00:02
半径nクリックを考えなおそう。
ちょっと実験的解という感じで話したいんですけれども、
すなわち具体的な、こうだからきっとこうだろうなとか、
こういう時はこうしたほうがいいよなとか、
状況にかかわらず、これはいいものだからこうしたほうがいいよねみたいな話をよくなかよしインターネッツはするんですけれども、
よく話を展開していく中で、途中でまだ答えは出てないけれども、
多分こういう感じなのかなみたいなところにちょっと脱線することがあると思うんですよね。
今回はむしろそれにフォーカスして、それを主題にちょっと話してみたいなと思います。
何を隠そうイトッポイドがこの問題ですごい悩んでいてですね、
これどうしようかなってすごく悩んでるんですよ。
タイトルが反省Nクリック考え直すということなんですけれども、
すなわちコロナ前のインターネットとコロナ後のインターネットで全然違くなったよね。
インターネットにいる人たちも変わったよね。
だからその先でじゃあどうしようなんですよ。
多分我々みたいなインターネットの民っていうものが今抱えている問題のほとんど全ては、
じゃあどうしようかのその処方箋が出てないからっていうことなんですよね。
どうしようかって2パターンあるんですよ。
自分が変わるか離れるかなんですよ。
どちらにせよ海水魚が淡水魚にはなれないみたいな話なんですよね。
海の魚が川で生きられない、川の魚が海で生きられないみたいな話と、
このコロナ前後のインターネットを取り巻く、
そしてインターネットと共に生きるであろう生活を取り巻く問題というのは、
かなり密接に結びついていて、むしろそこが本質であって、
そこから例えばそれは創作の問題であったり消費の問題であったり、
経済の問題であったりキャリアの問題であったりっていろいろあると思うんですよ。
普通の人っていう言い方をすると語弊があるかもしれないんですけど、
インターネット中毒者、かつてのイケてるインターネットっていうとまた語弊があるかもしれないですけど、
もう恐れずに言いますね。いわゆる正しいことを言いたいのではなくて、
等身大のリアルな意図っぽいこととして話しますね。だからちょっともしかしたら、
表現を生すぎて、生っぽすぎて、角が立っちゃうかもしれないんですけれども、
むしろそういう言葉を使わないと、なかなか考えも進められないほど、
03:05
この問題は根深くて悩みを与えるものであるということをちょっと話してみたいなと思ってます。
だからチャレンジです。正しいこと言ってるわけじゃないし、誰かに代われって言ってるわけでもないです。
これは本当に、何というか、本当にパーソナルな話をちょっとしてみたいなって思ったんですよね。
はい。で、いわゆるイケてるインターネットに憧れて、
まあドープなインターネットというのを好んでいる我々みたいなネット中毒者、
元かもしれないですけどね、ネット中毒者からしてみたら、
インターネットをやり続けるのか、それとも自分がある種諦めて、いわゆる妥協してやっていくのか、
インターネット以外のところにドープなものを求めていくのか。
多分こういう話なんですよ。
で、人を変えることって難しい。自分は変わることができるってよく言うじゃないですか。
これは結構本当だと思っていて。
で、インターネット全体を変えるっていうのも多分もう難しいんですよ。
ただ一方で、かつては結構全員が、インターネットにいた人全員が、
このネット文化というのを終わらせないように、いわゆる楽しいものとして存続させよう、
いいものとして受け継いでいこう、引き継いでいこう。
ずっとこの楽しいお祭りみたいなものをやっていこうっていうような共通認識があったと思うんですよ。
ただそのコロナ始まる前にももうその気はありましたけれども、
やっぱりその人が、スマホ以降は人がどんどん入ってきて、
全てをマネタイズしようと、とにかく金にするんだっていうような一派が来て、
あんまりドープじゃなくなってったっていうものはあるじゃないですか。
まあ兆しはあったんですよ。
それでもやっぱり、有程ネットを見ている人たちっていうのが、いわゆるそのお客さんたち、
お客さんになりうるような人たちというのは、あくまでもやはりドープなものを良しとするっていう人たちだったから、
まあまあまあまあって感じだと思ったんですよ。
で、実際、個人的な話として、
ヒトっぽいども、全てをマネタイズするぞ、とにかく金にするぞ、みたいな、
そういうのを、インターネットの人です、みたいな顔して、
そういうので、何かそれを言ってしまえば焼き畑農業をするみたいなのとか、
何か不安を煽って、自分のキャリアの踏み台にしようみたいなのは、
06:08
それはちょっと倫理に反するのでは、みたいな、倫理というよりも、
それはインターネットの美学と反するのでは、っていう気持ちが実はすごいあって、
それに対して、もうめちゃめちゃ、いやそれ良くないっしょっていうのを、
結構そういうスタンスを強めにとってたんですよね。
まあいわゆるその、例えばお仕事の現場であったりとか、
それは何かが意思決定されそうな時に、ちょっとそれはイービルすぎないか、みたいな、
今多分イービルみたいな概念もあまりないんじゃないかなと思うんですよね。
多分成立しないからっていう。
それはやっぱイービルというのは普通に、
良い人たちの中でイチヌケピーするなよ、みたいなことだと思っていて、
良い人ばかりじゃなくなったリアルな世界だと、
イービルも何もないだろう、みたいな、っていう感じだと思うんですよね。
これはちょっと個別な話ですけど、今のイービルの話はね、
いろいろな解釈があると思いますが。
