それをやらない限り難しいんじゃないかなっていうのは思う。
で、ちょっと話がかなり結論めいた方にズバッといってしまったので、
もうこれで理解した人はそうだよね、
でもうこの話はおしまいなんですけど、
もうちょっとじゃあ脇道にそれた非常に詩的な話をすると、
いやその結構やっぱ先輩によくしてもらってたなとか、
あのおじちゃんにかなりよくしてもらってたなっていうのめっちゃ思うわけよ。
で、じゃあ今振り返ってみて自分がその役割を、
ある種その後輩、いやあんまり意図っぽいのもその後輩みたいな概念、
後輩とかそのガチ直属の部下みたいなものがいるかって言われたらいないんだけど、
まあフリーランスでやってたりする文脈もあったりするからね。
ただ、いやでもなんやかんやいって先輩だろうと。
で、そのインターネット上のなんか楽しそうにしてたお兄ちゃんみたいな年齢みたいなものも
ある種その上にいってるわけで、
ってなると何も言わなくなった人たち、
大人になっていった人たちみたいなポジションになってしまっている。
で、その時に久しぶりに話した時にめっちゃ昔話しかしないとか、
久しぶりに話した時に全然何も話せないとかになると、
もう完全に悲しいっていう感じだと思う。
で、それのでも最悪それはならないと思っていて、
でも一方で何かこう良く、何か良い影響を与える先輩というのは、
の役割というのを自分がその舞えるのかな、
踊れるのかなその振付、踊れるのかな、体動くのかなっていう風に考えた時に、
ちょっとね、練習してないかもっていうのは思ったんだよね。
で、めちゃくちゃ真空ってこと言ってしまうと、
その先輩役というよりもじゃあ別に何か働きかけてその変化を促したかっていうと、
そんなことはなくて、結局変わる人、成長する人、
まあそれは成長なのか劣化なのかっていうのは人それぞれだと思うんですけれども、
結局その人自身が選択したりしてやることになるので、
働きかけて何か変わるってことはほとんどないんですよね。
だから、やれようがやれてなかろうが実は関係なく、
むしろ何か変えてやろう変えてやろうみたいなものの方がちょっと歪だったりすると、
その歪さっていうのに対して真剣さというものを成立させるのが、
おそらく習い事みたいなコミュニケーションプロトコルというかだと思うんですよね。
まあそれは真剣さがあるっていうことではあるので、
ちゃんとコストの投資をしていて、それに対してリターンを出すみたいな感じなので、
かなり健全だなとは思う。ただ、もちろんお金が必要になってしまうっていうのもある。
けれども、それは何というかね、お金が生んだとかよりも、
お金というのもある種コミュニケーションの一つの通貨って結局そういうことだからね。
貨幣経済と言いますか、なので一旦価値をこの紙ペラにあると仮定してコミュニケーションするっていうやつなので、
まあまあまあ、かなりソリッドな社会になってきていて、
発展するというよりは、よりゲーム感が強いというか、
ゲーム感というのはゲーミフィケーションみたいな話ではなくて、
かなり自己責任社会というか、強いものは生き残る、やる気がある、体力があるものは生き残ったり、
ポイント何かしらの数字レベルであったりとか、攻撃力なのか守備力なのかわかんないけど、
自分でコントローラーを頑張って動かすみたいなのをしない限りは何も進まないみたいな、
非常にゲーム的なものになっていってる気がしております。
自動でぼーっと何か画面の中はめちゃくちゃ変わるんだけれども、
じゃあ自分は移動しているのか、自分は変わっているのか、
画面の中が変わっていくことと自分が変わらないことのこの非対称性っていうのがすごくでかくなっていて、
それに対して画面の中がめちゃめちゃコロコロ変わっているっていうので、何か自分も変わったような気になるみたいな、
それがやはり推し勝つみたいなものに例えられて、述べられたりとかしますけれども、
