ちょっと楽しい作品を見てみよう。
お便りが来ております。
いつもなかよしインターネッツをありがたく楽しく拝聴させていただいています。
これはテーマリクエストなのですが、よろしければメディアートについてのお話をイトッポイドさんに語っていただけたらと思います。
私はメディアートの何たるかについては全く無知ですが、なんとなく媒体や技術などの性質を活かしたり活かさなかったりして作られたものという認識です。
一般的な定義感やそれに対するイトッポイドさんの認識、イトッポイドさんが感銘を受けた作品や事物などに興味があります。
よろしければぜひということでお便りいただきました。ありがとうございます。
メディアートですね、実は大学の学部がサブカルクソ学部という学部だったんですけれども、
富山にあるんですよ、和世田駅降りてたこ焼き屋さん、今たこ焼き屋さんじゃなくてたい焼き屋さんなんだけどさ、神社があって、
ちょっと行ったところに昔名屋売ってカレー屋さんがあって、今はもうなくなっちゃったんだけど、
そこの隣にサブカルクソ学部キャンパスみたいな、サブカルキャンパスみたいなのがあるんですよね。
そこに通ってたんですよ。サブカルキャンパスだから、やっぱり素晴らしい授業もあれば、
みたいな授業もやっぱりあるんですね。そこが大学の最高に面白いところだと思うんですけれども、
そういう出会いがあるから大学っていいですよね。そうじゃなかったら普通にインターネットで住みますし、
基本的にイントポイントとしては大学というのは図書館への道しるべと図書館機能というのが本質だと思っていて、
特に文系についてはですね。なので別にいいんじゃないのっていうのは今大人になったと思うんですけれども。
授業でもメディアートを扱うようなものがあったんですけれども、
基本的にメディアートを扱うような授業というのは楽端、いわゆる楽に段位が取れる授業とされておりまして、
基本的には先生が自分が昔作った作品とか自分がちょっとだけ関わった作品みたいなことをアレオレって言ったり言ってみたりとか、
アレオレっていうのはアレオレ詐欺とかいう言葉で使われる単語で、
アレオレがやったんだよって言って、いやそんなことはねえよみたいな、お前はそんなにやってねえよみたいな、
これアレオレ詐欺って言うんですよね。世の中にたくさんありますけれども。
イトプルはアレオレ詐欺をされる側はあるんですけれども、する側はまだ経験がないですね。
でですね、そんな楽端授業だったんですけれども、
ただ一方でですね、当時というか今、その当時と今の、昔と当時と今の違い、
いわゆる7年8年ぐらい前とそれよりも前と今の話をちょっと今日メディアートというキーワードでしてみたいんですけれども、
でもなんかこれは、これはなんかこう、なんだ、そのマルチバースの、っていう感じが一瞬あってびっくりしましたね。
糸っぽいのはね、一般教養はほとんどないんですけれども、特定のジャーナルについては、まあ確かにねっていう感じはありますから、いやーしびれましたね。
それはそうとしてですね、なので、アートとは美術とはみたいな話はしないんですけれども、
大学でそういうようなものをいくつか見て、自分でも作っていたりしたんですよね。
で、なんでそれでメディアートっていう単語を結構かなりなんか触れたかっていうとですね、
そもそも先行がメディア論だったっていうところがありますよね。
メディア論っていうのはマーシャル・マクルーハンっていうポエマーが、ポエマーのおじさんが、哲学者とかひよかでもなんでもないですね、ポエマーのおじさんですね。
ポエマーのおじさんが、いやメディアっていうのはメッセージなんだよねっていうのをまず言い始めましたと。
ざっくり言うと、新聞に書いてあったり、連合掲示板に書いてあったりするその文字情報みたいなものだけがメッセージだけではなくて、
何にその文字が載ってるか、何で伝えられてるかっていうのにもすごく何かを物語る、いわゆる何かを言ってるよねっていう。
だから新聞に書いてある文字が、その文字が新聞に書いてある時点で、新聞っぽい雰囲気になるし、新聞で書かれたということは何かこれはもう一般的に正しいことなのかとか、
