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やっていきの神髄の仮説を立てよう。
学程申告と納税が終わりまして、
体の不調っていうのもほとんど治ってきていてですね、
なんとなく3.5時間、4時間ぐらいは連続で寝れるようになってきました。
そうなるとですね、やらなくちゃいけないなみたいな宿題が、
少しずつ一つずつ片付いてきて、
そこで何を考えるかといったら、
やりたいこと、やらなくちゃいけないこと、
いろいろあったけれども、
自分が次何をやるかっていうのを改めて考えようと、
そういうきっかけ、タイミングになるわけですよ。
そこでイトッポイドが、
毎回そのだらっと目の前にあることをやるというよりは、
ちょっと気合い入れてなるべく多くの人が楽しくなる、
そして自分もハッピーになるようなことを考えてみようかなという機運になりますと。
いろいろヒントを探したり、
インターネットをパトロールしたり、
すなわち何もやってなかったんですけど、
昨晩は何もやってなかったんですが、
京都大学の熊野寮っていうんですか、
ちょうど昨日と今日が国立の二次試験の当日だったっぽくてですね、
なんとか先生の像みたいな感じで、
縦看板とか釣り看板とか、
いろんなパロディーのふざけた看板が、
いろいろ受験会場に並ぶっていうのは、
インターネットの流行りですよね。
2チャンネルまとめサイトとかにもいっぱい載ってたりしましたけど、
今年も例に漏れずありまして、
フリーレンのパロディーであったりとか、
ユーチューバーさんのパロディーであったりとか、
いろんなふざけたものが立っておりますと。
どうやらそういうふざけたことをやってる人というのは、
調べていくとクマの寮というキーワードにぶち当たるわけで、
クマの寮と検索していくとですね、
すごいなめた感じで、
公務員試験を受けて普通に合格してみたレポみたいなものだったりとか、
ものすごく遠くからクマの寮に向かって徒歩で帰ってくる、
ただしGoogleマップ使用禁止みたいな、
そういうもの、
あとはキララ同好会、
たぶん漫画タイムキララですよね。
キララ同好会みたいなのがあったりとか、
あれこれって2010年ゼロ年代ぐらいのインターネットみたいなものってあるじゃんみたいな、
そういうふざけたやつみたいな、
いわゆる商業的ではないインターネットですよね。
誰も商業的なプレイヤーにはなってないっていう、
それをモラトリアムということもできるのかもしれないんですけれども、
少なくとも我々が考える、
インターネット老人たちが考えるインターネットというのは、
ある種モラトリアムといって差し支えなかったのではないかと、
ふと思うわけですよ。
あれここにあるじゃんって思っちゃったんですよね。
で、興味が出たから、
いろんなニュースを調べていったんですよ。
いろんなアカウントであったりとか、
ニュースであったりとか、
テレビに取り上げられた時のね、
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それをスマホで撮ってSNSに上がってるものであったりとか、
YouTubeだったりとか、
いろいろ雑なものがあったりするんですけれども、
断片的に見ていて、
ある書き込みがちょっと気になって、
お!と思ったのが、
いわゆる全員が面白い人、
全員がヤバい人というわけではなくて、
だいたい住んでるのは普通の人だよと。
ヤバい人の中でも、本当に何かこう、
センスがあったりするのは、本当一部で、
他は何か真似してるだけで大したことないみたいな、
辛辣な書き込みとかがあって、
多分それ正しいんですよ。
それ多分普通に現実の話だから、
現実ってそうだよねっていう感じなんですけれども、
そこで、でも少し思ったのが、
熊野寮のシステム的にも徹底討論みたいな、
そういう謎のシステムがあって、
何かを決めるときに、とにかく徹夜して徹底して討論して、
それで何か決めるみたいな、
そういう徹底討論。
ちょっとウロ覚えだから自信ないんですけど、
そういうのもあったりするわけですよ。
糸ポラ寮っていうのをあんまり経験したことがなくて、