ちょっと言いがかりっぽい感じかもしれないけれども、なんとなく皆さんぶっちゃけ納得感はあるっちゃあるんだよね。
一生懸命やることやってるんだけど、なかなか自分の理想の変化がないっていう状況の時に、
なんかめっちゃ活動してたり活躍してたりする人を見ると、ある種のちょっと癒しというか、
何かキラキラしたものを見てる気持ちになって、ちょっと気が紛れるみたいなのは全然あるわけですよ。
それは糸っぽいのも最近わかるようになってきて、なるほどなっていうふうに思ったし、
すごい若い世代の人とかが少しずつ何かしらの発見をしてったりとかしている。
その発見というのは、自分にとって糸っぽいのにとってはもう知ってるやつだったりするから、
小さな変化でしかないけど、かなり若い世代のその人たちにとっては、かなり大きな変化であって、
そこの純粋な感動みたいなものを若いエキスとしてグーって吸えるみたいな、
画面越しに見てるだけなんですけど、っていうのはあるよなとか、
あとはこんなに若いのにすごいねみたいなふうな言い方とかして、ある種自分とは全く違うからこそ純粋に評価できる、
いわゆる劣等感を感じないまま評価できるみたいな気持ちよさみたいなところもやっぱあるし、
それはやっぱ性別が違うとか年齢が違うとか立場が違うとか、ナチュラルボン綺麗可愛いでも全然違うとか育ちが違うとか、
いろんな、あとは海外とかもそうですよね、っていうのがやっぱ距離が空いてればあるほどその気持ちよさっていうのは結構高まるよね、
みたいなのは最近糸っぽいのはもうわかるようになってきたんですよ。
わかるようになってきたんですよっていうような口ぶりで言う言葉じゃないよな、今のな。
そんなことないもんっていう場合も全然あるよね。
ちょっと今いじわるな言い方しちゃったかな。
いじわるな言い方をしてしまったという反省をできるようになったんですよね。
お!成長!
成長!やばいよ!終わりだ!
おしまいでござるよ!もう!
いやでもさ、例えばこういうものに対して、いやもういい大人なんだからもうそういうのはやめようよみたいな風に言って、
全てから降りるっていうのも言っちゃいいんだけど、
まあでも人に迷惑をかけたりとか大きくしないければ、
糸っぽいのは何かが良くなっていくとか何かができるようになっていくみたいなものとか、
より世界が広くなっていくとかっていうものに対する欲望が結構強い。
これは手放しに全てが良いものではないと思うんですよ。
ただそういう欲望があるっていうだけで、
その欲望を解消するため、欲望を満たすためにやっているっていうだけなので、
よしやしは本当に人それぞれなので、
なんか価値観みたいな単語で、
この平仮名4文字、漢字3文字で何かを言った気になってしまうっていうのもあるっちゃあるんですけど、
結局欲望の話だと糸っぽいと思っているので、
まあ人それぞれ欲望違うよねとか、欲望の代償も違えば角度も違うし、
どうやって欲望を解消するのかってルートもおそらく何かこう、
ここが気持ちいいんじゃみたいなのはやっぱり人それぞれ別だから、
まあそれをうまく見つけていくとか、
より満足していくようにしていくしかないんじゃないのかなっていう気はするっすね。
で、逆に言うと、どうしてもここまでやらないとその欲望が解消されないんだって思ってるけど、
実はもっと本当にある種もうちょっとコスパのいい欲望の解消の仕方とか実はあったりとかしてみたいな、
いやなんかマラソンとかしてみたら結構気持ちよくて、だいぶ満足しちゃったんだけどみたいな、
やってみたことないものやったらめっちゃハマったとかあるわけじゃん。
で、そういうの知らないっていう状態で、何だろうな、ずっと欲求不満ってなるとそれはもったいないよねというか、
苦しい努力をしてるって感じかな。苦しさに耐える努力をしてるのかな。