広く世の中に知られるべき情報なのかみたいな、それ文脈みたいなものがつくよねと。
なのでメディアそのものがメッセージであると。
何だったら書いてある文字よりもどこで出てるかの方がよほど重要でっていう考え方に行くと、メディアこそメッセージであるみたいな、そういう話ですよね。
で、この話、こういう話があって、それにそういうようなメディア論、マクロハンのメディア論っていうクソ分厚い本あるんですけど、中はゴミカスですね。
本当ポエムなので、なんか真剣に読む方がアホっていう感じですね。
あれをありがたがるだって読む方がアホ、あれ本当ポエムなんですよ。
マジでエッセイなので基本的には、ゴミカスとかアホとか散々言ってますけど、これはどっちかっていうと、あれをものすごく教養として身につけていないといけないとか、
あれがビジネスのってすごく重要だみたいな風に、逆、権威として使う人がいるんですけど、それはアホだよねっていう、それに対してのアホと言っています。
マクロハンさんは非常に面白い人ですね。ポエマンなので非常に面白いですね。
というか、プロデューサーですからね、もともと。
そういったものを専攻してました。
別にメディア論についてガリガリやりたいっていうわけで、マクロハン研究をしたかったわけでもなくて、
単純にインターネットについて色々勉強したかったというか、色々やってみたかったみたいな、
で、まだジャンルになってないものっていう言い方をいとぽいろしたのにも理由があって、例えば明和電機さんとかはメディアートの枠とかで結構語られるんですよね。
面白いやついっぱいあるでしょう。
指パッチンするとカンカンカンカンなったりするやつとか、あとはオタマトーンとか有名だけれども。
まだジャンルになってないものがメディアートとしてよく言われるということは、ジャンルになってしまった時点でもうそれはメディアートじゃないと言えるということも一つ事実だと思うんですよ。
で、例えばこのね、さっき紹介したビーフチキンポークドットコムとか、なんかそのこの外国の方の作品、ラファエルさんの作品とかですね。
多分ね、真似する人がいっぱいいたらね、もうそんなそのうやうやしい感じじゃなくなっちゃうと思うんですよ。
誰が先にやったかっていうのもすごい大事って言われるんですけど。
でもこれね、ちょっとね、ちょっとうんって考えればわかるんですけど、テクノロジーみたいなものを使った作品、コンテンツ作り、コンテンツというか作品というかアートというか。
それというのはテクノロジーというのは基本的に普及して発展していくものですよね。
ってなるとですね、その技術を他の人も使えるようになるはずなんですよ。
ってなった瞬間にメディアートには賞味期限というのがあるのかっていうふうに言われると、正直、はい50%、いいえ50%って感じかな。
例えばカセットとかビデオテープみたいなものを使ってやるような作品みたいなものを今見るとちょっとレトロで面白いっていうふうになるじゃないですか。
でも一定以上昔のね、昔だとそれが最先端の技術だったわけですよ。
もしくは広く一般的に使われているものとかね。
すごくわかりやすく言うと、例えばカセットテープのウォークマンみたいなのがありますと、今それが目の前に置いてあったらそれは多分昔カセットで音楽を聴いていた。
もしくはそれを聴くための機械だっていうようにパッと我々は思いますよね。
でも昔の時代にそれが置いてあったら多分音楽を聴くやつだっていうふうに多分思うはずなんですよ。
そう、文脈が変わっちゃうんですよね。文脈が変わると作品って成立しなくなることって結構あるので、なのでメディアートというのはどんどん変化していくリスクというのを受け入れなきゃいけないっていうのがあります。
でもそれに対して、いやでもなんとか印象派とかさ、なんかいろいろあるでしょ、なんとか派とかさ、そういうのだってそういうもんじゃないのって言われたらまあそうだねっていうふうになるんですけども、