で、コロナ前にももちろんそういう気はあったんですけど、
お客さんたちはそういう人だったので、
まあそこまでって感じだったわけじゃないですか。
でも、コロナで急速に人類にインターネットが実装されてしまって、
人が増えたと。
人が増えた瞬間、やっぱドープなのがいいよねっていう人たちが、
パーセンテージが薄まったわけですよ。
で、それはどうやらもう戻れないっぽいっていうのを、
我々は結構もう受け入れていかなきゃいけない。
いわゆるコロナ時期だけのちょっとした特集タイミングだったのかっていうと、
多分そうではなくて、
もはやインターネットは悪口大会の場所になって、
なんか駆け口とかが、
給頭室で駆け口言いまくるみたいな、
なんかそういうのが好きな人たちの世界となっていると、
個人的には思うんですよね。
個人的にですよ。事実とは違いますよ。そうじゃないところもたくさんあるけれども。
ただ、そうなんだよね。今の話ぶりからもわかる通り、
そうじゃないところもたくさんあるけれども、
っていうのって、
ワンチャンちょっと思考放棄なのではないかと。
すなわち、この世界も悪くはないよねって言って、
その問題と直接向き合うのから、
意図っぽいのは逃げてるのではないかっていうのを、
ちょっとふと最近考えるようになってるんですよ。
いわゆる、何かを考えたり言語化しようとしたりするときに、
例外はあるよねとか、
09:00
そうじゃないところもあるけどねって言って、
まるでその、
給頭室の駆け口の対象にならないようにっていうような、
そういう癖みたいなものが、
フォームに身についてしまうと、
それってたぶんipsと同じなんだよねっていう。
それは、むしろ逆に、
現実から目を反らしているなっていう、
反省をちょっと最近して、
そうじゃない場所でそういう癖を出さないようにしようっていうね。
いわゆる自分の可能性を自分で狭めてしまうからっていうのを、
ちょっと思ったりもしています。
それはそんな話なんですけど、
話を戻すと、
ドープじゃないインターネットという現実があって、
これがたぶんドープになっていくことって、
たぶんもうないんですよ。
ドープさっていうのは、
ある種レアさでもあって、
コミュニティの話じゃないんですよ。
純粋に性質の濃度と、
性質の濃度の話なんですよね。
濃度が高いっていうのは、
量が少ないっていうことなんですよ。
煮詰めるみたいな概念あるじゃないですか。
お醤油とみりんとお酒とお砂糖で、
甘じょっぱく煮詰めてすき焼きの、
おいしい割下をちょっと、
粘度がついた、あの煮詰まってる感じあるじゃないですか。
あの感じって、
やっぱ、
瓶にいっぱい入ってる感じじゃなくて、
煮詰まってるからこそ生まれるものじゃないですか。
ドープさって結構そういう概念なんですよね。
で、
人が増えちゃうと、
これすごい言いにくいんですけど、
クラスの中で、
こいつなんかめっちゃ趣味いいなってやつって、
30人いた中に何人いたっていう。
もちろんその趣味がいい悪いというのは、
好みが合うか合わないかなんですけれどもね。
いい悪い、全員がいい悪いってわけじゃなくて、
自分と趣味が合うっていう人が、
30人の中に何人いたっていう話なんですよ。
ところで最近よくこのクラスの例えを使うんですよ。
それは、ほとんどいないっていう現実を見るために結構使うんですよね。
例えば学級新聞とかを機器として書く子って、
クラスの中に
1人しかいない。
クラスの中に1人か
ワンチャン確変起こって2人。
事実として先生はそういう子がばらけるように
かなりクラス分けというのは
恣意的にしてるわけなんですけれども、大人の事情としては。
でも逆に言うとそんぐらいしかいないんですよね。
分けられて1人ずつしかいないぐらい。
12:00
そんぐらいなんですよ。
そう考えてみたら、
学級新聞
書いたり読んだりするのが好きな子たちが
集まってたドープなインターネットと
30人全員が来る
インターネットって全然違うじゃないですか。
それもクラスじゃないですか。
なんかみんなで遠足とか行く感じでしょ。
ちなみにドポリはみんなで遠足行くとか全然好きじゃないですよ。
結構好きじゃない。
全然好きじゃないです。
マジで。
なんかみんなで歩いてて
すごくみんな歩くのが遅くなるじゃん。
例えば
あんまり悲しいことに行ったことがないけれども
例えば1次会があります。
2次会に行く、3次会に行くってなったときに
2次会の間すっごいゆっくり歩くじゃん。
なめくじ買ってぐらいゆっくり歩くじゃん。
その歩く感じも他の人に
酔っ払ってる人が大変だから合わせるとかじゃなくて
全員で足を引っ張るように遅くなるじゃないですか。
あれ全然好きじゃなくて。
全然好きじゃないというかガチで理解ができなくて。
行こうやみたいな。
全員でうーっていう感じになんなんっていうのはあって
でも
30人でなると
なんかそういう子多いじゃんっていう。
いやこれ偏見かもしれないけど
最近いとっぽいのは自分がめちゃくちゃ変わってるっていうのを
最近あと自覚して
自覚した上でどうするかっていうのをやらないと
ガチで人間界と事故るなっていう。
最近じくりまくってるんで
それを考えてるんですけど
なんか妙にやっぱインターネットに普通の人間が増えて
難しいなみたいな。
動物園じゃなくなったみたいな。
普通に人間が増えたっていう。
人間ってやっぱめんどくさいですよ。
なんか生きるか死ぬかみたいじゃないじゃないですか。
もはや現代の人間っていうのは特に
日本という社会で生きるってなると
意外と適当でも生きていける
他の野生と比べるとですよ。
もちろん濃淡ありますよ。
でももうこういうエキスクイーズやめない?