まあでもそれをやるにも体力というのが必要で、あとは知識みたいなものも必要で。
で、そうなってきた時に、話を戻すんですけれども、
その良き先輩、良き隣人みたいな、良き友みたいなのがいるかどうかというのと、
まあその人たちとの関係性において、ある種のなんだろうな、
まあ本当サイコパスみたいな言い方をすると、お互いにとってウィンウィンな利があるかどうかみたいなっていうのは、
おそらく考えないといけなくなってくるよなっていうのは思っています。
それってでもただ関係値の継続であったりとかメンテナンスみたいなものに対するコストを払う、
まあそれすごく大事だと思うんだけど、またさらにそこから加速して、
なんだろうな、よりお互いに高め合おうとか、その推しを乞うなのかわかんないですけど、
何かしらのその人にとって相手にとっての利益というものを生むっていう風になった時に、
習い事という概念というのは非常に大事になってくる。
でなると手放しな先輩後輩という関係性というのは非常に難しくなってくるよなっていう。
もちろんサラリーマン組織の中で、そのチームのこの人育成する仕事であったりとか、
ある種のチームがうまく回るようにしていったりみたいなのもあると思うんですけど、
例えばそれに対してAIとかの話で言うと、前の最近のエピソードでも話したけど、
能力が低い人に対してコミュニケーションする価値がないから、
なんか適当にAIとかにずっぽいやつを出して、
何か自分は尊重されてるんだなみたいな雰囲気だけ出して、はいどうぞみたいな風にしてもらうみたいな。
いわゆるこう、よくツイッターとかで怖いポストとかでさ、
何とかがしたくないどうぞどうぞ、何とかが無駄だと思うどうぞどうぞやめましょうみたいな感じで、
なんかすごくおもんばかってる、おもんばかってくれてるように見えて全然そうじゃないみたいなのとか。
もう若者の立場からすると全然今はあり得て、
で、それってかわいそうだよねみたいなのがよく言われるとは思うんですよね。
で、それに対していや自分はそんなことをしないぞキリみたいな話がしたいわけではなくて、
いや何というか、気づけないまま年を、年だけ取ってしまうことのグロテスクさみたいなものを、
最近ふと気づく機会というか考える機会みたいなのを、
こうよく、これは本当に反省と言うかその、いわゆる今この瞬間というよりはちょっと先の話ね、
いわゆる3年後か5年後かとかに激ヤバのままだったりとかしたら、
それってちょっときついな。
で、もちろんそれに対する処方箋としてやっぱ大事なのに愛嬌みたいなものがすごくあって、
で、その愛嬌というのが見た目の影響もすごく受けるし、
それこそ昨今で言うといわゆるトーク力みたいなもののまあレバレッジがすごい効くよねみたいな。
だからイトっぽい人にとってはかなり有利な時代になってるなーっていう感じは正直しちゃうのよ、母語の話で言うと。
母語は英語だともっとかなり噛ませるんだろうなとかも思うこともあるけど。
で、そのトーク力っていうのもある種その、じゃあ音声だけ、この音声メディアみたいな音声だけの話かっていうとそうでもなく、
どちらかというと身振り手振りであったりとか、表情の動かし方であったりとかそういうのも含め含めで、
意外とそこが大事だよねってなった時にその、なんて言えばいいのかな、
やばい話し方のままかなりそのベテランの年になってしまうっていう時に相当実績がある大先生になるか、
もう圧倒的な何か強みがあるとかじゃないと許されないだろうなというか。
で、まあ特にその肉体的男性であると怖いじゃないですか。
やっぱり基本大人の男性ってもう怖い生き物として思われる。
物理的にも怖いし、やっぱその体重もあったりとかするし。
で、あとやっぱり大人になってくると、まあそれこそ高年期障害の問題があったりとかミドルクライシスの問題があったりであったりとか、
まあ様々、様々怖くなるっていう可能性はありますよね。