新卒に入った借り上げのマンションみたいなのが、
半分寮みたいなもんでしたけれども、
近隣住民っていうか、
同期とのコミュニケーションもほとんどしなかったし、
普通のマンションだからね、
お互いのプライバシーはちゃんとしてたから、
全然分かんないわけですよ。
他の一般人も住んでるわけですから。
寮の経験って実はないんですよ。
でも寮って、
良くも悪くも何か思い出のストーリーが生まれたりとかっていうのは、
よく一昔前のハテナダイアリーとかにね、
思い出話とかで書いてあったりもしましたけれども、
そこで糸ポラ寮がああと思ったのが、
多分面白いやつ、面白い人、
もしくは面白いトピック、こと、もの、何でもいいんですけど、
多分それって本当に一人だけなんですよね。
すごい小さい。
だけれども、そこに人が集まっていると、
みんなでワイワイ楽しむことができると。
なので、いわゆるやってきて、
もしくは面白コンテンツみたいなものというものは、
全員が面白コンテンツになれるわけではないんだけれども、
いわゆるところのプレイヤーは少ないけれども、
そこで生まれた感情というのの増幅というのは、
人がいることによってなされるということだと思ったんですよね。
そう考えてみるとですね、
全員が全員プレイヤーである必要というのは、
まあないわけで、
プレイヤーをやるというのは、なかなか気合がいりますし、
もしかしたら才能能力といったものが必要になるかもしれない。
あとは努力もコストもかかるかもしれない。
自分の人生をコンテンツにするってなるって、
インターネットピエロになる覚悟をするという人はですね、
なんやかんや何かしら削れていくわけですよ。
コストはかかっている。
でもですね、そこでワイワイワイワイってするっていうのは、
まあコスト払わなくてもできてしまうことなんですよね。
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で、それをものすごく量っていう共同空間にぶち込むことによって、
発生しやすくするんだろうなっていう。
集客の必要がないということなんですよね。
量制がいれば近くに、もちろん来ない人もいるかもしれないですけど、
集客効率がめちゃくちゃ高いと。
そうなると何がいつも楽しそうなことをしているっていう感じになるわけですよね。
ここでわかることというのは、
実はその楽しそうなことというもののクオリティみたいなものではなくて、
そこで生まれる感情や盛り上がりという方が実は本質である。
楽しそうみたいな。
楽しいという感情、楽しいという状態というのは絶対的なものではなくて、
相対的で、かつ刑事課のものではない。
物理的なものではない。
言葉にすると当たり前じゃねえかって感じになるんですけども、
でもこれポイントで、すなわち楽しいというのは人ではないんですよね。
人ではなくそこの時間や空気や雰囲気や、
これをマーケティングの話で言うと、
それはブランディングであったりとかってなるわけですよ。
すなわちですね、クオリティや質というのはどうでもよくて、
楽しめる、わいわいって盛り上がるような人たちがいればいいわけですよ。
例えばですけど、クラブとか、
糸ポイラーはクラブはそんなに行きませんけど、
お酒飲めないからね。
クラブとかの狭い空間に人をぶち込んで、
爆音鳴らして、
ずんずん物理的に体を揺れる状態にして、
みんなでわいわいわいみたいな、
わいわいわいってするのが得意じゃない人のために、
ハードドラックというアルコールをぶち込みみたいな、
わいわいわいってなるじゃないですか。
そこで鳴っている音楽のクオリティが高いか低いかとか、
もちろん素晴らしいDJの、
いわゆるその場の空気感を読んだ音楽のチョイスであったりとか、
音響機器の感じであったりとか、
空間の設計であったり美術であったり、
もちろんそれもあるんですけど、
それは誘因にしかならず、
大事なのは客の質というか、
どんだけ盛り上がってるかみたいな。
その客を盛り上げるのも一つのテクニックなんですけど、
でも本質楽しいみたいな感じの本質って多分後者なんですよね。
っていうふうに考えた時に、
うと思ってしまったのがですね、