これマジでやばいよ。
話戻すけど
意外と濃厚本と
ぼーっとしてても生きれる。
これあると思うんですよ。
いわゆる
ドープなものを見たい。
いわゆる楽しいものをいっぱい見たいとか
15:02
そういう風に考えないホモサピっていうのも
やっぱいて
いとこ寮からすると
ドーパミン出なくなって
一気しょんぼりクラブになって
いやもう行くしかないっしょみたいな感じに
ならないのかなってすごい思うんですよね。
実を言うと。
でも冷静にいとこ寮も田舎出身なので
茨城の県南の
あの田舎の30人って考えると
いやこれリアルだなと思うんですよね。
絶対そうっていう。
で実際それが
マジでだるみたいな感じになって
クラスに行かなくなったのが
いとこ寮なので
学校にはいるんだけどどこかにはいる
みたいな感じだったんだよな。
なんも変わってないんだなっていう。
でワンチャンその
インターネットというドープエリアがあって
でそれがなんか結構
お仕事になるっていう
のがあったから
すごいなんだろうな適応して
やってきてるわけなんですけれども
いやどうするよ
いやマジでリスナー電機のみんなも多分ね
大なり小なりこの悩みあると思うんだよね。
で
こういうの悩むよねっていうのを
誰かが
言わないと
一人じゃないよ悩んでるのは
っていう風に少なくともいとこ寮
言ってほしいなと思って
それでちょっと今こうやって話してみてるんだけど
いや悩むでしょどうして
言ったらいいのかっていう話なんだけどさ
でね
一番最初にその自分が変わるか
いわゆる諦めるか離れるか
とか言ったじゃんパターンを
で
これいとこ寮すごく悩んでるんだけど
できたらこうあるといいのかな
って思ったのが
もう多分なんだろうな
あんまり趣味合う人と
全員インターネット使ってて趣味があったりとか
なんか結構こう
ノリが同じだったりその思想であり好みであり
例えばルーツでありみたいなものを
一緒にできる人と出会えるって
例えばインターネットじゃない感じだったら
それって多分すごい奇跡だと思うのよ
えお前もなんとか好きなのみたいなのって
18:00
出会いとかじゃないと難しいと思うんだよね
でもインターネット
とは性質と好みとみたいな
いわゆるインターネットユーザーというだけでかなり
パーセンテージ的には少なくその上でさらに趣味が合うっていう
ダブルで域があってたんだよね
だからすごい友達を作りやすかったと思うんだよ我々にとっては
だけどそれができなくなったってなった時に
我々って人生のレベル上げ
そんなやってきてねえなみたいな
そもそもかなり
新宿の西口のさ
都庁から駅の方行くとこにさ
歩く床ってあるじゃん歩く床じゃない動く床ですね
ヒトプル平面エスカレーターのことを歩く床って言っちゃうんですけど
床が歩くんじゃないの動く床だよね
動く床でわーって来ちゃったわけよ
地の高速道路とか行ったりしましたけどね昔はね
で
そうじゃなくなったから多分我々って
多分人間を
練習しなきゃいけない
と思うんですよ
ヒトプル実は
冗談とか
ロールプレイとかじゃなくて
マジで人間のこと人間って
言っちゃうんですよね
本当にそう考えてるからっていう
ぐらい
実はあんまピンときてなくて
あんまりピンときてなくて
生きてるということ
もしかしてそれぞれに意思があるみたいな
それぞれに意思があるのって
それってやばくないみたいな
悪くない意味なんだけど
マジみたいなどういうことどういうこと
みたいな
みんなそうやってるじゃん人間を
ごめんねこれすごく
パーソナルな
話を一生懸命しようとしてるからあんまり
こういう話をしたことがないからね
下手くそなんだけど話すのが
みんな意外と生きてるらしいじゃん
でもさ例えば
ヒトっぽいとの話だけどね
学校で運動部
ずっと運動部ではあったけど運動部の
子たちがずっとつるんでて
まるで仲間外れされるのを
怖がるようにクラスの後ろで固まって
休み時間ごとに
そんなヤンキー学校でもないのにみたいな
でそれは
ちょっと分かんないのよ
分かんないどころか
本当キッズだったから
子供だったからしょうがないんだけど
21:01
クソほどダサいと思ってたんですよ
なんやねんそれみたいな
全員があんまり幸せそうじゃないみたいな
でもどうやら今のインターネットで
多分そういう世界なんだよね
どうやらそうらしいと
これに対して多分リスナー電機の
勘のいい
勘のいいガキ倍ハガネの錬金術師の人は
本当男子ってバカよねみたいな
そういうのちゃんとやんのよみたいな
一応だるいなと思ってるけどやんのって
そういう聡明なリスナー電機も
多分たくさんいると思う
でも糸っぽいとあんま頭良くないので
わっダッサイ
みたいな感じになってたんだよ
子供の頃はね
それの練習あんまりしてこなかったわけ普通に
今のインターネット多分そうなのよ
でね
これを言いたくてというよりも
多分同じように悩んでいる
リスナー電機が
いるかもしれないって思って
何かよくわからないけど
ずっとなんかもやもやしたりとか
そこからなんかちょっと調子悪いって
感じてると思うのよ実際
で
結構糸っぽいとのこの感覚っていうのは
自信があって
糸っぽいとの虫の知らせ的なものって
結構な的中率があるのよすなわち
意外とみんなと同じ感覚で同じタイミングで
同じような気分になるんだけど
その気分をキャッチして言語化するのがめっちゃ得意だから
糸っぽいとがうーんってなった瞬間は
多分みんながうーんってなってるって
むしろ得意技として
お仕事にしてるぐらい
それでお菓子食べさせてもらってるみたいなところはあるわけよ
多分そういうタイミングだなと思って
これは話してあげたいな
あげたいなっていうのもちょっとおこがましい方かもしれないけれども
少なくとも糸っぽいと的には
リスナー電機はどうやら
敵ではないみたいな珍しいんだけどね
糸っぽいが好き判定をするっていうのって
ほとんど人生でないから
珍しいんだけど
でもなんか
一緒に考えてあげたいっていう
言い方もちょっとあれかもしれないけど
でも普通にそう思ったわけ
だから話そうとしてるんだけど
ずいぶん恥ずかしい話だよね
うまくできないことやれてないこと
24:01
悩んでること答えが出てないこと
間違えてることミスってること
失敗してることを話すってことだからね
でもそれ聞いてミスってるっぽいみたいな
じゃあ大丈夫じゃね?みたいな
私大丈夫じゃね?って思ってくれたらそれはもう本当
いいことだよなと思って
なので積極的にわけわかんないこと今から話すんですけど
インターネットどうする?クソダサいけど
インターネットクソダサくない?