まあ今ももしかしたら怖くなってしまっているのかもしれないと思うと、
おーこわ、おーこわ、桃音がね。
劇場版チーカーの桃音がね、おーこわ。
あんまり似てなかったな。
CV、ゆうちゆかさんね。
おーこわ。
なんか全然違うな、魔女みたいな感じになっちゃったな。
悲しいさ、悲しいさ。
泣いてしまう。
完全に悪者の笑い方してしまいました。
大変申し訳ございません。
完全にヴィランの笑い方してしまいました。
いやーなんかね、良き大人になっていきたいなというか、
良き大人になるっていう概念も多分おそらくもう解体されていて、
良き人間になる、いわゆる大人の年齢になっても良き人間であり続けるというのが、
多分重要なんだろうなっていう感じになって、
やっぱ普通に思う。
やっぱある程度の年齢だったらこうしたらこうしたらこうしたらよし、みたいなものが最近ないし、
逆にそれってみんなできないよね、みたいなこともめくれてきちゃったわけですよ。
できないけれども、でもやるんだっていう、
そういう物語があったはずなんですけど、
それもやんなくてもいいもの、みたいな感じになって、
他の選択肢も全然あるよねってなった瞬間にその物語崩壊するじゃないですか。
ってなると、できないけどみんなで一応やっていこうという態度というかアシチュースというか、
体の傾きだけはあるんだっていうのも崩壊するとまあそうなるよねっていう。
だからね、全部自由にすることの弊害というのが日本社会において炸裂しているっていうのはマジそうだと思うんですよね。
それに対して自由にしなければ問題解決するかってそんなこともなくて、
今の時代を生きている我々が何かを思って変えて、
それで良くなれるかっていうとそういう話ではこれないので本当に、
10年20年30年単位ぐらいの大きな社会の腕身の話、
それにそこの世代によって生み落とされた子どもたちの世代、
子どもたちが大人になるってやっぱ時代って作られていくものなので、
まあコントローラブルなものではないので、
まあ悩んでもしょうがない、大変になっていくんだろうなっていうのを、
まあそうは言ってもそれはマジレスすぎるので、
そんな何というか絶望の話をマジレスでして、
テレビのコメンテーターみたいな感じでポンって置いて、
お騒がせてみたいな、でなんか議論だけ起こして、
すげえ雑に、何回か喋ったことあると思うけど、
すげえ雑に言うと、
その人その人、いろんなところで、
例えば電車の中にいる自分と、家族の前でいる自分と、
一人でいる自分と、インターネットで書きこする自分と、
学校とか会社の中の自分って全然キャラ違うよねみたいな、
それぞれの場所によって振る舞いみたいなものとかってめっちゃ変わるよねみたいな、
それを、それぞれの社会における、
その現実をどう構築するかみたいな、
どう自分を出していくかみたいな話のやつなんだけど、
糸っぽいどが、もともとその、
ちょっと最近は結構意識的にかなり頑張って、
良きようになるように結構努力をしてるんですけれども、
やっぱり性質的にかなりこう、
大会議が発生するので、
でもね、分散化と脳内大会議はね、
うまくつなげてやれば悪くはないんじゃないかなっていうのは、
最近結構思っていて、
意識的に、一つの物語ではなく、
複数の物語を作っていいんじゃないかっていうのを最近は考えている。
で、そうなった時に、そのうちのワンノムゼムとして、
ある種その先輩的なものっていうのは作ってもいいんじゃないか。
すなわち、大きなメディア、いわゆる対人間ではなく、
例えばそれはインターネットであったりとか掲示板であったりとか、
ちょっと大きい言葉で言うと、
例えばそれ社会、その社会でどこで楽しいんですけれども、
まあまあそういう話としましょう。
いわゆる外部、外の世界楽しいね。
そういう大きな対象がいないタイプのものに対する自分だけではなくて、