タイトルにやっていきという単語を使いましたけれども、
いとぽいがずっと悩んでいるというか、
どうしたもんかな、これはどうなんだろうってずっと考えていることの一つに、
人間がどんどんやっていき度がなくなっていく、
やってきてではなくなっていくという問題があると。
それに対して何かドライな発言をすると、
そうやっていろいろやれる人ってめっちゃ多動の人とか、
ADHD爆発だぜみたいな、
めっちゃそうですみたいな、
そういう人じゃないとできないよねみたいな、
そうやってドライに切り捨てることもできるんですけれども、
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で、
大井の話になってくると、
だんだん体力なくなってきたりとか、
自分の人生のステージとかが変わってきたりとかして、
コストを避けない遊びや楽しいというもので、
コストを避けなくなっていく、時間も避けなくなっていく、
もしくは健康面の話で言うと、
だんだん人は老化していくので体力がなくなって、
楽しめなくなってくる、いろいろな言い方があります。
いろいろな留院の下げ方、諦め方、
いわゆる、
人が面白くなくなっていくことに対する言い訳というのは、
多種多様用意されているわけですよ。
まあ伊藤ぽれはそれ、いろんな言い訳を
自分に言ってるんですけれども、
自分で言ってって自分に
刺さることですけど、まあでも伊藤ぽれは5億回くらい
この下りを自分の脳内でやってるので、
痛くも痒くもないんですけど、また言ってるよって感じなので、
もうほんとノーダメージなんですけど、
まあリスナー電機の皆さんはどうかわかりませんけどね、
まあでも中吉インターネットを聞いていれば、なんかもうそんなものはもう聞かんみたいな、
そんな感じになってる気がしますけれども、
そこでね、一喜一憂してる場合ではないんですよ。
どう我々は
ハッピーになるかというのが大事なのであって、
ここでの一喜一憂は
ただの足踏みなんですね。
施策を進めないといけない、考えを一歩先に進めないといけない。
そういった言い訳みたいのがたくさんあるんだけれども、
でもここでさっきの話を
振り返ってみると、
いわゆる別に人が面白くなる必要というのはないんですよね。
人が面白くなる必要というのはなくて、
必要なのはその場所であったりとか、
きっかけであったりとか、
少なくとも誰か一人が何かをやるっていうところが重要だったりするわけですよ。
ついつい我々はインターネット、
昔のインターネットをリソートしてしまい、
全員がプレイヤーになるみたいなことを
リソートしがちですよね。
そういったことに対して厳しい言い方をすると、
こいつは星5だ、星4だみたいな話になってしまうんですけれども、
絶対的なものではなくて相対的なものだと思うので、
そういった言い方もまた一つナンセンスだと思いますが、
緩和経代。
やっぱり各自が
ドメインを持って何かしらアウトプットをする。
IRCでも、
Twitterでもそうですよね。
IDを持ってURLを持って、ホームページみたいなのを持って、
そこで一つ一つ投稿していて、その投稿が個別にURLを入っていて、
それがハイパーリンクで全て繋がっている。
RSSリーダー的になっている。
おすすめのアルゴリズムが入るとゴミになるっていうのは、
それは現実として起こっているものなので、
それの話はしませんけれども、
そんなことはどうでもいい。
一人一人が発信するみたいなものを考えがちなんですけれども、
でもですね、
熊野寮のYouTube、
12:00
誰かが撮ったのかな、YouTubeのやつとかを見ていると、
多分別に熊野寮がスペシャル、特別だというわけではない、
ユニークだというわけではないと思うんですよ。
何でもかんでもそうだと思うんですよ。
でもやっぱり、面白いことをする人っていうのは多分一人。
それができる人っていうのも一人か二人。
でもみんながそれを面白がるっていうような
気持ちがあれば、
実はハッピーなことというのは実は作れると。
ハッピーな感情、楽しいという感情を作ることができる。
そういうことだろうなと思ったんですよね。
じゃあ何、いわいわいしなきゃいけないってこと?