誰も言わないから言うよ
インターネットクソダサいわけよ
インターネットに関わってる人たちとかもみんなクソダサくなっちゃって
マジでやばいわけ
大人だから合わせてんのかなと思ったら
普通に真からクソダサい感じになっちゃったりするわけ
マジ?みたいな終わってんじゃん
世界中のいろんなところでそれが発生してるわけよ
ダッセー!みたいな
ダルくない?何してんの?みたいな
でもね
多分それに対して
オツボネイトっぽいのが言うのよ
人間ってダサいのって言う
人間ってダサい中で頑張って
もがいて何とかやってくっていうのが
人間中生き物だから
ダサいとか言ってる場合じゃないのよ
そもそもあたしたちはダサいのって言うわけ
ママが
ママイトっぽいのが
水割りか何か作りながらカウンターで
二丁目で言うわけよ
えー!みたいな
ダルー!みたいな言うわけ
ダルって言うけど
あんただってダルって思われてんのよっていう
ただね
好みっていうものがあるから
あんたは
ダルって思われないような
そういうとこに行って
そういう人たちを見つけられるといいわよね
みたいな
ガハハハハみたいな
そういう会話するわけ
これもう流石に伝わってると思うけど
常にいとぷりはそういう感じのが
脳内で再生されてるからすごい疲れるわけよ
すごい疲れるの
いとぷり異常者なわけ最近気付いた
いとぷり結構異常者
結構ヤバめなのよ
なんで異常者コンテンツ
懐かしいよね昔のインターネットは異常者を見るためのインターネットじゃないですか
ようこそ昔のインターネットへ
ここ完全に異常者を楽しむ場所なんで
よろしくお願いします
で
そういうことだろうなってちょっと納得しちゃうのよ
27:02
そのママっぽいドが言ってるセレフに対して
まあ確かにそれはそうみたいな
ちょっと分別をつけて
なんとかやっていくっていうアプローチじゃん
っていう風に
ロックンロールいとっぽいでも言うわけ
それってさあみたいな
途中で考えること切り上げてないみたいな
なんだよそれみたいな
確かにそれはそれで一理あるのよっていう
だから悩んでるんだけど考え続けることっていうのは
大事だからね
考え続けないと大切なものをもしかしたら
見逃してしまう可能性もあるからっていう
で考えていくんだけど
いわゆるインターネットが一つと考える
っていうことから
それを
ポストモダンじゃないけれども
大きな一つの物語ではないとするっていう
ことにちょっと可能性があるんじゃないかって思ったのよ
すなわち
インターネット分解するという考え方なんですよね
その
いわゆるイケている
という代名詞のインターネットがもはやない
けれどもだったらイケている場所というのは
たぶん作れる
そして当時考えていたイケてるインターネットの
規模感すなわち
半径1クリック2クリック3クリック
わかんないけどそのNクリックっていうのって
たぶんだけどあんまり数多くないはずなんですよ
人間の頭数で言うと
たぶんすごく多くないと思う
ワンチャンそれこそ30人ぐらいの可能性で全然あるわけよ
当時見てたお兄ちゃん達みたいな
なんか楽しそうにしてるお兄ちゃん達とか
めっちゃプログラミングの話してた
なんかイケてるおじさま達とかって
マジで冷静に考えると30人ぐらいなんじゃね
って仮説でたたられるじゃん
これたぶんね結構みんなピンとくると思うのよ
でもさそう考えたらめっちゃ狭くないっていう
最近レディットをね
見るようにしてるんだけど勉強のために
やっぱ英語ってだけでめっちゃ人数いるし
めっちゃ情報の数多いし
とにかく多いわけ
で日本語じゃん我々って
僕が違うリスナー電機もいるかもしれないけど
そしたらすげーなと思うけど
こんなぐちゃぐちゃした喋り言葉を
よく聞けるなと思うけど
日本語で30人ぐらいでしょ
って考えたら
それってたぶん我々今まで
うんよくそういう感じだったけども
30:01
それをたぶん
作っていくっていうことを
しなきゃいけないんじゃないかと思ったわけ
すなわち
自分が変わるわけでも
諦めるわけでも
離れていくのでもなく
より働きかけていくっていうアプローチなんだよね
自分は変わらずに働きかけていくって話
いわゆる与えられた世界を
その上に入っていくじゃなくて
自分で
そういう場所を作ったりとか
そういう
そうするとなんかコミュニティを作るみたいな
しょぼい話になっちゃうんだけど
コミュニティを作るみたいなのもさ
なんかダサいじゃん
いやダサいじゃんじゃないんだけど
別にコミュニティはすごい大切なことだと思うんだけれども
コミュニティを作るということという概念には
背景にどうしても規模感を大きくするみたいな
そういうニュアンスがどうしても
つきまとってしまうみたいな
そのコミュニティでもって何かをするみたいな
何かに消化するとかお金に買えるとか
それで何かをするんだ運動をするんだデモをするんだとか
そういうのじゃないわけ
ついついそういう方向に行くじゃん
違う今話してるのそれじゃないのよ
クラスを作りたいって言ってることを
言ってるわけじゃないわけ
ただ自分の
