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こんにちは、お元気ですか?なんばるわんです。
自分らしく生きるためのラジオ、始めていきたいと思います。
この番組は、国際結婚22年目の私、なんばるわんが、
自分らしく生きるための挑戦や日常をゆるーくお伝えしていくラジオです。
先日、韓国映画の非常宣言を見て、
パキスタンの航空会社、パキスタンインターナショナルエアライン、PIAという会社があるんですけども、
そこの飛行機について、いろいろと思い出すことがありました。
今日は、PIAについて、少しお話をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
前回、韓国映画の非常宣言を見た感想をお話しさせていただいたんですけども、
飛行機が映画の題材になっている作品は、結構、パイロットの苦悩とか葛藤とかが描かれているんじゃないかなという感想を持ったんですよね。
私もですね、パイロットじゃないんですけど、乗客としてのいろいろな葛藤があったなと思いまして、
特にですね、パキスタンの航空会社、PIAですね、パキスタンインターナショナルエアライン、この会社の飛行機を何度も利用していましたけども、
このPIAに関しては、いろんな葛藤がありましたね。本当に傷ついたこともありましたし、
そういったことを一つ一つ細かくお話ししていると、ネガティブ放送になってしまうので、軽く思い出してみたいと思います。
パキスタンインターナショナルエアラインズは、数年前までね、成田発着で、日本にも乗り入れがあったんですね。
何度か利用していて、よくこんな飛行機が成田に発着できるなって、どういう風に許可を出しているんだろうって、それぐらい嫌味なことを考えてしまうほど、私にとってはひどい航空会社でした。
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なんかお国柄なのかなって、諦める部分もあったんですけども、それでもね、日本とパキスタンを直行便だったんですよね、前はね。
なので、一度北京で給油して、1時間ぐらい泊まって、それからまた飛び立って、だからもう直行便と言っていいんだと思うんですが、
そう結構楽だったんですよね、そのPIAが成田から飛んでいる時は。
飛行機の質としてはね、食べ物とか、機内の清潔具合っていうんですかね、あと食事、そしてキャビアアテンダントの態度とか、対応とかですね、
そういったものは、さすがパキスタンだなという感じでした、私からするとね。
で、そうですね、ネガティブなことばっかり思い出しちゃうんですけども、特にひどかったのが、乗客はほぼパキスタン人なんですが、
なぜかお酒を持ち込んで、しかも機内で飲酒をしている人間がいたんですね。
イスラム教はですね、お酒は禁じられていて、私も回収する時にすっぱり辞めましてね、
お酒とは無縁の生活を送っていました。
そこにですね、パキスタンの飛行機なのに、乗っているのがほぼみんなパキスタン人なのに、お酒があったという、
そのお酒を分け与えていたんですね、おそ分けみたいな感じでしていて、
その人物の間に私ともう一人ね、中国人の女性が座っていて、
彼女は中国でね、北京で降りたんですけども、それをこっちの方からあっちのパキスタン人に、
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ウイスキーを分けるみたいな、おそ分けみたいな感じで、グラスが目の前を行ったり来たりしたんですね。
数回そうなって、もう私は耐え切れずに、説教を始めまして。
周りにいるパキスタン人にも聞こえているはずなのに、もうみんな黙っているんですね。
すごく悔しくて、その二人にだけじゃなくて、もう全員に言うように、私は説教しました。
もうあんなに謝ってくれと。
そしたら二人が私に謝ってきたんですよね。
中には聞いているやつでヘラヘラしている人間もいました。
でも悔しくてね、それでも説教はもう完全に説教して、古い怒りのモードで説教をしました。
そしたらあいつらが私に謝ってきたので、もうさっきから言ってるでしょって、私じゃなくて、あんなに謝りなさいって言って。
一人のパキスタン人が、あなた旦那さんパキスタン人でしょって言うから、そうだけどって。