嫌なんだけど、みたいな。
あんまり人間とコミュニケーションすると疲れるんだけど、
まあ確かに人っぽいでもわかるよ。
それに対して例えばゲームとかあると思うんだけど、
ゲームをプレイして楽しいと思う気持ち、これ実はなんだけど、
これ仮説というかちょっとアクロバティックな
ロジックになるんですけども、もちろんゲームを作っている一人でも
二人でも何でもいいんだけど、そのゲームみたいなものが
届けられるために多分複数人の
人間が関わっているはずなんですよね。
その複数人の人間のこういうのでいいよね
みたいな気持ちのプレゼンテーションみたいなものを
見ているわけですよね。
ってなるとですね、楽しいという感情が
パッケージングされていて、それを
ちょっとだけこう、なんというか、
つまみ食いさせてもらうみたいな。
別にこれはゲームが全員が同じゲームをプレイして
ソーシャルゲーム的な楽しみがあってそれをみんなで共有しているんだ
みたいな話ではなくて、楽しみという
完成した楽しみというのを少し吸わせて拝借していただく
みたいな。多分そういうことだと思うんですよね。
それは別にお笑い芸人さんの
ライブの映像を見てでもいいんですけれども。
現場に行くとまたそれはみんなでワハハってなるから
それはプリミティブな一番最初のロジックの楽しみ
が生まれる環境という話になってしまいますが
その映像を見てもそうですよね。
楽しさというこの概念というものを
どう作っていくかどう
たくさん感じていくか。で、もちろん
人間さんというのはですね
感情が動くと疲れるものなんですよね。
心が動くと疲れる。別に
心が動く、心というのは動くものなのかというのは
比喩の話でございますから
あれなんですけど、でも疲れるというのはあると思うんですよね。
何もしなくてぼーっとしていることと
いわゆる寝てる状態、寝てる時もカロリー使うじゃないかみたいな
そんな話が進まないので置いておきますけれども
何か楽しみ、楽しさというのを
作る。
そしてそれを楽しいと感じる。
これは疲れるものである。そこでやっぱり考えるのが
どうやって一番
効率よく運用ができるかということを真っ先に考えたくなるんですよね。
いわゆる一回やばいほどの楽しさが
ガツンと入るんだけど反動でマジで何もできなくなる。
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これ例えば2ヶ月楽しみができない。
というよりも少しずつ少しずつ楽しいを
やった方がトータルの楽しさってあるんじゃないかみたいな。
ただ振り返った時に思い出すのは前者だよねみたいな話もあるので
またちょっとこれはいろいろな考え方と
時と場合、個別の事象があるので
何かシンプルなルールにすることは
難しい。人それぞれだからね。難しいと思うんですけれども
いやでもね、楽しさというものを
デザインする。
デザイナーが支配的な性欲があってっていう話は
ちょっと前にしてまた別個で話そうみたいな
保留にしてましたけれども、楽しいをデザインするというのは
人間を楽しい方向に持っていくためではなくて
人間なんてものはただの
生き物さんで
何か心というか感情みたいなのがあるみたいな
雰囲気出してるけど普通に動物的な反応
電気信号出しみたいな
大したものではないと思うんですよね。物理的に言うと
そんなことはない。いやまぁわかるよ
そんなことはないよ。そんなことはないけれども
そこまで理想的なシステムではない
っていう話ですよ。もういいですか?