インターネットっていうのを
自分のオーダーメイドで作る
っていう考え方なわけ
でもこれってガチで冷静に考えると
それってRSSリーダーのことだし
それってマイクロウェブマイクロブログのことだし
なんだよね
だからそもそもそういうものを通して
ドープなインターネットというのができたんだけど
最初からある程度偏りがある人たちしか
フィールドにいなかったから
我々は多分自分の好きなものを探すという
努力の練習をしてこないまま
やってきちゃったんだよ
そう
それって多分人間をやっていくことなんだよね
人間をやっていくことの練習というのを
我々はしてこなかった
それでインターネットのせいにしていいのか
それをインターネットにたくさん人が来たから
たくさん人が来た趣味の合わない人たちのせいにしていいのか
という話なんですよ
多分良くない
良くないというか
そうしても先に進めない
幸せになれない
33:00
このモヤモヤを青空に変えられない
多分そういう話なんですよね
自分の好きなもの
好きな人とかを
自分から能動的にキャッチしにいく
っていうアプローチ
いわゆる流れてくるもので
なんて言えばいいのかな
もちろん環境によるけど
イトポルムぶっちゃけそういう感じだったけど
出されたものに文句を言い続けるということじゃなくて
環境がマジでダメだったらマジでダメだけどね
メシマスだったらずっとメシマスなのよっていうのは問題としてあるけど
自分でキャッチしに行って
自分で世界を広げに行く
あの頃は勝手にどんどん広がっていって
それが全部良くてみたいな感じだったじゃない
でも
それはやっぱりお客さんもドープなものが好きだから
自然と市場の流れうねり見えざる手の文化版で
なんかいい感じになったけど
お客さんが普通の人なわけ
もう言葉選ばず言うよ
普通の人は我々好きじゃないわけ
ってなった時に
でも市場の人間の流れとして
そっちに合わせるわけ
そしたら喜んでもらえたら嬉しいじゃんって普通思うじゃん
いとぷりだと多分思っちゃうよ
全然
1万人に拍手もらったら嬉しいもん
その1万人のうち何人が趣味が合わなかったとしても
もはや
そういう流れってあるわけよ
イージーモードだったわけよ
ひょろいまま来ちゃったわけ
急に人間社会に放り出されてしまった
練習してませんでした
練習してないっていうのを
我々は自覚できないんですよ
なんかしづらい
多分気づかないままいくと
下手したら10年ぐらいずっと
これを講じられ続ける可能性がある
これやばいと思って
なので
自分であの頃のインターネットというのは
実はインターネットではなく
あのインターネットを作っていたのは
紛れもない人であって
その人たちっていうものを
見つけに行ったり
探しに行ったり
対話していったり
ページをめくって見つけたりとかしなきゃいけない
いいところはリアルタイムに生きている人じゃない
36:00
っていうのでもありなわけよ
いわゆる人が書いた過去のブログ
誰かよくわからない過去のブログとか
記録とか個人サイトとかSSとか
漫画とかイラストとかなんでもいいんだけど
リアルタイムじゃないっていうところ
非同期コミュニケーションであるっていう
非同期コミュニケーション、疑似同期コミュニケーション
ガチ同期コミュニケーションから
バズコミュニケーション
本当にクラスの
明るい人たち
別に悪くはないと思うんだよ
それはもう考え方だから
ただイトポイロとはワンチャン趣味が合わないってだけで
そういう風になってきたわけじゃん
非同期なわけよ、冷静に考えてみると
これは
生きている人じゃなくてもいいわけ
だから
もちろんしょんぼりクラブにならないようにとか言ってるくせに
その例えを出すのはどうなんだと思うけれども
例えば芥川でも夏目漱石でもいいわけよ
極端なことを言うとね
例えば誰か一人めっちゃいいみたいな
人見つけて
書いた本とかをディグってみるとか
イトポイロ結構やるのよ実は
実はこの人とこの人
めっちゃつながってたみたいなのって結構あるのよ
イトポイロの場合はどちらかというと文学者とか小説家とかじゃなくて
それは実業家さんであったりとか
デザイナーさんであったりとか
みたいなね
ツイッターとかやってないようなデザイナーさんとか
だったりするんだけど
それめっちゃいいのよ
それめっちゃいいわけ
で最近
料理についてすごく興味がある
料理という概念についてすごく興味があるから
それをディグってるんだけど
自分が今までめっちゃ好きだった本書く人とかと
実はつながってたりして
ここつながってんの運命じゃんみたいな
うわぁマジみたいなのあるわけ
でもそれって多分あの頃好きだったお兄ちゃんAとお兄ちゃんBが
ミクシーでマイミクじゃんこれみたいな
足跡付き合ってるみたいなそれと同じなのよ
あれと思って
これもしかしてこれインターネットかみたいな
だからそもそもインターネットはネットワークなわけじゃん
ネットワークなわけ
Wi-Fiとか
LANケーブルとか
パソコンとかスマホとか
その
なんていうのデジタル?
