ポチとの楽しい遊び
1980年代、小学生の頃、近所の犬さんとよく遊んでもらいました。
特にポチには、放浪と言っていいぐらい長い時間、長い距離をたびたび付き合ってもらっていました。
ポチはつながれていないことも多くて、公園の前の家の子だったので、子供たちが集まっているのを見ると、
機嫌よくやってきて、はしゃぐわけでもなく、遊んでるみんなのそばで楽しそうにしている気のいいヤツで、
フサフサでとっても可愛かったのもあって、みんなのアイドルでした。
たまに家にもふらりと現れて、そうすると大抵、うれしくて、ポチ行こうとか言って走り出しちゃってたと思うんですけど、
ポチも、わーって走ってすぐ追い抜いて、どっちに向いても先頭に立ってくれたんですよね。
帰りたくなったらこっちだよって教えてくれるので、何の心配もなく気の向いたまま、知らないところにまでよく行ってました。
隣の学区とかの初めて見る公園の遊具で長々と遊んだこともあったんですけど、
その間にポチがどっか行っちゃったらどうしようとか、一ミリも思ったことなかったです。
100%信頼してました。
あと、近所の犬の皆さんは大抵玄関前につながれていて退屈そうで、
学校帰りに寄ると皆さんとても喜んでくれて、よしよしさせてもらったり、がうがう遊んだり、
ただ隣に座らせてもらったり、ランドセルから本を出して30分とか1時間とか読んでから家に帰ったりしてました。
今だったら通報ものでしょうね。
犬たちが与えてくれた救い
もちろん犬が好きだったからそういうことをしてたわけですけど、
それがなかったら、だいぶグレてたかもしれないなと思います。
5歳の頃にはもう人前で泣くことも歌うこともできなくなっていたような子で、
特に親の前ではできませんでした。
うちの親はいわゆる普通の人たちで、それなりに一生懸命育ててくれていたんですけど、
受容とか尊重に欠けるというか、そういう理解に欠けるタイプで、
感受性の強い子供とは相性が悪かったんでしょうかね。
孤独だったと思います。
河童と人妻の夜のめちこさんが、ご自分のことを話されていたときに、
孤独だった、でもそういうものだったっていうふうに、すごく、くっきり、すっきりと語ったことに感動したんですけど、
ああそれだーって思って、あれって孤独だったんだ。
で、孤独に犬さんが寄り添ってくれて救われたんだなって分かりました。
自分が悪いから、変わっているから受け入れてもらえない、うまくいかない、
そういうものだって無意識レベルで思ってはいても、孤独は感じていたわけで、
犬の皆さんは自分の境遇も、境遇も受け入れているし、わけわかんない小学生も受け入れて、
来た来たーって喜んでくれて、そばにさせてくれて、
そういう時間が合計したらすごくたくさんあって、幸せだったなって思います。
ありがとう皆さん。