もういいよね。話進めますよ。
大したもんじゃないので
人間をそれぞれデザインするというのは
ちょっとオーバースペックなんじゃないかというのを
昨日の夜からずっと考えていて
そんなやってやる必要なくないか
そんなにおもろくないぞ
っていうのをなんとなくはっと思って
それよりも
そこの場所に生まれる楽しいという概念
楽しいという空気。それは複数の
人間の脳内の電気信号
単体というよりも
栄養学で言うところの栄養と栄養素の違いみたいな
栄養素っていうのがビタミンとかウンヌウンヌみたいな
細かいこと。みんなが栄養を摂らなきゃって言ってるやつは
栄養素を摂らなきゃって言ってるってことで
栄養素を取り込んだりいろいろしたりする働きのことを栄養
栄養学の単語で言いますと
そこでイトポリオが
注目するのは栄養素ではなくて栄養の方なんですよね
楽しいと感じるその
動きであったりとか状態空間
そういう目に見えないもの
の方が興味がある
人間というものは認識している
世界しか見ることができない
すっ飛ばした説明を
人間が認識するものが世界である
そうだねって思うと思うんですよね
そういう話をたびたびこのポッドキャストにもしているから
だけれども
人間が認識するものが世界というよりも多分
人間は認識できるものしか世界として見れない
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っていう方が多分よりリアル
リアルって言うとまた違う文脈になる
よりもっと身も太もない
言い方だと思うんですよ
見たものがその人間にとっての世界である
これは多分人間を過大評価しすぎというか
かっこよく言ってあげすぎだと思うんだよね
そんな大したものではない
見れるものしか見れないぐらいしょぼいものだと思うんですよね
こっちの方が現実だと思っていて
その程度なんですよ
そう
っていうことは楽しいものみたいなものを用意しても
見られるかっていうとそれは人それぞれあるわけですよね
それに対してnot for meみたいな単語があったりするわけですけど
not for meというのは
そういうのをいろいろ考えるのがめんどくさい人向けの
とりあえずこのコナンシア終了っていう風に言うための言葉であって
シリアスになにかものづくりで
ターゲットのことを考えたりする時に
not for meみたいな単語で考えるのをやめるというのは
あまり筋がよろしくないのではというのが
糸っぽいのは個人的には思いますけど
そんな話はどうでもいいんだよ
そこはどうでもいいそんなくだらない話はどうでもよくて
人間しょぼいので
なんかもっとそうじゃないことの方が
面白いんじゃないかなっていう
例えばじゃあわかったもうちょっとなんかかわいい話にしよう
例えばですよ
何か人間の恐怖みたいなものであったり喜びみたいなものであったり
みたいな感情があります
その感情というのが共有されて
想像力として東宝プロジェクトの話で言いますね
そうすると一気に分かりやすくなるから
東宝プロジェクトにおいて妖怪がどうやって生まれるかというと
人間が想像してみたいなのがあるじゃないですか
もしくは人間の抽象的な感情みたいなものが
擬人化してみたいなのがあるじゃないですか
それが妖怪となるわけですよ
栄養が一つ形になったものと言えるじゃないですか
ってなった時に
どう考えてもそっちの方が
面白くないかっていう話ですよね
人殺の村人の
個別なエピソードとかどうでもよくて
そんなことよりも妖怪の
なんとかちゃんの方が
いっぱい東宝ソーソーで
SS読みたいがみたいな
でもたまにソソワのジェネリックとか今もあるのかな
ソソワのジェネリックとかで人殺の村人を
主役にしたSSとかあるやん
ああいうの読むの好きだったな
村人サイドから見た霊夢みたいなのみんな大好きだねんな
村人サイドからでもやっぱり
いとぽれは川城にとりさんとかが好きあと鍵山ひなさんとか
人間から見た妖怪みたいなねそういうの好きですけどね
それはそれでいいんだけどそこで描かれてるのはやっぱり
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妖怪ですからね
たまたま群蔵劇的に村人が出てるだけで
って感じでそして今日話してる話というのは
