼していて、
当時はね、そういう権利書も全部親戚に預けてたんですよね。
で、本当はそれが無謀なことだったっていうのを、夫は後で気がつくんですね。
もうどこまでお人よしなんだろうと思って、
あの夫の親戚は、夫が持ってくるお金が目当てなんですよ。
本当にね、嫌な人間みたいですけど、
本当にそういう感覚なんですね。
だから外国人である私のことも、もう金ずるなんですよね。
だから夫に、日本に行きたい、日本に行きたいっていつも言ってて、
そういうね、デタラメの世界を見てきて、実際にそこの国で暮らしてきて、
それでNFTっていうのが改ざんができないし、
コピーもできないし、
履歴がちゃんと残っている、そのブロックチェーンっていう技術のことを、
しっかりと自分で把握した時には、なんてすごいことなんだろうって思ったんですよね。
42:10
土地のその権利書もいくらでも改ざんできるし、
あとはね、本当これは恐ろしい話なんですが、
流行り病のワクチンの接種証明書とか、
それもちょっと知り合いのドクターに言えば、
ちょっとお金渡せば書いてもらって、
もういくらでも国を脱出できたんですよね。
そう本当に恐ろしい。
運転免許とかもそうです。
ちょっとお金余分に払って、
そうしたら練習とかも何にもなくて、自分はそこに行かなくても、
免許証がね、親戚とか家族の誰かに言えば持ってきてもらえる。
もうそれで免許取れちゃうんですよね。
もちろん免許なくても、5歳6歳の子供がね、一人で車運転している、そういう世界なので、
ブロックチェーンとかNFTの存在を知った時には、
これは私にも手にできるんじゃないかなっていう、
その希望が湧いたんですね。
そのタイミングで、日頃から追いかけさせてもらっていた、
ビジネス系インフルエンサーの周平さんが、
リブライカーキャットっていうコミュニティを作ったっていうね、
そういうツイートを拝見して、
もう迷わずに入っちゃいましたね。
なんか怖いとかそういうのも全然なくて、
その時にね、たまたまツイッターで知り合った、
当時はエンジニアさんでしたけども、
今はね、企業家として活躍されているある男性がいるんですけど、
その方がディスコードでコミュニティを作られていて、
そこにね、誘っていただいて、もうすでにディスコードは使っていたんですね。
なので、周平さんがリブライカーキャットっていうね、
コミュニティを作ったっていうのを聞いた時には、
何の恐れもなくポンと入ってしまいました。
そこから本当にWEB3のね、私のその活動っていうか、
そこのWEB3に自分の居場所を見つけるっていうのが始まったんですよね。
ごっちゃんさん、お久しぶりでございます。こんにちは。
伊関さん、こんにちは。2周年おめでとうございます。ありがとうございます。
マイペースにやって、2年で368回。
45:02
2日に1回の計算ですかね。
あっという間でした。
本当ごっちゃん、ごっちゃんさんも伊関さんも、
今聞いていただいている多分半分以上の方がWEB3で知り合ったっていうことでね。
スタンドFMもある意味コミュニティだと思っていて、
スタイフの方々もね、本当になんか優しいし、
ディスコードの中の人たちも、どのコミュニティでもね、
ちょっと質問すると、もう即座に返答があって、本当に助かりました。
リブライカーキャット入った時も、
ブロガーの部屋みたいのがあって、
そこで自分の考えとかをブログに書いて、そのリンクをリブライカーキャットの中に貼らせてもらったら、
池早さんが読んでくださったりとかして、今ではトマジョダオで交流を持たせていただいていますけども、
リンゴ農家、今度もう晴れて農家さんになれるっていうことで、
ジュンさんがね、そのリブライカーキャットでもブログを読んでくれたりとかして、
交流を持たせていただいていました。
本当、WEB3の世界に飛び込んでから、いろんなことが変わったなぁと思っていますね。
おかげさまで日本でね、娘も高校も卒業して、あとは大学にも入ることができてね、
なんとか頑張って日々生活しています。