もっと個別のそれぞれの人間であったりとか、
小さな友人の輪であったりコミュニティであったりっていうところに対する自分みたいなものも、
それぞれまた物語を作ってもいいし、
物語をむしろあった方がいいのではないかと。
それがよりによくこの間も話したと思うけど、
いろんなところに自分が行けるコミュニティがあった方がいいよね、
居場所があった方がいいよねみたいなのを、
前回全然変えて話したと思うんですけど、
それにもつながってくるなと思っていて、
意外と複数の物語を持っていてもいいんじゃないかなっていう、
例えばだから異世界転生みたいな話になった時って、
どうしても大きな一つの話になるじゃないですか。
その主人公の異世界における話じゃないですか。
もちろん無職転生とかの作品だと、
異世界に行った自分とある種の現世、前世の自分っていうのがあってみたいなのあるし、
幼女戦記とかも結構そういうやつになったりしてるじゃないですか。
いわゆるちょっと初めの方の異世界転生って、
元の人生の自分とこれからの人生の自分っていうのの2つ並列だったはずなんですよ。
だけど最近はもうなんか前世とかマジどうでもよくて、
バーンってボーンって引かれてボーンって行って、
そっからの一つの物語になってくる。
なんだけど、いやなんというかね、
もっと複数作品を連載してていいんじゃないかっていう気がしてて、
ジャンププラスじゃないけど、
でもなんか考え方としてジャンププラスでいいんじゃないかな。
別にマンガワンでもなんでもいいんだけど、
カドコミでもなんでもいいんだけど、
でもなんかその自分の一つの肉体であったりとか、
ある種人生みたいなものに対して、
ジャンププラス的な考え方を持っていくっていうのは、
別になしじゃないなと思っていて、
ただやっぱりそのジャンププラスであったり、
マンガワンであったりとかカドコミであったりとかコミポであったりとかって、
そのメディアごとの色ってあるじゃないですか。
で、例えばヤンマガだったらなんかちょっと、
もちろんそうじゃない作品ももちろんありますけど、
ある種のダークツーリズム的なことをテーマにする作品があったりとかもして、
そのメディアごとに色、雑誌ごとに色って違うじゃないですか。
何が良しであれば、努力、友情、勝利っていうのが
良しとされているジャンプっていうのがあってとか、
いろいろあるじゃないですか。
ラブコメが最高とかがあったりとか、
初恋って素敵みたいなのがあったりとか、
そのテーマの中でいろいろあるみたいな。
例えばエッチなマンガとかでもなんか、
王道のエッチなマンガ雑誌と、
なんかちょっと、なんだろう、
ちょっと悪いことをしちゃいますかみたいなエッチなマンガと、
これはちょっとなんか、
これ大相撲が始まってるなみたいなエッチなマンガ雑誌と、
全然これ違うじゃん。
そこの中の話もさ、
確かに似たり寄ったりかもしれないけれども、
でもなんかこう、
さすがにちょっと可哀想なのはみたいな。
とか、でもそういうものを
フィクションとしてどうしても読みたいんだみたいな。
場合、なんかすっきりしたいんだ。
それはその、完全超悪のね、
うおーみたいな、
やっぱ悪役はもう、
もうなんだ、非常に懲らしめてもらわないと困るみたいな。
で、それがやっぱり正義なのだよって。
まあ確かにそうかみたいな。
じゃあそのテーマの雑誌があってみたいなね、とか。
で、そこが多分その人にとっての、
その良き人間たり得るっていう話だと思うんですよね。
なので、ジャンププラス運用したからといって、
じゃあめちゃくちゃになるかって言うとそんなことはなくて、
あの、良き人間たり得ることっていうものがあった上で、
じゃあそれぞれの作品でそれぞれやっていきますかって風になると、
結構自由なんじゃないかなって思うし、
メリハリがつくんじゃないかなっていう気もしてるんですよね。