村人どうでもいいって話なんですよね
村人にも命があり村人にも人生があり村人にも大切な人や思いや
気持ちがあるじゃないかうるさい
どうでもいい
どうでもよくはないんだけれどもそれは個別の事象なわけですよ
個別の事象であるから実はそこから学び取って
抽出できることというのはあまりないわけですよ
もちろん一部あるわけあるとは思うんですけれども
そこを掘り下げていっても
何かしら
展開可能なシステムや
サービスや設計や
何かを自分のものに
できないと思うんですよ
そこで多分生まれるというのは文学の話文学的な話であって
詩小説的な話であって
それはそれで面白いとは思うんですけれども
そんなことよりも
自分とその周りの人たちがどうやって
このよくわからないこの人生というのを
どう生きていけば少しは
マシになるのだろうという課題感が
常にトップオイルには脅迫観念のようにあり
そうなると個別の事象とか個別の詩小説とか
どうでもいいというのはそれは分かりますよね
目の前に解決しなきゃいけないやらなくちゃいけない確定申告みたいなのがあって
それはいいから早くやれみたいな話じゃないですか
どうせやらなきゃいけないしみたいな
どうせ生きなきゃいけないらしいんだったら
じゃあやらなくちゃいけないかみたいなその程度の話ですよ
大した話ではないですね
ここまででなんとなく考え方の
フレームワークというか世界観は分かったと思うので
じゃあどうやって楽しくなるかという話を
まだ考え途中なんですけれども
この世界観で言うと
いくつかアプローチがあって
人間をめちゃくちゃ
楽しさを生む機会にする
大小魔術みたいになってしまいますね
この世界だったらドヤ顔で石雄王の魔術師がメデューサを呼んで
うら来たぜってイケメンにやったと思ったら
こんなカズみたいなことやってんのかって
結晶一瞬で作られてブチ切れてブチ殺されるっていうね
あれ大変でしたねガリアスタケだっけ
あれ実は結構いいお宝とかを持ってたりして
ロードエルメロイ2000の事件簿とかの小説には出てくるので
マジ知らなかったって人は読んでみてください
面白いですよそれはどうでもよくて
どうでもよくないか
人間の個別を教育してどうにかするというアプローチ
っていうのでいけるんちゃうかと
意図っぽいのはなんとなく思っていたんですけれども
めんどくさいなみたいなこれめんどくさいぞって思ったんですよね
ランダムに選んだ
モンスターが
24:00
全員適正があるわけではないじゃないですか
それ多分めんどくさいんですよね
次にポケモンを厳選するという話ですよね
ポケモンを厳選するこれは筋が悪くないとは思う
けれどもコストがめちゃくちゃかかるよね
めちゃくちゃ時間がかかる
すごい時間がかかるあと何回か試行錯誤しなきゃいけない
めんどくさいですよね
なんでこんなことをしてやらなきゃいけないんだみたいな気持ちになってくるはずです
2週目ぐらいから
ひどい話だと思うんですけど
もしかしたらめんどくさいんじゃないかと
個体差とかじゃないんじゃないかと
クマの寮も兄弟に入れる人
兄弟に入学した人じゃないと入れないというところで
別に受験という暗記ゲームで
成績が良かったからどうにかという話はないけれども
でもなぁ
コミュニケーションに
楽しさを見出すというところである程度の言語コミュニケーションや
ロジカル神経が必要と言われたらそれはそうという感じなんですけど
別にそれがテストの点数と相関関係があるかというと微妙ですしね
どこにも例外があるという感じ
アホみたいなスクリーニングとしては
別に効くとは思うんですけど
そこは本質ではないと思っていて
空間みたいなもの寮みたいなもののほうがいいんじゃないかと
じゃあ寮を作るのかという話とはそれも違くて
まあ確かに伊藤っぽいでは
マホラー学園2年A組にめちゃくちゃ影響を受けているので
大マホラ祭をいつかやりたいと思っている
大マホラ祭しかやりたくないきりみたいな
伊藤っぽいでは絶対にチャオリンシェンとかになりたいきりみたいな
それは絶対あるんですけどそれは置いといて
大変そうだしみたいなクソだるそう
学校作るのとかだるいやん
なぜかというと調べたことがあるんだけどクソだるいっていう
めんどくせえなと思って
たくさんの人間の個別のやつを結構見なきゃいけないじゃん
伊藤っぽいではまだそこまで精神が成熟してなくてですね