ただ一方で、その絵とかと違うんですよ、メディアートっていうのは。ビジュアルでなんかこれは綺麗でいいとかなんか怖いとかそういうふうに言えるわけじゃなくて、どっちかっていうと文脈ハックゲーみたいなもんなんですよね。
インタラクションがメインになってくる作品も多いので。
ってなるとですね、賞味期限というのは確実にあると思います。で、この話をなんでラファエルさんの作品の後にしたかというとですね、シンプルに言えるのが、このラファエルさんの作品がおーって言って面白いなって言ってこうと思えるのは、まあ今見てもすごい綺麗だし面白いし可愛いからいいんだけれども、今パソコンの画面見ますって話なんですよね。
一つ、作品作りとか何かこうちょっと表現をしたいっていうのが速攻商業的になってしまうので今は、
そういうちょっと作品全とした雰囲気というのを出すという発想が若い層にはないんだろうなっていうのはすっごく思う。
作品が主役であって作った人は最後にわかるというかこういう人が作ったんだねっていうのが、
ある種ちょっとメディアート的な佇まいとしてはあったんですよね昔は。
でも今って誰が作ったかの方が先に来ちゃうじゃないですか。
その時点で人間が作ってるんで神秘的な演出とかって無理じゃないですか。
これすごくもったいないことだなというか、人類は愚かだなって思うんですけれども。
体験の神話性みたいなものを初手でぶち壊しに行く感じというか。
でもこれはしょうがないんだろうなとは思いますよ本当に。
だってそもそもそういう情報がないとそこ自体にまだたどり着けないんですよね。
口コミで何が広がるって広がる情報経由じゃないとアクセスできないじゃないですか。
何が広がりやすいかって言って。
しかも何か広くみんながこれ非常にロジカルな話でみんながいろんなものを作れるようになりました。
ということは作られたものに関しては誰が作ったのかっていう情報がすぐ来るようになりました。
いわゆる誰も何もかも作れない、大きな会社じゃないとものを作れないっていう時代だったら、
どこが作ったみたいなのはちょっと薄れるんだけど、
基本的に一人でもある程度ものを作れるようになったら、
これ誰が作ったのって疑問が真っ先に出るのは仕方ないことですよね。
そういった情報がSNSで拡散しやすいので人の情報が出やすいよね。
だからそうなってるんだよ。以上QED。はい終了。なるほど。
なのでこれ仕方ないですよね。自然な流れだと思います。
じゃあそれで作品っぽい雰囲気みたいな、ちょっとミステリアスな雰囲気みたいなのが出るかっていうと、
それも難しいんじゃないかなってなっていて、
VRとかでメディアートっぽい、かつてのメディアートっぽい佇まいというのはちょっと難しいんじゃないかなっていうのが一つ思います。
ただ一方でARの作品というのはかなり今までもあって、
むしろ積極的にメディアートのジャンルとして紹介されてきたジャンルだと思うんですよ。
ARの方がなんかね、VRとかARとかXRとかみたいなね、
そういう話は何だろうな、おじさんたちが喜ぶ話というか、
おじさんたちがずっと自分の昔話を話してる感じで、
なんかその、なんだろうなーって感じですけれども、
ただNFT、NFTアートのあの仕組みを使って作品を作るというのは、
ある種一つのメディアート的な振る舞いであるよねっていうのは一つ言えるとは思います。
ただそれに対して、
何というか2匹目など上ではないけど、
2匹目というかもう2億匹目って感じですけれども、
他にやるとしたら、
それはもうそうあるものの形式をやってるだけっていう感じなので、
なのでやっぱり一番最初にやった人みたいなところはあるよねっていうのは思いますね。
でもねこれね、それこそVTuberさんとかにも結構同じことが言えると思っていて、
初期のその、この話の文脈で言うからちょっとクールな言い方をしてしまうんですけれども、
自分の趣味思考とか思いとかを一旦ちょっと封印した上でクールに言うんですけれども、
キズナアイさんとか、
キズナアイさんという言い方はあまりしたくないですね。
キズナアイちゃんというコンテンツを作り上げた人たちっていうのがいますよね。