じゃああなたの旦那さんも酒飲んでるからって言うんですよ。
もうほんと蹴飛ばしてやろうかなぐらいに怒りが湧いてきたんですが、そこはぐっと我慢して。
私に悪魔が宿らないように、そいつの口にも悪魔が来ないように一応唱えまして、祈りましてね。
それでなんとか怒りも収まって、それで北京からイスラマバードに着いたんですね。
前は北京から直接ラフォールの、私たちはラフォールの空港を利用したので、ラフォールに着いていたんですよね。
なんだけど、いつの間にか夫が1年に1回パキスタンに一時帰国をしていた時に、到着時間がずいぶんずれたことがあったんですね。
そしたら、北京からイスラマバードに行って、イスラマバードから小型飛行機で、人間だけ。
荷物は別の便でラフォール空港に届けるからっていう、なんかおかしなシステムになっていて、人間だけ、パスポートと人間だけラフォールに着くっていう、そういうコースになっちゃってたんですね。
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その時も、イスラマバードに着いて、乗り換えるので、またいちいち検査とかいろいろやりますね、荷物とか。手荷物ですよね。
それで、じゃあもう乗れるな、乗り換えできるなと思っていたら、なんか飛行機が来ないんだか飛ばないんだか、ちょっとよくわからなかったんですけど、とにかく今は飛ばないっていうアナウンスが流れて、3、4時間足止め食いましたね。
その酔っ払いたち、1人はすっかり酔いも覚めて、私と話をして、彼らが言い訳をいろいろ言っていたので、日本人は冷たいからとか、奥さんと子供がパキスタンにいて、自分は寂しいんだとか。
もう一人は奥さんが日本人で、義理のお父さんと同居していて、晩酌だから毎日、毎晩付き合って酒を飲むようになってしまったと。
そういった言い訳をしていたので、いろんな話をしたんですよ。
別に、私はイスラームの勉強を完璧にしている、そういう人間ではないんですが、やっぱり、いけないものはいけないって。
それで、どういう風にしたら悪い道から外れて、ちゃんと元の道に戻れるかっていうのを考えながら、その人たちと話をしていたんですよね。
一人は、本当に私のことも心配して、飛行機飛ばないから食べ物もらってきましょうかとか、そういう風に言ってくれるようになったんですけど、
もう一人は仲間と一緒にヘラヘラして、飛行機が飛ばないことに怒って、何とかだってみんなで大きな声を出して、
ウォー、ウォー、ウォー、みたいに騒いでましたね、バカみたいに。
それで、飛行機が4時間半か5時間後に飛んだんですね。
それでラフォーレに着いて、そしたら出迎えてくれる人たちがみんなそれぞれいるわけですよ。
私のことを気にしてくれたパキスタン人はいつの間にかどこか行ってまして、ヘラヘラしてた酔っ払いの奴らは、私の前に出迎えてくれた人たちと挨拶をしていました。
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その中に、中国人女性の他に、ある国の女性とその息子さん、その二人がパキスタン人と結婚して、再婚して、初めて空港で顔を合わす、
いわゆるネットで知り合ったみたいな、それでもう結婚も決めていて、初めて空港で会うっていう、そういった親子がいたんですよね。
その人たちも一緒に行動をしていたんですよね。
彼女たちがパキスタン人男性とご対面をしているときに、私が説教していたこと、それについてパキスタン人男性に話してくれたんですよね。
そしたら、地元が同じ奴だっていうことが分かって、後で、地元中の人からコテンパンにやられたそうです。
酒を持って飛行機に乗って、ムスリムの前で酒を飲んで、そういうことをね、悪いことをしたら必ず帰ってきます。
イスラムでは、誰かを傷つけたり悪いことをしたときには、その何倍ものことが必ずその人の身に降りかかるっていうふうに言われていて。
その酔っ払いたちがどの県に住んでいる、どこのあれに住んでいるっていうのも今でも覚えているのでね。
もしこれを聞いている日本人の奥様、身に覚えがあるようでしたら、本当に正しい道に行けるように祈りましょう。
はい、まあそんなね、説教地味た内容はつまんないですね。
それでPIAですね、結構ね、墜落事故、そういったものを起こしています。
一番記憶に新しいのが、2020年ですね、コロナ禍で私たち母子がね、親子が命からがら牧下を抜け出す形でね、