まだちょっとキッズなので
人が多いみたいななんかいっぱいいるみたいな
わかんないみたいな感じになってしまうから
まだちょっとキッズなんですよそれは無理だろうなと
それはさすがに客観視できている
キッズは考えましたとどうしようと
まあでもなんか
ここで一つもっと
自分をわかったと
自分をプレイヤーとして置いてみようと
今ジャンププラスで連載されているダンダダンみたいな感じで
ゲームの中の世界に入りましたみたいな感じで
自分をプレイヤーとしてそこにぶち込んでみようと思ったんですよね
ってなった時に多分だけど他の楽しみというものを
拝借してそれをみんなでワイワイした方がいい
多分みんなでゲームしてワイワイするとか
みんなでアニメ見るとか
そういう感じでしょみたいな
それはアリだなんだよ
27:02
ゲトーくんそれはアリだ
マジみたいな
みんなでラキスタ観賞会をするってことですか
ゲトーくんそれはアリだ
正しいんだよね
これ正しいんですよ
しかもインターネットでみんなで観ようとか大して観るわけないんですよ
でも人間をラッチしてきて
椅子に縛り付けてラキスタを30人に見せる
みんなでワーッみたいな縛り付けられたままね
確かに縛り付けられると
イトポルみたいな他道の人はムズムズして
発狂してしまうからそこは自由にさせるけど
ラキスタをみんなで観ると
オープニングはいいよスキップ
エンディングは毎回変わる可能性があるからそこだけは我慢してほしい
オープニングはスキップしてもいいよ
最終話のところでみんなでオープニングを踊ろう
お前カルト宗教じゃねーか
そうだよみたいな
というよりも
お手軽に
何かうおーってなるためには
一人だとちょっと大変という人もいるんですよね
楽しむことに慣れていないと
たぶんそういう空気を作ってあげたほうがいいというのは
ある種一つの正解なんですよ
例えばですけど何もお金も取りません
みたいな状況だったとして
ラキスタ上映会がありますって言ってみんなで参加して楽しかったって言ってやるのは
何か悪いことがあってたぶん悪くないんですよね
ヒイラギ鏡をあがめよってちょっとギャグで言ってみたりして
別にあがめたからって何もしなきゃいけないことも
誰かにマジでお前鏡
鏡様を
鏡激萌えにしないとマジで引っ叩くみたいな
そういうことも他者に対する許容もなければ
別にそれっていいじゃないですか
ただ単純に鏡萌え
って言ってるわけなので
それってたぶん問題ないんですよね
じゃあいいかみたいな気持ちになって
ラキスタ上映会ってことみたいな
そこでポイントになるのが
誰かがお互いに何か全員が何かを作って持ってこようみたいなのは
たぶん難しいわけですよそれ難しいんですよね
例えばホームパーティーしようっていう時に
何か自分で一品作って持ってこようってなった時に結構大変じゃないですか
それを強制的に全員にやるぞって言って
全員が何か料理をしたいいつも料理をしたいんだけどきっかけがないみたいな
そういう人たちのためにじゃあホームパーティーで
一人一品縛りにして何か頑張ろうって言って
機会にもなってよかった楽しいしみたいな
それは別にいいんですけど全員ができるわけではないってなると
全員にそういうものを
やってねっていうこと自体がまあ厳しい
というかできない人のために
できるようにしてあげないといけない介護コストが完全に発生するんですよね
そうなると何かいろいろな
簡単にできるやつとかを提供したりルールをやったり
30:02
レトルトにして渡してみたりとかいろいろなことをしなきゃいけない
本質からどんどん離れていくんですよね
そうではなくて作りたかったのはみんなで楽しい
楽しさという妖怪を生み出しその楽しさという妖怪を
死にしああみたいな
悟り様やみたいな
そういうほうが大事なのであって個別の人間というのは
悟り様を生むためのある種
石杖でしかないわけですよ人間なんてものはそんなものですよ
ということまで考えると
あれみたいな全員がやってきてになる必要というのは
ないのではないかという究極の仮説にたどり着く
わけですよねあれまじかみたいな
でもここで一つ注意したいのが
なんだろうなでも
我々個別に一人ぼっちじゃないですか
友達もそんなに多くないですよね個別に一人ぼっちで
例えばラッキースタジオやかやりますって