デジタルが
39:00
我々のアイデンティティなのかっていう話なんですよ
違うと思うんだよね
我々は何を見てたかというとそれは
いわゆる文字であったり絵であったり
もちろんそれを突き詰めるとデータで
何キロバイトってなるのかもしれないけれども
少なくとも
動画ももちろんあるけどねニコニコ動画とかね
ニコニコ動画今落ちたっててすごい
うわぁ頑張ってくれっていう気持ちになるんですけど
ニコニコ最近ねポッドキャストで見てましたけど
ニコニコハマってたのでうわぁと思ったんだけど
まあ何かしら
そのもちろん人
がね書いたもの人が作ったものだったり
するわけなんですけど
ある種そのデータというよりも
なんてはいいのかなちょっと例えが
いいのが思いつかないんだけど
結論だけ言うと結論だけ言うよ
多分デジタルってダセーよ今
なんかデジタルがダサいものになってきてる
ダサい難しいなあいう言い方が
でもデジタルであれば
全部自分たちと趣味合ってたっていうのが
趣味合わなくなることの方が多いみたいな
だってTikTokダンスでさナチュラルモン綺麗かわいい
の子たちがなんかやってるってやつ見てさ
楽しそうみたいな風にさナチュラルに
まあいとっぽいではもう大人になってきたから普通に
思っちゃうけどでも例えば10年前の自分が見たら
はあ?みたいな感じになったと思うんですよ
で
でも今はそれが普通だからって言うのもいいんだけど
普通って何?みたいな
はあ?みたいな
思うわけよいやこれね
みんな思ってると思うの言わないだけで
そして思っているという自覚がないだけで
思ってるんだけど口に出せないから
なんか悩んでるみたいな感じになってると思うんですよ
なぜかというといとっぽいではそうだったから
でも例えば
すごい名作の映画とか
名作の漫画とか
例えば記憶をなくして徐々
最初から全部
記憶をなくしてスティールボールランとかを
買ったらそれに
30万くらい払うと記憶なくせますみたいな
スティールボールランの記憶なくせますって言ったら
いとっぽいでワンチャン払っちゃうかもしれない
でもそれくらい
デジタルじゃないそしてリアルタイムじゃない
ものでも全然感動できるし
それをそこの背後の
ネットワークってあるわけよ
42:01
影響された作品であったりとか
ホン・カトリーいわゆるパロディ元であったりとか
作家さんのつながりであったりとか
同時代に作られたものを横にスリップして
ディグってみたりとか逆に言うとそれを読んでいた人の
感想とかあるわけよ
それってネットワークじゃん
なんだよね
それこそがネットワークなんじゃないかと
デジタルのデータではなくて
ネットワークというそのものの可能性と広がり
そして素敵なものを見つけた時の感動
これを我々はインターネットと言ってたんだろうか
パソコン
カタカタクラブ
ではないのではないかっていう話なんですよ
たぶんそうなのここにたぶん我々の勘違いがあって
だから何かスマホを見たりとかパソコンを見て
こんなとこにもいるはずがないのに
ずっとやってるわけ
向かいのホーム路地裏の窓こんなとこにいるはずがないのに
パソコンの前に座ってスマホを見てツイッターを見て
インスタを見てどこかにあるんじゃないか
自分の感動は自分の
アイデンティティはデジタルのこの世界にあるはずなのに
たぶん違うのよ
デジタルは本質じゃない
別にそれでめっちゃアナログで手仕事がいいんですっきりみたいな
話をしたいわけじゃなくて
自分の
好きなものっていうのは何なのか
欲しがってるものは何なのかっていう
ことをきちんと
これが欲しいんだっていうのが分かったらさ
我々みたいなタイプはさ
特にナカシンターネットずっと聞いてるでしょ
ナカシンターネットを聞いてるようなリスナー電機は
何が欲しいのか何がゴールなのか
分かったらじゃあやりますっていうことになるわけよ
なかなかやるのも難しいけどでも何とか
やっていきたいなって思うっていうタイプなのよ
進みたいと思ってるタイプの
そういうポケモンなわけ
そしたらそのゴールが分かんない
何なんだっていうところがきっと我々の悩みなわけ
でイトッポイドの仮説としては
多分デジタル我々は
パソコンデジタルクラブがアイデンティティではない
っていうことなんですよ
そう考えるとこっから先は個別の趣味の話だから
本当何だろう
おのおの胸に手当てて考えてほしいって感じなんですけど
でも多分
イトッポイドの処方箋
インターネットのために出すべき処方箋
っていうのは多分そこなんじゃないかと思う
別に人じゃなくてもいいわけもちろんそれが人の場合もあるよ
何かコンテンツであったりログであったり
45:01
その読むもの消費するものですよねとにかく我々は
消費するのが好きなわけで
めっちゃ食べたいわけとにかく食べたいの
で飢えてるわけ
あの一口の感動みたいなわけ
全部じゃないけど
それをずっと求めてるんだみたいな
クオリティが高いものがうーん今の直いものがうーんみたいな
でも多分なんだけど
食べても食べてもなくならないみたいな
そんな剥いても剥いてもなくならないみたいな玉ねぎの歌じゃねえけど
なんかその
すごい可能性だっていうのがあった上で
だからなんて言えばいいのかな
バイキングなのよ食べ放題
こんだけしか食べれませんってなるとペース配分考えるし
なんかあと二口くらいで食べ終わっちゃうなとか思うけど
どんだけ好きなのが食べていいですって言われると
意外と食べなかったりするじゃんでも楽しいじゃん
多分そこなのよ
確かにデジタルのインターネットというのは
オンスクリーンのカタカタパソコンカタカタクラブは
クリックがしやすいから
椅子に座っててもバイキングを
指先一つでバイキング状態にできたわけよ
でもそのバイキングの中に
食べ物以外がめっちゃ入ってるわけマジで今
なんか
そしたら食べ物じゃないんだけどなこれ
なんか全然食べ物じゃないんだけどみたいな
でも食べたいんだけどってなるに決まってんじゃん
多分うちらそうだぜ
ギャルみたいになっちゃったけど
そしたらさ
席立って食べ物見つけに行ったらよくないみたいな
だからさマウスで
食べ物をワンクリックでポンポンする
っていうのが本当にやりたかったことなんじゃなくて
うちらは
食べたいわけみたいなでいっぱいあるけど
今日はもう眠いからもっといっぱい見たいんだけど
今日は眠いからもうここまでにしようかなみたいな
えーでもまぁいっか明日も読めるしーっつって
幸せに寝落ち
みたいなのがしたいじゃんこれ多分ね
みんなしたいってうんうんって聞いてると思うだって
イトッポルがそうだから
そしたらさ多分席立たなきゃダメじゃね
多分今のその席は
あんま筋よくないんだよ
うん
お店の中もさ変わるから
お客さん
例えば急に街がめっちゃ流行ったら
お店も人増えたらメニューも
例えばなんかインバウンドの感じになるとか全然あるわけじゃん
急に流行り始めたらちょっとおしゃれなやつやってみるかとかもあるわけよ
自分が常連だったとしても
店変わっちゃったなーつって
48:03
それよりもさーっつって
それはそこでいいところ探してなんか楽しめばいいじゃん
そういう気分の時に
あるわけよ
ずっと
外国の衝撃映像みたいなのを
めっちゃ疲れてるから
何も考えずにモヤモヤ
それを見ることしかできないって完全に脳が言ってるんだけど
そういう時の気分にピッタリだよ今のインターネットは
ピッタリだと思う
でもそういう時うちらにもあるじゃん
ダベ?ギャルっぽいのが急に来たけど
そしたらさー
そういう気分じゃない時はさー
店変えね?みたいな
2軒目行けばよくね?