時間めちゃくちゃないじゃないですか。
時間がめちゃくちゃない中で、
じゃあどうその効果を最大化していくかみたいな話になった時に、
その最大化っていうものが、
具体的にKPI、KGIで数字になっていればいいっちゃいいんですけど、
ただなんかね、そのね、
なんて言えばいいのかな、その、
いわゆる我々が昔とった気味遣いじゃないですけれども、
その改善主義っていうのにも限界があると思ってて、
そこ改善してもなみたいな部分もあったりするわけですよね。
ずーっとだから細かいところをちまちまちまちま、
吐き掃除、拭き掃除しているみたいな感じになってしまう。
もちろん割れ窓理論とかもあったりするのかもしれない、
バケツの穴理論とかもあったりするのかもしれないけど、
でもそれってやっぱり、分散化する前なんじゃないのみたいな、
ある程度、そのプロダクトデザインみたいな概念であったりとか、
経営の話だったりすると思うんですけど、
それってもうターゲットが明確にあって、
むしろその、そこのターゲットに来る人っていうのがかなり絞られている状態の中で、
で、他に選択肢もあんまりないっていうものの時に改善主義がはまるよねっていう話だと思っていて、
グロスハックみたいなものがね。
ただ、人生はグロスハックじゃないんだよな。
人生はグロスハックじゃないってやばい言葉だよな。
やばいんだよな。本当にそうなんだよな。
でもお仕事とかでもさ、その時その時の部署によってその部署のミッションが違うとかさ、
その時その時の会社によってやること全然違ったりとかあるじゃないですか。
で、それもかなり変わってるわけで、
で、それを自分も、自分の他のお仕事以外のところでもそうでしょって言われたら、
いやそうだねとなると思うんですよ。
だから圧倒的マジレスなだけだと思うんですよね。
何か大きな、いやもちろんその、
例えば家族がいるとか、お子さんが生まれたであったりとか、
何か大きな家を継いで何かをやらなきゃいけないとか、
そういう使命があったりとか、
まあなんというか、遺伝子操作されたクモに噛まれてね、
なんかちょっと目覚めちゃってみたいな、
やっぱりちょっと正義には力には責任が伴うみたいな、
そういう子もいると思うんだよ。
やっぱりアメリカとかに、アメリカとかにさ、
いると思うんだけど、
まあそういう子たちはもう知らないのかもしれんが、
でもジャンププラスなんじゃないかなって思ったでちゅ。
だから良き先輩になりたいな、良き先輩になれてない時の、
いや問題はジャンププラスなんだけどさ、
入れ替えっていうのが起きない、
ジャンププラスという自覚が、
なんか辞任ジャンププラスだったら、
やっぱりこう、あんまり人気がない作品はクローズして、
新しい連載を作家先生にも始めてもらった方がいいとか、
わかるけど辞任がジャンププラスじゃない場合って、
ずるずるとやり続けてしまって、
いやずるずるとこう、結果が出なくても自分が楽しければ別にいいと思うんだよ。
めちゃくちゃ周りの人に品色を買いまくっているとか、
あと人が離れていっちゃう。
で、自分はあまり孤独になりたくないと思ってるんだったら、
働いていっちゃうっていうのはあまり良くないじゃないですか。
すなわち不幸になるための努力をしてしまっているっていうような状況になる場合があるんですよね。
そう、辞任がジャンププラスでない場合は、
連載を一回やめて新連載するっていうのができないから。
いやもちろんなかなか変えられないものとかは、
例えばお仕事の内容を変えられないとか全然あると思うんだけど、
そうじゃなくて、そういうシステム的な場所とかの話じゃなくて、
ある人であったりとかに対する自分のキャラみたいなことであったりとか、
話し方であったりとか、コミュニケーションの仕方とか、
受け入れ方、話しかけたり、何でもいいんですけど、
とかあとはどういう人と出会う、出会っていくかとか、