言ってくれる人が例えばいるかって言うと多分いないんですよね
じゃあいえばいいじゃん確かにそれはそう
それはそうなんだけどでもそれで集まってくれないかもしれない
それはそうそれも本当にそうそれで集まるのは元々
そうやって人望がある人だけなのではないか
それは本当にそうだから涼みたいなのがいいよねっていう話に
また戻ってくるんですけど
でもそういうことだろうなと思うんですよねでも逆に言うと
じゃあインフルエンサーっていうものはフォロワーが多ければいいのかって言うと
そうでもないっていうこともここで一つ明らかになるわけですよ
例えばインフルエンサーが何か紹介してそれをみんなで買って
それのコンバイン率が高いとインフルエンサーとしての
価値が高い経済的な価値が高いそれはあると思うんですけど
経済的な価値というのが人間の感情ということもできるわけですよね
ある種資本主義というものは一つの人間の
欲望みたいなものをいわゆる栄養素を栄養にして
その栄養を妖怪化したものを
資本主義ということもできるわけですよ
ってなるとどれくらいの人の感情を埋めるか
みたいな話になってくると
ってことはフォロワー関係ないんですよね
どれくらいの人の感情を埋めるかによりイコールどれくらいの
強度のある妖怪を生むことができるかという話なので
人の頭数ではなくて質の方がいい場合も
全然あるわけですよ
って考えると別にどうでもいいなみたいなことは言えるわけですよね
ただ質というのを計量できないからこそ数字になって
って言ってどんどんSNSをフォロワー評価経済切り
って言って評価経済って言って何も評価してないからね
あれただの数字をやってるだけだからそこに実は質がないんですけれども
だからあんなん本当意味がなくなってどんどん意味がなくなって
何もアホなことをやってるんやがなという気持ちになるんですけれどもね
それをどうにかごまかそうとしておすすめアルゴリズムを
インプレッションを出さなかったりするっていうのをやって
調整しようとするわけですよね
いやいやともうどんどん袋工事に入っていくやんけみたいな話なんですけれども
まあでも引き込められないですからね
こういう状況になってしまったらもうそれしかそれが一番ベターだからね
ゲトー君それはまあアリだみたいな状況になってしまってるから
まあじゃあとりあえず人間全員殺すかみたいな話になってくるわな
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なってくるよSNSの運用が行き着くまでいくと
人間やばいからみたいなうーんなんかとりあえずみんないじめるかみたいな
みんないじめるとなんかほら結構なんかうめき声とか上げてさ
感情とか生まれてエントロピーが生まれるじゃんみたいな
キューベイみたいな話ですよねとりあえずいじめてみるみたいな
いじめたら結構なんかエネルギー出て結構アドじゃねみたいな
だからそういうことですよね
いとぽれはいじめられたくないなぁしょんぼりしちゃうよね
そんなに防御力も高くないですか
いとぽれは攻撃力2300守備力0のゴブリン突撃部隊だから
なんか言われたらもうすぐしょんぼりしてもうやめるつって
こういうこと言うからやめるっていとぽれはすぐ言うからね
それは置いといてですねということを考えるわけですよ
じゃあどういうことをしようかってなった時に
だいたいヒントは出たよね
何をすればいいかというよりも何をしても
妖怪を作ることが難しい手法
これしかないと思っていたことが
意外とそんな大したことないっていうことまでは
この考え方でだいたいわかってきた
一旦今日はここまでです
君たちはどう生きるか
人間個別はちょっとよくわからないですけど
どうやって妖怪を生んでいくかという話じゃないですか
皆さんの好きな妖怪は何ですか
いとぽれは
東宝プロジェクト一番好きな川城二鳥さん
影山ひなさん
何かちょっとお姉さんっぽいから
シャミマラアヤさん
あとは
難しいけれども鬼はかっこいいよね
スイカさんヨギさんみたいな話
あと秘封クラブの2人ですよね
秘封クラブの2人に憧れて
いとぽれはいつ何枚白いシャツを買えばいいんだろうね
どんなにシャツを買っても年子にはなれないって
ヤフオク見ながら
なんかちょっと気づいちゃって悲しくなったわ
ではまた次回