しかも2軒目もさっさと行けばよくね?って話なんですよ
いっぱい店あるぜしかも
リアルタイムじゃなくても
過去にもいっぱいあるわけよ
今サブスクもあるわけじゃん
そしたら逆に
検索すればいいわけよ自分で
ちょっと確かにめんどくさくなったよ
街の中から自分の趣味のある店見つけるの大変
下北の中で自分の本当にビビッと来るような
古着一着見つけるのマジで大変
しかも下北だったらまだいいよ
普通の街でってなったら
まず古着屋を探すとこから始めないといけないわけよ
アメカジが好きだったらアメカジの古着屋さんみたいな
そんなキツいじゃんマジで大変じゃん
でも今そうなのマジで渋谷なわけ
渋谷の中でなんか
ラルフローレンの何とかプレイツだっけ
スラックスみたいなやつ
あれ夏にちょうどいいからみたいな感じで探すって無耳じゃん
ガチで無耳ぜ
でもそういう感じなわけ
今のパソコンの前っていうのは
これは筋良くないよな
そりゃ欲求満になるわ
っていう問題だと思うんだよね
だって渋谷に待ちわれてる人全員が趣味あると思う?
思わないぜ
地下鉄乗ってたってさ
一人一人の人あんまり見ないでしょ
実はガチで見ちゃうんだけどさ
すげー見るんだけど
ジロジロは見ないよ
さすがにねそれはマナーはあるから
でも何の服着ててどういう服着ててどういう生活してて
昨日どれくらい寝たみたいなことすげー見る癖があって
人間の皆さんってどうやって生きてるのかなみたいな
渋谷の人ってどういう人なんだろうみたいな
マーケターとしての癖なんだけど
それはあんまり良くないけどね
51:00
バレないように見るんだよもちろんね
でも全然趣味合わない人いるわけ
なんだそれみたいなマジかよみたいな
なんで道路にツバ履くねみたいな
道路にツバ履くとか一番嫌じゃんみたいな
そういう人いるわけよ
そういうもんならしいじゃんどうやら
そしたらなんかいいお店見つけるとかさ
なんか気の合う友達と
逆に言うと気の合う友達といればさ
全然面白くないところでもちょっと面白かったりするわけよ
ドンキホーテ一人で行っても面白くないけど
友達と行ったらなんかおもろいみたいなのあるじゃん
分かんないけど糸っぽいとそんな経験あんまねーからさ
だからちょっと
自分で楽しい
一歩楽しいところを見てみる
今いるところっていうの
ごめん
古式畳もうと終わりにしようと思ってたけど
この話だともう一個話さなきゃいけないことがある
今いるところを捨てて新しいところに出よう
っていう話は違うと思うんですよ
なぜかというと今いるところは
今いるところでめちゃくちゃ辛くなければね
めちゃくちゃ辛くなければ
なんか1割ぐらいの気持ちで
とりあえず
これマナー的には良くないけど
なんか適当な買い物袋とか帽子とか置いて
席取っとくかっていうアプローチって
ありなのよ
お店だとそれは良くないマナーだよ
だけどここお店じゃねーからって話で
さっきまでお店のことは言ってたけど
なんやねんと思うかもしれないけど
だりーなと思っても
でもなんか
どうやらやってった方が損しないなっていう場合は
1割以下の
パクられても別にいいかなって思うような
ボロボロの折りたたみ傘とかでもなんでもいいからさ
先っぽ側のキャップが取れてる折りたたみ傘でもいいからさ
なんか席に置いといて
でその上で楽しむところは
他の店に行きゃいいじゃんみたいな
でなんかしゃーなくしで
なんかそこに
いなきゃいけねーなーみたいなタイミングの時に
お店に行って
いなきゃいけねーなーみたいなタイミングの時に
その折りたたみ傘あったところにちょっとだけ座って
はいはいはいはいはいはいはいってやって
でなんかもういいかなと思ったら
またボロボロの傘置いといて
うぇーすって外に行きゃいいじゃん
いわゆるキャッチに言うと
インターネットは1つじゃないからっていう
もっと突っ込んで言うとネットワークって1つじゃないわけ
54:01
自分から出ていく
自分を起点としたネットワーク
ソーシャルグラフみたいなネットワークで
半径何クリックって言うかもしれないよね
でもこの例えって結構罠があって
自分が移動しない前提なんだよ
そういうことは周りが変わらない前提になってるわけ
実を言うと迎えに行くインターネットと待ち構えるインターネット
っていう話をした時にあれは結構
ポップ目に話したんだけど本質はここにあって
インターネット
パソコンの前で止まっている
自分のドメインがあって自分のツイッターがあって
それがあってそこからの繋がりしかこの世界は広がらないんだ
っていう考え方
これって結局フォロワーが増えないと自分のネットワークっていうのが
広がっていかない楽しいものが現れないっていうところに
容易に接続しちゃう考え方なんだよ
これ間違ってんの
これ普通にガチで間違い
この間違いを誰がやったんですかって言ったら
インターネットをお金稼ぎの場所にしようとした人がそうやってるんでしょ
ガチですそれは言うよ