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帰国をした年なんですが、私たちは2020年の6月の下旬にね、帰国をしたんですけど、その約1ヶ月前でしたね。
国内線だったんですが、PIAの国内線でラフォールの空港からカラチに移動していた飛行機。
これがですね、空港に到着する少し手前の住宅街に墜落をしました。
100人近く乗員乗客乗っていたんですが、98人ぐらい、97人、それぐらいの方が亡くなりました。
地上でね、もう1人亡くなられて、確かお子さんだったような気がしますね。
その亡くなった方の中に、有名な服のブランドのモデルさんが入っていて、かなりの衝撃がパキスタン中に走りました。
私たちも、もうチケット取って早く日本に戻りたいって考えていた時だったので、その飛行機が墜落した、しかもPIAっていうね、その衝撃っていうのはかなりのものでしたね。
ただもう、PIAで嫌な思いしていたので、もう絶対使いたくないっていうのがあったのでね、乗るつもりではなかったんですけども、夫はね、PIAを引き続き使っていたという状況だったんですよね。
だから、もし乗っていたらっていうそういう嫌な感じ、そういう感情もありましたね。
その時の墜落事故、原因はいろんな情報、噂、そういったのがありましたけども、
一番ね、日本にも報道があって、パイロット同士が家族の体調について、コロナになった、ならない、どうなった、どうならない、そういったことを世間話をしていて、何か捜査を誤ったんじゃないかっていうことがね、そういう話がありました。
その他には、機体の何か部品が調子が悪かったのか、飛び立つ前のメンテナンスが完璧ではなかったんじゃないかっていう。
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それまでもPIAに関しては、いろんな噂、いろんな情報が飛び交っていたので、自分でも嫌な体験っていうのを結構していたのでね、信用はほとんどできませんでしたね。
そういった事故を起こして、それが初めてじゃなくて、結構何度もね、墜落事故を起こしているんですね。
その事故の前には、歌手、シンガーの男性が、やっぱり国内線でしたね。
小型機だったと思います。
私たちが酔っ払いと一緒にね、イスラマバードからラホールに人間だけ運ぶっていう小さな飛行機、そういった同じような形状だったと思います。
それが山に墜落したのかな。
その歌手は、最初はポップシンガーみたいな普通の歌手だったんですけど、後にね、イスラムの教えとかを歌うっていうか、そういったものを唱える立派な人にシフトをしたんですよね。
コスメブランドとか洋服のブランドもね、立ち上げて。
とてもいい話をされる人で、人気のあった人でした。
そういった人も飛行機事故でね、一瞬でもう亡くなってしまってね。
それでパイロットの質っていうのが問われまして。
でね、パキスタン人のパイロットの中で何十%の人が、これもちょっと思い出せないんですが正確な数字がね、偽造した免許、そのパイロットの免許、偽物のものを持っている人間がたくさんいるっていうことがバレちゃいました。
それでイギリスだったか、もう乗り入れ禁止みたいなことになって。
それでだったのか、いやその前からでしたね、たぶん。
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成田に日本にね、乗り入れなくなったのは。
たぶん免許の問題じゃなかったと思います。
そう、まあそういうことにもね、発展しましたね。
だからなんか、デタラメとか偽物とか嘘とか、うーん、なんかね、やっぱりお国柄かななんて、そう思っちゃいましたね。
えっとね、思い出しました。
2020年の1月に、私たち家族3人で、サウジアラビアにね、イスラム教の聖地と呼ばれるメッカというところがあるんですが、そこにですね、巡礼に行っていました。
で、夫はですね、2019年の年末からね、一時帰国をしていて、その時にはPIA使って帰ってきました。
で、往復の袋便ですね、日本に戻る便もPIAで、
で、サウジアラビアから戻ったその日も当日中に、トンボ帰りでね、日本に戻って行ったんですね。
で、その夫が乗ったPIAの成田便が、日本への乗り入れの最後の便でした。