私たち夫婦の関係もですね、本当、
もう3年半前ですね、2020年の6月に本帰国をした時には、
やっぱりそれまではね、離れ離れの生活が長かったので、もういきなり3人揃ってね、
24時間、365日一緒にいるっていうことが、
まあ夫でもそうでしょうけども、私にとっても結構違和感があるというか、慣れてなかったんですよね。
ずっと娘と2人でね、パキスタンに住んでいたので、
やっぱりそこに夫がいるっていうのが、手がかかるじゃないですか。
家庭によって全然、その夫婦の関係も違いますけども、
特に手がかかるんですね。
それで、やっぱり離れ離れの生活が長かったのに、今度いきなり一緒になってて、
すごく戸惑っていて、夫も戸惑っていたと思うんですけども、
48:04
なんとなくストレスがね、溜まるようになって、
ウェブライターの仕事をしたときにも、
やっぱり社会復帰っていうか、その日本の社会っていうのをね、
ウェブ上ではありましたけども、
その仕事としてやったときに、
本当厳しいっていうか、
いい加減じゃいけないんだなっていうのを、当たり前のことなんですけど、
当たり前じゃなかった国に長年暮らしていて、
その感覚をね、思い出したっていうか、
本当ウェブライターもね、いい経験になりましたね。
で、そのいい経験だと思っていたのが、夫にとってはね、ちょっと面白くないっていうかね、
あの、本当YouTuberでもね、稼げるのに、なんであなたはね、月これぐらいしか稼げないんだって。
ウェブライターをね、始めたときには、
夜に仕事をしてました。
あの、寝る前にね。
なので深夜までやって、結局朝早く起きなくちゃいけなくて。
で、やっぱり疲れが溜まってくるので、夫との会話もね、減ってくるわけですよ。
そうすると、夫がね、仕事に出かけたときに、
あ、あのね、記事はまだ仕上げてないと思って、
締め切りもあるので、やってね、パソコンをいじっていると、なんか突然帰ってきてね、
それで、何やってんだってなるわけですよね。
それでね、あの、パソコン禁止とか、もう仕事もやめろって言われて、
で、今もですね、iPhoneを夫がいる前でいじるのは禁止なんですよね。
まあ、それでも私はやりたいことがあるので、もう絶対に諦めたくないんですよね。
で、あの、この音声配信も、本当に内緒でやっていますけども、
で、
トマジョダオでのね、活動も、
あの、今は言っていないんですよ。
ただ、
あの、今日もね、
トマジョダオが4月1日にオープンをする、農業系ウェブコミュニティのね、トマジョダオがリリースをする、
農村日和っていうね、通販サイト、3直サイト、このカウントダウンのポストをしたんですが、
ほんとそこにね、書いた通り、トマジョダオの農作物を買わせていただいて、
そして夫にも娘にも食べてもらうようになってから、
あの、夫のね意識も変わってきたみたいなんですよね。
51:01
前は、安くてたくさん欲しい、
多少ね、悪くても、あの、中から腐ってても、
安ければいいって、そういう感覚だったのが、
この間ね、あの、国産のキウイを買ってきたんですよ。
で、私、あの、トマジョダオの青森県の和幸さんという方から、キウイをね、買わせていただいていて、
それを、まあ家族3人で、あの、楽しく美味しくいただいたわけですよ。
で、国産でね、日本でもこんなキウイ、美味しいキウイできるんだねっていう話をしていて、
で、そのキウイを食べてから、もう数ヶ月後ですね、先週、先週ぐらい。
で、あの時に道の駅でね、また買い物してきたよーって嬉しそうに帰ってきたんですよ。
で、ショッパル、あ、ごめんなさい、あの、ショッピングバッグ。
ウルドゥ語ね、向こうではショッパルって言ってんのね。
そのショッパーをね、袋を見たら、
あの、国産キウイって書いてあったんですね。
で、えーっと思って、いつもなら、あの、ニュージーランド産のね、キウイを、
夫はね、買ってくるんですが、そこにはね、国産のキウイがあったんですね。
で、これは絶対に、あの、和之沧さんのキウイを食べたから、
ね、
意識がちょっと変わってきたんじゃないかなと思ったんですね。