複数人ですね。
彼ら彼女たちによって作られたあの作品というのはですね、
キャラクターがこっちに向かって話しかけてきて、
YouTubeという媒体で何か頑張ろうとしているというその構図がユニークで面白いっていう感じだったはずなんですよ。
それでぶっちゃけもう落ちてたんですよ。
それでもう終了なんですよね。
ある種メディアワード的な言い方をするんだったらその構図で終了なんですよ。
あとはそれをより深く、より多くの人に知ってもらうために、
同じようなYouTuber的なコンテンツを繰り返すっていうところだったんですよ。
そこまでがある種メディアワード的だった。
そこからの曲作ったり展開したりみたいなのはもうタレントとかIPとかのメディアミックスの話とかになっちゃうので、
そこまで行くともうその形式というのから外れてるわけですよね。
いわゆるVTuberに対してそこにはいないのにいるからエモいみたいなっていうのは、
初期のそのメディアワード的な感動ですよね。
その構図の感動。
おもろいことやったったの、その構図の感動に対してずっと恐縮を、
いわゆる懐かしむ思いを馳せているだけなんですよね。
本当は生きてないんだけど今を生きてるんだよみたいなそういうのあるじゃないですか。
キャラクターは生きてるんだよみたいなVTuberのみんなは生きてるんだよ。
今でこそもう生物だよねっていうふうになったから、
もうそういうVというのはみたいなそういう思いに関しては、
なんか子さんVTuberファンの感じだなっていうのはもうそうなってると思うんですよね。
別にそれが悪いことではないですよ。
ていうかもういとこりゃまさにどんずばそこだしみたいな。
何回も言うけど一旦自分の思いは置いた上でクールに言うね。
ってなるとですね、もうそれ終わってんの。
もうそれは終わっちゃったの。
で、それに対してその構図をもう一回やるっていうのは、それはそれでまた今度新しい表現ですよね。
そうなんですよ、あえてもう一度それをやるっていうのは、
だからあえてそのカセットのウォークマンで作品を作るのと同じなんですよね。
だから今の媒体じゃないものを使って、ある種もう一回面白いことをやる。
だからちょっとレトロなね、例えばジーコジーコの電話機あるでしょ。
ああいうのを使って電話ボックスを使ってインタラクション作品を作ったりっていうのはもちろんあるわけですよ。
そういう枠にね、VTuberって生きてるんだよみたいなそういうのは使われるようになるんだろうなっていうのは思います。
ただ一方でですね、普通にビジネスと言い方はちょっとあれだな。
ずっと運用していく、いわゆる作品全として固定化したくないのであれば、
そういうようなその教習に関しては一旦諦めたほうがいいんだろうなっていうのは
一つ冷静な意見としては言えるとは思います。
だって違うもんっていうね。
作品というのは基本的にはそれっていう形でこれがこれですっていうのである種止まってるんですよね。
それに対してその鑑賞者がどう感じるかであったりとかっていうのがある種インタラクションのポイントですよね。
だけどそれがずっと続いていったり何か展開していったりっていう風になると難しいよねそもそも。
その存在自体がメディアートみたいなのは苦しい言い訳だよねっていうのは思っていて。
なのでそういう意味ではライバーという言葉が一般的になった時に初めて
やっと引導を渡してくれたんだなっていう感じは
そういうアート的な目線で言うと伊藤ぽよは感じていますね。
自分の個人的な熱いパッションみたいなのは置いといた上で今言いましたけど。
そういう見方もできるよねっていう話なので個人的に本当にそう思ってるかっていうと半々かなっていう感じなんですけれども。
でも実際にそうだと思いますよ。
やってる側、事業者側からするとマジでそうっていう感じなので否定することは難しいんじゃないかなっていうのは思いますよね。
とはいえでも伊藤ぽよは自分の作品のテーマとしては物語とキャラクターっていうのはずっとその作品のテーマにはしていて。