そういうのを押すのって
美しくないなって思う
今はもうしょうがないけどね
今だって普通に渋谷だから
タピオカ屋は何のためにやってるのか
タピオカ命かけるのか違う金稼ぎ体からやってるわけよ
タピオカ屋が終わったら次は揚げ物屋さんになるのよ
カラーディ屋さんになるのよそういうもんなの
それはそういうしゃーねーやるかでやってるからしょうがないのよ
でも10年前に
そういう風にやってた人に
イトッポレは美しくないって普通にズバッて薬打つたりしたよ
まあ子供だったからね
でもまだ人類にインターネットが実装されてなかったから
みんなが作り上げてるインターネットで
なんかそういうのやるのって
良くないんじゃねって普通に言ってる
これは正直間違いではないと思う
大人ではないけどね
大人ではないけど間違いではないと思う
ただ今は違うからあれから10年経ってますと
話戻すと
アカウントが一つあってそこからっていう
この考え方これねちょっと罠なのよ
個人サイトがあってその個人サイトからネットワークが
中途半端にミクシーとかSNSとか来ちゃったから
なんかこうあって感じなんだけど
そもそも本質として実はそこにはなくて
自分のIDがあってそのIDを持ってコミュニケーションする
いや違うのよ違う違う違うネットワーク
そもそも検索するもの
いわゆるディグるもの掘っていくものなわけよ
そこに自分の母体とかないわけマジで
本当にだってさ
漫画のジョジョ読むのにさ自分のさ
自分のアカウントがあってさ
57:00
自分のアカウントとジョジョが繋がってないとさ読めない
やんなわけないじゃんっていう普通にワンダーグーに
買いに行けば良くねみたいな
ワンダーグーに買いに行く時って別に名札付けてなくねみたいな
それに対してマイナンバーとかよく言う人
ツイッターとかにいるかもしれないけど
うるせー話の腰を折るんじゃねーみたいな話ですよね
そう自分のIDの話じゃないんだよ
自分をこう
インターネット上で大きくするゲームじゃないわけ
違う違う違うそれ自体が
収穫の時に自己分析しましょうって言ってる
コースと同じなわけよ
メンヘラにして金稼ぐぞみたいな
違う違うねん
ここがたぶんねぐねりなのよ
我々ってちょっと中途半端な世代じゃん
がっつりインターネットでもなければ
かといって死後だけどリア充ってわけでもないわけ
結構微妙なわけよ
美味しいとこ取りしてた世代かもしれないけど結構微妙なのよ
ここにたぶん問題があってここをまずもみほぐしてあげる必要がある
その上で楽しいものを
見つけに行くっていうネットワーク
楽しいものネットワークなんですよね
インターネットというのは自分のIDがあって名札を下げて
コミュニケーションして違う
楽しいものネットワークっていうのがあって
ただもちろんそこには楽しいもの見ていたい人
その人が書くものが好きっていう意味で
生き物というユーザーというIDという
ドメインという概念はあるよもちろん
だけれども
普通に一方的に見るでもいいわけ
ただ一方でそれを楽しみつつ
そこに参加することもできるわけ
でも参加しなくてもいいわけ
参加して何かをしないと楽しくなれない
というわけではない
はい違うそこは違う
自分が強くならなきゃいけない
家族を増やさなきゃいけない
違うそこは違う
そもそも多分我々はそこじゃないよね
求めてるものは
という感じでございます
なので
改めて自分の好きなものとか趣味とかを
いっぱい見る時間とか
作ってもいいんじゃないかなと思ったんだよね
なんか
今日1日ずっとニコニコ動画
見直してみようとかさ
今日1日ずっと
本棚に置いてあって
あんまり本棚動いてないけど
ちょっと意気込みしちゃおうとかさ
ブルーピリオド
1:00:01
意気込みしようとかさ
多分やってみてその上で
ブルーピリオドの作者さんのツイッターアカウントだ
フォロワーこんなにいるんだすごいな違う違う
これは罠ですよ違う違う
ブルーピリオドの出た作品
こういうのがあるんだググってみよう
普通に美術館にあったりするんだ
この作者さんってこういう作品も他作ってたんだ
うわー結構ちょっとエッチだなみたいな
結構エッチなやつだったみたいな
てことはあの作品と結構似てるかもしれない
あれ何だっけなーって調べて
この作者さんとこの作者さんここ繋がってるんだ
この人の作品も見てみよう
嫌いじゃないみたいな
そこなんですよこれネットワーク
やってみてもいいんじゃないかな
そこなんじゃないそれをワンクリックじゃなくて
自分でうーんってなった上で検索ワードを
タイピングするんですよね検索をする
それなんじゃないかなと思うんですけどいかがでしょうか
ちょっと是非
イトプロもまだ答え全然分かんないからさ
これ結構人類の問題なので分かんないから
ちょっと是非
こういうのも楽しくていいよっていうやつがあったら
お便りで教えてください
それを楽しみにしています
ではまた次回