で、コロナがね、原因だったのかなって、今ではね、そう思うんですけども、ちょっとどうしてなのか理由っていうのがよく思い出せなくてね、いつもなんか何も思い出せなくて、なんか申し訳ないんですけど、そう、そういうタイミングでしたね。
で、そこからも日本への乗り入れはなくなったということを思い出しました。
でね、あれでしたね、そうPIAっていうのは、もうただただそういったね、何でしょうかね、いい加減な運営をしていたとかそういうことじゃなくて、
日本に暮らしていたね、パキシタン人の人、亡くなってしまった方、その方々を本国へ移送するという大事な役目もね、果たしていました。
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で、PIAの乗り入れがなくなるっていうことで、日本にあるパキシタン大使館の方に、いやそれは困ると、デッドボディをパキシタンに運ぶ、そういった大事な仕事があるんだから、また復活をさせてくれっていう、
そういった陳述書っていうんですか、そういったものをする動きもありましたね。
ただ今のところまだそれはかなっていなくて、現状はどうなっているのかはちょっとわからないんですけども、ゆくゆくはね、夫とそういったこともね、話し合っていかなきゃいけないなと思いましたね。
それで乗客としての葛藤、本当にそういったものがPIA利用していろいろありましたね。
ちょっとこれ笑っちゃったんですけど、娘が2歳の時に急遽パキシタンから日本に帰国をするっていうことがあって、
その時PIA使ってね、ガラガラだったんですが、座席の指定の時に、多分ね、誰もいない後ろの方っていうのをやってくれたのかなっていう気がしてるんですけど、
実際にその番号に行ってみたら、もう周り全然誰も座ってなかったんですね。
いいところを取ってくれたなと思って、娘が2歳だったんですけどね、ちゃんと1人分座席取って、横になってね、寝ちゃってたんですね。
PIAでいいなと思ったことが一つだけあって、座席の移動が自由にできるっていうね、そういうのが簡単にできましたね。
それはすごく良かったと思います。
それで、空いていた機内の中で娘は座席2つぐらい使って寝ていました。
トイレに行きたくて、ただね、目を離している隙に座席から起こっちゃってね、何か怪我でもしちゃったらまずいなと思って、
そこにいたキャビンアテンダントの方にね、話しかけて、少しの間見ててもらえませんかってお願いして、
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いや問題ありませんよ、どうぞって言ってくれたんですよね。
だからささっと行ってきて、戻ってきたらね、そこには娘しかいなくて、キャビンアテンダントさんはもう姿もなかったですね。
どこ行っちゃったんだろうと思って。
それでね、娘の横と合っていた座席を、別に何か動かすつもりじゃなかったんですけど、
何かやろうとしたんですよね、ベルトか肘当て、肘掛け、それを何かやろうとしたら、
車にチャイルドシートを置きますよね。
持ち運びするじゃないですか、ガチャって、ガチャじゃないけど、プラスチックであれですよね。
そう、それみたいに、飛行機のシートがガタって動いちゃったんですよ。
多分十何キロも、何十キロもあんのかな、持ち上げるってことはできなかったんですけど、
とにかくね、外すことができたんですよね。ちょっとおかしくないですか。
そう、そういったことも見ていたので、よく厳しい日本に乗り入れできるんだな、許可が下りてるんだなって、
そういったことを経験していたからこそ、疑問も湧いていたのかなと。
葛藤ですかね。そういうふうに思いましたね。
今後PIAね、パキスタンに行くのも、パキスタンから戻るのも、今は大体アラブ系の会社を利用していますよね。
あとはアジアでもあったかな。
そう、もうPIAがなくなっちゃったので、結構トランジットも大変になっちゃっているんですけど、
まあ人によっていろいろ捉え方があるようにね、うちはまだいいかな、PIAはという感じがしています。
はい、というわけで乗客としての葛藤ね。
飛行機についてはもっとたくさんね、まだまだ話があるので、また別の機会にね、ポジティブ放送になるように話ができればと思います。
最後まで聞いていただいてありがとうございます。また次のラジオでお会いしましょう。
ナンバルワンでした。元気でいてくださいね。