それで、あの、ほんとずっとね、私、なんか1ヶ月に1回ぐらいは、
えーっと、和之沧の農作物を買わせていただいていて、
で、まあそれは、大阪から来たんだよーとか、
福井県から来たんだよーとか、
そういう言い方をね、私はしてるんですけど、
で、パプリカはこれ、日本のやつだよって、
え、韓国のじゃないの?違うよ、日本のだよって言って、
またそれが美味しかったので、
あの、そういうところから、
どうやってね、奥さんがそれを買っているんだろうっていうのも、
なんかちょっと、考えてきてんじゃないかなと思ったんですね。
なので、
そろそろね、結局その和之沧で活動しているから、
こそ、手に入った農作物だと思うんですよね。
なので、私はこういう農業系のね、コミュニティに入っているんだよっていうのを、
ちょっとそろそろ話してもいいかなっていう、今段階に来ています。
ただ、やっぱり夫がどういうね、受け取り方をするのかっていうのはすごく怖いですね。
54:07
なんか活動とかしているって言ったって、
そんなの、いくら稼げるんだとか、そういう話になっちゃうと本当につらくて、
お金じゃないので、やっぱり居場所なんですよね、そこが。
だから家庭で満足してないのかなって、そういう発想になっちゃったりとかすると、
それも怖いなっていうのもあるし、
なんかちょっと考えちゃいますね。
でも本当に諦めたくないので、
できることは続けていきたいと思っています。
というわけで、そろそろ1時間になるんですが、
なんかあれですね、 一人で喋るの、
やっぱりライブ、なかなか慣れないなぁ。
本当、スタイフネ始めた時、配信を始めた時はね、
Xのスペースでも、当時はツイッターのスペースですよね、あれでちょっと練習をさせていただいていたっていうのもあったし、
そのライブと収録っていうのはもう全然違いますね。
でもね、これからも改善できるところは改善して、
1年前にね、1年前じゃなかったかな、タイトルを変えた時かな、
100回放送記念かな、そういう時に何かアドバイスとかあったら教えてくださいって言ったら、
私の話し方の癖っていうのを指摘をされて、それをね、私はなるべく直そうと思ってね、
自分でも自覚があったので、それを直していったら、
だいぶですね、自分で言うことになっちゃいますけど、だいぶ改善されたのかなっていうところがありますね。
なのでこれからも、話し方を学ぶっていうか、
やっぱり学ぶのは、どんどん話していけばね、慣れていくんですよね。
なのでマイペースではありますけども、やっぱり続けていきたいと思いますので、これからもね、よろしくお願いします。
というわけで1時間になりますので、長々とお話をしてしまいましたけども、聞いていただいてありがとうございました。
はい、またね、機会があれば、あ、そうだ、来月ラマダンに入ります。
57:01
なのでまたSNS、あとはこのスタンドエフェームからも少し離れてしまう時間が増えると思いますので、
2年前ね、スタイフを始めた時に、ちょうどラマダンに入ってから毎日、
ラマダンライブみたいなね、断食ライブみたいな、そういうのをやってたんですよ。
でも去年はね、ちょっとあんまりやらなかったのかな。
去年はそうそう、体調も崩しちゃってね、あれでしたし、今年はね、どうかなと思っていて、
やっぱりね、その宗教行事、もう年間で最も重要と言われている、この断食好きっていうのを真面目にっていうかね、
過ごしていければなと思っているので、もしかしたらちょっとね、
配信が滞るかもしれないですけども、断食もちょっと頑張ってやりたいので、応援していただけると嬉しいです。
というわけで、今日はスタンドエフェーム配信から2年が経ちましたということで、感謝のライブをお届けいたしました。
最後まで聴いていただきありがとうございます。また次のラジオでお会いしましょう。
ナンバルワンでした。どうか皆様元気でいてくださいね。私も頑張ります。ありがとうございました。
ありがとう!タッパータッパー!ハートが降ってきた!タッパー!